サッカーセルビア・モンテネグロ代表

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サッカーセルビア・モンテネグロ代表
国または地域 セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ
協会 セルビア・モンテネグロサッカー協会
愛称 Плави(Plavi、プラーヴィ、青の意)
最多出場選手 サヴォ・ミロシェビッチ(101試合)
最多得点選手 サヴォ・ミロシェビッチ(35得点)
初の国際試合 1994年12月23日ブラジル
0-2
最大差勝利試合 1996年10月6日フェロー諸島
8-1
最大差敗戦試合 2006年6月16日アルゼンチン
0-6
FIFAワールドカップ
出場回数 2回(初出場は1998
最高成績 ベスト16(1998
UEFA欧州選手権
出場回数 1回
最高成績 ベスト8(2000)

サッカーセルビア・モンテネグロ代表Фудбалска репрезентација Србије и Црне Горе/Fudbalska Reprezentacija Srbije i Crne Gore)はセルビア・モンテネグロサッカー協会により編成されたサッカーのナショナルチームである。1992年に「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」が崩壊。スロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナマケドニア共和国がユーゴスラビアから独立した。以降ユーゴスラビア連邦のうちセルビアモンテネグロからなる「ユーゴスラビア連邦共和国」が存続したが、2003年に穏やかな連邦制に移行したことにより「セルビア・モンテネグロ」に国名を変更した。

現在は、セルビア・モンテネグロ代表はサッカーセルビア代表サッカーモンテネグロ代表に分裂している。

以上の点を踏まえ、1992年から2003年まで「ユーゴスラビア代表」として存続したセルビア・モンテネグロ代表と同じ枠組みで選出されるサッカーナショナルチームについても本項目で扱う。1992年以前のユーゴスラビア代表についてはサッカーユーゴスラビア代表を参照のこと。

概要[編集]

基本的なデータ[編集]

最初の試合は1994年12月23日ブラジルポルト・アレグレで行われたブラジルとの試合でブラジルに対して0-2で敗北した。この試合は1992年の6月に発動された国際サッカー連盟(FIFA)、欧州サッカー連盟(UEFA)によるユーゴスラビアの国際試合からの締め出しが2年6ヶ月ぶりに解除された瞬間であった。

最大失点差による敗北は2006年6月16日ドイツゲルゼンキルヒェンで行われた2006 FIFAワールドカップのグループリーグ、対アルゼンチン戦で0-6で敗北した。

これにより次のコートジボワール戦が「セルビア・モンテネグロ代表」にとって最後の国際試合になることが決定した。コートジボワール戦は、2006年6月21日ミュンヘンで行われ、コートジボワールに対して2-3で敗北した。

セルビア・モンテネグロ代表を後継するナショナルチーム[編集]

セルビア・モンテネグロ代表は以下の2つのナショナルチームに分裂した。

この内、セルビア代表がセルビア・モンテネグロ代表の経歴と記録を引き継いだ。このため「セルビア・モンテネグロ代表」でエントリを済ませていたユーロ2008予選にはセルビアがエントリした。一方モンテネグロはモンテネグロの独立が、2006年のワールドカップドイツ大会直前であった為、ユーロ予選にエントリする事が出来なかった。モンテネグロ協会とモンテネグロ代表は2006年9月にUEFAに対する仮加入が認められた。2007年1月にはUEFAへの正式な加入が承認され、更に5月にはFIFAへの加入も承認された。

さらにモンテネグロの独立以前の1999年からセルビア共和国の自治州であるコソボは、セルビア共和国、及びセルビア・モンテネグロの行政権から完全に独立していたが、このコソボにもナショナルチームが存在する。

但し、コソボ代表に関しては、コソボ地位問題が確定していないため国際サッカー連盟(FIFA)、欧州サッカー連盟(UEFA)の承認を得られない状況にある。

歴史[編集]

1992年6月からセルビアとモンテネグロからなるユーゴスラビア代表は国際連合の決議に従った国際サッカー連盟欧州サッカー連盟から国際試合からの締め出しを受け、一切の国際試合の機会を喪失した。ユーゴスラビア代表が国際試合の場に復帰するのは、1994年も押し迫った12月23日のブラジル戦からである。

その後もユーゴスラビア国内ではユーゴスラビア崩壊の混乱の影響が長く続いたが、旧ユーゴ時代からのエースで当時日本でプレーしていたドラガン・ストイコビッチらを中心に1998年のワールドカップフランス大会の欧州予選を突破。ドイツアメリカイランと同一のグループを無敗の2位で通過。トーナメント初戦でオランダに敗れたものの、国際試合の舞台でユーゴスラビアの存在感を見せ付けた。

続いて、1999年のユーゴ空爆の中から、ユーロ2000の予選を戦う。予選ではクロアチアとも戦ったが、これを突破し本戦へ進出。スペインノルウェースロベニアの組を2位で突破。トーナメントで再びオランダに敗退するもベスト8に入った。

最後のワールドカップに望むセルビア・モンテネグロサポータ。(ライプツィヒにて)ただし彼らが手にしているのはセルビアの旗である。セルビアとモンテネグロ分裂を前提とした象徴的な光景となった。

2002年ワールドカップ、2004年の欧州選手権の出場は逃したが、2006年ワールドカップの欧州予選はスペイン、ボスニア・ヘルツェゴビナベルギー等と同組のグループを1位で通過2大会ぶりの本大会出場を決めた。欧州予選では10試合での総失点を1に押さえ、守備力の高さが際立っていた。

2006年のワールドカップドイツ大会直前の、5月21日にモンテネグロの独立の可否を問う国民投票が成立し、欧州連合が設定した独立を認める基準を達成した。さらにワールドカップ開幕まで1週間をきった6月3日にはモンテネグロが独立を宣言した。この独立をセルビアが平和的に承認、EUも国際承認を行ったためモンテネグロの独立が確定した。但しドイツ大会には既に「セルビア・モンテネグロ代表」でエントリしてしまっていたため、既に存在しない国家「「セルビア・モンテネグロ代表」として出場する事になった。又、前回出場した98年大会では「ユーゴスラビア代表」でエントリしたため「セルビア・モンテネグロ代表」と言う名前で本大会に出場するのは、2006年のドイツ大会が最初で最後の大会となった。

本大会のグループリーグでは初戦で、ユーゴスラビア代表が最後のインターナショナルマッチを行ったオランダ、続いて90年ワールドカップでPKの末敗れた相手アルゼンチンと対戦する事になった。本大会では欧州予選を戦ったディフェンスラインを組めなかったことも影響したとはいえ、鉄壁なハズの守備陣が大崩壊。初戦のオランダ戦はロッベン一人に振り回される格好となり、0-1で敗北。(決勝点はロッベンに決められた。)次いで2戦目となるアルゼンチン戦では0-6と内容でも終始圧倒される形で大差で敗れ去った。最終戦のコートジボワール戦はセルビア・モンテネグロとして最後の試合になったが、前半20分までに2-0とリードしたもの、その後3点奪われ逆転負け。セルビア・モンテネグロと言う名前での最初で最後の大会は3戦全敗でグループリーグ敗退と言う結果に終わった。

ワールドカップの成績[編集]

欧州選手権の成績[編集]

歴代監督[編集]

ユーゴスラビア

セルビア・モンテネグロ

選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]