ボゴタ

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ボゴタ
Bogotá
コロンビアの旗
上左から、ボゴタ市中心部、コロンビア国会議事堂、ボリバル広場のボリバル像、コルパトリア・タワー、モンセラーテの丘、ボゴタ大司教大聖堂、ボゴタ市の景観
上左から、ボゴタ市中心部、コロンビア国会議事堂、ボリバル広場のボリバル像、コルパトリア・タワー、モンセラーテの丘、ボゴタ大司教大聖堂、ボゴタ市の景観
ボゴタの市旗 ボゴタの市章
市旗 市章
愛称 : Atenas de América (アメリカ大陸のアテネ
位置
の位置図
座標 : 北緯4度39分0秒 西経74度3分0秒 / 北緯4.65000度 西経74.05000度 / 4.65000; -74.05000
歴史
建設 1538年8月6日[1]
旧名 サンタフェ・デ・ボゴタ
創設者 ゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサーダ
行政
コロンビアの旗 コロンビア
  クンディナマルカ県の旗 クンディナマルカ県
ボゴタの旗 首都地区
 市 ボゴタ
市長 グスタボ・ペトロ[2]
地理
面積  
  市域 1,587 km2
標高 2,640 [3] m
人口
人口 (2015年1月現在)
  市域 7878783 [4]
    人口密度   5000人/km2
  都市圏 13,678,783人
その他
等時帯 UTC-5 (UTC-5)
夏時間 なし
公式ウェブサイト : http://www.bogota.gov.co/

ボゴタスペイン語:Bogotá)はコロンビア首都で、人口約770万人の都市である。2010年都市的地域の人口は784万人であり、世界第34位である[5]アンデス山脈の盆地、標高2640メートルに位置しており、南アメリカ大陸でもラパスキトに次いで3番目に標高の高い首都である[3]。ボゴタには図書館大学が多いことから、文化の中心という意味で「南米のアテネ」というニックネームがついている[6]

1991年に名称がサンタ・フェ・デ・ボゴタ(Santa Fe de Bogotá)に変わったが、2000年に再び現在の名称になった。

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第52位の都市と評価された[7]南米大陸ではブエノスアイレスサンパウロに次ぐ第3位である。

地理[編集]

ボゴタ市の行政区分。左が北である。図内の各区は1 - Usaquén, 2 - Chapinero, 3 - Santafé, 4- San Cristóbal, 5 - Usme, 6 - Tunjuelito, 7 - Bosa, 8 - Kennedy, 9 - Fontibón, 10 - Engativá, 11 - Suba, 12 - Barrios Unidos, 13 - Teusaquillo, 14 - Los Mártires, 15 - Antonio Nariño, 16 - Puente Aranda, 17 - La Candelaria, 18 - Rafael Uribe, 19 - Ciudad Bolívar, 20 - Sumapaz区となっている。なお、20のSumapaz区は北端のみ表示されており、実際にはこの図全体を含めたよりもはるかに長く南へと延びている。

東をアンデス山脈の東コルディレラ山地に阻まれ、西にボゴタ川が流れる山間部を南北に都市が発達した。サバンナと呼ばれる亜熱帯高地に位置する。

ボゴタ市は20の区に分かれている。市域・市街地ともに南北に細長く伸びているが、おおまかに中央部から北部にかけては高級住宅街、南部は貧困地区が広がっている[8]

気候[編集]

ボゴタは西岸海洋性気候(Cfb)に属する[9]。標高が高いため気候は高山気候性を示し、赤道に近いにもかかわらず年間通じて穏やかな気候である。年平均気温は14.5℃である[10]。気温は年間通じてほとんど差がないものの、内陸部にあるため一日の気温の差が非常に大きい。降水量はそこまで多いほうではないが、降水日数が多い。日中の最高気温は年間を通じ19度C前後、最低気温は6~8度Cである。年間を通じ、雨季と乾季が交互に交代する。最も乾燥する月は12月、1月と7月、8月である。降雨は4・5月と9~11月にやや多く80~110mm、他の期間は40~60mmである。早朝にはがかかることが非常に多く、年間220日は霧がかかっており[11]、一日中ずっと日の出ている日は非常に珍しい[11]

市域内で記録された最高気温は30.0度であり[12]、最低気温は-7.1度である[12]


国立気象台, ボゴタD.C. (1971–2000)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 26.4
(79.5)
25.2
(77.4)
26.6
(79.9)
24.4
(75.9)
25.0
(77)
28.6
(83.5)
25.0
(77)
23.3
(73.9)
26.0
(78.8)
25.1
(77.2)
25.6
(78.1)
24.4
(75.9)
28.6
(83.5)
平均最高気温 °C (°F) 20.2
(68.4)
20.3
(68.5)
19.4
(66.9)
20.1
(68.2)
19.0
(66.2)
19.2
(66.6)
18.6
(65.5)
18.8
(65.8)
19.2
(66.6)
19.5
(67.1)
19.6
(67.3)
19.9
(67.8)
19.6
(67.3)
日平均気温 °C (°F) 14.3
(57.7)
14.5
(58.1)
14.9
(58.8)
14.9
(58.8)
15.0
(59)
14.5
(58.1)
14.6
(58.3)
14.1
(57.4)
14.3
(57.7)
14.3
(57.7)
14.4
(57.9)
14.6
(58.3)
14.4
(57.9)
平均最低気温 °C (°F) 7.6
(45.7)
8.4
(47.1)
9.5
(49.1)
9.7
(49.5)
9.7
(49.5)
9.5
(49.1)
9.2
(48.6)
8.9
(48)
8.7
(47.7)
9.0
(48.2)
9.2
(48.6)
8.0
(46.4)
9.0
(48.2)
最低気温記録 °C (°F) −1.5
(29.3)
−5.2
(22.6)
−0.4
(31.3)
0.2
(32.4)
0.2
(32.4)
1.1
(34)
0.4
(32.7)
0.4
(32.7)
0.3
(32.5)
1.8
(35.2)
0.5
(32.9)
−1.1
(30)
−5.2
(22.6)
降水量 mm (inch) 50
(1.97)
68
(2.68)
91
(3.58)
135
(5.31)
120
(4.72)
54
(2.13)
35
(1.38)
45
(1.77)
70
(2.76)
137
(5.39)
127
(5)
81
(3.19)
1,012
(39.84)
平均降雨日数 (≥ 1 mm) 9 12 14 18 19 17 15 14 16 21 16 11 181
 % 湿度 75 76 75 77 77 75 74 74 75 76 77 76 76
平均月間日照時間 156 128 107 88 83 94 114 117 109 96 103 138 1,328
出典: Instituto de Hidrología, Meteorología y Estudios Ambientales (IDEAM)[12]

歴史[編集]

植民地期[編集]

ボゴタ旧市街

1538年にゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサーダによって先住民族チブチャ族の地に創設された。当初はサンタ・フェ、もしくはサンタ・フェ・デ・ボゴタと称された。ボゴタの名は原住民ムイスカ族英語版系のバカダ族に由来する。1549年にはアウディエンシアが置かれ地方の政治の中心となったものの、ボゴタが行政都市として重要性を持つようになるのは1717年にヌエバ・グラナダ副王領が創設され、ボゴタにその首府が置かれてからである。

独立戦争[編集]

1808年ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍スペイン本国に進攻すると(スペイン独立戦争)、南アメリカのスペイン領では独立運動が相次ぐようになり、ボゴタにおいても1810年7月20日には副王が追放され、クリオーリョによってクンディナマルカ共和国が誕生した。この日がコロンビア共和国では独立記念日に指定されているが、このクンディナマルカ共和国は中央集権体制を目指したため、この後トゥンハに首都を置き地方分権体制を掲げるヌエバ・グラナダ諸州連合と内戦を繰り広げた。この内戦はシモン・ボリバル率いるヌエバ・グラナダ軍が勝利し、1814年にはボリバルはボゴタに入城し、現コロンビアの領域はヌエバ・グラナダ諸州連合によって統一された。この際諸州連合は首都をボゴタへと移し国内統一を図ったが、ボゴタ内には不満分子が多く、さらに1814年にナポレオンがスペインから撤退したため安定したスペイン本国から増援が送られたため、1816年にはボゴタは陥落し、スペインによって再征服された。しかしボリバルはベネズエラ東部のアンゴストゥーラ(現シウダー・ボリバル)からリャノとアンデス山脈を越えてボゴタをめざし、1819年8月7日に市北部のボヤカにおいてシモン・ボリバル率いる革命軍がスペイン軍を破り、サンタフェ(ボゴタ)へ入城。これによってボゴタは解放され、南米北部はグラン・コロンビア共和国として独立を果たした。市名をボゴタへと改称したこの街は中央集権的な政権を望むボリバルによってグラン・コロンビアの首都が置かれるが、同国はベネズエラ、クンディナマルカ(コロンビア)、エクアドルの3州が対立して1830年に崩壊。ボゴタはコロンビアのみの都となった。

近現代[編集]

その後は行政都市として発展していったが、コロンビアは地形的な要因で地方の力が強く、また保守派と自由派の対立も頻繁でしばしば内戦が起こり、ボゴタの中央政権の力は弱く、そのため発展はゆっくりとしたものとなった。それでも1920年代に入ると工業が興り、次第に大都市として発展していった。

しかし保守自由両派の対立は収まらず、1948年には米州機構創設のための第9回米州国際会議が開催されている最中のボゴタ市中心部において、ボゴタ市長もつとめた自由党党首ホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺された[13]のをきっかけに「ボゴタソ」と呼ばれるボゴタ大暴動が勃発。1500人から3000人が死亡し、さらにこの混乱は地方にも波及し、「ラ・ビオレンシア」と呼ばれる内戦状態へと突入した。この混乱は1953年に軍事クーデターによってグスタボ・ロハス・ピニージャ将軍が政権を握ることで終息した。1958年には保守党と自由党が交互に政権を握る国民協定が成立したが、これは選挙を無意味なものとし、政治からはじき出された左派勢力は反政府勢力としてゲリラ戦を展開。テロ誘拐が多発するようになり、ボゴタの治安は急激に悪化した。1985年には当時反政府ゲリラであったM-19がボゴタ中心部の最高裁判所を襲撃し、最高裁長官を含む100人以上の死者を出した[14]。さらにこの混乱によって1980年代より麻薬カルテルが急速に力をつけ、ボゴタでもテロを起こし政府と戦闘を行った。同時期には民兵組織も地方各地に出現し、こうした混乱を避けてボゴタなどの大都市圏へと流入する国内難民が急増し、さらにボゴタの経済成長による国内外からの移住民も増え、ボゴタの人口は急速に増大した。1991年にはサンタ・フェ・デ・ボゴタに改称されたものの、2000年には再びボゴタへと改称されている。

犯罪[編集]

1990年代に世界で最も暴力的な都市であるとされ、犯罪率の非常に高い都市であったが、その撲滅を目指しており、犯罪率は急減を続けている[15]。1993年には4,352人が殺され、人口10万人当り年間81人の殺人事件があったが[16]、2007年には殺された人数は1401人で人口10万人当り年間19人の殺人にまで減っており、2012年には10万人当たり16.9人にまで減っている。これは1983年以降最も低い数値である[17][18]。これは、1995年にComunidad Seguraと呼ばれる治安政策が導入され、以後継続され続けた結果である[19]

産業[編集]

ボゴタの夜景

独立後1920年代前半まで目立った産業はなかったが、1920~30年代に至って外国資本の流入によりコーヒーの増産、鉱工業、製造業などが発達し、農村部からの移住が増加した。2003年から06年のGDPの伸びは毎年10%を超えた。一方、非雇用率も11%に達している。

教育[編集]

出身人物[編集]

交通[編集]

ボゴタにおいては近年交通渋滞などによって公共交通の充実が叫ばれるようになり、ボゴタ地下鉄計画が立てられたが、財政難によってこの計画は中止され[20]、代わりに専用道路を走るバスを用いた公共交通であるトランス・ミレニオ (TransMilenio) が計画され、2000年に開通し市内の各所を結んでいる。

2007年、地下鉄計画(ボゴタ地下鉄)が再び始動した。また、近郊列車計画 (Tren de cercanías) がある。

観光[編集]

サンタ・マリア闘牛場

市内には歴史的建造物から新しいものまで、見所が多い。ホテルも様々なクラスがある。コロンビア国立博物館をはじめ58の博物館と70の美術館がある。また、劇場は45を数える。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Henderson, James D.; Delpar, Helen; Brungardt, Maurice Philip; Richard N. Weldon (2000). A reference guide to Latin American history. M.E. Sharpe. p. 61. ISBN 978-1-56324-744-6. http://books.google.com/books?id=e2F7c0wW7g4C&pg=PA61 2011年8月5日閲覧。. 
  2. ^ Colombia president reinstates ousted Bogota mayor Petro”. BBC (2014年4月23日). 2014年4月24日閲覧。
  3. ^ a b Bogotá una ciudad Andina” (Spanish). la Alcaldía Mayor de Bogotá.. 2010年11月19日閲覧。
  4. ^ DANE”. 2013年2月13日閲覧。
  5. ^ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  6. ^ Athens of South America”. Revista. 2010年7月15日閲覧。
  7. ^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  8. ^ 二村久則編集『コロンビアを知るための60章』エリアスタディーズ90  345ページ 明石書店 2011年6月30日初版第1刷 
  9. ^ Climate: Bogotá - Climate graph, Temperature graph, Climate table”. Climate-Data.org. 2013年10月8日閲覧。
  10. ^ Respuestas fisiológicas de los niños al ejercicio ante las variaciones climáticas en Bogotá” (Spanish). Universidad Pedagógica Nacional (2008年). 2008年12月29日閲覧。
  11. ^ a b Weatherbase: Historical Weather for Bogota, Colombia”. Weatherbase. 2011年10月18日閲覧。
  12. ^ a b c Promedios 71-00” (Spanish). IDEAM. 2011年10月18日閲覧。
  13. ^ 寺澤辰麿『ビオレンシアの政治社会史―若き国コロンビアの“悪魔払い”』p96 アジア経済研究所、2011年。ISBN 4258051136
  14. ^ 寺澤辰麿『ビオレンシアの政治社会史―若き国コロンビアの“悪魔払い”』p137 アジア経済研究所、2011年。ISBN 4258051136
  15. ^ Bogotá's lesson in crime fighting”. Comunidad Segura (2005年). 2008年12月28日閲覧。
  16. ^ Seguridad, ciudadanía y políticas públicas en Bogotá” (Spanish). IRG. 2008年12月29日閲覧。
  17. ^ Homicidios (PDF)” (spanish). El Tiempos. p. 36. 2008年12月29日閲覧。
  18. ^ Homicidios (PDF)” (Spanish). Instituto Nacional de Medicina Legal y Ciencias Forenses. p. 36. 2008年12月29日閲覧。
  19. ^ [1][リンク切れ]
  20. ^ 「世界の地下鉄 151都市のメトロガイド」p472 社団法人日本地下鉄協会編 ぎょうせい 2010年3月31日発行
  21. ^ International Cooperation: Sister Cities”. Seoul Metropolitan Government. www.seoul.go.kr. 2007年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月26日閲覧。
  22. ^ Seoul -Sister Cities [via WayBackMachine]”. Seoul Metropolitan Government (archived 2012-04-25). 2012年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月23日閲覧。

外部リンク[編集]