アーセナルFC

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アーセナルFC
原語表記 Arsenal Football Club
愛称 The Gunners
クラブカラー     赤(レッド)・    白(ホワイト)
創設年 1886年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム Emirates-stadionin etupuoli.jpgエミレーツ・スタジアム
収容人数 60,260
運営法人 アーセナル・ホールディングス
代表者 スコットランドの旗 チップス・ケズウィック
監督 スペインの旗 ウナイ・エメリ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アーセナル・フットボールクラブArsenal Football Clubイギリス英語発音[ˈɑːsənl ˈfutˌbɔːl klʌb] アーセナル・フットボール・クラブ) は、イングランドの首都ロンドン北部をホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグプレミアリーグに加盟するプロサッカークラブ。愛称は「ガナーズ(Gunners)[1]」。また、サポーターは「グーナー(Gooner)」と呼ばれる。これまでリーグ優勝13回、FAカップ優勝13回など多くのタイトルを獲得している。

概要[編集]

1886年に創立。現在のホームスタジアムはロンドンエミレーツ・スタジアム(収容人員は60,260人)。現在はプレミアリーグに所属し、同リーグにおいて3回の優勝記録を持つ(フットボールリーグ時代を含めると16)。2003-2004シーズンには無敗優勝を達成したイングランド屈指の強豪である。クラブカラーは赤と白。1886年に軍需工場の労働者のクラブとして創設されたため、チームのエンブレムは大砲のマークである。「ガナーズ(砲撃手)」の愛称をもつ。

歴史[編集]

創成期(1886年-1920年)[編集]

1888年のアーセナルの選手達
創立当時の1888年に用いられたアーセナルのロゴ

1886年ロンドン南東部ウーリッジ地区にあった王立兵器廠(ロイヤル・アーセナル)の労働者がダイアル・スクエア(Dial Square)のチーム名で結成した。

1886年12月11日に初めての試合をイースタン・ワンダラーズと行った(6対0で勝利)。しばらくしてロイヤル・アーセナル(Royal Arsenal)と名称を変更する。更に1891年、プロ化を果たすとともにウーリッジ・アーセナル(Woolwich Arsenal)へと改称。

1893年フットボールリーグの2部へ加盟し、1904年に1部へ昇格した。だが、地理的要因により集客力が悪かったため、1910年に破産状態に陥り、ヘンリー・ノリスに買収される。2部へ降格後の1913年、ノリスはチームを北ロンドンハイベリーアーセナル・スタジアムへと移転させる。翌年、名称から「ウーリッジ」が外されて、現在の名称となる。

1919年に5位でシーズンを終えるも、近隣のライバルであるトッテナム・ホットスパーを差し置いて1部昇格を果たす。これが現在まで続く両チームの激しいライバル関係の端緒となったという見方もある。

ハーバート・チャップマンの時代(1925年-1940年)[編集]

1925年ハーバート・チャップマンが監督に就任する。チャップマンによる革新的な戦術やトレーニング法の導入、アレックス・ジェームスクリフ・バスティンといったスター選手の獲得が、1930年代にアーセナルがイングランドサッカーを支配する礎となった。チャップマンの下で1929-30に初のFAカップ優勝、1930-31に初のリーグ優勝を果たす。

スタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」へと変更させたのもチャップマンの手腕によるものと言われている[2]。ロンドンの地下鉄の中でサッカークラブのチーム名が駅名となっているのはアーセナルだけである。

夜間の試合のためにハイベリーのウェストスタンドに投光照明器を採用したのもチャップマンがリーグで初めてであったが、イングランドサッカー協会はその使用を50年代まで認めなかった。

また、リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマンである[2]。このように、アーセナルだけでなくサッカーの近代化に大きな貢献をしたチャップマンは1934年肺炎で急逝した。その死後ジョー・ショー、続いてジョージ・アリソンが監督を引き継ぎ、2人の下でアーセナルは3度のリーグ優勝(1933-34、1934-35、1937-38)と2回のFAカップ優勝を果たした。しかし、1939年9月第二次世界大戦の勃発と共にリーグは中断を余儀なくされた。

戦後初のダブル、フェアーズカップ(1947年-1980年)[編集]

1949年から2002年にかけて用いられていたエンブレム

第二次世界大戦後、アリソンの後を継いだトム・ウィタカーの下でも1947-48、1952-53の2回のリーグ優勝、1949-50のFAカップ優勝を成し遂げるが、その後チームは低迷し、50年代はメジャーなタイトルを獲得することなく終わる。

1966年、クラブのフィジオセラピストだったバーティー・ミーが予想外に監督へ抜擢される。2度のリーグ杯準優勝を経て、1969-70に初のヨーロッパでのタイトルとなるインターシティーズ・フェアーズカップを獲得。更に1970-71にはリーグとFAカップ優勝の“ダブル”を達成した。しかし、ダブルを達成したメンバーは徐々にチームを離れていき、1970年代はタイトル獲得の一歩手前で足踏みするシーズンが続いた。1972-73にはリーグ2位、3度のFAカップ準優勝(1971-72、1977-78、1979-80)、UEFAカップウィナーズカップ準優勝(1979-80)がこの間の成績で、獲得したタイトルは1978-79のFAカップ優勝のみである。マンチェスター・ユナイテッドを終了間際のゴールにより3-2で破ったこの試合は、アーセナルの歴史における名勝負のひとつに数えられている。

ジョージ・グラハムの時代(1986年-1995年)[編集]

1986年に就任したジョージ・グラハムは元アーセナルの選手であり、クラブに第3の黄金期をもたらした。就任1年目の1986-87にリーグカップを優勝。1988-89のリーグ優勝はシーズン最終節で優勝を争っていたリヴァプールFCを、その本拠地アンフィールドでロスタイムに下すという劇的なものだった。これは最も有名なアーセナルの試合のひとつである。

1990-91には1敗したのみでリーグ優勝、1992-93にはFAカップとリーグカップを獲得、1993-94にはカップ・ウィナーズ・カップを獲得。しかし、選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが明らかとなって、1995年にグラハムは解雇された。後任はブルース・リオッホが務めたが、彼も1シーズンで退任した。

アーセン・ベンゲルの就任後からエミレーツ・スタジアム完成まで(1996年-2005年)[編集]

2003-04シーズンのFAプレミアリーグ優勝トロフィーを受け取るキャプテンのパトリック・ヴィエラ

1990年代後半から2000年代にかけてのクラブの成功は、1996年に就任したアーセン・ベンゲルの手腕によるところが大きい。ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法を導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を獲得した。食事制限や禁酒の徹底、外国人選手の登用などがプレミアリーグ全体にもたらしたインパクトは大きく、多くのチームや監督がベンゲルの影響を受けたと言われている。アーセナルは伝統的にフィジカルを前面に押し出した守備的な戦い方で知られており、1990年代後半は「フェイマス4」と呼ばれた4バック(トニー・アダムスナイジェル・ウィンターバーンリー・ディクソンマーティン・キーオン)とGKのデビッド・シーマンを擁して堅固な守備を誇った。また、他チームのサポーターや攻撃的サッカーを好む一般のマスコミからは「1-0のアーセナル」、「退屈で守備的サッカーを展開するチーム」などと揶揄された。しかし、ベンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、海外の選手を積極的に補強し、華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わった。

ベンゲルは1997-98にクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成し、更に2001-02には3度目のダブルを果たす。1999-00にはUEFAカップ準優勝、2002-03と2004-05にはFAカップを優勝。2003-04シーズンには、シーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝を果たし、このチームは「The Invincibles(無敵のチーム)」と讃えられた。その後49戦無敗を続け、この記録は未だに破られていない。なお、カップ戦を含めた無敗記録は2007年4月9日-2007年11月24日にかけての28試合である。2005-06シーズン、初めてチャンピオンズリーグ決勝に進出したが、FCバルセロナに破れた。

ベンゲル指揮下の16シーズン中8シーズン、アーセナルはリーグ優勝か2位の座を獲得している。1993年のプレミアリーグ設立後、リーグ優勝を果たした6チーム(マンチェスター・ユナイテッド、ブラックバーン・ローヴァーズチェルシーマンチェスター・シティFCレスター・シティFC)のひとつである。

エミレーツへの移転と無冠の時代(2000年代後半)[編集]

2006年6月、93年間使用したハイベリーに別れを告げ、エミレーツ・スタジアムへ移転した。杮落しはアヤックスを招いて行われたデニス・ベルカンプの引退試合であった。

この時期のクラブ経営陣はエミレーツ・スタジアム建設に関わる負債の返済のために、チームの主力級の選手に対してチェルシーマンチェスター・ユナイテッドといった他のビッグクラブで主力級の選手が得ている程の高額な年俸の支払いを認めなかった上、たとえタイトルに恵まれない状況下でもトップレベルの実力と経験のある選手の獲得のために資金を投入しようとはしなかったため、タイトルの獲得やより高い報酬を求めてクラブを去る主力選手が後を絶たなかった。またこのような理由でクラブを離れた選手には、パトリック・ヴィエラマチュー・フラミニアレクサンドル・フレブアシュリー・コールガエル・クリシーセスク・ファブレガスサミル・ナスリエマニュエル・アデバヨールロビン・ファン・ペルシー等がいた。

2004-05シーズンにジョゼ・モウリーニョが監督に就任したチェルシーFCに得失点差で及ばずリーグ優勝を逃して以降、10シーズン以上もの間リーグで優勝できず、チェルシーマンチェスター・ユナイテッド等の後塵を拝する形で次第に優勝争いからさえも遠ざかる状況が常態化するようになっていった。またFAカップでも2004-05シーズンの優勝以降9年間タイトルに恵まれなかった。チャンピオンズリーグでは2005-06年大会の決勝戦でFCバルセロナに破れて初優勝を逃したとき以外決勝の舞台には立てておらず、中には決勝トーナメント一回戦で敗退する年すらあった。

このように2000年代中頃から2010年代初頭はクラブ史における低迷期とも言える時期であったが、同時に世代交代の時期でもあった。ベルカンプ、ティエリ・アンリヌワンコ・カヌロベール・ピレス、パトリック・ヴィエラ、フレドリック・ユングベリローレン・エタメ・マイヤーソル・キャンベルといった黄金時代を支えた選手達が去る中でクラブは急速に世代交代を進めていき、チームの中心はセスク・ファブレガス、フラミニ、アデバヨール、トマーシュ・ロシツキー、ナスリ、ウィリアム・ギャラスアンドレイ・アルシャビンコロ・トゥーレトーマス・フェルマーレンバカリ・サニャ、ファン・ペルシーといった選手が占めるようになっていった。若手を中心としたチームはポテンシャルを感じさせるプレーを度々見せたものの、精神面やパフォーマンスに安定を欠いていたためか内紛が多く、先述のように主力選手が他のビッグクラブへと去ることも多かった。しかしこの間もセオ・ウォルコットアーロン・ラムジージャック・ウィルシャーローラン・コシールニーなどはチームに留まり続け、その後のチームの屋台骨を支える選手として成長していった。

2011年以後の補強の成功により、チームの戦力は徐々に充実していった。セスク・ファブレガスが退団したが、ミケル・アルテタヨッシ・ベナユンで補強した。2011年の夏にブレーメンからアーセナルに移籍したペア・メルテザッカーは、1年目は怪我に苦しんだものの、2年目の2012-13シーズンにはローラン・コシールニーとの息の合ったコンビネーションを見せた。この2012-13シーズンにはファン・ペルシが退団したものの、新戦力であるマラガから加入したサンティ・カソルラは加入直後からチームにフィットしてチームの躍進を支えた外、モンペリエHSCからオリヴィエ・ジルーが加入して47試合に出場し17ゴールを記録した。

緊縮財政の終了と無冠時代の終焉からベンゲル退任まで(2011年以降)[編集]

エミレーツ・スタジアム建設に関わる負債の減少から緊縮財政が終わり、経済的理由による主力の放出は治まり、高額な移籍金のかかる選手の獲得にも乗り出せるようになる。

2013年9月2日にアーセナルはクラブ史上最高の移籍金5000万ユーロでレアル・マドリーCFよりメスト・エジルを獲得した。エジルはカソルラらと息の合ったコンビネーションを構築し、二年連続でUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに選出される程の卓越したパフォーマンスを披露した。このような補強の成功と戦力の増強が奏功し、チームは5月17日のFAカップ決勝にてハル・シティに逆転勝利をおさめ優勝を果たし、アーセナルは9シーズンぶりにタイトル獲得の喜びをファンと分かち合った[3]

翌年の2014-15シーズンにはFCバルセロナから3500万ポンド(60億円)でチリ代表アレクシス・サンチェスを、ニースから2014 FIFAワールドカップで脚光を浴びたコロンビア代表ダビド・オスピナを、ニューカッスル・ユナイテッドからフランス代表マテュー・ドゥビュシーなど6名を獲得するなど、積極的な補強を行った。シーズン最初の2014 FAコミュニティーシールドでは前季リーグ王者のマンチェスター・シティと対戦し3-0で勝利をおさめ、このシーズン最初のタイトルを獲得した。リーグ戦で例年よりも安定した戦績を積み3位となった他、FAカップでは決勝でアストン・ヴィラに4-0での勝利をおさめ、二季連続でFAカップを制した。この優勝によりアーセナルのFAカップにおける優勝回数は12回となり、アーセナルはマンチェスター・ユナイテッドを単独で上回る歴代最多優勝チームとなった[4]

2015年7月30日、ロンドンを同じく本拠地とするライバルのチェルシーFCからペトル・チェフを獲得。8月2日には2015 FAコミュニティーシールドでそのチェルシーと対戦して1-0で勝利し、同大会の通算タイトル獲得数を14に伸ばした。2015-16シーズンは、前半戦19節終了時点で首位に立っていたものの最終的にレスター・シティに抜かれて2004-05シーズン以来の2位となった。

2016-17シーズンには、ボルシアMGからグラニト・ジャカバレンシアCFからシュコドラン・ムスタフィデポルティーボ・ラ・コルーニャからルーカス・ペレスを獲得した[5]。開幕戦こそリヴァプールに敗れたものの、チェルシーに勝利するなど調子が上向きであった。しかしエジルが不調に陥り、サンチェスの個の力に依存するようになると徐々に順位を落とし、最終的には5位でシーズンを終え、UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグ連続出場が19シーズンでストップした。チャンピオンズリーグでもベスト16でバイエルン・ミュンヘンに二戦合計2-10で大敗し姿を消した。FAカップは決勝でチェルシーに2-1で勝ち、再び史上最多となる13回目の優勝を飾り無冠を免れた。

2017-18シーズンの夏の移籍市場でセアド・コラシナツアレクサンドル・ラカゼットを獲得した[6]。 17-18シーズンは、長年に渡って維持してきたCL出場権を逃したためフロント陣の大刷新を図った。フィットネスコーチとしてオーストラリア代表リヴァプールで働いていたオーストラリア人ダレン・バージェスをAFLのチームから引き抜いた。彼は、アーセナルでは、メディカル、フィットネス、心理学、そしてパフォーマンス分析を任される。スポーツにおける法律関連の業務を取り扱う企業のディレクター職兼自転車ロードレース『チーム・スカイ』で法律顧問を務める弁護士ハス・ファミーを契約交渉担当として引き抜いた。2017年11月20日、約10年間ドルトムントに在籍し敏腕スカウトとして注目されていたスヴェン・ミスリンタットをスカウトとしては異例の移籍金を支払う形でスカウト部門の責任者として引き抜いた。また、同年11月28日、約15年間FCバルセロナのFDを務めていたラウル・サンレヒが2018年2月1日からサッカー部門責任者として就任することを発表した。トップチームのコーチにOBのレーマンが就任した。入れ替わる形で約8年間に渡って交渉責任者を務めていたディック・ロウや約25年間に渡ってチーフスカウトを務めてきたスティーブ・ローリーが退任した。 冬の市場でオーバメヤンA・サンチェスとトレードする形でムヒタリアンなどミスリンタットが古巣でスカウトした選手を立て続けに獲得した。しかし、スタッフ陣の大刷新も実らず、6位でシーズンを終え二季連続でCL出場権を逃した。 2018年4月20日、クラブHPに於いて22年間指揮したアーセン・ベンゲル監督の今季終了後の退任を発表した。

ウナイ・エメリ監督就任(2018年~)[編集]

2018年5月23日、アーセナルFCの監督に就任することが発表された[7][8]。新体制になったものの新加入選手はボルシア・ドルトムントからソクラティス・パパスタソプーロスユヴェントスからステファン・リヒトシュタイナーなど合わせて五名ほどとなっており刷新と言うほどにはならなかった。 監督交代などもあり昨季に続きスタッフ陣の刷新が行われ、昨季キャプテンを務めシーズン終了後に現役引退したメルテザッカーがアカデミーの監督に就任した。また、OBのユングベリがアカデミーのヘッドコーチに就任した。しかし、昨季、コーチに就任したレーマンは、退団することが決まった。2018年9月18日、約10年に渡りアーセナルのCEOを務めてきたイヴァン・ガジディスが12月1日付けでACミランのCEOに就任することが発表された。後任としてラウル・サンレヒがフットボール部門のヘッドにヴィナイ・ヴェンカテシャムがマネージングディレクターに就任することになった。

ユニフォーム[編集]

ユニフォームは伝統的に赤地に白い袖を特徴としている。赤地はクラブが結成された1886年ノッティンガム・フォレストから贈られたシャツがきっかけとなって定着したものである。結成メンバーのフレッド・ビアズリーとモリス・ベイツは以前フォレストでプレーした経験があり、用具のなかったチームを助けてもらえないかとフォレストに頼んだ。それを受けて濃い赤のシャツとボールが贈られたのである。1993年、より鮮やかな赤色と白い袖に変更したのはハーバート・チャップマンである。白い袖を取り入れた背景には白いシャツの上に赤いシャツを着たファンをハイベリーで見かけたという説、ゴルフ仲間のトム・ウェブスターが似たような服を着ていたからという2つの説がある。 アーセナルの赤地に白袖のデザインをユニフォームに取り入れたチームにACスパルタ・プラハハイバーニアンFCSCブラガがある。そのために後者には"Os Arsenalistas"というニックネームがついている。 毎試合選手は同じ袖(長袖か半袖のどちらか)のユニフォームを皆揃って着るように決まっている。どちらを着て試合に出るかを決めるのはキャプテンの役目であり、この習慣は90年代初期のトニー・アダムスから始まった。

クレスト[編集]

クラブのモットーは「勝利は調和の中から生まれる(ラテン語: Victoria Concordia Crescit)」。1949年から使用されたクレストに初めて登場する。現行のクレストは2002年から使用されている。大砲の上にサンセリフ体でチーム名が書かれている。

ダービーマッチ[編集]

エミレーツ・スタジアムのグラウンド

同じ北ロンドンに本拠を構えるクラブ同士としてトッテナム・ホットスパーとはライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのがかつて同クラブから移籍してきたソル・キャンベルに対してトッテナムファンがユダと呼んだという出来事である。両チームの対戦は「ノース・ロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスターマンチェスター・ユナイテッドマンチェスター・シティ)、マージーサイドリヴァプールエヴァートン)と並び3大ダービーの一つに数えられている。 他にも近年上位を争っているチェルシーFCとの対戦は「ビッグロンドン・ダービー」と呼ばれている。

エピソード[編集]

  • 1927年1月22日に行われた対シェフィールド・ユナイテッド戦は、イングランドで初めてラジオ中継されたリーグ戦だった。また1937年9月16日に行われたアーセナルのファースト・チームとリザーブ・チームのエキシビション・マッチは、サッカーの歴史上初めてテレビで生中継された試合である。
  • 長らくホームスタジアムとして有名だったハイベリー(1913年建設)から、2006年7月にエミレーツ・スタジアムに移転した。これはUAEの航空会社、エミレーツ航空命名権を獲得したことによるもので、その契約内容は15年で1億ポンド(約200億円)と巨額なものとなっている。なお、使用されなくなったハイベリースタジアムの跡地にはスタンドの一部を残し高級アパートが建設されている。
  • ワールドカップドイツ大会に、当時17歳の若さで、セオ・ウォルコットが同クラブでの公式戦出場がないにも関わらず選出され、イングランド国内外でサプライズ招集として注目を浴びたが、試合出場の機会は無かった。
  • 就任当初は足りないところを外国人で補強するという方針を公言していたベンゲル監督だったが、その後は英国のチームながらフランスやアフリカなど監督と同じフランス語圏系の選手が大半を占め、イングランド人選手の活躍の場が結果的に少ない状況が続いていた。特に2006-07シーズン開始時、ピッチ上にイングランド人選手が全くいない試合が多くあったため、イングランド国内において外国人偏重チームと批判されることが多い。この理由についてベンゲル監督はアーセナルが若手有望株を多く登用する方針であることを指摘した上で、「だがイングランドの若手選手を獲得しようとすると、他の国の選手に比べて値段が高い。そうなれば法律的に15歳から17歳の移籍金のかからない国の有望な若手選手に目を向けることが多くなるのは自然なことだ」とコメントしている。その後ホームグロウン制度[9]を満たす若手外国人選手の獲得は続いているものの、アカデミー出身のジャック・ウィルシャーキーラン・ギブスやイングランドやウェールズの若手選手の獲得など、国内の選手の台頭も見られるようになった。
  • 国家による労働法・雇用法の違いを利用し、18歳未満の選手を無償で獲得する手法には各方面から批判が上がるが、法律上は問題はないのでむしろ各クラブのモラルの問題と見る声もある。その例として、2003年16歳にしてFIFA U-17ワールドカップで得点王とMVPを獲得したバルセロナ所属のセスク・ファブレガスは、アーセナルに17歳で移籍した[10]
  • バッキンガム宮殿におけるエリザベス2世主催のお茶会にサッカークラブとして初めて招待された。エミレーツ・スタジアムの落成式には女王が臨席する予定であったが、体調を崩していたため、夫のエディンバラ公フィリップが代理出席した。
  • 2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグでは、2012-13シーズンのクラブ収入は2億8430万ユーロであり、世界第8位、プレミアリーグではマンチェスター・ユナイテッドFCマンチェスター・シティFCチェルシーFCに次ぐ第4位である[11]
  • 審判のマイク・ディーンとの相性の悪さは有名である。2015年時点、2005年以降で他の審判員が担当した場合の勝率が60.21%なの対し、ディーン主審の場合は26.47%まで下がるとういうデータが有る。度々、アーセナルに不利な不可解なジャッジを行い物議を醸す。特に、11-12シーズン2月のノース・ロンドン・ダービーにおいてトッテナムのゴールに喜ぶような仕草を見せ話題となった。また、2015年にはチェルシーとのダービーマッチにおいて一連の乱闘騒ぎがあったがジエゴ・コスタの挑発行為や暴力行為が引き金となったにもかかわらずガブリエウのみが退場となった。これに激怒したアーセナルサポーターは、同氏が二度とアーセナル戦で笛を吹かないよう署名運動を行った。17-18シーズン12月のWBA戦においてチェンバースのハンドが取り相手にPKを与えた。この判定に激怒したベンゲルは、審判団の控室に乗り込んで主審を罵倒するなどした。FAは、この行為についてベンゲルに3試合のベンチ入り禁止と4万ポンドの罰金の処分を科した。しかし、後日、マイク・ディーンは、この判定が誤りであったことを認めた。

エミレーツ・カップ[編集]

2007年からエミレーツ・スタジアムで夏に開催されているプレシーズントーナメント。2日間で行う。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

  • FAカップ:13回FA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.pngFA Cup.png
    • 1929-30, 1935-36, 1949-50, 1970-71, 1978-79, 1992-93, 1997-98, 2001-02, 2002-03, 2004-05, 2013-14, 2014-15, 2016-17

国際タイトル[編集]

親善大会(非公式大会)[編集]

  • バークレイズ・アジアトロフィー:1回
    • 2015

歴代使用スタジアム[編集]

なお、UEFAチャンピオンズリーグの開催時はUEFAの規定により『アーセナル・スタジアム』の名称になる。

現所属メンバー[編集]

2018-19シーズン 基本フォーメーション

Soccer Field Transparant.svg

2018年10月20日現在

スタッフ[編集]

役職 名前 在籍年 前職
監督 スペインの旗 ウナイ・エメリ 2018年- フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
助監督 イングランドの旗 スティーブ・ボールド英語版 2012年- イングランドの旗 アーセナルFC.アカデミー英語版 (アシスタントコーチ)
助監督 スペインの旗 ファン・カルロス・カルセド 2018年- フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
アシスタントコーチ スペインの旗 パブロ・ビジャヌエヴァ 2018年- フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
GKコーチ イングランドの旗 サル・ビボ 2017年- イングランドの旗 レディングFC
GKコーチ スペインの旗ハビ・ガルシア 2018年- フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
パフォーマンス長 アメリカ合衆国の旗 シャド・フォーサイス 2014年- ドイツの旗 ドイツ代表
ハイパフォーマンス・ディレクター オーストラリアの旗 ダレン・バージェス 2017年- オーストラリアの旗 ポート・アデレード(AFL)
ストレングス&コンディショニング・コーチ スペインの旗Julen Masach 2018年- フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
データ/ビデオ・アナリスト ヴィクトル・マナス 2018年- フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC

選手[編集]

Pos No. 選手名 在籍年 前所属 備考
GK 1 チェコの旗 ペトル・チェフ 2015年- イングランドの旗 チェルシーFC
19 ドイツの旗 ベルント・レノ 2018年- ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン
26 アルゼンチンの旗 エミリアーノ・マルティネス 2011年- イングランドの旗 アーセナルFCユース
DF 2 スペインの旗 エクトル・ベジェリン 2014年- イングランドの旗 アーセナルFCユース
5 ギリシャの旗 ソクラティス・パパスタソプーロス 2018年- ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
6 フランスの旗(ポーランドの旗) ローラン・コシールニー(主将) 2010年- フランスの旗 FCロリアン
12 スイスの旗 ステファン・リヒトシュタイナー 2018年- イタリアの旗 ユヴェントスFC
16 イングランドの旗 ロブ・ホールディング 2016年- イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズFC
18 スペインの旗 ナチョ・モンレアル 2013年- スペインの旗 マラガCF
20 ドイツの旗(アルバニアの旗) シュコドラン・ムスタフィ 2016年- スペインの旗 バレンシアCF
25 イングランドの旗(フィンランドの旗) カール・ジェンキンソン 2011年- イングランドの旗 チャールトン・アスレティックFC
27 ギリシャの旗 コンスタンティノス・マヴロパノス 2018年- ギリシャの旗 PASヤニナFC
31 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗(ドイツの旗) セアド・コラシナツ 2017年- ドイツの旗 シャルケ04
MF 4 エジプトの旗 モハメド・エルネニー 2016年- スイスの旗 FCバーゼル
7 アルメニアの旗 ヘンリク・ムヒタリアン 2018年- イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC
8 ウェールズの旗 アーロン・ラムジー 2008年- イングランドの旗 カーディフ・シティFC
10 ドイツの旗(トルコの旗) メスト・エジル 2013年- スペインの旗 レアル・マドリード
11 ウルグアイの旗(スペインの旗) ルーカス・トレイラ 2018年- イタリアの旗 UCサンプドリア
15 イングランドの旗 メイトランド=ナイルズ 2017年- イングランドの旗 アーセナルFCユース
29 フランスの旗(モロッコの旗) マッテオ・グエンドウジ 2018年- フランスの旗 FCロリアン
34 スイスの旗(アルバニアの旗) グラニト・ジャカ 2016年- ドイツの旗 ボルシア・メンヒェングラートバッハ
FW 9 フランスの旗 アレクサンドル・ラカゼット 2017年- フランスの旗 オリンピック・リヨン
14 ガボンの旗(フランスの旗)(スペインの旗) ピエール=エメリク・オーバメヤン 2018年- ドイツの旗 ボルシア・ドルトムント
17 ナイジェリアの旗(イングランドの旗) アレックス・イウォビ 2015年- イングランドの旗 アーセナルFCユース
23 イングランドの旗(ガーナの旗) ダニー・ウェルベック 2014年- イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、★はホーム・グロウン選手、☆はU-21登録選手を示す。

ローン移籍[編集]

out
Pos No. 選手名 在籍年 移籍先 移籍期間
GK 13 コロンビアの旗 ダビド・オスピナ 2014年- イタリアの旗 SSCナポリ 2019年6月30日
54 イングランドの旗 マット・メイシー 2015年- イングランドの旗 プリマス・アーガイルFC 2019年5月31日
DF 21 イングランドの旗 カラム・チャンバース 2014年- イングランドの旗 フラムFC 2019年5月31日
37 ポーランドの旗 クリスティアン・ビエリク 2015年- イングランドの旗 チャールトン・アスレティックFC 2019年5月31日
FW イングランドの旗(ジンバブエの旗) リース・ネルソン -- ドイツの旗 TSG1899ホッフェンハイム 2019年6月30日
日本の旗 浅野拓磨 2016年- ドイツの旗 ハノーファー96 2019年6月30日

リザーブ・アカデミー[編集]

2018-2019シーズンのスポンサー[編集]

Arsenal.comのOUR PARTNERSページを参考[12]
ヨーロッパやアメリカの企業はもちろん、中東やアジアの企業も名を連ねる。

LEAD PARTNERS[編集]

OFFICIAL PARTNERS[編集]

REGIONAL PARTNERS

歴代胸スポンサー[編集]

  • 日本の旗 日本ビクター
    • 82/83〜98/99シーズンまでのスポンサー。胸には「JVC」と書かれていた。アーセナル史上初の胸スポンサーであった。
  • 日本の旗 セガ
    • 99/00〜01/02シーズンまでのスポンサー。胸には「SEGA」または「Dreamcast」と書かれていた。
  • イギリスの旗 O2
    • 02/03〜05/06シーズンまでのスポンサー。ハイベリー時代最後のスポンサーで、03/04シーズンのインビンシブルズを達成した時のスポンサーであった。

歴代所属メンバー[編集]

歴代出場試合数記録[編集]

順位 選手名 所属期間 試合数
1 アイルランドの旗 デヴィッド・オレアリー 1975-1993 722
2 イングランドの旗 トニー・アダムス 1983–2002 669
3 イングランドの旗 ジョージ・アームストロング 1961-1977 621
4 イングランドの旗 リー・ディクソン 1988-2002 619
5 イングランドの旗 ナイジェル・ウィンターバーン 1986–2000 584
6 イングランドの旗 デビッド・シーマン 1990-2003 564
7 北アイルランドの旗 パット・ライス 1967-1980 528
8 イングランドの旗ピーター・ストーリー 1962-1977 501
9 イングランドの旗 ジョン・ラドフォード 1962–1976 481
10 イングランドの旗 ピーター・シンプソン 1964–1978 477

歴代総得点数記録[編集]

順位 選手名 所属期間 得点数
1 フランスの旗 ティエリ・アンリ 1999-2007, 2012 228
2 イングランドの旗 イアン・ライト 1991-1998 185
3 イングランドの旗 クリフ・バスティン 1929-1946 178
4 イングランドの旗 ジョン・ラドフォード 1962–1976 149
5 イングランドの旗 ジミー・ブライン 1923–1931 139
5 イングランドの旗 テッド・ドレイク 1934–1945 139
7 イングランドの旗 ダグ・リッシュマン 1948–1956 137
8 オランダの旗 ロビン・ファン・ペルシ 2004-2012 132
9 イングランドの旗 ジョー・ハルム 1926–1938 125
10 イングランドの旗 デイヴィッド・ジャック 1928-1934 124

日本との関係[編集]

  • 1968年5月に来日し、当時のサッカー日本代表と3試合を行ったことがある[13]。結果はアーセナルの3勝[13]釜本邦茂が出場している。
  • 地元密着のための方策の一つとして、毎年ロンドン市と共同で子供向けに外国語学習教材を製作し配布している。教材には現役選手も多数登場するのが恒例。ちなみに2009年より川崎フロンターレが毎年製作している算数ドリルは、この教材に範を取って作られた[14]

脚注[編集]

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  1. ^ チーム名のアーセナル(Arsenal、兵器廠)に由来する。
  2. ^ a b No.253 チューブ駅「アーセナル」の話”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1999年2月10日). 2013年5月8日閲覧。
  3. ^ アーセナル 9季ぶりのタイトル獲得!FA杯決勝で逆転勝利スポーツニッポン 2014年5月18日 同日閲覧)
  4. ^ 翌シーズンはマンチェスター・ユナイテッドがFAカップを制したため、再び優勝回数が同数となった
  5. ^ “66億円ダブル獲得間近!ヴェンゲル監督も確信を表明”. Qoly. https://qoly.jp/2016/08/27/arsenal-close-to-sign-with-lucas-perez-and-shkodran-mustafi 2018年10月19日閲覧。 
  6. ^ 新加入選手に期待するコシェルニーtheWORLD(2017年8月1日)2018年3月3日閲覧
  7. ^ Welcome Unai” (英語). Arsenal.com (2018年5月23日). 2018年5月23日閲覧。
  8. ^ co.,Ltd, FromOne. “アーセナル、元PSGのエメリ氏を招へい! ヴェンゲル監督の後任に決定 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. https://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20180523/762812.html?cx_art=newarrivalcat 2018年8月14日閲覧。 
  9. ^ 2010-2011シーズンより施行されたルール。選手の国籍は問わない代わりに、1軍登録メンバーに占める22歳以上の選手は最大25名に限られ、そのうち最低8名が21歳の誕生日を迎えるシーズンが終了するまでに少なくとも3年間を国内(ウェールズ含む)のクラブで過ごしていること、というもの。
  10. ^ 彼は2010-11シーズンまでアーセナルでプレーしたため、プレミアリーグにおいては『ホームグロウン』選手である
  11. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  12. ^ http://www.arsenal.com/the-club/sponsors-partners
  13. ^ a b 釜本邦茂(11)名門アーセナルのお株を奪う「アーセナル・ゴール」。メキシコ五輪へ着々と”. 賀川サッカーライブラリー (2009年1月20日). 2012年9月1日閲覧。
  14. ^ 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成 - Jリーグ公式サイト・2009年4月28日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
ニュース
その他