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篠田善之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
篠田 善之
アビスパ福岡監督時代(2011年)
名前
愛称 シノ
カタカナ シノダ ヨシユキ
ラテン文字 SHINODA Yoshiyuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-06-18) 1971年6月18日(53歳)
出身地 山梨県甲府市
身長 168cm[1]
体重 68kg[1]
選手情報
ポジション MF[1]
利き足 右足
ユース
1987-1989 日本の旗 機山工業高校
1991-1994 日本の旗 中京大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 日本の旗 甲府クラブ 1 (0)
1995-2004 日本の旗 アビスパ福岡[注 1] 203 (10)
通算 204 (10)
監督歴
2008-2011 日本の旗 アビスパ福岡
2016-2017 日本の旗 FC東京
2019 日本の旗 清水エスパルス
2023-2024 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

篠田 善之(しのだ よしゆき、1971年6月18日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー(主にボランチ[2])。

来歴

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選手時代

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山梨県立機山工業高等学校を卒業後、1年間のみ地元の甲府サッカークラブ(現 ヴァンフォーレ甲府)でプレーし、中京大学に進学。大学卒業後の1995年、当時ジャパンフットボールリーグに所属していた福岡ブルックス(現 アビスパ福岡)に練習生として入団[2]。以後、プロとしてのキャリア全てを福岡で過ごす。

Jリーグ初得点は1999年浦和戦、記憶に残るロングシュートであった[2](J1長距離ゴール史上4位)。ブルックス時代からの生え抜きボランチで福岡に最も長く在籍し、1999年と2003年には主将を務めた。また選手会長も務め、サポーターからは「ミスターアビスパ」と呼ばれ[3] チームリーダー的存在であった。

2003年、「飛躍」に選ばれた選手の一人である。「飛躍」はリーグ創設10周年に当たる2003年、当時のJリーグ28クラブから代表選手1名とゴスペラーズによる日本プロサッカーリーグオフィシャルソングである。

2004年シーズン終了後、引退[4]。Jリーグ通算203試合出場、10得点の成績を残した[4]

指導者時代

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2005年にアビスパ福岡のホームタウン推進部コーチ[4]、U-18コーチを務め、2006年にはトップチームのコーチに就任[5]2007年にはU-15コーチを務めた[6]

2008年から再びトップチームのコーチ復帰[7]。同年7月にはトップで監督を務められるS級ライセンスを取得したが[8]、直後に監督のピエール・リトバルスキーが解任され、ライセンス取得の翌日に監督に昇格した[9]2009年はクラブ史上最低[10]の11位に終わったが、翌2010年は自らコーチを人選し[11]、攻撃的でスピーディーなサッカーの浸透に成功[10]。開幕から昇格候補の甲府に完勝するなど好調を維持し、新加入の永里源気が得点源となって千葉東京Vとの三つ巴の争いを制し、3位で5年ぶりのJ1昇格を果たした[10]同年の天皇杯では、前身の福岡ブルックス以来15年ぶり、アビスパ福岡としては初のベスト8進出[12]2011年も引き続き福岡を指揮したが、財政難[注 2]により戦力確保に難航したばかりか、主力選手の故障が相次いだことから[14]、開幕9連敗、12戦連続未勝利を喫するなど低迷。7月2日の対甲府戦で念願のJ1初勝利を挙げたものの、以降も成績は好転せず、8月3日をもって解任された[15]

2012年よりFC東京コーチに就任。同年クラブは監督・ランコ・ポポヴィッチの下、AFCチャンピオンズリーグに臨んだが、篠田は国外遠征には帯同せず、ポポヴィッチ不在の間のチーム指揮を任された[16]。その後もマッシモ・フィッカデンティ城福浩と異なるスタイルの監督[注 3]の下でコーチを務め[18] チームを支えた。

2016年7月、城福解任に伴い監督に昇格[19]。選手の強みを引き出し[18]積極性を取り戻させるべく[20] 強度の強い練習を敢行。選手の布陣・配置も修正し、チーム再建に尽力した[21]。その手腕が認められ[22] 同年11月には2017年の留任が発表された[21]

2017年は天皇杯・ルヴァンカップで敗退。リーグ戦でも10位に低迷していた9月10日に退任が発表された[23][24]

2018年、清水エスパルスのコーチに就任した[25]

2019年5月14日、監督を解任されたヤン・ヨンソンの後任として清水の監督に就任[26]

同年9月、9月のJリーグ最優秀監督賞受賞。

2020年、監督にピーター・クラモフスキーが就任したことに伴い、コーチに復帰。しかし、2022年に清水は年間17位でJ2降格が決定。これにより、コーチを退任[27]

2023年、古巣・甲府クラブを母体とした地元のヴァンフォーレ甲府の監督に就任[28]。甲府がJ1時代から採用していた3バックシステムを4バックシステムへ移行させ、「堅守速攻」をテーマにショートカウンターサッカーを展開。シーズン開幕前のスーパーカップでは前年のJリーグ王者の横浜F・マリノスに善戦。クラブとして初めて臨んだACLはグループステージ初戦で豪州代表のメルボルンと引き分けてACL初の勝ち点を獲得。第2節でタイ代表のブリーラムを下しACL初勝利を挙げた。最終的には勝ち点10を獲得し、GSを首位で終え、J2クラブとして初のグループステージ突破(ベスト16)に導いた。リーグ戦では自動昇格を射程圏内に捉えながらも夏場に7試合勝ちなしと停滞。その後復調し、自力での昇格プレーオフ進出の可能性を残して迎えた最終節で山形との直接対決に敗れてプレーオフ進出を逃すも、ACLでの快進撃とリーグ戦での戦いぶりがを評価され、2024シーズンの続投が決定した。

人物・エピソード

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所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 甲府ク 28 JSL2部 1 0 0 0
1995 福岡B 41 旧JFL 0 0 - 2 0 2 0
1996 福岡 - J 14 0 3 0 0 0 17 0
1997 23 29 0 4 0 3 0 36 0
1998 6 0 1 0 3 3 10 3
1999 6 J1 27 2 2 0 0 0 29 2
2000 13 0 3 0 1 0 17 0
2001 20 0 3 0 1 0 24 0
2002 J2 43 5 - 4 0 47 5
2003 34 2 - 2 0 36 2
2004 17 1 - 0 0 17 1
通算 日本 J1 109 2 16 0 8 3 133 5
日本 J2 94 8 - 6 0 100 8
日本 JSL2部 1 0 0 0
日本 旧JFL 0 0 - 2 0 2 0
総通算 204 10 16 0

指導歴

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  • 2005年 - 2011年8月 アビスパ福岡
    • 2005年 ホームタウン推進部コーチ
    • 2006年1月 - 同年7月 U-18 コーチ
    • 2006年7月 - 同年12月 トップチーム コーチ 兼 サテライトコーチ[8][9]
    • 2007年 U-15 コーチ
    • 2008年 トップチーム コーチ
    • 2008年7月 - 2011年8月 トップチーム 監督
  • 2012年 - 2017年9月 FC東京
    • 2012年 - 2016年7月 トップチーム コーチ
    • 2016年7月 - 2017年9月 トップチーム 監督
  • 2018年 - 2022年 清水エスパルス
    • 2018年 - 2019年5月 トップチーム コーチ
    • 2019年5月 - 同年12月 トップチーム 監督
    • 2020年 - 2021年 トップチーム コーチ
    • 2022年 - 同年6月 トップチーム ヘッドコーチ
    • 2022年6月 - 同年11月 トップチーム コーチ
  • 2023年 - 2024年6月 ヴァンフォーレ甲府 トップチーム 監督

監督成績

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年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 Jリーグ杯 天皇杯
2008 福岡 J2 8位 29 18 7 8 3 - 3回戦
2009 11位 65 51 17 14 20 - 3回戦
2010 3位 69 36 21 6 9 - 準々決勝
2011 J1 18位 8 19 2 2 15 1回戦 -
2016 FC東京 9位 26 12 8 2 2 ベスト4 ベスト8
2017 10位 33 25 9 6 10 準々決勝 2回戦
2019 清水 12位 39 23 9 4 10 予選敗退 ベスト4
2023 甲府 J2 8位 64 42 18 10 14 - 4回戦
2024 14位 25 22 6 7 9 -
通算 日本 J1 - - 56 19 10 27 - -
日本 J2 - - 147 63 38 46 - -
総通算 - - 203 82 48 73 - -
  • 2008年は7月に就任(順位は最終順位)。
  • 2011年は8月に解任(順位は解任時順位)。
  • 2016年は7月に就任(順位は最終順位)。
  • 2017年は9月に退任(順位は解任時順位)。
  • 2019年は5月に就任。
  • 2024年は7月に解任(順位は解任時順位)。

脚注

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注釈
  1. ^ a b 1996年に福岡ブルックスからアビスパ福岡へ改称。
  2. ^ 人件費はJ1最小額。20億円規模の予算を組むクラブが複数ある中で、福岡は4億円強に留まった[13]
  3. ^ 選手に変化を経験させ、戦術理解度を育む狙いがある[17]
出典
  1. ^ a b c d e 登録選手一覧表 Jリーグ (2004年12月10日)
  2. ^ a b c 篠田監督ってどんな人? 福岡放送 (2008年7月13日)
  3. ^ ミスター・アビスパ 篠田善之 現役引退 福岡放送 (2005年2月2日)
  4. ^ a b c 篠田善之選手引退ホームタウン推進部コーチ就任のお知らせ アビスパ福岡 (2005年1月)
  5. ^ 新体制のお知らせ アビスパ福岡 (2006年6月)
  6. ^ 篠田 善之(前トップチームコーチ)アビスパ福岡U-15コーチ 就任のお知らせ アビスパ福岡 (2007年1月)
  7. ^ 篠田 善之(アビスパ福岡 U-15コーチ)コーチ就任のお知らせ アビスパ福岡 (2008年1月)
  8. ^ a b 平成20年度 第4回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2008年7月10日)
  9. ^ a b 篠田 善之コーチ 監督就任のお知らせ アビスパ福岡 (2008年7月)
  10. ^ a b c アビスパJ1復帰 5季ぶり 47NEWS (2010年11月24日)
  11. ^ 福が来た~!5年ぶりアビスパ昇格/J2 日刊スポーツ (2010年11月24日)
  12. ^ 【第90回天皇杯4回戦 大宮 vs 福岡】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2010年11月18日)
  13. ^ 2011年度(平成23年度)Jクラブ個別情報開示資料 (PDF) Jリーグ
  14. ^ 福岡 開幕から8連敗、緊急補強も示唆 スポーツニッポン (2011年5月30日)
  15. ^ 浅野哲也ヘッドコーチ 監督就任のお知らせ アビスパ福岡 (2011年8月3日)
  16. ^ 米本 練習試合にフル出場 東京中日スポーツ (2012年3月5日)
  17. ^ 『フットボールサミット第23回』カンゼン、2014年、42頁。 
  18. ^ a b FC東京・篠田新監督を正式発表「甘えは許さない」 デイリースポーツ (2016年7月27日)
  19. ^ 篠田善之監督就任のお知らせ FC東京 (2016年7月26日)
  20. ^ 篠田東京が初練習「積極的に前からいくように」 日刊スポーツ (2016年7月27日)
  21. ^ a b FC東京 篠田監督続投発表…7月下旬コーチから昇格し再建成功 スポーツ報知 (2016年11月5日)
  22. ^ FC東京・篠田監督、来季続投へ チーム再建手腕評価 デイリースポーツ (2016年10月23日)
  23. ^ 篠田善之監督退任のお知らせ FC東京 (2017年9月10日)
  24. ^ FC東京 篠田監督の退任発表 タイトル絶望的「大変申し訳ない」 スポーツニッポン (2017年9月10日)
  25. ^ 篠田 善之コーチ就任のお知らせ 清水エスパルス (2017年12月22日)
  26. ^ 篠田善之コーチ 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2019年5月14日https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/42598/2019年5月14日閲覧 
  27. ^ 篠田 善之 コーチ退任のお知らせ”. 清水エスパルス (2022年11月20日). 2023年2月13日閲覧。
  28. ^ 篠田 善之氏 監督就任のお知らせ”. ヴァンフォーレ甲府 (2022年11月30日). 2023年2月13日閲覧。
  29. ^ エルゴラッソ Jリーグプレーヤーズガイド2017』スクワッド、2017年、50頁。 

関連項目

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外部リンク

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