フェラーリ

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フェラーリ
Ferrari N.V.
Ferrari (8590961338).jpg
種類 公開会社
市場情報 イタリア証券取引所: RACE
NYSE RACE
本社所在地

オランダの旗 オランダ アムステルダム(登記上の本籍地)

イタリアの旗 イタリア Via Abetone Inferiore, 441053, マラネッロ(実質的な本社機能)
設立 1947年
業種 自動車製造
事業内容 自動車の製造、販売、スクーデリア・フェラーリの運営
代表者 セルジオ・マルキオンネ会長兼CEO
ピエロ・ラルディ・フェラーリ:副会長
売上高 28億5400万ユーロ(2015年)
純利益 2億9000万ユーロ(2015年)[1]
従業員数 2850人(2014年)
主要株主 エクソール(23.5%)
ピエロ・ラルディ・フェラーリ(10%)
一般株主(66.5%、議決権無し)
(2016年1月3日時点)[2]
主要子会社 フェラーリ・ファイナンス
関係する人物 エンツォ・フェラーリ(創業者)
ルカ・ディ・モンテゼーモロ(前会長)
外部リンク www.ferrari.com/ja_jp/
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フェラーリ (Ferrari N.V. ) は、イタリアモデナ県マラネッロに本社を置く自動車メーカー、F1等のモータースポーツコンストラクターである。

沿革[編集]

ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ[編集]

ベニート・ムッソリーニ(車内)とエンツォ(左から2番目)、タツィオ・ヌヴォラーリ(右から3番目)、ルドルフ・カラツィオラらと
アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ 815(1940年)
125S(1947年)
166MM(1949年)
340(1953年)
250GTボアノ(1955年-1956年)
250GTベルリネッタ(1959年-1962年)
268SP(1962年)
275GTB/4(1964年-1968年)
ディーノ246(1969年-1974年)
ディーノ208/308GT4(1973年-1980年)
365GT4BB(1973年-1976年)
308(1975年-1985年)
モンディアル(1980年-1993年)
テスタロッサ(1984年-1991年)
288GTO(1984年-1986年)
F40(1987年-1992年)
456GT(1992年-2003年)
F355(1994年-1999年)
360モデナ・スパイダー(1999年-2004年)
599フィオラノ(2006年-2012年)
カリフォルニア (2008年-2013年)
458イタリア (2009年-2015年)
FF (2011年-2016年)
F12ベルリネッタ (2012年-2017年)
FXX K (2015年-)

1929年12月に、アルファロメオのレーシングドライバーで、その後アルファロメオのディーラー「カロッツェリア・エミリア・エンツォ・フェラーリ」の経営をしていたエンツォ・フェラーリがレース仲間と共に「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」を創設した。当初は裕福なモータースポーツ愛好家をサポートする、アルファロメオのディーラーチームであり、4輪の他にオートバイ部門もあった[3]

1932年に息子のアルフレードが生まれたことで、エンツォはドライバーを引退してチーム運営に専念し、アルファロメオがワークス活動を休止するとマシンを借り受け、セミワークスチームとして活躍した。当時イタリアを率いていたベニート・ムッソリーニの主導によるイタリア政府のサポートも受けて、タツィオ・ヌヴォラーリなどの強力なドライバーラインナップを擁して、数々の勝利を記した。その後チームは1938年にアルファ・コルセへ吸収合併されるが、翌年エンツォが経営陣と対立し、「フェラーリの名では4年間レース活動を行わない」という誓約を残して退社した。

アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ[編集]

1940年には、アルファロメオとの誓約を避けるために「アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ」を設立して最初の自らの手によるモデル「815」を生産し、4月28日から行われたミッレ・ミリアに参戦した。

しかしその直後の6月10日に、日独伊防共協定を組んでいた同盟国のドイツ支援するために、イタリアがイギリスフランス宣戦布告第二次世界大戦に参戦した。このためにイタリアにおいてモータースポーツ活動が禁止され、「アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ」も「815」の製造を中止し、兵器などの工作機械製造を行うようになった。

その後1943年8月にイタリアが連合国に降伏し、イタリア北部はドイツ軍の占領下になったこともあり自動車製造やモータースポーツ活動は引き続き禁止されたが、同年には、戦後のモータースポーツ解禁に備えて自前の自動車工場をマラネッロに移設した。

設立[編集]

1945年5月にヨーロッパにおいて第二次世界大戦が終結すると、この後しばらくの間フェラーリのエンジンを設計することになったジョアッキーノ・コロンボらを擁して、1946年より自前のレーシングカーを開発するようになった。

1947年には晴れて「フェラーリ」を設立した。処女作は創業初年度に製造したレーシングスポーツ「125S」であった。「125S」は同年開催されたローマグランプリで優勝しフェラーリの名を一躍有名にした。

その後、1948年に発表した「166インター」よりGTカーの少数受注生産を開始し、ミッレミリアやタルガ・フローリオなどの様々なレースに参戦するとともに、ジャンニーノ・マルゾットやアルフォンソ・デ・ポルターゴなどのモータースポーツに参戦する裕福な貴族などに販売した[4]

当時のフェラーリは車体(シャシーとエンジン)のみを製作し、ボディはツーリングヴィニャーレ、スカリエッティやピニンファリーナなどのカロッツェリアに委託していた。その後2010年代まで60年以上続くピニンファリーナとの関係は「212インター・カブリオレ」(1952年)より始まる。

市販車進出[編集]

その後、エンツォの友人でアメリカにおける正規輸入販売代理店を経営していたルイジ・キネッティの勧めにより、当時の世界最大の自動車市場であるアメリカ市場向けの「340アメリカ」 (1951年)や「340メキシコ」(1952年)など、次第に車種と販路を拡げていったが、いずれも旧モデルとなったレーシングカーをデチューンして市販車に仕立て上げ、貴族や富豪などを中心に販売していたものであった。

その後「250」シリーズで初めてレーシングカーを基にしない純粋な市販車の製造を開始した。初代「250」は「暑い」、「うるさい」、「乗り心地が悪い」、「故障が多い」などオーナーからの不評も多かったが、シリーズを重ねるごとに改良は進み操作性や快適性は増して行き、当時「世界最速の2+2」と称された「250GTE」などいくつかのモデルは、その実用性と快適性が高い評価を受けた。

一方で、「250MM」や「250GTO」などの2シーターモデルは、モータースポーツへの参戦のためのホモロゲーション取得を目的としたもの、もしくは多少のモディファイをすることで各種レースへの参戦も可能とした「ロードゴーイング・レーサー」であった。実際に、エンツォは自社の市販車に「スポーツカー」という、軟弱かつ公道での使用を強くイメージさせるような言葉は用いなかったばかりか、公道での乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでさえいた[5]

さらにエンツォは「12気筒エンジン以外のストラダーレ(市販車)はフェラーリと呼ばない」と公言していたという逸話が残っており[6](しかし、当時フェラーリのレース専用モデルには、レギュレーション合致や軽量化の観点から4気筒や6気筒エンジン搭載モデルが多数存在していた)、この逸話通りこの頃生産されていたすべての市販車はコロンボやアウレリオ・ランプレディが設計したV型12気筒エンジンを搭載していた。なお、「250GTルッソ」や「275GTB/4」をはじめとして、1973年にデビューした「365GT4BB」から1995年に生産を中止した「512TR」までの期間を除き、現在の旗艦モデルの「812スーパーファスト」に至るまで、限定生産車を除く市販車のトップレンジを担っているのはフロントエンジン(FR)、V型12気筒のモデルである。

高い評価[編集]

その後フェラーリの市販車は品質や機能性を高めて行き、生産台数を順調に増やして行ったものの、その価格は依然として高価なものであった。しかし、これらのフェラーリの市販車は、F1や「ミッレミリア」、「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」をはじめとするレースにおける活躍によるブランドイメージの向上や性能の高さ、デザインの美しさが高い評価を受けて、1950年代にはヨーロッパや北米を中心に高性能市販車としての地位を確固たるものとしていった。

また、販路の拡大も進め、当時から現在において主要市場の1つであるイギリスでは、自社のワークスドライバーかつ正規輸入販売代理店を務めていたマイク・ホーソーンの死後に、自動車業界の経験豊富なロナルド・ホーア大佐率いるマラネロ・コンセッショネアーズに販路を委託するとともに、右ハンドル仕様を殆どのモデルに用意した(さらに同社は1960年代には日本への輸出にも関わることとなる)。またアメリカにおいても、キネッティの手によりハリウッドのある西海岸にも販路を広げるとともに、フェラーリのアメリカにおけるセミワークスチーム的存在の「ノース・アメリカン・レーシング・チーム」が創設され、「デイトナ24時間レース」や「セブリング12時間レース」をはじめとする様々なレースに参戦し好成績を上げた。

また、欧米においてはスウェーデングスタフ6世国王やイランモハンマド・レザー・パフラヴィー国王などの王族や貴族、アーガー・ハーン4世ポルフィリオ・ルビロサなどの大富豪やジェット族、ロベルト・ロッセリーニやその妻のイングリッド・バーグマンなどのアーティストや映画俳優などといったセレブリティが愛用し、その姿が世界各国のニュース映画や雑誌の紙面を飾ったこともそのブランドイメージを押し上げる結果となった。なお、フェラーリは、現在に至るまで自社製品の広告を全く行わないことでも知られている[7]

経営危機[編集]

このようにフェラーリは世界各国で高い名声を勝ち取ったものの、エンツォによる過剰なモータースポーツへの投資や、当時イタリア北部で勢力を増していたイタリア共産党 などの左翼政党が後援した労使紛争と、それがもたらした度重なるストライキサボタージュなどのが経営に悪影響を与えた。

さらに1961年10月には、エンツォの妻のラウラによる過度な経営への介入に反対するカルロ・キティやジオット・ビッザリーニ、ロモロ・タヴォー二ら8人の主要メンバーが、弁護士を経由してエンツォに抗議を申し出た手紙を送付したものの、これに怒ったエンツォに全員が解雇される事件「宮廷の反逆」が起きたことも影響し社内が混乱し、1960年代初頭には経営が苦境に陥った。

これを受けて、1963年にはアメリカ合衆国のフォードとの間で買収交渉を進めたが、調印寸前で交渉は決裂[8]。これに不快感を持ったヘンリー・フォード2世は、後にレーシングカー「フォード・GT40」を開発し、その資本力にものを言わせて膨大な資金を投入し、さらにキャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンなどからの技術的提供を受けて、数年間の失敗を経て1965年ル・マン24時間レースでフェラーリを破ることになる。なおこの際にフォードは、ジオット・ビッザリーニの後任者のマウロ・フォルギエーリの引き抜きさえ画策している。

フィアットとの提携[編集]

その後、F2用エンジンのホモロゲーション取得のため、イタリア最大の自動車メーカーであるフィアットとの提携が始まる。エンツォの亡児アルフレード(ディーノ)の名を冠したV型6気筒エンジンは、市販車の「206/246」と2+2モデルである「208GT4/308GT4」に搭載された。

これらの6気筒エンジン搭載車は、前述の「12気筒エンジン以外のストラダーレ(市販車)はフェラーリと呼ばない」というエンツォの言葉通り「ディーノ」ブランドが与えられ、フェラーリの名が冠されることはなかった(後に「246」のアメリカ市場向けモデルの後期型に、販売戦略上フェラーリのロゴが付けられることとなった他、「208GT4/308GT4」の後期型には正式にフェラーリの名が冠された)。

この6気筒エンジンはフィアット・グループ内の様々なブランドでも取り扱われ、「フィアット・ディーノ・クーペ/スパイダー」と「ランチア・ストラトス」が生まれた。キャブレター、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同じ仕様で排気レイアウトの関係上フィアットの方が有利なのにもかかわらず、マーケティング的配慮とチューンの関係から馬力が少ない仕様になっていた。

フィアット傘下へ[編集]

その後フィアットとの提携が進み、1969年にフェラーリはフィアット・グループ傘下に入ることで経営の安定と新技術の導入を図ることになる。その後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いて、レース部門(スクーデリア・フェラーリ)の指揮に専念した。

フィアット・グループのジャンニ・アニェッリ会長の指揮のもと、フィアットからの人員を様々な部門で受け入れる中で、1970年代中盤にスクーデリアのマネージャーに就任したのが、フィアット・グループ創業者のアニェッリ一族につながる家柄の出身で、のちにフェラーリ会長(とフィアット・グループ会長)を務めるルカ・ディ・モンテゼーモロであった。

1972年にはマラネッロの本社工場の西側にある果樹園を取得し、新たにF1をはじめとするレース専用車や市販車のテストコースとして使われる「フィオラノサーキット」が造られ、併せてサーキット内にエンツォの別宅やピットなども設けられた。

また1973年には、名車と称された「365GTB/4」を引き継いでフェラーリのトップレンジを担う12気筒モデルとして「365GT4BB」が登場した[9]。同車はフェラーリの市販車として初めて最高時速300キロを超えるモデルとなり(公称時速302キロ)、またV12気筒ミッドシップはその後約20年に渡り生産されるヒット車種となる。

V型8気筒エンジンの登場[編集]

市販車部門を親会社のフィアットの意向が支配するようになった結果、6気筒エンジンを搭載した「206/246」に代わる最廉価モデルかつミッドシップの量産2シーターとして、1975年に「208/308」が生まれた。これらのモデルは新たに開発されたV型8気筒エンジンを、ピニンファリーナレオナルド・フィオラヴァンティがデザインしたFRPボディに搭載した(これはイタリアの労働ストライキにより当初予定していたスチール製ボディの生産が間に合わなくなったためであり、1977年には通常のスチール製ボディに戻された)。

これらのV型8気筒エンジンを搭載したモデルは、6気筒エンジン搭載モデルとは違い最初からフェラーリブランドが与えられ「ピッコロ・フェラーリ(小型フェラーリ)」と称された。「ピッコロ・フェラーリ」シリーズは、「208/308」の後継モデルの「228/328」や、「208GT4/308GT4」の後継モデルの「モンディアル」と併せて2万台以上が生産される、フェラーリ史上最大のヒット作となった。さらに「208/308」と「モンディアル」のV型8気筒エンジンは、フィアットの意向を受けてフィアット・グループ内のランチアのレーシングマシンにも使用されたほか、1980年代には同社の高級セダンである「テーマ8.32」に使用された[10]

この時に始まったフェラーリのV型8気筒路線はその後「348」、「F355」、「360」、「F430」や「カリフォルニア」、「458イタリア」、そして現在の「488GTB」と「ポルトフィーノ」へと発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの収益の屋台骨を支える系譜となった。

なお、12気筒エンジン搭載モデルの刷新も行われ、「365GT 2+2」は「365GTC/4」を経て1972年に発表された「400」に、1973年に発表された「365GT4BB」は1976年に改良版である「512BB」に引き継がれ、さらに1984年には新設計の「テスタロッサ」とその後継の「512TR」へ引き継がれた。

限定生産[編集]

1984年にはグループB公認の288GTOを開発し、限られた台数が生産され販売された。288GTOはあくまでFIAグループBの公認を取得するために規定生産台数をクリアするため限定生産となったものであるが、その後創業40周年記念モデルの「F40」(1987年)が限定生産、販売され、生産開始直後のエンツォの死去と世界的な好景気を背景に人気を博したことから、以降はこのような限定生産を節目の年に行うことになる。

創業50周年には「F50」(1997年)、創業55周年には、当時ピニンファリーナに在籍していた日本人デザイナーの奥山清行がデザインした「エンツォ・フェラーリ」(2002年)、そしてフェラーリとして初めてのハイブリッドである「ラ フェラーリ」(2013年) といった限定生産モデル(スペチアーレ)や既存車種の限定生産モデルを発表し、フェラーリが選択した顧客に対して販売している。

エンツォの死[編集]

1988年8月に、かねてから健康不安が伝えられていたエンツォが腎不全により没した。イタリアが誇る自動車会社の創始者かつ、F1におけるイタリアの「ナショナルチーム」の創設者の死去に際してイタリア全体が喪に服した。

生前に行われた取り決め通り、エンツォが所有していた株はかねてから資本関係にあったフィアット・グループによって買われ、フェラーリはレース部門も含めてフィアット・グループの管理下に収まった。なおその後も、リナ・ラルディとの間に生まれた次男のピエロ・ラルディ・フェラーリがフェラーリの株を10パーセント所有し、フェラーリの副会長を務めている。

モンテゼーモロによる改革[編集]

エンツォ亡き後、一部のマスコミからは「エンツォのいないフェラーリはフェラーリ足り得るか」とも言われその行き先が危惧された上に、当時のフェラーリは、長年投資を怠っていた市販車部門の生産設備が旧退化して品質管理と生産効率に大きな問題を抱えていた。

エンツォの死後3年が経過した1991年11月には、大株主のフィアットのジャンニ・アニエッリ会長の肝いりで、かつてはエンツォの下でスクーデリア・フェラーリのマネージャーとして辣腕を振るい、サッカーワールドカップ・イタリア大会の事務局長を務めたルカ・ディ・モンテゼーモロがフェラーリ社長に就任した。

モンテゼーモロは就任後ただちに市販車部門の品質と生産効率の向上に着手し、「348tb/ts」の大幅改良版である「F355」や、新たに開発した12気筒エンジンを搭載した2+2モデルの「456GT」、「550マラネロ」や「360モデナ」などの新型車を次々に開発、市場に投入した。これらの新型車は、劇的な品質の改善と新技術の導入による高性能化や故障の低減、質感の向上、そして安全性の向上のみならず、セミAT「F1」やパワーステアリング、アンチロックブレーキやフルオートエアコンなどの投入、手荷物スペースの拡充などにより、女性や初心者など、これまでフェラーリに手を出すことのなかった新たなオーナー層の拡大に成功し、世界各国の市場においてこれまでにない好調な業績を上げた。

同じく新体制を敷いたスクーデリア・フェラーリは直ちに好成績を上げるには至らなかったものの、2000年代に入るとミハエル・シューマッハルーベンス・バリチェロなどのドライバーを擁してコンストラクターズ部門で複数年連続でタイトルを奪取するなど絶頂期を迎えることとなった。

新体制を率いて改革を成し遂げたモンテゼーモロはその手腕を買われ、ジャンニ・アニエッリ会長の死後の2004年6月に親会社フィアット・グループの会長に就任。就任後ただちにフェラーリの傘下にマセラティを加えて、マセラティにフェラーリのエンジンを搭載し、さらに製造工程においても一部を統合させるなど、ブランドイメージの向上と合理化を同時に行うことで長年経営状況が安定しなかった同社を復活させ、さらには苦境に陥ったフィアット・グループをも建てなおした。

また1993年には、「348チャレンジ」によるワンメイクレースフェラーリ・チャレンジ」が開始された。その後同シリーズは1994年から北アメリカ、2011年にはアジア太平洋で開催されるなど世界各国へと開催地を広げ、フェラーリのブランドイメージ向上と収益向上に貢献することになる。

好調な収益[編集]

2007年には設立60周年を迎え、2008年には初のクーペカブリオレである「カリフォルニア」を発売したほか、同年にはアジアでは初の現地法人として日本法人を立ち上げた。さらに中華人民共和国インドロシアなどの新興国において積極的な事業展開を進めた結果、リーマン・ショック後に世界経済が低迷する中でもヨーロッパ諸国や日本、アメリカなどの主要市場で好調な販売実績を維持した[11]

また2000年代後半から2010年代にかけては、中古のF1マシンの販売とメンテナンスを行う「F1クリエンティ」や、「FXX」や「599XX」等の台数限定のサーキット走行専用モデルの開発と販売、メンテナンスを行う「XXプログラム」を開設したほか、注文主の求めに応じて特注車を製作する「ワンオフ」の製造再開、製造から20年以上経過したモデルのレストア及び承認プログラムである「フェラーリ・クラシケ」の設立など、モータースポーツの技術とノウハウ、そして歴史と高い名声を生かして顧客の様々な要求に答える上に、高い収益性を持つ様々なプログラムを提供している。

さらに同時期には、フェラーリの世界的に高い知名度と人気を生かしたブランド(ライセンス)ビジネスも好調に推移し、収益の3割を占めるほどに成長した。

環境対策[編集]

2000年代中盤以降は、ヨーロッパの自動車メーカーに与えられた市販車の二酸化炭素排出規制などに対する環境対策に本格的に力を入れ始めており、2009年にはフェラーリ初のV型8気筒直噴エンジンを搭載した「458イタリア」の販売を開始したほか、2010年にはフェラーリ初のハイブリッド機能「HY-KERS」を搭載した「599 HY-KERS」を公開した[12]

同年には、フェラーリ初のアイドリングストップ機能や燃料ポンプ、電動エアコンの圧縮制御などのパフォーマンスを維持しつつ環境負荷を減らすシステム「HELE」を搭載した「カリフォルニアHELE」を発表した[13]。高性能と低燃費の両立を目的にした「HELE」(「High Emotion Low Emission」の略である)システムは、「458イタリア」や、2011年に発表された、フェラーリ初の4輪駆動システムを持つV型12気筒直噴エンジン搭載の4座シューティングブレークFF」(フェラーリ・フォー)や、トップモデルの「F12ベルリネッタ」にも搭載されている。さらに環境対策に関心の高い日本市場においては、同システムは全ての市販車種に標準装備された。

2013年には、「HY-KERS」システムを搭載したフェラーリ初の市販ハイブリッドカーである「ラ フェラーリ」を、2014年にはラ フェラーリベースにしたサーキット走行専用モデルの「FXX K」を発売した。なおラ フェラーリ発売当時にモンテゼーモロ会長は、今後のハイブリッドモデルのラインナップ拡充に含みを持たせたが、「完全な電気自動車を発売する事は考えていない」とコメントした。

しかし、ヨーロッパにおける規制強化などから市販車の二酸化炭素排出規制などに対する対策は急務とされ、2014年に発表された「カリフォルニアT」と、2015年に発表された「488GTB」では、さらなる高性能と低燃費の両立を目的にしてV8エンジンのターボ化が行われた。なお、フェラーリにおいてターボエンジン搭載の市販車が発売されるのは、1990年代初頭にF40が生産中止になって以降20数年ぶりの事である。

モンテゼーモロ退任[編集]

リーマン・ショック終息後の世界的な好景気を背景に、全世界での販売が好調を続ける中でも2010年代に入って以降はF1では低迷が続き、コンストラーズ・チャンピオンを獲得できない年が続いたことで、長年フェラーリを率いてきたモンテゼーモロ会長の指導力を問う論調がイタリアのメディアを中心にささやかれた。

さらに、ニューヨーク証券取引所上場とその後の経営方針を巡って、フィアット・クライスラー・オートモービルズ (FCA) の最高経営責任者となったセルジオ・マルキオンネとモンテゼーモロ会長の確執が、2013年頃からイタリアのメディアを中心に伝えられた。

2014年9月には、イタリアグランプリの開幕直前にイタリアのメディアを中心にモンテゼーモロの退任が噂されたものの、本人はこれを否定した。しかし同月にこれまで24年に渡ってフェラーリの経営を引っ張ってきたモンテゼーモロの退任が発表された。11月に退任した後はマルキオンネがフェラーリ会長を兼務することとなった。

FCAから独立[編集]

2015年10月21日にはマルキオンネやピエロ・フェラーリ、ジョン・エルカーンらの立会いの下でニューヨーク証券取引所に上場した。なお、取引の際に使われる証券コードは「RACE」を採用している[14]

2016年1月3日、FCAはフェラーリの同グループからの離脱独立の手続きが完了したと発表した。これでフェラーリは再び独立した会社となったが[15]、その後もエクソールが大株主でアニエッリ家が経営に影響力を持ち続けることには変わりはなく、マルキオンネがフェラーリ会長を兼務することや、マセラティのエンジンの委託生産が引き続き行われるなど、FCAとの関係は様々なかたちで継続している。

創立70周年[編集]

2017年に会社創立70周年を迎え、地元のイタリアや主力市場の日本、イギリス、アメリカをはじめとする各国で70周年記念イベントが開催されるほか、現行生産車種の創立70周年記念バージョンが台数限定で発売される。

車種一覧[編集]

現行車種[編集]

現在販売されている全車種が日本に正規輸入されている。なお現在、日本国内の正規販売代理店で販売されている488シリーズ、ルッソシリーズと812スーパーファストには、7年間のフェラーリ純正メンテナンスが無償で付帯している。フェラーリは古くから左側通行のイギリスを主要市場のひとつとしていることから、右ハンドル仕様車が一部を除く車種に用意されてきた。イギリスと並ぶ重要市場(世界6大市場- 日本、イタリア、イギリス、アメリカ合衆国、中華人民共和国及び香港ドイツ)の日本でも、現行全車種に右ハンドル仕様車が用意されている。

また日本市場は、これらの主要市場の中でも特に環境対策に関心が高い市場である事から、世界で唯一「HELE」システムが、限定モデルやサーキット専用モデルを除く全てのモデルに標準装備されている。

なお、新車を正規販売代理店で注文したオーナーには、注文後2年間「フェラーリ・マガジン」が無料で送付されるほか、自分か注文した車両と同じ内外装の精巧な模型の送付、生産中の車輌の画像などがセットになった「コンタクトプラン」が無料で提供される。

V12
外観 車名 排気量 エンジン 駆動方式 座席数 解説
2017-03-07 Geneva Motor Show 1173.JPG 812スーパーファスト 6496cc V型12気筒DOHC FR 2座 2017年3月発表。最高出力はフェラーリ史上初の800馬力に達した。四輪操舵を装備。
2016-03-01 Geneva Motor Show G184.JPG GTC4ルッソ 6262cc V型12気筒DOHC 4WD 4座 2016年2月に発表されたシューティングブレークFFの後継車。4WDは踏襲され、さらに四輪操舵が装備された。4WDの四輪操舵はフェラーリ初である。
V8
外観 車名 排気量 エンジン 駆動方式 座席数 解説
2015-03-03 Geneva Motor Show 3911.JPG 488GTB 3902cc V型8気筒DOHCターボ MR 2座 458イタリアの大幅改良モデル。排気量は3902ccとなりターボを装備。
Frankfurt Motor Show 2015 (106).JPG 488スパイダー 3902cc V型8気筒DOHCターボ MR 2座 488GTBのスパイダーモデル。458スパイダーの大幅改良モデル。
Ferrari GTC4 Lusso T - Mondial de l'Automobile de Paris 2016 - 004.jpg GTC4ルッソT 3855cc V型8気筒DOHCターボ FR 4座 フェラーリの4シーターでは初のV8ターボエンジンを搭載する。カリフォルニアTと同型エンジンを積み、4WDは採用されておらず後輪駆動となる。なお四輪操舵は踏襲される。

過去の主な車種[編集]

年数は発表・発売・デビュー年

純正オプション[編集]

カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム[編集]

全車種ともにフェラーリ純正パーツやアクセサリーを選択できるのみならず、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」と呼ばれるオプション・プログラムにより用意された数多くの内装色や外装色、内装の素材などを、好みの通りに組み合わせることができる(追加料金が必要)。なお、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」に対応した専用施設として、マラネッロの本社や正規販売代理店のショールーム内に「フェラーリ・アトリエ」が設置されている。

テーラーメイド・プログラム[編集]

さらに「スクーデリア」、「クラシカ」、「インエディタ」の3つのスタイルを基本とし、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」によって用意された内外装の仕様以外の好みのものを自由に選ぶことができる「テーラーメイド・プログラム」が2012年より導入された。

通常のオプションでは用意されていないようなデニムカシミア織りの生地にした内装や、ニキ・ラウダ時代のスクーデリア・フェラーリのF1マシンからインスピレーションを受けた内外装など、まさに自分の意のままの内外装に仕立て上げることができる[16]。なおこのプログラムは、ジャンニ・アニェッリの孫で元フィアットの国際マーケティング部長のラポ・エルカンが主導し導入された。

限定生産モデル[編集]

SAアペルタ(2010年)

2000年代以降に生産台数が年間数千台になってからも、「550バルケッタ・ピニンファリーナ」(2000年)や「575スーパーアメリカ」(2004年)、「スクーデリア・スパイダー16M」(2010年)、「599GTO」(2010年)や「SAアペルタ」(2010年)、「F60アメリカ」(2014年)や「458スペチアーレ・アペルタ」(2014年)、「F12TdF」(2015年)、「J50」(2016年)など、既存のモデルを元に製作された限定生産モデルを生産している。

これらの限定生産モデルは、発表時に生産台数(世界で数台から数百台)がアナウンスされた上で、フェラーリ本社と各国の現地法人、もしくは正規ディーラーが選択した、F1クリエンティやXXプログラム、フェラーリ・チャレンジに参加しているオーナーやワンオフモデルのオーナー、または過去に正規ディーラーから複数台を購入したことがあるような優良顧客に対してのみ案内、販売される。

上記のように生産台数がごくごく限られていることもあり、多くの場合、これらの優良顧客への案内と同時にほぼ完売し、一般の顧客に新車の状態で販売されることはない。

スペチアーレ[編集]

「エンツォ」(左)と「ラ フェラーリ」
「ラ フェラーリ」を見るジェイ・ケイ

フェラーリはかねてからFIAのホモロゲーション取得を目的に、一から設計された限定生産台数モデルを生産、販売してきたが、1984年にグループB参戦のためのホモロゲーション取得を目的として、「308シリーズ」を元にほぼ一から設計された「288GTO」を開発し、限られた台数を生産し販売した。その後1987年に創業40周年を記念したモデルとして「F40」が限定生産、販売されたが、翌年のエンツォの死去と世界的な好景気を背景に人気を博したことから、初期に設定していた限定生産数を大幅に超える台数を生産した。

以降フェラーリはこのような「スペチアーレ」と呼ばれることになる、一から設計された限定生産モデルを節目の年に出すことになり、創業50周年の1997年には「F50」を、創業55周年の2002年には「エンツォ」を、2013年には「ラ フェラーリ」と、それぞれ数年の間をおいて限定生産モデルを発表している。

これらの車種は、限定生産モデルと同様に、「F40」のオーナーとして著名であったルチアーノ・パヴァロッティや、フェラーリマニアとして知られるジェイ・ケイなどの、過去に「スペチアーレ」を正規ディーラーを通じて購入したオーナー(並行輸入や中古での購入者は対象外)やワンオフモデルのオーナー、F1クリエンティやXXプログラム、フェラーリ・チャレンジの顧客をはじめとする、フェラーリ本社と各国の現地法人が選択した顧客に対して、1号車の完成より前の段階で案内される。場合によっては価格や仕様詳細が決定していない上に限定生産モデルよりも高価にも関わらず、多くの場合、これらの顧客への案内と同時にほぼ完売し、一般の顧客に新車の状態で販売されることはない。

これらの「スペチアーレ」には、その後の生産モデルに採用される新機軸やテクノロジー、デザインモチーフが先取りして用いられることも多く、フェラーリの最新テクノロジーのショーケースとなるのみならず、優良顧客の囲い込みと優良顧客育成のツールとなっている。

ワンオフモデル[編集]

創業-1950年代末[編集]

スーパーアメリカ 45(2011年)
SP12EC(2012年)
F12 TRS(2014年)

創業以来1958年ころまでフェラーリは、市販モデルやレーシングモデルを元に製作した世界に1台の特注車両「ワンオフモデル」を製作、販売していた。

この中でも特に著名なのが、イタリアの映画監督のロベルト・ロッセリーニが「375 MM」を元に1954年に注文した「375 MM ピニンファリーナ・ベルリネッタ・スペチアーレ」で、その他にもアーガー・ハーン4世レオポルド3世などのそうそうたる大富豪や王族がワンオフを発注したものの、フェラーリはその後ワンオフモデルの受注を受け付けなくなった(なおその後もフィアットのアニエッリ会長向けに「テスタロッサ」のスパイダー仕様が製作された他、モンテゼーモロ会長向けに「360スパイダー・バルケッタ」が製作されるなど、経営陣向けにごく少数のワンオフモデルが生産されることはあった[17])。

2008年以降[編集]

しかしその後約50年を経て、日本の世界的に著名なフェラーリのコレクターで、フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパンの元会長(かつフェラーリ・オーナーズ・クラブ・ジャパンの発起人)で実業家の平松潤一郎の依頼を受けて、モンテゼーモロ会長がワンオフの制作を了承し、2008年にレオナルド・フィオラヴァンティがデザインしたワンオフモデル「SP1」を製作した[18]。これをきっかけにフェラーリは、数十年ぶりに自社の手によるワンオフモデルの受注を再開した。

2008年に平松がSP1の製作を依頼して以降、2016年2月までに7台(うち1台は未完成)のワンオフモデルの存在がフェラーリより正式に発表されている。なおそのうちの2台が世界6大市場の1つである日本人オーナーによる依頼である。

これらのワンオフモデルはオーナーの依頼により複数台が生産されることもある。なお、完成しオーナーに引き渡される時点で「フェラーリ・クラシケ」の証明書が発行される。また、転売による価格高騰やフェラーリの手を経ない改造を防ぐため、全てのワンオフモデルはフェラーリが買い戻す権利を持つ。

なお、それ以前にもザガート(「575GTZ」など)やミケロッティ(「メーラS[19]」など)、ピニンファリーナ(ブルネイハサナル・ボルキア国王向けに複数台が製作された456のステーションワゴンモデル「456ベニス[20]」など)などのカロッツェリアの手で市販フェラーリを改造した,世界に1台もしくは数台しか存在しないモデルが製作されたことがあるが、これらはフェラーリが自らの手で製作したワンオフモデルではないため、ワンオフとは厳密に区別されている。しかし、歴史的価値から「フェラーリ・クラシケ」の証明書が発行される対象になっている。

ワンオフモデル一覧(2008年以降)[編集]

  • SP1(2008年/オーナー:平松潤一郎[21])基礎となったモデル:F430
  • P540 スーパーファスト・アペルタ(2009年/オーナー:エドワード・ウォルソン)基礎となったモデル:612スカリエッティ
  • スーパーアメリカ 45(2011年/オーナー:ピーター・カリコウ)基礎となったモデル:SAアペルタ
  • SP Arya(2012年/オーナー:チェラグ・アルヤ。デザイン発表後に基礎となったモデルが変更された上に、最終的に完成しないままとなった)基礎となったモデル:599GTO>F12ベルリネッタ
  • SP12 EC(2012年/オーナー:エリック・クラプトン)基礎となったモデル:458イタリア
  • SP FFX(2014年/オーナー:名前非公開の日本人)基礎となったモデル:FF
  • F12 TRS(2014年/オーナー:名前非公開)基礎となったモデル:F12ベルリネッタ

コンセプトモデル[編集]

フェラーリ・クラシケ[編集]

レストア[編集]

「フェラーリ・クラシケ」の認証を受けてコンクール・デレガンスに出展された「166インテル・ツーリング・ベルリネッタ」
認証委員会が置かれるマラネッロの本社

1980年代後半以降にクラシックカーの取引価格が高騰し、コレクターや投資家を騙す目的で製作された贋作オークションなどを通じて市場に出回ったことや、コレクターによるレストアサービスに対する需要が高まったことから、2000年代に入り「フェラーリ・クラシケ(Ferrari Classiche)」と呼ばれる、生産開始から20年以上経ったクラシック・フェラーリに対するレストアやメンテナンスサービス、技術的なアシストを行う部署が置かれることになった。

現在は、マラネッロの本社内におかれた本部において、レストアやメンテナンスサービス、技術的なアシストを行う専用のファクトリーが置かれているほか、これまでに生産されたフェラーリについての膨大な資料が保管されている。

認証委員会[編集]

またこれらの資料を基に、ピエロ・フェラーリ副会長率いる認証委員会(「Comitato di Certificazione/ COCER」)が、生産開始から20年以上経ったクラシック・フェラーリやワンオフや限定車種のみならず、一般オーナーに向けて販売されたF1マシンをはじめとするレーシングカーなどの特別なフェラーリに対する鑑定を行い、パスした車体に対して真贋鑑定書も発行する[22]

真贋鑑定書[編集]

生産開始から20年以上経ったクラシック・フェラーリは、オリジナルの状態が保たれたもの、もしくは純正でない部品を使用していた場合は、純正のものに戻した場合のみフェラーリ・クラシケの鑑定書が発行される。なお、一般オーナーに向けて販売された最新のF1マシンやXXプログラムのマシン、ワンオフやスペチアーレなどの一部の限定車種は、オーナーへ引き渡される時点でフェラーリ・クラシケの鑑定書が発行されるが、F1マシンやXXプログラムのマシンは、その後コルセ・クリエンティ部門を通じたメンテナンスを行なわずに純正でない部品を使用した場合は鑑定書が無効となる。

また、マラネッロに車輌を持ち込めない地域にある場合、正規販売代理店と正規サービスセンターが鑑定の申し込み代理を行う。日本においても全ての正規販売代理店と正規サービスセンターが鑑定の申し込み代理を行えるほか、東京都江東区の「コーンズ東雲サービスセンター」に専用のオフィスが設けられている。

オーナー向けサービス/イベント[編集]

マラネッロの本社工場
マラネッロにあるフェラーリ博物館(ムゼオ・フェラーリ)
FXX
フェラーリ・チャレンジ
F1のパドックを歩くキミ・ライコネン
フェラーリ・コンシェルジュ(Ferrari Concierge)
日本を含む主要市場に設置しているサービス窓口。オーナーに提供する下記の各種サービスの利用や問い合わせ、イベントへの参加や問い合わせを受け付ける。他にも、オーナー限定のマラネッロの本社工場見学ツアー「ファクトリー・ツアー」や、本社に隣接した博物館「ムゼオ・フェラーリ」見学の手配も行っている。また、オーナー以外による各種問い合わせの窓口ともなっている。
フェラーリ・ロードサイド・アシスタンス(Ferrari Roadside Assistance)
24時間対応のフェラーリ専用のロードサイド・アシスタンス・サービス。路上や自宅などにおけるバッテリー上がりや故障などの対応を行う。正規販売代理店で販売された車両のみがこのサービスを受けることが出来る。
フェラーリ純正パーツ/アクセサリー(Ferrari Genuine)
正規販売代理店と正規サービスセンターのみを通じて供給する、フェラーリの社内品質基準と各国の車検基準に適合した純正パーツ及び純正アクセサリー[23][24]。「フェラーリ・クラシケ」の鑑定をパスするためには純正パーツ/アクセサリーのみが使用されていることが必要である。
フェラーリ・ファイナンス(Ferrari Finance)
正規販売代理店で発売される新車及び認定中古車を購入する際に、リースやローンサービスを提供している。
フェラーリ・アプルーブド(Ferrari Approved)
正規販売代理店で発売される中古のフェラーリに適用される認定中古車制度。対象車には、納車前の190項目におよぶ点検や、車歴に応じてエンジンやトランスミッション、サスペンションなどへの12カ月間および走行距離無制限の補償と証明書が与えられる他、24時間/365日対応のロードサイドアシスタンスなどの「フェラーリ・パワー補償」が付帯される[25]。また1年間「フェラーリ・マガジン」が無償で送付される。
ピロタ・フェラーリ(Pilota Ferrari)
フェラーリのオーナー向けに、プロのレーシングドライバーを講師として招いて開催されるドライビングスクール。初級者向けからフェラーリ・チャレンジ経験者向けまで4つのクラスが用意されており、年数回イタリアや日本、アメリカや中華人民共和国のサーキットで開催される。
フェラーリ・チャレンジ(Ferrari Challenge)
コルセ・クリエンティ(Corse Clienti)部門の元でヨーロッパ、アジア太平洋、北アメリカで年6-7戦開催されるワンメイクレース。F1やFIA 世界耐久選手権(WEC)などの前座やフェラーリ・レーシング・デイズ、フィナーリ・モンディアーリのメインイベントとして開催される。
フェラーリ・レーシング・デイズ(Ferrari Racing Days)
フェラーリの主催により世界各国のサーキットで開催されるオーナー向けの祭典。フェラーリ・チャレンジやF1クリエンティ、XXプログラムの走行、スクーデリア・フェラーリのドライバーや元ドライバーによるF1マシンの走行などが行われる。日本でも毎年1回国内のサーキットで開催される。参加はフェラーリ各車種とそのオーナーに限られるが、オーナー以外による観覧も可能である[26]。これらのイベントを総括するものとして、年末にフィナーリ・モンディアーリが開催される。
フェラーリF1クラブ(Ferrari Formula 1 Club)
日本グランプリモナコグランプリをはじめとするF1各戦における「Formula One Paddock Club」のフェラーリ・シャレーや各スポンサーのシャレーでの観戦パスをオーナー限定で提供している。
フェラーリ・マガジン(Ferrari Magazine)
フェラーリが発行しているオーナー向け雑誌。日本においては新車を正規販売代理店で購入した最初のオーナーに3年間無償で送付される。また、それ以降も有償で定期購読が可能な他、オーナー以外でも有償で定期購読が可能である。コンデナスト・パブリケーションズにより編集されており、英語版のみが用意されている。
フェラーリ・オーナーズ・クラブ・ジャパン(Ferrari Owners' Club Japan)[27]/フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン(Ferrari Club of Japan)[28]
世界の主要市場にはフェラーリが正式に公認しているオーナーズクラブが存在しており、これらの公認オーナーズクラブのイベントやガラパーティーなどの様々な活動にはフェラーリ及び正規ディーラーが全面的に協力している。なお2016年現在、日本国内には「フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン」と「フェラーリ・オーナーズクラブ・ジャパン」の2つの公認オーナーズクラブがあり、日本全国で様々な活動を行っている。なお両クラブともに入会には現会員2名の推薦が必要である。

モータースポーツ[編集]

312T(1975年F1ワールドチャンピオン)
個人オーナーが所有している中古のF1マシン

創業以来フォーミュラカーレースF1F2)、スポーツカーレースプロトタイプGT)などに幅広く参戦している。F1では1950年の選手権初年度から唯一参戦を続けており、最多となる16度のコンストラクターズチャンピオンを獲得。スポーツカー世界選手権では1950年代から1960年代にかけて一時代を築き、ジャガーフォードポルシェと覇権を争った。

F1[編集]

F1が始まって以来現在も参戦している唯一のコンストラクターである。なお、フィアットによる会社買収後、1974年以降はワークス(スクーデリア・フェラーリ)の活動をF1に一本化した。現在はF1は「ゲスティオーネ・スポルティーバ(Gestione Sportiva/ GES)」部門が手掛けている。

コルセ・クリエンティ[編集]

現在スポーツカーレース及びその他のモータースポーツは「コルセ・クリエンティ(Corse Clienti)」部門が手掛けており、開発と販売のみならず、GTレースにおけるAFコルセなどのセミワークスや「Racing with Ferrari」のロゴの使用が許可されたプライベートチームの参戦も、部門内の「Competizoni GT」がサポートしている。

また同部門は、ワンメイクレース「フェラーリ・チャレンジ」をヨーロッパとアジア太平洋、北アメリカの各地域で開催しているのみならず、中古のスクーデリア・フェラーリのF1マシンを所有する個人オーナーへのサポートをGES部門と協力して行う「F1クリエンティ」の他、「599XX」や「FXX」、「FXX K」などの、最新技術が搭載されたサーキット専用車でオーナーがサーキットを走行することで、今後の車輌開発に役立てるデータ収集を行う「XXプログラム」のマネージメント及びオーナーへのサポートも行う。

なお、各国の正規販売代理店で販売された市販車のオーナーで、かつフェラーリと正規販売代理店に承認された顧客に限り、フェラーリまたは各国の拠点を通じて中古のF1マシンを購入することが可能である。これは「XXプログラム」の各車輌についても同様である。なお、2014年シーズン以降のF1マシンについては、「KERS」システムの管理上の問題により中古の販売を中止することが決定された。

主な成績[編集]

333SP(1998年デイトナ24時間、1995年/1997年/1998年セブリング12時間レース優勝)
166S(1948年ミッレミリア優勝)

主な選手権・イベントにおける製造者部門(マニュファクチャラー/メーカー)の成績を以下に記す。なお、世界三大レースに数えられるインディ500へは、1952年に1度挑戦したのみで優勝はない。

ブランド[編集]

カヴァッリーノ・ランパンテ[編集]

後足で立ち上がった馬の図柄を使用するため「跳ね馬」の愛称を持つ。この紋章はイタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ」(Cavallino Rampante )といい、「Rampante」は紋章用語で「気負い立ち」を意味するため、直訳では「気負い立ち馬」であるが、英訳では「(後肢で前へと)跳ねる馬」(Prancing Horse )となっている。

フェラーリの市販車につけられた長方形の紋章

紋章の形状は長方形と盾形の2種類があり、この2種類は用途によって使い分けられている。いずれも上部にはイタリアの国旗と同じ三色(緑白赤)のラインが入っている。なお2種類ともに各国で商標として登録されており、フェラーリおよび正規ディーラーと正規サービスセンター、フェラーリとライセンス契約を結んだ商品のみで使用できる。

長方形[編集]

長方形のものは、フェラーリの公式な社章として社員の名刺や社用便箋、公式文書や工場で働く工員の作業着などで使用されているほか、市販車や「フェラーリ・ストア」、正規ディーラーや正規サービスセンターなどでも使用されている。

盾形[編集]

599XX Evoのフェンダーにつけられた盾形の紋章

盾型(スクデット)のものは、下部に「スクーデリア・フェラーリ」のイニシャルである「S」と「F」が入っていることが示すように、フェラーリの元でモータースポーツに関わっていることを示すもので、本来はF1とフェラーリ・チャレンジ、F1クリエンティとXXプログラムに参加しているマシン、そしてモータースポーツに携わるゲスティオーネ・スポルティーバ部門とコルセ・クリエンティ部門、両部門に関連した業務に携わる各部門のフェラーリ社員と、承認を受けたプライベートチームや正規ディーラー、正規サービスセンターのエンジニアやメカニックなどの外部スタッフ、そしてこれらに参戦するドライバーや関係者に対して配布された衣料のみで使用できるものである。

しかし現在は、市販モデルのオーナーやファンのみならず、マスコミなどが長方形の紋章と混同して使用しているケースが多いだけでなく、フェラーリの市販モデルのフェンダー部に盾形の紋章が正規オプションとして用意されている他、一般向けに販売されているレプリカウェアや各種グッズにも盾形の紋章が使われているなど、本来の用途とは違う形で使われることも多い。

由来[編集]

スパッドXIIIの前に立つバラッカ(1916年)

本来この紋章は、第一次世界大戦時にイタリア空軍のエースだったフランチェスコ・バラッカが、自身の搭乗する戦闘機に付けていた。その由来には複数の説がある。

  • 元々はバラッカが空軍に移る前に所属していた、イタリア陸軍第11山岳騎兵連隊の紋章であった。その後バラッカは空軍に移り、第91a飛行隊に所属。それに伴い、この紋章も部隊のエンブレムとなっていた。
  • バラッカがドイツ空軍機を撃墜した際、その機体にはパイロットの出身地シュトゥットガルト市の紋章である跳ね馬が描かれており、バラッカと彼が所属する第91a飛行隊はそのアイデアを頂戴した[29]

1923年、アルファロメオワークスドライバーだったエンツォ・フェラーリは、ラヴェンナで行われたチルキット・デル・サヴィオで優勝した。このレースを観戦していたパオリーナ夫人(バラッカの母親)はエンツォに亡き息子のシンボルであった跳ね馬の紋章を使うよう勧めた[30]。第91a飛行隊にエンツォの兄アルフレードが所属していた縁もあり、エンツォもこの申し出を受け入れた。ただし、研究家によっては「英雄の母親とはいえ息子の部隊章の使用許可を与える権限はなく、この話はエンツォの創作ではないか」と考察している[31]。1932年、スパ24時間レースに出場したスクーデリア・フェラーリのマシン(アルファロメオ製)に初めて跳ね馬の紋章が付けられた[32][33]

フェラーリと共に高スポーツカーの代名詞とされるポルシェの社章にも跳ね馬があしらわれているが、これはポルシェの本社があるシュトゥットガルト市とそれを含むバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせたものであり、偶然ではあるが両社はエンブレムの由来でつながりを持つ。

コーポレートカラー[編集]

「ジャッロ・モデーナ」塗装が施されたF430

フェラーリの「イメージカラー」としては赤(ロッソ)が非常に有名であり、赤がコーポレートカラーであるというイメージが浸透しているが、この色はそれ以前にモータースポーツにおけるイタリアのナショナルカラーであり、アルファロメオやチシタリアスクーデリア・イタリアなど他のイタリアの自動車会社やレーシングチームでも使用されている。

本来のフェラーリのコーポレートカラーは会社があるモデナ県のカラー「黄色(ジャッロ)」であり、フェラーリの黄色い外板色の名前は「ジャッロ・モデーナ」とされている。また跳ね馬の背後にもコーポレートカラーがあしらわれているが、これはシュトゥットガルト市の紋章の背景が黄色だったため(ただしポルシェのエンブレムは金色)。

現在では「ロッソ・スクーデリア」や「ロッソ・コルサ」、「ロッソ・フィオラノ」など数パターンの赤系の色が用意されている。また暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車の新車発表時には、車種によっては赤色と黄色の車両も用意するように配慮されている。

ブランド展開[編集]

「フェラーリ・ストア」ミラノ店

イギリスのブランド価値調査機関ブランド・ファイナンスがまとめた報告では、Googleコカ・コーラを抑えて2013年の「世界で最もパワーのあるブランド」に選ばれた[34]。スポーツカー専業メーカーとしてのブランドイメージを重視しており、市場人気のあるSUVやエンジン不要の電気自動車 (EV) には参入しない方針を示している[35][36]。2012年には同社にとって過去最高の営業利益を記録したが[37]、「憧れの対象」という高級感を維持するため、2013年にはあえて生産台数を7000台以下に抑えると発表した[38]

世界的なブランドイメージを活かして各種企業とライセンス契約を結び、自動車関連から装飾品、アパレル、コンピュータ、玩具、インテリア商品まで様々なフェラーリ公式グッズの販売が行われている。これらの契約金は、本業以外の大きな収入源となり、フェラーリの全収益の約30%を占めている。知的財産権に関する取り組みとして、1999年にマテルがフェラーリと商品化権を独占的に使用する締結を結び、これ以降他社はフェラーリのミニカーを基本的に生産、販売できなくなり、世界中の自動車メーカーが商品化許諾の表記を掲載するようになった。

ローマミラノ、アブダビやドバイにある「フェラーリ・ストア(Ferrari Store)」の店舗や公式ウェブサイト内で、フェラーリの公式グッズやミニチュアカー、衣類や純正パーツなどを利用した装飾品の販売を行っている。

テーマパーク[編集]

2009年11月には、アラブ首長国連邦アブダビにフェラーリのテーマパーク「フェラーリ・ワールド」が開園した[39]。同パーク内には、世界最高速を誇るジェットコースターやドライビングシミュレーター、フェラーリ本社前にある著名なレストラン「カヴァリーノ」の初の支店などがある。また2014年12月には「フィナーリ・モンディアーリ」のガラ・ディナー・パーティーが全館貸し切りで開催された。

日本における販売[編集]

1960年-1965年[編集]

275GTB
コーンズによって東京モーターショーに展示されたF430スクーデリア(2007年)

創立から1965年までは、日本国内にフェラーリ本社と契約を結んだ正規輸入・販売代理店は存在しておらず、また日本国内での知名度も殆ど無かった事もあり、日本への輸入台数もマニアによる個人輸入という形でごく少量に留まっていた[40]。なお、初めて日本にフェラーリが輸入されたのは、1960年代の初頭であった。

1965年-2008年[編集]

1965年に新東洋企業が初の正規輸入・販売代理店となった。なお、日本で初めて正規輸入車として登録されたフェラーリは、1966年に登録された275GTBである[41]

その後1968年から1972年までは西欧自動車、1971年から1974年までは西武自動車販売、1975年から1978年まではロイヤル・モータース、1976年から2008年(1976年から1978年までは、ロナルド・ホーア大佐率いるイギリスのマラネロ・コンセッショネアーズの香港支店を経由した並行輸入扱い[42])まではコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドが、フェラーリの正規輸入代理店として、輸入と販売を担当していた。

しかしこれらの企業は、資金力や販売戦略の観点からショールームやサービスセンターの数を増やすことには消極的であったため、並行輸入車が年間輸入量の半数以上を占めることもあった上に、1976年から輸入販売を行っていたコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドは、当時日本へ輸入されたフェラーリの多くを占めていた並行輸入車の整備を受け付けていなかったことから[43]1991年11月のモンテゼーモロの社長就任以降、全世界規模で正規販売代理店の展開を拡大すると同時に、正規サービスセンターの展開を拡大することで既存オーナーへのアフターサービスの充実を図っていたフェラーリの戦略と齟齬をきたすようになってきた。

また、1980年代後半のバブル景気以降、日本市場がフェラーリにとってイタリアやアメリカ合衆国ドイツイギリスと並ぶ主要市場として重要な存在となったこともあり、フェラーリの全世界戦略を直接反映できる本社直轄法人の設立が急務とされ、2000年代中盤に入ると本格的な検討が始まった[44]

フェラーリ・ジャパン設立[編集]

2008年2月には本社直轄の日本法人の設立を発表した[45][46]。その後設立準備室が設けられ、同年7月1日から東京都港区に本拠を置くフェラーリ本社直轄の日本法人である「フェラーリ・ジャパン」が業務を開始した[47]

それ以降は、同社が日本国内における輸入及び卸販売、アフターサポート、マーケティング及び広報業務、モータースポーツ活動に関する支援などを行うことになり、拡販とアフターサービスの充実を目的に、これまでフェラーリと直接契約を結ぶ正規販売代理店がなかった中四国地方九州地方に正規販売代理店を開設、北海道東北地方北陸地方に整備と正規パーツの販売と認定中古車の販売を行う正規サービスセンターを開設するほか、東京都や神奈川県、兵庫県や愛知県内にも新たな正規販売代理店や正規サービスセンターを開設するなど、ネットワークを全国に広げている。

さらに千葉県富里市に納車前整備を行うPDIセンターを設けたほか、正規サービスセンターのメカニックの教育を目的とした施設「フェラーリ・アカデミー」も設けられている。

販売および整備[編集]

フェラーリ・ジャパンと正規販売代理店契約を結んだコーンズ・モーター(東京都大阪府愛知県)とロッソ・スクーデリア(東京都)、ニコル・コンペティツォーネ神奈川県)、オートカヴァリーノ(兵庫県)、エムオート・イタリア(広島県)、ヨーロピアン・バージョン(福岡県)、エムアイディ サッポロ(北海道の7社が正規販売代理店となっており、新車の販売や認定中古車の販売、整備や正規パーツの販売、フェラーリ・チャレンジへの参加受付や各種サポート、フェラーリ・クラシケの承認受付などを行なっている。

また、これらの正規販売代理店に併せて、モデナ・スポーツ・カーズ(北海道)、イデアル宮城県)、グランテスタ(長野県石川県)、オート・スペチアーレ (静岡県)が正規サービスセンターの指定を受けており、認定中古車の販売や整備と正規パーツの販売、フェラーリ・チャレンジへの参加受付や各種サポートも行っている。

これらの正規販売代理店と正規サービスセンターにおいては、正規輸入されたフェラーリのみならず、これまでに並行輸入されたフェラーリへの修理や整備(不法改造車や対応不可の改造がなされた車輛は除く)、正規パーツの販売も受け付けている。

脚注[編集]

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  1. ^ Best ever results: FY 2015
  2. ^ prospectus ferrari
  3. ^ "The Scuderia Ferrari". Museo Casa Enzo Ferrari. 2013年2月13日閲覧。
  4. ^ 『ワールド・カー・ガイド DX08 フェラーリ』 ネコ・パブリッシング、2006年、p.59。
  5. ^ 『幻のスーパーカー』福野礼一郎著、双葉社、1998年、P20
  6. ^ 『こだわりのネーミングこそ名車の条件』Goo-net
  7. ^ ただし各輸入代理店や正規ディーラーによる広告は許可されている
  8. ^ 交渉決裂の理由は明らかにされていないが、金額の不一致という説、レース部門への干渉をエンツォが嫌ったという説、フェラーリを外国の企業に渡したくなかったフィアット・グループのトップのジャンニ・アニェッリの意向も影響していたという説がある
  9. ^ "BB"はベルリネッタ・ボクサーの略であり、フェラーリは180度V12エンジンをボクサーエンジンと呼称した
  10. ^ ランチア・テーマ8・32の「32」は3.2Lではなく、32バルブの意である。
  11. ^ 『フェラーリ北米販売、過去最高…2010年実績』レスポンス 2011年1月17日
  12. ^ Openers 2010年3月5日
  13. ^ 『フェラーリ カリフォルニア、アイドルストップ採用』2010年10月1日 Response
  14. ^ フェラーリがNY上場 証券コードは「RACE」”. 朝日新聞 (2015年10月22日). 2015年10月23日閲覧。
  15. ^ フェラーリ、FCAからの分離・独立が完了carview
  16. ^ 「フェラーリ・テーラーメイド」
  17. ^ Autoblog 2016年2月5日
  18. ^ オートガレリア・ルーチェ
  19. ^ Car Styling 1983 Ferrari Meera S (Michelotti)
  20. ^ Autoblog Ferrari 456 Venice Station Wagon
  21. ^ Responce【フェラーリ SP1】50年ぶりの引渡し式
  22. ^ フェラーリ・クラシケ
  23. ^ Ferrari Genuine
  24. ^ コーンズ・モーター
  25. ^ カーセンサーNET
  26. ^ フェラーリ・レーシング・デイズ鈴鹿2013
  27. ^ [1]
  28. ^ [2]
  29. ^ 『スクーデリア・フェラーリ 1947-1997 50年全記録』 ソニー・マガジンズ、1997年、pp.63-64。
  30. ^ "フェラーリの歴史". Ferrari.com. 2013年2月7日閲覧。
  31. ^ ブロック・イエイツ著、桜井淑敏訳 『エンツォ・フェラーリ F1の帝王と呼ばれた男。-跳ね馬の肖像』 集英社、1991年、ISBN 9784087731385
  32. ^ 『スクーデリア・フェラーリ 1947-1997 50年全記録』 ソニー・マガジンズ、1997年、p.8
  33. ^ 2004年にデビューしたF430のエンジンは、同じグループにあったアルファロメオとは共有したことがなかった。しかし2007年アルファロメオ・8Cコンペティツィオーネの市販決定により、ついに母(アルファ)と息子(エンツォ)のコラボレーションが成立したことになる
  34. ^ "フェラーリ、世界でもっともパワーのあるブランドに選出される". Ferrari.com(日本語).(2013年2月18日)2013年2月18日閲覧。
  35. ^ "「フェラーリはSUVを作らない」…フィアットCEO発言". レスポンス.(2011年10月27日)2013年5月31日閲覧。
  36. ^ "「フェラーリはEVを作らない」…会長明言". レスポンス.(2011年8月23日)2013年5月31日閲覧。
  37. ^ "フェラーリ、2012年は史上最高の業績を記録". オートスポーツweb.(2013年2月21日)2013年5月31日閲覧。
  38. ^ "フェラーリ、生産台数抑制へ。希少性高めブランド価値維持". Topnews.(2013年5月10日)2013年5月31日閲覧。
  39. ^ 『フェラーリのテーマパーク、アブダビに10月オープン』AFPBB 2010年07月23日
  40. ^ 『クルマの女王・フェラーリが見たニッポン』清水草一著、講談社刊 2006年
  41. ^ フェラーリ2016年は日本での50周年Ferrari.com
  42. ^ 『SCUDERIA』 Vol.112 ネコパブリッシング 2016年 2月号 P.41
  43. ^ 『クルマの女王・フェラーリが見たニッポン』清水草一著、講談社刊 2006年
  44. ^ 『フェラーリ、業績ハイライトを発表』カービュー 2008年10月14日
  45. ^ フェラーリ、日本法人を設立…コーンズは正規代理店に - レスポンス(2008年2月22日)
  46. ^ フェラーリ事業の新体制について - コーンズニュース(2008年2月22日)
  47. ^ フェラーリ・ジャパン、輸入業務を開始 - レスポンス(2008年7月1日)

関連項目[編集]

関連企業
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