エムレ・ベロゾール

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エムレ・ベロゾール Football pictogram.svg
Emre Belözoğlu F.B. 14.JPG
名前
本名 Emre Belözoğlu
カタカナ エムレ・ベロゾール
基本情報
国籍 トルコの旗 トルコ
生年月日 1980年9月7日(33歳)
出身地 イスタンブル
身長 171cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 フェネルバフチェ
ポジション MF
背番号 25
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2001
2001-2005
2005-2008
2008-2012
2012-2013
2013-
ガラタサライ
インテル
ニューカッスル・ユナイテッド
フェネルバフチェ
アトレティコ・マドリード
フェネルバフチェ
103 (21)
79 (4)
67 (4)
103 (12)
7 (0)
21 (7)
代表歴2
2000- トルコの旗 トルコ 91 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年3月2日現在。
2. 2014年1月6日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj
トルコ代表でのエムレ

エムレ・ベロゾールEmre Belözoğlu, 1980年9月7日 - )は、トルコイスタンブル出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダートルコ・シュペルリガフェネルバフチェ所属。 欧州のビッグクラブにトルコ人選手で最も若くして加入した選手である。

経歴[編集]

クラブ[編集]

ガラタサライ[編集]

1996年ガラタサライで当時16歳でデビューを果たしキャリアをスタート。早くからその才能を見出され活躍。99-00シーズンにはガラタサライの一員としてリーグ・カップ・UEFAカップの三つのタイトルを獲得した(なお、UEFAカップ決勝には出場停止のため出場していない)。ガラタサライを退団する21歳までに、国内リーグ4回、国内カップ2回、UEFAカップ、UEFAスーパーカップ各1回の計8回のチームタイトルを獲得した。

インテル[編集]

01-02シーズンにはインテル・ミラノACミランレアル・マドリードなどのビッグクラブからの誘いがあった中、イタリアの強豪インテル・ミラノにフリートランスファーで移籍した。移籍初年度は14試合の出場だったが、その才能は早くも認められた。

日韓W杯での活躍で自信をつけた02-03シーズンは大きく飛躍し、レジスタのポジションを獲得するばかりかチームにとって欠かせない選手へと成長し、シーズン終了後にはサポーターからシーズンのMVPに選出された。このシーズン、0-3から3点差を追い付いたラツィオ戦で挙げた2ゴールはインテリスタの語り草となっている。

03-04シーズンは主に左サイドハーフ、ボランチとして出場機会を得るも、故障の影響もあり前年ほどのインパクトは残せなかった。

そして、04-05シーズンにロベルト・マンチーニ監督が就任。シーズン序盤から度重なる故障に苦しんだ上に、マンチーニの戦術的意向、またポジション争いの激化により出場機会が減少した。

ニューカッスル[編集]

前年のシーズン終了前からマンチーニ監督との関係悪化もあり移籍は確実視され、インテルのライバルクラブであるACミランをはじめ、マンチェスター・ユナイテッドアーセナルエヴァートンFCニューカッスル・ユナイテッドの5クラブがオファーを出したと言われたが、出場機会を優先してニューカッスル・ユナイテッドに移籍した。

加入1年目の序盤はデビュー直後に肉離れで戦線離脱した影響もあり環境に馴染めず苦戦したが、最大のライバルであるサンダーランド戦で直接フリーキックでのゴールをあげたことにより実力を認められ、20試合に出場し2得点を挙げた。

翌年もチームの司令塔としてポジションを獲得したが、このシーズンも怪我が重なり出場試合数は24試合にとどまった。

07-08シーズンは、サム・アラダイス監督の戦術の都合で途中出場が増え、ケビン・キーガン監督が就任した1月以降は怪我でほとんど出場できなかった。ニューカッスル時代のプレーを振り返ると、時折高度な技術も見せたものの、チームの不調もあり本来のパフォーマンスを見せたとは言い難かった。

フェネルバフチェ[編集]

08-09シーズンからは母国の強豪フェネルバフチェへの移籍が決定した。古巣ガラタサライの最大のライバルであるため、両チームのサポーターの間で物議を醸した。

08-09シーズンは序盤は左右両サイドのアタッカーとして、中盤以降はボランチの一角として25試合に出場した。しかし序盤は負傷を繰り返すなどなかなか体調が整わず、中盤以降もチームの不振に引きずられ、結局チームは4位、エムレ自身も持ち味をほとんど発揮出来ないままシーズンが終了した。

09-10シーズンはセンターハーフとして前年よりも攻撃への積極参加を見せた。また、このシーズンより副キャプテンに就任し、アレックス欠場時はキャプテンを務めるようになった。このシーズンは前年やニューカッスル時代に比べるとコンディションが良く、存在感は際立っていた。その活躍が認められ、シーズン終了後に09-10シーズンのトルコリーグ最優秀選手賞を受賞した。

10-11シーズンはセンターハーフの一角として移籍後最多となる27試合に出場し、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。

11-12シーズンは負傷により序盤は出遅れたものの、復帰後のシーズン中盤から終盤にかけて存在感を示し、フェネルバフチェ移籍後最多の6ゴール(うち1ゴールはこの年限りで導入されたプレーオフでの得点)を記録した。

アトレティコ・マドリード[編集]

2011-12シーズン後、フェネルバフチェとの契約満了に伴いアトレティコ・マドリードと2年契約を結んで移籍した。 主にヨーロッパリーグで先発出場の機会があったものの、リーグ戦では満足な出場機会が得られず、入団後わずか半年で古巣のフェネルバフチェに復帰することとなった。

フェネルバフチェ[編集]

2013年1月31日、古巣のフェネルバフチェへの復帰が決定した。移籍金は35万ユーロで、契約期間は2年半。復帰早々にキャプテンを任されセンターハーフの一角を担うも負傷離脱し、シーズン終盤に復帰したもののライバル・ガラタサライを追い上げることはできず、2位でシーズンを終了した。なおチームはヨーロッパリーグでベスト4に進出したが、エムレは復帰前のアトレティコ・マドリードで同大会に出場していたため、規則の関係上フェネルバフチェではヨーロッパリーグには出場していない。

引き続きキャプテンを務めた2013-14シーズンは開幕直後から怪我を繰り返し、前半戦の出場は6試合にとどまった。しかし後半戦に復帰すると、ほとんどがPKの得点ではあるものの5ゴールを挙げるなどチームを支えている。


代表[編集]

2000年に弱冠20歳でノルウェー戦でトルコ代表デビュー。

負傷の影響もありEURO2000には招集されなかったが、2002年日韓W杯では6試合出場し1ゴール を挙げ、3位の快挙に大きく貢献した。なお、決勝トーナメント1回戦で対戦した日本戦は、出場停止のため欠場している。

2006年のドイツW杯プレーオフスイス戦では、1stレグを出場停止で欠場しチームは大敗。本大会出場のためには3点差での勝利が必須となった2ndレグに出場し1アシストを記録するなど4-2の勝利に貢献するも、得失点差で敗退。この試合後に相手選手とのトラブルを起こし、代表での公式戦6試合出場停止の処分を受けた。

EURO2008では予選のノルウェー戦でゴールを上げるなど本大会出場に貢献。主将として出場した本大会はチームはベスト4と躍進したが、自身は負傷のため初戦のポルトガル戦のみの出場となった。

2007年頃から、代表ではキャプテンを務めている。2014年3月現在のキャップ数91は、トルコ歴代5位の出場試合数である。

エピソード[編集]

  • 同じトルコ代表で、インテル・ミラノでもともにプレーしたオカン・ブルクと仲が良く、特にインテル時代は部屋をルームシェアしていた。
  • 気性が荒いことで知られ、前述の2006年ドイツW杯プレーオフでのトラブルで6試合の出場停止処分をはじめ度々の出場停止処分を受けている。
  • 2011年の韓国戦における退場処分の際には元トルコ代表監督のフース・ヒディンクにも、気性の荒さを名指しで批判されている。
  • そのプレースタイルから、故郷イスタンブルにちなんでボスポラス海峡マラドーナという愛称も付いている。
  • 肉離れなどの筋肉系のケガが多く、シーズン通してケガなく過ごせたことはほとんどない。
  • 2009年に結婚。2011年3月22日には長男が誕生した。


個人成績[編集]

2014年3月2日現在
クラブ シーズン ディビジョン 背番号 リーグ カップ 欧州カップ 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
トルコの旗 ガラタサライ 1996-97 シュペルリグ 1 0 0 0 0 0 1 0
1997-98 24 2 9 0 2 0 35 2
1998-99 27 2 6 2 2 0 35 4
1999-00 24 5 4 0 13 1 41 6
2000-01 27 4 3 5 10 0 40 9
合計 103 13 22 7 27 1 152 21
イタリアの旗 インテル 2001-02 セリエA 33 14 0 - - 6 0 20 0
2002–03 5 25 3 - - 12 1 37 4
2003–04 21 0 - - 6 0 27 0
2004–05 19 0 - - 6 0 25 0
合計 79 3 - - 30 1 109 4
イングランドの旗 ニューカッスル 2005–06 プレミア 5 20 2 4 0 1 0 25 2
2006–07 24 2 2 0 12 1 38 3
2007–08 14 1 5 0 - - 19 1
合計 58 5 11 0 13 1 82 6
トルコの旗 フェネルバフチェ 2008-09 シュペルリグ 5 25 1 6 0 9 1 40 2
2009–10 25 1 7 0 8 1 40 2
2010–11 27 4 1 0 4 2 32 6
2011–12 26 6 2 0 - - 28 6
合計 103 12 16 0 21 4 140 16
スペインの旗 アトレティコ 2012-13 リーガ 21 7 0 3 0 6 1 16 1
合計 7 0 3 0 6 1 16 1
トルコの旗 フェネルバフチェ 2012-13 シュペルリグ 25 10 2 1 0 0 0 11 2
2013-14 11 5 11 5
合計 21 7 1 0 0 0 22 7
通算 371 40 53 7 101 9 521 54


タイトル[編集]

クラブ[編集]

トルコの旗 ガラタサライSK
イタリアの旗 インテル・ミラノ
イングランドの旗 ニューカッスル・ユナイテッド
トルコの旗 フェネルバフチェ
スペインの旗 アトレティコ・マドリード

個人[編集]

  • FIFA100
  • 2002-03 Pirata d'Oro(インテル・ミラノシーズン最優秀選手賞)
  • 2009-10 シュペルリグ最優秀選手賞

トルコ代表での得点記録[編集]

# 日付 場所 相手 結果 大会
1. 2000年9月2日 トルコの旗イスタンブル  モルドバ 2-0 2002 FIFAワールドカップ欧州予選
2. 2002年6月9日 韓国の旗インチョン  コスタリカ 1-1 2002 FIFAワールドカップ
3. 2002年11月20日 イタリアの旗ペスカーラ  イタリア 1-1 親善試合
4. 2007年11月17日 ノルウェーの旗オスロ  ノルウェー 2-1 EURO2008予選
5. 2008年9月10日 トルコの旗イスタンブル  ベルギー 1-1 2010 FIFAワールドカップ欧州予選
6. 2009年9月9日 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗サラエボ  ボスニア・ヘルツェゴビナ 1-1
7. 2010年8月11日 トルコの旗イスタンブル  ルーマニア 2-0 親善試合
8. 2011年8月10日 トルコの旗イスタンブル  エストニア 3-0 親善試合
9. 2012年9月11日 トルコの旗イスタンブル  エストニア 3-0 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選

外部リンク[編集]