ジャンルイジ・ブッフォン

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ジャンルイジ・ブッフォン Football pictogram.svg
Gianluigi Buffon (31784615942).jpg
ユヴェントスFCでのブッフォン (2016年)
名前
愛称 ジジ、スーペルマン (Superman)
ラテン文字 Gianluigi BUFFON
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1978-01-28) 1978年1月28日(39歳)
出身地 カッラーラ
身長 192cm[1]
体重 92kg[1]
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ユヴェントスFC
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
ユース
1991-1995 イタリアの旗 パルマ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2001 イタリアの旗 パルマ 169 (0)
2001- イタリアの旗 ユヴェントス 612 (0)
代表歴2
1993-1994 イタリアの旗 イタリア U-16 3 (0)
1995 イタリアの旗 イタリア U-17 3 (0)
1994-1995 イタリアの旗 イタリア U-18 3 (0)
1995-1997 イタリアの旗 イタリア U-21 11 (0)
1997 イタリアの旗 イタリア U-23 4 (0)
1997- イタリアの旗 イタリア 166 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月30日現在。
2. 2016年11月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャンルイジ・ブッフォン(Gianluigi Buffon、1978年1月28日 - )は、イタリアカッラーラ出身のサッカー選手セリエAユヴェントスFC所属。イタリア代表。ポジションはゴールキーパー(GK)

日本においては「ジャンルイジ・ブフォン」と表記されることもある[2]。愛称ジジ(Gigi)。

経歴[編集]

クラブ[編集]

パルマAC[編集]

1991年にパルマACのエルメス・フルゴーニGK育成コーチ兼スカウトに見いだされ、同チームの下部組織に加入した。


1995-96シーズンでは、下部組織加入からわずか4年でネビオ・スカラ監督によって、パルマのトップチームに昇格。その時まだ17歳だった。1995年11月19日ファビオ・カペッロ監督率いるACミラン戦でセリエAデビュー(17歳9ヶ月)。その試合でこの年のバロンドールを受賞するジョージ・ウェアの至近距離からのシュートを顔面でセーブするなどスーパーセーブを連発し、0-0の引き分けに貢献した。このシーズンは9試合に出場した。

1996-97シーズンでは、正GKとしての地位を確固たる物とし、ステファーノ・トリージリリアン・テュラムファビオ・カンナヴァーロと共に強固な守備陣を形成。チームはセリエA2位につけた。

1998-99シーズンでは、堅守を武器にチームはコッパ・イタリア優勝、UEFAカップ優勝、イタリア・スーパーカップ優勝を達成した。

2000-01シーズンでは、このシーズンにおいて自身初となるセリエA全試合出場を果たした。

ユヴェントス[編集]

2001年7月2日、GKとしては史上最高額の移籍金となる5230万ユーロ(約56億円・当時)でマルチェロ・リッピ監督(前イタリア代表監督)率いるユヴェントスFC(以下ユーヴェと表記)に加入。当初はGKにこれほど多額の移籍金を支払ったユーヴェに懐疑的な見方をする専門家が多かったが、「サッカーをよく理解していない者の戯言」とブッフォンは反論し、その年のスクデット獲得に貢献をした。

2002-03シーズンでは、セリエA連覇を達成。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝2nd legのレアル・マドリード戦でルイス・フィーゴPKを止めるなど活躍し、決勝進出。しかし、オールド・トラッフォードで行われたミランとの決勝戦でPK戦の末に敗れて準優勝に終わった。なお、このシーズンはUEFAチャンピオンズリーグのMVP(GKとしては史上唯一)と最優秀GKに選出された。

2004年3月FIFAが100周年を迎えるにあたって、元ブラジル代表ペレが選出したFIFA 100(偉大なサッカー選手125人)に選出された。

2005-06シーズンでは、8月14日に行われたミランとの親善試合でカカと激突し、右肩を脱臼。長期の戦線離脱を余儀なくされ、ユーヴェはその代役としてクリスティアン・アッビアーティをミランから獲得。一旦、同年12月1日コッパ・イタリアフィオレンティーナ戦で復帰するが、ファビオ・カペッロ監督のまだ十分に回復していないとの判断により、その後の試合には出場せず。1月15日レッジーナ戦で再度復帰。以降は正GKの座を奪還した。

2006年6月-7月に、カルチョ・スキャンダルでイタリアサッカー界が揺れる中、ブッフォン自身にも違法なサッカー賭博に関与したのではないかとの容疑が掛かり、パルマ地検とトリノ地検から事情聴取を受ける(後に無実であることが判明)。

セリエBでプレーするブッフォン(2006年)

2006年8月、所属チームであるユーヴェの八百長行為によりチームがセリエBへ降格することが決定し、ファビオ・カンナヴァーロジャンルカ・ザンブロッタなど多くのチームメイトが移籍していく中、アレッサンドロ・デル・ピエロパベル・ネドベドらと同じくユーヴェに残留する意向であることを代理人を通じてラジオで発表した。

2006年11月2006 FIFAワールドカップでの活躍によりバロンドール受賞が噂されたが、投票の結果2位に終わり、イタリア代表のチームメイトであるファビオ・カンナヴァーロにその栄誉を譲った。

2006-07シーズンでは、チーム最多となる38試合に出場し、ユーヴェをセリエB優勝に導いた。シーズン中からUEFAチャンピオンズリーグ出場のため、他チームへ移籍するのではないかと噂されたが、シーズン終了後にユーヴェとの契約を2012年まで延長した。

2007-08シーズンでは、2008年3月14日にユーヴェとの契約を2013年まで延長した。

2009-10シーズンでは、シーズン開幕から好調を維持していたが、2009年12月12日に左半月板の手術を行った。

2010/11シーズン2010 FIFAワールドカップのイタリア代表メンバー23人に選ばれたが、連覇を狙ったこの大会でグループリーグ初戦のパラグアイ戦で負傷退場。その後、椎間板ヘルニアのため手術を受けた。11月に練習に復帰し、12月にはベンチ入りも果たしたが暫くはマルコ・ストラーリの控えとして過ごした。2011年1月14日コパ・イタリア5回戦のカルチョ・カターニャ戦で実戦復帰。その後1月16日ASバーリ戦でリーグ戦初出場を果たした。このシーズンは、本来のプレーには程遠く移籍後最少の16試合の出場に留まり、チームも7位に沈んでチャンピオンズリーグはおろかヨーロッパリーグの出場権すら獲得できなかった。

ユヴェントスでキャプテンを務めるブッフォン(2014年)

2011/12シーズン久々にシーズン開幕から好調を維持し、セリエAでチーム2番目となる35試合に出場した。チームはセリエA最小失点(20失点)で2002-03シーズン以来9年ぶりの優勝(38戦無敗)に貢献した[3]。また、個人的にもサッカー統計組織「国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)」が21世紀のベストGKランキングを発表し、1位に選ばれた[4]

2015/16シーズン2016年3月20日のトリノFCとのトリノダービーで1993-94シーズンに元イタリア代表GKセバスティアーノ・ロッシが記録した929分のセリエAにおける無失点記録を更新する「974分」の無失点記録を達成。[5] [6]

2016/17シーズン、10月、ゴールキーパーとしては初の、ゴールデンフットアワードを受賞[7]、1月には11度目のセリエA最優秀ゴールキーパー賞、またセリエAベストイレブンに選ばれた。[8]2017年3月19日のUCサンプドリア戦ではユベントスにおいて史上最多出場記録となる3万9706分を記録した[9]。チャンピオンズリーグ準決勝ASモナコとのファーストレグの試合でチャンピオンズリーグ100試合出場を達成[10]。またモナコの決定機を数回防ぎ、チャンピオンズリーグ史上初の6試合連続無失点試合を達成した[11]。 チームはセリエAとコッパ・イタリアと史上初の3年連続国内二冠を達成し、チャンピオンズリーグでもブッフォン自身3度目となる決勝へ進出した。しかしカーディフでのレアル・マドリードとの決勝ではクリスティアーノ・ロナウドに2ゴールを決められるなど4失点を喫し1-4で敗れ、またしても初のチャンピオンズリーグのタイトルを逃した。

代表経歴[編集]

イタリア代表でのブッフォン(2006年)

1997年10月29日モスクワで行われた1998 FIFAワールドカップ欧州予選プレーオフ・ロシア戦の第1戦でデビュー(ジャンルカ・パリュウカの負傷による途中出場)[12]。ちなみに18歳11ヶ月での代表デビューはイタリア代表のGK史上2番目の若さである。

1998 FIFAワールドカップでは、20歳で最終メンバーに選出されるも出場機会はなく、チームは準々決勝でフランスに敗れた。

EURO2000では、大会直前に左手を故障し、メンバーに選出されなかった。

2002 FIFAワールドカップでは、正GKとしてプレーするも、ベスト16で韓国に敗退。4試合出場5失点。

EURO2004では、正GKとしてプレーし3試合2失点(うちPKで1失点)という結果だったものの、チームはグループリーグ敗退。

2006 FIFAワールドカップでは、自身のサッカー賭博疑惑による試合への影響が心配されたが、大会7試合を通じて2点しかゴールを許さず(1点はクリスティアン・ザッカルドオウンゴール、1点はジネディーヌ・ジダンのPKからの失点であり、試合の流れの中でゴールを割られることはなかった。また、ファビオ・カンナバーロも活躍し、後にバロンドールを二人で争うこととなる)、さらに、W杯史上4番目の長さとなる460分連続無失点という記録を達成し、イタリアを優勝に導き、最優秀ゴールキーパーとしてレフ・ヤシン賞を受賞した。

EURO2008では、調子の上がらないチームの中、グループリーグ第2節のルーマニア戦でアドリアン・ムトゥのPKを止めるなど活躍を見せたが、チームは準々決勝でスペインにPK戦の末、敗れた。また、大会直前にファビオ・カンナバーロが負傷離脱したため、ルーマニア戦を除く3試合をキャプテンとして臨んだ。4試合出場4失点。

2009年11月14日に行われたオランダとの親善試合で、イタリア代表史上4人目(GKとしては2人目)となる100試合出場を達成。

2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第1節のパラグアイ戦で椎間板ヘルニアにより前半のみの出場で交代。その後の試合は欠場し、イタリアも1勝もできないままグループリーグ最下位で大会を終えた。1試合出場1失点。

2011年11月15日に行われたウルグアイとの親善試合で、ディノ・ゾフの持つイタリア代表GKの出場記録、112試合に肩を並べた。

EURO 2012にはキャプテンとして臨んだ

EURO2012では、脱カテナチオを図った新生イタリア代表のキャプテンとしてゴールマウスを守り、決勝に進出。グループリーグ初戦で対戦したスペインと優勝を争うが、豊富な運動量が要求されるシステムに対し選手達の疲労はピークに達しており、チームは為す術もなく敗退。準優勝に終わった。自身は決勝こそ4ゴールを許したものの安定したセービングを披露。初戦のスペイン戦ではフェルナンド・トーレスのドリブル突破に対し自ら飛び出してボールを奪うなど足元の技術の高さも見せつけた。

2014 FIFAワールドカップでは、アントニオ・カルバハルローター・マテウスに次いで史上3人目となるワールドカップ5大会連続メンバー入りを果たした。コスタリカ戦とウルグアイ戦に出場し、いずれも1失点ずつ。

EURO2016が最後の国際大会になると述べたが[13]、代表でのプレーを2018 FIFAワールドカップまで延長する意向を示した[14]EURO2016でもキャプテンとしてプレー、ドイツ戦ではマリオ・ゴメスとの1対1を止め、このプレーがUEFAセーブオブザシーズンにノミネートされた[15]

人物[編集]

プレースタイル・評価[編集]

背番号にまつわるエピソード[編集]

  • 2000-2001年シーズン開幕前に背番号88で選手登録を行ったが、ユダヤ人の市民団体の猛反発に会い、結局背番号77に変更した。8はアルファベットで8番目=Hを指し、88=HH=Heil-Hitlerを表す記号としてネオナチなどが実際に使っている数字である。ブッフォンは前年にファシスト的スローガン「降伏する人々への死」と書かれたシャツを着て問題になるなど、ネオナチ主義者であると言う噂がイタリア国内では流れていたために問題化した。この件について、本人は「今年は怪我をする前の状態に戻らなければならないし、私の個性を見せる大切なシーズン。『誰でも玉が1つある』って決り文句がある。8は玉が2つでできてる数字だ。88なら4つの玉を持てるじゃないか」と弁明している。
  • 更に本人によると、最初は00や01の背番号を希望していたらしいが、協会から駄目出しを受けて88番を選んだとのこと。翌年のユヴェントス移籍時に背番号に希望があるか聞かれた際には「問題になるといけないので、クラブに任せる」と答えている。なお元々ユベントスはあまり大きい背番号を認めておらず、以前にジャンルカ・ビアリが背番号99の希望を出した時は却下されている。

語録[編集]

  • 「フットボールは実に単純だ。シュートをすべて止めればチームが負けることはない。」

個人成績[編集]

2017年 5月21日現在

クラブ シーズン 背番号 リーガ カップ UEFA その他 シーズン通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
パルマFC 1995–96 12 9 0 1 0 0 0 10 0
1996–97 27 0 1 0 1 0 0 0 29 0
1997–98 1 32 0 6 0 8 0 46 0
1998–99 34 0 10 0 11 0 55 0
1999–00 32 0 0 0 9 0 1 0 42 0
2000–01 77 34 0 2 0 7 0 43 0
通算 168 0 20 0 36 0 1 0 225 0
ユヴェントスFC 2001–02 1 34 0 1 0 10 0 45 0
2002–03 32 0 0 0 15 0 1 0 48 0
2003–04 32 0 0 0 6 0 1 0 39 0
2004–05 37 0 0 0 11 0 48 0
2005–06 18 0 2 0 4 0 0 0 24 0
2006–07 37 0 3 0 40 0
2007–08 34 0 1 0 35 0
2008–09 23 0 2 0 5 0 30 0
2009–10 27 0 1 0 7 0 35 0
2010–11 16 0 1 0 17 0
2011–12 35 0 0 0 35 0
2012–13 32 0 1 0 10 0 1 0 44 0
2013–14 33 0 0 0 14 0 1 0 48 0
2014–15 33 0 0 0 13 0 1 0 47 0
2015–16 34 0 0 0 8 0 1 0 43 0
2016–17 30 0 0 0 11 0 1 0 42 0
通算 488 0 12 0 114 0 7 0 621 0
総通算 656 0 26 0 150 0 9 0 841 0

代表歴[編集]

出場大会[編集]

代表試合数[編集]

国際Aマッチ 161試合 0得点(1997年- )


イタリア代表 国際Aマッチ
出場 得点
1997 1 0
1998 3 0
1999 8 0
2000 4 0
2001 7 0
2002 12 0
2003 7 0
2004 12 0
2005 3 0
2006 15 0
2007 8 0
2008 9 0
2009 11 0
2010 2 0
2011 10 0
2012 12 0
2013 16 0
2014 8 0
2015 8 0
2016 7 0
通算 161 0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

パルマFC
ユヴェントスFC

代表[編集]

イタリア代表

個人[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

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  1. ^ a b Gianluigi Buffon - legaseriea.it
  2. ^ 日刊スポーツ読売新聞提供のYOMIURI ON-LINEなど
  3. ^ goal.jp”. goal.com (2012年5月6日). 2012年5月29日閲覧。
  4. ^ IFFHS国際サッカー歴史統計連盟
  5. ^ Buffon eyes all-time record”. Football Italia (2016年3月11日). 2016年3月11日閲覧。
  6. ^ Juve, Buffon: nuovo record di imbattibilità a 973 minuti! Seba Rossi battuto” [Juve, Buffon: new unbeaten record of 973 minutes! Seba Rossi beaten] (Italian). La Gazzetta dello sport (2016年3月20日). 2016年3月20日閲覧。
  7. ^ Buffon wins the Golden Foot award, the fourth Italian to do so” (2016年10月11日). 2016年10月11日閲覧。
  8. ^ Juventus, Buffon: «Inter la più in forma, match non decisivo» Juventus, Buffon: «Inter la più in forma, match non decisivo»” (Italian). Il Corriere dello Sport (2017年1月30日). 2017年1月31日閲覧。
  9. ^ After 39,681 Serie A minutes, Buffon smashes yet another Juventus record”. fourfourtwo.com (2017年3月19日). 2017年3月19日閲覧。
  10. ^ マルディーニに次いで史上2番目
  11. ^ Juventus closed in on a second Champions League final in three seasons as Gonzalo Higuain struck twice to beat Monaco in the semi-final first leg.”. BBC Sport (2017年5月3日). 2017年5月5日閲覧。
  12. ^ Gianluigi Buffon - International Appearances”. rsssf.com. 2016年10月21日閲覧。
  13. ^ Buffon: Zen and the art of footballing longevity”. UEFA.com (2016年5月29日). 2016年6月1日閲覧。
  14. ^ Buffon: ‘Retirement in 2018’”. Football Italia (2016年1月25日). 2016年1月25日閲覧。
  15. ^ Neuer, Buffon, Lloris? What was your save of the season?”. UEFA.com (2016年7月25日). 2016年7月26日閲覧。
  16. ^ 不倫疑惑のブッフォンが離婚を発表、代表監督は静観”. AFPBBニュース (2014年5月21日). 2014年5月21日閲覧。
  17. ^ 現在の世界最高GKは一番影響されたGKベスト10を選ぶhttp://www.realmadrid.jp/news/2010/02/news_60.html
  18. ^ “21世紀最高のGK”ランキング、国際サッカー歴史統計連盟が発表。”. Narinari.com (2012年2月19日). 2015年5月30日閲覧。
  19. ^ UEFA Champions League squad of the season”. Union of European Football Associations (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]