ファン・パブロ・モントーヤ

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ファン・パブロ・モントーヤ
Juan Pablo Montoya - August 2014 - Sarah Stierch.jpg
基本情報
フルネーム ファン・パブロ・モントーヤ・ロルダン
国籍 コロンビアの旗 コロンビア
出身地 同・ボゴタ
生年月日 1975年9月20日(39歳)
F1での経歴
所属チーム '01-'04 ウィリアムズ
'05-'06 マクラーレン
活動時期 2001-2006
出走回数 96
優勝回数 7
通算獲得ポイント 307
表彰台(3位以内)回数 29
ポールポジション 12
ファステストラップ 12
F1デビュー戦 2001年オーストラリアGP
初勝利 2001年イタリアGP
最終勝利 2005年ブラジルGP
最終戦 2006年アメリカGP
タイトル 0
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ファン・パブロ・モントーヤJuan Pablo Montoya Roldán, 1975年9月20日 - )は、コロンビア出身のレーシングドライバー

CARTの1999年度シリーズチャンピオン。2001年から2006年シーズン途中までF1に参戦、コロンビア人としてはロベルト・ゲレーロに次ぐ2人目のF1ドライバーとなった。2006年シーズン中盤よりNASCARに参戦している。

日本ではJ・P・モントーヤと、またアメリカ合衆国ではCART参戦時の登録名から、ファン・モントーヤ (Juan Montoya) と略されることが多い。

プロフィール[編集]

カートからF3[編集]

コロンビアの首都ボゴタ出身。幼少よりカートレースで成功を収め、1995年にヨーロッパでの活動を始める。フォーミュラ・ボクソール、イギリスF3を経て、1997年よりF3000に参戦し、才能に注目したF1のウィリアムズとテストドライバー契約を結ぶ。

F3000とCART[編集]

翌年ニック・ハイドフェルドを退けてF3000シリーズチャンピオンとなり、ウィリアムズでのレギュラー昇格が噂されたが、CART王者アレックス・ザナルディの加入により実現せず。しかし、ザナルディとシートを交換する形でCARTのトップチーム、チップ・ガナッシと契約し、ヨーロッパから北米へ渡った。

1999年、モントーヤはルーキーながら難なくCARTスタイルに順応し、速さでセンセーションを巻き起こす。ダリオ・フランキッティと熾烈なタイトル争いを繰り広げ、最終戦終了時に同得点で並び、勝利数の差(モントーヤ7勝、フランキッティ3勝)でデビューシーズンのチャンピオン獲得(1993年ナイジェル・マンセル以来)。

翌年はチームの体制変更によりタイトル防衛は成らなかったが、トヨタエンジンの初勝利を含む3勝を挙げ、伝統のインディ500も制した。これらの活躍により、2001年よりウィリアムズF1チームのレギュラードライバーとして起用された。

F1[編集]

F1においてもモントーヤは最初から大胆さを発揮し、2001年シーズンの第3戦ブラジルGPでは王者ミハエル・シューマッハを追い抜いた。フェラーリの総合力には及ばぬものの、強力なBMWエンジンを利して、ドイツGPで初ポールポジションを記録。敵地イタリアGPではポール・トゥ・ウィンで初勝利を達成した。

2002年は優勝こそ無かったが、フェラーリがシーズンを席巻する中で、シューマッハと並ぶ7ポールポジションを獲得した。

2003年には同僚ラルフ・シューマッハと共に快走し、2勝を挙げてシリーズランキング2位で終盤戦を迎えたが、アメリカGPでの雨とペナルティの影響でチャンピオンを逃した。

2004年には、翌年のマクラーレン移籍を発表。この年は、ウィリアムズの新型フロントウィングが大失敗し、シーズン中盤に旧型に戻すなど苦戦を強いられ、優勝は最終戦ブラジルのみに留まった。

2005年はマクラーレンに加入して3勝を挙げ、イタリアGPでは予選でF1史上最速記録となる372.6 km/hも記録したものの、脚光はキミ・ライコネンに集中した。シーズン序盤には肩の骨折(テニスの最中に負ったと報道されている)で2戦を欠場し、後半はセカンドドライバー的な立場を強いられた。

2006年はチームの低迷と共に精彩を欠き、アメリカGPではスタート直後にライコネンと同士討ちを演じる。その後、チームとドライバーが合意の下で契約を解除し、シーズン途中に突然マクラーレンを離脱して、古巣チップ・ガナッシの仲介で活動の場をNASCARに移した。

NASCAR[編集]

NASCARではブッシュシリーズにアトランタから参戦を果たす。2007年よりチップ・ガナッシ・レーシングからNASCARネクステルカップ(現スプリントカップ・シリーズ)に参戦。

インディカー[編集]

2014年チーム・ペンスキーからインディカー・シリーズに復帰、ポコノ・レースウェイでの第11戦で復帰後初勝利を飾るなど、ランキング4位の活躍を見せる。

2015年、この年のインディ500において、序盤に一度リードラップ最後尾まで落ちたものの、そこから追い上げて中盤以降は終始トップ争いに絡み、15年ぶり自身2度目の優勝を飾る。この優勝は、A.J.フォイトの10年を抜き、最も長い間隔を空けてのインディ500複数優勝であった。

記録[編集]

4輪レース界で世界3大レースといわれるもののうち、モントーヤはインディ500(2000年、2015年)とモナコGP(2003年)を制している。

また、2007年1月にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで行われたRolex24デイトナ24時間レースにおいて、スコット・プルーエットなどと共に出場し、初出場ながら優勝した(翌年も連覇)。

レース戦績[編集]

2005年アメリカGP予選にてMP4-20をドライブするモントーヤ

ITC[編集]

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 順位 ポイント
1996年 ヴァルシュタイナー メルセデス-AMG メルセデス・ベンツ Cクラス V6 HOC1
HOC2
NUR1
NUR2
EST1
EST2
HEL1
HEL2
NOR1
NOR2
DIE1
DIE2
SIL1
Ret
SIL2
Ret
NUR1
NUR2
MAG1
MAG2
MUG1
MUG2
HOC1
HOC2
SAO1
SAO2
SUZ1
SUZ2
NC 0

国際F3000選手権[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1997 RSMマルコ SIL
Ret
HEL
1
PAU
Ret
NÜR
4
PER
11
HOC
5
A1R
1
SPA
DSQ
MUG
3
JER
1
2位 37.5
1998 スーパーノヴァ・レーシング OSC
Ret
IMO
15
CAT
1
SIL
1
MON
6
PAU
1
A1R
2
HOC
3
HUN
3
SPA
2
PER
1
NÜR
3
1位 65

CART[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1999 チップ・ガナッシ・レーシング レイナード・99i ホンダ MIA
10
MOT
13
LBH
1
NZR
1
RIO
1
STL
11
MIL
10
POR
2
CLE
1
ROA
Ret
TOR
Ret
MIS
2
DET
Ret
MDO
1
CHI
1
VAN
1
LS
8
HOU
Ret
SRF
Ret
FON
4
1位 212
2000 ローラ・B2K/00 トヨタ MIA
Ret
LBH
Ret
RIO
Ret
MOT
7
NZR
4
MIL
1
DET
Ret
POR
Ret
CLE
6
TOR
Ret
MIS
1
CHI
Ret
MDO
Ret
ROA
Ret
VAN
Ret
LS
6
STL
1
HOU
2
SRF
Ret
FON
Ret
9位 126

F1[編集]

チーム シャーシ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2001 ウィリアムズ FW23 AUS
Ret
MAL
Ret
BRA
Ret
SMR
Ret
ESP
2
AUT
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
2
FRA
Ret
GBR
4
GER
Ret
HUN
8
BEL
Ret
ITA
1
USA
Ret
JPN
2
6位 31
2002 FW24 AUS
2
MAL
2
BRA
5
SMR
4
ESP
2
AUT
3
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
GBR
3
FRA
4
GER
2
HUN
11
BEL
3
ITA
Ret
USA
4
JPN
4
3位 50
2003 FW25 AUS
2
MAL
12
BRA
Ret
SMR
7
ESP
4
AUT
Ret
MON
1
CAN
3
EUR
2
FRA
2
GBR
2
GER
1
HUN
3
ITA
2
USA
6
JPN
Ret
3位 82
2004 FW26 AUS
5
MAL
2
BHR
13
SMR
3
ESP
Ret
MON
4
EUR
8
CAN
DSQ
USA
DSQ
FRA
8
GBR
5
GER
5
HUN
4
BEL
Ret
ITA
5
CHN
5
JPN
7
BRA
1
5位 58
2005 マクラーレン MP4-20 AUS
6
MAL
4
BHR SMR ESP
7
MON
5
EUR
7
CAN
DSQ
USA
DNS
FRA
Ret
GBR
1
GER
2
HUN
Ret
TUR
3
ITA
1
BEL
14
BRA
1
JPN
Ret
CHN
Ret
4位 60
2006 MP4-21 BHR
5
MAL
4
AUS
Ret
SMR
3
EUR
Ret
ESP
Ret
MON
2
GBR
6
CAN
Ret
USA
Ret
FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 8位 26

太字ポールポジション 斜字ファステストラップ

インディカー・シリーズ[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2014 チーム・ペンスキー ダラーラ・DW12 シボレー STP
15
LBH
4
ALA
21
IMS
16
INDY
5
DET1
12
DET2
13
TXS
3
HOU1
2
HOU2
7
POC
1
IOW
16
TOR1
18
TOR2
19
MDO
11
MIL
2
SNM
5
FON
4
4位 586
2015 ペンスキー ダラーラ・DW12 シボレー STP
1
NLA
5
LBH
3
ALA
14
IMS
3
INDY
1
DET
10
DET
10
TXS
4
TOR
7
FON
MIL
IOW
MDO
POC
SNM
1st* 374*

逸話[編集]

  • 1999年のCARTツインリンクもてぎラウンドでは、デビュー間もないルーキーながら、CART界の顔であるマイケル・アンドレッティとピットで罵り合いを演じた。
  • ジャック・ヴィルヌーヴとは1998年の初対面の時から仲が悪く、2001年のカナダGPではモントーヤが「お前はオーストラリアでマーシャルを殺したな!」と暴言を吐いたため、レース前のミーティング時に掴み合いの喧嘩までしている(注:2001年オーストラリアGPでジャックが当時モントーヤのチームメイトだったラルフ・シューマッハに追突し、マシンが宙を舞う大クラッシュをした際、マーシャルのグラハムが巻き添えとなり死亡している)。この後、モントーヤはフランク・ウィリアムズに「また同じ事を言ったらクビにする。」と叱責された。
  • 2002年ベルギーGPの予選、ホットラップ中にバスストップ・シケインのブレーキングでキミ・ライコネンにラインを塞がれてしまう。その直後、チームラジオで「fuck Raikkonen, what a fuckin' idiot!」と口汚く罵った。
  • 2004年サンマリノGPでのこと。オープニングラップでミハエル・シューマッハフェラーリ)に押し出されたモントーヤはレース後のウィニングランでシューマッハの車に近づき、ファックサイン。レース後の記者会見でも、「外側から誰かが来ているとは知らなかったので見ていなかった」というシューマッハに対し、「俺は確かにお前の前でブレーキを踏んだ。あれが見えないのはバカか盲目だ!」と怒鳴りつける。
  • チーム関係者の送別会でのこと。皆で色紙にメッセージを書いていたところ、モントーヤがやってきてそこに「fuck off!」(出て行け)と書いた。
  • ウィリアムズでのチームメイト、ラルフ・シューマッハとの険悪な関係が知られている。2005年のモナコGP練習走行中に、後ろを走るラルフに「ブレーキテスト」を仕掛け、4台が絡む接触事故を起こしたとされ、決勝グリッド降格処分を下された。ただし、同じチームに所属していた2004年までとは違い、話をして笑い転げたりする仲にもなった。
  • 2005年にレース外で負った肩甲骨の骨折を、チームは「体力トレーニングのテニス練習中、ボールに乗って足を滑らせたため」と発表したが、「オートバイで遊んでいて転倒した」という説も流れた。

ドライビングテクニック[編集]

F1では不遇であったが、CART時代は特に1999年のルーキーイヤーはロード、ストリート、オーバル共に抜群のドライビングテクニックを持っていた。2006年から参戦しているNASCARでも、同僚のジェフ・ゴードンなどのドライバーからドライビングテクニックは高く評価されている。福山英朗はモントーヤが参戦して間もない頃の日テレG+の解説で、F1などよりNASCARやCARTの方があっていると評しており、単純なサラリーもさることながら様々な収入でF1より多くなるとも述べている。オーバルでは2000年に初参戦したインディ500で、他を寄せ付けない圧倒的な速さで優勝し、2009年の春のタラテガでポールポジションをとるなどしている。これを見てもモントーヤのあらゆるコースの順応性の高さを示す物である。

2001年にF1に移籍したその年のインディアナポリスモータースピードウェイで行われたアメリカGPにおいて、解説の鈴木亜久里は「モントーヤはバンクの使い方が上手いね」とコメントをしていた。モントーヤはそれまでCARTで同コースやミシガン等のオーバルコースで優勝していることもあり、この日のレースでも巧みなバンクのコース取りからこの年の王者であるミハエルを豪快に抜き去っている。

2007年より参戦しているNASCARでも2トン近くあり、ハイテクを一切禁止された操縦しにくいストックカーを器用に運転できるテクニックも持ち合わせており、事実NASCAR・ネクステルカップシリーズでの初勝利は『32番グリッドから優勝』し、インフィニオン・レースウェイでの最も後方からのスタートでの優勝、加えて燃料補給のタイミングからガス欠不安を抱えていた状態からの優勝であった。

カーナンバー[編集]

CART
  • 4 (1999年)
  • 1 (2000年)
IRL/IndyCar
  • 9 (2000年)
  • 2 (2014年~)
F1
  • 6 (2001年.2002年)
  • 3 (2003年.2004年)
  • 10(2005年第1.2.5~16戦)
  • 4(2006年第1~10戦)
NASCAR
  • 42(2007年~2013年)

脚注[編集]

外部リンク[編集]