ロベール・ピレス
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名前 | ||||||
本名 |
ロベール・エマニュエル・ピレス Robert Emmanuel Pirès | |||||
愛称 | ボビー、スーパー・ロブ | |||||
ラテン文字 | Robert PIRES | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
フランス ポルトガル スペイン | |||||
生年月日 | 1973年10月29日(50歳) | |||||
出身地 | フランス、マルヌ県ランス | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1989-1992 | スタッド・ランス | |||||
1992-1993 | メス | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1998 | メス | 162 | (43) | |||
1998-2000 | マルセイユ | 66 | (8) | |||
2000-2006 | アーセナル | 189 | (62) | |||
2006-2010 | ビジャレアル | 103 | (13) | |||
2010-2011 | アストン・ヴィラ | 9 | (0) | |||
2014-2015 | ゴア | 8 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
1993 | フランス U-20 | 1 | (0) | |||
1994-1996 | フランス U-21 | 22 | (8) | |||
1996-2004 | フランス | 79 | (14) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年5月22日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロベール・エマニュエル・ピレス(Robert Emmanuel Pirès, 1973年10月29日 - )は、フランス・ランス出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(サイドハーフ、センターハーフ)。フランス代表に長く名を連ねた。ポルトガル出身の父親とスペイン・オビエド出身の母親の間に生まれたが、本人は生まれも育ちもフランスなため、両親と自身の母国語の計3か国語を自在に操る。
経歴
[編集]選手
[編集]8歳で入団した地元のクラブ・サンタンヌで1983年、11歳以下のジュニア全国大会で優勝し、人生最初の優勝カップを手にした。その後スタッド・ランス=シャンパーニュのフォーメーションセンターを経て、1992年にFCメスとプロ選手契約。1993年4月、デイヴィジョン1(現在のリーグ・アン)デビュー。程なくクラブの中心選手として頭角を現し、フォワードのシリル・プジェとのコンビは当時「PPガンマンズ」と呼ばれた。
1996年にフランスリーグカップで優勝。この活躍によりフランス代表に招集され、1996年8月31日のメキシコ戦で代表デビューを果たした。また同年開催のアトランタオリンピック代表メンバーにも選ばれ、準々決勝まで進出した。1997-98シーズンには最終節で優勝を逃したものの、国内リーグでのクラブ歴代最高成績の2位を記録。この年のワールドカップ・フランス大会の決勝トーナメント1回戦・パラグアイ戦では、ゴールデンゴールとなったローラン・ブランのゴールをアシストし、優勝への過程に貢献した。
ワールドカップ後、フランスのマルセイユに移籍。1998-99シーズンはUEFAカップで準優勝、国内リーグでも2位と好成績を残す。翌シーズンはキャプテンに任命されるが成績は低迷し、一部の過激なサポーターが主要選手の車を襲う等問題が多発、このシーズン限りでフランスを離れた。UEFA EURO 2000に臨むフランス代表に選出され、決勝戦ではダヴィド・トレゼゲのゴールデンゴールをアシスト。フランス代表の優勝に貢献した。
2000年にイングランド・プレミアリーグのアーセナルへ移籍。移籍当初は水が合わず思うような活躍が出来なかったが、2001-02シーズンにはフランス代表でも共にプレーするティエリ・アンリ、パトリック・ヴィエラらと共に主力として活躍し、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成した。またこのシーズンは記者選定による最優秀選手に選ばれるなど、代表とクラブ双方にとって不可欠な存在となった。これらの活躍ぶりから2002年のワールドカップ・日韓大会でもフランス代表の主力メンバーとして期待されていたが、大会前に右膝の靭帯断裂という大怪我を負い選考から外れた。
2004年、レイモン・ドメネクがフランス代表監督に就任すると、同監督との確執が生じ2004年10月頃から代表に招集されなくなった。また、クラブでは負傷や若手の台頭もあり、レギュラーの座を明け渡すようになった。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝で、GKのイェンス・レーマンがレッドカードで退場した際に、控えのGKマヌエル・アルムニアと交代させられた[1]。こうした事情もあり、2005-06シーズン終了後、長年プレーしたアーセナルに別れを告げ、スペインのビジャレアルに新天地を求めた。
その矢先の2006年8月、ラモン・デ・カランサ杯のカディスCF戦で左膝十字靭帯断裂の大怪我を負い、戦線を離脱[2]。なお、同大会ではゴンサロ・ロドリゲスも十字靭帯を負傷する大怪我を負った。2007年3月には調子を取り戻すためにビジャレアルの下部チームでプレーすることを希望したが、スペインサッカー連盟に却下された[3]。2007年3月18日のソシエダ戦でようやく戦列復帰し[4]、2007-08シーズンは主力として活躍した。2010年6月、契約を満了してビジャレアルを退団した[5]。
10月から古巣アーセナルの練習に参加し、11月17日にイングランド・プレミアリーグのアストン・ヴィラFCへの加入が発表されたが、9試合の出場に留まり、シーズン終了後に退団。
アストン・ヴィラ退団後、3年近く所属クラブがない状態が続いていたが、2014年7月インディアン・スーパーリーグ参戦を表明[6]。9月20日、FCゴアへの加入が発表された[7]。翌2015年3月に退団。
それから1年間近く無所属が続いていたが、2016年2月25日にメディアのインタビューにて現役引退を表明した。ちなみにピレスの引退により1998年のワールドカップ・フランス大会のフランス代表メンバー全員が現役引退したこととなった[8]。
引退後
[編集]古巣アーセナルの大使を経て、2017年現在、アーセナルのトップチームのコーチに就任している。
エピソード
[編集]- 髪の毛はシャンプーメーカーとの契約で勝手に切ることができないことが明らかになっている[9]。
- 2016年5月21日、SNSで7歳になった息子のテオ・ピレスが古巣アーセナルの下部組織に入団したことを明かした[10]。
個人成績
[編集]クラブでの成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1992-93 | FCメス | 2 | 0 | ||||||||
1993-94 | 24 | 1 | |||||||||
1994-95 | 35 | 9 | |||||||||
1995-96 | 38 | 11 | |||||||||
1996-97 | 32 | 11 | |||||||||
1997-98 | 7 | 31 | 11 | ||||||||
1998-99 | マルセイユ | 34 | 6 | ||||||||
1999-00 | 32 | 2 | |||||||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2000-01 | アーセナルFC | 7 | 33 | 4 | |||||||
2001-02 | 28 | 9 | |||||||||
2002-03 | 26 | 14 | |||||||||
2003-04 | 36 | 14 | |||||||||
2004-05 | 33 | 14 | |||||||||
2005-06 | 33 | 7 | |||||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006-07 | ビジャレアルCF | 7 | 11 | 3 | |||||||
2007-08 | 33 | 3 | |||||||||
2008-09 | 32 | 3 | |||||||||
2009-10 | 28 | 4 | |||||||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2010-11 | アストン・ヴィラ | 8 | 9 | 0 | |||||||
通算 | フランス | 228 | 51 | ||||||||
イングランド | 198 | 62 | |||||||||
スペイン | 102 | 13 | |||||||||
総通算 | 515 | 126 |
代表での成績
[編集]- 出典[11]
フランス代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1996 | 3 | 1 |
1997 | 4 | 1 |
1998 | 14 | 1 |
1999 | 9 | 1 |
2000 | 10註1 | 2註1 |
2001 | 13 | 4 |
2002 | 1 | 0 |
2003 | 12 | 4 |
2004 | 13 | 0 |
合計 | 79 | 14 |
註1 フランスサッカー連盟は2000年8月16日に行われたFIFA選抜戦を国際Aマッチとして認めている[11]。
脚注
[編集]- ^ 後に「アーセン・ベンゲル監督の信頼を失ったと感じ、アーセナルに残れなかったんだ」と語っている(UEFAチャンピオンズリーグ・マガジン (フジテレビ、2008年9月28日放映)のインタビューにて)
- ^ livedoorスポーツ (2006年8月21日). “ピレス、十字靭帯断裂で6か月の戦線離脱へ”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ livedoorスポーツ (2007年3月27日). “ピレス、リハビリのため3部リーグでプレーすることを要求”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ REUTERS (2007年3月19日). “ビジャレアルのピレス、入団7カ月でリーグ戦デビュー”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ 今季限りで退団のピレス、クラブとファンに感謝Goal.com、2010年5月8日
- ^ 元仏代表のピレスもインドに挑戦Goal、2014年7月29日
- ^ Pirès bringing French flair to Indian Super Leagueインディアン・スーパーリーグ公式サイト、2014年9月20日
- ^ 元フランス代表MFピレスが現役引退…98年W杯優勝メンバー最後の1人Soccer King、2016年2月26日
- ^ スポーツナビ (2007年2月11日). “遅れてきた新戦力 待望の復活へ”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ 偉大な父親に続くか? ピレス氏の息子がアーセナル下部組織に入団Goal、2016年5月22日
- ^ a b “Joueur - Robert PIRES”. Fédération Française de Football. 2017年7月5日閲覧。
- フランスのサッカー選手
- スペインのサッカー選手
- ポルトガルのサッカー選手
- サッカーフランス代表選手
- FCメスの選手
- オリンピック・マルセイユの選手
- アーセナルFCの選手
- ビジャレアルCFの選手
- アストン・ヴィラFCの選手
- FCゴアの選手
- FIFAワールドカップフランス代表選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAワールドカップ優勝選手
- UEFA EURO 2000出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2001出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2003出場選手
- UEFA EURO 2004出場選手
- オリンピックサッカーフランス代表選手
- 1996年アトランタオリンピックサッカー出場選手
- FIFA100
- レジオンドヌール勲章受章者
- 在イギリス・フランス人
- 在スペイン・フランス人
- スペイン系フランス人
- ポルトガル系フランス人
- スペイン系ポルトガル人
- ポルトガル系スペイン人
- マルヌ県ランス出身の人物
- 1973年生
- 存命人物