リオ・ファーディナンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
リオ・ファーディナンド Football pictogram.svg
Rio Ferdinand by Walterlan Papetti.jpg
2015年のファーディナンド
名前
本名 リオ・ギャヴィン・ファーディナンド
Rio Gavin Ferdinand
愛称 リオ
ラテン文字 Rio FERDINAND
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 1978年11月7日(37歳)
出身地 Flag of the City of London.svg ロンドン
サザーク区デンマークヒル
身長 195cm[1]
体重 87kg[2]
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション センターバック
利き足 右足
ユース
1992-1996 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2000 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド 127 (2)
1996-1997 イングランドの旗 ボーンマス (loan) 10 (0)
2000-2002 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド 54 (2)
2002-2014 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 312 (7)
2014-2015 イングランドの旗 クイーンズ・パーク・レンジャーズ 11 (0)
代表歴2
1996-1997  イングランド U-18 7 (0)
1997-2000  イングランド U-21 5 (0)
1997-2013 イングランドの旗 イングランド 81 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年7月18日現在。
2. 2014年7月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リオ・ギャヴィン・ファーディナンド(Rio Gavin Ferdinand, 1978年11月7日 - )は、イングランドロンドン出身の元サッカー選手。元イングランド代表。現役時代のポジションはディフェンダー

生い立ち[編集]

トニー・カーのテスティモニアル・マッチに出場したファーディナンド(左は実弟のアントン

ロンドンの南東部に位置するペッカムという街でテーラーの父と保育士の母の間に生まれる。大家族であり、ファーディナンドの両親は共働きで家族を支えていた。両親は結婚しておらず、ファーディナンドが14歳の時に別れてしまった。しかし、父は母と別れた後も近くに住んでおり、子供たちを連れて公園でサッカートレーニングをしてくれたという。幼稚園では騒がしい子供で、当時はディエゴ・マラドーナマイク・タイソンがヒーローであった[3]。ファーディナンド自身は両親にまっすぐ教育された幸せな子供であったけれども、出生地のペッカムはロンドンでも特に荒んだ、貧しい人々が住む地域として知られ、贅沢をせずに生きる事を学んだという[4]。また暴力事件が頻繁に起きる地域であり、両親に近所のその様な人間とは絶対に関わってはいけないと教えられたという[5]。小学校では算数が得意で、 演劇も大好きであった。学校劇の「ダウンタウン物語」に出演している。

クラブ経歴[編集]

2008–09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにてキャプテンを務めた

1995年に17歳でウェストハム・ユナイテッド とプロ契約を結んだ。プレミアリーグ1995-96シーズン、5月5日のシェフィールド・ウェンズデイ戦で控えとして試合に初登録を果たし、1996-97シーズンの1月に初先発で出場すると以後レギュラーを獲得。期待の新鋭として注目を集めた。

2000年11月25日にリーズ・ユナイテッドに移籍金1,800万ポンド、当時の日本円にして約28億4,400万円で移籍した。

リーズでは大黒柱として大活躍していたが多大な負債を抱えていたリーズは主力を放出しなければならなくなり、日韓W杯期間中の7月22日に以前から取り沙汰されていたマンチェスター・ユナイテッドFCへの移籍が決まる。同年の5月頃に移籍金は2,910万ポンド、当時の日本円にして約55億円と報道されたが、最終的には7月12日に3,000万ポンド、64億2,500万円と積み上がり合意に至った。[6]

2004年、ドーピング検査に出頭しなかった件で8ヶ月の重い出場停止処分を受けた。出場停止期間が明けてチームに復帰すると、再び不動のディフェンスリーダーとして活躍する。2007-08シーズンの二冠を含む数々のタイトル制覇に大きく貢献している。

背中、腰、ふぐらはぎと相次ぐ怪我に悩まされている時期があった。怪我が響き、2009-10シーズンの前半戦は公式戦6試合の出場に留まり本来のパフォーマンスが取り戻せずにいた。 そのため、タブロイド紙等を中心に「クラブ側は放出要員として考えており、本人も移籍を検討。獲得を目指しているのはレアル・マドリードらしい」等の根拠のない報道や噂がたびたび流された。しかしファーディナンドは、マンUのオフィシャルマガジン『インサイド・ユナイテッド』の独占インタビューで、「このチームで現役を終えたい。マンチェスター・ユナイテッドでキャリアを終えることはオレの夢だ。クラブの黄金期を築いた選手として、ファンの記憶に残りたい」と断言している。[7]

2014年5月13日に2013-14シーズン限りでのマンチェスター・ユナイテッド退団を発表。7月17日にクイーンズ・パーク・レンジャーズFCに加入した[8]。しかしチームは降格し、リオ本人も契約を延長することなく2014-15シーズンでの退団が決定。

2015年5月30日、現役引退を発表した[9]

代表経歴[編集]

イングランド代表でのファーディナンド(2009年)

プロ契約時にU-17イングランド代表にも選出される。1997年11月15日にはA代表デビューも果たす。2002年には日韓W杯に出場。

2010年2月に代表主将であるジョン・テリーの不祥事(不倫疑惑)が発覚したため、テリーに代わって副将から主将に昇格。同年5月には2010 FIFAワールドカップイングランド代表に選出され主将に任命されたものの、大会直前の6月4日の練習で左膝の靭帯を損傷し離脱した[10]

2013年5月15日に代表引退を表明した[11]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

2015年5月30日現在'[12]

クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ UEFA その他[nb 1] 合計
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
ウェストハム・ユナイテッド 1995-96 1 0 0 0 0 0 1 0
1996-97 15 2 1 0 1 0 17 2
ボーンマス 1996-97 10 0 0 0 0 0 1 0 11 0
ウェストハム・ユナイテッド 1997-98 35 0 6 0 5 0 46 0
1998-99 31 0 1 0 1 0 33 0
1999-2000 33 0 1 0 4 0 3 0 6 0 46 0
2000-01 12 0 0 0 2 0 14 0
合計 127 2 9 0 13 0 3 0 6 0 158 2
リーズ・ユナイテッド 2000-01 23 2 2 0 0 0 7 1 32 3
2001-02 31 0 1 0 2 0 7 0 41 0
合計 54 2 3 0 2 0 14 1 0 0 73 3
マンチェスター・ユナイテッド 2002-03 28 0 3 0 4 0 11 0 46 0
2003-04 20 0 0 0 0 0 6 0 1 0 27 0
2004-05 31 0 5 0 1 0 5 0 0 0 42 0
2005-06 37 3 2 0 5 0 8 0 52 3
2006-07 33 1 7 0 0 0 9 0 49 1
2007-08 35 2 4 0 0 0 11 1 1 0 51 3
2008-09 24 0 3 0 1 0 11 0 4 0 43 0
2009-10 13 0 0 0 1 0 6 0 1 0 21 0
2010-11 19 0 2 0 1 0 7 0 0 0 29 0
2011-12 30 0 1 0 0 0 6 0 1 0 38 0
2012-13 28 1 2 0 0 0 4 0 34 1
2013-14 14 0 1 0 1 0 7 0 0 0 23 0
合計 312 7 30 0 14 0 91 1 8 0 455 8
クイーンズ・パーク・レンジャーズ 2014-15 11 0 1 0 0 0 0 0 12 0
キャリア合計 514 11 43 0 29 0 108 2 15 0 710 13

代表[編集]

イングランド代表
出場
1997 1 0
1998 4 0
1999 3 0
2000 2 0
2001 9 0
2002 9 1
2003 5 0
2004 3 0
2005 8 0
2006 12 0
2007 8 1
2008 8 1
2009 4 0
2010 4 0
2011 1 0
Total 81 3

2013年3月16日現在[13]

  1. ^ フットボールリーグトロフィーFAコミュニティ・シールドUEFAスーパーカップUEFAインタートトカップFIFAクラブワールドカップ

エピソード[編集]

2004年
  • 母はイングランドとアイルランドの血を引く白人で、父方からセントルシアの血を引く[14][15]
  • 現在レディングFCに所属しているDFアントン・ファーディナンドは実弟、元イングランド代表FWレス・ファーディナンドは従兄弟である。
  • マンチェスター・ユナイテッドではムードメーカーであるとされる[要出典]
  • ウエストハム時代のチームメイトであるフランク・ランパードとは親友。
  • 子役俳優として舞台に出演したという経験があり、現在でも演技に強い興味を持つ(英国・ITVの特集より)。
  • マラドーナの熱心な信奉者である。
  • ピーター・クラウチなどイングランド人選手に対してドッキリ企画を仕掛けていることでも有名[16]
  • 本人は少年時代アンチ・マンユナイテッドで、マンUなんて大嫌いだと公言していた。だがリーズ・ユナイテッドからマンチェスター・ユナイテッドに移籍して以降、あの発言は間違いだったと改めている。ちなみに嫌いだった理由は強すぎたからとしている。逆に発言を否定した理由はマンUの素晴らしさを知らなさすぎたから、と釈明した。移籍後初の古巣との対戦では「リオって誰だ?」というフラッグがリーズ・ユナイテッドファンから掲げられ、試合後の握手ではハリー・キューウェルがファーディナンドとの握手を拒否した。
  • 2001年に来日した際、直前に起きた大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件の事を耳にし、京都観光の予定を変更して一緒に来日したアラン・スミス(リーズ、マンUでのチームメイト)、自身の母と共に現場である同校を訪れ、校門前に献花をした。この話は、Numberに掲載され多くの人の知るところとなった。2002年W杯で来日した際と2008年12月FIFAクラブワールドカップ出場のために来日した際にも同校に哀悼の意をささげ花束を贈っている。花束には「悲しく痛ましい事件を思い起こし、哀悼の意をささげ、献花したい。この花を飾ってください」というファーディナンドのメッセージが添えられていた。
  • イングランドの移籍市場の最終日である2014年10月29日、ファーディナンドはTwitterで他のユーザーから「QPRは良いセンターバックが欲しいんじゃないかな」と、からかいのメッセージを受けて、このユーザーに「お前の母ちゃんはあばずれだ」と返した。イングランドサッカー協会は、このファーディナンドの発言を問題視し、3試合の出場停止処分と罰金2万5000ポンド(約435万)を科した[17]
  • 妻との間に3児を設けていたが2015年5月1日、妻が乳癌のため34歳の若さで死去した[18][19]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Rio Ferdinand”. UEFA.com. 2011年6月8日閲覧。
  2. ^ Rio Ferdinand”. Goal.com. 2011年6月8日閲覧。
  3. ^ Jones, Chris (2002年6月21日). “Rio Ferdinand: The silver lining”. BBC Sport. http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_depth/uk/2000/newsmakers/2057425.stm 2008年11月6日閲覧。 
  4. ^ The Best Possible Life Chances”. Southwark Council. 2008年11月6日閲覧。
  5. ^ Llewellyn Smith, Caspar (2008年6月1日). “A united front”. London: The Observer. http://www.guardian.co.uk/football/2008/jun/01/manchesterunited 2008年11月6日閲覧。 
  6. ^ 金子義仁『2005~2006ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版社〈フットワーク出版株式会社〉、2004年、271-273頁を参考。
  7. ^ マンチェスター・ユナイテッド公式ホームページ 独占インタビュー インタビュー:リオ(前編)
  8. ^ ファーディナンドのQPR加入が正式決定 Goal 2013年7月18日
  9. ^ http://sport.bt.com/sport-football/football/rio-ferdinand-announces-retirement-from-football-S11363983663561
  10. ^ FAがファーディナンドの離脱を発表 Goal.com 2010年6月5日
  11. ^ ファーディナンドがイングランド代表を引退 Goal.com 2013年5月15日
  12. ^ Rio Ferdinand”. StretfordEnd.co.uk. 2010年10月24日閲覧。
  13. ^ リオ・ファーディナンド - National-Football-Teams.com
  14. ^ Jackson, Jamie (2007年8月12日). “His name is Rio”. The Observer. 2008年11月5日閲覧。
  15. ^ Parker, Helen (2008年3月29日). “Caribbean property: Rio Ferdinand is ahead of the game”. The Daily Telegraph. 2008年11月5日閲覧。
  16. ^ Rio's_World_Cup_Wind-Ups
  17. ^ “ファーディナンド、不適切ツイートで処分科される”. AFPBB News. (2014年10月30日). http://www.afpbb.com/articles/-/3030378 2014年10月30日閲覧。 
  18. ^ “Rio Ferdinand's wife dies after cancer battle”. The Telegraph. (2015年5月2日). http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/queens-park-rangers/11578877/Rio-Ferdinands-wife-dies-after-cancer-battle.html 2015年5月2日閲覧。 
  19. ^ “元イングランド代表DFファーディナンドの妻が乳がんで死去”. サッカーキング. (2015年5月2日). http://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20150502/308711.html 2015年5月3日閲覧。 

外部リンク[編集]