ジャン=ルイ・シュレッサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
ジャン=ルイ・シュレッサー
Jean-Louis Schlesser, 2013.JPG
ジャン=ルイ・シュレッサー (2013年10月)
基本情報
フルネーム ジャン=ルイ・ポール・シュレッサー
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ムルト=エ=モゼル県
ナンシー
生年月日 (1948-09-12) 1948年9月12日(70歳)
F1での経歴
活動時期 1983,1988
所属チーム '83 RAM
'88 ウィリアムズ
出走回数 2 (1スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1983年フランスGP
最終戦 1988年イタリアGP
テンプレートを表示

ジャン=ルイ・ポール・シュレッサーJean-Louis Paul Schlesser, 1948年9月12日 - )は、フランスムルト=エ=モゼル県ナンシー出身のレーシングドライバー

1989年・1990年にはザウバーメルセデスを駆り、世界スポーツプロトタイプカー耐久選手権(WSPC、後のスポーツカー世界選手権(SWC))のシリーズチャンピオンを獲得するなど、1990年代前半までは主にサーキットでのレースで活躍するドライバーだった。

1992年に独自開発の二輪駆動バギーダカール・ラリーへの参戦を開始。以後ラリーレイドに活動の主軸を移すようになり、1999年・2000年にはダカール・ラリーで総合優勝を果たした[1]。2007年までダカール・ラリーへの参戦を続けてきたが、2008年のダカール・ラリー開催が中止となり2009年は開催地が南米に移された影響もあって、エントリーを見送っている。

叔父のジョー・シュレッサーもレーシングドライバー。

レース戦績[編集]

F1[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1983年 RAM 01 BRA USW FRA
DNQ
SMR MON BEL DET CAN GBR GER AUT NED ITA EUR RSA NC
(35位)
0
1988年 ウィリアムズ FW12 BRA SMR MON MEX CAN DET FRA GBR GER HUN BEL ITA
11
POR ESP JPN AUS NC
(30位)
0

(key)

WSPC,WSC[編集]

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1984 ヨースト・レーシング ポルシェ・956 C1 MON
SIL
LMN
Ret
NÜR
BRA
MOS
SPA
IMO
FUJ
KYA
SUN
NC 0
1985 TWR ジャガー ジャガー・XJR-6 C1 MUG
MON
SIL
LMN
HOC
MOS
3
SPA
Ret
BRA
Ret
FUJ
SHA
NC 0
1986 シルクカット・ジャガー C1 MON
Ret
SIL
7
LMN
Ret
NOR
17
BRA
4
JER
Ret
NÜR
Ret
SPA
5
FUJ
15
21位 22
1987 コウロス・レーシング ザウバー・C9 C1 JAR
JER
MON
SIL
LMN
NOR
BRH
NÜR
SPA
7
FUJ
47位 4
1988 チーム・ザウバー メルセデス C1 JER
1
JAR
2
MON
2
SIL
2
LMN
DNS
BRN
1
BRH
3
NÜR
1
SPA
3
FUJ
5
SUN
1
2位 208
1989 C1 SUZ
1
DIJ
2
JAR
1
BRH
3
NÜR
1
DON
1
SPA
Ret
MEX
1
1位 115
1990 メルセデス・ベンツ・C11 C1 SUZ
1
MON
1
SIL
Ret
SPA
8
DIJ
1
NÜR
1
DON
1
MTL
1
MEX
DSQ
1位 49.5
1991 C2 SUZ
1
MON
1
SIL
1
LMN
Ret
7位 45
メルセデス・ベンツ・C291 C1 NÜR
Ret
MAG
Ret
MEX
Ret
AUT
5

エピソード[編集]

  • F1でのキャリアは、1983年フランスGPにRAMからスポットで出走、予選落ちした後、1988年イタリアGPナイジェル・マンセルの代役としてウィリアムズジャッドで初めて決勝に参戦。トップを走るマクラーレンホンダアイルトン・セナとラスト2周のところで接触し、セナはリタイア(10位完走扱い)、自身は2LAP遅れの11位となる。このアクシデントは結果としてマクラーレン・ホンダのシーズン全勝を阻み、またエンツォ・フェラーリの死を悼むイタリア国民が見守る中での劇的なフェラーリ逆転優勝を演出することになった。
  • 2001年のダカール・ラリーでは、三菱自動車ワークス・チームであるラリーアートより参戦し総合首位を走っていた増岡浩の動揺を誘う目的で、最終日直前のステージで本来のスタート順を無視して増岡より先にスタートしたほか、走行中にも増岡を執拗に妨害した。このため、結果として増岡は大きくペースダウン。これに主催者側の計時ミス等も加わったため、増岡は総合2位でゴール、初優勝を逃す結果となった。なおこの時優勝したのは、シュレッサーの同郷である女性ドライバーのユタ・クラインシュミットであった。
  • 2002年のクロスカントリーラリー・ワールドカップでは、坂の上りでスタックして作業中であった増岡浩のマシンのリアに衝突。再スタートをする再、コ・ドライバーのアンドレアス・シュルツの両足を轢いた。幸い、主催者のヘリで駆けつけた医師が応急手当をして事なきを得た。シュレッサーは「砂丘の陰で見えなかった」、増岡は「シュレッサーは下を向いて止まっていたので、シュルツが見えていたはずだよ」と述べている[2]

脚注[編集]

  1. ^ 三菱自動車モータースポーツ
  2. ^ シュレッサー、またも暴挙 トーチュウF1エクスプレス 2002年6月8日

その他[編集]

フランス映画『TAXi』シリーズでスタントドライバーとして制作に携わっている(『TAXi3』まで)。また、『TAXi2』では冒頭でプジョー・306MAXI(WRCF2キットカー)をドライブするシーンが見られる。

外部リンク[編集]