スティーブ・ペリマン

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スティーブ・ペリマン Football pictogram.svg
名前
本名 スティーブン・ジョン・ペリマン
カタカナ スティーブ・ペリマン
ラテン文字 Steve Perryman
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 1951年12月21日(62歳)
出身地 ロンドン
選手情報
ポジション MFDF
代表歴
1982 イングランドの旗 イングランド 1(0)
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

スティーブ・ペリマンSteve Perryman1951年12月21日 - )は、イギリスイングランドロンドン出身の元イングランド代表サッカー選手、サッカー指導者。

経歴[編集]

選手時代は主にトッテナム・ホットスパーに在籍。長年に渡って主将を務め、リーグ戦854試合出場(カップ戦などを含めると994試合)のクラブ最多出場記録を持っている。1982年にはFWA年間最優秀選手賞を受賞、イングランド代表として1試合に出場した。

1998年シーズン途中から清水エスパルスの監督に就任。前監督のオズワルド・アルディレスの戦術を引き継ぎながら、選手には徹底したフェアプレーを要求した。このフェアプレー精神は相当なものであり、特に相手の反則を誘うための常套手段である「転倒した時に大げさに痛がる」ことを大変嫌っており、「フェアな試合をして勝つ能力がないことを露呈しているだけだ」という言葉を残している。また、オフサイドトラップを一切使わないのも特徴である。

ペリマン時代は現在に至るまで清水の黄金期であり、1999年には2ndステージを制している。サントリーチャンピオンシップで同年1stステージ優勝のジュビロ磐田に敗れ年間優勝は逃したが、年間の獲得勝点の合計では2位を大きく突き放しての1位だった。年間獲得勝点1位は清水の65、2位は柏の58、3位は名古屋の54。年間優勝となった磐田は49で年間獲得勝点では6番目であった。この経緯もあり、当時絶頂期に入りつつあった同じ静岡県のチームであるジュビロ磐田をライバル視する発言も多かった。ペリマンは当時のJリーグの年間優勝の決定方法も含め、試合日程や判定等でも磐田が他のチームよりも贔屓されていると考えていたようであり、「JリーグのJは“ジュビロのJ”だ」と発言したこともある。2000年は年間8位に沈み、同年で清水の監督を辞し離日。 しかし2001年途中に柏レイソルのヘッドコーチに招聘され再来日。同年1stステージ終了後に柏は西野朗を解任し、ペリマンが監督に昇格。しかし、その後も勝ちきれないゲームが続き、2ndステージは、1stステージよりも順位を上げる事ができず7位に終わる。翌2002年の1stステージでは、柏にとってワースト記録となる7連敗を喫し解任された。

その後はイングランド1部リーグ、エクセター・シティで監督を務めた後、現在は同クラブでディレクター職に就いている。2012年5月、試合観戦中に心臓発作で倒れ、緊急手術を受けたことが明らかにされている[1]

自分の信念を曲げない人物であり、時としてそれにこだわりすぎるところもある。選手の起用法が好例で、完全にレギュラーを固定し、選手交替ですらも画一的であった。

選手経歴[編集]

指導歴[編集]

  • イングランドの旗 ブレントフォード 助監督(選手兼任) 1987-?
  • イングランドの旗 ブレントフォード 監督 1988-?
  • イングランドの旗 ワトフォード 監督 1990-?
  • イングランドの旗 トットナム・ホットスパー 助監督 1993-?
  • ノルウェーの旗 IKスタルト 監督 1995-?
  • 日本の旗 清水エスパルス ヘッドコーチ 1996-1998
  • 日本の旗 清水エスパルス 監督 1998-2000
  • 日本の旗 柏レイソル ヘッドコーチ 2001
  • 日本の旗 柏レイソル 監督 2001-2002
  • イングランドの旗 エクセター・シティ 2003

関連項目[編集]

脚注[編集]