ジョルジオ・アスカネッリ

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ジョルジオ・アスカネッリGiorgio Ascanelli1959年2月23日 -)は、イタリア出身のモータースポーツ技術者F1チームフェラーリマクラーレンでチーフエンジニア、スクーデリア・トロ・ロッソの技術責任者(テクニカルディレクター)などを務めた。

経歴[編集]

1985年からフォーミュラ1(F1)チームスクーデリア・フェラーリの技術者として働きはじめる。1987年にはフィアット・グループアバルトチームにて、世界ラリー選手権(WRC)のトラック・エンジニアを務める。

1988年にはフェラーリに戻り、エースドライバーのゲルハルト・ベルガー担当エンジニアを務めた。1989年に同チームのチーフエンジニアに昇進。ベルガーは1989年限りでフェラーリを離れる際に、「フェラーリでの3年間で得た最も重要な経験はジョン・バーナードと一緒に仕事が出来たことと、エンジニアのジョルジョ・アスカネッリが非常に優秀で、2人から多くを学べことだ」と語り、アスカネッリを高く評していた[1]

1990年、フェラーリからベネトンに移籍していたチーフ・デザイナーのジョン・バーナードに引き抜かれ、チーフエンジニアとしてベネトンに加入する。

1992年マクラーレンに在籍していたベルガーの頼みでマクラーレンに移籍。再びベルガーの担当エンジニアとして働き、1993年アイルトン・セナのエンジニアを担当した。彼をマクラーレンへと呼び寄せたベルガーは1993年からフェラーリへと復帰した。

1995年に再びフェラーリにチーフエンジニアとして移籍し、三度ベルガーの担当エンジニアを務めた。1998年に同チームの研究開発部門責任者(head of R&D)に任命された。その後、チームが体制を一新しロス・ブラウン主導の体制に移行したことから立場を追われる形になり、2001年はフェラーリエンジン(バッジネームエイサー)を搭載するプロスト・グランプリへアドバイザーとして派遣された。

2002年から2007年まで、FIA GT選手権に参戦するフィアット・グループのマセラッティで、テクニカルディレクターを務めた。

2007年マレーシアGPから再度F1に戻り、ベルガーが共同オーナーを務めるスクーデリア・トロ・ロッソのテクニカルディレクターに就任[2]レッドブル・レーシングのマシンを譲り受ける体制から、2010年よりオリジナルマシンの製造へ移行したチームにおいて、開発部門を指揮した。

2012年シーズン途中に現場を離れ、9月にはトロ・ロッソからの離脱が発表された[3]。その後、ブレーキメーカーのブレンボにチーフ・テクニカルオフィサーとして加入した[4]

脚注[編集]

  1. ^ インタビュー「チャンピオンに賭ける夢」ゲルハルト・ベルガー グランプリ・エクスプレス 1989年日本GP号 20-21頁 1989年11月9日発行
  2. ^ Ascanelli moves to Toro Rosso(grandprix.com 2007年3月31日)
  3. ^ "アスカネッリがトロ・ロッソ離脱". ESPN F1.(2012年9月6日)2013年5月20日閲覧。
  4. ^ "アスカネッリ ブレンボのテクニカルチーフに就任". GPUpdate.(2013年2月4日)2013年5月20日閲覧。

外部リンク[編集]

PEOPLE: GIORGIO ASCANELLI - Grandprix.com