ボゴタ

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ボゴタ
Bogotá
コロンビアの旗
BOGOTA LEGAL 2.png
Flag of Bogotá.svg Bogota (escudo).svg
市旗 市章
愛称 : Atenas de América (アメリカ大陸のアテネ
位置
の位置図
座標 : 北緯4度39分0秒 西経74度3分0秒 / 北緯4.65000度 西経74.05000度 / 4.65000; -74.05000
歴史
建設 1538年8月6日
旧名 サンタフェ・デ・ボゴタ
創設者 ゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサーダ
行政
コロンビアの旗 コロンビア
  クンディナマルカ県の旗 クンディナマルカ県
ボゴタの旗 首都地区
 市 ボゴタ
地理
面積  
  市域 1,587km2
標高 2,640m
人口
人口 (2005年現在)
  市域 6,776,009人
    人口密度   22,593人/km2
  都市圏 約7,881,156人
その他
等時帯 UTC-5 (UTC-5
夏時間 なし
公式ウェブサイト : http://www.bogota.gov.co/

ボゴタスペイン語:Bogotá)はコロンビア首都で、人口約770万人の都市である。2010年都市的地域の人口は784万人であり、世界第34位である[1]アンデス山脈の盆地、標高2640メートルに位置している。

1991年に名称がサンタ・フェ・デ・ボゴタ(Santa Fe de Bogotá)に変わったが、2000年に再び現在の名称になった。

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第52位の都市と評価された[2]南米大陸ではブエノスアイレスサンパウロに次ぐ第3位である。

地理[編集]

東をアンデス山脈の東コルディレラ山地に阻まれ、西にボゴタ川が流れる山間部を南北に都市が発達した。サバナと呼ばれる亜熱帯高地に位置し、日中の最高気温は年間を通じ19度C前後、最低気温は6~8度Cである。降雨は4・5月と9~11月にやや多く80~110mm、他の期間は40~60mmである。

気候[編集]

ボゴタは温帯夏雨気候(cwb)に属する。標高が高いため気候は高山気候性を示し、赤道に近いにもかかわらず年間通じて温暖な気候である。気温は年間通じてほとんど差がないものの、一日の気温の差が非常に大きい。

ボゴタ (エルドラド国際空港, 1972–1990)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 20.0
(68)
19.7
(67.5)
19.7
(67.5)
19.3
(66.7)
19.0
(66.2)
18.3
(64.9)
18.1
(64.6)
18.3
(64.9)
18.7
(65.7)
18.8
(65.8)
19.1
(66.4)
19.2
(66.6)
19.0
(66.2)
平均最低気温 °C (°F) 5.4
(41.7)
6.1
(43)
7.4
(45.3)
8.2
(46.8)
8.4
(47.1)
8.0
(46.4)
7.5
(45.5)
7.0
(44.6)
6.9
(44.4)
7.6
(45.7)
7.7
(45.9)
6.1
(43)
7.2
(45)
雨量 mm (inch) 33
(1.3)
43
(1.69)
66
(2.6)
111
(4.37)
94
(3.7)
57
(2.24)
41
(1.61)
49
(1.93)
73
(2.87)
115
(4.53)
88
(3.46)
54
(2.13)
824
(32.44)
平均降雨日数 8 11 14 18 20 19 17 16 17 20 18 12 190
平均月間日照時間 189.1 152.6 145.7 111 114.7 111 142.6 139.5 123 120.9 135 167.4 1,652.5
出典: Hong Kong Observatory [3]


歴史[編集]

ボゴタ旧市街

1538年にゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサーダによって先住民族チブチャ族の地に創設された。当初はサンタ・フェ、もしくはサンタ・フェ・デ・ボゴタと称された。ボゴタの名は原住民ムイスカ族系のバカダ族に由来する。1549年にはアウディエンシアが置かれ地方の政治の中心となったものの、ボゴタが行政都市として重要性を持つようになるのは1717年にヌエバ・グラナダ副王領が創設され、ボゴタにその首府が置かれてからである。1810年7月20日には副王が追放され、クリオーリョによる政権が誕生した。この後、内戦やスペインによる再征服をへて、1819年8月7日に市北部のボヤカにおいてシモン・ボリバル率いる革命軍がスペイン軍を破り、サンタフェ(ボゴタ)へ入城。これによってボゴタは解放され、南米北部はグラン・コロンビア共和国として独立を果たした。市名をボゴタへと改称したこの街は中央集権的な政権を望むボリバルによってグラン・コロンビアの首都が置かれるが、同国はベネズエラ、クンディナマルカ(コロンビア)、エクアドルの3州が対立して1830年に崩壊。ボゴタはコロンビアのみの都となった。

その後は行政都市として発展していったが、コロンビアは地形的な要因で地方の力が強く、また保守派と自由派の対立も頻繁でしばしば内戦が起こり、ボゴタの中央政権の力は弱く、そのため発展はゆっくりとしたものとなった。それでも1920年代に入ると工業が興り、次第に大都市として発展していった。しかし保守自由両派の対立は収まらず、1948年にはボゴタ市長もつとめた自由党党首ホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺されたのをきっかけに「ボゴタソ」と呼ばれるボゴタ大暴動が勃発。1500人から3000人が死亡し、さらにこの混乱は地方にも波及し、「ラ・ビオレンシア」と呼ばれる内戦状態へと突入した。この混乱は1953年に軍事クーデターによってグスタボ・ロハス・ピニージャ将軍が政権を握ることで終息した。1958年には保守党と自由党が交互に政権を握る国民協定が成立したが、これは選挙を無意味なものとし、政治からはじき出された左派勢力は反政府勢力としてゲリラ戦を展開。テロ誘拐が多発するようになり、ボゴタの治安は急激に悪化した。さらにこの混乱によって1980年代より麻薬カルテルが急速に力をつけ、ボゴタでもテロを起こし政府と戦闘を行った。いっぽう、地方でもこうした混乱は起きており、こうした混乱を避けてボゴタなどの大都市圏へと流入する国内難民が急増し、さらにボゴタの経済成長による国内外からの移住民も増え、ボゴタの人口は急速に増大した。1991年にはサンタ・フェ・デ・ボゴタに改称されたものの、2000年には再びボゴタへと改称されている。

犯罪[編集]

90年代に世界で最も犯罪の多い都市であったが、その撲滅を目指しており、1993年に人口10万人当り年間81人の殺人事件があったが、2007年には19人にまで減っている。

産業[編集]

ボゴタの夜景

独立後1920年代前半まで目立った産業はなかったが、1920~30年代に至って外国資本の流入によりコーヒーの増産、鉱工業、製造業などが発達し、農村部からの移住が増加した。2003年から06年のGDPの伸びは毎年10%を超えた。一方、非雇用率も11%に達している。

教育[編集]

交通[編集]

ボゴタにおいては近年交通渋滞などによって公共交通の充実が叫ばれるようになり、ボゴタ地下鉄計画が立てられたが、財政難によってこの計画は中止され[4]、代わりに専用道路を走るバスを用いた公共交通であるトランス・ミレニオ (TransMilenio) が計画され、2000年に開通し市内の各所を結んでいる。

2007年、地下鉄計画(ボゴタ地下鉄)が再び始動した。また、近郊列車計画 (Tren de cercanías) がある。

観光[編集]

サンタ・マリア闘牛場

市内には歴史的建造物から新しいものまで、見所が多い。ホテルも様々なクラスがある。コロンビア国立博物館をはじめ58の博物館と70の美術館がある。また、劇場は45を数える。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  2. ^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  3. ^ Climatological Normals of Bogota”. Hong Kong Observatory. 2010年5月9日閲覧。
  4. ^ 「世界の地下鉄 151都市のメトロガイド」p472 社団法人日本地下鉄協会編 ぎょうせい 2010年3月31日発行

外部リンク[編集]