ヨハン・ザルコ

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ヨハン・ザルコ
Johann Zarco 2011 Estoril.jpg
2011年 ポルトガルGP
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1990-07-16) 1990年7月16日(26歳)
出身地 カンヌ
ウェブサイト johannzarco.com
ロードレース世界選手権での記録
- Moto2クラスに参戦 -
現在のチーム アジョ・モータースポーツ
ゼッケン 5
チャンピオン 2
レース数 138
優勝回数 16
表彰台回数 41
PP回数 19
FL回数 12
通算獲得ポイント 1381.5
2016年の成績 1位 (276ポイント)

ヨハン・ザルコ (Johann Zarco, 1990年7月16日 - ) は、フランスカンヌ出身のオートバイレーサーロードレース世界選手権Moto2クラス2015年2016年チャンピオン。

経歴[編集]

初期[編集]

2004年、13歳のときからイタリアポケバイレースに参戦を開始し、2005年と2006年にはヨーロッパ選手権でシリーズランキング2位を記録した。2007年にはこの年からMotoGPのサポートイベントとして始まったレッドブル・ルーキーズカップに参戦。8戦中7戦で表彰台に立ち、4勝を挙げて初代チャンピオンに輝いた[1]

125ccクラス[編集]

2008年にはレッドブルMotoGPアカデミーの一員としてスペインロードレース選手権(CEV)の125ccクラスに参戦する予定であったが、諸事情によりシーズン開幕前にチームを去った[1]。結局この年はイタリアロードレース選手権(CIV)に数戦スポット参戦しただけで、どのシリーズにもフル参戦できなかった[2]

2009年、ザルコはWTRサンマリノ・チームからアプリリアを駆り、ロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦デビューを果たした。第5戦イタリアGPでベストリザルトとなる6位に入り、シリーズランキングでは20位を記録した。これはこの年のルーキーの中ではジョナス・フォルガーに次ぐ2番手の成績だった。

2010年もチームに残留。ザルコは開幕から8戦連続を含む、17戦中13戦ポイント獲得を果たし、型落ちのRSW125を駆るライダーの中では小山知良に次ぐ2番手となる年間ランキング11位を記録した。

2011年シーズンは強豪チームのアジョ・モータースポーツに移籍、最新のRSA125を駆ることとなった[3]。この年は飛躍のシーズンとなり、開幕戦からチームメイトのエフレン・バスケス(昨年ランキング5位)を上回るパフォーマンスを見せ、第2戦スペインGPで初の表彰台3位を獲得[4]すると、続くポルトガルGPでも連続して3位を獲得。さらにカタルニアGPでは、初めてニコラス・テロルとの優勝争いを展開。マシンパワーで劣りながらもラストラップの最終コーナーでテロルをかわし、自身初優勝を遂げたかに見えた。しかしテロルをパスする際にテロルを押し出すように肘を出してしまったことで20秒加算のペナルティを受け、6位に降格した[5]。このレースを皮切りに、ザルコは優勝まであと一歩に迫りながら、僅かに届かないというレースを繰り返すこととなる。第8戦イタリアGPでは、カタルニアと同じように最後までテロルと優勝を争ったが、前回とは逆に最終ストレートでテロルにかわされ2位。続くドイツGPでもラストラップの最終ストレートでトップを走っていたヘクトル・ファウベルに並び、フィニッシュライン寸前で僅かに前に出てチェッカーを受けたように見えた。だがビデオ判定の結果同着とみなされ、「同着であった場合、レース中のベストラップの速かった選手を上の順位とする」というルールの結果、ファステストラップを記録したファウベルが優勝、ザルコはまたしても2位となった。その後も表彰台には何度もあがるものの優勝には手が届かずにいたが、第15戦日本GPで遂にテロルを下し初優勝を果たした[6]。さらにこの優勝でテロルとのタイトル争いに望みをつないだものの、最終戦バレンシアGPで痛恨の転倒リタイアを喫してしまい、逆転チャンピオンとはならなかった。それでも昨年の成績を大きく上回るランキング2位を記録した。

Moto2[編集]

2012年シーズンは、チャンピオンを争ったテロルと共にMoto2クラスにステップアップ。JiRチームからTSR製のプロトマシン・TSR2で参戦[7]。 最高位は、第3戦ポルトガルGPの4位で表彰台には上れなかったが、95ポイントで年間ランキング10位となり、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

2013年シーズン、カム・イオダ・レーシング・チームに移籍、スッターMMX2に乗り、ルーキーシーズンを上回る2回の表彰台(第5戦イタリア、最終戦バレンシア。いずれも3位)、141ポイントで年間ランキング9位となった。

2014年シーズン、エアアジア・ケーターハム・モトレーシング・チームに移籍し、引き続きスッターMMX2を使用したが、多くの人々が、優勢なカレックスのマシンと比較して劣っていると見なしていた。それでも第12戦シルバー・ストーンではポール・ポジション、4回の表彰台(第7戦カタルーニャ、第13戦サン・マリノ、第14戦アラゴン、最終戦バレンシア。いずれも3位)を獲得、146ポイントで年間ランキング6位となった。

2015年シーズン、125ccクラス時代に所属していたアジョ・モータースポーツに復帰、選手権を支配して7回のポール・ポジション、8勝を含む14回の表彰台、352ポイントを獲得(前年チャンピオンエステべ・ラバトの342ポイントを上回る新記録)、自身初のMoto2タイトルを手にした[8]

同じチームでディフェンディング・チャンピオンとして臨んだ2016年シーズンも、7回のポール・ポジション、7勝を含む10回の表彰台、276ポイントを獲得してMoto2タイトルを防衛、Moto2クラス時代において2度タイトルを獲得した初のライダーとなった[9]

MotoGP[編集]

2017年シーズンは、モンスター・ヤマハ・テック3から最高峰のMotoGPに挑戦することとなった[10]。サテライトチームの一年落ちヤマハYZR-M1での参戦ではあるものの開幕戦のカタールGPでは予選4位グリッドを獲得しレースでも序盤を先頭で周回するも転倒リタイヤとなった。その後は安定して上位入賞を続け、地元となる第6戦フランスGPでは予選で3位グリッド、決勝でも2位表彰台を獲得した。

ロードレース世界選手権 戦績[編集]

シーズン クラス チーム メーカー マシン 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2009年 125cc WTRサンマリノ アプリリア RSW125 16 0 0 0 0 32 20位
2010年 125cc WTRサンマリノ アプリリア RSW125 17 0 0 0 1 77 11位
2011年 125cc アジョ・モータースポーツ デルビ RSA125 17 1 11 4 4 262 2位
2012年 Moto2 JIR Moto2 モトビ TSR2 17 0 0 0 0 95 10位
2013年 Moto2 カム・イオダレーシング スッター MMX2 17 0 2 0 2 141 9位
2014年 Moto2 エアアジア・ケータハム ケータハム・スッター MMX2 18 0 4 1 0 146 6位
2015年 Moto2 アジョ・モータースポーツ カレックス カレックス・Moto2 2014 18 8 14 7 1 352 1位
2016年 Moto2 アジョ・モータースポーツ カレックス カレックス・Moto2 18 7 10 7 4 276 1位
合計 138 16 41 19 12 1,381

エピソード[編集]

  • レースに優勝した際、その勝利を祝ってバック転をするようになり、ファンの間で人気者となった。
  • ヘルメットのデザインは、日本人ライダーをリスペクトしている事に由来する[11]

脚注[編集]

外部リンク[編集]