ゴードン・ストラカン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ゴードン・ストラカン Football pictogram.svg
Gordon David Strachan.jpg
名前
ラテン文字 Gordon David Strachan
基本情報
国籍 スコットランドの旗 スコットランド
生年月日 1957年2月9日(59歳)
出身地 エディンバラ
身長 168cm
選手情報
ポジション MF / FW
ユース
1971-1974 スコットランドの旗 ダンディーFC
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1974-1977 スコットランドの旗 ダンディーFC 69 (13)
1977-1984 スコットランドの旗 アバディーンFC 183 (55)
1984-1989 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC 160 (33)
1989-1995 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド 197 (37)
1995-1997 イングランドの旗 コヴェントリー・シティFC 26 (0)
通算 635 (138)
代表歴2
1979 スコットランドの旗 スコットランド U-21 1 (0)
1980-1992 スコットランドの旗 スコットランド 50 (5)
監督歴
1997-2001 イングランドの旗 コヴェントリー・シティFC
2001-2004 イングランドの旗 サウサンプトンFC
2005-2009 スコットランドの旗 セルティックFC
2009-2010 イングランドの旗 ミドルスブラFC
2013- スコットランドの旗 スコットランド代表
1. 国内リーグ戦に限る。201年月日現在。
2. 2016年9月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ゴードン・デイヴィッド・ストラカン OBE(Gordon David Strachan OBE、1957年2月9日 - )は、イギリススコットランド出身のサッカー監督、元選手。

選手時代はダンディーFCアバディーンFCマンチェスター・ユナイテッドリーズ・ユナイテッドコヴェントリー・シティでプレーし、右サイドのプレーメーカーで、技巧派プレイヤー。スコットランド代表としても50試合出場。

現役引退後、サウサンプトンの監督を経て、2005-06シーズンよりセルティックFCの監督に就任。就任の年にリーグ戦優勝とUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得。翌2006-07シーズンも、2位のレンジャーズに圧倒的な差をつけて首位を独走しリーグ2連覇。チャンピオンズリーグのグループリーグでは、マンチェスター・ユナイテッドやベンフィカにホームで勝ち、チャンピオンズリーグのベスト16に進出した。これら監督としての手腕が評価され、2006年・2007年に2年連続で国内最優秀監督賞を受賞した。

2009-10シーズンからフットボールリーグ・チャンピオンシップ(イングランド2部相当)のミドルスブラFC監督を務めていたが、2010-11シーズンは開幕から調子が上がらず、10月18日に辞任が発表された。

2013年1月、スコットランド代表監督に就任[1]

ファーガソンとアバディーン全盛時代[ソースを編集]

スコティッシュ・プレミアリーグの特徴は、オールドファームの2チーム、レンジャーズとセルティックの2強として知られるが、アレックス・ファーガソン監督がアバディーンの監督を務めた1980年代前半はアバディーンの全盛期で、その中心選手がスコットランド代表の中心選手でもあったストラカンだった。ファーガソンとストラカンに率いられたアバディーンは、リーグ制覇(2回)・スコティッシュカップ(3回)・UEFAカップウィナーズカップUEFAスーパーカップを制する全盛期を迎えることとなった。

身長が170cm弱と恵まれた体躯では無いながらも、徹底的に食事管理に気を遣い、節制をし、相手となるべく競り合わないで早くパスを回す・パスをなるべく良い体勢で受けてから得点を狙う・その為にもよく走るという3つの基本を徹底的に繰り返した結果、スコットランドのみならずイギリスを代表するプレイヤーになった。

小学生の時ペンを右目に突き刺し視力障害(網膜裂孔による強度弱視)を負い、ほぼ失明状態であった。しかし現役中はその事実を隠したままプレイを続け、ついにはイングランド年間最優秀選手(FWA'91年。リーズのFWとして優勝に貢献)、さらにはスコットランドサッカー協会殿堂の栄誉を獲得するほどの選手となった。片目半盲でこれらを獲得した選手はストラカンのみである。

中村俊輔との関係[ソースを編集]

セルティックの監督に就任した当時、チームは中盤を省略するタイプのサッカーをコンセプトしており、技巧派のプレーメーカーとして知られたストラカンにとっては、それは不満が大きいサッカーだった。中盤をつなぐサッカーを実現すべく、ストラカンはイタリア・セリエAレッジーナに所属していた中村俊輔の獲得に動く。ストラカンは、中村に対し「グラウンド上およびチーム世代間のギャップを埋めることができる選手」であり、「彼がひとたび(クラブ本拠地の)セルティック・パークでプレーすれば、なぜ私が彼にここまで執心したかをすぐに理解できるだろう」と期待感を述べた。中村がセルティックに入団すると、すぐに先発起用し、怪我か病気でない限り起用を続けていた。

2005-06シーズンにスコットランドリーグカップを制した試合後、2得点のショーン・マロニーについて尋ねられたにもかかわらず「それよりも中村のプレーを見たかい」と延々と中村を絶賛した。また、中村がリーグ戦でビューティフルゴールを決めたとき、その中村のゴールを見て思わず「彼は天才だ」と発言した。2007年、リーグ2連覇を決めた試合後にメディアに対してストラカンは「周囲が言うとおり、中村はタックルができない。ヘディングもできない。それがどうした。彼は天才だ。」とコメントしている。同シーズンに中村はマンチェスター・ユナイテッドを相手に2試合連続でフリーキックでゴールを決めるなどしてチャンピオンズリーグのベスト16進出に貢献し、個人でもスコットランドPFA年間最優秀選手賞スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞の双方を獲得して、自身の欧州での選手キャリアの中でトップレベルとみなせる結果を残した。

ストラカンと中村は2008-09シーズン終了後に両者ともセルティックを離れたが、リーガ・エスパニョーラ(スペイン1部リーグ)のRCDエスパニョールに入団した中村がチームの中で実力を発揮できず、出場機会が減少したのを見ると、2010年1月にストラカンが率いるミドルスブラFCはエスパニョールに対してレンタル移籍の正式オファーを出した。しかし、中村はこれを拒否してエスパニョールへ残留し、その後2月にJリーグ1部の横浜F・マリノスへ移籍した。

経歴[ソースを編集]

選手
指導者

脚注[ソースを編集]

  1. ^ ストラカン氏がスコットランド代表監督に就任”. goal.com (2013年1月16日). 2013年1月16日閲覧。