アンドレス・イニエスタ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() スペイン代表でのイニエスタ(2017年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
アンドレス・イニエスタ・ルハン Andrés Iniesta Luján | |||||
愛称 |
El genio(天才) El Ilusionista(魔法使い) | |||||
カタカナ | アンドレス イニエスタ | |||||
ラテン文字 | Andrés INIESTA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1984年5月11日(38歳) | |||||
出身地 | フエンテアルビージャ | |||||
身長 | 171cm[1] | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
![]() | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 8 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 |
![]() | |||||
1996-2002 |
![]() | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-2002 |
![]() | 54 | (13) | |||
2002-2018 |
![]() | 442 | (35) | |||
2018- |
![]() | 110 | (21) | |||
代表歴2 | ||||||
2000 |
![]() | 2 | (0) | |||
2000-2001 |
![]() | 7 | (1) | |||
2001 |
![]() | 4 | (0) | |||
2001-2002 |
![]() | 7 | (1) | |||
2003 |
![]() | 7 | (3) | |||
2003-2006 |
![]() | 18 | (6) | |||
2006-2018 |
![]() | 131 | (13) | |||
2004-2005 |
![]() | 2 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年12月5日現在。 2. 2018年7月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンドレス・イニエスタ・ルハン(スペイン語: Andrés Iniesta Luján、スペイン語発音: [anˈdɾes iˈnjesta luˈxan]、1984年5月11日 - )は、スペイン・カスティーリャ・ラ・マンチャ州アルバセーテ県フエンテアルビージャ出身のサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。元スペイン代表。ポジションはミッドフィールダー。
リオネル・メッシ、シャビ・エルナンデスらと並んでFCバルセロナの育成アカデミーであるラ・マシアの最高傑作と賞され、2010年代においては世界最高のセントラルミッドフィールダーの一人として広く考えられていた[2][3][4]。
バルセロナでは2002年から2018年までプレーし、2015-16シーズンからは3シーズンにわたってキャプテンを務めた。9度のラ・リーガ優勝と4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を含む35のタイトルを獲得。これはスペイン人選手の最多記録である。
2018年からはJリーグのヴィッセル神戸に移籍し、2019年にはクラブ史上初の天皇杯優勝に貢献した。2019年からは同クラブのキャプテンを務めている。
スペイン代表ではU-16、U-19、U-21チームでプレーし、2006年にフル代表デビューを果たした。スペインが優勝したUEFA EURO 2008では全試合に出場。2010 FIFAワールドカップでもスペインの主要メンバーであり、オランダとの決勝戦では決勝ゴールを挙げスペインの初優勝に貢献した。UEFA EURO 2012でもイタリアとの決勝戦でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなどスペインの連覇に貢献し、大会MVPにも選出された。
2009年のバロンドール投票では4位、2010年では2位、2011年では4位に選ばれた[5][6][7][8]。2020年に選出されたサッカー歴代ベストイレブンであるバロンドール・ドリームチームでは攻撃的ミットフィルダーの枠でジーコやロベルト・バッジョらを抑え6位にランクインした[9]。(同ポジジョンからはペレとマラドーナが選出)
クラブ経歴[編集]
デビュー前[編集]
アルバセテ・バロンピエ[編集]
8歳のときに地元アルバセテ・バロンピエの下部組織に入団した。12歳の時に出場した全国大会では惚れ惚れする程のドリブル能力と視野の広さを見せ[10]、様々なクラブから注目を集めた。レアル・マドリードの下部組織に入団する予定だったが、両親の意向で取りやめられ、両親とFCバルセロナの下部組織寮(ラ・マシア)を見学して好印象を持ったことからFCバルセロナに入団した[11]。
FCバルセロナ[編集]
MFセスク・ファブレガス同様、入団当初は守備的ミッドフィールダーだったが[12]、ボディバランス、精密なコントロール、ボールキープの技術などが評価されて攻撃的ミッドフィールダーに転向した。シャイな性格であり、ラ・マシアではしばしばホームシックにかかった[13]。
U-15チームではキャプテンを務め、1999年のナイキ・プレミア・カップ決勝ではロスタイムに決勝点を挙げて優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。イニエスタにトロフィーを手渡したのは、当時トップチームでキャプテンを務めていたMFジョゼップ・グアルディオラであり、グアルディオラは「今まで見た中で最高の選手」と記した写真をイニエスタに贈った[14]。グアルディオラはクラブの若手有望株だったMFシャビ・エルナンデスに「じきにお前は俺を引退に追い込むだろうが、あの坊や(イニエスタ)が俺たちふたりを引退に追い込むかもしれないぞ」と語りかけたのはこの大会時であったと伝えられている[15][16]。
FCバルセロナ[編集]
2002-03シーズン・デビュー[編集]
2002年10月、監督のルイス・ファン・ハールによってトップチームに招集され、10月29日のUEFAチャンピオンズリーグ、クラブ・ブルッヘ戦でデビューした。そのままトップチームに定着すると、デビュー直後から良質なプレーを見せ、スペインメディアからはMFフアン・ロマン・リケルメに取って代わる存在だと報じられた[17]。トップチーム昇格後に家族のために地元に建てた家は青とえんじ色に塗られ、観光名所になっている[11]。
フランク・ライカールト監督時代(2003年〜2008年)[編集]
2003-04シーズンは主にFWロナウジーニョの控えとしてリーグ戦11試合に出場し、4月10日のバジャドリード戦でラ・リーガ初ゴールを決めた[18]。2004-05シーズンはリーグ戦38試合中37試合に出場したが、その大半は途中出場だった。2005-06シーズン前半戦は途中出場が中心だったが、2005年12月上旬にシャビが靭帯を痛めて長期離脱したため、イニエスタがその代役を任され、先発出場回数が増加したことでより高いレベルの選手へ成長した。監督、フランク・ライカールトの下でラ・リーガとUEFAチャンピオンズリーグの2冠達成に貢献した。
2006年8月22日のジョアン・ガンペール杯、バイエルン・ミュンヘン戦ではゲームキャプテンを任され、勝利してトロフィーを掲げた。UEFAチャンピオンズリーグ、レフスキ・ソフィア戦では今まで経験したことがなかった左ウイングのポジションで出場して2ゴールを決めた。決勝トーナメント1回戦のリヴァプール戦は普段通りセンターハーフとして出場したが、その後もしばしば3トップの一角としてプレーした。リーグ戦では自己最多タイの37試合に出場(28試合に先発出場)し、6得点3アシストを決めた。
2007年7月にはライバルのレアル・マドリードが移籍金として6000万ユーロの予算で彼の獲得を狙っていると噂されたが、「引退するまでFCバルセロナでプレーしたい」と述べて噂を一蹴した。同年夏にはASローマに移籍したFWリュドヴィク・ジュリが着けていた背番号8番を譲り受けた。2008年のFIFA最優秀選手賞の投票では37ポイントを獲得し、9位にランクインした[19]。FCバルセロナの選手はFWリオネル・メッシ、FWサミュエル・エトー、シャビの3人も10位以内に入った。
ドン・バロン紙の選手採点では2006-07シーズンがリーグ5位[20]、2007-08シーズンがリーグ4位[21] であり、この2シーズンを通じて最も安定した活躍を見せた選手であるとされた。
ジョセップ・グアルディオラ監督時代(2008年〜2012年)[編集]
2008年9月24日、ロナウジーニョがACミランに移籍したことにより、DFカルレス・プジョル(第1キャプテン)、シャビ(第2キャプテン)、GKビクトル・バルデス(第3キャプテン)と一緒に新しいキャプテンの一人(第4キャプテン)に選ばれた。11月中旬に足を負傷し、完全に状態が回復するまで試合出場を控えたが、2009年1月3日のマヨルカ戦の後半途中に復帰し、その10分後にはカンプ・ノウの観客の前で重要な得点を決めて見せた[22]。2009年2月5日、コパ・デル・レイのマヨルカ戦に出場し、公式戦を通じて250試合出場を達成した[23]。ホームでのマラガ戦で再び負傷したが、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝、バイエルン・ミュンヘン戦1stレグで復帰し、4-0で快勝した。2009年5月6日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝、チェルシー戦2ndレグでは、後半ロスタイム3分過ぎにメッシからパスを受け、ペナルティエリア外からアウェーゴール差での勝ち抜けを決める重要な得点を叩き込んだ[24]。バルセロナの枠内シュートはこの1本だけであった。決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦ではエトオの先制点をアシストして優勝に貢献したが、試合前に腿を痛めていたにも関わらず無理を押して決勝に出場したことで怪我を悪化させた。この試合後には、ウェイン・ルーニーが「世界のベストプレーヤーはイニエスタ」と表現した[25]。2008-09シーズンのプレーは高く評価され、カンプ・ノウのみならずアウェーゲームでスタンディング・オベーションを受けることもあった[26] ほか、ドン・バロン紙の年間最優秀選手にも選ばれた。
2009年8月8日に親友であるダニエル・ハルケが急逝し、泣き崩れるほど悲しんだ[27][28]。負傷の影響でプレシーズンのフィットネス・トレーニングには参加できず[29]、頻発する怪我のためにシーズン前半戦は途中出場がほとんどだった[30]。11月27日、クラブとの契約を1年延長して2015年までとし、契約解除金は1億5000万ユーロから2億ユーロに引き上げられた[31]。FIFAクラブワールドカップ2009にも出場し準決勝のアトランテFC戦では相手DF2人の間を通す絶妙なスルーパスでペドロのゴールをアシストした。2009年のFIFA年間最優秀選手賞では134ポイントを獲得して5位に選ばれ、FIFAベストイレブンに選ばれた[32]。同年のバロンドール投票では4位に選ばれた[33]。チームは勝ち点99を獲得してリーグ優勝を果たしたが、練習中に怪我を再発させ、チームより一足早くシーズンを終えた[34]。
2010-11シーズン開幕戦のエスタディオ・エル・サルディネーロでのラシン・サンタンデール戦で30mの距離からロングシュートを決めた[35]。ラシン・サンタンデール戦とエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでのアトレティコ・マドリード戦では、2010 FIFAワールドカップ決勝で優勝を決める得点をイニエスタが挙げたことに敬意を表し、アウェーファンから観客総立ちでの拍手を受けた[36]。
2012〜2014[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
2011-2012シーズンの最初の活躍はスーペルコパ・デ・エスパーニャでのレアル・マドリードとの対戦で、2011年8月17日にバルセロナのホームで行われたセカンドレグで先制ゴールを決めた。試合はバルセロナが3-2で勝利し、2試合合計5-3で制した[37]。同年10月19日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 グループリーグのFCヴィクトリア・プルゼニ戦ではメッシとの華麗なパス交換から先制ゴールを決めた[38]。2012年3月24日に行われたリーガ・エスパニョーラ第30節のRCDマヨルカ戦で2-0で勝利したことにより、出場したリーガ・エスパニョーラでの試合の無敗記録をそれまでの最長だったエミリオ・ブトラゲーニョの50試合を抜いて51試合と更新し、最終的に第35節のレアル・マドリード戦で1-2で敗れるまで、55試合無敗(47勝8分)のリーグ新記録を打ち立てた[39][40][41]。同年4月3日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 決勝トーナメントの準々決勝ACミラン戦のセカンドレグでは後半8分にゴールを挙げ、チームは3-1で勝利し、2試合合計3-1で準決勝に進出した[42]。準決勝のチェルシー戦ではセカンドレグでゴールを挙げたが、2試合合計2-3でバルセロナの敗退が決まった[43][44]。この年の活躍でFIFAバロンドールの最終候補3名に選出され、最終的に3位になった[45][46][47]。
2012-2013シーズン、リーガ・エスパニョーラ第13節のレバンテ戦で1ゴール3アシストを記録し、チームを4-0の勝利に導いた[48]。このシーズンでは最終的にリーグトップの16アシストを記録した[49]。
2013年12月23日、2015年までとなっていたバルセロナとの契約を3年延長し、2018年6月までとする新契約にサインした[50][51]。
ルイス・エンリケ監督時代(2014〜2017)[編集]
2014-15シーズンはチーム内での役割の変化により、公式戦2ゴール、8アシストと個人成績では物足りないシーズンとなるも、変わらずチームの主力として活躍。チャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦ではイヴァン・ラキティッチの先制点をアシストし、UEFAチャンピオンズリーグの決勝戦では最多となる3戦連続アシストを記録。決勝戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選出され、これによってFIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権と併せ、3つの国際大会の決勝でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた史上初の選手となった[52]。さらにチームはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成。チャンピオンズリーグの個人優勝回数はクラレンス・セードルフと並んで史上最多の4度目である。
2015-16シーズンはシャビ・エルナンデスの退団によりキャプテンに就任。2016年11月21日、レアル・マドリードとのエル・クラシコでは1ゴール1アシストを決めて敵地での4-0での大勝に貢献。交代時にはアウェーにも関わらず相手サポーターからスタンディングオベーションが贈られた。
2017年2月19日、リーガ・エスパニョーラ第23節のレガネス戦では通算400試合を達成した。バルセロナで400試合を達成したのはシャビに続いて史上2人目。
2017-18シーズン・退団[編集]
2017-18シーズンは新たに監督に就任したエルネスト・バルベルデのプレー時間の管理により、出場した試合では常に好パフォーマンスを披露した。10月5日、バルセロナと契約を延長し、クラブ史上初の生涯契約を結んだことが発表された。
生涯契約を結んだイニエスタだったが、2018年に入り退団報道が過熱。チャンピオンズリーグのチェルシー戦、2ndlegの試合後のインタビューにおいて自身の去就について、「4月末までには決断する」と述べた[53]。2017-18シーズンのチャンピオンズリーグのローマ戦敗退後、記者から「これが最後のCLになるか」と質問され、非常に落胆した様子で「その可能性もある」と答えた[54]。4月14日のバレンシア戦後、自身の去就について既に決断していることを明らかにした[55]。退団が確実視される中で迎えたコパ・デル・レイ決勝、セビージャ戦ではリオネル・メッシのアシストから1ゴールを記録するなど素晴らしいパフォーマンスを見せ、チームの4年連続30回目のコパ・デル・レイ制覇に大きく貢献。交代時には両クラブのサポーターからスタンディングオベーションを受け、ベンチでは涙を浮かべていた[56]。2018年4月27日、イニエスタは会見を開き、同シーズン限りでのバルセロナ退団を発表した[57]。バルセロナで最後の試合であるレアル・ソシエダ戦では、カンプノウは「INFINIT INIESTA」というコレオでイニエスタを迎えた[58][59]。この試合でも好プレーを披露し、バルセロナの勝利(1-0)に貢献した[60]。試合後にはイニエスタへの感謝を示す大規模なセレモニーが行われ、選手やファンが彼との別れを惜しんだ[61]。その後、再び静寂のカンプノウに素足で戻りピッチに腰を下ろし、22年間過ごしたクラブとの別れを人知れず惜しんだ[62][63]。
ヴィッセル神戸[編集]
2018年5月頃から、複数のメディアがイニエスタのJリーグ・ヴィッセル神戸への移籍の可能性について報道する。5月18日早朝にスポーツ報知が日本の大手メディアで初めて「イニエスタ、神戸入団合意」と報じ[64]、5月23日にはNHKをはじめとする複数の新聞社・放送局が一斉にこのニュースを伝えた[65]。翌5月24日、イニエスタが自身のTwitterとInstagramのアカウントで、楽天会長兼社長およびヴィッセル神戸オーナーの三木谷浩史はTwitterアカウントで神戸移籍を示唆するコメントと共に両者の2ショット写真を投稿[66][67][68][69][70]。同日午後に記者会見と神戸・バルセロナ両クラブからのリリースで、神戸への移籍が正式に発表された[71][72][73][74][75]。東京都内で行われた記者会見では、日本入りに同行した三木谷と壇上で抱き合った後、入団契約書にサインを交わした[75]。契約期間は2021年までの契約であるとイニエスタ自身はコメントを残している[76]。
同会見でのフォトセッションにおいて、用意された自身のネームと共に背番号8が入った神戸のユニフォームを掲げ撮影に臨んでいたが[74]、同背番号は2018シーズンにおいては三田啓貴が既に着用しており、Jリーグの当時の規則ではシーズン中の同一選手の背番号変更が認められていなかった為、三田を移籍させる、あるいは一旦契約解除の手続きをとった上で再度選手登録を行う等の手段を取らない限り、同シーズン中にイニエスタを背番号8で選手登録するのは不可能であった[77]。翌25日、三木谷が三田が背番号を譲る意思を示した事、それに対しイニエスタが三田に直接電話で感謝の言葉を述べた事をTwitterにて明かした[78]。Jリーグ側もクラブからの相談を受けて規約改定に前向きな姿勢を示していた[77]。30日、Jリーグよりユニフォーム要項の改定が発表され、同一選手のシーズン中の背番号変更が可能となった[79]。これを受けて、同日にイニエスタの背番号決定と三田の背番号変更(8番→7番)がクラブより発表され[80]、バルセロナ時代に引き続き、背番号8を着用することが正式に決定した。
2018年[編集]
7月22日、第17節・湘南ベルマーレ戦の後半13分に渡邉千真との交代によりJリーグ初出場を果たした。Jリーグ2戦目となった柏レイソル戦にスタメン出場した後、7月28日に家族と再来日するためにスペインに一時帰国[81]。その後、行われる予定だったアウェーでのセレッソ大阪戦とFC東京戦の2試合はイニエスタの効果もありチケットが完売[82]。突然の帰国発表だった事もあり、イニエスタ目当てでチケットを買ったファンから不満の声も出て、試合以外でも話題を集める結果となった[83]。なお、イニエスタのチーム合流は、元々7月を予定していなかったが、本人の「1日でも早く神戸に来て、選手と一緒にボールを蹴りたい」という申し出があったため、W杯終了後に休みを削って、前倒しでJリーグデビューを果たしている[84]。イニエスタは予定通り8月5日に家族と再来日している。
Jリーグ3試合目となる8月11日の第21節・ジュビロ磐田戦の前半15分に、中盤のルーカス・ポドルスキからのパスに反応すると、ターンでDF大井健太郎、GKクシシュトフ・カミンスキーを相次いで躱してボールをゴールへと流し込み、Jリーグ初得点をマークした[85]。
2019年[編集]
2019年4月23日、ポドルスキの後任として神戸のキャプテンに就任した[86]。5月頃からは、下半身の筋肉系の違和感で欠場が続いた。6月15日に行われたFC東京戦で6試合ぶりの先発復帰を果たし、その試合でシーズン初ゴールを決めてチームの勝利に貢献した[87]。第17節の名古屋グランパス戦では移籍後初のリーグ戦複数得点となる2ゴールを決めた。同年にはJリーグベストイレブンに選出された[88][89]。なお、この年のベストイレブンは、優勝した横浜F・マリノスから4名、準優勝したFC東京から6名が選出され、この2チーム以外に所属する選手はイニエスタのみだった[88]。また、スペイン国籍を有する選手としてJリーグ史上初の受賞となった[88]。
12月21日、天皇杯準決勝、清水エスパルス戦では先制ゴールを決め、更に古橋亨梧のゴールをアシストして決勝進出に貢献すると[90]、翌年1月1日、天皇杯決勝戦でもキャプテンとして先発出場し、クラブ初のタイトル獲得に貢献した[91]。
2020年[編集]
2020年2月8日、ゼロックススーパーカップの横浜F・マリノス戦ではドウグラスの先制点をアシスト[92]。チームとして初出場となったAFCチャンピオンズリーグでは、グループリーグ初戦のジョホール・ダルル・タクジムFC戦で2アシストの活躍で勝利に貢献[nb 1]、第3節の広州恒大淘宝足球倶楽部戦では前半に1アシストを決めると、後半には同大会での初ゴールを決め、チームを同大会初出場にして決勝トーナメント進出に導いた[93]。トーナメント1戦目の上海海港足球倶楽部戦でも得点を決めるも怪我で途中交代。準々決勝の水原三星ブルーウィングス戦では、試合に出れるコンディションではなかったが、自ら出場を志願し怪我を押して延長戦から途中出場。試合はPK戦までもつれ込み、第1キッカーとしてPKを成功させ、準決勝進出に貢献。しかし、この試合で怪我を悪化させ、長期離脱の見込みとなった[94]。大会終了後にスペインに帰国して検査した結果、右大腿直筋近位部腱断裂で全治4カ月の重傷と分かり手術する事となった[95]。
2021年[編集]
2021年シーズンは前年から続く怪我の影響で欠場が続いていたが、5月1日に行われたJ1第12節のサンフレッチェ広島戦にて途中出場で復帰を果たした[96]。自身の誕生日である5月11日に記者会見を開き、神戸と2年間の契約延長を発表した[97]。この会見で「現役生活をここで最後まで続けたい。選手としてだけでなく、常に関わり続けたい」と神戸で引退する意思を示し、引退後もクラブの発展に貢献したいと話した。また、神戸オーナーの三木谷が「(コロナ禍で)経済的にも大変厳しい状況にある中、かなり歩み寄りをしていただいた」と説明。推定年俸32億5000万円から約4割の大減俸、推定20億円で更改したとみられている[98]。6月13日、ルヴァンカッププレーオフ第2戦の浦和戦で強烈な弾道のFKでシーズン初ゴールを決めたが、試合は2-2で引き分け、準々決勝には進出出来なかった[99]。10月にはリーグ戦3試合3得点1アシストを記録し、J1リーグ月間MVPに選出された[100]。この年チームはACL圏内で神戸のJ1最高順位となるリーグ3位で終え、自身も3年連続でJリーグ優秀選手賞[101]、Jリーグでは2度目となるベストイレブンに選出された[102]。
2022年[編集]
3月6日に行われたJ1リーグ第3節のサンフレッチェ広島戦でチームメイト山口蛍の折り返しに右足で合わせシーズン初ゴールを挙げた[103]。3月15日に行われたAFCチャンピオンズリーグプレーオフステージ・メルボルン・ビクトリーFC戦では延長を含む115分間プレーし、先制点を挙げた[104]。4月10日に行われたJ1リーグ第8節セレッソ大阪戦では前半45分のみで交代。この交代について、ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督は「本人から交代を要求された。疲れを感じており、感覚がよくなかった」と説明した[105]。その後集中開催されたACLのグループステージを欠場したが[106]、第13節のサガン鳥栖戦で1ゴール1アシストを決め、チームはリーグ戦初勝利を挙げた[107]。リーグ中断期間の7月17日に、家庭の事情により一時帰国[108]。30日の柏レイソル戦に出場を見込んでいたものの、再来日が遅れたため欠場した[109]。8月1日に再来日し[110]、3日に行われたルヴァンカップ準々決勝第1戦アビスパ福岡戦に後半15分から出場[111]。8月6日のJ1リーグ第24節セレッソ大阪戦ではフル出場した。8月18日に行われたACLラウンド16横浜F・マリノス戦ではベンチ入りしたものの出場機会なく試合を終えたことについて、吉田孝行監督は試合後の会見で「試合に出られる状況ではあったが、試合展開で今日の出番はなかった」と説明した[112][113]が、8月6日のリーグ戦を最後に怪我のため戦列を離れた[114]。10月11日に、吉田孝行は取材に対し「月末の試合で順調にいけば戻ってくる」と話し、シーズン中の復帰の見通しを明らかにした[115]。10月29日に行われたJ1リーグ第33節川崎フロンターレ戦後半29分に途中出場。8月6日のセレッソ大阪戦以来、約3ヶ月ぶりの出場となった[116]。11月5日J1第34節横浜F・マリノス戦後のファイナルセレモニーで「目標としてきたことに対して、今シーズンは戦う事が出来なかった。その点に関しては選手含め全員に責任があると思っています。今年の経験は来シーズンに同じ過ちを犯さないために学んでいかなければいけない」とチームを代表して挨拶を行った[117]。同日、永井秀樹SDより契約を残す2023年シーズンのクラブへの残留が明言された[118]。
代表経歴[編集]
世代別代表スペイン世代別代表に初めて選ばれたのは2001年で、同年のUEFA U-16欧州選手権と翌年のUEFA U-19欧州選手権で優勝を果たした。2003年にアラブ首長国連邦で行われたFIFAワールドユース選手権ではDFセルヒオ・ラモスやFWセルヒオ・ガルシアとともにプレーし、準優勝に貢献するとともにベストイレブンに選ばれた[10]。U-21スペイン代表ではしばしばキャプテンも務めた。
A代表[編集]

2006 FIFAワールドカップ[編集]
2006年5月15日に発表された2006 FIFAワールドカップに出場するスペイン代表への選出は驚きをもって受け止められた。メンバー発表後の5月27日に行われたロシアとの親善試合の後半に途中出場してスペインA代表デビューを果たした。本大会では、グループリーグ突破が決まった後の3戦目のみに出場した。2006-07シーズン頃に代表のレギュラーポジションを獲得し[119]、2007年2月7日、イングランド戦で63分に遠めの位置から放ったミドルシュートが代表初得点となった。
UEFA EURO 2008[編集]
UEFA EURO 2008予選ではチームの中心的な役割を担い、シャビ、セスク・ファブレガス、MFダビド・シルバと組んだ中盤の4人はCuatro Jugones(クアトロ・フゴーネス、4人の創造者たち)とメディアに名づけられた。スウェーデン戦で1得点1アシストと大活躍し、アイスランド戦では終了間際にゴールを決めて本選出場の望みをつないだ。予選では主に中盤でプレーしたが、デンマーク戦に代表されるように左ウイングで起用されることもあった。
オーストリアとスイスで共催されたEURO本大会直前に食中毒を患って胃炎に悩まされ、グループリーグではコンディション不良からボールを失うこともたびたびあったが、控え選手にポジションは譲らなかった。グループリーグの初戦のスウェーデン戦と2戦目のロシア戦に出場し、ロシア戦ではFWダビド・ビジャの2点目をアシストする重要なパスを通した。3戦目のギリシャ戦は控え選手主体でチームを組んだため、イニエスタは出場しなかった。準々決勝のイタリア戦はPK戦の末に勝利したが、イニエスタはその前にベンチに下がっており、PKを蹴ることはなかった。準決勝のロシア戦にはフル出場し、決勝点を決めたシャビに質の高いクロスを放ち、技術委員会によるマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。決勝のドイツ戦もフル出場し、1-0で勝利して44年ぶりの優勝を果たした。同じ中盤のシャビやMFマルコス・セナなど6人のチームメイトとともに大会ベストイレブンに選定された。
2010 FIFAワールドカップ[編集]
2009年のFIFAコンフェデレーションズカップ2009は腿の筋肉の負傷により出場を逃した[120]。2010 FIFAワールドカップ欧州予選には6試合しか出場していないが[120]、2009年10月10日のアルメニア戦で復帰し[121]、2010年5月、2010 FIFAワールドカップ本大会に出場する23人に選ばれた[122]。大会前の親善試合ポーランド戦では自ら交代を申し出たため足首の状態が心配されたが[123]、グループリーグ第1戦のスイス戦には先発出場した[124]。3戦目のチリ戦ではこの大会の節目となる100ゴール目を決め、マン・オブ・ザ・マッチに選出された[125][126]。決勝のオランダ戦は0-0で延長戦に突入したが、延長後半11分に決勝ゴールを挙げ[127]、ゴール後にはユニフォームを脱いでアンダーウェアに手書きした"DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS"(ダニ・ハルケ、いつも僕らとともに)というメッセージを晒して(この行為は規定によりこの行為後にイエローカードを受けている)、2009年8月に心臓発作で急死した親友ダニエル・ハルケに優勝を捧げた[128]。このアンダーウェアは同年11月にRCDエスパニョールの本拠地エスタディオ・コルネリャ=エル・プラットに寄贈された[129]。イニエスタはこのアンダーウェアが寄贈される際に「このシャツはここにあるべきものだ。あの得点と共に、ハルケも人々の心に残り続けるだろう」と語った。[130] 決勝のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、スペインは初優勝を果たした[131]。また大会の最優秀選手賞にノミネートされた[132]。
UEFA EURO 2012[編集]
ウクライナとポーランドで開催された第14回目のUEFA欧州選手権でもチームの主力として活躍。イタリアとの決勝を含む3試合でマン・オブ・ザマッチに選ばれる活躍を見せ、スペイン代表を2大会連続3回目の優勝に導いた。今大会で大会MVPに輝いたイニエスタは「この規格外の世代の一員でいられることを誇りに思う。トリプル制覇という歴史的な記録を達成できたことが僕にとって最高の栄誉だ」と述べた。[133] 以上のように、主要国際大会3連覇というスペインの黄金時代を支えた。
2013 FIFAコンフェデレーションズカップ[編集]
今大会、スペイン代表は決勝でブラジルに敗れ準優勝に終わるものの、イニエスタはシルバーボールを獲得した。
2014 FIFAワールドカップ[編集]
イニエスタは今大会でもグループリーグ全3試合にスタメンとして出場したが、チームは第一戦(対オランダ 1-5)、第二戦(対チリ 0-2)と敗戦。第三戦(対オーストリア 3-0)を待たずして早々に敗退が決まった。まさかのグループリーグ敗退であり、母国メディアや母国ファンから痛烈な批判が寄せられた。イニエスタはメディアによるスタメン選手評価で星一つを獲得、残りの10人は評価不能という散々なものであった[134]。
UEFA EURO 2016[編集]
グループリーグ第一戦のチェコ戦でピケのゴールをアシストし、勝利に貢献。第三戦、クロアチアに敗れるもののグループリーグ2位で決勝トーナメントへ駒を進めた。しかしラウンド16で前回大会で4-0と勝利していたイタリアと対戦するも敗戦(0-2)、史上初のEURO3連覇はならなかった。
2018 FIFAワールドカップ[編集]
2018 FIFAワールドカップでもグループリーグ3試合で先発出場したが、スペイン国内からは低調なパフォーマンスとの批判の声もあり、決勝トーナメント1回戦のロシア戦では先発から外れた。後半22分から途中出場したロシア戦にPK戦で敗れた試合後に代表引退を発表した[135]。
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
プレースタイル[編集]
ジョゼップ・グアルディオラ、イバン・デ・ラ・ペーニャ、シャビ・エルナンデスなど他のFCバルセロナ出身選手のように、創造性豊かなパス能力を持ち、洞察力、卓越したボールコントロール技術、プレーの流れを読む能力に優れている[136]。
バルサ育成部門に所属するアルベルト・ベナイジェスは「彼はサッカー選手に必要なセンスの全てを兼ね備えている。特に優れているのは考えるスピード。また、ドリブルしながら相手をかわすことにかけては世界一だと思う。身体の接触があるプレーは基本的にダメだよ」と語った[16]。元スペイン代表監督のビセンテ・デル・ボスケは「完璧な選手だ。攻撃も守備もでき、得点することだってできる」と表現している[14]。FCバルセロナで彼を指導した経験のあるフランク・ライカールトは、「私は彼をウイング、セントラル・ミッドフィールダー、守備的ミッドフィールダー、ストライカーのすぐ後ろでプレーさせたことがあるが、どこでプレーさせても並はずれていた」と語っている[14]。
スポーツライターの西部謙司は、「シンプルな最適解を叩き出せる達人」「(一つ一つのプレーにおいて)無理も無駄もない」「その判断や一挙手一投がサッカーと矛盾しない」ことから、「イニエスタはフットボールそのものである」と述べている[137]。
遠藤保仁は「イニエスタのプレーについて感じるのは、攻撃に関わるプレーの質の高さですね。もちろん、パスの精度は言うまでもない。ボールをもらうときのタイミングとか、受ける場所とか、常に次のプレーをしやすいように考えてます。」「あとは動き出しの質が高い。僕とは違うタイプのパサーですが、見ていて感じるのは、次の人がプレーしやすいパスを出しています。スルーパスのアイディアもさまざま。時には敵だけでなく、味方でさえだまされます。パスの能力は、本当に高い。バルセロナの考え方をプレーで体現してきた選手ですから。」「パスだけでなく、ドリブルという選択肢を持っているのも強み。ドリブルでも緩急をつけてきます。パスばかり注目されがちですが、ゴールに至る過程の中でいろいろなプレーができる。」「パサーがあのようなドリブルを持っているメリットは、相手のプレスを一度はがせること。あのドリブルがあることで相手は後手に回るし、そのプレーで更に多くのスペースが生まれます。ドリブルで一人はがせる選手がいると、チームにとっては大きいんですよ。」と語る[138]。
中村憲剛は「一番見てほしいプレーはトラップですね。ボールを止める技術。パススピードもすごいけれど、彼がボールを止めて蹴るだけで、ゲームのリズムやサッカーの質が上がるんです」「イニエスタのトラップというのは走っていて、そのまま足にくっついているかのよう。トラップをするので走っているのではなく、ボールがイニエスタのほうにくっついてくる。だからトップスピードのまま、ボールを扱えているのでしょうね。減速もしないし、慌てないから加速もしない。本当に無駄がないし、ボールと体が一体化されている」「もしかしたら、あのトラップはどんなプレーよりも体得するのが難しい技術かもしれないですね。彼の真骨頂だと思います。」「あとは攻撃の緩急のつけ方、メリハリですね。崩しにいくときと、いかないときの判断の仕方もそう。いかないときの判断の仕方もそう。いくと決めたときのゴール前への入り方や、崩しのアイディアのところ。自分だけではなく、味方を使ったり、人と絡んだりしながら入っていくセンスは抜群です。パスを出して動くとか、出して寄るとか、それでワンタッチ、ツータッチで崩していく。」と語る[138]。
柏木陽介は「一番すごいと思うのは、トラップの置きどころが良いことです。自分がやりたい次のプレーをするための最適な場所に、常にボールを置くことができる選手だと感じます。」『相手とマッチアップしたとき、抜き去るドリブルに一瞬の速さがある。相手をかわすタイミングが速いから、トラップと同時にボールを持ち出して、「ここに行きたい」というスペースに入り込めます。あの速さは相当なレベルだし、相手との駆け引きのうまさも感じます。」「イニエスタは周りを見ていないようで、しっかり見えていて、味方に正確なパスを出せる。空間認知能力が優れているんだと思います。」と語る[138]。
評価[編集]
- バロンドール投票
年 順位 ポイント 所属クラブ 2009 4位 149 FCバルセロナ
- FIFA最優秀選手投票
年 順位 ポイント 所属クラブ 2008 9位 37 FCバルセロナ 2009 5位 134 FCバルセロナ
- FIFAバロンドール投票
- 2010年にバロンドールとFIFA最優秀選手賞が統合されてFIFAバロンドールとなった。
- UEFA欧州最優秀選手賞投票
年 順位 得票率 所属クラブ 2011 4位 33票 FCバルセロナ 2012 1位 19票 FCバルセロナ
人物[編集]
- スペインのメディアからはDon Andrés(ドン・アンドレス[nb 2])と呼ばれることが多いが[139]、その他にもEl Ilusionista(エル・イルシオニスタ、手品師)[140]、El Cerebro(エル・セレブロ、頭脳)[140]、El Caballero Pálido(エル・カバジェロ・パリド、青白い騎士)[140] など様々な愛称を持っている。
- 幼少期からの憧れの選手はかつて同じFCバルセロナ、ヴィッセル神戸に在籍したミカエル・ラウドルップで[141]、自身が過去のインタビューで、「ほんのわずかでもいいから一緒にプレーできたらよかったのに」と語っていた[142]。また子供の頃からそのプレーを模範とし真似してきたと話した[143]。またラウドルップがプレーしていたことから、ヴィッセル神戸というチームを以前から知っていたとも話した[144]。
- 2008年以来、スポーツジャーナリストのアンナ・オルティスと交際していた[145]。2010年9月には彼女の妊娠が明らかになり[146]、2011年4月に長女が誕生してすぐの試合(UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝FCシャフタール・ドネツク戦第一試合)では得点を娘に捧げた[147]。2012年7月7日にそのアンナと結婚式を挙げ[148]、2013年10月には夫人のTwitterで第二子の妊娠が発表されたが、2014年3月に流産した[149]。
- 2011年頃から資金難に陥っている故郷アルバセテのアルバセテ・バロンピエに投資を続けており、現在は筆頭株主である。同クラブは2012-13シーズン終了時に選手給与の24万ユーロを支払えず、罰則規定により降格危機に陥っていたが、イニエスタが個人資産で全額を肩代わりし、チームを降格から救った[150]。
- 「ピッチの内外で模範であり続ける存在」と称されており、FCバルセロナで彼を指導した経験のあるルイス・エンリケは、「イニエスタは世界遺産なんだ」と高く評価している[151]。また2017-18シーズンにイニエスタを指導したエルネスト・バルベルデも「彼はとても難しいことをいとも簡単にやってのけてしまう。彼と一緒に働くことができたのは私の特権だ。私は本当に幸運だった」と述べた[152]。
- RCDエスパニョールのホームスタジアムであるエスタディ・コルネリャ=エル・プラットや、レアルマドリードのホームスタジアムのエスタディオサンチャゴ・ベルナベウでライバルチームの選手にも関わらず、スタンディングオベーションを浴びた。特にエスタディ・コルネリャ=エル・プラットで受けたスタンディングオベーションは、イニエスタが亡き親友、ダニ・ハルケに送ったアクションへの感謝の意であった。
- バロンドールを運営する『フランス・フットボール』誌はイニエスタにバロンドールを授与できなかったことについて謝罪した[153]。
- 2018年4月27日に会見を開き、今シーズン限りでのバルセロナ退団を発表した。イニエスタは涙ながらに「これがバルサでのラストシーズン」「バルサは僕にすべてを与えてくれた」「さよならを言うのは、本当に本当につらい」などと述べ、クラブやチームメイト、家族、そしてファンに感謝の言葉を述べた[154]。退団発表に際し、チームメイトを始めビジャ、セスク、ペドロ、D・シルバ、フェルナンド・トーレス、カシージャス、セルヒオ・ラモス、フアン・マタ、ネイマール、マスチェラーノ、ジダン、ベッカム、ピルロそして各クラブ(エスパニョール、ビルバオ、エイバル、セビージャ、ラス・パルマス、ビジャレアル、ベティスなど)、ラ・リーガ公式などから称賛や別れを惜しむ言葉が寄せられた。
- バルセロナでの最後の試合であるレアル・ソシエダ戦後のセレモニーで「素晴らしい22年間だった。僕にとって世界最高であるクラブのエンブレムを身に着けてプレーできたのは誇りであり喜びだ。子供の頃ここにやって来て以来、ずっと受け続けてきた愛情とリスペクトに感謝したい。みんなのことは永遠に僕の心の中に残る」と述べた[155]。
- 2019年6月、アメリカの経済誌フォーブスは2019年版の世界のアスリートの年収を公表した[156]。イニエスタの年収は3250万ドルであり、世界のスポーツ選手で46位にランクインした。
- ダニ・ハルケとはユース代表時代からの仲であり、家族ぐるみでの付き合いもあり、イニエスタは代表で共にプレーすることを夢見ていた。2009年8月8日のハルケの急逝は、ハルケがエスパニョールで急成長を見せ、A代表入り間近とも言われていた矢先の出来事であった[157]。約1年後の2010FIFAワールド・カップ決勝で決勝ゴールを決めたイニエスタは、ハルケへのメッセージが書かれたシャツをあらわにし、ハルケにこのゴールを捧げた。この行為は世界中のサッカーファンの感動や涙を誘い、ダニ・ハルケの名が彼らの心に刻まれることとなった。イニエスタが所属するバルセロナとはライバルクラブであるエスパニョールの選手やサポーターもこの行為に深く感動し、「涙が止まらなかった」「あの舞台で彼を思い出させてくれて嬉しかった」などと語った[158]。エスパニョールのホームスタジアムには「GRACIAS INIESTA」の文字が掲げられ、これ以降イニエスタはこのスタジアムを含む様々なスタジアムでスタンディングオベーションを受けている。バルセロナ退団発表後、エスパニョールのホームゲームにおいてダニ・ハルケの背番号21とともに「ありがとう、イニエスタ。何よりも友人でいてくれて」(GRACIAS 21NIESTA POR SER ANTE TODO AMIGO)というバナーが掲げられた[159]。
- 故郷ラ・マンチャ地方・フエンテアルビージャでは祖父の代からワイン用ブドウ造りを手掛けており、現在では総畑面積約300ヘクタールを所有し、2010年からは自らのワインブランド『ボデガ・イニエスタ』をリリースした。2010年FIFAワールドカップ決勝で試合開始116分(延長後半11分)に決勝ゴールを決め、スペインを初優勝に導いたのを記念したワイン「ミヌートス116」のラベルにはシュートを放つ瞬間のイニエスタのイラストで描かれている。ヴィッセル神戸はイニエスタと契約で合意に至った際、ワイン販売のプロモーション協力も約束したとされ[160]、輸入元の日本リカーによると2018年5月に開いた入団会見直前の5日間で通常の1年分が売れたという。また神戸移籍後にはチームメイト全員にボデガ・イニエスタのワインをプレゼントした[161][162]。
- 2019年にスニーカーブランド「MIKAKUS(ミカクス)」を友人と共にスペインで立ち上げ、プロデューサーおよびアンバサダーとして関わっている。さらに2022には自らが企画・プロデュースを務めたスポーツ用品ブランド「Capitten(キャプテン)」を立ち上げ、井上晋平との共同プロデュースによるサッカーシューズを開発した。サッカー選手が自ら起業してブランドを立ち上げ、シューズを開発したのは世界初という。
- 2021年7月1日にアスリートによるオンライントークや、限定動画、スポーツとビジネスの応用、セミナーや、参加型リアルイベントなどの提供を行う会員制オンラインクラブ「ALLSTARS CLUB」を立ち上げた[163]。
個人成績[編集]
シーズン | クラブ | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | リーグ杯 | UEFA/AFC | その他 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2002–03 | FCバルセロナ | プリメーラ | 24 | 6 | 0 | 0 | 0 | – | 3 | 0 | – | 9 | 0 | ||
2003-04 | 11 | 1 | 3 | 1 | – | 3 | 0 | – | 17 | 2 | |||||
2004-05 | 37 | 2 | 1 | 0 | – | 8 | 0 | – | 46 | 2 | |||||
2005-06 | 33 | 0 | 4 | 0 | – | 11 | 1 | 1 | 0 | 49 | 1 | ||||
2006-07 | 37 | 6 | 6 | 1 | – | 9 | 2 | 4 | 0 | 56 | 9 | ||||
2007-08 | 8 | 31 | 3 | 7 | 0 | – | 11 | 1 | – | 49 | 4 | ||||
2008-09 | 26 | 4 | 6 | 0 | – | 11 | 1 | – | 43 | 5 | |||||
2009-10 | 29 | 1 | 3 | 0 | – | 9 | 0 | 1 | 0 | 42 | 1 | ||||
2010-11 | 34 | 8 | 5 | 0 | – | 10 | 1 | 1 | 0 | 50 | 9 | ||||
2011-12 | 27 | 2 | 6 | 2 | – | 9 | 3 | 4 | 1 | 46 | 8 | ||||
2012-13 | 31 | 3 | 5 | 2 | – | 10 | 1 | 2 | 0 | 48 | 6 | ||||
2013–14 | 35 | 3 | 6 | 0 | – | 9 | 0 | 2 | 0 | 52 | 3 | ||||
2014–15 | 24 | 0 | 7 | 3 | – | 11 | 0 | – | 42 | 3 | |||||
2015–16 | 28 | 1 | 4 | 0 | – | 8 | 0 | 5 | 0 | 44 | 1 | ||||
2016–17 | 23 | 0 | 5 | 0 | – | 8 | 1 | 1 | 0 | 47 | 2 | ||||
2017–18 | 30 | 1 | 5 | 1 | – | 8 | 0 | 1 | 0 | 44 | 2 | ||||
小計 | 442 | 35 | 73 | 10 | – | 135 | 11 | 24 | 1 | 674 | 57 | ||||
2018 | ヴィッセル神戸 | J1 | 8 | 14 | 3 | 1 | 0 | – | – | – | 15 | 3 | |||
2019 | 23 | 6 | 2 | 1 | 1 | 0 | – | – | 25 | 7 | |||||
2020 | 26 | 4 | – | 1 | 0 | 6[nb 3] | 2 | 1 | 0 | 34 | 6 | ||||
2021 | 23 | 6 | 0 | 0 | 4 | 1 | – | – | 27 | 7 | |||||
2022 | 24 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | – | 27 | 3 | ||||
2023 | – | – | |||||||||||||
小計 | 110 | 21 | 4 | 1 | 7 | 1 | 7 | 3 | 1 | 0 | 129 | 26 | |||
通算 | 552 | 56 | 77 | 11 | 7 | 1 | 142 | 14 | 25 | 1 | 803 | 83 |
- Jリーグ初出場 - 2018年7月22日 J1第17節 湘南ベルマーレ戦(ノエビアスタジアム神戸)
- 初得点 - 2018年8月11日 J1第21節 ジュビロ磐田戦(ノエビアスタジアム神戸)
代表歴[編集]
出場大会[編集]
- スペイン代表
- 2001年 - 2001 FIFA U-17世界選手権 (グループリーグ敗退)
- 2003年 - 2003 FIFAワールドユース選手権 (準優勝)
- 2006年 - 2006 FIFAワールドカップ (ベスト16)
- 2008年 - UEFA EURO 2008 (優勝)
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ (優勝)
- 2012年 - UEFA EURO 2012 (優勝)
- 2013年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2013 (準優勝)
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ (グループリーグ敗退)
- 2016年 - UEFA EURO 2016 (ベスト16)
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ (ベスト16)
試合数[編集]
国際Aマッチ 126試合 13得点(2002年-2018年 )
スペイン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2006 | 8 | 0 |
2007 | 12 | 4 |
2008 | 14 | 1 |
2009 | 5 | 0 |
2010 | 15 | 3 |
2011 | 9 | 1 |
2012 | 14 | 1 |
2013 | 17 | 0 |
2014 | 8 | 1 |
2015 | 5 | 1 |
2016 | 8 | 0 |
2017 | 7 | 1 |
2018 | 4 | 0 |
通算 | 126 | 13 |
ゴール[編集]
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2007年2月7日 | ![]() |
![]() |
0-1 | 0-1 | 親善試合 |
2. | 2007年3月28日 | ![]() |
![]() |
1-0 | 1-0 | UEFA EURO 2008予選 |
3. | 2007年9月8日 | ![]() |
1-1 | 1-1 | ||
4. | 2007年11月17日 | ![]() |
![]() |
2-0 | 3-0 | |
5. | 2008年10月15日 | ![]() |
![]() |
1-1 | 1-2 | 2010 FIFAワールドカップ欧州予選 |
6. | 2010年6月25日 | ![]() |
![]() |
0-2 | 1-2 | 2010 FIFAワールドカップ |
7. | 2010年7月11日 | ![]() |
![]() |
0-1 | 0-1 | |
8. | 2010年10月12日 | ![]() |
![]() |
0-2 | 2-3 | UEFA EURO 2012予選 |
9. | 2011年9月2日 | ![]() |
![]() |
1-2 | 3-2 | |
10. | 2012年2月29日 | ![]() |
![]() |
1-0 | 5-0 | 親善試合 |
11. | 2014年5月30日 | ![]() |
![]() |
2-0 | 2-0 | |
12. | 2015年9月3日 | ![]() |
![]() |
2-0 | 2-0 | UEFA EURO 2016予選 |
13. | 2017年11月11日 | ![]() |
![]() |
5-0 | 5-0 | 親善試合 |
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- FCバルセロナ
-
- リーガ・エスパニョーラ:9回 (2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13, 2014-15, 2015-16, 2017-18)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:8回 (2005, 2006, 2009, 2010, 2011, 2013, 2016)
- UEFAチャンピオンズリーグ:4回 (2005-06, 2008-09, 2010-11, 2014-15)
- コパ・デル・レイ:6回 (2008-09, 2011-12, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18)
- UEFAスーパーカップ:3回 (2009, 2011, 2015)
- FIFAクラブワールドカップ:3回 (2009, 2011, 2015)
- ヴィッセル神戸
-
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回 (2019)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (2020)
代表[編集]
- U-16スペイン代表
-
- UEFA U-16欧州選手権:1回 (2001)
- U-19スペイン代表
-
- UEFA U-19欧州選手権:1回 (2002)
- スペインA代表
-
- UEFA欧州選手権:2回 (2008, 2012)
- FIFAワールドカップ:1回 (2010)
個人[編集]
- UEFA欧州最優秀選手賞:1回 (2012)
- UEFA欧州選手権大会最優秀選手:1回 (2012)
- UEFA欧州選手権ベストイレブン:2回 (2008, 2012)
- UEFA欧州選手権ファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回 (2012)
- UEFAチャンピオンズリーグベストプレーヤー:1回 (2011-12)
- UEFAチャンピオンズリーグファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回 (2015)
- バロンドール :(2009年 4位)
- FIFAバロンドール:(2010年 2位, 2011年 4位, 2012年 3位)
- オンズドール:1回 (2009)
- リーガ・エスパニョーラ 最優秀スペイン人選手賞:1回 (2009)
- リーガ・エスパニョーラ 最優秀選手賞:(2008-09 2位, 2011-12 3位)
- IFFHS World's Best Playmaker:2回 (2012, 2013)
- リーガ・エスパニョーラ 最優秀攻撃的ミッドフィールダー:5回 (2009, 2011, 2012, 2013, 2014)
- Marca Legend Award:1回 (2011)
- FIFAコンフェデレーションズカップ2013 シルバーボール:1回 (2013)
- FIFAプスカシュ賞:(2009年 2位)
- FIFAワールドカップ ベストイレブン:1回 (2010)
- FIFAワールドカップファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回 (2010)
- FIFA FIFPro World XI:9回 (2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017)
- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15[164])
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:6回(2009, 2010, 2011, 2012, 2015, 2016)
- ESMベストイレブン:1回 (2010-11)
- ゴールデンフット賞:1回 (2014[165])
- FIFAクラブワールドカップ2015・ブロンズボール:1回 (2015)
- Jリーグ・ベストイレブン:2回 (2019, 2021)
- Jリーグ・優秀選手賞:3回 (2019,2020,2021)
- J1リーグ・月間MVP:1回 (2021.10)
- J1リーグ・月間ベストゴール:1回 (2018.8)
その他[編集]
- プリンス・オブ・アストゥリアス・アワード:1回 (2010)
- Gold Medal of the Royal Order of Sporting Merit:1回 (2011)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ この試合の後、ジョホール・ダルル・タクジムFCが大会途中で、大会が開催されるカタールへ行く許可が国から下りなかったため無効試合となった。
- ^ ドンは男性につける敬称
- ^ 実際には計7試合に出場したが、第1節のジョホール・ダルル・タクジムFC戦が無効試合となった。
出典[編集]
- ^ アンドレス・イニエスタ. ヴィッセル神戸. 2023年3月21日閲覧。
- ^ “The 10 Greatest Midfielders In Football History Have Been Named And Ranked” (英語). SPORTbible. 2023年3月17日閲覧。
- ^ HS, Shreyas. “10 greatest midfielders of all time” (英語). www.sportskeeda.com. 2023年3月17日閲覧。
- ^ Rogers, Joshua (2018年5月21日). “Vote on where Iniesta ranks among the greatest midfielders of all time” (英語). mirror. 2023年3月17日閲覧。
- ^ "Iniesta Profile". ESPN. Retrieved 17 May 2014
- ^ “Iniesta pips Messi and Ronaldo to UEFA Best Player in Europe award - CNN.com”. CNN. (2012年8月31日)
- ^ Rice, Simon (2013年1月9日). “Fifa Ballon d'Or: Andres Iniesta and the best players never to win the award”. The Independent (London)
- ^ “Guillem Balague debates whether Barcelona star Andres Iniesta is better than former Real Madrid man Zinedine Zidane”. Sky Sports. (2013年2月18日)
- ^ Dev, Paul. “Ballon d'Or Dream Team : Découvrez les révélations de ce onze de légende !” (フランス語). France Football. 2023年3月22日閲覧。
- ^ a b “6 Andres Iniesta”. FIFA.com. 2010年12月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “イニエスタは故郷の村を救った英雄”. FIFA.com (2010年6月8日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Andrés Iniesta Lujan”. FCバルセロナ公式サイト. 2010年12月21日閲覧。
- ^ Stevenson, Jonathan (2010-07-12), Andres Iniesta, the unassuming superstar, BBC Sport 2010年12月21日閲覧。
- ^ a b c Lowe, Sid (2009-05-24), Iniesta graduates from cameo role to take centre stage at Barcelona, The Guardian 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Andres Iniesta: A true big game player”. Football Fan Cast.com (2010年7月16日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ a b “イニエスタはメッシを超えるか”. Number Web (2009年11月5日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Iniesta Owes Van Gaal – Xtratime Community”. Xtratime.org. 2010年12月21日閲覧。
- ^ “イニエスタ、16年前にバルセロナで決めたリーガ初ゴール。今も昔も変わらぬ技術”. www.footballchannel 2020年4月17日閲覧。
- ^ fifa.com. “FIFA World Player Gala 2008”. 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Ranking db 2006–2007”. donbalon.com. 2007年11月6日時点の[front/default.asp?OPT=RER&RERID=1964 オリジナル]よりアーカイブ。2007-05-閲覧。
- ^ “Ranking DB 07-08”. don balon. 2007年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月1日閲覧。
- ^ “Iniesta Enjoys Barcelona Return Against Mallorca”. Goal.com. 2008年1月4日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “Andrés Iniesta”. GFDB.com. 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Chelsea 1–1 Barcelona (agg 1–1)”. BBC Sport. (2009年5月6日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ Mole, Giles (2009年5月28日). “Manchester United v Barcelona: Wayne Rooney backs Andres Iniesta for Ballon d'Or”. The Daily Telegraph 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Player Ratings: Almeria 0–2 Barcelona”. Goal.com (2009年3月15日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Andrés Iniesta”. ESPN Soccernet. 2010年12月21日閲覧。
- ^ “バルセロナのイニエスタに故障再発「人生で最も辛い時期」”. スポーツナビ (2010年4月14日). 2010年12月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Iniesta: "No me veo para jugar 90 minutos"”. RTVE.es (2009年9月10日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Andrés Luján Iniesta”. ESPN Soccernet. 2010年6月17日閲覧。
- ^ “バルサ、イニエスタと契約延長”. Goal.com (2009年11月28日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Lionel Messi Wins FIFA World Player Of The Year Award”. Goal.com (2009年12月22日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “メッシのバロンドール受賞が決定”. Goal.com (2009年12月1日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “イニエスタ、CL準決勝はアウトか”. Goal.com (2010年4月13日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Andres Iniesta’s Volley vs Racing Santander”. The Offside.com (2010年8月30日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Player Ratings: Atletico Madrid 1-2 Barcelona”. Goal.com (2010年9月19日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ FCバルセロナ メッシの活躍でスーパーカップ制覇 AFPBB News(2011.8.18付)、2018年7月29日閲覧。
- ^ バルサ「5点取れた試合」/欧州CL ニッカンスポーツ(2011.10.21付)、2018年7月30日閲覧、
- ^ Iniesta Equals Butragueno’s 50 Match Unbeaten Streak SoccerTicketsOnline(2012.3.18付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ FC バルセロナの個人タイトル記録 FCバルセロナ日本語公式サイト(2013.6.18付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ UEFA欧州最優秀選手にイニエスタ UEFA.COM(2012.8.30付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ FCバルセロナ、メッシの2得点でミラン破り4強 欧州CL AFPBB News(2012.4.4付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ チェルシーがバルセロナ退け決勝進出、欧州CL AFPBB News(2012.4.25付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ バルサCL連覇の夢、潰える――。チェルシー“急造”4-5-0の鉄壁。 NumberWeb(2012.4.25付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ バロンドール最終候補にメッシ、C・ロナウド、イニエスタが選出 サッカーキング(2012.11.30付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ 自身は1位にイニエスタを投票、4年連続バロンドールのメッシ「信じられない」 ゲキサカ(2013.1.8付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ 実はバロンドールを受賞したことがない10人の偉大な選手たち サッカーキング(2016.1.17付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ メッシ3戦連続2発、イニエスタは1G3A バルサ6連勝でレアルと勝ち点11差に ゲキサカ(2012.11.16付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ メッシが46得点で2年連続リーグ得点王…アシスト王はイニエスタに サッカーキング(2013.6.2付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ イニエスタ2018年まで契約延長 「クラブの要求レベルに応えられる力が、後何年も残っている」 FCバルセロナ日本語公式サイト(2013.12.24付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ バルセロナのイニエスタ、2018年までの契約延長で正式サイン AFPBB News (2013.12.24付)、2018年7月30日閲覧。
- ^ CL決勝でイニエスタが達成した史上初の記録…改めて証明された大一番での勝負強さ サッカーキング, 2015年6月9日
- ^ “バルサ残留か移籍か…イニエスタ、注目の去就は「4月末までに決める」 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. (2018年3月15日) 2018年4月30日閲覧。
- ^ “イニエスタ、今夏のバルサ退団示唆「最後のCLかもしれない」…敗退に落胆 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. (2018年4月11日) 2018年4月30日閲覧。
- ^ “移籍が噂されるイニエスタが自身の去就に言及「既に決断している」 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. (2018年4月16日) 2018年4月30日閲覧。
- ^ “本当に退団する選手? イニエスタ、コパ決勝でメッシを上回るスタッツを記録 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. (2018年4月23日) 2018年4月30日閲覧。
- ^ “アンドレス・イニエスタが今季限りので退団を発表 | FC Barcelona”. FC Barcelona. 2018年4月30日閲覧。
- ^ “Infinite Iniesta: Barcelona bid farewell to Andres but he'll be remembered forever | Goal.com” (英語) 2018年5月23日閲覧。
- ^ “カンプ・ノウはアンドレス・イニエスタを永遠に忘れない”. Mundo Deportivo JP. 2018年5月23日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “イニエスタの目に涙…バルサがラストマッチの主将に白星を捧げ、有終の美を飾る | サッカーキング” (日本語). サッカーキング 2018年5月23日閲覧。
- ^ “「君たちは僕の心の中に」イニエスタのスピーチ全文”. SPORT 日本語版 (2018年5月21日). 2018年5月23日閲覧。
- ^ “Iniesta, una última noche interminable en el FC Barcelona”. Mundo Deportivo 2018年5月23日閲覧。
- ^ “イニエスタ、カンプノウに別れを告げた夜” (日本語). BlauGrana 2018年5月23日閲覧。
- ^ イニエスタ、神戸入団合意!20日バルサ最終戦後に来日、会見へ スポーツ報知、2018年5月18日
- ^ “サッカースペイン代表 イニエスタ J1神戸に移籍へ”. NHKニュース (日本放送協会). (2018年5月23日). オリジナルの2018年5月24日時点におけるアーカイブ。 2018年5月24日閲覧。
- ^ 「Andrés Iniesta on Twitter」『Twitter』。2018年5月24日閲覧。
- ^ “Andres IniestaさんはInstagramを利用しています:「Rumbo a mi nuevo hogar, con mi amigo @hiroshi.mikitani... 🇯🇵⚽ ✈️ 🌍Heading to my new home, with my friend @hiroshi.mikitani 🇯🇵⚽ ✈️ 🌍」”. Instagram. 2018年5月24日閲覧。
- ^ 「三木谷浩史 H. Mikitani on Twitter」『Twitter』。2018年5月24日閲覧。
- ^ “イニエスタ、ついに神戸加入へ! 三木谷氏と日本行き発表「新しい家へ」 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. (2018年5月24日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ “イニエスタが日本へ ツイッターにメッセージ”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2018年5月24日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ “Andrés Iniesta jugará en el Vissel Kobe | FC Barcelona” (スペイン語). FC Barcelona. 2018年5月24日閲覧。
- ^ “アンドレス・イニエスタ、ヴィッセル神戸へ | FC Barcelona”. FC Barcelona. 2018年5月24日閲覧。
- ^ アンドレス イニエスタ選手完全移籍加入のお知らせ ヴィッセル神戸、2018年5月24日
- ^ a b “神戸入団会見、イニエスタが日本語で「こんにちは」 - J1:日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com 2018年5月24日閲覧。
- ^ a b “優勝請負人・イニエスタ「重要な挑戦」J1神戸移籍会見”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2018年5月24日) 2018年5月24日閲覧。
- ^ イニエスタ神戸と3年半114億円超大型契約だった ニッカンスポーツ 2019年8月21日
- ^ a b “イニエスタ「8」変わらず ルール改定リーグも柔軟”. 毎日新聞社 (2018年5月24日). 2018年6月2日閲覧。
- ^ “イニエスタ、背番号「8」譲った三田啓貴に自ら電話。感謝の気持ち伝える”. フットボールチャンネル. (2018年5月25日) 2018年6月2日閲覧。
- ^ “Jリーグユニフォーム要項改定のお知らせ” (プレスリリース), Jリーグ, (2018年5月30日) 2018年6月2日閲覧。
- ^ “イニエスタ選手の背番号決定&三田啓貴選手の背番号変更のお知らせ” (プレスリリース), ヴィッセル神戸, (2018年5月30日) 2018年6月2日閲覧。
- ^ MFアンドレス イニエスタ選手のスペインへの一時帰国について ヴィッセル神戸 2018年7月28日
- ^ 神戸MFイニエスタが一時帰国…チケット完売のFC東京、C大阪戦欠場か サッカーキング 2018年7月28日
- ^ イニエスタの帰国にファン「金返せ」“契約通り”も…高額チケット購入者は納得いかず!? ZAKZAK 2018年7月30日
- ^ <ヴィッセル神戸>イニエスタ、緊急帰国の真相を、三浦淳寛SDが明かす Yahoo!ニュース 2018年7月30日
- ^ “【動画】これぞ極上の共演!イニエスタがJリーグ初ゴール…復帰戦のポドルスキがアシスト”. GOAL (2018年8月11日). 2018年8月11日閲覧。
- ^ “ヴィッセル神戸公式Twitterアカウントのツイートより”. ヴィッセル神戸 (2019年4月23日). 2019年4月24日閲覧。
- ^ イニエスタ、フィンク新監督へ白星贈る今季初弾 日刊スポーツ 2019年6月16日
- ^ a b c “2019Jリーグ 各賞発表のお知らせ 最優秀選手賞は仲川 輝人選手(横浜F・マリノス)が初受賞~横浜F・マリノスからの受賞は3人目、得点王とダブル受賞~” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2019年12月8日) 2019年12月8日閲覧。
- ^ “MFアンドレス イニエスタ選手 明治安田生命J1リーグ ベストイレブン受賞のお知らせ” (プレスリリース), ヴィッセル神戸, (2019年12月8日) 2019年12月8日閲覧。
- ^ “天皇杯決勝進出へ殊勲のイニエスタ、「1月1日に幸せをお裾分けしたい」”. SOCCER DIGEST WEB (2019年12月21日). 2020年1月2日閲覧。
- ^ ヴィッセル神戸vs鹿島アントラーズ 天皇杯JFA第99回全日本サッカー選手権大会 JFA.jp 2020年1月3日閲覧
- ^ “神戸が打ち合いからのPK戦制す!!横浜FMを下しゼロックス杯初制覇”. ゲキサカ (2020年2月8日). 2020年5月3日閲覧。
- ^ “神戸 ACL初出場で決勝T進出 イニエスタACL初ゴール含む1得点1アシスト”. DAILY (2020年11月25日). 2020年11月25日閲覧。
- ^ “イニエスタが母国での手術成功を報告 ACLの代償”. tokyosports. 2021年3月12日閲覧。
- ^ イニエスタ「自分はイチ選手ではない」。ケガの重症化を覚悟してPKに臨んだsportiva 2021年3月11日
- ^ 「15歳の頃に戻ったような…」イニエスタが4か月半ぶりのピッチに高揚! 「愛をありがとう」とファンに感謝 サッカーダイジェスト 2021年5月2日
- ^ MFアンドレス イニエスタ選手 契約更新のお知らせ ヴィッセル神戸 2021年5月11日
- ^ イニエスタ生涯神戸、年俸12億円減してもACL制覇へ「挑み続けたい」 日刊スポーツ 2021年5月12日
- ^ “神戸イニエスタ今季初ゴールも同点のまま終了 準々決勝進出を逃す”. 日刊スポーツ (2021年6月13日). 2021年6月14日閲覧。
- ^ MFアンドレス イニエスタ選手「2021明治安田生命Jリーグ KONAMI月間MVP」10月度(J1)受賞のお知らせヴィッセル神戸 2021年11月12日
- ^ 「2021Jリーグ優秀選手賞」受賞のお知らせヴィッセル神戸 2021年12月5日
- ^ MFアンドレス イニエスタ選手 2021明治安田生命J1リーグ ベストイレブン受賞のお知らせヴィッセル神戸 2021年12月6日
- ^ “イニエスタ、初ゴール!神戸、クラブワーストタイの開幕5戦未勝利も反攻へ巻き返しの光” (2022年3月7日). 2022年5月17日閲覧。
- ^ “2022 AFCチャンピオンズリーグ プレーオフステージ ヴィッセル神戸vsメルボルン・ビクトリー”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “「感覚が良くなかった」 神戸ロティーナ新監督、主将イニエスタの前半45分のみ起用に言及「交代を要求された」”. www.football-zone.net (2022年4月10日). 2022年10月26日閲覧。
- ^ “ファンにとって「安心」の笑顔! ACL全休のイニエスタ、神戸の練習場に“降臨”「いつもの光景が帰ってきた」”. Football Zone (2022年5月5日). 2022年5月17日閲覧。
- ^ “イニエスタ、辛かった胸中を吐露「今季序盤は本当に苦しかった」38歳第1号、1ゴール1アシストでヴィッセル神戸を初勝利に導く”. Goal (2022年5月14日). 2022年5月16日閲覧。
- ^ “MFアンドレス イニエスタ選手のスペインへの一時帰国について”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “【神戸】イニエスタ、再来日できず30日の柏戦欠場 家庭の事情で一時帰国、8・3福岡戦も微妙 - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “【神戸】「キャプテンおかえりなさい!」イニエスタが練習合流 7月17日に家庭の事情で一時帰国 - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “2022 JリーグYBCルヴァンカップ 準々決勝 第1戦 ヴィッセル神戸vsアビスパ福岡”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “ACL日本勢対決、なぜイニエスタを温存? 吉田監督が理由を説明「試合に出られる状況ではある」”. www.football-zone.net (2022年8月19日). 2022年10月26日閲覧。
- ^ “2022 AFCチャンピオンズリーグ ノックアウトステージ ラウンド16 ヴィッセル神戸vs横浜F・マリノス”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “【神戸】イニエスタ終始別メニューで公開練習に参加、けがの状況次第では残り5戦欠場続く可能性 - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “【神戸】イニエスタ、今季残り3戦中に復帰の見通し 吉田監督「順調にいけば戻ってくる」 - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年10月26日閲覧。
- ^ “【神戸】けがで離脱のイニエスタが8・6以来84日ぶり出場 1-1の後半29分から登場も無得点 - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年10月30日閲覧。
- ^ “「2022ファイナルセレモニー」レポート(会長・社長・SD・監督・主将コメント)”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト. 2022年11月14日閲覧。
- ^ “【神戸】イニエスタ来季も残留「契約がある」永井秀樹スポーツダイレクター明言 吉田監督は続投 - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年11月14日閲覧。
- ^ “アンドレス・イニエスタ「青白きテクニシャン」”. Number Web (2007年7月26日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ a b “バルセロナのイニエスタ、負傷でコンフェデ杯欠場へ”. ロイター (2009年6月6日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “アルメニア戦の勝利を喜ぶセスク&イニエスタ”. Goal.com (2009年10月11日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “スペイン代表、W杯に向けた23人を発表”. Goal.com (2010年5月20日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “イニエスタ、W杯初戦欠場の疑い”. Goal.com (2010年6月10日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “僕らのシステムや哲学にブレはない”. スポルティーバ (2010年6月23日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ Smith, Rory (2010年6月25日). “Chile 1 Spain 2: match report”. London: telegarph.co.uk 2010年12月21日閲覧。
- ^ “スペイン1位突破!イニエスタが大会100号”. スポニチ (2010年6月27日). 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Iniesta sinks Dutch with late strike”. ESPN Soccernet. 2010年12月21日閲覧。
- ^ “亡き友に捧げた決勝ゴールとイエローカード イニエスタ”. msn産経ニュース. (2010年7月12日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “イニエスタ、“ハルケTシャツ”をエスパニョールに寄贈”. Goal.com. (2010年11月12日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “イニエスタが再び示した“因縁”を超えた友情。~敵地に捧げられた白いシャツ~” (日本語). Number Web - ナンバー 2018年4月27日閲覧。
- ^ “マン・オブ・ザ・マッチは、決勝点のイニエスタ”. msn産経ニュース. (2010年7月12日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “Forlan collects Golden Ball award”. BBC Sport. (2010年7月11日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “大会MVPのイニエスタ「バロンドールは頭に全くない」/ユーロ2012 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング 2018年5月24日閲覧。
- ^ 「スペインが早期敗退した4つの理由。現地メディアは「王位を放棄」、10選手“採点不能”と酷評」『フットボールチャンネル』。2018年5月24日閲覧。
- ^ イニエスタがスペイン代表引退を正式発表、神戸での活動に専念へ ゲキサカ(2018年7月2日)
- ^ “World Player Of The Week: Andres Iniesta”. Goal.com. (2010年7月12日) 2010年11月21日閲覧。
- ^ “イニエスタが達人たる所以。無駄も無理もなし、常に導き出す最適解【西部の目】”. フットボールチャンネル. 2018年3月20日閲覧。
- ^ a b c 月刊サッカーマガジン 2018年9月号. ベースボール・マガジン社. (平成30年7月24日)
- ^ “Andrés Iniesta”. UEFA.com. 2010年12月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c “El caballero pálido de 13”. www.elperiodico.com. 2018年10月17日閲覧。
- ^ “スペイン記者が語るイニエスタ日本行きの理由「彼は以前から日本に憧れていた」”. ゴール 2018年9月21日閲覧。
- ^ “最初の半年は最高だったが…」かつてバルサと神戸でプレーしたイニエスタ憧れの名手が、現地ラジオで語る”. soccerdigestweb 2018年9月21日閲覧。
- ^ “魔術師イニエスタが選ぶ“最高のMFベスト3”…1位は「子どものころから憧れていた選手」”. Gekisaka. (2020年1月5日) 2020年1月6日閲覧。
- ^ “イニエスタが即答した憧れの選手とは…「神戸のことは知っていたよ”. スポーツニッポン. (2020年2月16日) 2021年8月2日閲覧。
- ^ “Spain's World Cup hero Andres Iniesta works on his tan with bronzed WAG but can't shift his nickname 'The Pale Knight'”. Daily Mail. (2010年7月21日) 2010年12月21日閲覧。
- ^ “イニエスタが来春パパに”. ニッカンスポーツ. (2010年9月21日) 2010年11月21日閲覧。
- ^ “二重の喜びに顔を輝かせるイニエスタ”. UEFA.com. (2011年4月7日) 2011年4月13日閲覧。
- ^ “イニエスタ、華燭の典へ”. Qoly.jp. (2012年7月7日) 2014年3月11日閲覧。
- ^ “夫人が流産と報道のイニエスタ、周囲のサポートに「いつまでも感謝」”. サッカーキング. (2014年3月11日) 2013年3月11日閲覧。
- ^ “イニエスタ、故郷のクラブを降格から救う”. Goal.com. (2013年6月29日) 2016年9月10日閲覧。
- ^ “最も主将らしくないと言われた男。イニエスタが体現する“バルサらしさ”。”. Number Web. 2018年3月20日閲覧。
- ^ 「バルベルデ「イニエスタは我々のプレーの次元を上げた」(SPORT.es スポルト) - goo ニュース」『gooニュース』。2018年5月24日閲覧。
- ^ “イニエスタ「バロンドールよりも人々からの愛情を好む」”. MundoDeportivo. (2018年4月27日) 2021年8月2日閲覧。
- ^ “イニエスタが今季限りでのバルセロナ退団を発表「さよならを言うのは、本当に本当に辛い」”. Goal.com. (2018年4月27日) 2018年4月27日閲覧。
- ^ 「イニエスタ、バルサに涙の別れ。「僕にとって世界最高のクラブ」「永遠に心に残る」」『フットボールチャンネル』。2018年5月24日閲覧。
- ^ The World's Highest-Paid Athletes Forbes 2019年6月13日閲覧。
- ^ “イニエスタが再び示した“因縁”を超えた友情。~敵地に捧げられた白いシャツ~” (日本語). Number Web - ナンバー 2018年4月28日閲覧。
- ^ “イニエスタの行動に感動のエスパニョール - ライブドアニュース” (日本語). ライブドアニュース. (2010年7月14日) 2018年5月19日閲覧。
- ^ “バルセロナの宿敵エスパニョール、サポーターがイニエスタに感謝「友人でいてくれてありがとう」”. Goal.com. (2018年4月28日) 2018年4月28日閲覧。
- ^ “イニエスタのワインが日本でバカ売れ…スペイン紙「ワインあまり消費しない国に受け入れられた」”. Goal.com (2018年9月2日). 2020年6月24日閲覧。
- ^ “【アンドレス・イニエスタ】ワインづくりを通じ、家族や故郷をひとつに”. 幻冬舎 (2019年2月11日). 2020年6月24日閲覧。
- ^ “イニエスタやスティング… セレブワイン手軽に楽しむ”. NIKKEISTYLE. 日本経済新聞社 (2018年10月5日). 2020年6月24日閲覧。
- ^ 「イニエスタが新プロジェクト「ALLSTARS CLUB」を発足!スアレス、ブッフォンら豪華メンバーが集結」『サッカーダイジェスト編集部』。2021年7月6日閲覧。
- ^ “UEFA Champions League squad of the season”. UEFA.com. Union of European Football Associations (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。
- ^ “Andrés Iniesta wins Golden Foot 2014”. FC Barcelona (2014年10月13日). 2014年10月13日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
|
|
- スペインのサッカー選手
- サッカースペイン代表選手
- ヴィッセル神戸の選手
- FCバルセロナBの選手
- FCバルセロナの選手
- FIFAワールドカップスペイン代表選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- 2014 FIFAワールドカップ出場選手
- 2018 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAワールドカップ優勝選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2013出場選手
- UEFA EURO 2008出場選手
- UEFA EURO 2012出場選手
- UEFA EURO 2016出場選手
- FIFAクラブワールドカップ2015出場選手
- FIFAセンチュリークラブ
- 在日スペイン人
- アルバセテ県出身の人物
- 1984年生
- 存命人物