ピート・カイザー
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1973年 | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ペートレス・ヨハンネス・カイザー Petrus Johannes Keizer | |||||
ラテン文字 | Piet Keizer | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ | |||||
生年月日 | 1943年6月14日 | |||||
出身地 | アムステルダム | |||||
没年月日 | 2017年2月10日(73歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1961-1974 | アヤックス | 365 | (146) | |||
代表歴 | ||||||
1962-1974[1] | オランダ | 34 | (11) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ペートレス・ヨハンネス・カイザー(Petrus Johannes Keizer、1943年6月14日 - 2017年2月10日)は、オランダ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(ウインガー)。
経歴
[編集]カイザーは1961年にアヤックスで選手経歴を開始して以来、一貫してアヤックスでプレーを続け1974年に現役引退するまで364試合に出場し146得点を記録した。出場記録はクラブ史上第4位の記録である。
左ウイングのカイザーとセンターフォワードのヨハン・クライフのコンビは "royal pair"または"the starter and the finisher"と呼ばれ、1972年のUEFAチャンピオンズカップ決勝のインテル・ミラノ戦ではカイザーの精度の高いクロスからクライフが得点を決める場面も見られた。
高い実力の持ち主であり、一部専門家や選手からはクライフよりも高い評価をされていた[2]。しかし、その影には常にクライフの存在があり、次第に両者は険悪な関係となっていった。この争いは1974年にクライフと監督のリヌス・ミケルスがスペインのFCバルセロナへ移籍した事で終結した。
オランダ代表としても1962年の代表デビューから1974年までに国際Aマッチ34試合出場11得点を記録した。1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会にも出場し、当初はレギュラーと考えられていたが、1次リーグの スウェーデン戦以降、出場機会を失った[2]。そして、この年を最後に31歳の若さで現役引退した。
2017年2月10日、肺癌により死去[3]。73歳没[4]。
脚注
[編集]- ^ “Piet Keizer - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b デイヴィッド・ウィナー『オレンジの呪縛』講談社、2008年。
- ^ “Ajax-icoon Piet Keizer (73) overleden”. Telegraaf.nl (2017年2月11日). 2017年7月17日閲覧。
- ^ “Three-time European Cup winner and Ajax icon Piet Keizer dies, aged 73”. Goal.com (2017年2月11日). 2017年7月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- Ajax - Piet Keizer - ajax.nl/web
- Player Profile - Piet Keizer - bigsoccer.com