マクラーレン・M26

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクラーレン・M26
ドニントン・グランプリ・コレクションに展示されているM26
カテゴリー F1
コンストラクター マクラーレン
デザイナー ゴードン・コパック
先代 マクラーレン・M23
後継 マクラーレン・M28
主要諸元
エンジン フォードコスワースDFV 2993cc V8 NA ミッドエンジン
燃料 テキサコ
カストロール
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム マールボロチーム・マクラーレン
BSファブリケーションズ
ドライバー イギリスの旗 ジェームス・ハント
ドイツの旗 ヨッヘン・マス
フランスの旗 パトリック・タンベイ
アメリカ合衆国の旗 ブレット・ランガー
出走時期 1976年 - 1979年
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
通算獲得ポイント 54
初戦 1976年オランダGP
初勝利 1977年イギリスGP
出走優勝表彰台ポールFラップ
313631
テンプレートを表示

マクラーレン・M26(McLaren M26)は、マクラーレンF1世界選手権用に開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはゴードン・コパック

1976年から1978年までの間に計7台が製作され[1]、優勝3回を記録した。

解説[編集]

M26のフロント部

1973年にデビューし、1974年にドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンを獲得したマクラーレン・M23の後継車として開発がおこなわれ、1976年7月に開催されたイギリスGPの翌日に発表された。

モノコックにアルミ板でハニカムを挟み込んだアルミ・ハニカムを使用して剛性を高め、それと同時に車体の重量軽減も果たしている[2]。さらにコクピット周りには耐火性向上のためノーメックスを使用している[3][4]。外見は全長がM23と比べ短くなっている。サスペンションなどの内部メカニズムや、バナナウイングと呼ばれるリヤウイングの形状はM23からそのまま受け継がれている。

戦績[編集]

1976年[編集]

シーズン途中からの投入が予定されオーストリアGPに持ち込まれたが、予選のみの出走で[5]、次戦オランダGPヨッヘン・マスが出走し9位完走した。M23がまだ第一線で争える戦闘力を持っており、その性能維持を優先されたため[2]、出走はこの1戦にとどまった。

1977年[編集]

1977年は開幕から2戦をM23で出走したのち、南アフリカGPにハント用のマシンが持ち込まれたが、直前のテスト中に事故を起こして破損[6][7]。このためジェームス・ハントのM26でのドライブは第5戦スペインGPからとなった。第7戦ベルギーGPよりアンダーステア対策と[8]、車体後部に配置されたオイルクーラーが充分に冷却されないという欠点を解決するため[9]オイルクーラーをフロントノーズに移設した。この改善が功を奏してフランスGPで3位、イギリスGPでポールポジションからスタートしたハントがM26の初勝利を記録。シーズン終盤のアメリカ日本両GPでも優勝した。

1978年[編集]

1978年イギリスGPでM26をドライブするジェームス・ハント

1978年は後継車として構想されたM27の開発が棚に上げられたため[10]、引き続いて使用された。マシンは前年と比べ外見の大きな変化はなかった。ドライバーはマスに代わりパトリック・タンベイが加入。ブルーノ・ジャコメリも数戦出走した。また、プライベートチームのBSファブリケーションズから参戦するブレット・ランガーも新しく製作されたM26/6を購入してドライブした[11]

前年とは打って変わって不振に陥り、スペインGP予選でコクピット前にウイングが追加された仕様を試したり[9]、さらにイギリスGPでは、スペインGPで破損したM26/4にロータス・79風のサイドポンツーンやラジエターを装備したM26Eを登場させた[12][13]が、成績は好転せず、結局フランスGPでのハントの3位が最高位となり、コンストラクターズ・ランキングは前年の3位から8位に転落した。シーズン後半のアメリカ・カナダGPでは、フィリップモリス傘下のミラー社が販売するビールブランドであるレーベンブロイがスポットスポンサーに付き、カラーリングがイメージカラーのブルーに代わった[14]

1979年[編集]

1979年ブラジルGPの練習走行中にタンベイのM28が事故をおこしたため、予備として用意されていたM26で出走[15][16]。ベルギーGPでもタンベイのM28が改修中だったため、その代わりとしてM26を走らせたが予選落ちした[16]

M26 1/2[編集]

1977年シーズン終了後におこなわれたポール・リカールでのテストで、ラジエター・オイルクーラーを車体後部に配置しラジエターダクトと一体化したリヤウイングを装着したM26 1/2(M26/27とも[17])が登場[9]。前記のM27への使用を目的としたものであり[17][18]、テスト走行のみに使用された[9]

スペック[編集]

シャシー[編集]

M26のコクピット周り

エンジン[編集]

F1全成績[編集]

ワークス[編集]

(key)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)

タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1976 G BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
ESP
スペインの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
JPN
日本の旗
74*(75) 2位
12 ドイツの旗 マス 9
1977 G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
JPN
日本の旗
60† 3位
1 イギリスの旗 ハント Ret 7 12 3 1 Ret Ret Ret Ret 1 Ret 1
2 ドイツの旗 マス 4 Ret 6 Ret 4 Ret 3 Ret
1978 G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
ESP
スペインの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
15 8位
7 イギリスの旗 ハント 4 Ret Ret Ret Ret Ret 6 8 3 Ret DSQ Ret 10 Ret 7 Ret
8 フランスの旗 タンベイ 6 Ret Ret 12 7 Ret 4 9 6 Ret Ret 9 5 6 8
33 イタリアの旗 ジャコメリ 8 Ret 7 Ret 14
1979 G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
ESP
スペインの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
15‡ 7位
8 フランスの旗 タンベイ Ret DNQ
  • DNQは予選不通過、DSQは失格。
  • ()内は総得点。
  • *マクラーレン・M23が獲得。
  • †マクラーレン・M23による21ポイントを含む。
  • ‡マクラーレン・M28、M29が獲得。

ノンワークス[編集]

チーム タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
1978 リゲット・グループ/BSファブリケーションズ G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
USW
アメリカ合衆国の旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
ESP
スペインの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
30 アメリカ合衆国の旗 ランガー DNQ 7 DNQ DNQ Ret 8 DNPQ 8 Ret Ret
  • DNPQは予備予選不通過。

脚注[編集]

  1. ^ McLaren M26 race history”. oldracingcars.com. 2013年4月6日閲覧。
  2. ^ a b 『F1 MODELING 1977富士F1グランプリ』、21頁。
  3. ^ オートスポーツ、1976年9月15日号、34頁。
  4. ^ 『AUTO SPORT YEAR '76/77』、76頁。
  5. ^ 大串信 「意匠万華鏡 〜愛すべき試行錯誤〜」 第26回、『GRAND PRIX SPECIALソニー・マガジンズ、2013年1月号、92頁。
  6. ^ 『オートスポーツ』、1977年5月1日号、80頁。
  7. ^ ナイ (1989)、265頁。
  8. ^ 『F1 MODELING 1977富士F1グランプリ』、29頁。
  9. ^ a b c d 「意匠万華鏡 〜愛すべき試行錯誤〜」 第26回、2013年1月号、93頁。
  10. ^ M27”. Bruce McLaren Trust. 2013年4月6日閲覧。
  11. ^ McLaren M26/6 race history”. oldracingcars.com. 2013年4月6日閲覧。
  12. ^ 『オートスポーツ』 1978年9月15日号、32頁。
  13. ^ ナイ (1989)、276頁。
  14. ^ ナイ (1989)、280頁。
  15. ^ 『オートスポーツ』 1979年4月1日号、31頁。
  16. ^ a b ナイ (1989)、282頁。
  17. ^ a b 『オートスポーツ』 1978年3月1日号、18頁。
  18. ^ ナイ (1989)、76頁。
  19. ^ Car Model: McLaren M26”. ChicaneF1.com. 2013年4月6日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『オートスポーツ』 1976年9月15日号 三栄書房、33 - 35頁。
  • 『AUTO SPORT YEAR '76/77』 三栄書房、1977年
  • 『AUTO SPORT YEAR '77/78』 三栄書房、1978年
  • 『F1 MODELING 1977富士F1グランプリ』 東邦出版、2008年
  • ダグ・ナイ:著 森岡成憲:訳 『チーム・マクラーレンの全て THE GRAND PRIX, CAN-AM AND INDY CARS by Doug Nye』 CBSソニー出版、1989年 ISBN 4-7897-0504-8

外部リンク[編集]