チェルシーFC
| チェルシーFC | ||||
|---|---|---|---|---|
| Chelsea FC.svg | ||||
| 原語表記 | Chelsea Football Club | |||
| 愛称 |
The Blues | |||
| クラブカラー | 青 | |||
| 創設年 | 1905年 | |||
| 所属リーグ | プレミアリーグ | |||
| ホームタウン | ロンドン | |||
| ホームスタジアム |
スタンフォード・ブリッジ | |||
| 収容人数 | 41,663[1] | |||
| 代表者 |
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| 監督 |
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| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
チェルシー・フットボール・クラブ(英語: Chelsea Football Club、イギリス英語発音:[ˈʧelsi ˈfutˌbɔːl klʌb] チェルシー’'フトゥボール・クラブ)は、イングランドの首都ロンドン西部・チェルシー地区をホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。クラブカラーは青。愛称はブルーズ(Blues)。
目次
概要[編集]
1905年に創設。ホームスタジアムはロンドンのスタンフォード・ブリッジ(収容人数41,663人)。プレミアリーグに所属し、同リーグにおいて5回の優勝記録を持つ(フットボールリーグ時代を含めると6)。2003年にロシア人の富豪ロマン・アブラモヴィッチがオーナーに就任して以降、豊富な資金力を活かしてプレミアリーグ有数の強豪クラブとなった。「ブルーズ(Blues)」の愛称で知られる。
同じロンドンに本拠地を置くアーセナルは労働者階級の支持層が多かったのに対し、チェルシーは富裕層の支持層が多かった。凶暴なサポーターが多いことで知られたが、1992年にプレミアリーグが誕生して以降は、スタジアム周辺の整備に力を入れたこともあり、今は問題が起こることはほとんどなくなっている。富裕層が多いのは高級住宅地の中にスタジアムがあることと関係がある。
歴史[編集]
創設[編集]
1905年3月10日、設立のきっかけはスタンフォード・ブリッジを購入したガス・ミアーズとジョゼフ・ミアーズの兄弟がフラムにスタンフォード・ブリッジを本拠地として使用することを打診するも、これを拒絶されたことにある。ミアーズ兄弟はスタンフォード・ブリッジを本拠地として使用するクラブが必要となり、そのクラブとして「チェルシーFC」が設立された。 設立当初はサザンフットボールリーグに加入する予定だったが、フラムやトッテナムなどの反対を受け、フットボールリーグ2部に所属することとなった。
1915年のFAカップで決勝まで進んだ。決勝ではシェフィールド・ユナイテッドに敗れたものの、これがクラブが初めて経験した大舞台だった。 第一次世界大戦による中断後の1919-20シーズンには、リーグで3位の成績を残す。しかし、以降は2部降格など低迷していった。
1950-80年代[編集]
チェルシーが再び脚光を浴びるようになるのは1950年代に入ってからである。 1952年にアーセナルで選手としても活躍したテッド・ドレイクが監督に就任するとチーム改革に着手。 それによって1954-55シーズンにクラブ史上初のリーグ優勝を手にした。このリーグ優勝により、同年に始まったUEFAチャンピオンズカップのイングランド代表としての出場権を手にしたが、FAやフットボールリーグからの反対を受け、出場を辞退させられる。
その後は再び低迷期に入り、1961年にはクラブの英雄的な存在だったジミー・グリーブスをACミランに引き抜かれた。1961-62シーズンには2部降格の憂き目に遭う。 しかし、クラブを立て直すために33歳のトミー・ドハーティに監督を依頼すると、これが功を奏してわずか1シーズンで1部に復帰。これ以降は安定して上位を維持するようになり、1964-65シーズンにフットボールリーグカップで初優勝を果たした。 1965-66シーズンにはインターシティーズ・フェアーズカップ(旧UEFAカップ・現UEFAヨーロッパリーグの前身)でローマ、1860ミュンヘン、ミランなどを破りベスト4まで勝ち進んだ。準決勝では優勝したFCバルセロナに敗れたものの、初めて欧州カップ戦で好成績を残した。
1967年に当時のコーチだったデーブ・セクストンが監督に就任すると、1970年に悲願のFAカップ初優勝を果たす。 1970-71シーズンにはFAカップ王者としてUEFAカップウィナーズカップに初出場し、決勝まで勝ち進んだ。レアル・マドリードとの決勝戦はギリシャのスタディオ・ヨルギオス・カライスカキスで行われ、試合は延長戦までもつれ込むものの1-1と決着が付かず引き分け再試合に(当時はPK戦がなかった)。2日後の再試合でピーター・オスグッドとジョン・デンプシーの得点でレアル・マドリードを2-1で破り、初めて欧州タイトルを獲得した。 これによりチェルシーは、イングランド国内だけでなくヨーロッパでも一目を置かれるクラブとして確固たる地位を築いた。
しかし、1970年代中盤になると再び成績が低迷し、2部に降格。更に1970年代後半には財政難が表面化した。 この頃のチェルシーはイングランドでも有数の凶暴なフーリガン集団を抱えると言う問題にも苦しみ、1980年代前半までは長らく低迷を味わった。
ケン・ベイツが会長に就任して以降は、なかなか安定した成績を残せないでいたが、1989年に2部で優勝し1部に昇格して以降は、トップリーグに所属し続けている。
1990年代[編集]
1990年代に入るとクラブは躍進を始める。 1993年に元イングランド代表のグレン・ホドルを選手兼任監督として迎え、1994年にFAカップで準優勝。1995年には、UEFAカップウィナーズカップでベスト4に進出。 また、1994年にはケン・ベイツが投資を呼びかけ、チェルシーの熱狂的なファンだった実業家のマシュー・ハーディングがクラブの経営に加わったことで資金面に余裕ができ、イタリアから後に選手兼任監督を務めることになるオランダ人のルート・フリットやダン・ペトレスク、マーク・ヒューズら大物スター選手の獲得に成功した。
1995年12月にボスマン判決が下されたことで、現在に至るまでの外国人のスター選手を大量に獲得するクラブの経営手法がチェルシーで確立される。これにより、プレミアリーグの国際化に先立って「多国籍軍団」と称されるようになった。また、この頃からスタンフォード・ブリッジの大規模な改修工事が行われ、スタジアムにホテルとメガストアと呼ばれるショッピングモールを併設した「チェルシービレッジ」の建設が始まった。
1996年に監督のグレン・ホドルがイングランド代表監督に就任したことを受けて、ルート・フリットがプレイングマネージャーに就任。フリットはその長いセリエAでの活躍をもとに築いたイタリアコネクションとボスマン判決を活用してジャンフランコ・ゾラ、ジャンルカ・ヴィアッリ、ロベルト・ディ・マッテオなどの大物外国人選手を多数獲得した。
1996年10月にそれまでクラブに多額の資金援助をしていたマシュー・ハーディングがアウェーのボルトン戦の観戦後にヘリコプターの墜落事故で亡くなってしまう(スタンフォード・ブリッジの北側スタンドは、この事故以降彼の死を悼み「マシュー・ハーディングスタンド」と呼ばれている)。その後は十分な財政支援を得られず、大きな負債を抱えることとなった。
1996-97シーズンは、外国人選手達の活躍もあり2度目のFAカップ優勝を達成。また、ジャンフランコ・ゾラがFWA年間最優秀選手賞をチェルシー選手として初めて受賞した。 翌1997-98シーズンは、グスタボ・ポジェ、トーレ・アンドレ・フロー、エト・デ・フーイらを獲得して戦力強化を図った。プレミアリーグでは一時2位につけ、カップ戦も順調に勝ち進んでいたが、シーズン途中でフリット監督を解任。その後は、ジャンルカ・ヴィアッリがプレイングマネージャーとして指揮を執ることになった。
そして最終的に1997-98シーズンは、UEFAカップウィナーズカップとコカ・コーラ・カップを制した。UEFAカップウィナーズカップはクラブ史上2度目の制覇だった。カップウィナーズカップ決勝では、後半途中出場のジャンフランコ・ゾラが入って1分にも満たない時間で決勝ゴールを挙げ、シュトゥットガルトを1-0で下して優勝を決めた。これによってUEFAスーパーカップの出場権を得たため、UEFAチャンピオンズリーグ王者のレアル・マドリードとモナコで対戦することとなった。試合はグスタボ・ポジェの得点でレアル・マドリードを1-0で破り、UEFAスーパーカップも制した。このように1998年のチェルシーは、1900年代のチェルシーの中で最も成功した年だと言える。
1998-99シーズンは、ピエルルイジ・カジラギ、マルセル・デサイー、ブライアン・ラウドルップ、アルベルト・フェレールらを獲得した。しかし、カジラギはシーズン途中で大怪我を負った上に、ブライアン・ラウドルップはシーズン序盤にホームシックでデンマークに帰国するなど色々と問題が発生した。これらを受けて、プレイングマネージャーであったジャンルカ・ヴィアッリは監督業に専念するという理由でシーズン途中で選手としての現役を終えた。 このシーズンは、連覇を期待されたUEFAカップウィナーズカップではマジョルカに敗れベスト4に終わったが、プレミアリーグでは一時首位に立つなど終盤までマンチェスター・ユナイテッドやアーセナルと優勝争いを繰り広げ3位に入り、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を初めて勝ち取った。 また、このシーズン頃からキャプテンのデニス・ワイズ以外が全員外国人で、ピッチ上の11人全員が外国人という事も当たり前になっていた。
1999-2000シーズン:ディディエ・デシャンやクリス・サットンらを獲得するもどちらも目立った活躍を見せられず1年で退団した。 また、三度目となるFAカップ制覇を達成。旧ウェンブリー・スタジアムを使用した最後のFAカップ王者というおまけ付きでの優勝だった(2006-07シーズンには現行のウェンブリー・スタジアム最初の優勝も果たしている)。 また、このシーズンはチャンピオンズカップ第1回大会を出場辞退して以来、実に44年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグに出場した。チャンピオンズリーグでは、1次グループリーグでミラン、ヘルタ・ベルリン、ガラタサライと対戦し1位で通過。2次グループリーグではラツィオ、マルセイユ、フェイエノールトと対戦し、ラツィオに次ぐ2位で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメントでは準々決勝でバルセロナと対戦し、ホームでは3-1で快勝したものの、アウェーで1-5(90分では1-3だったため延長戦が行われた)で敗れ、2試合合計4-6で姿を消した。
2000年代[編集]
2000-01シーズンは、ジミー・フロイド・ハッセルバインク、イェスパー・グレンケア、エイドゥル・グジョンセンらを獲得、ハッセルバインクはリーグ得点王に輝くなどチームを牽引した。しかし、シーズン序盤に監督のジャンルカ・ヴィアッリが解任され、同じイタリア人のクラウディオ・ラニエリを招聘したもののプレミアリーグでは中位に終わった。また、UEFAカップでも1回戦で敗退した。
2003-04シーズン、イタリア人監督のクラウディオ・ラニエリは既存の選手と新加入選手を融合させ、無冠ではあったものの、プレミアリーグで2位、チャンピオンズリーグでもベスト4という好成績を収めた。特にチャンピオンズリーグの決勝トーナメント準々決勝で、プレミアリーグ無敗優勝という快挙を成し遂げたアーセナルを破り、クラブ史上初めてベスト4に進出したことは特筆すべき出来事であった。
2004年夏、前FCポルト監督のジョゼ・モウリーニョが監督に就任。2004-05シーズンは勝ち点95、得失点差57という驚異的な成績でプレミアリーグを独走。1954-55シーズン以来、50年ぶりにトップリーグでの優勝を果たし、カーリングカップも制して2冠でクラブ創立100周年を祝った。チャンピオンズリーグでは2年連続でベスト4に進出したものの、大会の優勝チームのリヴァプールに敗れ、クラブ史上初の決勝進出は成らなかった。
2005-06シーズンは、プレミアリーグ創設後、マンチェスター・ユナイテッドに次いで2クラブ目のリーグ連覇を達成。モウリーニョの就任後、ホームスタジアムであるスタンフォード・ブリッジでは正に無敵の状態で、特にこのシーズンでは19戦18勝1分けという圧倒的な強さであった。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦で2年連続でバルセロナと対戦し、敗れてベスト16に終わっている。
2006年夏の移籍市場ではミヒャエル・バラック、アンドリー・シェフチェンコ、アシュリー・コールら大物選手を獲得した一方でダミアン・ダフ、エイドゥル・グジョンセン、ウィリアム・ギャラスといったそれまでの主力選手を放出してチーム編成を一新した。2006-07シーズンはカーリングカップとFAカップの2冠を達成し、モウリーニョの監督就任以来3年連続でタイトルを獲得するも、リーグではマンチェスター・ユナイテッドの後塵を拝して2位に終わり、3連覇を逃した。またチャンピオンズリーグでも2年前と同様、決勝トーナメント準決勝でリヴァプールに敗れベスト4の壁を越えることは出来なかった。このシーズンの結果を受けて、高額な給料に反して期待された活躍が出来ずに終わった新加入選手と、その獲得を推したとされるクラブの経営陣に対する批判が起きた。こうした状況は2007-08シーズンも続き、シーズン序盤の9月20日に強いカリスマ性で選手やファンから支持されてきたモウリーニョが辞任すると、動揺を露にする選手の声、経営陣の責任を問うファンの声などが頻繁に聞かれた。
その後、フットボールディレクターであったアヴラム・グラントが新監督に昇格。混乱の残るチームを引き継いだグラントはチーム内で燻る不満の沈静化に着手し、コーチとして新たに招聘されたヘンク・テン・カテと共に新体制を始動させた。選手の求心力を失い、優勝を競う力は残されていないかに思われていたが、新体制の下でチームは徐々に息を吹き返し、リーグでは前年同様マンチェスター・ユナイテッドに優勝を譲ったものの、最終節までもつれる猛追を見せた。またクラブ史上初めてチャンピオンズリーグの決勝進出を果たし、ここで再びマンチェスター・ユナイテッドと対戦。雨の降るモスクワ、ルジニキ・スタジアムで行われたチャンピオンズリーグ決勝(2008年5月21日)は、同点のまま延長戦を含む120分で決着が付かずPK戦にもつれ込んだ。しかし、キャプテンのジョン・テリーが足をとられて失敗、またしてもマンチェスター・ユナイテッドの前に敗れ、悲願のチャンピオンズリーグ制覇を目前で逃すこととなった。この結果、4シーズンぶりに無冠に終わった責任を取る形でグラントは解任された。
その後、ポルトガル代表監督を退任したルイス・フェリペ・スコラーリが監督に就任し、2008年夏には彼の教え子であるデコなどを獲得した。2008-09シーズンは、開幕当初こそ期待通りのテクニカルなパフォーマンスを見せたものの、優勝を争う上位陣との直接対決で勝負弱さを露呈し、徐々に優勝争いから脱落していった。また2004年2月21日から続いたホーム連続無敗記録(86試合)が2008年10月27日のリバプール戦でストップするなど、ホームでの戦績も低迷した。こうした結果、2009年2月11日にスコラーリは解任され、後任としてロシア代表監督であったフース・ヒディンクが、シーズン終了まで暫定的にロシア代表との兼任という形で就任した。ヒディンクは短期間でチームの建て直しに成功し、プレミアリーグ3位、チャンピオンズリーグベスト4という成績を残した。また、シーズン最後の試合となったFAカップ決勝でエヴァートンを破りタイトルをもたらして2008-09シーズンの有終の美を飾った。モウリーニョの退任後2シーズンで4人の監督が入れ替わった同クラブは、長期政権を築くべく、8シーズンに渡ってACミランの指揮をとり、チャンピオンズリーグを二度制覇したカルロ・アンチェロッティを新たな指揮官として迎えた。
2009-10シーズンは、コミュニティーシールドでマンチェスター・ユナイテッドをPK戦の末に破り、4年ぶりに同タイトルを獲得した。またこの試合、PK戦での勝利は、1998年のジャンルカ・ヴィアッリ監督時代のリーグカップ準々決勝戦以来の11年ぶりの勝利となった。 チャンピオンズリーグでは、ラウンド16でモウリーニョ率いるインテル・ミラノと対戦した。結果は2戦2敗で、チェルシーはベスト16に終わった。 しかし、プレミアリーグでは、マンチェスター・ユナイテッドとの最終節までもつれた優勝争いを制し、4シーズンぶり4度目の優勝を果たした。特に当時ビッグフォーと呼ばれていたマンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、リバプールとの直接対決において、6戦全勝を達成したことが優勝の原動力となった。 このシーズンはアンチェロッティ監督の下、攻撃に磨きがかかり、シーズン通算103得点を記録。これは1999-2000シーズンのマンチェスター・ユナイテッドの97得点を抜いてプレミアリーグ記録となった。また得失点差71も07-08シーズンのマンチェスター・ユナイテッドが記録した58を上回るプレミアリーグ記録である。その後のFAカップ決勝ではディディエ・ドログバのフリーキックで先制、ポーツマスとのプレミアリーグ優勝・最下位対決を1-0で制してFAカップ2連覇を達成。クラブ初のリーグとFAカップ2冠を達成した。また、ユースチームもFAユースカップで1960年・61年の連覇以来、3度目の優勝を飾った。
2010年代[編集]
2010-11シーズン[編集]
プレミアリーグでは序盤は好調だったが主力の離脱や不調が重なり中盤以降失速。冬の移籍市場では、プレミアリーグ史上最高額となる5000万ポンドでフェルナンド・トーレスを獲得した。他にもSLベンフィカからブラジル代表DFのダヴィド・ルイスを獲得した。終盤は盛り返して首位のマンチェスター・ユナイテッドに迫ったが、最終盤の直接対決で敗れて2位に終わった。チャンピオンズリーグでもユナイテッドに準々決勝で敗れベスト8で敗退。その他のカップ戦でも敗れ、3シーズンぶりの無冠となった。この結果、監督のアンチェロッティは解任され、新監督にはFCポルトでモウリーニョ以来の三冠を達成したアンドレ・ビラス・ボアスが就任した。
2011-12シーズン[編集]
夏の移籍市場では、ラウル・メイレレスやファン・マタ、ロメル・ルカク、ティボー・クルトワ、オリオール・ロメウらを獲得。アンドレ・ビラス・ボアス新監督の下で再生を期したが、プレミアリーグではシーズン半ばから低迷。UEFAチャンピオンズリーグでも決勝トーナメント敗退の危機に陥り、WBAに敗れた翌日の2012年3月4日にアンドレ・ビラス・ボアスは解任された。後任にはアシスタントコーチのロベルト・ディ・マッテオが暫定で就任した。するとチームは調子を上げ、決勝でリバプールを破りFAカップを制覇。UEFAチャンピオンズリーグ決勝ではバイエルン・ミュンヘンと対戦。後半の37分にバイエルンのトーマス・ミュラーが先制点を挙げるも、後半43分にディディエ・ドログバがファン・マタのコーナーキックからヘディングで同点とした。ドログバはこの試合を最後に退団することが決まっており、その彼の得点時に解説を行っていたギャリー・ネビルの反応は有名である。延長戦ではドログバのリベリへのファールでバイエルンにPKが与えられるもこれをチェフが防ぎ、結局1-1のまま終了。PK戦ではチェフが5本全てのコースを読み、うち2本をセーブしたのち、5人目のキッカーであったディディエ・ドログバがネットを揺らして悲願のチャンピオンズリーグ制覇を達成した。バイエルン・ミュンヘンを彼らのホームで破っての優勝だった。ロベルト・ディ・マッテオは暫定監督にも関わらずFAカップとUEFAチャンピオンズリーグの2冠を達成した。
2012-13シーズン[編集]
暫定監督であったロベルト・ディ・マッテオが正式な監督に就任。ドログバやサロモン・カルー、エッシェンが退団する中、移籍市場ではエデン・アザールやオスカル、マルコ・マリン、セサル・アスピリクエタ、ビクター・モーゼス、アンドレアス・クリステンセンらを獲得。UEFAスーパーカップはアトレティコ・マドリードに敗れた。ディ・マッテオ監督は開幕からチームの指揮を執っていたが、11月に成績不振により途中解任。後続にラファエル・ベニテスが就任した。その後立て直しを図ろうとしたものの、UEFAチャンピオンズリーグはユベントスやシャフタール・ドネツクに競り負けグループリーグ敗退。グループ3位であったためUEFAヨーロッパリーグに回ることとなった。なお前年度王者がチャンピオンズリーグでグループリーグ敗退となるのは史上初であった。FIFAクラブワールドカップ2012にも出場したが決勝で南米王者コリンチャンスに惜敗し準優勝に終わった。冬の移籍市場ではニューカッスル・ユナイテッドからデンバ・バを獲得した。それでも、UEFAヨーロッパリーグでは決勝でSLベンフィカを破り、前年度UEFAチャンピオンズリーグ優勝に続き、UEFAヨーロッパリーグを制覇した。終了間際の決勝点による勝利だった。これによりUEFAチャンピオンズリーグとUEFAヨーロッパリーグのトロフィーを同時に保持する初めてのクラブとなった(EL決勝はCL決勝よりも早く開催されるため)。
2013-14シーズン[編集]
2013年6月3日、ジョゼ・モウリーニョの監督復帰が発表された。フルハムからマーク・シュウォーツァー、レヴァークーゼンからアンドレ・シュールレ、アンジ・マハチカラからウィリアン、フィテッセからマルコ・ファン・ヒンケル獲得。さらにはモウリーニョにとってはインテル時代の教え子であるサミュエル・エトオをも獲得した。冬の移籍市場ではファン・マタやケヴィン・デ・ブライネを放出したが、リヴァプールFCを出し抜きエジプト代表FWのモハメド・サラーをFCバーゼルから獲得し、セルビア代表MFネマニャ・マティッチをSLベンフィカから獲得した。プレミアリーグでは2014年2月4日にそれまで11戦全勝だったエティハド・スタジアムでマンチェスター・シティを、4月27日にそのマンチェスター・シティとのプレミア頂上決戦を制したリヴァプールを破るなど、上位チーム相手には勝負強さを見せたが、2014年4月20日のサンダーランドにホームで敗れるなど、中盤から終盤にかけてアストン・ヴィラやWBA、ノリッチ・シティといった下位相手に勝ち点を取りこぼし、3位に終わった。2シーズンぶりの覇権奪回を目指したチャンピオンズリーグではアトレティコ・マドリードに2戦合計1-3で敗れ、FAカップでは5回戦でシティに(ベスト16)、キャピタル・ワンカップは準々決勝でサンダーランドに敗れた。
2014-15シーズン[編集]
2014年8月、アトレティコ・マドリードからジエゴ・コスタ、フィリペ・ルイス、ティボ・クルトゥワ(レンタル期間の終了による復帰)、FCバルセロナからセスク・ファブレガスを獲得。更にガラタサライSKからディディエ・ドログバの約2年ぶりの復帰が決まったのに加え、冬にはフィオレンティーナからフアン・クアドラードを獲得した。キャピタルワンカップではダービー・カウンティ、準決勝ではリバプール、決勝はトッテナムを撃破し8年ぶり5回目の優勝を果たした。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦でパリ・サンジェルマンと対戦。パリでの1stレグを1-1で終え2ndレグもケイヒルのゴールで先制し86分まで1-0(2戦合計で2-1)と優位に立ちながら、奇しくも4950万ユーロで売却したダビド・ルイスに同点のヘディングを決められるという竹箆返しを喰らうと、延長戦でもアザールのPKで一度は勝ち越したものの、その前にPKを献上したセレソンのセンターバック・チアゴ・シウバにもコーナーキックから事実上の逆転弾を決められ2戦合計3-3、アウェーゴール差でベスト16で敗退した。しかし、2015年5月3日のプレミアリーグ第35節のクリスタル・パレス戦で1-0で勝利すると勝ち点を「83」に伸ばし、2009-10シーズン以来となる5年ぶり、5度目のプレミアリーグ制覇を果たした。200日以上も首位に立ち続けての優勝だった。
2015-16シーズン[編集]
2015年7月、長年チェルシーの守護神を務めたGKのペトル・チェフがアーセナルに移籍した為、アスミル・ベゴヴィッチを獲得した。加えてFCバルセロナからペドロ・ロドリゲスを、ASモナコからラダメル・ファルカオを獲得。UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグを首位で突破して決勝トーナメントに進出したが、プレミアリーグでは前年から10番を背負うアザールの初ゴールを開幕から29試合目まで待たなければならず、ジエゴ・コスタがウェイトオーバーになる誤算が生じ、最少失点を誇っていた守備陣も11節を終えて前年は11失点に抑えていたのが22失点を喫する等パフォーマンスを落として下位に低迷。第16節のレスター・シティ戦に敗れ降格圏まで1ポイント差まで迫られると、2015年12月17日にジョゼ・モウリーニョと契約解消(両者合意のものと発表されたが、事実上の解任)[2]。後任にはシーズン終了までの暫定監督としてフース・ヒディンクが就任した[3]。冬の移籍市場ではアレシャンドレ・パトを獲得。チャンピオンズリーグでは3シーズン連続での対戦となったパリ・サンジェルマンFCに合計スコア2-4で敗れ2年連続ベスト16に終わった。
2016-17シーズン[編集]
アントニオ・コンテが新監督に就任。フィオレンティーナからマルコス・アロンソ、オリンピック・マルセイユからミシー・バチュアイ、レスター・シティから昨シーズンの「奇跡の優勝」に貢献したエンゴロ・カンテを獲得し、さらにはパリ・サンジェルマンからダビド・ルイスを再獲得、ビクター・モーゼスがレンタルから復帰した。序盤戦はコンテが取り組んだ「3-4-3」システムがはまり、第7節ハル・シティ戦から第20節のトッテナム戦に敗れるまでクラブ記録の13連勝を達成するなど好調を維持。その後はトッテナムに追いすがられるも、第36節のWBA戦で勝利し2季ぶりの優勝を決めた。
2017-18シーズン[編集]
コンテ体制2年目。ウィルフレード・カバジェロ、ティエムエ・バカヨコ、アントニオ・リュディガー、アルバロ・モラタを獲得する一方でアスミル・ベゴヴィッチ、ネマニャ・マティッチ、ナタン・アケ、ナサニエル・チャロバーを売却。クル・ズマ、ルーベン・ロフタス=チークをレンタルで放出。その他には、移籍市場の最終日にダニー・ドリンクウォーターとダヴィデ・ザッパコスタを獲得し、アンドレアス・クリステンセンがレンタルバック。
開幕戦で、ギャリー・ケイヒルとセスク・ファブレガスが退場してバーンリーFCに敗れる波乱の幕開けとなったが、その後はモラタなど新戦力がコンスタントに活躍し、リーグ3位の成績で2017年を終える。しかし、年が明けると主力選手が軒並み調子を落とし、チームも一気に低迷。特に、1月31日のAFCボーンマス戦を0-3、2月5日のワトフォードFC戦を1-4で落とす衝撃の連敗を喫するなど1月と2月のリーグ戦計7試合で2勝しかできず、CL出場圏外の5位まで順位を落としてしまった。4月1日のトッテナム・ホットスパーFC戦を1-3で落としたことで4位との勝ち点差が10まで広がった。その後6試合を4勝2分けと追い上げを見せるも、最終節でニューカッスル・ユナイテッドに0-3で敗れて5位フィニッシュ。CL出場権を逃してしまった。
2018-19シーズン[編集]
新監督にSSCナポリの監督を退任したマウリツィオ・サッリを招聘。サッリに引き抜かれる形でナポリからジョルジーニョを獲得した。また、守護神のクルトワがレアル・マドリードに移籍することになったが、代役としてアスレティック・ビルバオからケパ・アリサバラガをGK史上最高額の7100万ポンドで獲得した。さらにレアルからはマテオ・コヴァチッチをレンタルで獲得。
チェルシーと移籍マーケット[編集]
現オーナーロマン・アブラモヴィッチの就任当初は、スター選手の大量補強で話題となったが、ジョゼ・モウリーニョの監督就任後は、彼の意向に沿った堅実路線をとり、調和を重視した成熟されたチーム作りが行われた(無論、そこにはピーター・ケニオンの力があったことは否めない)。ただ、アブラモヴィッチの豊富な財力を背景にした資金力は欧州随一で、提示する移籍額は相対的にも桁違いである。たとえ他クラブが移籍交渉を進めていても、チェルシーが介入した時点で資金力の差から獲得を断念するケースもしばしば見受けられる。そのため、移籍市場のバランスを崩しているとの批判も多いが、一方でこの資金力を目当てに、相場を超えた移籍金をチェルシーに対し要求するクラブも多いと言われている。少なくとも、慢性的な資金不足に悩むクラブにとって、チェルシーに選手を売却することは、クラブの財政には好影響を与えるものであることは間違いなく、世界全体の移籍マーケットを活性化し資金を流動化させているとの見方もある。また、近年のプレミアリーグにある移籍傾向などからリーグの資産価値そのものを高めた先駆者として一定の評価をする有識者も存在する。
2006-07シーズン開始前の移籍市場では、ACミランからウクライナ代表FWアンドリー・シェフチェンコ、バイエルン・ミュンヘンからドイツ代表MFミヒャエル・バラックを獲得するなど、レアル・マドリードに代わり移籍市場の主役となった。こうしたスター選手の獲得に加え、将来を有望視される若手選手の発掘もチェルシーの得意とする(ケニオンに加えて、スポーティング・ディレクターのフランク・アルネセンの功績も大きい)ところであり、将来を見据えてラッサナ・ディアラをル・アーブルから獲得。最近ではノルウェーのリンとマンチェスター・ユナイテッドの共同保有選手であったナイジェリア出身の若手MFジョン・オビ・ミケルを獲得(共同保有のため移籍金は半分に分割して両クラブに支払われる)し、またフェイエノールトからはFWサロモン・カルーを新たに獲得。しかし、近年では若手の育成にも力を入れるなど、将来を見据えた基盤改革を行っている。2010-11シーズンは極度の不振により一時5位まで後退。そこでフロントはリヴァプールからフェルナンド・トーレス、ベンフィカからダヴィド・ルイスを冬の移籍期間最終日に獲得するなど大型補強をした。
2011年夏の移籍期間ではフアン・マタ、ロメル・ルカク、オリオール・ロメウ、ティボ・クルトゥワを獲得し、2012年の夏の移籍期間ではオスカル、エデン・アザールを獲得するなど、世代交代を進めている。2013年夏の移籍期間ではバイエル・レバークーゼンからアンドレ・シュールレ、フィテッセからマルコ・ファン・ヒンケル、アンジ・マハチカラからウィリアン、サミュエル・エトオを獲得している。2014年の夏の移籍期間ではロメル・ルカク、ダヴィド・ルイスらを放出した資金を元手にジエゴ・コスタ、フィリペ、セスク・ファブレガスら即戦力を補強し、ティボ・クルトゥワをアトレティコからローンバックした。
ダービーマッチ[編集]
同じ西ロンドンに本拠を置くフラムやQPRとはライバル関係にあり、両クラブの試合はウェスト・ロンドン・ダービーと呼ばれ、マンチェスター・ダービー、ノース・ロンドン・ダービー、タイン・ウェア・ダービーなどと並ぶダービーマッチの一つである。また、近年上位を争っているアーセナルとの戦いはビッグ・ロンドン・ダービーと呼ばれる。
特にフラムとの縁は深く、1905年のチェルシーのクラブ創設以来続いている。前述のようにスタンフォード・ブリッジはフラムの本拠地として使用依頼を受けていたものの、金銭面で折り合いがつかず拒絶されたことにある。その結果宙に浮いたスタジアムの有効利用のためにスタジアムのオーナーは自ら「チェルシーFC」という名の新しいクラブを立ち上げた経緯がある。
エピソード[編集]
- チームマスコットはスタンフォード・ライオン。
- 古くには熱狂的で凶暴なサポーターが存在することで知られていたが、プレミアリーグ誕生以降はスタジアム整備に力を入れたこともあり、今は問題が起こることはほとんどなくなっている。
- 2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は3億340万ユーロであり、世界第7位である。プレミアリーグではマンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティに次ぐ第3位である[4]。
- イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、チェルシーFCの平均年俸は約679万ドルであり、世界で4番目に平均年俸が高いクラブである。これはアメリカのスポーツチームで最も平均年俸が高いロサンゼルス・レイカーズやニューヨーク・ヤンキースよりも高い給与水準である[5]。
- 代表的な応援ソングは「ブルー・イズ・ザ・カラー」で、1972年に作られた。当時の歴代所属選手達が歌っており、歌はホームでの試合終了後にスタジアムに流れる。FAカップの決勝戦でタイトルを手に入れた試合終了後にウェンブリー・スタジアムでも流れた。
- 2015-16シーズンより5年間の契約で日本の横浜ゴムがユニホームの胸部スポンサーとなった[8]。2016-17シーズンまではアディダスがユニフォームサプライヤーとなっていたが、2017-18シーズンよりナイキに変更される。
タイトル[編集]
国内タイトル[編集]
- プレミアリーグ:5回




- 2004-05, 2005-06, 2009-10, 2014-15, 2016-17
- FAカップ:8回







- 1969-70, 1996-97, 1999-00, 2006-07, 2008-09, 2009-10, 2011-12, 2017-18
- フットボールリーグカップ:5回




- 1964-65, 1997-98, 2004-05, 2006-07, 2014-15
- コミュニティーシールド:4回



- 1955, 2000, 2005, 2009
国際タイトル[編集]
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回
- 2011-12
- UEFAカップウィナーズカップ:2回

- 1970-71, 1997-98
- UEFAヨーロッパリーグ:1回
- 2012-13
- UEFAスーパーカップ:1回
- 1998
過去の成績[編集]
略称説明
|
| 優勝 | 準優勝 | 昇格↑ | 降格↓ |
- 1954-55シーズン以降の成績
- 1980-81シーズンまでは勝ち点2点。1981-82シーズンから勝ち点3点。
| シーズン | 所属リーグ | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 点 | 順位 | FA杯 | リーグ杯 | CS | CL | EL | CW | SC | CWC |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1954-55 | Div 1 | 42 | 20 | 12 | 10 | 81 | 57 | 52 | 1位 | ベスト16 | - | - | - | - | - | - | |
| 1955-56 | Div 1 | 42 | 14 | 11 | 17 | 64 | 77 | 39 | 16位 | ベスト16 | 優勝 | 出場辞退 | |||||
| 1956-57 | Div 1 | 42 | 13 | 13 | 16 | 73 | 73 | 39 | 13位 | 4回戦 | |||||||
| 1957-58 | Div 1 | 42 | 15 | 12 | 15 | 83 | 79 | 42 | 11位 | 4回戦 | |||||||
| 1958-59 | Div 1 | 42 | 18 | 4 | 20 | 77 | 98 | 40 | 14位 | 4回戦 | |||||||
| 1959-60 | Div 1 | 42 | 14 | 9 | 19 | 76 | 91 | 37 | 18位 | 4回戦 | |||||||
| 1960-61 | Div 1 | 42 | 15 | 7 | 20 | 98 | 100 | 37 | 12位 | 3回戦 | 4回戦 | ||||||
| 1961-62 | Div 1 | 42 | 9 | 10 | 23 | 63 | 94 | 28 | 22位↓ | 3回戦 | |||||||
| 1962-63 | Div 2 | 42 | 24 | 4 | 14 | 81 | 42 | 52 | 2位↑ | ベスト16 | |||||||
| 1963-64 | Div 1 | 42 | 20 | 10 | 12 | 72 | 56 | 50 | 5位 | 4回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1964-65 | Div 1 | 42 | 24 | 8 | 10 | 89 | 54 | 56 | 3位 | ベスト4 | 優勝 | ||||||
| 1965-66 | Div 1 | 42 | 22 | 7 | 13 | 65 | 53 | 51 | 5位 | ベスト4 | ベスト4 | ||||||
| 1966-67 | Div 1 | 42 | 15 | 14 | 13 | 67 | 62 | 44 | 9位 | 準優勝 | 3回戦 | ||||||
| 1967-68 | Div 1 | 42 | 18 | 12 | 12 | 62 | 68 | 48 | 6位 | ベスト8 | 2回戦 | ||||||
| 1968-69 | Div 1 | 42 | 20 | 10 | 12 | 73 | 53 | 50 | 5位 | ベスト8 | 3回戦 | 2回戦 | |||||
| 1969-70 | Div 1 | 42 | 21 | 13 | 8 | 70 | 50 | 55 | 3位 | 優勝 | 4回戦 | ||||||
| 1970-71 | Div 1 | 42 | 18 | 15 | 9 | 52 | 42 | 51 | 6位 | 4回戦 | 4回戦 | 準優勝 | 優勝 | ||||
| 1971-72 | Div 1 | 42 | 18 | 12 | 12 | 58 | 49 | 48 | 7位 | ベスト16 | 準優勝 | 2回戦 | |||||
| 1972-73 | Div 1 | 42 | 13 | 14 | 15 | 49 | 51 | 40 | 12位 | ベスト8 | ベスト4 | ||||||
| 1973-74 | Div 1 | 42 | 12 | 13 | 17 | 56 | 60 | 37 | 17位 | 3回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1974-75 | Div 1 | 42 | 9 | 15 | 18 | 42 | 72 | 33 | 21位↓ | 4回戦 | 3回戦 | ||||||
| 1975-76 | Div 2 | 42 | 12 | 16 | 14 | 53 | 54 | 40 | 11位 | ベスト16 | 2回戦 | ||||||
| 1976-77 | Div 2 | 42 | 21 | 13 | 8 | 73 | 53 | 55 | 2位↑ | 3回戦 | 4回戦 | ||||||
| 1977-78 | Div 1 | 42 | 11 | 14 | 17 | 46 | 69 | 36 | 16位 | ベスト16 | 2回戦 | ||||||
| 1978-79 | Div 1 | 42 | 5 | 10 | 27 | 44 | 92 | 20 | 22位↓ | 3回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1979-80 | Div 2 | 42 | 23 | 7 | 12 | 66 | 52 | 53 | 4位 | 3回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1980-81 | Div 2 | 42 | 14 | 12 | 16 | 46 | 41 | 40 | 12位 | 3回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1981-82 | Div 2 | 42 | 15 | 12 | 15 | 60 | 60 | 57 | 12位 | ベスト8 | 3回戦 | ||||||
| 1982-83 | Div 2 | 42 | 11 | 14 | 17 | 51 | 61 | 47 | 18位 | 4回戦 | 3回戦 | ||||||
| 1983-84 | Div 2 | 42 | 25 | 13 | 4 | 90 | 40 | 88 | 1位↑ | 3回戦 | 3回戦 | ||||||
| 1984-85 | Div 1 | 42 | 18 | 12 | 12 | 63 | 48 | 66 | 6位 | 4回戦 | ベスト4 | ||||||
| 1985-86 | Div 1 | 42 | 20 | 11 | 11 | 57 | 56 | 71 | 6位 | 4回戦 | ベスト8 | ||||||
| 1986-87 | Div 1 | 42 | 13 | 13 | 16 | 53 | 64 | 52 | 14位 | 4回戦 | 3回戦 | ||||||
| 1987-88 | Div 1 | 40 | 9 | 15 | 16 | 50 | 68 | 42 | 18位↓ | 4回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1988-89 | Div 2 | 46 | 29 | 12 | 5 | 96 | 50 | 99 | 1位↑ | 3回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1989-90 | Div 1 | 38 | 16 | 12 | 10 | 58 | 50 | 60 | 5位 | 4回戦 | 2回戦 | ||||||
| 1990-91 | Div 1 | 38 | 13 | 10 | 15 | 58 | 69 | 49 | 11位 | 3回戦 | ベスト4 | ||||||
| 1991-92 | Div 1 | 42 | 13 | 14 | 15 | 60 | 53 | 53 | 14位 | ベスト8 | 2回戦 | ||||||
| 1992-93 | Prem | 42 | 14 | 14 | 14 | 51 | 54 | 56 | 11位 | 3回戦 | ベスト8 | ||||||
| 1993-94 | Prem | 42 | 13 | 12 | 17 | 49 | 53 | 51 | 14位 | 準優勝 | 3回戦 | ||||||
| 1994-95 | Prem | 42 | 13 | 15 | 14 | 50 | 55 | 54 | 11位 | 4回戦 | 3回戦 | ベスト4 | |||||
| 1995-96 | Prem | 38 | 12 | 14 | 12 | 46 | 44 | 50 | 11位 | ベスト4 | 2回戦 | ||||||
| 1996-97 | Prem | 38 | 16 | 11 | 11 | 58 | 55 | 59 | 6位 | 優勝 | 3回戦 | ||||||
| 1997-98 | Prem | 38 | 20 | 3 | 15 | 71 | 43 | 63 | 4位 | 3回戦 | 優勝 | 準優勝 | 優勝 | ||||
| 1998-99 | Prem | 38 | 20 | 15 | 3 | 57 | 30 | 75 | 3位 | ベスト8 | ベスト8 | ベスト4 | 優勝 | ||||
| 1999-00 | Prem | 38 | 18 | 11 | 9 | 53 | 34 | 65 | 5位 | 優勝 | 3回戦 | ベスト8 | - | ||||
| 2000-01 | Prem | 38 | 17 | 10 | 11 | 68 | 45 | 61 | 6位 | ベスト16 | 3回戦 | 優勝 | 1回戦 | ||||
| 2001-02 | Prem | 38 | 17 | 13 | 8 | 66 | 38 | 64 | 6位 | 準優勝 | ベスト4 | 2回戦 | |||||
| 2002-03 | Prem | 38 | 19 | 10 | 9 | 68 | 38 | 67 | 4位 | ベスト8 | ベスト8 | 1回戦 | |||||
| 2003-04 | Prem | 38 | 24 | 7 | 7 | 67 | 30 | 79 | 2位 | ベスト16 | ベスト8 | ベスト4 | |||||
| 2004-05 | Prem | 38 | 29 | 8 | 1 | 72 | 15 | 95 | 1位 | ベスト16 | 優勝 | ベスト4 | |||||
| 2005-06 | Prem | 38 | 29 | 4 | 5 | 72 | 22 | 91 | 1位 | ベスト4 | 3回戦 | 優勝 | ベスト16 | ||||
| 2006-07 | Prem | 38 | 24 | 11 | 3 | 64 | 24 | 83 | 2位 | 優勝 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 | ||||
| 2007-08 | Prem | 38 | 25 | 10 | 3 | 65 | 26 | 85 | 2位 | ベスト8 | 準優勝 | 準優勝 | 準優勝 | ||||
| 2008-09 | Prem | 38 | 25 | 8 | 5 | 68 | 24 | 83 | 3位 | 優勝 | 4回戦 | ベスト4 | |||||
| 2009-10 | Prem | 38 | 27 | 5 | 6 | 103 | 32 | 86 | 1位 | 優勝 | ベスト8 | ベスト16 | |||||
| 2010-11 | Prem | 38 | 21 | 8 | 9 | 69 | 33 | 71 | 2位 | 4回戦 | 3回戦 | 優勝 | ベスト8 | ||||
| 2011-12 | Prem | 38 | 18 | 10 | 10 | 65 | 46 | 64 | 6位 | 優勝 | ベスト8 | 優勝 | |||||
| 2012-13 | Prem | 38 | 22 | 9 | 7 | 75 | 39 | 75 | 3位 | ベスト4 | ベスト4 | 準優勝 | GS敗退 | 優勝 | 準優勝 | 準優勝 | |
| 2013-14 | Prem | 38 | 25 | 7 | 6 | 71 | 27 | 82 | 3位 | ベスト16 | ベスト8 | ベスト4 | |||||
| 2014-15 | Prem | 38 | 26 | 9 | 3 | 73 | 32 | 87 | 1位 | 4回戦 | 優勝 | ベスト16 | |||||
| 2015-16 | Prem | 38 | 12 | 14 | 12 | 59 | 53 | 50 | 10位 | ベスト8 | ベスト16 | 準優勝 | ベスト16 | ||||
| 2016-17 | Prem | 38 | 30 | 3 | 5 | 85 | 33 | 93 | 1位 | 準優勝 | 4回戦 | ||||||
| 2017-18 | Prem | 38 | 21 | 7 | 10 | 62 | 38 | 70 | 5位 | 優勝 | ベスト4 | 準優勝 | ベスト16 | ||||
| 2018-19 | Prem | 38 | 位 |
現所属メンバー[編集]
- 2018-19シーズン 基本フォーメーション
|
|
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
※かつてジャンフランコ・ゾラの付けていた25番は、公式な永久欠番とされてはいないものの、彼の退団後に付けた選手は存在しない。
ローン移籍[編集]
- in
|
- out
歴代所属選手[編集]
歴代監督[編集]
| 氏名 | 国籍 | 在籍年 |
|---|---|---|
| ジョン・ロバートソン(選手兼監督) | 1905年8月1日 - 1906年11月27日 | |
| ウィリアム・ルイス(暫定監督) | 1906年11月27日 - 1907年8月1日 | |
| デイヴィッド・コルダーヘッド | 1907年8月1日 - 1933年5月8日 | |
| レスリー・ナイトン | 1933年5月8日 - 1939年4月19日 | |
| ビリー・ビレル | 1939年4月19日 - 1952年5月31日 | |
| テッド・ドレイク | 1952年6月1日 - 1961年9月30日 | |
| トミー・ドハーティ | 1961年10月1日 - 1967年10月6日 | |
| ロン・スアート(暫定監督) | 1967年10月6日 - 1967年10月23日 | |
| デーブ・セクストン | 1967年10月23日 - 1974年10月3日 | |
| ロン・スアート | 1974年10月3日 - 1975年4月16日 | |
| エディー・マクリーディー | 1975年4月16日 - 1977年7月1日 | |
| ケン・シェリトー | 1977年7月7日 - 1978年12月13日 | |
| ダニー・ブランチフラワー | 1978年12月14日 - 1979年9月11日 | |
| ジェフ・ハースト | 1979年9月13日 - 1981年4月23日 | |
| ボビー・グールド | 1981年4月23日 - 1981年5月 | |
| ジョン・ニール | 1981年5月28日 - 1985年6月11日 | |
| ジョン・ホリンズ | 1985年6月11日 - 1988年3月6日 | |
| ボビー・キャンベル | 1988年3月6日 - 1991年5月12日 | |
| イアン・ポーターフィールド | 1991年6月11日 - 1993年2月15日 | |
| デビッド・ウェブ(暫定監督) | 1993年2月15日 - 1993年5月11日 | |
| グレン・ホドル(選手兼監督) | 1993年6月4日 - 1996年5月10日 | |
| ルート・フリット(選手兼監督) | 1996年5月10日 - 1998年2月12日 | |
| ジャンルカ・ヴィアリ(選手兼監督) | 1998年2月12日 - 2000年9月12日 | |
| グラハム・リックス(暫定監督) | 2000年9月13日 - 2000年9月17日 | |
| クラウディオ・ラニエリ | 2000年9月17日 - 2004年5月31日 | |
| ジョゼ・モウリーニョ | 2004年6月2日 - 2007年9月19日 | |
| アヴラム・グラント | 2007年9月20日 - 2008年5月24日 | |
| ルイス・フェリペ・スコラーリ | 2008年7月1日 - 2009年2月9日 | |
| レイ・ウィルキンス(暫定監督) | 2009年2月9日 - 2009年2月15日 | |
| フース・ヒディンク(暫定監督) | 2009年2月16日 - 2009年5月30日 | |
| カルロ・アンチェロッティ | 2009年7月1日 - 2011年5月22日 | |
| アンドレ・ビラス・ボアス | 2011年6月22日 - 2012年3月4日 | |
| ロベルト・ディ・マッテオ | 2012年3月4日 - 2012年11月21日 | |
| ラファエル・ベニテス(暫定監督) | 2012年11月21日 - 2013年5月27日 | |
| ジョゼ・モウリーニョ | 2013年6月3日 - 2015年12月17日 | |
| スティーブ・ホランド(暫定監督) | 2015年12月17日 - 2015年12月19日 | |
| フース・ヒディンク(暫定監督) | 2015年12月19日 - 2016年5月16日 | |
| アントニオ・コンテ | 2016年7月3日 - 2018年7月13日 |
提携クラブ[編集]
傘下クラブ
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ “General Club Information”. チェルシーFC オフィシャル ウェブサイト. 2015年8月13日閲覧。
- ^ “クラブ声明”. Chelsea FC. (2015年12月17日) 2015年12月17日閲覧。
- ^ “ヒディンク就任”. Chelsea FC. (2015年12月19日) 2015年12月19日閲覧。
- ^ Deloitte Football Money League 2014 Archived 2014年9月7日, at the Wayback Machine.(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
- ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
- ^ ESPNF1 ザウバー、チェルシーとのパートナーシップを発表。
- ^ [1]
- ^ 横浜ゴム、イングランドプレミアリーグ「チェルシーFC」と スポンサー契約を締結 - 横浜ゴム公式サイト、2015年2月27日
- ^ チェルシーのレンタル移籍も悪くない 今夏復帰のDFは「すぐ見捨てるとか言うけど……」 - theWORLD、2017年7月27日
- ^ チェルシー、今季は38人レンタル放出。選手から「意味なし」と疑問の声も - フットボールチャンネル、2016年9月7日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 公式
- 公式サイト (英語)
- 公式サイト (日本語)
- Chelsea Football Club - Facebook
- Chelsea FC (@chelseafc) - Twitter
- The Official Chelsea FC YouTube Channel - 公式YouTubeチャンネル
- チェルシーFC - Flickr
- Premier League.com - Chelsea (英語)
- UEFA.com - Chelsea (日本語)
- ニュース
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