アジョ・モータースポーツ

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アジョ・モータースポーツ
マルク・マルケス (2010年)
2011年
チーム名
アヴァン・エアアジア・アジョ (ザルコ、バスケス)
レッドブル・アジョ・モータースポーツ (ケント、フォルガー)
エアアジア・SIC・アジョ(カイルディン)
本拠地 フィンランドの旗 フィンランド
代表 アキ・アジョ
ライダー 5 ヨハン・ザルコ
7 エフレン・バスケス
63 ズルファミ・カイルディン
52 ダニー・ケント
94 ジョナス・フォルガー
マシン デルビRSA125
タイヤ ダンロップ
ライダーズ
チャンピオン
125cc - 2
2008年 マイク・ディ・メッリオ
2010年 マルク・マルケス

アジョ・モータースポーツ ( Ajo Motorsport ) は、フィンランドオートバイレーシングチーム。現在ロードレース世界選手権125ccクラスに参戦している。チーム代表は元レーサーのアキ・アジョ。

チームの歴史[編集]

2001年[編集]

チームのロードレース世界選手権デビューは、ミカ・カリオをライダーにワイルドカード枠で125ccクラスに参戦した2001年の第9戦ドイツGPだった。その後第12戦バレンシアGPにも出場した。チームが使用したマシンはエントリー上はホンダとなっていたが、エンジンはチーム自身が作成したものだった。

2002年[編集]

2002年、チームはカリオをライダーにロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦を果たした。カリオは第3戦スペインGPで5位に入ったのがベストリザルトとなり、シリーズランキング11位を記録。アンドレア・ドヴィツィオーゾホルヘ・ロレンソらライバルを破ってルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

2003年[編集]

2003年シーズンは体制を拡大し、カリオのチームメイトに日本の東雅雄が加入した。カリオは8月にKTMのワークスチームに引き抜かれ、後釜にはアンドレア・バレリーニが就いた。第15戦オーストラリアGPではバレリーニ1位、東2位で1-2フィニッシュを成し遂げた。アジョ・チームは濡れた路面に強いブリヂストンタイヤを武器に、ウェットレースを中心に好成績を残した。

2004年[編集]

2004年はライダーが一新され、チェコルーカス・ペセックデンマークロビン・ハームスのペアとなった。しかしこの年ペセックはクラッシュを繰り返し、ハームスも何度か負傷を負い、期待はずれのシーズンに終わった。ペセックは翌シーズンデルビに移籍する。

2005年[編集]

2005年は日本の小山知良フランスアレックス・マスボーの2人がライダーになった。小山はオーストラリアGPで2位、トルコGPで3位、シリーズランキングでは8位に入り、チームにとっては2度目となるルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

2006年[編集]

2006年シーズンはライダーに変更はなかったが、マシンをこれまでのホンダからマラグーティに変更した。両ライダーとも怪我に苦しむシーズンとなってしまい、マスボーは僅か8戦しか出場できずノーポイント、小山もポルトガルGPで6位に入ったのがベストとなりシリーズ15位と成績を落とした。

2007年[編集]

2007年はマシンを再び変更しデルビで戦うことになった。ライダーラインナップも一新されオーストリアミハエル・ランセデールルーマニアロベルト・ムレサンのペアとなった。ランセデールは13レースで入賞しシリーズ12位に入ったが、ムレサンはノーポイントに沈んだ。

2008年[編集]

2008年シーズンはマシンは引き続きデルビ、ライダーにはフランスのマイク・ディ・メッリオスイスドミニク・エガーターが就いた。ディ・メッリオはシーズン4勝を挙げ、チームに初のワールドタイトルをもたらした。エガーターは3度8位に入ったのがベストリザルトでシリーズ16位だった。

2009年[編集]

2009年、250ccクラスにステップアップしていったディ・メッリオに代わり、ドイツサンドロ・コルテセがエガーターのチームメイトになった。コルテセは第14戦ポルトガルGPでの2位をはじめ3度表彰台に立ちシリーズ6位に入った。エガーターはフランスGPでの6位がベストでシリーズ13位だった。

2010年[編集]

2010年シーズンは、コルテセのチームメイトにスペインのマルク・マルケスが加入した。コルテセはフィンランドの作業用車両メーカーのアヴァン三菱自動車が、マルケスはレッドブルレプソルがメインスポンサーとなり、エントリー上は別々のチーム名となった。マルケスは10勝を挙げる圧倒的な強さを見せてシーズンを席巻、チームに2度目のライダーズタイトルをもたらした。コルテセは2度の表彰台でランキング7位に留まった。

またこのシーズン、新しく始まったMoto2クラスにはアレックス・デボンが、125ccクラスにはアドリアン・マルティンが「アエロポルト・デ・カステロ・アジョ」として参戦したが、これはアキ・アジョが持っていた参戦枠をデボンに譲ったものであり、実際にチームを運営したのはデボン自身が立ち上げた「モータースポーツ69」チームであった[1]

2011年[編集]

2011年シーズンはライダーラインナップを一新し、エフレン・バスケスヨハン・ザルコの2名を迎える[2]。また新たにジュニアチームを立ち上げることとなり、「レッドブル・アジョ・モータースポーツ」の名前でジョナス・フォルガーダニー・ケントの2人が参戦する。さらにはマレーシアのズルファミ・カイルディンも別スポンサーのマシンで参戦し、チーム全体としてはライダー5人の大所帯となった[3]

脚注[編集]

外部リンク[編集]