AT&T

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AT&T Inc.
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種類 株式会社
市場情報
NYSE T
略称 ATT
本社所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州ダラス
設立 1983年
業種 コングロマリット
事業内容 無線、電話、インターネット、テレビ
売上高 1,242億80百万ドル(2010年)
総資産 2,684億88百万ドル(2010年)
従業員数 約294,600名(2010年)
決算期 12月31日
外部リンク att.com(英語)
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AT&T Inc.(エイ ティ アンド ティ)は、アメリカ最大手の電話会社インターネット接続、映像配信サービス等も提供する。本社はテキサス州ダラスにあり、AT&Tとは旧社名 The American Telephone & Telegraph Company の略。

沿革[編集]

1877年19世紀におけるアメリカの二大発明家でもあるグラハム・ベルが興したベル電話会社が前身であり、1885年に世界初の長距離電話会社として発足。社長となったセオドア・ニュートン・ヴェイルは、「垂直統合」と「水平統合」と呼ばれる研究開発(ベル電話会社、以下ベル社)から機材製造(ウェスタン・エレクトリック)、市内交換から長距離交換までの独占を展開。ネットワーク経済学におけるボトルネック独占を見事に現実のものとした。翌年末にジョン・ハドソンがベル社の管理者となった。ジョンは1887年にAT&T の社長となった。1899年12月31日にベル社はAT&T に完全買収された。ジョンは1900年秋に事務所で急逝した。1901-1907年、フレデリック・フィッシュが社長を務めた。フィッシュは1890年からゼネラル・エレクトリックの支配人として活躍しており、ジョン・モルガンとも付き合いがあった。フィッシュの任期にAT&T はモルガンと人的・資本的関係を深めた。1906年、AT&T1億5000万ドルの転換社債を発行、負債が8倍以上となる。翌年4月にフィッシュ辞任、ヴェイルが復任する。[1]この状態で1907年恐慌を迎えた。

1909年にウエスタンユニオン株を買収。ここで政府が、大西洋横断電信ケーブルのカルテルによるシャーマン法違反でウェスタンユニオンに訴訟を提起すると圧力をかけた。ヴェイルがウェスタンユニオンをカルテルから引き離すと、カルテル参加企業であったAnglo-American Telegraph Companyジョン・ペンダー系のDirect United States Cable Company は立場が弱く、アメリカ市場を失うまいと自社保有の大西洋ケーブル通信網をウェスタンユニオンに貸与する羽目になった。AT&Tは1914年に株を売却した。結局は国内の電信企業がイギリスの通信利権を奪い取り独占力を強化した。

一方、AT&Tは連邦政府と折衝の上1913年にキングズベリー協定を結び、「規制下の独占」と言われる事業の独占権を認められた。こうして翌年勃発した第一次世界大戦で、RCA真空管の特許を囲い込むことができた。

1925年、AT&T 社長ウォルター・グリフォードがベル研究所を設立した。

1926年、子会社のアメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーをRCA に売却した。しかもRCA はその放送事業にAT&T の回線を使わなければならないという、表面上の義務協約を結んで恩恵にあずかった。子会社NBCを参照。

1934年、連邦通信委員会が発足。AT&T は第二次世界大戦で軍需契約の総額におき全米13位であった。

1949年、司法省が反トラスト訴訟を提起しウェスタン・エレクトリックをAT&T 系列から引き剥がしにかかった。

1956年、ウェスタン・エレクトリックの分離は結審により見送られた。しかし、機器製造はAT&T向け使用のみに限定された。AT&T は所有特許の競合企業への非排他的なライセンス供与が義務づけられた他、事業分野は公衆通信サービスに限定された。

1962年、テルスター衛星を打ち上げた。これはトランシット (人工衛星)インテルサットへのステップとなった。

1964年6月、コムサットが第1回の株式発行。総額2億ドル。1億ドル分が第1種株式として13万人の一般国民に売却された。残りの1億ドル分は第2種株式として連邦通信委員会の認可した163の通信事業者に購入された。AT&T は総額2億ドル1000万株のうち29%を保有した。1972年に合衆国内の通信衛星市場が自由化され、翌年2月インテルサット恒久協定が発効して国際化が推進された。ここでAT&T はコムサット株を売却してモノポリーを降板した。この1973年、米海軍の支援を受けたコムサットが86.29%を出資して、インテルサット衛星を多目的衛星とするためのマリサット計画をスタート。株主の2位、3位はそれぞれ8%のRCA と3.41%のウェスタン・ユニオン。このジョイントベンチャーは1977年8月に国際電信電話と契約、KDDI山口衛星通信センターが設立された。[2]

1970年代、反独占訴訟United States v. AT&T Co. が起こり、独占問題は収束した[3]

1984年1月1日、AT&Tは基本的に長距離交換部門だけを持つ電話会社となり、それ以外の事業は会社分割された。これにより、地域電話部門は地域ベル電話会社8社[4]へと分離された。また、ベル研究所も、AT&Tの機材製造・研究開発子会社、AT&Tテクノロジーズ(旧ウェスタン・エレクトリック)の傘下に置かれ、AT&T本体から分離された。合衆国の電話産業は市場競争へと開放され、特に長距離部門ではMCIスプリントなどの大手長距離電話会社の成長を見ることになる。

1990年代後半、AT&Tは大手ケーブル会社TCIメディアワンを相次いで買収、ケーブル施設を全国に保有し、その施設を通じた高速インターネット通信事業においても大手事業者となった。

1995年には、ベビーベルのひとつサウスウェスタン・ベルが、「SBCコミュニケーションズ」に改名。1996年にパシフィック・テレシス、1997年にサザン・ニューイングランド・テレフォン、1999年にアメリテックを合併吸収して巨大化する。

1996年、AT&Tテクノロジーズがルーセント・テクノロジーズ(現アルカテル・ルーセント)としてスピンオフ。

1991年に買収後、一旦AT&Tグローバル・インフォメーション・ソリューションズに改称したNCRも、1997年にNCRとして再度スピンオフした。

2001年の企業再構築により、旧TCIのメディア部門であったリバティメディアがスピンオフし、AT&Tは、AT&Tワイヤレス、AT&Tブロードバンド(ケーブルTV & ケーブルインターネット)、AT&Tコンシューマー、AT&Tビジネスの四事業体制となる。このうちAT&Tワイヤレスは切り離され独立し、2001年から2004年まではNTTドコモが筆頭株主(16%)となるが、2004年にはSBCコミュニケーションズとベルサウスの合弁会社であるシンギュラー・ワイヤレスに買収されることになった。2002年には、AT&Tブロードバンドは、ケーブルテレビ事業大手のコムキャストに買収されて、AT&T本体に残るのは、昔からある長距離通信事業のみとなった。

2005年には、SBCコミュニケーションズにより、残っていたAT&T自体(AT&T Corporation)が買収される。SBCは、ブランド名として価値の高いAT&Tを社名にすることにし、AT&T Inc.と改称した。買収されたAT&T Corp.は、新AT&Tの長距離通信事業を担当する子会社として残され、現在も存続している。

SBCコミュニケーションズは、1983年のAT&T分割でできた地域通信会社であり、経営陣の多くがAT&T出身ではあるが、子が親を買収するようなイメージの合併であった。従って、旧AT&Tの流れは、資本上はここで一度切れたと考えるべきである。SBCのAT&Tへの社名変更はSBCの経営陣がAT&Tの圧倒的なブランド力、認知度を利用するとともに、誇るべきNYSEにおける"T"の一文字ストックシンボルの伝統を消したくなかった、と言われている(参考:英語版 AT&T)。AT&Tのロゴは買収後に若干変更された。

2006年には、地域ベル電話会社のベルサウスを買収。ベルサウスとは携帯電話事業で合弁事業を行っており、共同出資会社シンギュラー・ワイヤレスは米国内でベライゾン・ワイヤレススプリント・ネクステルT-モバイルを抑えトップシェアとなっていた。また、この合併で地域電話会社はAT&T、ベライゾン・コミュニケーションズ、クウェスト・コミュニケーションズ・インターナショナル(現センチュリーリンク)の3社に集約されることとなった。これによりAT&Tは、長距離データ通信、長距離電話、携帯電話、公衆無線LANサービス、米国本土のおよそ半分で地域電話サービス(インターネット接続サービス、IPTV・ビデオサービスを含む)を提供する巨大通信事業者となった。

2007年、シンギュラー・ワイヤレスをAT&Tモビリティに名称変更し、すべてのサービスをAT&Tのブランドに統一した。

2007年12月3日2008年度末までに公衆電話事業の完全撤退を発表した。[1]

2008年、AT&Tがソフトウェア・アーキテクチャ・システム分野をアメリカ合衆国郵政公社への2,000万ドルのプロジェクトを発表をされた。

2011年3月20日、ドイツテレコムの米国携帯電話事業子会社であるT-Mobile USAを390億ドルで買収することを発表。しかし、この買収計画は、司法省による反トラスト法違反での提訴につながり、結局、12月にAT&Tは、買収断念を発表した。[5]

2013年7月12日、リープ・ワイヤレスを1株当たり15ドルで買収することで合意 [6]

2014年5月18日、ディレクTVを485億ドルで買収することで合意したと発表[7]2015年7月24日に買収を完了した[8]

組織[編集]

AT&T Inc.は持株会社として存在し、個々の事業・地域ごとの事業は以下の事業子会社が担当している。

  • サウスウェスタン・ベル・テレフォン・カンパニー
  • AT&Tテレホールディングス
    • イリノイ・ベル
    • インディアナ・ベル
    • ミシガン・ベル
    • オハイオ・ベル
    • ウィスコンシン・ベル
  • AT&Tコーポレーション
    • AT&Tアラスコム
  • ベルサウス
    • ベルサウス・テレコミュニケーションズ
  • AT&Tモビリティ
  • クリケット・ワイヤレス

他国展開[編集]

日本[編集]

日本においては、1985年に長距離国際サービスを主にした日本AT&T株式会社が設立された。1998年の日本IBMとの戦略的合意に基づき、1999年にAT&TジャパンLLC(2007年9月1日にAT&Tグローバル・ネットワーク・サービス・ジャパンLLCから社名変更)が設立された。なお、AT&TジャパンLLCは株式の15%をNTTコミュニケーションズが持ち、AT&TIncの100%子会社である日本AT&T株式会社と若干資本関係が異なる。   AT&TジャパンLLCはAT&Tの技術を日本に導入するとともに、企業向けネットワークのアウトソーシングサービスなどを行っている。技術力は高く、顧客層はかなり大企業に偏っている模様である。国際サービスはAT&Tのサービスを使い、国内サービスはNTTコミュニケーションズKDDI日本テレコムKVHテレコムなどの回線を調達しAT&Tがマネージメントとカスタマイズをして、顧客に提供するサービスをしている。複雑なネットワークであるほど、AT&Tの評価は高い。

2010年9月に、AT&Tジャパンのネットワークアウトソーシング事業をインターネットイニシアティブへ譲渡した。

また、かつて存在したAT&TのプロバイダーサービスはAT&Tと日本テレコムとの合弁会社JENSが運営していたが、AT&TがNTTコミュニケーションズと提携した後、合弁は解消、現在AT&Tとは無関係の会社になっている。しかし、ドメインとしてはatt.ne.jpがそのまま残っている。 ブリティッシュテレコムとの合弁、コンサートジャパンも合弁解消、こちらはAT&Tに吸収合併されている。

日本電気(NEC)は、ベル電話会社(旧AT&T)の機材製造部門ウェスタン・エレクトリック岩垂邦彦による日本初の外資との合弁企業であった。現在はAT&Tとの資本関係はない。

スポンサー活動[編集]

ゴルフ[編集]

AT&Tではゴルフにも積極的である。PGAツアーでは2月のAT&Tペブルビーチナショナルプロアマ、5月のAT&Tバイロン・ネルソン選手権チャンピオンズツアーでは10月のAT&T選手権英語版のタイトルスポンサーを持っている。またかつては6月から7月にかけて開催されているAT&Tナショナル、アトランタで開催されていたAT&Tクラシック英語版のスポンサーも務めていた。またAT&Tナショナルを主催するタイガー・ウッズ財団英語版の創設者タイガー・ウッズも2009年まで契約していた。

ネーミングライツ[編集]

SBC時代より、現在のAT&Tパーク2000年開場)、AT&Tセンター2002年開場)のネーミングライツを保有している。また、2013年7月にはAT&Tスタジアムの命名権も取得した。

F1[編集]

2012年からF1チームのレッドブルスポンサーを務めている[9]。過去スポンサーを務めていたチームの移り変わりは多くジャガー・レーシングマクラーレンウィリアムズ、レッドブルと推移している。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 山口一臣 ベル・システムと独立電話会社の競争時代:1894-1906年成城大学) 3.ベル・システムの競争戦略と電話料金引下げ競争の実態(1)(2)
  2. ^ 国際衛星通信協会 神谷直亮 『米コムサット社の奇跡』 1989年7月 3・4・6章
  3. ^ 志田玲子・白川一郎 米国通信市場における規制改革 -規制産業から競争産業への転換-立命館大学) 紛争経緯を概観するには表2が早い。連邦通信委員会が何度もテコ入れした最後の1996年に電気通信法が制定されてルーセント・テクノロジーが誕生している。
  4. ^ アメリテックベル・アトランティックベルサウスナイネックスパシフィック・テレシスサウスウェスタン・ベルUSウエスト。通称ベビーベル(Bebybell)
  5. ^ AT&T (2011年12月19日). “AT&T Ends Bid To Add Network Capacity Through T-Mobile USA Purchase”. 2011年12月20日閲覧。
  6. ^ “AT&T、Leap Wireless買収でLTE向け周波数帯獲得へ”. (2013年7月14日). http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1307/14/news005.html 2013年7月15日閲覧。 
  7. ^ “AT&TがディレクTV買収 4.9兆円、ネット活用に活路”. 日本経済新聞. (2014年5月19日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM19010_Z10C14A5EAF000/ 2014年6月28日閲覧。 
  8. ^ 米当局、AT&TのディレクTV買収を承認”. ロイター (2015年7月25日). 2015年7月26日閲覧。
  9. ^ “ウィリアムズの元メインスポンサー、レッドブルと契約へ”. TopNews. (2012年5月31日). http://www.topnews.jp/2012/05/31/news/f1/teams/redbull/60055.html 2013年9月24日閲覧。 

外部リンク[編集]