アンリ・デュラン

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アンリ・デュランHenri Durand, 1960年8月21日 - )は、フランス出身のレースカーデザイナーである。

経歴[編集]

フランスのマザメ(Mazamet)出身。

エアバス社の本社が所在するフランス航空産業のメッカであるトゥールーズ近郊という環境もあって、航空マニアとして育った。

高等航空宇宙学校(ENSAE, Ecole Nationale Superieure de l'Aeronautique et de l'Espace)で航空力学を学び、1983年に卒業。空力設計の専門家を探していたF1リジェチームに請われ、卒業後まもなく、チーフ・エアロダイナミストとして加入し、1987年まで在籍。

この間、リジェの成績と獲得ポイントは順調に向上したが、ルノーの撤退によりエンジンを失うと、メガトロンエンジンを積んだ1987年、ジャッドエンジンを積んだ1988年は成績が一挙に低迷したため、当時ジョン・バーナードが在籍していたフェラーリへの移籍を決断した。

フェラーリチームに移籍し、1989年型フェラーリ 640をデザインするにあたって、当初前年に投入される予定だったフェラーリ F188(フェラーリ 639、実際には政治的な理由で投入されず)の空力面には大胆な変更が加えられ、外観は大きく変わった。

1990年6月にフェラーリから離脱し、マイク・ガスコインの後任として、マクラーレンにチーフ・エアロダイナミストとして加入し、1991年のMP4/6を手始めに、以後マクラーレンのF1マシンの空力設計を長く手がけ、この間に同チームに空力部門(エアロダイナミクス)と車体挙動部門(ビークル・ダイナミクス)を設置し、技術開発面での方向性を確立するなどした。

2001年にプロスト・グランプリテクニカル・ディレクターとして加入するが、同年限りでチームが消滅すると、2003年3月にジョーダンにチーフデザイナーとして加入したが、ジョーダンも当時下り坂のチームであったためにほどなく離脱し、翌2004年からはアメリカに渡り、10月にIRLのレッドブル・チーヴァー・レーシングのテクニカル・ディレクターに就任した。

エピソード[編集]

1991年にデビューしたマクラーレンMP4/6は、フェラーリ642と酷似したデザインを持つマシンであった。これは642をデザインした後にマクラーレンへ移籍したためであった。これに対してアイルトン・セナは「ボクはフェラーリには行けないから、チームに頼んで同じモノを作ってもらったんだ!」と茶目っ気たっぷりに語った。なお、このMP4/6と642、サーキットでのパフォーマンスではMP4/6に軍配が上がった。