イバン・コルドバ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はコルドバ第二姓(母方の)はセプルベダです。
イバン・コルドバ Football pictogram.svg
Ivan Cordoba - Inter Mailand (1).jpg
インテル時代のコルドバ (2009年)
名前
本名 イバン・ラミロ・コルドバ・セプルベダ
Iván Ramiro Córdoba Sepúlveda
ラテン文字 Ivan CORDOBA
基本情報
国籍 コロンビアの旗 コロンビア
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1976-08-11) 1976年8月11日(40歳)
出身地 アンティオキア県の旗 アンティオキア県メデジン
身長 173cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1995 コロンビアの旗 D・リオネグロ 42 (1)
1996-1998 コロンビアの旗 アトレティコ・ナシオナル 73 (1)
1998-2000 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ 59 (8)
2000-2012 イタリアの旗 インテル 324 (15)
代表歴
1997-2011 コロンビアの旗 コロンビア 73 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

イバン・ラミロ・コルドバ・セプルベダ(Iván Ramiro Córdoba Sepúlveda, 1976年8月11日 - )は、コロンビアメデジン出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーコロンビア代表では長年キャプテンを務めた。

経歴[編集]

クラブ[編集]

デポルティーボ・リオネグロスペイン語版でキャリアをスタートし、1996年にコロンビアリーグで当時6度の優勝を誇ったアトレティコ・ナシオナルへ移籍。1998年にはアルゼンチンCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロへ移籍し、1998-99シーズンにはDFながらも6得点を記録した。

2000年1月、レアル・マドリードACミランのオファーを断ってイタリアインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍。マルコ・マテラッツィセンターバックでコンビを組み、インテルのセリエA5連覇を支えた。2005年のコッパ・イタリア決勝ではコンフェデレーションズカップに招集され不在だったキャプテンのハビエル・サネッティに代わりキャプテンマークを巻いて勝利に貢献し、トロフィーを掲げた。

2009-10シーズンからはルシオの加入や、ワルテル・サムエルクリスティアン・キヴなどの存在もありローテーションで試合に出ることが増え、前シーズンよりも出場機会が減った。

2010年2月11日パルマFC戦において、インテルにおける公式戦出場記録が411試合となった。この記録はジュゼッペ・ベルゴミハビエル・サネッティジャチント・ファッケッティに次いでインテルにおいて4番目に多い出場記録である。

2012年5月5日2011-12シーズン限りでの現役引退を表明し、翌日のACミランとのミラノダービーがホームでのラストゲームとなった[1]。シーズンを通してリーグ戦4試合にしか出場していなかったが、アンドレア・ストラマッチョーニ監督は出番を与え、84分から出場し4-2での勝利に貢献した。

現役引退後はインテルのチームマネージャーに就任したが[2]、2014年9月25日に双方同意の下で契約を解消した[3]

代表[編集]

1997年コロンビア代表デビュー。カルロス・バルデラマが代表から引退するとキャプテンに就任した。

主将として臨んだ初めての国際大会であるコパ・アメリカ2001では、全6試合で無失点に押さえ、決勝のメキシコ戦では自ら決勝点を挙げ、コロンビアを史上初となるコパ・アメリカ優勝に導いた[4]

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

イタリアの旗 インテル

代表[編集]

コロンビアの旗 コロンビア代表

脚注[編集]

  1. ^ インテル、ベテランのコルドバは今季が最後 - Goal.com 2012年5月6日
  2. ^ 現役引退のコルドバがインテルのマネージャーに就任「新たな冒険が始まった」 - サッカーキング 2012年7月9日
  3. ^ インテル、チームマネージャーのコルドバ氏との契約解除を発表 - サッカーキング 2014年9月26日
  4. ^ コルドバのサン・シーロでの夢 - UEFA.com 2005年4月6日

外部リンク[編集]