ブライアン・ラウドルップ
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Brian LAUDRUP | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年2月22日(49歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 186cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW / MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1986-1989 |
| 68 | (18) | |||
| 1989-1990 |
| 34 | (6) | |||
| 1990-1992 |
| 44 | (11) | |||
| 1992-1994 |
| 31 | (5) | |||
| 1993-1994 |
→ | 9 | (1) | |||
| 1994-1998 |
| 133 | (44) | |||
| 1998 |
| 11 | (1) | |||
| 1998-1999 |
| 12 | (2) | |||
| 1999-2000 |
| 38 | (15) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1987-1998 |
| 82 | (21) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ブライアン・ラウドルップ(Brian Laudrup, 1969年2月22日 - )は、デンマークの元サッカー選手。オーストリア共和国ウィーン生まれでデンマーク・コペンハーゲン育ち。現役時代のポジションはFW。
同じくサッカー選手であった兄のミカエル・ラウドルップと共に「ラウドルップ兄弟」として知られる。父のフィン・ラウドルップも元サッカー選手で代表キャプテンを務めた。息子にニコライがいる。
クラブ経歴[編集]
1986年に地元のブレンビーIFでキャリアをスタートすると、1989年にドイツ・ブンデスリーガのバイエル・ユルティンゲンへ移籍。
翌1990年には200万ポンド当時のブンデスリーガ市場最高額の契約金でバイエルン・ミュンヘンへ移籍し[1]、1年目はリーグ戦9ゴールを決めるなど活躍し、スポーツビルド誌の人気投票において、ドイツ国内でプレーする選手の中で最多の票を集めた[2][3]。
1992年ユーロにおける、デンマーク代表での活躍もあって、夏にイタリア・セリエAのフィオレンティーナへ移籍した、当初は彼のドリブルから多くのチャンスが生まれるなど、チームも好調であったが次第に勢いを失い、チームもセリエBへ降格した。
1993-94シーズンにACミランへレンタル移籍をした。当初は出場も多く、9月20日チャンピオンズリーグのFCコペンハーゲン戦にて移籍後初ゴール、10月31日のサンプドリア戦ではリーグでのでの初ゴールを挙げるなどしたが、次第にマルセル・デサイーの加入後大幅に出番を減らし、またデヤン・サビチェビッチの好調もあり、外国人枠の問題で出場機会を失った[4]。セリエA優勝、チャンピオンズリーグの優勝を経験したが(チャンピオンズリーグでは7試合でプレー)、セリエA優勝を決めたウディネーゼとの試合や、チャンピオンズリーグ決勝のバルセロナとの試合ではバルセロナに所属する兄ミカエル共にベンチ外になった。フィオレンティーナとの契約は1996年までであったが、同シーズン限りでイタリアを離れた[5]。
1994年にスコットランドのレンジャーズFCへ移籍。移籍からしばらくして、FCバルセロナよりオファーを受けたが、レンジャースでのプレーを選択[6]。3度のリーグ優勝に貢献、1996年スコットランドカップ決勝では2得点、レンジャースファンからラウドルップファイナルと命名される活躍であった[7]。1994-95、1996-97シーズンはスコットランドリーグの最優秀選手賞を受賞した。
1998年のフランスワールドカップ前にチェルシーと契約を結んだ。しかしチェルシーが選手のローテーション制を採用すると知り[8]、契約解除を求めたが認められず[9]、チェルシーに留まりプレーを続けた。短期間であったが、リーグ戦のブラックバーン戦、ミドルスブラ戦ではアシストでチームの勝利に貢献した[10] [11]。またUEFAカップウィナーズカップでは、FCコペンハーゲンへの移籍がほぼ決まりかけている中、チェルシーの監督ジャンルカ・ビアリの判断で[12]、FCコペンハーゲン戦に出場。チームをベスト8に進出させるゴールを決めた。その試合を最後にチェルシーからコペンハーゲンへ移籍した。
2000年にアヤックスへ移籍。バイエルン時代チームメートであったヤン・ボウタースコーチの下、アヤックスではリーグ戦13ゴールを挙げる活躍を見せたが、怪我のため31歳にして現役を引退した。
代表経歴[編集]
デンマーク代表としては1987年11月17日の西ドイツ戦で代表デビューを果たした(試合は0-1で敗退)[13]。1988年に西ドイツで行われたUEFA欧州選手権1988の代表メンバーからは落選したが、大会後は19歳ながら、主力選手の一人として代表メンバーに定着していった。一方で兄のミカエルはこの時期から代表招集に難色を示すようになり、兄弟が揃い踏みする機会は少なくなった。
ユーゴスラビアの代替で急遽出場した1992年のUEFA EURO '92では、堅守速攻が特徴のチームの中で、得点こそは成らなかったものの切れ味のあるドリブルで攻撃陣をリードし、キーパーのピーター・シュマイケルらとともに優勝の原動力となった。また同年のFIFA最優秀選手賞では第5位に選ばれた。
ヨーロッパ王者として挑んだ1994 FIFAワールドカップ欧州予選ではスペインとアイルランドに競り負け予選敗退となったが、1995年のキング・ファハド・カップ1995では、決勝でアルゼンチンを破って優勝した。1996年のUEFA EURO '96では兄弟揃って出場を果たしたが、グループリーグ敗退に終わり大会2連覇は逃した。
1998年の1998 FIFAワールドカップでは決勝トーナメント1回戦、ナイジェリア戦では決勝点。準々決勝のブラジル戦では50分に2-2の同点に追いつくゴールを決めた。ブラジルには2-3で敗れベスト8という結果に終わったが、国際サッカー連盟が選ぶ大会オールスターチームの16人に兄弟揃って選ばれた。そして大会終了後に29歳でデンマーク代表から引退を表明した。代表通算成績は82試合出場21得点[13]。
引退後[編集]
引退後はデンマークの放送局TV3+でUEFAチャンピオンズリーグなどのコメンテーターを務めている。また元デンマーク代表のラース・ヘグ(en)と共に「ラウドルップ&ヘグ・プロキャンプ」(Laudrup & Høgh ProCamp)を設立しユース年代の指導を行っている[14]。2010年9月7日、自身がコメンテーターを務める番組内で、悪性リンパ腫を患っていることを公表したが[15][16]、後に全快したことが発表された[17]。
個人タイトル[編集]
- スコットランドPFA年間最優秀選手賞 : 1回(1994-95,1996-97)
- スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞 : 2回(1995,1997)
- デンマーク年間最優秀選手賞 : 4回(1988,1992,1995,1997)
- FIFA100 : 1回(2004)
脚注[編集]
- ^ Dithmer, Claus (1990年5月30日). “Brian Laudrup dyreste dansker nogen sinde” (Danish). Berlingske Tidende: Section 3, p. 7
- ^ http://bulibold.dk/brian-laudrup-geniale-driblekunstner-begejstrede-bundesligaen-fjerde-afsnit/
- ^ http://bulibold.dk/brian-laudrup-den-geniale-driblekunstner-der-begejstrede-bundesligaen-femte-afsnit/
- ^ “Football: Laudrup in swipe at Vialli ploy”. thefreelibrary.com. The Racing Post (1998年9月17日). 2013年7月31日閲覧。
- ^ Nielsen, Bjarne (1993年12月21日). “Brian giver op” (Danish). Ekstra Bladet: p. 37
- ^ “NO CAMP; Laudo KOd move from Gers to Barca ... so he could play FALKIRK”. thefreelibrary.com (2011年5月28日). 2013年9月15日閲覧。
- ^ “Rangers legend Brian Laudrup ready to return for Scottish Cup final” (2009年5月28日). 2011年12月8日閲覧。
- ^ “I wouldn't have joined Chelsea if I had known Vialli's methods SAYS BRIAN LAUDRUP”. Thefreelibrary.com (1998年10月20日). 2014年7月18日閲覧。
- ^ Steenbach, Kasper (2002年10月). “They come over here ...”. wsc.co.uk. 2013年9月2日閲覧。
- ^ “Blackburn 3-4 Chelsea 1998–99 (Roy Hodgson loses it)”. chesneyincognito (2013年4月5日). 2013年9月2日閲覧。
- ^ “Brian Laudrup at Chelsea”. billyblackburn87 (2013年6月23日). 2013年9月2日閲覧。
- ^ Tongue, Steve (1998年11月5日). “Laudrup's Chelsea goal is achieved”. The Independent 2009年11月6日閲覧。
- ^ a b “Brian Laudrup”. DBU. 2017年5月6日閲覧。
- ^ “Velkommen til Laudrup & Høgh - Procamp” (デンマーク語). 2010年9月8日閲覧。
- ^ “Laudrup aiming to beat cancer” (英語). skysports.com (2010年9月7日). 2010年9月8日閲覧。
- ^ “Brian Laudrup har fået konstateret kræft” (デンマーク語). skyspopolitiken.dk (2010年9月7日). 2010年9月8日閲覧。
- ^ “Legend Brian Laudrup given cancer all clear” (英語). 2011年6月18日閲覧。[リンク切れ]
外部リンク[編集]
- デンマークサッカー協会による紹介(デンマーク語)
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