ミゲル・カレロ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカレロ第二姓(母方の)はロドリゲスです。
ミゲル・カレロ Football pictogram.svg
Calero6.jpg
名前
本名 ミゲル・アンヘル・カレロ・ロドリゲス
Miguel Ángel Calero Rodríguez
愛称 Condor (コンドル)
ラテン文字 Miguel CALERO
基本情報
国籍 コロンビアの旗 コロンビア
生年月日 (1971-04-14) 1971年4月14日
出身地 バジェ・デル・カウカ県の旗 バジェ・デル・カウカ県
ヒネブラスペイン語版
没年月日 (2012-12-04) 2012年12月4日(満41歳没)
身長 189cm
体重 82kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ 94 (0)
1998-2000 コロンビアの旗 アトレティコ・ナシオナル 91 (0)
2000-2011 メキシコの旗 パチューカ 301 (2)
代表歴
1995-2007 コロンビアの旗 コロンビア 50 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミゲル・カレロMiguel Angel Calero Rodríguez, 1971年4月14日 - 2012年12月4日)は、 コロンビアバジェ・デル・カウカ県ヒネブラ出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。1995年から2007年までサッカーコロンビア代表。身長189cm、体重82kg。ニックネームは"コンドル"。

コロンビアのデポルティーボ・カリアトレティコ・ナシオナルを経て、メキシコCFパチューカでプレーした。

経歴[編集]

1992年、22歳でコパ・マスタングデポルティーボ・カリでデビュー。同年バルセロナオリンピックでコロンビア代表として出場。1996年にはチームを率いて見事優勝に導いた。

1998年に同リーグのアトレティコ・ナシオナルに移籍し、翌1999年に再び優勝。2000年にはメキシコのCFパチューカに移籍した。

2007年、コパアメリカのパラグアイ戦で5失点と振るわなかったため代表選手引退を発表。2008年6月には現役引退も表明したものの現役を続行、パチューカで正GK務めた。

2011年に現役を引退しパチューカのゴールキーパーコーチとなったが、2012年11月に脳梗塞で倒れ入院、12月3日に脳死判定され、生命維持装置が外され[1]、翌日に死亡した[2]

その他[編集]

野球帽(もしくはバンダナ)を被ってプレーすることで知られている。バンダナの後ろに翼が付いているように見えるため付いたあだ名が"コンドル"。 しかし、2008年シーズンからサッカー協会の規定でそれを禁止され、何も被らずにプレーした。

FIFAクラブワールドカップ2008でも準々決勝・準決勝においては何も被らずにプレーしていたが、3位決定戦においてガンバ大阪と対戦した時には、頭の部分に「カレロ」とカタカナで印刷されたシールを貼ったバンダナを被ってプレーしていた。さらに、グローブの手首の辺りにもカタカナで「ミゲル・カレロ」というネームシールを貼っていた。

コロンビア代表の先輩でもあるレネ・イギータを尊敬していて、イギータと同じく終盤敵陣へ攻めに向かうことが多い。PKも得意。

本国コロンビアに孤児院を建て500人を超える子供たちの生活支援をしている。

脚注[編集]

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  1. ^ 元コロンビア代表GKカレロが脳死”. Qoly.jp (2012年12月4日). 2012年12月5日閲覧。
  2. ^ Muere el portero Miguel Calero” (スペイン語). El Occidental (2012年12月4日). 2012年12月5日閲覧。