浜島裕英
浜島 裕英 はましま ひろひで | |
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生誕 |
1952年12月13日(71歳) 東京都 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京農工大学・大学院 |
業績 | |
専門分野 |
タイヤ・エンジニア モータースポーツ解説者 |
雇用者 |
ブリヂストン(1977年 - 2011年) スクーデリア・フェラーリ(2012年 - 2014年) セルモ(2016年 - 2019年) NAKAJIMA RACING(2019年) |
F1関連記事 |
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関連リスト |
浜島 裕英(はましま ひろひで、1952年12月13日 - )は、日本のタイヤ技術者、モータースポーツ解説者。東京都出身。東京農工大学工学部卒業。同大学院工学研究科修士課程修了。
ブリヂストンにて長年モータースポーツ用タイヤの開発を手がけ、開発本部長としてF1参戦の総指揮を務めたことで知られる。後には、スクーデリア・フェラーリの開発スタッフも務めた。F1関係者の間での愛称はハミー[1]。
略歴
[編集]1977年 ブリヂストン入社後、基礎技術研究、乗用車タイヤ開発を経て、モータースポーツ用タイヤの開発を担当[2]。インディカー、F2等のタイヤ開発に携わる。特に1997年から2010年にかけて行われたブリヂストンのF1参戦において、参戦全期間である14年に渡って総指揮を執ったことで一般に名前を知られるようになる。
当時は同社モータースポーツ・モーターサイクルタイヤ開発本部長を務めていたが、F1参戦終了に伴いタイヤ開発第2本部長付フェロー[3]に異動。ただし2011年はオートバイロードレース世界選手権(MotoGP)へ頻繁に姿を見せるなど、以後もモータースポーツ部門には携わっていた。
フジテレビのF1グランプリ中継では、当日のコースコンディションなどについてのインタビューに多く答えているほか、『F1GPニュース』(フジテレビ721)へのゲスト出演も多数。これらの番組で、「日本人で唯一、ミハエル・シューマッハを(面と向かって)シューミと呼べる人物」と紹介され、実際にシューマッハをはじめ担当したF1ドライバーとは強い信頼感で結ばれている。
2012年で60歳を迎えブリヂストンの定年に達することから以後の去就が注目されていたが、2012年1月11日にスクーデリア・フェラーリと契約を結んだことが発表された[1][4]。フェラーリではテクニカルディレクターのパット・フライの直属下でピレリタイヤとシャシーのマッチングなどに関する開発を担当したが[5]、2014年にチーム内で起こった度重なる首脳陣交代による人事刷新から2014年末にチームを離脱することになった[6]。
2015年3月5日、影山正彦が代表を務めるMediaDo Kageyama Racingのスペシャルアドバイザーに就任することが発表された[7]。
2016年1月よりセルモに加入、SUPER GT及びスーパーフォーミュラに参戦する同チームの総監督に就任[8]。
2019年2月1日に行われた株式会社セルモの定時株主総会で、同社の取締役副社長を退任[9]。シーズン途中から、中嶋悟率いるNAKAJIMA RACINGに協力している[10]。
主な著書
[編集]脚注
[編集]- ^ a b ブリヂストンの浜島氏、フェラーリと契約 - オートスポーツ・2012年1月11日
- ^ “F1界で輝き続ける日本人たち。元ブリヂストンの浜島がフェラーリへ!”. Number web (2012年1月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ ブリヂストン(12月1日) - 日刊自動車新聞・2010年11月16日
- ^ 2011年に慶應義塾大学で行われた講演では、やはりF1をやりたい、と発言していた。
- ^ Ferrari signs former Bridgestone director Hirohide Hamashima - AUTOSPORT・2012年1月11日
- ^ 浜島裕英氏のフェラーリ離脱が発表 - オートスポーツ・2014年12月18日
- ^ 2015活動2-新影流・影山正彦ブログ
- ^ 浜島裕英氏セルモ加入。SGTとSF総監督就任 - オートスポーツ・2015年12月18日
- ^ 株式会社セルモの社長が交代。会長兼社長に卜部治久氏が就任。取締役も新任 - オートスポーツweb・2019年2月10日
- ^ “NAKAJIMA RACINGに浜島裕英が加入へ”. motorsport.com (2019年8月16日). 2019年8月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 浜島裕英 (@h_hamashima) - X(旧Twitter)
- 浜島裕英のF1グランプリサーキット解説 '07