アシュリー・ヤング

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アシュリー・ヤング Football pictogram.svg
Ashley Young 2015.jpg
2015年のヤング
名前
本名 アシュリー・サイモン・ヤング
Ashley Simon Young[1]
ラテン文字 Ashley YOUNG
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス (イングランドの旗 イングランド)
ジャマイカの旗 ジャマイカ
生年月日 (1985-07-09) 1985年7月9日(32歳)
出身地 スティーブニッジ[2]
身長 180cm[3]
体重 65kg[3]
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC
ポジション MF (LSH) / FW (WG)
背番号 18
利き足 右足
ユース
2000-2003 イングランドの旗 ワトフォード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2007 イングランドの旗 ワトフォード 98 (19)
2007-2011 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 157 (30)
2011- イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 108 (11)
代表歴2
2006-2007 イングランドの旗 イングランド U-21 10 (1)
2007- イングランドの旗 イングランド 30 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月30日現在。
2. 2013年9月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アシュリー・サイモン・ヤング(Ashley Simon Young, 1985年7月9日 - )は、イギリス (イングランド)・ハートフォードシャー州スティーブニッジ出身のサッカー選手プレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドFC所属。ポジションミッドフィールダーフォワード。弟のルイス・ヤング英語版クローリー・タウンFCに所属するサッカー選手である[4]

クラブ経歴[編集]

ワトフォード[編集]

2000年から所属したワトフォードのアカデミーでは目立った活躍こそできなかったものの、選手としての実力の研鑽に励んだ結果が評価され、最終的には同クラブからプロ契約を提示されるに至った。トップチームへのデビューを果たしたのはレイ・レウィングトンが指揮を執っていた2003年9月のミルウォールFC戦であり、途中出場ながらゴールを決めた[5]。デビューシーズンは5試合に出場し、途中出場した全ての試合でゴールした結果合計で3ゴールを挙げ、リーグカップの試合では初の先発出場を果たした。翌シーズンはチャンピオンシップの試合に34試合出場し、得点こそ挙げられなかったものの幾つかのアシストを記録した。シーズン終了後にはクラブの最優秀若手選手に選出され、このシーズンはヤングにとって飛躍の一年となった。

エイディ・ブースロイド政権下の2005-06シーズンにはフォワードとして起用され、リーグ戦41試合にスタメン出場し、公式戦で15得点を決めた。プレーオフ準決勝のクリスタルパレスFC戦でもゴールを挙げる活躍を見せ、決勝ではリーズ・ユナイテッドAFCを3-0で降し、クラブのプレミアリーグ昇格に貢献した。

2006-07シーズンには、フラムFC戦での終了間際のロングシュートを含め3ゴールを決めた。冬の移籍期間に3クラブから500万ポンドでの獲得のオファーが届いたが、ワトフォードはすべて拒否した。またあるクラブからはワトフォードに700万ポンドでのオファーが提示されたものの[6]、これもワトフォード側が拒否している。ウェストハム・ユナイテッドFCからは1000万ポンド近くの移籍金でのオファーが届いたが、ヤング自身が移籍することを拒み、リーグの残留争いとは無縁のクラブからのオファーを待つことになった[7]

アストン・ヴィラ[編集]

アストン・ヴィラ時代のヤング

2007年1月18日、クラブ記録となる800万ポンドのオファーを受け入れ、ワトフォードはアストン・ヴィラFCの監督であるマーティン・オニールやクラブ関係者がヤングと直接交渉を行うことを許可した。2日後にオニールはヤングがクラブに加入することを確認した。1月21日にメディカルチェックをパスし、同月23日に契約を結んだ[8]。アストン・ヴィラでのデビュー戦となった同月31日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦には1-3で敗戦したものの、ヤング自身はゴールを決めた[9]2007-08シーズンには数試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍を見せ、イングランド代表にも選出された。

2008年4月20日バーミンガム・シティFC戦では、2ゴール、2アシストの活躍をし、インタートトカップオーデンセBK戦でもゴールを決め、クラブのUEFAカップの出場権獲得に貢献した。

プレミアリーグの2007-08シーズンのアシストランキングではセスク・ファブレガスの20アシストに次いで17アシストを記録した[10]。リーグのベストイレブンにも選出され、フィールドプレイヤーでは唯一、当時ビッグ4と呼ばれたマンチェスター・ユナイテッドアーセナルFCチェルシーFCリヴァプールFCの4クラブ以外からの選出となった。

2008年10月10日、ヤングは月間最優秀選手賞を受賞した。同年4月にも同賞を受賞しており、クリスティアーノ・ロナウドウェイン・ルーニースティーヴン・ジェラードらに並び同賞を複数回受賞した選手となった。3-2で勝利した2008年12月7日エヴァートンFC戦では2ゴールを挙げ、その内の1ゴールはインジュリー・タイムに決めた決勝ゴールであり、試合後の記者会見では監督のオニールをして「ワールドクラスの選手である」と言わしめた。2008年11月4日2012年までの契約延長にサインした[11]2009年12月にはオニールとともに月間最優秀監督賞、選手賞をそれぞれ受賞し、ヤングは3度プレミアリーグの月間最優秀選手に選ばれた初めての選手となった[12]2009年1月19日サンダランド戦では、ディーン・ホワイトヘッドに2度ファウルし退場処分を受けた[13]

ヤングは、スティーヴン・アイルランドアーロン・レノンガブリエル・アグボンラホールらを抑え、PFAの年間最優秀若手選手に選ばれた。

マンチェスター・ユナイテッド[編集]

数週間に渡って移籍に関する報道がなされたが、2011年6月22日、ヤングはメディカルチェックを受けるためにマンチェスターへ移動し[14]、翌日にマンチェスター・ユナイテッドFCと5年間の契約を結んだ[15]。同じサイドハーフのポジションではアントニオ・バレンシアナニとポジション争いをし、2012-13年にはマンチェスター・ユナイテッドのリーグ優勝に貢献した。

代表経歴[編集]

スティーヴ・マクラーレン監督により、EURO2008予選のロシア代表イスラエル代表戦に臨むメンバーに選ばれ、EURO2008予選のエストニア代表ロシア代表戦のメンバーにも選出された。A代表デビューとなったのは、2007年11月16日のオーストラリア代表との親善試合であり、後半から出場した。2011年2月10日のデンマークとの親善試合で、決勝点となる代表初ゴールを挙げた。同年9月6日のUEFA EURO 2012予選ウェールズ戦でも決勝点を挙げた。

人物および私生活[編集]

家族[編集]

ハートフォードシャースティーブニッジにて、ジャマイカ出身の父ルーサー[16]イングランド人の母シャロンの間に四人兄弟の次男として生まれた。兄のマーティンは現在はサッカー選手ではないが、過去にプロを目指していた時期があった[17]。一方三男のルイス・ヤング英語版2008年に兄アシュリーと同じくワトフォードFCのアカデミーからトップチームへと昇格した後、幾つかのクラブを経て現在はクローリー・タウンFCフォワードまたは右ウインガーとしてプレイしている。四男のカイルはプロ選手を2009年4月までアーセナルFCのアカデミーに所属していた[18]。三男のルイス曰く、アシュリーはサッカー選手として成功した後も、弟の成功のために親身になってアドバイスをしているとのことである[17]

学生時代から付き合っていたパートナーであるニッキー・パイクとの間には二人の子供、長男のタイラーと長女のエリアーナが生まれている。2011年、アシュリーとニッキーはハートフォードシャー五ツ星ホテルであるザ・グローブ・ワトフォード英語版にて20万ポンドの予算で挙式を計画していたが、式本番の二日前にアシュリーが式をキャンセルし、結婚の話は白紙に戻った。その後、2015年6月20日、アシュリーとニッキーの二人は正式に結婚し、バッキンガムシャーストーク・パレス・ホテルで挙式した。この結婚式は身内とごく親しい友人だけで行われており、サッカー関係者では元サッカー選手のファブリス・ムアンバスティリアン・ペトロフのみが参加した[19]

サッカーへの情熱[編集]

アシュリーは5歳の頃からサッカーに熱中し、兄弟とともにサッカー遊びに明け暮れた。10歳の時にアシュリーがボールで白鳥の装飾品を壊してしまったために家の中でボール遊びを禁止されるまでは家の中でもサッカーをしていた他、少年時代は日が沈んでボールが殆ど見えなくなる時間帯まで公園でのサッカーに打ち込んでいた[16]

スティーブニッジが大ロンドンの北に位置していることもあり、両親は北ロンドン英語版に本拠地を有するトッテナム・ホットスパーFC、兄弟はそのライバルチームであるアーセナルFCと、親子でそれぞれ相敵対するチームのサポーターとなった[16]。ヤングは1990年代のアーセナルFCで活躍したイアン・ライトに憧れ、寝室にもイアン・ライトのポスターを張るなどしていた[16]

社会貢献運動[編集]

反レイシズム[編集]

2009年にヤングは競技サッカー・教育機関地域社会におけるレイシズム(民族的偏見人種的偏見)および差別の撲滅を訴える団体として知られるキック・イット・アウト (団体)英語版アンバサダーに就任した。団体が開催したイベントでのインタビュー中、ヤングは12歳の頃に少年サッカーの試合で他チームの選手から人種差別を受けた過去を告白した[16]。ヤングは団体の活動に参加した理由について、「(父が差別を受けてきた時代のイングランドに比べれば)差別の状況はましになってはきている。だけど、もし自分が受けたような差別を他の小さな子供達が経験しなくて済むように何かができたらと思っているし、幸いなことに、僕にはできることがある。(差別を受ける可能性のある子供達には)成功した人生を歩むための見本が必要だし、それが僕がこの団体に加わった理由だよ。」と語っている[16]

エボラ出血熱撲滅運動[編集]

2014年の西アフリカエボラ出血熱流行を受け、西アフリカシエラレオネ出身で2014年当時チェルシーFCからバーンリーFCへとレンタルされていたナサニエル・チャロバーは、エボラ出血熱に罹った西アフリカのストリートチルドレンを救うためのチャリティーを開始した。チャロバーはロンドンに事務所を構えるチャリティー団体であるストリート・チャイルド英語版の協力を得て、基金設立を目的とした募金への協力を呼び掛けるKick Ebola Outというキャンペーンを始めた[20]。このキャンペーンは募金への参加を呼び掛ける動画SNSに投稿する形態のもので、動画に登場する投稿者がサッカーボールを用いたリフティング等のテクニックをカメラの前で披露し、かつ次に同様の動画を投稿する友人を指名するルールで行われた。チャロバーはキャンペーンの始まりとなった自身の投稿[21]で数人のサッカー選手を次の投稿者として指名したが、このうち当時ハル・シティAFCキャプテンを務めていたカーティス・デイヴィスが投稿を承諾した。公開された動画[22]の中ではヤングも指名され、ヤングは12月14日フェイスブック上で動画を公開[23]した。動画は18万回再生されるなど反響を呼び、キャンペーンの拡大に繋がった。

その他[編集]

スティーブニッジのザ・ジョン・ヘンリー・ニューマン・スクールの同期生にF1ドライバーのルイス・ハミルトンがおり、同じチームでサッカーをしていたことがある[24]

出場記録[編集]

クラブ[編集]

2015年8月8日現在[25][26][27]

クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ UEFA その他[nb 1] 合計
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
ワトフォード 2003-04 5 3 0 0 1 0 6 3
2004-05 34 0 0 0 4 0 38 0
2005-06 39 13 1 1 0 0 3 1 43 15
2006-07 20 3 1 0 2 1 23 4
合計 98 19 2 1 7 1 3 1 110 22
アストン・ヴィラ 2006-07 13 2 0 0 0 0 13 2
2007-08 37 8 1 0 1 0 39 8
2008-09 36 8 3 0 1 0 8 2 48 10
2009-10 37 5 6 2 5 2 2 0 49 9
2010-11 34 7 2 0 3 2 1 0 39 9
合計 157 30 12 2 10 4 11 2 190 38
マンチェスター・ユナイテッド 2011-12 25 6 0 0 0 0 7 2 1 0 33 8
2012-13 19 0 2 0 0 0 2 0 23 0
2013-14 20 2 0 0 2 1 8 0 0 0 30 3
2014-15 26 2 3 0 0 0 29 2
2015-16 18 1 1 0 2 0 5 0 0 0 36 0
2016-17 12 0 3 0 1 0 7 0 0 0 23 0
合計 91 10 5 0 2 1 17 2 1 0 116 13
キャリア合計 346 59 19 3 19 6 28 4 4 1 416 73
  1. ^ チャンピオンシッププレイオフ及びFAコミュニティ・シールド

代表[編集]

2013年9月10日現在
イングランド代表
出場 ゴール
2007 1 0
2008 3 0
2009 3 0
2010 4 0
2011 7 4
2012 9 2
2013 3 1
合計 30 7

タイトル[編集]

クラブ[編集]

マンチェスター・ユナイテッドFC

個人[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Premier League clubs submit squad lists (PDF) (英語)
  2. ^ Ashley Young maturing nicely at Aston Villa
  3. ^ a b [1]
  4. ^ Watford Team profiles: Lewis Young
  5. ^ Young tipped for big Villa impact
  6. ^ Watford reject £7m bid for Young
  7. ^ Young rejects Hammers move
  8. ^ Young completes £9.65m Villa move
  9. ^ Tactical Formation
  10. ^ Statistics
  11. ^ Young signs four-year Villa deal
  12. ^ Young handed third monthly award
  13. ^ Ashley Young sent off as Aston Villa run continues
  14. ^ United close in on Young
  15. ^ Reds sign Ashley Young
  16. ^ a b c d e f Ashley Young: 'I knew I had to fight to prove them wrong' TheGuardian 2016年1月閲覧
  17. ^ a b Northampton Town's Lewis Young glad of Ashley's support BBC Sport 2016年1月閲覧
  18. ^ Young Gunner Kyle to be better than brother Ashley?
  19. ^ Ashley Young finally marries Nicky Pike at second time of asking four years after Manchester United winger called off wedding two days before the ceremony - Daily Mail 2016年1月閲覧。
  20. ^ Kick Ebola Out 公式ページ 2016年1月閲覧
  21. ^ Nathaniel Chalobah for #KickEbolaOut for Street Child Street Child Sierra Leone - YouTube
  22. ^ Curtis Davies for #KickEbolaOut for Street Child Street Child Sierra Leone - YouTube
  23. ^ Young/posts/357766164403597 Ashley Youngの投稿 (357766164403597) - Facebook
  24. ^ Ashley Young: Meet Stevenage's second greatest sporting prodigy
  25. ^ “Ashley Young Aston Villa”. avfc.co.uk (Aston Vila). (2008年2月26日). http://www.avfc.premiumtv.co.uk/page/PlayerProfiles/0,,10265~23776,00.html 2008年2月26日閲覧。 
  26. ^ Ashley Young EPSN Stats”. ESPNsoccernet. 2008年12月7日閲覧。
  27. ^ Endlar, Andrew. “Ashley Young Stretford End”. StretfordEnd.co.uk. 2011年4月9日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]