スティーヴン・ジェラード

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スティーヴン・ジェラード Football pictogram.svg
Steven Gerrard in 2014.jpg
名前
本名 スティーヴン・ジョージ・ジェラード
愛称 スティーヴィーG
ラテン文字 Steven George GERRARD
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 1980年5月30日(35歳)
出身地 マージーサイド州ウィストン
身長 186cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー
ポジション MF
背番号 8
利き足 右足
ユース
1987-1998 イングランドの旗 リヴァプール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2015 イングランドの旗 リヴァプール 504 (120)
2015- アメリカ合衆国の旗 LAギャラクシー 0 (0)
代表歴
1999-2000 イングランドの旗 イングランド U-21 4 (1)
2000-2014[1] イングランドの旗 イングランド 114 (21)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年6月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

スティーヴン・ジョージ・ジェラードSteven George Gerrard MBE1980年5月30日 - )は、イングランドマージーサイド州ウィストン出身のサッカー選手メジャーリーグサッカーロサンゼルス・ギャラクシー所属。元イングランド代表。ポジションはミッドフィールダー。中盤ならどこでもこなせるマルチロールな選手。

来歴[編集]

クラブ[編集]

リヴァプールFC[編集]

フリーキックを蹴るジェラード

幼少の頃からリヴァプールFCのアカデミー(下部組織)で才能を磨き、1998年にトップチームデビューを飾る。デビュー当初は右サイドバックとしてプレー。その後、ポジションをセンターハーフにコンバートされる。代表デビューは2000年5月のウクライナ戦。19歳でEURO2000の代表メンバーに選ばれている。翌2000-01シーズンではリヴァプールのレギュラーとして活躍。カップ・トレブルに大きく貢献した。

2003年5月11日プレミアリーグ最終節チェルシー戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにも関わらず試合中に不用意なレッドカードを貰ってしまい、1-2で敗れて5位に終わりチャンピオンズリーグ出場を逃した。

しかし、2003-04シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを引き継ぐと秘めたるポテンシャルが一気に開花。同シーズンもチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤の大活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にエースのマイケル・オーウェンレアル・マドリードへ移籍し、一時はジェラード自身にもチェルシー移籍の話が持ち上がったが、記者会見で残留を明言した。

2005年は、リーグ戦で低迷するチームを鼓舞しながら、チャンピオンズリーグにおいては、GL突破のためには2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコス戦で、試合終了間際にミドルシュートを決め3-1とし、チームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、存在感を示しチームは決勝戦へと進出させた。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝[2]を決めるきっかけとなるヘディングシュートを決めてみせた。ゴール直後のチームメイトとサポーターへむけた『盛り上がれ!』というパフォーマンスは有名である。また、このシーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道された。代理人が「交渉は修羅場になった」と発言するほど契約延長交渉は乱れたようだが、これはジェラード本人とクラブ側との些細な思い違いから始まったものであった。正式な会談を持った結果、ジェラードはあっさりとチームへの残留を決めた。

2005年末には、FIFAクラブワールドカップでヨーロッパ代表として来日。リヴァプールは準優勝に終わったが、テレビの宣伝などで日本での知名度は上がった。

2008-09シーズンUEFAチャンピオンズリーグPSV戦において、自身100ゴール目となるフリーキックを決めた[3]

2009年3月22日アストン・ヴィラ戦で、リーグ戦初のハットトリックを達成したように、2008-09シーズンはポジションを少し上げたことにより得点力が増し、自身最高のリーグ16得点をマーク。リーグ得点ランクは、ニコラ・アネルカクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位となり、またチーム得点王となった。

2009-10シーズンはチームの不振により、ジェラード自身も度重なるケガに悩まされた。春先になりチームと共に調子を上げたものの及ばず、リヴァプールは7位に終わった。

2013年10月19日ニューカッスル・ユナイテッドFC戦でPKを決めてプレミアリーグ通算100ゴールを達成した。

2015年1月2日、2014-15シーズン終了後にリヴァプールを退団すると発表[4]翌日メジャーリーグサッカーのクラブに加入することを明らかにした[5]

2015年2月4日FAカップ4回戦のボルトン戦に出場し、イアン・キャラハンジェイミー・キャラガーに次いでクラブ史上3人目となる通算700試合出場を達成した。

ロサンゼルス・ギャラクシー[編集]

2015年1月7日ロサンゼルス・ギャラクシーに7月から加入することが発表された[6]ロサンゼルス・ギャラクシーでも背番号は『8』であることも発表された[7]

2015年7月3日、ロサンゼルス・スタブハブ・センターに到着。メディカルチェックを受けた。同年7月7日より公式にLAギャラクシーでの練習を開始し、同日10:00には入団記者会見も開催される[8]。また新天地でのデビューに向けて意気込みを語った[9]

代表[編集]

2002年日韓ワールドカップは怪我のため落選している。

2006年のドイツW杯で2得点をあげる活躍をした。

2010 FIFAワールドカップでは、大会直前の練習で代表主将のリオ・ファーディナンドが負傷離脱したため、副主将であるジェラードが主将を務める[10]

2012年11月15日スウェーデン代表との試合で代表キャップ数100を達成した。

2014年のブラジルW杯では主将を務めたが、同年7月に代表引退を表明した[11]

エピソード[編集]

  • レッド・ドラゴン」の異名を持つ。竜のように力強く空中戦でも強さを見せるため。
  • 2002年W杯で、中盤の選手が足りなかった当時の代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンは「ジェラードが2人いたなら…」と言った。実際は怪我のため本人も出られず、エリクソンは更に苦悩したと言う。
  • リヴァプールの元チームメイトであるジェイミー・キャラガーマイケル・オーウェンとは、リヴァプールのアカデミー時代からの親友である。
  • 極度の潔癖症で一日に最低15回は手を洗う[12]
  • 2006年10月21日、髄膜炎をわずらった二女に対し、マンチェスター・ユナイテッドとの「ノースウェスト・ダービー」前夜にもかかわらず寝ずの看病をしていた。
  • 2007年10月1日、ジェラードの運転する車に、歩道から飛び出してきた10歳の少年が接触した。小学校の前だったため減速していたが、この事故で少年に左足骨折の大怪我を負わせてしまった。しかし、その後すぐに運転席から飛び出し駆け寄ったジェラードは、少年の手を握り締め救急車が到着するまで付き添うと、警察の事情聴取に応じた後少年の家族と連絡を取り、2日後に病院にお見舞いにいくと約束した。さらに、その少年がマンチェスター・ユナイテッドの大ファンであることを知ると、同チームのエース、ウェイン・ルーニーに頼みサイン入りのスパイクを用意し、自分のサインを書き込んだイングランド代表のユニフォームと一緒にプレゼントした。
  • リヴァプールの精神的支柱であり、大黒柱でもあるため、同じくリヴァプールに本拠地を置くエヴァートンFCとの「マージーサイド・ダービー」は人一倍思い入れが強く、途中交代させられたときは失望の色を隠さなかった。
  • フランク・ランパードとはプライベートでも友人同士なのだが、共に招集を受けた代表ではプレースタイルが似通っている為なのか、いざ中盤に並べてみると妙に息が合わなかった。しかし、カペッロ監督の下ではうまく共存しており2010W杯予選突破に貢献した。
  • 2008年12月29日午前2時半ごろ、英国北西部のサウスポートで暴行の容疑で逮捕された。本人は否定をし、また、ノースセフトンの治安判事裁判所はジェラードの身体的暴行はなかったとの裁定を下し、結果として暴行容疑は取り下げとなった。[13]
  • 1989年4月15日に発生した、イングランドサッカー史上最悪の事故であるヒルズボロの悲劇の犠牲者のうちの最年少の者は、当時9歳であったジェラードの従兄弟(当時10歳)である[14]
  • 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブス世界のアスリートの年収を公表した。ジェラードの年収は1870万ドル(約19億円)であり、世界のアスリートの中で86位。サッカー選手の中では12位[15]

個人成績[編集]

所属クラブ シーズン イングランドの旗 リーグ FAカップ リーグカップ UEFA主催 クラブワールドカップ コミュニティシールド UEFAスーパーカップ 期間通算
出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点
リヴァプール 1998–99 12 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 13 0
1999–00 29 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 31 1
2000–01 33 7 4 1 4 0 9 2 0 0 0 0 0 0 50 10
2001–02 28 3 2 0 0 0 15 1 0 0 0 0 0 0 45 4
2002–03 34 5 2 0 6 2 11 0 0 0 0 0 1 0 52 7
2003–04 34 4 3 0 2 0 8 2 0 0 0 0 0 0 47 6
2004–05 30 7 0 0 3 2 10 4 0 0 0 0 0 0 43 13
2005–06 32 10 6 4 1 1 12 7 2 1 0 0 0 0 51 23
2006–07 36 7 1 0 1 1 12 3 0 0 1 0 0 0 51 11
2007–08 34 11 3 3 2 1 13 6 0 0 0 0 0 0 52 21
2008–09 31 16 3 1 0 0 10 7 0 0 0 0 0 0 44 24
2009–10 33 9 2 1 1 0 13 2 0 0 0 0 0 0 43 12
2010–11 21 4 1 0 0 0 2 4 0 0 0 0 0 0 24 8
2011–12 18 5 6 2 4 2 0 0 0 0 0 0 0 0 28 9
2012–13 36 9 1 0 1 0 8 1 0 0 0 0 0 0 46 10
2013–14 34 13 3 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 39 14
通算成績 475 111 39 13 27 9 124 39 2 1 1 0 1 0 659 173

記録[編集]

マージーサイド・ダービー通算10得点

タイトル[編集]

個人[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]