片野坂知宏

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片野坂 知宏 Football pictogram.svg
名前
カタカナ カタノサカ トモヒロ
ラテン文字 KATANOSAKA Tomohiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-04-18) 1971年4月18日(47歳)
出身地 鹿児島県
身長 171cm
体重 68kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1987-1989 鹿児島実業高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 マツダSC 20 (1)
1990 マツダSC東洋  ? (?)
1992-1995 サンフレッチェ広島 75 (4)
1995-1999 柏レイソル 103 (8)
2000-2003 大分トリニータ 5 (0)
2000-2001 ガンバ大阪 (loan) 19 (0)
2002 ベガルタ仙台 (loan) 15 (0)
監督歴
2016- 大分トリニータ
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

片野坂 知宏(かたのさか ともひろ、1971年4月18日 - )は、鹿児島県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダー。現Jリーグ大分トリニータ監督。

来歴[編集]

選手として[編集]

鹿児島実業高等学校から1990年マツダSCへ入団。当初はサテライトチームであるマツダSC東洋で鍛えられると、左SBとして頭角を現す。1994年サンフレッチェ広島のステージ制覇にも貢献した。スチュワート・バクスター監督の元では不動のレギュラーだったが、1995年に就任したビム・ヤンセン監督の元では路木龍次に取って代わられるようになり、あまり評価されなかった。同年シーズン途中に柏レイソルへの移籍を決断。移籍決定の際には広島の事務所に抗議の電話が相次いだ。柏では不動の左サイドバックとして活躍し、1999年まで在籍した。

2000年、大分トリニータに移籍。2000年8月よりガンバ大阪に期限付き移籍[1]、2001年も期限付き移籍期間を延長した[1]。2002年はベガルタ仙台に期限付き移籍[2]2003年に大分に復帰したが、同年限りで現役を引退。

指導者として[編集]

引退後は大分トリニータのスタッフに転進。2005年まではスカウトを経験し森重真人などを入団させ、2006年は大分U-15コーチを務めた。同年、JFA 公認S級コーチライセンスを取得。

2007年からはガンバ大阪のトップチームのコーチ(サテライト監督兼任)を3年間務めた。

2010年サンフレッチェ広島のコーチに就任。15年ぶりの古巣復帰となった[3][4]

2014年、G大阪のヘッドコーチに就任[5][6]。広島時代の2012、2013年、G大阪での2014年と、3年連続でリーグ優勝を経験した。

大分トリニータ監督時代[編集]

2016年より、同年J3へ降格した大分トリニータの監督に就任[7]。U-15コーチを務めていた2006年以来の大分で、初の監督業挑戦となった。

大分は前年のJ3降格の影響より為田大貴西弘則安川有など昨季の主力が多数流出。新戦力に対するオファーでも、J3であることを理由に他クラブと同額でも断られるケースもあり、開幕時点では7、8割程の戦力しか整えられなかった[8]。その為「結果」と「育成」の両立を求められることになった中で選手全員を戦力として捉え[8]、開幕戦・長野戦で対戦相手を分析した結果、攻略に適した人材と判断した[8] ルーキーの岩田智輝吉平翼を先発に起用。岩田は以後先発に定着し、その後も怪我人や戦術変更をきっかけに福森直也姫野宥弥を先発に抜擢し大きな成長を促した[8]。一方で昨年飛躍した4年目の松本昌也と2年目の鈴木義宜に対しては中心選手としての役割と責任を与えることで、チームに欠かせない存在に成長させた[8]

開幕から3連勝というスタートを切ったが、第4節・琉球戦で敗戦を喫すると、その後は4試合未勝利を記録するなど波に乗り切れず、前半戦を昇格圏外の3位で折り返した。第19節では首位・栃木との直接対決に敗れ、勝ち点差が9にまで広がった。その後は主導権を握るサッカーを心掛けながらも失点リスクを抑える相手対策の意識を強め[8]、前述の姫野と途中加入の八反田康平をボランチに抜擢し、ゴールキーパーもそれまでスタメンを務めていた上福元直人に代わり修行智仁を抜擢。第20節から最終節まで5連勝を含む9勝1分1敗の成績を残した。同期間で栃木が4勝5分2敗と勝ち点を伸ばせなかったこともあり第29節で首位を奪取し、逆転でJ3優勝を達成。大分を1年でJ2復帰に導いた。

2017年はJ2残留を視野[9] に目標勝ち点を45に設定[10]。前年と同じくパスサッカースタイルを掲げ、よりボールを握る為、システムも前年の4バックシステムから3バックシステムへ変更したが、時には相手との力関係を判断し守備重視の4バックへの変更もするなど割り切りも見せた[10]。前年のJ1在籍クラブであった名古屋湘南福岡全てから勝ち点4以上を獲得するなど目標以上のペースで勝ち点を積み上げ、第30節・山口戦での勝利により目標勝ち点の45に12試合を残して到達した。その後はJ1昇格プレーオフ圏内を目指したが[9]、第41節・徳島戦での敗戦により、昇格初年度でのプレーオフ出場は成らなかった。最終的に勝ち点は64まで伸ばし、9位でシーズンを終えた。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 マツダ JSL2部 0 0 0 0 0 0
1991-92 26 JSL1部 20 1 4 0 24 1
1992 広島 - J - 9 0 0 0 9 0
1993 35 3 6 0 4 0 45 3
1994 34 0 1 0 3 0 38 0
1995 6 1 - - 6 1
11 0 - 2 0 13 0
1996 25 3 12 0 2 0 39 3
1997 18 25 2 8 1 3 1 36 4
1998 27 0 4 0 2 0 33 0
1999 J1 15 3 5 0 0 0 20 3
2000 大分 J2 5 0 1 0 - 6 0
G大阪 7 J1 0 0 - 3 0 3 0
2001 10 0 1 0 0 0 11 0
2002 仙台 5 15 0 4 0 2 1 21 1
2003 大分 4 9 0 2 0 0 0 11 0
通算 日本 J1 212 12 52 1 21 2 285 15
日本 J2 5 0 1 0 0 0 6 0
日本 JSL1部 20 1 4 0 24 1
日本 JSL2部 0 0 0 0 0 0
総通算 237 13 57 1 21 2 315 17

その他の公式戦

指導歴[編集]

監督成績[編集]

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ルヴァン杯 天皇杯
2016 大分 J3 優勝 61 30 19 4 7 - 3回戦敗退
2017 J2 9位 64 42 17 13 12 - 3回戦敗退
2018 -
総通算 - - 72 36 17 19 - -

タイトル[編集]

選手時代[編集]

サンフレッチェ広島
  • Jリーグ サントリーステージ:1回(1994年)
柏レイソル

指導者時代[編集]

ガンバ大阪
サンフレッチェ広島
大分トリニータ

脚注[編集]

  1. ^ a b “片野坂知宏選手期限付き移籍延長について” (プレスリリース), ガンバ大阪, (2001年1月18日), オリジナル2004年5月2日時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20040502152848/http://www.newtecks.com:80/gapress2/sha.cgi?tree=x11 2017年10月28日閲覧。 
  2. ^ “ 大分トリニータ 片野坂知宏選手新加入のお知らせ” (プレスリリース), ベガルタ仙台, (2002年1月7日), オリジナル2017年10月28日時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20020418024352/http://www.vegalta.co.jp:80/field/press02/020107_1.html 2017年10月28日閲覧。 
  3. ^ 片野坂知宏氏 2009年シーズンにて契約満了により退団、サンフレッチェ広島コーチ就任のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年1月5日
  4. ^ 片野坂知宏コーチ就任のお知らせ サンフレッチェ広島オフィシャルサイト、2010年1月5日
  5. ^ 2014 シーズン ガンバ大阪 コーチングスタッフのお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2014年1月6日
  6. ^ 片野坂知宏コーチ ガンバ大阪トップチームコーチ就任のお知らせ サンフレッチェ広島オフィシャルサイト、2014年1月6日
  7. ^ 片野坂知宏氏 監督就任のお知らせ 大分トリニータ、2016年1月11日、2018年2月8日閲覧
  8. ^ a b c d e f 【コラム】屈辱を乗り越えてJ3制覇の大分…片野坂監督に求められた相反する二つのタスクとは サッカーキングWeb、2016年11月21日
  9. ^ a b 片野坂知宏監督「泣きはしなかったが泣きたいくらいうれしかった」 大分トリニータ、2017年11月20日、2018年1月31日閲覧
  10. ^ a b >トリニータ シーズン総括 目標は早々と達成。シーズンを通して成長し、スタイルを築いた - 2017年11月23日、OITA SPORTS、2018年1月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]