カルロス・バルデラマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Flag of Spain.svg この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はバルデラマ第二姓(母方の)はパラシオです。
カルロス・バルデラマ Football pictogram.svg
Valderrama2010.JPG
2010年のバルデラマ
名前
本名 カルロス・アルベルト・バルデラマ・パラシオ
愛称 エル・ピーペ 他
カタカナ カルロス・バルデラマ
ラテン文字 Carlos VALDERRAMA
スペイン語 Carlos Alberto Valderrama Palacio
基本情報
国籍 コロンビアの旗 コロンビア
生年月日 1961年9月2日(54歳)
出身地 マグダレーナ県の旗 マグダレーナ県サンタ・マルタ
身長 179cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1984 コロンビアの旗 ウニオン・マグダレナ 94 (5)
1984 コロンビアの旗 ミジョナリオス 33 (0)
1985-1988 コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ 131 (22)
1988-1991 フランスの旗 モンペリエ 77 (4)
1991-1992 スペインの旗 バジャドリード 17 (1)
1992-1993 コロンビアの旗 インデペンディエンテ・メデジン 10 (1)
1993-1995 コロンビアの旗 ジュニオール 82 (5)
1996-1997 アメリカ合衆国の旗 タンパベイ・ミューティニー 43 (7)
1996-1997 コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ (loan) 19 (4)
1998-1999 アメリカ合衆国の旗 マイアミ・フュージョン 22 (3)
1999-2001 アメリカ合衆国の旗 タンパベイ・ミューティニー 71 (5)
2001-2002 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ 39 (1)
代表歴
1985-1998 コロンビアの旗 コロンビア 111 (11)
監督歴
2008-2010 コロンビアの旗 ジュニオール (アシスタントコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・アルベルト・バルデラマ・パラシオ(Carlos Alberto Valderrama Palacio, 1961年9月2日 - )は、コロンビア・サンタマルタ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMFトップ下)。愛称は「エル・ピーペ(少年)」、「ライオン丸」、「鬼才」。

人物[編集]

体の強さやスピードに特筆すべきものはないものの、視野の広さと、正確無比なインサイドキックから供給される相手ディフェンスの急所をえぐるスルーパス、狭いエリアでの細かいダイレクトパスを武器とした。彼は1980年代から1990年代後半まで、レネ・イギータファウスティーノ・アスプリージャらと共にコロンビア代表の中心選手として国際Aマッチに111試合出場した。当時のコロンビア代表の攻撃は、バルデラマを起点とし、ボールはほぼ必ずバルデラマを経由した。

また、金髪アフロヘアーという独特な風貌でも人気を博した。彼自身は肌が白いため白人だと思われているが、両親も兄弟も黒人であり、家族で1人だけ肌が白い(数代前に白人がいるため隔世遺伝ではないかと言われている)。独特のヘアスタイルは海岸でサッカーをしていたため自然と金色になったと言う。また、弟もコロンビアでプロサッカー選手としてプレーをしていて、似たような髪型である。

略歴[編集]

クラブ[編集]

デポルティーボ・カリで1985-1986シーズン、1986-1987シーズンと国内リーグ2連覇を果たす。その後、コロンビア国内のクラブを渡り歩き、1988年にフランスのモンペリエHSCに入団した。ここで3シーズンを過ごし、スペインリーグのレアル・バリャドリードに移籍したが、欧州サッカーにいまひとつ馴染めず、国内リーグに戻った。1995年にはジュニオール・バランキアリベルタドーレス杯ベスト4進出。準決勝においてホセ・ルイス・チラベルトを擁するCAベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)と対戦し、PK戦までもつれた末惜敗。晩年はアメリカ合衆国のクラブで過ごし、タンパベイ・ミューティニーでは1996-1997シーズンに東カンファレンスでリーグ制覇し、MLS年間最優秀選手を獲得した。2003年に現役を引退。

日本の治安の良さに興味を持ち、Jリーグに移籍するのではないかという話があったが、実現しなかった。

代表[編集]

サッカーコロンビア代表では1987年コパ・アメリカボリビアパラグアイを破り、C組1位で準決勝に進出。準決勝ではチリに敗れたが、3位決定戦でディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンに勝利した。その活躍が評価されて同年の南米年間最優秀選手賞を受賞した。

以後、FIFAワールドカップ(以下W杯)では中心選手(いずれも主将で背番号10)として活躍し、コロンビアを1990年イタリア大会1994年アメリカ大会1998年フランス大会出場へと導いた。1993年アメリカW杯南米予選最終戦では、アルゼンチンを5対0と歴史的大差で下しW杯本大会出場を決めた。バルデラマは同年、2度目の南米年間最優秀選手賞を獲得している。

彼のW杯のハイライトは1990年イタリア大会の1次リーグである。UAE戦で自身初ゴールをあげ2-0とW杯初勝利する。2戦目のユーゴスラビアを0-1と落とし、最終戦に引き分け以上でなければ1次リーグ敗退が決まるコロンビアは、ローター・マテウスユルゲン・クリンスマンを擁する西ドイツと対戦する。試合終了間際の88分に西ドイツのピエール・リトバルスキーのゴールが決まり、コロンビアの1次リーグ敗退が濃厚となった。しかし、直後の90分にバルデラマからフレディ・リンコンへスルーパスが通り、リンコンはゴールキーパーのボド・イルクナーの股を抜く同点ゴールが決めた。この得点により決勝トーナメント進出を決めた。対戦した西ドイツ主将マテウスは「彼のパスはシルクの糸のようだった」と評した。

1999年ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で78位に選出された。

2004年3月、『偉大なサッカー選手100人』にコロンビアから唯一選定された。

所属クラブ[編集]

コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ 1996-1997 (loan)

外部リンク[編集]