ニコ・ロズベルグ

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ニコ・ロズベルグ
Nico Rosberg 2016 Malaysia 2.jpg
ロズベルグ (2016年マレーシアGP)
基本情報
フルネーム ニコ・エリク・ロズベルグ
国籍 ドイツの旗 ドイツ
出身地 西ドイツの旗 西ドイツ
同・ヘッセン州
ヴィースバーデン
生年月日 (1985-06-27) 1985年6月27日(31歳)
F1での経歴
活動時期 2006-2016
所属チーム '06-'09 ウィリアムズ
'10-'16 メルセデス
出走回数 206
タイトル 1 (2016)
優勝回数 23
表彰台(3位以内)回数 57
通算獲得ポイント 1594.5
ポールポジション 30
ファステストラップ 20
初戦 2006年バーレーンGP
初勝利 2012年中国GP
最終勝利 2016年日本GP
最終戦 2016年アブダビGP
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ニコ・エリク・ロズベルグNico Erik Rosberg, 1985年6月27日 - )は、ドイツ出身のレーシングドライバー

1982年F1ワールドチャンピオンフィンランド人のケケ・ロズベルグを父に持つが、レースにおいては出身地で母親の母国であるドイツ国籍で参戦。2016年F1ワールドチャンピオンを獲得し、F1史上2組目の親子チャンピオンとなった。

初期の経歴[編集]

1985年にドイツヘッセン州ヴィースバーデンにて生まれ、モナコで育つ。そのキャリアは常に家族、とりわけ父親に支えられたものとなる。

1996年、10歳の時にカートを始め、ヨーロッパアメリカなどの選手権を転戦。

2002年、16歳の時ジュニアフォーミュラに移行し、ドイツのフォーミュラ・BMWに参戦。20戦中9勝をあげ、その年のタイトルを獲得した。また、この年はウィリアムズで初のF1テストを行ってもいる。17歳でのF1ドライブは、当時の史上最年少である。

2003年には、父ケケのチームからユーロF3に参戦し、2004年に離脱するまでの間、幾つかの優勝をあげる。

2005年は、同年に国際F3000から改組しスタートしたGP2ARTグランプリチームから参戦した。第5ラウンドとなるマニ・クールでの第2レースを制すると、翌戦のシルバーストンでは第1レースでポールトゥウィンを飾り、更に翌戦のホッケンハイムの第1レースでハットトリックを達成する。その後はしばらく優勝から遠ざかり、チャンピオン争いではヘイキ・コバライネンに先行を許すが、バーレーンでの最終ラウンドで、第1レースと第2レースをともに制して、コバライネンを逆転して同シリーズの初代チャンピオンに輝いた[1]

11月には、父ケケの古巣でもある、F1のウィリアムズと翌年の契約を交わし、F1参戦が決定した。

F1での経歴[編集]

ウィリアムズ[編集]

2006年[編集]

ウィリアムズコスワースからF1デビュー。デビュー戦となった開幕戦バーレーンGPで7位入賞を果たしたのみでなく、史上最年少でファステストラップを獲得する活躍を見せた[2][3]。続く第2戦マレーシアGPでは予選3位を獲得し、その後の第5戦ヨーロッパGPでも7位入賞など、序盤は活躍を見せた。しかし、度重なる他車との接触やマシントラブルなどで、全18戦中9戦でリタイアを喫し、結果的に序盤で獲得した4ポイントから前進できないままシーズンを終えた。

2007年[編集]

引き続きウィリアムズから参戦。この年からウィリアムズのマシンにトヨタエンジンを搭載。信頼性も向上したことからリタイアは年間3回に減少し、第11戦ハンガリーGPから第14戦ベルギーGPまで4戦連続で入賞するなど着実にポイントを重ね、最終戦ブラジルGPでは自己最高位の4位入賞を果たした。シーズンオフには、マクラーレンへの移籍が噂されるなど、評価を上げた一年となったが、一発の速さがある一方で若さゆえのムラのある走りも多い一年だった。[4]

2008年[編集]

チームメイトに中嶋一貴を迎え、2人のドライバーが共に二世ドライバーで、かつ両方の親(中嶋悟ケケ・ロズベルグ)がそれぞれ『母国初のフルタイムF1ドライバー(但しニコの父ケケはフィンランド国籍だが、ニコはドイツ国籍)』というラインナップで臨んだシーズンとなった。開幕戦オーストラリアGPでは荒れたレースの中で、初表彰台となる3位を獲得。このレースで優勝したカート時代からの僚友・ルイス・ハミルトンとパドックで抱き合ってはしゃいで喜びを爆発させた。第7戦カナダGPにてピットロード出口の赤信号を見落とすミスを犯し、同じく信号を見落としキミ・ライコネンに追突したルイス・ハミルトンの後方から追突。これにより次戦第8戦フランスGPでの予選10グリッド降格のペナルティが下された。シーズン中盤以降は徐々に戦闘力を落としていくマシンに苦戦したが、第15戦シンガポールGPではセーフティカーが導入されたタイミングや、その後に自身に課せられたペナルティの裁定が遅れたことなどが功を奏し、自己最高位となる2位表彰台を獲得した[5]。その一方で前年同様一発の速さがある一方で、ムラがある走りも残っており、ポイント数こそ差がついたものの、ニコと中嶋の入賞回数はほとんど差がないというシーズンだった。その一方で2度の表彰台経験からシーズン中から度々移籍の噂が流れるなど、その去就に注目が集まっていたが、2009年もウィリアムズに残留することが決まった[6][7][8]

2009年[編集]

開幕戦オーストラリアGPではフリー走行の全てのセッションでトップタイムを記録したが、期待された予選は5位に終わった。決勝はピットストップでトラブルに見舞われ順位を大きく落としながらも、レース終盤には自身2度目となるファステストラップを記録し、6位に入賞した。第2戦マレーシアGPでも入賞し、次の2戦こそ入賞圏外でレースを終えたが、その後の第5戦スペインGPから第12戦ベルギーGPまで、8戦連続で入賞した。しかし第13戦イタリアGPでは今期初の予選Q1敗退。決勝レースでも序盤に接触したのち16位という結果に終わった。このレースで完走したことにより連続完走記録を25戦に伸ばし、ミハエル・シューマッハの24戦を抜いて歴代2位となった。第14戦シンガポールGPでは自身予選最高位タイとなる3位を獲得。決勝では最初のピットアウトの際にオーバースピードから出口付近の白線を横断するミスを犯し、ドライブスルーペナルティが科せられた。セーフティカー導入後にペナルティを消化せざるを得ない事態となったことで下位に沈み、11位でフィニッシュ。2戦連続ノーポイントに終わった。第15戦日本GPでは5位に入賞し3戦振りのポイントを獲得した。

メルセデス[編集]

2010年[編集]

2009年11月23日、メルセデスとの契約を発表。チームメイトは4シーズンぶりにF1に復帰したミハエル・シューマッハ

開幕戦バーレーンGPから予選・決勝ともにシューマッハを上回る成績を収めた。第3戦マレーシアGPはウェットコンディションの予選で自身初となるフロントローを獲得し、決勝でも3位表彰台を獲得。

この年は表彰台3回の活躍を見せている。また、総合ポイントでミハエル・シューマッハを大きく上回った。

2011年[編集]

第3戦中国GP、第4戦トルコGPで獲得した5位が最高位となり、前年のような表彰台獲得には至らなかった。

しかし14回の入賞と、2年連続で総合成績でシューマッハを上回った。

2012年[編集]

第3戦中国GPでは、予選で圧倒的な速さを見せ、決勝でもF1参戦7年目の111戦目にして[9]、ポール・トゥ・ウィンでのF1初優勝を飾った。 また第6戦モナコグランプリでは2位入賞し、モナコで自身初の表彰台を獲得した[10]

1勝を含めて10回入賞し、総合成績では3年連続でチームメイトのシューマッハを上回った[11]ものの、終盤6戦では入賞なし(うちリタイア3回)と失速し、ドライバーズランキングでは前年を下回る9位となった。

2013年[編集]

この年からチームメイトはマクラーレンから移籍してきたルイス・ハミルトン。第4戦バーレーンGPから3戦連続ポールポジション。第6戦モナコGPではポール・トゥ・ウィンを飾り、自身通算2勝目を挙げる。父ケケも1983年のモナコGPで優勝しており、史上初のモナコGP親子優勝となった。また、タイヤトラブルが多発し、サバイバルレースとなったイギリスGPを制し、シーズン2勝を挙げた。結果として、チームメイトのハミルトンの後塵を拝する成績に終わったものの、随所で上回り自身の評価を上げるシーズンとなった。

2014年[編集]

2014年のメルセデスのマシンは他を圧倒する速さを示しており、それを反映した成績を示している。ドイツGPでは初の母国勝利を達成(表彰台も初)。しかしこの年に入ると、前年から微妙であったルイス・ハミルトンとの仲がこじれるようになった。

モナコGPは「ラスカスゲート再び」と思わせるドライビング、さらにベルギーGPではハミルトンのマシンへ接触。この瞬間チームラジオでハミルトンははっきりと「ニコ・ヒット・ミー!」と伝えており、ハミルトンはリタイヤを余儀なくされたにも拘わらず、自身は2位でフィニッシュ。表彰式ではブーイングが飛び交ってしまう。イタリアGPではフェリペ・マッサとともに流暢なイタリア語を表彰式で披露し、イタリア語に堪能ではないハミルトンを置き去りにするなど確執が表面化している。ハンガリーでの4位とリタイア以外はすべて2位以上という抜群の安定感でポイントリーダーを維持していたがシンガポールグランプリではマシントラブルによりリタイア、このレースでハミルトンが優勝したことでランキングの逆転を許し、流れにのったハミルトンは5連勝、その後の4戦ではすべて2位を確保するも差は広がり続けた。逆風の中で迎えたブラジルグランプリでは3度のフリー走行、予選(Q1からQ3まで)のすべてのセッションでトップタイムを記録し、決勝でも終盤ハミルトンに詰め寄られながらもミスなく逃げ切って8戦ぶりの勝利を完璧なポール・トゥ・ウィンで飾ると、17ポイント差で最終戦に臨むこととなった。ダブルポイントのアブダビグランプリではポールポジションを獲得するもスタートでハミルトンにかわされ、そのまま追従する展開となるが、自らのブレーキングミスから危惧されていたERSのトラブルが発生、ブレーキも厳しくなり、ターボラグも酷くピットからのスタートもマニュアル操作で発進という状況に陥る。残り2周のところでマシンのトラブルが多すぎるため無線にてピットに戻りリタイアを促されるが「I would like to go to the end!(最後まで走りたい!)」と叫んでチーム側もこれを了承しハミルトンに周回遅れにされるという屈辱を味わいながらも14位で完走、逆転は叶わなかった。しかし表彰式前に直接ハミルトンの元を訪れて笑顔で祝福の言葉を述べ、シーズン中の確執は取り払われたように見える。

2015年[編集]

同僚のハミルトンからチャンピオン奪取を狙ったが、あと1歩及ばない場面が続くシーズンとなる。モナコGPではメルセデスの無線指示のミス[12]によるハミルトンの後退によって、なんとか優勝できたものの、その後ハミルトンには7戦連続でポールポジションを奪われてしまう。また、ドライバーズランキング首位を守り続けたハミルトンに対し、ロズベルグはマシン性能で劣るフェラーリ・ベッテルにランキング2位を脅かされながらの戦いであった。

その後も、シンガポールGPを除いて、予選ではメルセデス勢同士でポールポジションを奪い合い、アメリカGPでは3戦連続となるポールポジションを獲得。決勝でもデッドヒートを繰り広げるが、トップ走行中に自身のミスからかコースアウトし、ハミルトンが逆転優勝を飾り2年連続の王者獲得が決定。このレース後に、ピレリ製の「2位」と書かれた帽子[13]を当のハミルトンがはしゃぎながらロズベルグに投げ渡したことに激昂、そのまま投げ返し悔しさを滲ませた。当該シーンはBSフジの録画放送では放送時間の都合からかハミルトンが先に帽子を投げたところをカットして流されたため、そちらの視聴者には「負けたロズベルグが八つ当たりをした」とも誤解されかねない内容になっている。加えてシャンパンファイトも拒否するなど物議を醸した。

しかしここから奮起し、メキシコGPでは自身初のハットトリックを達成し、これを皮切りに3連勝。また、日本GPからアブダビGPにかけて6連続ポールポジションと、この時期に限ればハミルトンを圧倒したほか、一時は個人2位を譲ったベッテルを最終的には50ポイント近く突き放してフィニッシュし意地を見せた。

2016年[編集]

昨年の終盤戦3連勝で見せた覇気は同僚のハミルトンを上回り、開幕から4連勝[14](前年からの通算で7連勝[15])と予想以上の滑り出しを見せ、ロシアGPでは初のグランドスラムを達成して、早くもハミルトンとの差を43ポイントまで広げた。 しかしスペインGPはハミルトンと接触して両者リタイヤに終わると、4連覇がかかったモナコGPでは終始ペースが上がらず7位。ヨーロッパGPでは自身2度目のグランドスラムを達成したが、3連覇がかかるオーストリアGPでは最終周にまたしてもハミルトンと接触し、マシンにダメージを負って表彰台すら失った。続くイギリスGPではチームの無線指示のミスでペナルティを受けて3位に終わりハミルトンとの差は1ポイント差にまで詰められ、ハンガリーGPではポールポジションを獲得したもののスタートでハミルトンに抜かれてからトップを奪え返せないまま2位に終わり、ついにランキング首位の座をハミルトンに明け渡した。母国ドイツGPではポールポジションを獲得するがスタートのミスやペナルティなどで4位に終わり、ハミルトンに19ポイント差をつけられていた。だが夏休み明けのベルギーGPからは3連勝を飾り再び首位の座を奪い返している。日本GPでは3年連続のポールポジションを獲得するとそのまま逃げ切り、2年間勝てなかった鈴鹿での初優勝を成し遂げた。ラスト4戦はハミルトンに4連勝を許したが、ロズベルグも2位に入り続けたことで5ポイントの差を守り、初のワールドチャンピオンに輝いた。親子でのF1ワールドチャンピオンはヒル家(グラハム・ヒルデイモン・ヒル)以来、2例目となる。

翌年に向けては12月1日に「カーナンバー1を使うかどうか考えている」[16]と話していた。しかしFIAの表彰式が行われた12月2日、突然F1引退を発表し関係者やファンを大きく驚かせた[17]。25年間のレースキャリアでワールドチャンピオンになるという目標を達成したこと、また長い間、レースによって犠牲にしてきた家族との時間を作りたいということが引退の理由だという。またランキング2位で終わっていた場合は現役を続けていたとも語っている。ワールドチャンピオンを獲得したドライバーがその年に引退するのは1993年アラン・プロスト以来のことである。

エピソード[編集]

  • 一児の父。
  • ハンサムな風貌が俳優のレオナルド・ディカプリオに例えられる。元チームメイトだった中嶋一貴は、ディカプリオ主演映画『タイタニック』を観て「気持ち悪いくらい印象がそっくりですね!」と語っている[18]。仲間からは「ブリトニー」と呼ばれていたが、2011年に髪を短くして無精髭を伸ばしイメージチェンジした[19]
  • ドイツ語英語イタリア語フランス語スペイン語に堪能だが、父親の母国語であるフィンランド語は殆ど話せない[20]
  • なくなって欲しいグランプリを「富士スピードウェイでの日本GPだが、トヨタサーキットだから言えない」と答えていた[21]
  • 子供の頃のヒーローはミカ・ハッキネンで「ミカは僕の本当のヒーローだった」と語っている[22]
  • 2014年より導入されたパーソナルナンバー制度において、ロズベルグは「6」を選択した。これは父親のケケが1982年にワールドチャンピオンを獲得した時のナンバーだからとのこと。
  • ルイス・ハミルトンは少年時代、マクラーレンのカートチームでコンビを組んでいた頃からの親友。「いつかF1でチームメイトになれたら、どんなにクールだろうね」と語り合っていた夢が、2013年にメルセデスで実現した[23]
  • パートナーのヴィヴィアン・シボルトはインテリアデザイナーであり、ロータス・レーシングのモーターホームの内装を担当した[24]
  • 2016年にはスターリング・モスの通算勝利記録を抜き、ワールドチャンピオン経験のないドライバーの中での最多勝利記録保持者となったが、この年チャンピオンを獲得したため、再びモスが最多勝利記録保持者となった。
  • ニコがF1チャンピオンになったのは2016年。1982年に父親ケケが初めてF1チャンピオンを獲得して34年後のことであるが、親子2代でのチャンピオンを獲得したヒル家も、デイモン・ヒルがチャンピオンになった年(1996年)は、父親のグラハム・ヒルが初めてのチャンピオン(グラハムの初チャンピオンは1962年)を獲得してから34年後のことであった。

レース戦績[編集]

略歴[編集]

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2001 フォーミュラ・BMW ジュニア・カップ・イベリア - 3 0 0 0 0 38 18位
2002 フォーミュラ・BMW ADAC VIVA レーシング 20 9 5 1 13 264 1位
2003 フォーミュラ3・ユーロシリーズ チーム・ロズベルグ 20 1 1 2 5 45 8位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 0 N/A NC
マカオグランプリ カーリン・モータースポーツ 1 0 0 0 0 0 NC
コリア・スーパープリ 1 0 0 0 0 N/A NC
2004 フォーミュラ3・ユーロシリーズ チーム・ロズベルグ 19 3 2 2 5 70 4位
マカオグランプリ 1 0 0 0 0 N/A NC
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 0 N/A 6位
バーレーン・スーパープリ 1 0 0 0 1 N/A 2位
2005 GP2シリーズ ARTグランプリ 23 5 4 5 12 120 1位
フォーミュラ1 BMW・ウィリアムズF1チーム テストドライバー
2006 ウィリアムズF1チーム 18 0 0 1 0 4 17位
2007 AT&T・ウィリアムズ 17 0 0 0 0 20 9位
2008 18 0 0 0 2 17 13位
2009 17 0 0 1 0 34.5 7位
2010 メルセデスGP・ペトロナスF1チーム 19 0 0 0 3 142 7位
2011 19 0 0 0 0 89 7位
2012 メルセデスAMG・ペトロナスF1チーム 20 1 1 2 2 93 9位
2013 19 2 3 0 4 171 6位
2014 19 5 11 5 15 317 2位
2015 19 6 7 5 15 322 2位
2016 21 9 8 6 16 385 1位

F3・ユーロシリーズ[編集]

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2003年 チーム・ロズベルグ ダラーラ F303/005 スピース-オペル HOC
1

Ret
HOC
2

3
ADR
1

Ret
ADR
2

2
PAU
1

15
PAU
2

17
NOR
1

8
NOR
2

Ret
LMS
1

1
LMS
2

11
NÜR
1

Ret
NÜR
2

3
A1R
1

8
A1R
2

3
ZAN
1

18
ZAN
2

8
HOC
1

7
HOC
2

14
MAG
1

6
MAG
2

Ret
8位 45
2004年 ダラーラ F303/006 HOC
1

1
HOC
2

1
EST
1

Ret
EST
2

4
ADR
1

5
ADR
2

Ret
PAU
1

Ret
PAU
2

Ret
NOR
1

4
NOR
2

17
MAG
1

6
MAG
2

2
NÜR
1

1
NÜR
2

3
ZAN
1

Ret
ZAN
2

DNS
BRN
1

4
BRN
2

11
HOC
1

8
HOC
2

8
4位 70

GP2[編集]

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 DC ポイント
2005年 ARTグランプリ IMO
FEA

8
IMO
SPR

Ret
CAT
FEA

9
CAT
SPR

4
MON
FEA

3
NÜR
FEA

3
NÜR
SPR

4
MAG
FEA

7
MAG
SPR

1
SIL
FEA

1
SIL
SPR

4
HOC
FEA

1
HOC
SPR

4
HUN
FEA

5
HUN
SPR

2
IST
FEA

17
IST
SPR

3
MNZ
FEA

2
MNZ
SPR

2
SPA
FEA

3
SPA
SPR

5
BHR
FEA

1
BHR
SPR

1
1位 120

F1[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 WDC ポイント
2006年 ウィリアムズ FW28 BHR
7
MAL
Ret
AUS
Ret
SMR
11
EUR
7
ESP
11
MON
Ret
GBR
9
CAN
Ret
USA
9
FRA
14
GER
Ret
HUN
Ret
TUR
Ret
ITA
Ret
CHN
11
JPN
10
BRA
Ret
17位 4
2007年 FW29 AUS
7
MAL
Ret
BHR
10
ESP
6
MON
12
CAN
10
USA
16
FRA
9
GBR
12
EUR
Ret
HUN
7
TUR
7
ITA
6
BEL
6
JPN
Ret
CHN
16
BRA
4
9位 20
2008年 FW30 AUS
3
MAL
14
BHR
8
ESP
Ret
TUR
8
MON
Ret
CAN
10
FRA
16
GBR
9
GER
10
HUN
14
EUR
8
BEL
12
ITA
14
SIN
2
JPN
11
CHN
15
BRA
12
13位 17
2009年 FW31 AUS
6
MAL
8
CHN
15
BHR
9
ESP
8
MON
6
TUR
5
GBR
5
GER
4
HUN
4
EUR
5
BEL
8
ITA
16
SIN
11
JPN
5
BRA
Ret
ABU
9

7位 34.5
2010年 メルセデス MGP W01 BHR
5
AUS
5
MAL
3
CHN
3
ESP
13
MON
7
TUR
5
CAN
6
EUR
10
GBR
3
GER
8
HUN
Ret
BEL
6
ITA
5
SIN
5
JPN
17
KOR
Ret
BRA
6
ABU
4
7位 142
2011年 MGP W02 AUS
Ret
MAL
12
CHN
5
TUR
5
ESP
7
MON
11
CAN
11
EUR
7
GBR
6
GER
7
HUN
9
BEL
6
ITA
Ret
SIN
7
JPN
10
KOR
8
IND
6
ABU
6
BRA
7
7位 89
2012年 F1 W03 AUS
12
MAL
13
CHN
1
BHR
5
ESP
7
MON
2
CAN
6
EUR
6
GBR
15
GER
10
HUN
10
BEL
11
ITA
7
SIN
5
JPN
Ret
KOR
Ret
IND
11
ABU
Ret
USA
13
BRA
15
9位 93
2013年 F1 W04 AUS
Ret
MAL
4
CHN
Ret
BHR
9
ESP
6
MON
1
CAN
5
GBR
1
GER
9
HUN
19
BEL
4
ITA
6
SIN
4
KOR
7
JPN
8
IND
2
ABU
3
USA
5
BRA
9
6位 171
2014年 F1 W05 AUS
1
MAL
2
BHR
2
CHN
2
2位 317
F1 W05 Hybrid ESP
2
MON
1
CAN
2
AUT
1
GBR
Ret
GER
1
HUN
4
BEL
2
ITA
2
SIN
Ret
JPN
2
RUS
2
USA
2
BRA
1
ABU
14
2015年 F1 W06 Hybrid AUS
2
MAL
3
CHN
2
BHR
3
ESP
1
MON
1
CAN
2
AUT
1
GBR
2
HUN
8
BEL
2
ITA
17
SIN
4
JPN
2
RUS
Ret
USA
2
MEX
1
BRA
1
ABU
1
2位 322
2016年 F1 W07 Hybrid AUS
1
BHR
1
CHN
1
RUS
1
ESP
Ret
MON
7
CAN
5
EUR
1
AUT
4
GBR
3
HUN
2
GER
4
BEL
1
ITA
1
SIN
1
MAL
3
JPN
1
USA
2
MEX
2
BRA
2
ABU
2
1位 385
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  •  : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
  •  : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で終了したため、得点が半分となる。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ GP2の第2レースは第1レースの1位~8位のドライバーはリバースグリッドでのスタートとなるので、第1レースで優勝した場合は8位からのスタートとなる。
  2. ^ 20歳258日での入賞は当時史上3位の年少記録。
  3. ^ 初戦での獲得は、インディ500のみに出走のドライバーなどを除くと、1996年ジャック・ヴィルヌーヴ以来実質2人目。20歳258日での達成は、フェルナンド・アロンソの21歳321日を破る史上最年少記録
  4. ^ F1-Live.com 2007年12月4日
  5. ^ F1-Live.com 2008年10月2日
  6. ^ F1-Live.com 7月17日
  7. ^ F1-Live.com 10月6日
  8. ^ F1-Live.com 8月2日
  9. ^ これは当時5番目に遅い優勝である
  10. ^ メルセデスAMG F1:ニコ・ロズベルグが2位表彰台
  11. ^ シューマッハは2012年シーズン終了後に引退した。
  12. ^ ピットレーンに、ほかの車がつかえていることまでは想定していなかったという話。
  13. ^ 本来は2位獲得を称える物
  14. ^ 開幕から4連勝以上した過去のドライバー(アイルトン・セナ:1991年=4連勝、ナイジェル・マンセル:1992年=5連勝、ミハエル・シューマッハ:2004年=5連勝)はすべてワールドチャンピオンを奪取している。
  15. ^ ロズベルグ以外に7連勝したドライバーはアルベルト・アスカリ、ミハエル・シューマッハ、セバスチャン・ベッテルの3人。
  16. ^ ニコ・ロズベルグ、カーナンバー1をつけるかどうかは“考え中””. F1-Gate.com (2016年12月1日). 2016年12月2日閲覧。
  17. ^ ニコ・ロズベルグ、F1引退を発表”. F1-Gate.com (2016年12月2日). 2016年12月2日閲覧。
  18. ^ "Fダクト". 中嶋一貴オフィシャルブログ.(2010年4月9日)2013年5月24日閲覧。
  19. ^ "ニコ・ロズベルグ 「誰も僕だって気付いてくれないんだ!」". F1-Gate.com.(2011年1月25日)2013年5月24日閲覧。
  20. ^ ガーディアン紙 2005年11月10日
  21. ^ ITV 5月28日
  22. ^ The Secret Life of Nico Rosberg” (英語) (2010年6月15日). 2010年8月2日閲覧。
  23. ^ "カート時代の夢を叶えたロズベルグとハミルトン". ESPN F1.(2012年10月5日)2013年5月24日閲覧。
  24. ^ "ニコ・ロズベルグの彼女、ロータスのモーターホームをデザイン". F1-Gate.com.(2010年4月12日)2013年5月24日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]