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サッカーコロンビア代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サッカーコロンビア代表
国または地域  コロンビア
協会 コロンビアサッカー連盟(FCF)
FIFAコード COL
愛称 Los Cafeteros (コーヒーを作る男達)
La Tricolor (トリコロール)
監督 アルゼンチンの旗 ネストル・ロレンソ
キャプテン ハメス・ロドリゲス
最多出場選手 ハメス・ロドリゲス(131試合)
最多得点選手 ラダメル・ファルカオ(36得点)
ホームスタジアム エスタディオ・メトロポリターノ・ロベルト・メレンデス
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 コロンビア 4-1  コスタリカ
バランキージャ, 1926年2月17日)
最大差勝利試合
 バーレーン 0-6  コロンビア
リファー, 2015年3月26日)
最大差敗戦試合
 ブラジル 9-0  コロンビア
リマ, 1957年3月24日)
FIFAワールドカップ
出場回数 7回(初出場は1962
最高成績 ベスト8 (2014)
コパ・アメリカ
出場回数 24回
最高成績 優勝 (2001)
CONCACAFゴールドカップ
出場回数 3回
最高成績 準優勝 (2000)

サッカーコロンビア代表(サッカーコロンビアだいひょう、スペイン語: Selección de fútbol de Colombia)は、コロンビアサッカー連盟(FCF)によって組織されるコロンビアサッカーナショナルチームである。

歴史

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黎明期

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コロンビアのサッカーは、20世紀初頭に当時南米の経済を支配していたイギリスとの交易を通して伝えられたのが始まりと言われている。マグダレナ川河口の港湾都市バランキージャに最初に伝えられ、1897年にはボゴタで現在のサッカーの規則と似た試合が行われたようである。1914年には、メデジン市内に国内初のサッカークラブが誕生する。1924年にバランキージャで「大西洋サッカー連盟(LFA)」が結成され、コロンビアのサッカーを統括する組織となる。

1931年FIFAに加盟し、1936年に「コロンビアサッカー連盟(FCF)」に名を改めた。1940年代から1950年代にかけて主なサッカークラブが次々と創立された。1948年、10チーム参加のプロリーグがスタートし、ミジョナリオスインデペンディエンテ・サンタフェがリーグの中心となった。1949年にはチーム数が14に増やされている。

1938年には代表チームが組織され、コロンビア代表として初の国際試合を経験する。同年にはなぜかCONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟) に加盟しているが、結局CONMEBOL(南米サッカー連盟)の一員に落ち着いている。1940年代および50年代は代表の強化がうまくいかず、南米で最下位を争うほどであった。

混乱期

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1950年に、ミジョナリオスを中心とした新リーグが発足。新リーグには石油・ゴム業界とマスコミ、マフィアがバックについていた。移籍金を払わずに海外の有名選手を獲得できる制度は、低賃金のアルゼンチンやウルグアイから大量に選手を獲得することにつながった。本来払うべき移籍金を選手の年俸に充てられるからである。この時期には、英国からも選手が移籍してきた。名選手アルフレッド・ディ・ステファノを擁するミジョナリオスと、国内外の有力選手が参加する他チームによる新リーグは、当初は盛り上がりを見せるものの、下述するFIFAの措置により、人気下降による運転資金不足に陥る。さらに旧リーグとの引き抜き合戦、隣国アルゼンチンの経済混乱につけ込んだ「クラブ丸ごと引き抜き」工作、代表選出に伴うリーグ間の政争など、健全なサッカー環境とはほど遠いものになった。

FIFAは「南米サッカーの秩序崩壊の引き金になる」として1950年に資格停止、1954年には南米サッカー連盟にコロンビア代表・クラブの排除勧告を出す。1956年にはコロンビアサッカー協会による調停措置により、新リーグが国内を統一するものの、すぐにまた新々リーグが勃興。1959年には新サッカー協会までもが登場し、これにより体制が瓦解した。1960年に南米サッカー連盟よりリベルタドーレス杯定期戦開始に伴う解禁処置を受け、対外試合に復帰するものの、1971年の現コロンビアサッカー協会の大統一まで混乱を続けた。この間、コロンビアは1962年のW杯チリ大会に初出場を果たし、ソビエト連邦と引き分けたものの、ユーゴスラビアに0-5と大敗するなど1分2敗のグループ最下位で大会を終えた。

幻のW杯コロンビア大会

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1974年、フランクフルトでのFIFA総会で、コロンビアが1986年のワールドカップ開催地になることが決定した。ところが、同時にFIFA会長に就任したジョアン・アヴェランジェがワールドカップの参加国数拡大を選挙公約として当選した経緯があり、それが1982年のスペイン大会での参加国数の16から24への拡大とつながった。経済状況が良好でなく、かつ大国とは言いがたいコロンビアにとっては、24チームでの開催は国力の限界を超えるものだった。スタジアムで警官が発砲して、銃弾を受けた2人を含む4人が死亡した事件が決定打となった。1982年11月にコロンビアサッカー協会は「開催は不能」という回答をFIFAに送り、翌1983年5月、代替開催地として立候補したアメリカ合衆国カナダメキシコの中からメキシコが選ばれ、かくして1986年のワールドカップはメキシコで開催される形となった。

W杯イタリア大会

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こうした中での1980年代、コロンビアサッカーの長き低迷に終止符を打つ稀代のタレントが出現した。カルロス・バルデラマである。チリチリの長金髪という風貌のバルデラマは、フィジカル的にはきわめて平凡ながらも確実なプレイを難なくこなすテクニシャンで、1987年のコパ・アメリカでは3位進出の原動力となり同年の南米最優秀選手に選出された。1990年イタリアW杯南米予選では、バルデラマやレネ・イギータの活躍もあって、28年ぶりのFIFAワールドカップ出場を決めた。本大会ではユーゴスラビア西ドイツと同組という厳しい条件下、1勝1分1敗の成績でグループリーグを突破。決勝トーナメント1回戦ではカメルーンと対戦したが、延長戦の末にイギータのミスなどでカメルーンのロジェ・ミラに2ゴールを決められ大会を去った。

エスコバルの悲劇

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1994年W杯アメリカ大会・南米予選でコロンビアは快進撃を続けた。バルデラマをはじめ、フレディ・リンコンファウスティーノ・アスプリージャといったタレントを擁し、敵地ブエノスアイレスアルゼンチンに5-0で圧勝するなどの強さで予選を通過。本大会でもペレが優勝候補に挙げるなどダークホースとして注目のチームとなった。

こうして迎えた本大会だったが、初戦ではゲオルゲ・ハジを擁するルーマニアに1-3で敗れた。2戦目の相手は開催国アメリカであったが、この試合でDFのアンドレス・エスコバルが相手のクロスボールの処理を誤りオウンゴールを献上した。そのまま1-2で敗れたコロンビアの1次リーグ敗退が事実上決定した。そして後難を恐れメンバーの誰もが帰国を拒否する中、「説明する義務がある」として唯一人帰国したエスコバルにはさらなる事態が待ち構えていた。帰国後、メデジン郊外のバーで飲んでいたエスコバルを数人の男女が取り囲んで口論となり[1]、最後には「Gol!(南米のサッカー実況者がゴールシーンで絶叫する台詞)」という言葉と共に12発の銃弾を撃ち込まれ、エスコバルは射殺された[2]

「エスコバルの悲劇」後

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1998年のフランスW杯で3大会連続出場となったが、1勝2敗でグループリーグ突破はならなかった。その次の3大会はあと一歩の所で本選出場を果たすことができなかった。2001年の自国開催のコパ・アメリカでは初優勝を果たす。2006年、エルソン・ベセラ英語版がナイトクラブで口論となった末に射殺された。またも繰り返された悲劇に「エスコバルの悲劇の再来」と呼ばれた。同年、ブラジルと並び2014年のFIFAワールドカップの開催地に立候補し、ブラジルの競争相手に名乗りを上げるも、開催地には選出されなかった。立候補の背景にはコロンビア大統領であるアルバロ・ウリベの意向が反映されていた。

W杯ブラジル大会

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バルデラマの引退後は低迷が続き、ワールドカップにおいても1998年フランス大会の出場を最後に予選敗退が続いていた。しかし、ラダメル・ファルカオハメス・ロドリゲスなど世界トップレベルのタレントが続々と現れたことで再び強豪の一角に加わり、2014年ブラジル大会では強豪揃いの南米予選を2位で突破して4大会ぶりの出場を果たした。

大会のグループリーグではグループCに入るが、南米予選で9得点を挙げたファルカオが1月に所属クラブの試合で負った怪我から回復せず最終的に代表に選ばれなかったにもかかわらず[3]、ハメスらの活躍で初戦のギリシャ戦を3-0[4]、続くコートジボワール戦も2-1で連勝し[5]、グループリーグ最終戦の日本戦を待たずに1990年大会以来2度目となる決勝トーナメント進出を決めた。なお、日本戦は多くの主力を休養したメンバーで臨んだが4-1で大勝し、勝ち点9のグループ1位で通過した[6]。決勝トーナメントでは1回戦のウルグアイ戦に2-0と勝利し[7]、準々決勝でブラジルに1-2で敗れた[8]もののチーム初のベスト8という成績を残し、決勝戦後に行われた各賞発表で「フェアプレー賞」を受賞した[9]。なお、個人としてはハメスが得点王となった(6ゴール)[10]

W杯ロシア大会

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2018 FIFAワールドカップでは、主将のハメスを怪我で欠いたままグループHに入り、初戦で再び日本と対戦することになった。試合はカルロス・サンチェスが開幕3分にペナルティエリア内でハンドを犯し退場となった影響もあり、前半の6分に香川真司にPKを決められた。その後、フリーキックを獲得してフアン・キンテロのゴールで1-1の同点に迫るが、防戦一方となった後半の28分、大迫勇也にヘディングで決められ、1-2で敗れた[11]。なお、FIFAワールドカップの試合で南米勢がアジア勢に敗れたのはコロンビアが初めてであった[12]。2戦目のポーランド戦では3-0と完勝、今大会初白星を挙げた[13]。3戦目のセネガル戦では後半の74分にジェリー・ミナのゴールで1-0と勝利してグループ1位で通過した[14]

決勝トーナメント1回戦ではイングランドと対戦し、後半の12分にハリー・ケインのPKで先制されるもアディショナルタイムにミナのゴールで1-1の振り出しに戻した。その後は延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれ込むが、4人目のマテウス・ウリベ、5人目のカルロス・バッカが立て続けに失敗し、2大会連続のベスト8進出を逃した[15]

2020年代

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2022 FIFAワールドカップ・南米予選では5勝8分5敗で6位に終わり、3大会連続の出場は果たせなかった[16]。立て直しを図った2024年のコパ・アメリカでは、ハメス・ロドリゲスが大会MVPに選出される活躍などで、優勝した2001年大会以来8大会ぶりに決勝進出を遂げた(決勝でアルゼンチンに敗れ南米制覇はならず)[17][18]2026年北中米W杯南米予選では前回大会を上回る成績を残し、2大会ぶりにワールドカップの切符を掴んだ[19]

成績

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FIFAワールドカップ

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開催国 / 年 成績
ウルグアイの旗 1930不参加
イタリア王国の旗 1934
フランスの旗 1938棄権
ブラジルの旗 1950不参加
スイスの旗 1954
スウェーデンの旗 1958予選敗退
チリの旗 1962グループリーグ敗退3012511
イングランドの旗 1966予選敗退
メキシコの旗 1970
西ドイツの旗 1974
アルゼンチンの旗 1978
スペインの旗 1982
メキシコの旗 1986
イタリアの旗 1990ベスト16411244
アメリカ合衆国の旗 1994グループリーグ敗退310245
フランスの旗 1998310213
日本の旗大韓民国の旗 2002予選敗退
ドイツの旗 2006
南アフリカ共和国の旗 2010
ブラジルの旗 2014ベスト85401124
ロシアの旗 2018ベスト16421163
カタールの旗 2022予選敗退
カナダの旗メキシコの旗アメリカ合衆国の旗2026ベスト16532051
合計出場7回27125103731

FIFAコンフェデレーションズカップ

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コパ・アメリカ

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オリンピック

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歴代監督

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歴代選手

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W杯の大会メンバー

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主な代表選手

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歴代記録

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出場数ランキング

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2026年7月8日現在
  水色は現役代表選手
順位選手名出場得点期間
1ハメス・ロドリゲス131312011-
2ダビド・オスピナ13002007-
3フアン・クアドラード116112010-2023
4カルロス・バルデラマ111111985-1998
5ラダメル・ファルカオ104362007-2023
6マリオ・ジェペス10261999-2014
7リオネル・アルヴァレス10111985-1997
8カルロス・サンチェス・モレノ8802007-2018
9フレディ・リンコン84171990-2001
ダビンソン・サンチェス42016-

得点数ランキング

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2026年7月8日現在
  水色は現役代表選手
順位選手名得点出場期間得点率
1ラダメル・ファルカオ361042007-20230.35
2ハメス・ロドリゲス311312011-0.24
3アルノルド・イグアラン英語版25681979-19930.37
4ルイス・ディアス23792018-0.29
5ファウスティーノ・アスプリージャ20571993-20010.35
6フレディ・リンコン17841990-20010.20
7カルロス・バッカ16522010-20180.31
8ビクトル・アリスティサバル15661993-20030.23
テオフィロ・グティエレス512009-20170.29
10アドルフォ・バレンシア14371992-19980.38

脚注

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  1. Remembering Colombian footballer Andrés Escobar -Semana: 2013年6月13日
  2. World Cup Hall of Fame Andres Escobar (1967-1994) -CNNSI.com: 2013年6月13日
  3. “コロンビア代表から落選したファルカオ、笑顔の理由が男前すぎる”. ハフィントンポスト. 2014年6月4日. 2014年6月20日閲覧.
  4. コロンビア3-0ギリシャ/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2025年9月6日). 2025年9月5日閲覧。
  5. したたかに逃げ切り成功、猛攻しのいだコロンビアが「象退治」”. ゲキサカ (2014年6月20日). 2025年9月5日閲覧。
  6. 4発で日本の夢砕く…コロンビア、1軍半でも強かった!”. サンスポ (2014年6月25日). 2025年9月5日閲覧。
  7. ハメス・ロドリゲス2発!!コロンビアがウルグアイとの南米対決制し初の8強入り”. ゲキサカ (2014年6月29日). 2025年9月5日閲覧。
  8. 2CBのゴールでブラジルがコロンビアを下し、優勝した02年以来の4強進出!”. ゲキサカ (2014年7月5日). 2025年9月5日閲覧。
  9. Co.,Ltd, livedoor (2014年7月14日). フェアプレー賞はコロンビア、16年ぶりのW杯出場で初のベスト8進出”. サッカーキング. 2025年9月5日閲覧。
  10. Co.,Ltd, livedoor (2014年7月14日). W杯得点王は6得点のコロンビア代表MFハメス・ロドリゲス”. サッカーキング. 2025年9月5日閲覧。
  11. 【サッカーW杯】日本、初戦に勝利 コロンビアは退場者出て10人に”. BBCニュース (2018年6月20日). 2025年9月5日閲覧。
  12. アジア勢が南米勢に勝利、21回目のW杯で初- 2018ワールドカップ:読売新聞”. 【ワールドカップ2018】日本戦のニュース・実況解説:読売新聞. 2025年9月5日閲覧。
  13. コロンビアが圧勝で生き残り!日本の第3戦は連敗で敗退決定済のポーランドと”. ゲキサカ (2018年6月25日). 2025年9月5日閲覧。
  14. コロンビア1位突破、セネガル敗退アフリカ勢姿消す - 日本代表 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2025年9月5日閲覧。
  15. 【サッカーW杯】イングランドがベスト8進出、PK戦でコロンビア降す”. BBCニュース (2018年7月4日). 2025年9月5日閲覧。
  16. Co.,Ltd, livedoor (2022年3月30日). ペルー、“三つ巴の戦い”を制して大陸間PO進出! コロンビア、チリは予選敗退/W杯南米予選”. サッカーキング. 2025年9月5日閲覧。
  17. 【南米選手権】アルゼンチンがコロンビア下し16度目V メッシ負傷交代も延長でラウタロ決勝点 - 海外サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2024年7月15日). 2025年9月5日閲覧。
  18. 「悲しいし、選手の気持ちは理解できるが、胸を張って去ってほしい」、準優勝もチーム誇るコロンビア指揮官”. 超ワールドサッカー!. 2025年9月5日閲覧。
  19. 【W杯予選】ウルグアイ、コロンビア、パラグアイがW杯決定 パラグアイは日本破った南ア以来 - 海外サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2025年9月5日). 2025年9月5日閲覧。

参考文献

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  • クリストファー・ヒルトン&イアン・コール著『南米サッカーのすべて』大栄出版

関連項目

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外部リンク

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