マルク・マルケス

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はマルケス第二姓(母方の)はアレンタです。
マルク・マルケス
2015年
生年月日 (1993-02-17) 1993年2月17日(25歳)
カタルーニャ州リェイダ県サルベーラ
現在のチーム レプソル・ホンダ
ゼッケン 93
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2013年
マニファクチャラーホンダ
チャンピオン4 (2013年, 2014年, 2016年,2017年)
2017年 順位1位 (298 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
70 29 50 37 34 1211
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2011年2012年
マニファクチャラースッター-ホンダ
チャンピオン1 (2012年)
2012年 順位1位 (328 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
32 16 25 14 7 579
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間2008年2010年
マニファクチャラーKTM, デルビ
チャンピオン1 (2010年)
2010年 順位1位 (310 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
46 10 14 14 9 467

マルク・マルケス ( Marc Márquez Alenta, 1993年2月17日 - ) は、スペインサルベーラ出身のオートバイレーサー2013年シーズンよりロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦。ロードレース世界選手権125ccクラス(2010年)・Moto2クラス(2012年)・MotoGPクラス(2013年2014年2016年2017年)チャンピオン。身長168cm、体重59kg[1][2]

経歴[編集]

キャリア初期[編集]

マルケスは5歳のときからオートバイに乗り始め、エンデューロレースで活躍し2001年にはカタルーニャ州の地方選手権でジュニアクラスのチャンピオンになった。翌2002年からロードレースに転向、2004年以降はエミリオ・アルサモラ(1999年ロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオン)の指導を受けるようになった[3]。2006年にはスペイン国内選手権(CEV)125ccクラスでシリーズ8位、2007年にはシリーズ9位を記録した[4]

ロードレース世界選手権[編集]

125ccクラス[編集]

2008年[編集]

2008年シーズン、マルケスはロードレース世界選手権にレプソル・KTMチームからデビューを果たした。開幕前のテストで右腕を骨折したため、第3戦ポルトガルGPからの参戦開始となったが、第4戦中国GPで12位に入り初ポイント獲得、第8戦イギリスGPでは史上2番目の若さとなる、15歳と126日での表彰台獲得(3位)を果たした[5]。その後ルーキー・オブ・ザ・イヤーの座をスコット・レディングと争ったが、序盤の欠場に加え、第17戦マレーシアGPのフリー走行で右足骨折の重傷を負い[6]終盤2戦を欠場したことが響いてシリーズランキングは13位、KTM勢の最上位に立つことはできたものの、シリーズ11位のレディングには敗れた。なおこの年の開幕時点でマルケスの身長は148cmとグランプリライダーの中で最も低く、体重も40kgしかなかったため、125ccクラスの最低制限重量である136kgを満たすために21kgのバラストをマシンやツナギの中に仕込んで戦った[7]

2009年[編集]

前年の活躍がKTMに認められ、2009年シーズンはファクトリーチームのレッドブル・KTMに移籍することになった。身体面では1年で大きく成長し、このシーズン開幕時点では身長160cm、体重51kgとなった[8]第3戦スペインGPで3位表彰台を獲得、第4戦フランスGPでスペイン人ライダーとして史上最年少(16歳と89日)となるポールポジション獲得を果たすなどの活躍を見せ、シリーズランキング8位と成績を伸ばした。

2010年[編集]
2010年 カタルーニャGP

2009年をもってKTMがグランプリから撤退したため、スポンサーのレッドブルと共にアジョ・モータースポーツチームに移籍。サンドロ・コルテセをチームメイトに、新たにデルビのマシンを駆って2010年シーズンを戦うこととなった[9]。マルケスは合同テストでトップタイムを出すなど開幕前から好調さを見せ[10]第4戦イタリアGPでグランプリ初優勝を遂げた。その後第8戦ドイツGPまで、1997年バレンティーノ・ロッシ以来となる5連勝を果たす快進撃を見せてチャンピオン争いをリード。第13戦アラゴンGPではランディ・クルメナッハの転倒に巻き込まれてリタイヤを喫し、ニコラス・テロルポル・エスパルガロに逆転されて一時ランキング3位に落ちるが、第14戦日本GPから4連勝を遂げてポイントリーダーに返り咲き、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝いた。この時点でのマルケスの年齢は17歳と263日、これはロリス・カピロッシ(1990年)に次ぐ史上2番目の若さでのタイトル獲得となった[11]

Moto2クラス[編集]

2011年[編集]
2011年 アラゴンGP

2011年シーズン、マルケスはアルサモラ率いるチーム「モンラウ・コンペティチオン」から、Moto2クラスにステップアップ[12]スッター製の最新マシンを駆り、カレックスを駆るステファン・ブラドルとのタイトル争いを演じた。出だしは順調とは言えず、開幕戦から3戦連続で転倒を喫しノーポイントに沈む。第4戦フランスGPで初優勝を遂げると、中量級のマシンライディングのコツを掴み始めたマルケスは、ここから一気に成績を伸ばしていくようになる。 タイトル争いでは序盤の連続リタイアが響いており、積極的にシーズンをリードするブラドルを追いかけていく展開となった。マルケスは二度の3連勝を含むシーズン最多の7勝を記録、中盤から終盤にかけて9戦連続で表彰台に立つ怒濤の追い上げを見せ、一時は80ポイント近くあったブラドルとの差を第16戦オーストラリアGP終了時点で僅か3ポイント差まで詰めていた。しかし、続く第17戦マレーシアGPのフリー走行中、マレーシア特有の突然の降雨によりクラッシュ、その際に左目の視力にダメージを追ってしまう。この症状はシーズン中に回復せず、残り2戦を欠場。これでブラドルのタイトル、マルケスのランク2位が確定することとなり、逆転チャンピオンとはならなかった。

2012年[編集]
2012年 オーストラリアGP

2012年シーズンはケガから回復し、好調を維持しシーズンを戦っていた。5月にMotoGPクラスのホンダワークスに所属するケーシー・ストーナーが引退を発表したことから次シーズンの候補としてマルケスが浮上。シーズン初年参戦者のワークスチーム所属を認めない「アンチ・ルーキー・ルール」が障壁となったが、7月にこのルールの撤廃が発表されたため問題はなくなり、マルケスはMoto2クラスチャンピオンを獲得してストーナーに代わり、2013年シーズンからMotoGPクラスに参戦することになる。

MotoGP[編集]

2013年[編集]
2013年 イギリスGP

2013年シーズンは、レプソル・ホンダチームに所属し、ワークス仕様のRC213Vを駆っての参戦が話題になり、ウインターテストから大型ルーキーとして大きな注目を集め、MotoGPクラスデビューとなった開幕戦カタールGPで3位表彰台に立った。

第2戦アメリカズGPは、初開催となるサーキット・オブ・ジ・アメリカで行われ、予選でポールポジション(PP)を獲得し、決勝では最高峰クラスデビューから2戦目で初勝利を挙げる。最高峰クラスにおいて20歳62日でのPPと20歳63日での優勝は、共にフレディ・スペンサー1983年に記録したものを上回る最年少記録で、30年ぶりに更新した。この優勝でポイントリーダーに立ち、第3戦も2位に入りポイントリーダーの座を守る。

第4戦フランスGPは3位に入るものの、ランキング2位のダニ・ペドロサが優勝しポイントリーダーの座を明け渡す。第5戦イタリアGPは、残り3周となった21周目に2位を走行しながらも転倒しリタイアする。第6戦カタルーニャGPは3位、第7戦オランダGPは2位に入りポイントを積み重ねていく。

第8戦ドイツGP、第9戦U.S.GP、第10戦インディアナポリスGP、第11戦チェコGPと4戦連続で優勝する。マイク・ヘイルウッド1962年に記録した最高峰クラスでの最年少連勝記録を51年ぶりに更新する。また、第8戦ドイツGPの優勝で再びポイントリーダーに立ち、チャンピオン候補の1人となる。第12戦イギリスGP、第13戦サンマリノGPは連続で2位に入る。

第14戦アラゴンGPで6勝目を挙げる。第15戦マレーシアGPは2位に入り、ランキング2位のホルヘ・ロレンソと43ポイント差まで広げる。

しかし第16戦オーストラリアGPでは、ブリヂストンが持ち込んだタイヤの耐久性に問題があり、レース全体を同じタイヤで走破不可能な事が判明する。主催者は安全面の特別処置として同一タイヤで10周以上走る事を禁止し、レース9周目か10周目にピットインしてニュータイヤ装備したマシンとの乗換が必要となった。だが、ピットインのタイミングをチームが誤認し11周目にピットに入ったため失格となり、ランキング2位のロレンソと18ポイント差まで迫られる。第17戦日本GPで1位ロレンソ、2位マルケスとなり13ポイント差とさらに縮まる。

最終戦バレンシアGPでロレンソが優勝しても、マルケスは3位以内に入れば年間チャンピオンが決定する。そのため無理な走りはせずに3位でゴールし、4ポイント差で年間チャンピオンを獲得する。

マルケスは、最高峰クラスのデビューイヤーにチャンピオンを獲得した2人目のライダーとなる[13]。20歳266日での最高峰クラスのタイトル獲得は史上最年少記録[14]。ロードレース世界選手権の3クラス(125ccクラス/Moto2クラス/MotoGPクラス)のタイトルを獲得した史上4人目ライダーとなる[15]。また、最高峰クラスにおけるデビューイヤー6勝は世界選手権発足後初の快挙となった。

2014年[編集]

2014年シーズンは、開幕戦のカタールGPをポールトゥーウィンで飾ると、そこから破竹の10連勝(うち開幕戦から6戦連続PPを含む9度のPP)を飾り一気に選手権をリードする展開となった。

開幕からの連勝は第11戦チェコGPでダニ・ペドロサによってストップされ、第12戦イギリスGPで優勝するものの、続く第13戦サンマリノGP、第14戦アラゴンGPとトップ争いを演じている中で自身のミスによる転倒で優勝を逃す展開を見せる(両戦とも再スタートしてポイントは獲得している)。

あまりいいとはいえない展開の中での第15戦の日本GPではペドロサとバレンティーノ・ロッシの前でゴールすればチャンピオンが決定する状況で、あえてトップを狙わず2位をキープするというクレバーなレースを見せ、2年連続でのチャンピオンをホンダの本拠地ともいえるもてぎで決定した(ホンダのライダーがもてぎで最高峰クラスのチャンピオンを決定させたのは初となる)。

チャンピオン決定後の第16戦オーストラリアGPではこの年唯一のリタイアを喫したものの、続く第17戦マレーシアGPと最終戦バレンシアGPで連勝を挙げた事でシーズン13勝を挙げ、マイケル・ドゥーハンが1997年に記録したシーズン12勝という世界選手権のシーズン最多勝記録を17年ぶりに更新した。

弟であるアレックス・マルケスがこの年のmoto3クラスのチャンピオンを獲得しており、世界選手権史上初となる兄弟で同じ年にチャンピオンを獲得する事となった。

2015年[編集]

前年に引き続きレプソル・ホンダ・チームより参戦。[16]

2018年[編集]

2018年4月8日に行われたアルゼンチンGPで、バレンティーノ・ロッシを追い抜く際に接触して転倒に追い込んだとして30秒加算のペナルティー受けた。マルケスは、予選段階からの他の複数のライダーと接触しており、ロッシからレースが非常に危険なものになりかねないと非難を受けた[17]

ロードレース世界選手権 戦績[編集]

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2008年 125cc KTM QAT
SPA
DNS
POR
18
CHN
12
FRA
Ret
ITA
19
CAT
10
GBR
3
NED
Ret
GER
10
--- CZE
Ret
RSM
4
IND
6
JPN
Ret
AUS
9
MAL
VAL
13位 63
2009年 125cc KTM QAT
Ret
JPN
5
SPA
3
FRA
Ret
ITA
5
CAT
5
NED
10
--- GER
16
GBR
15
CZE
8
IND
6
RSM
4
POR
Ret
AUS
9
MAL
Ret
VAL
17
8位 94
2010年 125cc デルビ QAT
3
SPA
Ret
FRA
3
ITA
1
GBR
1
NED
1
CAT
1
GER
1
USA CZE
7
IND
10
RSM
1
ARA
Ret
JPN
1
MAL
1
AUS
1
POR
1
VAL
4
1位 310
2011年 Moto2 スッター QAT
Ret
SPA
Ret
POR
21
FRA
1
CAT
2
GBR
Ret
NED
1
ITA
1
GER
1
--- CZE
2
IND
1
RSM
1
ARA
1
JPN
2
AUS
3
MAL
DNS
VAL
INJ

2位 251
2012年 Moto2 スッター QAT
1
SPA
2
POR
1
FRA
Ret
CAT
3
GBR
3
NED
1
GER
1
ITA
5
--- IND
1
CZE
1
RSM
1
ARA
2
JPN
1
MAL
Ret
AUS
3
VAL
1
1位 324
2013年 MotoGP ホンダ QAT
3
AME
1
SPA
2
FRA
3
ITA
Ret
CAT
3
NED
2
GER
1
USA
1
IND
1
CZE
1
GBR
2
RSM
2
ARA
1
MAL
2
AUS
DSQ
JPN
2
VAL
3
1位 334
2014年 MotoGP ホンダ QAT
1
AME
1
ARG
1
SPA
1
FRA
1
ITA
1
CAT
1
NED
1
GER
1
IND
1
CZE
4
GBR
1
RSM
15
ARA
13
JPN
2
AUS
Ret
MAL
1
VAL
1
1位 362
2015年 MotoGP ホンダ QAT
5
AME
1
ARG
Ret
SPA
2
FRA
4
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
2
GER
1
IND
1
CZE
2
GBR
Ret
RSM
1
ARA
Ret
JPN
4
AUS
1
MAL
Ret
VAL
2
3位 242

脚注[編集]

  1. ^ motogp.com・Marc Marquez”. Dorna Sports S.L.. 2012年4月12日閲覧。
  2. ^ マルク・マルケスのプロフィール”. Repsol Honda Team 公式サイト. 2013年3月2日閲覧。
  3. ^ http://www.monlau-competicion.com/_devfinal/proy_motos/motociclismo.asp?ualocation=461&uaSection=marc%20Marquez/marc%20Marquez_esp.asp
  4. ^ アーカイブされたコピー”. 2011年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月10日閲覧。
  5. ^ http://www.motogp.com/ja/riders/profiles/Marc+Marquez
  6. ^ http://www.motogp.com/ja/node/494560
  7. ^ http://www.motogp.com/ja/node/348810
  8. ^ http://www.motogp.com/ja/riders/profiles/Marc+Marquez
  9. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2009/Marquez+AJO+Motorsport+Jerez
  10. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/125+valencia+smith+on+top+on+the+day+2
  11. ^ http://news.smh.com.au/breaking-news-sport/marquez-clinches-125cc-world-championship-20101107-17j3r.html
  12. ^ http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/MotoGP/2010/November/nov2310-marquez-makes-move-to-moto2/
  13. ^ 最高峰クラスのデビューイヤーにチャンピオンを獲得した初のライダーは、1978年500ccクラスチャンピオンのケニー・ロバーツ
  14. ^ それまでの最高峰クラス最年少チャンピオンは、1983年500ccクラスチャンピオンのフレディ・スペンサーで21歳258日。
  15. ^ 3クラス制覇を達成したライダーは、マイク・ヘイルウッド(250ccクラス〈1961年・1966年・1967年〉/350ccクラス〈1966年・1967年〉/500ccクラス〈1962年・1963年・1964年・1965年〉)、フィル・リード(125ccクラス〈1968年〉/250ccクラス〈1964年・1965年・1968年・1971年〉/500ccクラス〈1973年・1974年〉)、バレンティーノ・ロッシ(125ccクラス〈1997年〉/250ccクラス〈1999年〉/500ccクラス〈2001年〉&MotoGPクラス〈2002年・2003年・2004年・2005・2008年・2009年〉)。
  16. ^ http://www.honda.co.jp/Racing/news2015/02/
  17. ^ マルケスの危険走行に「恐怖を感じる」、世界王者9回のロッシが警告”. AFP (2018年4月9日). 2018年7月7日閲覧。

外部リンク[編集]