ステファン・ブラドル
ステファン・ブラドル | |
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2022年 イギリス | |
国籍 | ドイツ |
生年月日 | 1989年11月29日(35歳) |
出身地 | バイエルン州アウクスブルクツァーリング |
ロードレース世界選手権での記録 - MotoGPクラスに参戦 - | |
現在のチーム | レプソル・ホンダ |
ゼッケン | 6 |
チャンピオン |
1 Moto2 - 2011年 |
レース数 | 209 |
優勝回数 | 7 |
表彰台回数 | 19 |
PP回数 | 8 |
FL回数 | 5 |
通算獲得ポイント | 1249 |
2022年の成績 | 26位 (2ポイント) |
ステファン・ブラドル (Stefan Bradl, 1989年11月29日 - ) は、西ドイツ・アウクスブルクのツァーリング生まれのオートバイレーサー。2011年のロードレース世界選手権Moto2クラスチャンピオン。2012年からは最高峰MotoGPクラスに参戦する。かつて同選手権250ccクラスで活躍したヘルムート・ブラドルの息子である。
経歴
[編集]2003年、ドイツ国内で開催されたレッドブル・ルーキーズ・カップでレースデビュー。2004年からはKTMを駆ってドイツロードレース選手権125ccクラスに参戦し、翌2005年にチャンピオンを獲得した。また同年にはロードレース世界選手権125ccクラスにワイルドカード枠で3戦に出場し、グランプリデビューを果たした。
2006年、レッドブルKTMジュニアチームからGPにフル参戦を開始した。しかし第12戦マレーシアGPでのクラッシュで右足首を骨折しその後のレースを欠場、わずか4ポイントの獲得でシリーズランキング26位に終わり、KTMとは4年契約を結んでいたもののチームを放出されてしまった[1]。
2007年はアルベルト・プーチ率いるレプソル・ホンダからの出場が予定されていたが、シーズン開幕前に突如引退を発表した。しかし後に撤回し、結局ブルセンス・アプリリアチームからスペイン国内ロードレース選手権(CEV)125ccクラスに参戦することとなった。ステファンはチームメイトのスコット・レディングとの争いを制し、見事チャンピオンに輝いた。また世界選手権にも同チームからワイルドカード枠で4戦出場、このときの活躍が認められて、第14戦ポルトガルGP以降は、成績不振のヒューゴ・ファン・デン・ベルクに代わりレギュラーライダーの座を獲得することとなった。
2008年は地元ドイツのキーファー・レーシングに移籍。アプリリアのワークスマシン、RSA125を得たステファンは第12戦チェコGP、父ヘルムートが1991年に優勝したことのあるブルノで初優勝を果たした。GPでドイツ人が優勝したのは2003年のスティーブ・イェンクナー以来のことだった。また父ヘルムートとの親子優勝は、GP史上6組目となる[2]。その後第15戦日本GPで2勝目を挙げ、シリーズランキングでは4位に入る活躍を見せた。2009年もキーファー・チームに残留し125ccクラスを戦ったが、表彰台の獲得も叶わずシリーズ10位に沈んでしまった。
2010年シーズンは、同チームからMoto2クラスにステップアップを果たした[1]。スイスのスッターのシャシーを駆ったブラドルは第17戦ポルトガルGPでクラス初優勝を遂げ、年間ランキング9位を記録した。
2011年もチームに残留、クラス2年目のシーズンを迎えた。母国ドイツのカレックス製のシャシーに乗り換えたブラドルは開幕戦カタールGPを制し、第6戦までに4勝を挙げてチャンピオン争いをリードした。しかしその後はコンスタントに表彰台には立つものの勝利を挙げることは叶わず、7勝を挙げたルーキーのマルク・マルケスの猛追を受けて第15戦日本GPで遂にポイントリーダーの座から陥落した。しかしマルケスは第17戦マレーシアGPのフリー走行でのクラッシュで視力に問題を抱えて欠場、このレースで2位に入ったブラドルは大きなリードを築き、最終戦バレンシアGPでもマルケスが欠場となったことでタイトルが確定。ブラドルはドイツ人ライダーとしては1993年のダーク・ラウディス(125cc)以来18年ぶりとなる世界チャンピオンに輝いた。
2012年より、ブラドルは最高峰MotoGPクラスにステップアップ。チーム・LCRから1000ccのホンダ・RC213Vを駆って参戦[3]。
2015年より、フォワード・レーシングに鞍替えしたが、シーズン当初より苦戦を強いられ、第7戦カタルーニャGPでの8位が最高であった。第9戦インディアナポリスGPを最後に所属チームをグレシーニ・レーシングに変更することとなった。
2017年7月、鈴鹿8時間耐久ロードレースにTSRホンダから出場予定だったが、直前になって体調不良により入院。診断の結果、中耳炎を発症していることが判明。日本渡航に対してドクターストップがかかり、欠場することとなった。[4]
2018年に、MotoGPに復帰。ホンダのMotoGPテストライダーとなり、ホンダ系列のチームから5戦出場したが、成績不振のためランキング24位に終わる。
その後もテストライダーとして留まりつつ、2019年は4戦、2020年は長期入院をしたマルケスの代走で残りのレースに出場した。
戦績
[編集]ロードレース世界選手権
[編集]- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
[編集]- ^ a b http://www.motorsport-total.com/motorrad/news/2009/11/Kiefer_2010_mit_Suter-Fahrwerk_in_Moto2_09112305.html
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2008/Bradl+victory+keeps+family+tradition+alive
- ^ https://web.archive.org/web/20140315185354/http://www.motogp.com/ja/news/2011/LCR+Honda+Bradl+twoyear+MotoGP+deal
- ^ 鈴鹿8耐:TSRホンダから出場予定のステファン・ブラドルの欠場が発表, AUTOSPORTweb, (2017-07-26)
外部リンク
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