ソル・キャンベル

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ソル・キャンベル Football pictogram.svg
Sol Campbell2014.jpg
名前
本名 スルジール・ジェレマイア・キャンベル
Sulzeer Jeremiah Campbell
ラテン文字 SOL CAMPBELL
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
ジャマイカの旗 ジャマイカ
生年月日 (1974-09-18) 1974年9月18日(46歳)
出身地 ロンドン ニューハム区プレイストウ
身長 189cm
体重 91kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-2001 イングランドの旗 トッテナム 255 (10)
2001-2006 イングランドの旗 アーセナル 135 (8)
2006-2009 イングランドの旗 ポーツマスFC 95 (2)
2009 イングランドの旗 ノッツ・カウンティ 1 (0)
2010 イングランドの旗 アーセナル 11 (0)
2010-2011 イングランドの旗 ニューカッスル 7 (0)
通算 504 (20)
代表歴
イングランドの旗 イングランド U-15
イングランドの旗 イングランド U-16
イングランドの旗 イングランド U-18
1994-1996 イングランドの旗 イングランド U-21 11 (2)
1994-2006 イングランドの旗 イングランド B 2 (0)
1996-2007 イングランドの旗 イングランド[1] 73 (1)
監督歴
2018-2019 イングランドの旗 マクルズフィールド・タウン
2019-2020 イングランドの旗 サウスエンド・ユナイテッド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ソル・キャンベルSol Campbell)ことスルジール・ジェレマイア・キャンベルSulzeer Jeremiah Campbell, 1974年9月18日 - )は、イギリスロンドン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元イングランド代表。現役時代のポジションはDF。両親はジャマイカからの移民である。

イングランド代表チームのバックラインを支えたディフェンダー。一時期は代表でキャプテンを務めたこともある。

若年期[編集]

キャンベルはストラトフォードでジャマイカ人の両親、鉄道従業員の父シュウェルとフォード工員の母ヴィルヘルミーネの間に12人兄弟・姉妹(うち9人が男の子)の末っ子として生まれた。ストラトフォードのポートウェイ・プライマリ学校に通った。

経歴[編集]

クラブ[編集]

トッテナム時代[編集]

トッテナムと契約した当初はストライカーだった。トップチームデビューは1992年12月のチェルシー戦である。のちにCBにコンバートされ、以降長年にわたりDFラインを支えた。

アーセナル時代[編集]

2001年に加入。ダービーマッチ相手となるライバルチームへの移籍であるため両チームサポーターからは賛否両論が起こった。さらに、当時キャプテンであった事や移籍金さえ残さなかったことがトッテナムサポーターの怒りを呼び、「'''Judas(ユダ)'''」と非難された[2]

2005年に不調の時期があったが、2006年に入ってからは本来の調子を取り戻し、チャンピオンズリーグ決勝のFCバルセロナ戦では先制点を挙げたが、チームは準優勝に終わった。シーズン終了後に契約満了でアーセナルを退団した。

ポーツマス時代[編集]

2006年8月8日に完全移籍した。ポーツマスではレギュラーのセンターバックを務め、ポーツマス躍進の原動力となった。2008年にはFAカップを制覇した。また、キャプテンにも任命された。

ノッツ・カウンティ時代[編集]

2009年8月25日、フットボールリーグ2ノッツ・カウンティに移籍した。しかし、クラブ側の強化戦略などに不満を抱き、9月24日に契約を破棄。5年契約を結んでいたが、わずか29日間での退団となった[3]

アーセナル復帰[編集]

ノッツ・カウンティ退団後は古巣アーセナルの練習に参加することを許可され、調整を続けた。監督のアーセン・ヴェンゲルは当初はキャンベルと契約を結ぶつもりはないとしていたが、練習態度などが評価され2010年1月12日に正式に復帰した[4]

シーズン終了後、契約満了によりアーセナルを退団。

ニューカッスル・ユナイテッド時代[編集]

2010年7月28日、ニューカッスルへ移籍することが発表された[5]。しかし、ニューカッスルでは出場機会に恵まれず、シーズン終了後に退団した。

2012年5月2日に現役を引退した[6]

代表[編集]

1996年5月18日のハンガリー戦で代表デビューを果たした。その後1998年のフランスW杯では守備の要を担った。

2002年の日韓W杯、2004年のEURO2004にも出場した。

W杯ドイツ大会ではジョン・テリーリオ・ファーディナンドの控えに甘んじ、出場機会はスウェーデン戦での交代出場による1試合のみにとどまった。

監督歴[編集]

2018年11月27日、マクルズフィールド・タウンFCの監督に就任した[7]。2019年8月15日、監督を退任した[8]

2019年10月22日、サウスエンド・ユナイテッドFCの監督に就任した[9]

出典・脚注[編集]

  1. ^ “England Players - Sol Campbell” (英語). England Football Online. http://www.englandfootballonline.com/TeamPlyrsBios/PlayersC/BioCampbellSJ.html 
  2. ^ Sol Campbell on how he is still a 'Judas', 17 years after ditching Spurs for Arsenal” (英語). The Sun (2018年12月1日). 2021年5月7日閲覧。
  3. ^ キャンベル 約束を守らなかったノッツ・カウンティを退団AFP 2009年9月28日
  4. ^ ソル・キャンベルがアーセナル復帰Goal.com 2010年1月13日
  5. ^ ソル・キャンベルはニューカッスルへ アーセナル公式サイト 2010年7月29日
  6. ^ 元イングランド代表のキャンベルが引退Goal.com 2012年5月3日
  7. ^ 元アーセナルのソル・キャンベル氏が英4部で監督に就任”. 超ワールドサッカー (2018年11月28日). 2021年5月7日閲覧。
  8. ^ 元アーセナルのキャンベル氏、マクルズフィールド・タウン指揮官を退任”. 超ワールドサッカー (2019年8月16日). 2021年5月7日閲覧。
  9. ^ 元アーセナルのキャンベル氏、イングランド3部で監督就任”. 超ワールドサッカー (2019年10月23日). 2021年5月7日閲覧。

外部リンク[編集]