ハミルトン・リカルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はリカルド第二姓(母方の)はクエスタです。
ハミルトン・リカルド Football pictogram.svg
名前
本名 ハミルトン・リカルド・クエスタ
Hamilton Ricard Cuesta
ラテン文字 Hamilton RICARD
基本情報
国籍 コロンビアの旗 コロンビア
生年月日 (1974-01-01) 1974年1月1日(43歳)
出身地 キブド
身長 186cm
体重 89kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ 61 (22)
1997-2001 イングランドの旗 ミドルズブラ 115 (33)
2001-2002 ブルガリアの旗 CSKA 12 (3)
2002 コロンビアの旗 サンタフェ 0 (0)
2003 日本の旗 湘南ベルマーレ 9 (1)
2003 コロンビアの旗 コルトゥルア 3 (0)
2004 エクアドルの旗 エメレク 25 (17)
2004 キプロスの旗 APOEL 15 (6)
2005 コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ 6 (0)
2005 スペインの旗 ヌマンシア 16 (2)
2006-2007 ウルグアイの旗 ダヌービオ 25 (11)
2007-2008 中華人民共和国の旗 上海申花 42 (14)
2009-2010 ウルグアイの旗 ダヌービオ 10 (3)
2010-2011 チリの旗 デポルテス・コンセプシオン 21 (8)
2011-2012 コロンビアの旗 デポルテス・キンディオ 16 (7)
2012-2013 コロンビアの旗 コルトゥルア 11 (0)
代表歴
1995-2000 コロンビアの旗 コロンビア 27 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハミルトン・リカルド・クエスタHamilton Ricard Cuesta, 1974年1月1日 - )は、コロンビアチョコ県キブド出身の同国代表サッカー選手

経歴[ソースを編集]

1998年に移籍金200万ポンドでブライアン・ロブソン率いるミドルズブラFCに加入した。在籍4年間でスタメン92試合(途中出場23試合)33得点を決め、そのうち2度チーム内得点王になり、1999年にはチームの最優秀選手に選ばれた。しかし、監督がスティーブ・マクラーレンに交代すると、余剰戦力とみられPFC CSKAソフィアにフリーで放出された。

イングランドプレミアリーグで通算31得点の実績を引っさげ、2003年に湘南ベルマーレに加入。J1復帰へのエースとして期待されたが、12試合2得点と全くの期待外れに終わった。湘南時代に挙げた2ゴールは、いずれも2003年4月9日の対サガン鳥栖戦にて記録したものだが、1点目は、相手選手(ジーコの長男ジュニオール)の緩慢なバックパスを奪ってそのまま決めたものだった。

2004年のグアヤキルをホームとするCSエメレクでプレーしている時に、審判を攻撃し、さらに観客に対し不謹慎なジェスチャーをしたことにより12ヶ月の出場禁止を言い渡されたが、控訴したことにより期間は短縮された[1]。以降は、キャリアを再び輝かせるために欧州へと移籍しようと考え、キプロスAPOELニコシアへ加入。2005-06シーズンに、CDヌマンシアと1年契約を結び16試合2得点を記録した。

2007年1月24日、リカルドは2002年に起こした車の事故に関して、コロンビアの裁判所に懲役3年を言い渡された。弁護士は控訴の可能性があるとし、まだ刑は執行されていない[2][3]

その後、ウルグアイダヌービオFCでは11得点を挙げ、2006-07シーズンのリーグ優勝に貢献した。2007年6月、中国サッカー・スーパーリーグ上海申花聨盛足球倶楽部と契約を結んだ[1]。上海申花では、A3チャンピオンズカップ2007で3試合2得点というパフォーマンスを見せ、中国のクラブとして初のA3チャンピオンズカップ優勝に貢献した。一方リーグ戦では、6月21日の出場2試合目の天津泰達足球倶楽部戦、2-2で引き分けている中で決勝ゴールを決めた。翌2008年は、34歳という年齢ながら29試合に出場しチームトップの得点を挙げるも、シーズン終了後に35歳に達するという高齢のため放出された。

代表[ソースを編集]

1995年2月4日、0-0と引き分けたオーストラリア代表戦でコロンビア代表デビューをする。コパ・アメリカ1997では、準々決勝で敗退するまでの全4試合に出場し、1-2で敗北したメキシコ代表戦で1得点を決めた。翌年の1998 FIFAワールドカップにメンバー入りをした。イングランド代表戦に後半から出場したが、チームは0-2で敗戦したことによりグループリーグ敗退が決まった。さらに翌年のコパ・アメリカ1999に出場するも再び準々決勝で敗退。リカルドはそれまでの全4試合に出場し、2-1で勝利したエクアドル代表戦で1得点を決めた。

2000年4月26日、ラパスで行われた2002 FIFAワールドカップ・南米予選、1-1で引き分けたボリビア代表との試合が代表最後の試合となった。

個人タイトル[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ a b Bad boy Ricard on trial with Shanghai
  2. ^ Former Columbia striker Ricard facing jail
  3. ^ Ricard of the Riverside jailed for three years after fatal crash

外部リンク[ソースを編集]