フェラーリ

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フェラーリ
Ferrari N.V.
Ferrari (8590961338).jpg
種類 公開会社
市場情報 イタリア証券取引所: RACE
NYSE RACE
本社所在地

イタリアの旗 イタリア
オランダの旗 オランダ アムステルダム(登記上の本籍地)

イタリアの旗 イタリア Via Abetone Inferiore, 441053, マラネッロ(実質的な本社機能)
設立 1947年
業種 自動車製造
事業内容 自動車の製造および販売
代表者 セルジオ・マルキオンネ会長兼CEO
ピエロ・ラルディ・フェラーリ:副会長
売上高 28億5400万ユーロ(2015年)
純利益 2億9000万ユーロ(2015年)[1]
従業員数 2850人(2014年)
主要株主 エクソール(23.5%)
ピエロ・ラルディ・フェラーリ(10%)
一般株主(66.5%、議決権無し)
(2016年1月3日時点)[2]
主要子会社 フェラーリ・ファイナンス
フェラーリ・ジャパン
フェラーリ・ノースアメリカなど
関係する人物 エンツォ・フェラーリ(創業者)
ルカ・ディ・モンテゼーモロ(前会長)
エンリコ・ガリエラ(シニア・バイスプレジデント)
マウリツィオ・アリバベーネスクーデリア・フェラーリ代表)
外部リンク 公式ウェブサイト
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フェラーリ (Ferrari N.V. ) は、イタリアモデナ県マラネッロに本社を置く自動車メーカー。F1等のモータースポーツコンストラクター

目次

沿革[編集]

ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ[編集]

スクーデリア・フェラーリのアルファロメオとベニート・ムッソリーニ(車内)、エンツォ(左から2番目)、タツィオ・ヌヴォラーリ(右から3番目)、ルドルフ・カラツィオラらと
アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ 815(1940年)
125S(1947年)
166MM(1949年)
340(1953年)
250GTボアノ(1955年-1956年)
250GTベルリネッタ(1959年-1962年)
330LM(1962年)
275GTB/4(1964年-1968年)
フェラーリ・365GTB/4(1968年-1973年)
ディーノ246GT(1969年-1974年)
ディーノ208/308GT4(1973年-1980年)
365GT4BB(1973年-1976年)
308(1975年-1985年)
モンディアル(1980年-1993年)
テスタロッサ(1984年-1991年)
288GTO(1984年-1986年)
F40(1987年-1992年)
456GT(1992年-2003年)
F355(1994年-1999年)
550マラネロ(1996年-2001年)
360モデナ・スパイダー(1999年-2004年)
エンツォ(2002年-2005年)
カリフォルニア (2008年-2013年)
458イタリア (2009年-2015年)
FF (2011年-2016年)
F12ベルリネッタ (2012年-2017年)
FXX K (2015年-)

1929年12月に、アルファロメオのレーシングドライバー[3]で、その後アルファロメオのディーラー「カロッツェリア・エミリア・エンツォ・フェラーリ」の経営をしていたエンツォ・フェラーリがレース仲間と共に「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」を創設した。当初は裕福なモータースポーツ愛好家をサポートする、アルファロメオのディーラーチームであり、4輪の他にオートバイ部門もあった[4]

1932年に息子のアルフレードが生まれたことで、エンツォはドライバーを引退してチーム運営に専念し、1933年に国営化されたアルファロメオがワークス活動を休止するとマシンを借り受け、セミワークスチームとして当時イタリアを率いていたベニート・ムッソリーニの主導によるイタリア政府のサポートも受け、タツィオ・ヌヴォラーリなどの強力なドライバーラインナップを擁して数々の勝利を記した[5]。その後チームは1938年にアルファ・コルセへ吸収合併されるが、翌年エンツォが経営陣と対立し、「フェラーリの名では4年間レース活動を行わない」という誓約を残して退社した[6]

アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ[編集]

1940年には、アルファロメオとの誓約項目を避けるために「アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ」という名の自動車製造会社をモデナに設立し、最初の自らの手によるモデル「815」を生産し、4月28日から行われたミッレ・ミリアに参戦した[7]

しかしその直後の6月10日に、イタリアが日独伊防共協定を組んでいた同盟国のドイツ国を支援するために、イギリスフランス宣戦布告第二次世界大戦に参戦した。このためにイタリアにおいてモータースポーツ活動が全面的に禁止され、「アウト・アヴィオ・コルトルツィオーニ」も「815」の製造を中止し、兵器製造のための粉砕機などの工作機械製造を行うようになった[8][9]

その後1943年8月にイタリアが連合国に降伏したものの、イタリア北部は事実上ドイツ軍の占領下になったこともあり、モデナの工場が連合国軍機の空襲を受けた[10]上に、自動車製造やモータースポーツ活動は引き続き禁止された。しかしエンツォは、戦後のモータースポーツ解禁に備えて自前の自動車工場をモデナ近郊のマラネッロに移設した。

設立[編集]

1945年5月にヨーロッパにおいて第二次世界大戦が終結すると、この後しばらくの間フェラーリのエンジンを設計することになったジョアッキーノ・コロンボらを擁して[11]1946年より自前のレーシングカーを開発するようになった。

1947年には晴れて自らの名を冠した「フェラーリ」を設立した。処女作は創業初年度に製造したレーシングスポーツ「125S」であった[12]。「125S」は同年開催されたローマグランプリで優勝しフェラーリの名を一躍有名にした。

その後、1948年に発表した「166インター」よりGTカーの少数受注生産を開始し、ヴィットリオとジャンニーノ・マルゾット伯爵らの4兄弟が率いる「スクーデリア・マルゾット」や、アルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵やブルーノ・ステルツィ伯爵などのモータースポーツに参戦する裕福な貴族などに販売する[13]とともに、ワークスとして「ミッレミリア[14]」や「タルガ・フローリオ」、「ル・マン24時間レース」や「ツール・ド・フランス」などの様々なレースに参戦し優勝を飾った[15]

当時のフェラーリは車体(シャシーとエンジン)のみを製作し、ボディはツーリングヴィニャーレ、スカリエッティやピニンファリーナ、ボアノなどのカロッツェリアに委託していた。その後2010年代まで60年以上続くピニンファリーナとの関係は「212インター・カブリオレ」(1952年)より始まる。

市販車進出[編集]

その後、エンツォの友人で1949年のル・マン24時間レースにフェラーリで勝利(パートナーはセルスドン男爵)し、かつアメリカ東海岸でフェラーリの正規輸入販売代理店を経営していたルイジ・キネッティ[16]の勧めにより、当時の世界最大の自動車市場であるアメリカ市場向けの「340アメリカ」 (1951年)や「340メキシコ」(1952年)など、次第に車種と販路を拡げていったが、いずれも旧モデルとなったレーシングカーをデチューンして市販車に仕立て上げ、貴族や富豪などを中心に販売していたものであった[17]

その後「250」シリーズで初めてレーシングカーを基にしない純粋な市販車の製造を開始した。初代「250」は「暑い」、「うるさい」、「乗り心地が悪い」、「故障が多い」などオーナーからの不評も多かったが[18]、シリーズを重ねるごとに改良は進み操作性や快適性は増して行き、当時「世界最速の2+2」と称された「250GTE」などいくつかのモデルは、その実用性と快適性が高い評価を受けた。

一方で、「250MM」や「250GTO」などの2シーターモデルは、モータースポーツへの参戦のためのホモロゲーション取得を目的としたもの、もしくは多少のモディファイをすることで各種レースへの参戦も可能とした「ロードゴーイング・レーサー」であった。実際に、エンツォは自社の市販車に「スポーツカー」という、軟弱かつ公道での使用を強くイメージさせるような言葉は用いなかったばかりか、公道での乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでさえいた[19]

さらにエンツォは「12気筒エンジン以外のストラダーレ(市販車)はフェラーリと呼ばない」と公言していたという逸話が残っており[20](しかし、当時フェラーリのレース専用モデルには、レギュレーション合致や軽量化の観点から4気筒や6気筒エンジン搭載モデルが多数存在していた)、この逸話通りこの頃生産されていたすべての市販車はコロンボやアウレリオ・ランプレディが設計したV型12気筒エンジンを搭載していた。なお、「250GTルッソ」や「275GTB/4」をはじめとして、1973年にデビューした「365GT4BB」から1995年に生産を中止した「512TR」までの期間を除き、現在の旗艦モデルの「812スーパーファスト」に至るまで、限定生産車を除く市販車のトップレンジを担っているのはフロントエンジン(FR)、V型12気筒のモデルである[21]

高い評価[編集]

その後フェラーリの市販車は品質や機能性、生産効率を高めて行き、1957年にはピニンファリーナと高級スポーツカーカテゴリーにおけるデザイン及びボディ製造の独占契約を結び[22][23]、デザイン面と生産効率面における優位性を獲得することで生産台数を順調に増やして行ったものの、その価格は依然として高価なものであった。

しかし、これらのフェラーリの市販車は、F1や「ミッレミリア」、「ル・マン24時間レース」や「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」をはじめとするレースにおける活躍によるブランドイメージの向上や性能の高さ、デザインの美しさが高い評価を受けて、1950年代にはヨーロッパや北米を中心に高性能市販車としての地位を確固たるものとしていった[24]。なお、1957年にはエンツォが「ミッレミリア」における観客死傷事故の責任を問われ起訴され、モータースポーツ参戦中止や賠償金の支払いによる経営への影響が危惧されたが、その後無罪となる。

また、販路の拡大も進め、当時から現在において主要市場の1つであるイギリスでは、自社のワークスドライバーかつ正規輸入販売代理店を務めていたマイク・ホーソーンの死後に、自動車業界の経験豊富なロナルド・ホーア大佐率いるマラネロ・コンセッショネアーズに販路を委託するとともに[25]、右ハンドル仕様を殆どのモデルに用意した(さらに同社は1970年代には日本への輸出にも関わることとなる[26])。またアメリカにおいても、キネッティの手によりハリウッドのある西海岸にも販路を広げるとともに、フェラーリのアメリカにおけるセミワークスチーム的存在の「ノース・アメリカン・レーシング・チーム」が創設され、「デイトナ24時間レース」や「セブリング12時間レース」をはじめとする様々なレースに参戦し好成績を上げることでその名声を高めることになる[27]

また、欧米においてはスウェーデングスタフ6世国王やイランモハンマド・レザー・パフラヴィー国王などの王族や貴族、アーガー・ハーン4世ポルフィリオ・ルビロサ[28]などの大富豪やジェット族、ロベルト・ロッセリーニやその妻のイングリッド・バーグマン[29]などのアーティストや映画俳優などといったセレブリティが愛用し、その姿が世界各国のニュース映画や雑誌の紙面を飾ったこともそのブランドイメージを押し上げる結果となった。なお、フェラーリは、現在に至るまで自社製品の広告を全く行わないことでも知られている[30]

「宮廷の反逆」と経営危機[編集]

このようにフェラーリは世界各国で高い名声を勝ち取ったものの、エンツォによる過剰なモータースポーツへの投資や、当時イタリア北部で勢力を増していたイタリア共産党などの左翼政党が後援した労使紛争と、それがもたらした度重なるストライキサボタージュなどのが経営に悪影響を与えた。

さらに1961年10月には、エンツォの妻のラウラによる過度な経営への介入に反対するカルロ・キティやジオット・ビッザリーニ、ロモロ・タヴォー二ら8人の部署長級のメンバーが、弁護士を経由してエンツォに抗議を申し出た手紙を送付したものの、これに怒ったエンツォに全員が解雇される事件「宮廷の反逆」が起きた[31]ことも影響し社内が混乱し、1960年代初頭には経営が苦境に陥った。

フォードとの買収騒動[編集]

これを受けて1963年には、ヘンリー・フォード2世会長率いるアメリカ合衆国のフォードとの間で買収交渉を進めたが、マラネッロでの調印寸前にエンツォが交渉を止めたことで決裂した。交渉決裂の理由は明らかにされていないが、金額の不一致という説、レース部門への干渉をエンツォが嫌ったという説、フェラーリを外国の企業に渡したくなかったフィアット・グループのトップのジャンニ・アニェッリの意向も影響していたという説がある[32]

これに不快感を持ったヘンリー・フォード2世は、後にレーシングカー「フォード・GT40」を開発し、その資本力にものを言わせて膨大な資金を投入し、さらにキャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンなどからの技術的提供を受けて、数年間の失敗[33]を経て1966年のル・マン24時間レースでフェラーリを破ることになる[34]。なおこの際にフォードは、ジオット・ビッザリーニの後任者でレース部門の開発責任者となったマウロ・フォルギエーリの引き抜きさえ画策している[35]

なお、ここまでヘンリー・フォード2世がフェラーリを破ることにこだわったのは、当時不倫をしていた(その後1965年に結婚)イタリア人のマリア・クリスティナ・ベットーレ [36]が、フェラーリのファンであったことも影響されていると言われている[37]。フォードのル・マン24時間レースの勝利に対してフェラーリは、1967年デイトナ24時間レースで1位-3位を独占し、さらに翌年に発表した「365GTB/4」に「デイトナ」の愛称をつけフォードに一矢を報いることになる。

フィアットとの提携[編集]

その後、F2用エンジンのホモロゲーション取得のため、イタリア最大の自動車メーカーであるフィアットとの提携が始まる。エンツォの亡児アルフレード(ディーノ)の名を冠したV型6気筒エンジンは、市販車の「206/246」と、2+2モデルである「208GT4/308GT4」に搭載された[38]

これらの6気筒エンジン搭載車は、前述の「12気筒エンジン以外のストラダーレ(市販車)はフェラーリと呼ばない」というエンツォの言葉通り「ディーノ」ブランドが与えられ、フェラーリの名が冠されることはなかった(後に「246」のアメリカ市場向けモデルの後期型に、販売戦略上フェラーリのロゴが付けられることとなった[39]他、「208GT4/308GT4」の後期型には正式にフェラーリの名が冠され、「ディーノ」ブランドは廃止された[40]。)。

この6気筒エンジンはフィアット・グループ内の様々なブランドでも取り扱われ、「フィアット・ディーノ・クーペ/スパイダー」と「ランチア・ストラトス」が生まれた[41]。キャブレター、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同じ仕様で排気レイアウトの関係上フィアットの方が有利なのにもかかわらず、マーケティング的配慮とチューンの関係から馬力が少ない仕様になっていた。

フィアット傘下へ[編集]

その後フィアットとの提携が進み、1969年にフェラーリはフィアット・グループ傘下に入ることで経営の安定と新技術の導入を図ることになる。その後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いて、レース部門(スクーデリア・フェラーリ)の指揮に専念した[42]

フィアット・グループのジャンニ・アニェッリ会長の指揮のもと、フィアットからの人員を様々な部門で受け入れる中で、1973年に当時成績不振に陥っていたスクーデリアのマネージャーに就任したのが、フィアット・グループ創業者のアニェッリ一族につながる家柄の出身で、のちにフェラーリ会長(とフィアット・グループ会長)を務めるルカ・ディ・モンテゼーモロであった[43]。モンテゼーモロはその後スポーツカーレースからのワークス参戦の撤退などチーム内の再編を行い、1975年ニキ・ラウダがドライバーズチャンピオンを獲得する[44]などチームを立て直し1977年まで同職を務めた後、フェラーリの親会社であるフィアットの役員に就任する。

なお1969年には、かねてから関係の深かったカロッツェリア・スカリエッティと資本関係を結んだ(その後1977年に同社を買収し、ボディ製造部門とする)[45]ほか、1972年にはマラネッロの本社工場の西側にある果樹園を取得し、新たにF1をはじめとするレース専用車や市販車のテストコースとして使われる「フィオラノサーキット」が造られ[46]、併せてサーキット内にエンツォの別宅やピットなども設けられるなど、フィアット・グループの傘下に入ったことで流れ込んだ資金と人材を、市販車とレース部門に積極的に活用し始める。しかしながら、本社正門前にある「リストランテ・キャバリーノ」が1975年に売却されるなど経営効率化も進められた。

1973年には、名車と称された「365GTB/4」を引き継いでフェラーリのトップレンジを担う12気筒モデルとして「365GT4BB」が登場した[47]。同車はフェラーリの市販車として初めて最高時速300キロを超えるモデルとなり(公称時速302キロ)[48]、またV12気筒ミッドシップはその後約20年に渡り生産されるヒット車種となる。

V型8気筒エンジンの登場[編集]

市販車部門を親会社のフィアットの意向が支配するようになった結果、6気筒エンジンを搭載した「206/246」に代わる最廉価モデルかつミッドシップの量産2シーターとして、1975年に「208/308」が生まれた[49]。これらのモデルは新たに開発されたV型8気筒エンジンを、ピニンファリーナレオナルド・フィオラヴァンティがデザインしたFRPボディに搭載した(これはイタリアの労働ストライキにより当初予定していたスチール製ボディの生産が間に合わなくなったためであり、1977年には通常のスチール製ボディに戻された[50])。

これらのV型8気筒エンジンを搭載したモデルは、6気筒エンジン搭載モデルとは違い最初からフェラーリブランドが与えられ「ピッコロ・フェラーリ(小型フェラーリ)」と称された。「ピッコロ・フェラーリ」シリーズは、「208/308」の後継モデルの「228/328」や、「208GT4/308GT4」の後継モデルの「モンディアル」と併せて2万台以上が生産される、フェラーリ史上最大のヒット作となった[51]。さらに「208/308」と「モンディアル」のV型8気筒エンジンは、フィアットの意向を受けてフィアット・グループ内のランチアのレーシングマシンにも使用されたほか、1980年代には同社の高級セダンである「テーマ8.32」に使用された[52]

この時に始まったフェラーリのV型8気筒路線はその後「348」、「F355」、「360」、「F430」や「カリフォルニア」、「458イタリア」、そして現在の「488GTB」と「ポルトフィーノ」へと発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの収益の屋台骨を支える系譜となった[53]

なお、12気筒エンジン搭載モデルの刷新も行われ、「365GT 2+2」は「365GTC/4」を経て1972年に発表された「400」に、1973年に発表された「365GT4BB」は1976年に改良版である「512BB」に引き継がれ[54]、さらに1984年には新設計の「テスタロッサ」とその後継の「512TR」へ引き継がれた。

限定生産[編集]

1984年にはグループB公認の288GTOを開発し、限られた台数が生産され販売された。288GTOはあくまでFIAグループBの公認を取得するために規定生産台数をクリアするため限定生産となったものである[55]が、その後創業40周年記念モデルの「F40」(1987年)が限定生産、販売され、生産開始直後のエンツォの死去と世界的な好景気を背景に人気を博したことから、以降はこのような限定生産を節目の年に行うことになる。

創業50周年には「F50」(1997年[56]、創業55周年には、当時ピニンファリーナに在籍していた日本人デザイナーの奥山清行がデザインした「エンツォ・フェラーリ」(2002年[57]、そしてフェラーリとして初めてのハイブリッドである「ラ フェラーリ」(2013年) といった限定生産モデル(スペチアーレ)や、「SA アぺルタ」(2010年)や「F12 TdF」(2015年)などの既存車種を改良した限定生産モデルを発表し、フェラーリ自らが選択した顧客に対して販売している[58]

エンツォの死[編集]

1988年8月に、かねてから健康不安が伝えられていたエンツォが腎不全により没した。イタリアが誇る自動車会社の創始者かつ、F1におけるイタリアの「ナショナルチーム」の創設者の死去に際してイタリア全体が喪に服した。

生前に行われた取り決め通り、エンツォが所有していた株はかねてから資本関係にあったフィアット・グループによって買われ、フェラーリはレース部門も含めて完全にフィアット・グループの管理下に収まった。

しかしその後も、リナ・ラルディとの間に生まれた次男のピエロ・ラルディ・フェラーリが、議決権のあるフェラーリの株を10パーセント所有し、フェラーリの副会長を務める[59]など、「創業家」であるフェラーリ家との繋がりは保ち続けている。

モンテゼーモロによる改革[編集]

エンツォ亡き後、一部のマスコミからは「エンツォのいないフェラーリはフェラーリ足り得るか」と言われるなど、その行き先が危惧された[60]。上に、当時のフェラーリは、長年投資を怠っていた市販車部門の生産設備が旧退化して品質管理と生産効率に大きな問題を抱えていた。さらにスクーデリア・フェラーリも、ドライバーのアラン・プロストと監督のチェーザレ・フィオリオとの対立や、ジョン・バーナードの突然の脱退をはじめとしたお家騒動と低迷が続いていた。

エンツォの死後3年が経過した1991年11月には、大株主のフィアットのジャンニ・アニエッリ会長の肝いりで、かつてはエンツォの下でスクーデリア・フェラーリのマネージャーとして辣腕を振るい、サッカーワールドカップ・イタリア大会の事務局長を務めたルカ・ディ・モンテゼーモロがフェラーリ社長に就任した。

モンテゼーモロは就任後ただちに市販車部門の品質と生産効率の向上に着手し、「348tb/ts」の大幅改良版である「F355」や、新たに開発した12気筒エンジンを搭載した2+2モデルの「456GT」、「550マラネロ」や「360モデナ」などの新型車を次々に開発、市場に投入した。これらの新型車は、劇的な品質の改善と新技術の導入による高性能化や故障の低減、質感の向上、そして安全性の向上のみならず、セミAT「F1」やパワーステアリング、アンチロックブレーキやフルオートエアコンなどの投入、手荷物スペースの拡充などにより[61]女性や初心者など、これまでフェラーリに手を出すことのなかった新たなオーナー層の拡大に成功し、世界各国の市場においてこれまでにない好調な業績を上げた。

同じく新体制を敷いたスクーデリア・フェラーリは直ちに好成績を上げるには至らなかったものの、2000年代に入るとミハエル・シューマッハ[62]ルーベンス・バリチェロなどのドライバーと、ジャン・トッド監督を擁してコンストラクターズ部門で複数年連続でタイトルを奪取するなど絶頂期を迎えることとなった[63]

新体制を率いて改革を成し遂げたモンテゼーモロはその手腕を買われ、ジャンニ・アニエッリ会長の死後の2004年6月に親会社フィアット・グループの会長に就任。就任後ただちにフェラーリの傘下にマセラティを加えて、マセラティにフェラーリのV型8気筒エンジンを搭載し、さらに製造工程においても一部を統合させるなど、ブランドイメージの向上と合理化を同時に行うことで長年経営状況が安定しなかった同社を復活させ、さらには苦境に陥ったフィアット・グループをも建てなおした[64]

また1993年には、「348チャレンジ」によるワンメイクレースフェラーリ・チャレンジ」が開始された。その後同シリーズは1994年から北アメリカ、2011年にはアジア太平洋で開催されるなど世界各国へと開催地を広げ、フェラーリのブランドイメージ向上と収益向上に貢献することになる[65]

好調な収益[編集]

2007年には設立60周年を迎え、2008年には初のクーペカブリオレである「カリフォルニア」を発売したほか、同年には、フェラーリにとって伝統的な主力市場である日本アジア初の現地法人を立ち上げた[66]。さらに中華人民共和国インドロシアなどの新興国において積極的な事業展開を進めた結果、リーマン・ショック後に世界経済が低迷する中でもヨーロッパ諸国や日本、アメリカなどの主要市場で好調な販売実績を維持した[67]

また2000年代後半から2010年代にかけては、中古のF1マシンの販売とメンテナンスを行う「F1クリエンティ」や[68]、「FXX」や「599XX」等の台数限定のサーキット走行専用モデルの開発と販売、メンテナンスを行う「XXプログラム」を開設した[69]ほか、注文主の求めに応じて特注車を製作する「ワンオフ」の製造再開、製造から20年以上経過したモデルのレストア及び承認プログラムである「フェラーリ・クラシケ」の設立など、モータースポーツの技術とノウハウ、そして歴史と高い名声を生かして顧客の様々な要求に答える上に、高い収益性を持つ様々なプログラムを提供している。

さらに同時期には、フェラーリの世界的に高い知名度と人気を生かしたブランド(ライセンス)ビジネスも好調に推移し、専門部署を設立するなど管理を徹底した結果、収益の3割を占めるほどに成長した。

環境対策[編集]

2000年代中盤以降は、ヨーロッパの自動車メーカーに与えられた市販車の二酸化炭素排出規制などに対する環境対策に本格的に力を入れ始めており、2009年にはフェラーリ初のV型8気筒直噴エンジンを搭載した「458イタリア」の販売を開始したほか、2010年にはフェラーリ初のハイブリッド機能「HY-KERS」を搭載した「599 HY-KERS」を公開した[70]

同年には、フェラーリ初のアイドリングストップ機能や燃料ポンプ、電動エアコンの圧縮制御などのパフォーマンスを維持しつつ環境負荷を減らすシステム「HELE」を搭載した「カリフォルニアHELE」を発表した[71]。高性能と低燃費の両立を目的にした「HELE」(「High Emotion Low Emission」の略である)システムは、「458イタリア」や、2011年に発表された、フェラーリ初の4輪駆動システムを持つ[72]V型12気筒直噴エンジン搭載の4座シューティングブレークFF」(フェラーリ・フォー)や、2012年に発表された当時のトップモデルの「F12ベルリネッタ」にも搭載されている[73]。さらに環境対策に関心の高い日本市場においては、同システムは全ての市販車種に標準装備された。

2013年には、「HY-KERS」システムを搭載したフェラーリ初の市販ハイブリッドカーである「ラ フェラーリ」を、2014年にはヤス・マリーナ・サーキットで開催された「フィナーリ・モンディアーリ」において、ラ フェラーリベースにしたサーキット走行専用モデルの「FXX K」を発売した[74]。なおラ フェラーリ発売当時にモンテゼーモロ会長は、今後のハイブリッドモデルのラインナップ拡充に含みを持たせたが、「完全な電気自動車を発売する事は考えていない」とコメントした。

しかし、ヨーロッパにおける規制強化などから市販車の二酸化炭素排出規制などに対する対策は急務とされ、2014年に発表された「カリフォルニアT」と、2015年に発表された「488GTB」では、さらなる高性能と低燃費の両立を目的にしてV8エンジンのターボ化が行われた。なお、フェラーリにおいてターボエンジン搭載の市販車が発売されるのは、1990年代初頭にF40が生産中止になって以降20数年ぶりの事である[75]

モンテゼーモロ退任[編集]

金融危機終息後の世界的な好景気を背景に、全世界での販売が好調を続ける中でも2010年代に入って以降はF1では低迷が続き、コンストラーズ・チャンピオンを獲得できない年が続いた[76]ことで、長年フェラーリを率いてきたモンテゼーモロ会長の指導力を問う論調がイタリアのメディアを中心にささやかれた[77]

さらに、ニューヨーク証券取引所上場とその後の経営戦略、さらにフェラーリ会長を務めながら、トッズポルトローナ・フラウヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリなどのフェラーリとの取引がある複数の企業に投資し経営陣に名を連ねていること[78]などを巡って、モンテゼーモロ会長と、エンツォの息子でフェラーリの副会長のピエロ・フェラーリ[79]や、フィアット・クライスラー・オートモービルズ (FCA) の最高経営責任者となったセルジオ・マルキオンネとの間の確執が、2013年頃からイタリアのメディアを中心に伝えられた。

2014年9月には、イタリアグランプリの開幕直前にイタリアのメディアを中心にモンテゼーモロの退任が噂されたものの、本人はこれを否定した[80]。しかし同月に、1970年代にスクーデリア・フェラーリの立て直しを行った後にフェラーリに戻り、24年に渡ってフェラーリの経営を引っ張ってきたモンテゼーモロの退任が発表された[81]。11月に退任した後はマルキオンネがフェラーリ会長を兼務することとなった。

上場と再独立[編集]

2015年10月21日にはマルキオンネやピエロ・フェラーリ、ジョン・エルカーンやアメデオ・フェリーザら経営陣の立会いの下でニューヨーク証券取引所に上場した。取引の際に使われる証券コードは「RACE」を採用している[82]。なお、上場により収益の継続的向上を迫られたことから、デザインを1950年代以来委託してきたピニンファリーナ[83]から社内のデザインセンターに一本化するなど内製率を向上させるほか、これまではあえて抑制していた生産台数の増加を検討するなど、新たな経営戦略を検討、導入することになった。

2016年1月3日、FCAはフェラーリの同グループからの離脱独立の手続きが完了したと発表した。これでフェラーリは再び独立した会社となったが[84]、その後もエクソールが大株主でアニエッリ家が経営に影響力を持ち続けることには変わりはなく、マルキオンネがフェラーリ会長を兼務することや、マセラティのエンジンの委託生産が本社工場内で引き続き行われるなど、FCAとの関係は様々なかたちで継続している。

2017年に会社創立70周年を迎え、地元のイタリアや主力市場の日本、イギリス、アメリカをはじめとする各国で70周年記念イベントが開催されるほか[85]、現行生産車種の創立70周年記念バージョンが台数限定で発売される [86]。なお市販車部門による収益は好調なものの、新体制下になりチーム代表にマウリツィオ・アリバベーネが就任し成績の向上が期待されたスクーデリア・フェラーリは、モンテゼーモロ時代の2008年以降、コンストラクターズチャンピオンが獲得できない状態が続いている[87]

車種一覧[編集]

現行車種[編集]

現在販売されている全車種が日本に正規輸入されている。なお現在、日本国内の正規販売代理店で販売されているポルトフィーノ、488シリーズ、ルッソシリーズと812スーパーファストには、3年間のメーカー保証と、7年間のフェラーリ純正メンテナンスプログラムが無償で付帯している。さらにエンジンやギアボックス、サスペンションなどを対象にしたメーカー保証は「ニューパワー15」と呼ばれ、最長15年まで有償にて保証期間を延長できる[88]

また、フェラーリは古くから左側通行のイギリスを主要市場のひとつとしていることから、右ハンドル仕様車が一部を除く車種に用意されてきた。現在、イギリスと並ぶ重要市場(世界6大市場- 日本、イタリア、イギリス、アメリカ合衆国、中華人民共和国及び香港ドイツ)の1つとなっている日本でも、現行全車種に右ハンドル仕様車が用意されている。さらに、日本市場はこれらの主要市場の中でも特に環境対策に関心が高い市場である事から、世界で唯一「HELE」システムが、限定モデルやサーキット専用モデルを除く全てのモデルに標準装備されている[89]

なお、新車を正規販売代理店で注文したオーナーには、注文後2年間「フェラーリ・マガジン」(季刊誌)が無料で送付されるほか、自分か注文した車両と同じ内外装の精巧な模型の送付、生産中の車輌の画像などがセットになった「コンタクトプラン」が無料で提供される。

V12
外観 車名 排気量 エンジン 駆動方式 座席数 解説
2017-03-07 Geneva Motor Show 1173.JPG 812スーパーファスト 6496cc V型12気筒DOHC FR 2座 2017年3月に発表されたV12エンジン搭載のフラッグシップモデル。最高出力はフェラーリ史上初の800馬力に達した。四輪操舵を装備。
2016-03-01 Geneva Motor Show G184.JPG GTC4ルッソ 6262cc V型12気筒DOHC 4WD 4座 2016年2月に発表されたシューティングブレークFFの後継車。4WDは踏襲され、さらに四輪操舵が装備された。4WDの四輪操舵はフェラーリ初である。
V8
外観 車名 排気量 エンジン 駆動方式 座席数 解説
2015-03-03 Geneva Motor Show 3911.JPG 488GTB 3902cc V型8気筒DOHCターボ MR 2座 458イタリアの大幅改良モデル。排気量は3902ccとなりターボを装備[90]。ワンメイクレース用の「チャレンジ」やGT選手権用の「GT3/GTC」も用意される。
Frankfurt Motor Show 2015 (106).JPG 488スパイダー 3902cc V型8気筒DOHCターボチャージャー MR 2座 488GTBのスパイダーモデルで458スパイダーの大幅改良モデル。
Ferrari GTC4 Lusso T - Mondial de l'Automobile de Paris 2016 - 004.jpg GTC4ルッソT 3855cc V型8気筒DOHCターボ FR 4座 GTC4ルッソのV8ターボエンジンモデル。フェラーリの4シーターでは初のV8ターボエンジンを搭載する。4WDは採用されておらず後輪駆動となるが、四輪操舵は踏襲される。
Ferrari Portofino IMG 0531.jpg ポルトフィーノ 3855cc V型8気筒DOHCターボ FR 2+2座 V8ターボエンジンを搭載するクーペカブリオレの2+2モデル。カリフォルニアTの後継モデル。

過去の主な車種[編集]

年数は発表・発売・デビュー年

純正オプション[編集]

カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム[編集]

全車種ともにフェラーリ純正パーツやアクセサリーを選択できるのみならず、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」と呼ばれるオプション・プログラムにより用意された数多くの内装色や外装色、内装の素材などを、好みの通りに組み合わせることができる(追加料金が必要)。なお、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」に対応した専用施設として、マラネッロの本社や正規販売代理店のショールーム内に「フェラーリ・アトリエ」が設置されている[91]

テーラーメイド・プログラム[編集]

さらに「スクーデリア」、「クラシカ」、「インエディタ」の3つのスタイルを基本とし、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」によって用意された内外装の仕様以外の好みのものを自由に選ぶことができる「テーラーメイド・プログラム」が2012年より導入された。

通常のオプションでは用意されていないようなデニムカシミア織りの生地にした内装や、ニキ・ラウダ時代のスクーデリア・フェラーリのF1マシンからインスピレーションを受けた内外装など、まさに自分の意のままの内外装に仕立て上げることができる[92]。なおこのプログラムは、ジャンニ・アニェッリの孫で元フィアットの国際マーケティング部長のラポ・エルカンが主導し導入された。

限定生産モデル[編集]

SAアペルタ(2010年)

2000年代以降に生産台数が年間数千台になってからも、「550バルケッタ・ピニンファリーナ」(2000年)や「575スーパーアメリカ」(2004年)、「スクーデリア・スパイダー16M」(2010年)、「599GTO」(2010年)や「SAアペルタ」(2010年)、「F60アメリカ」(2014年)や「458スペチアーレ・アペルタ」(2014年)、「F12TdF」(2015年)、「J50」(2016年)など、既存のモデルを元に製作された限定生産モデルを生産している。

これらの限定生産モデルは、発表時に生産台数(世界で数台から数百台)がアナウンスされた上で、フェラーリ本社と各国の現地法人、もしくは正規ディーラーが選択した、F1クリエンティやXXプログラム、フェラーリ・チャレンジに参加しているオーナーやワンオフモデルのオーナー、または過去に正規ディーラーから複数台を購入したことがあるような優良顧客に対してのみ案内、販売される[93]

上記のように生産台数がごくごく限られていることもあり、多くの場合、これらの優良顧客への案内と同時にほぼ完売し、一般の顧客に新車の状態で販売されることはない。

スペチアーレ[編集]

「エンツォ」(左)と「ラ フェラーリ」
愛車の「ラ フェラーリ」を見るジェイ・ケイ

フェラーリはかねてからFIAのホモロゲーション取得を目的に、一から設計された限定生産台数モデルを生産、販売してきたが、1984年にグループB参戦のためのホモロゲーション取得を目的として、「308シリーズ」を元にほぼ一から設計された「288GTO」を開発し、限られた台数を生産し販売した。その後1987年に創業40周年を記念したモデルとして「F40」が限定生産、販売されたが、翌年のエンツォの死去と世界的な好景気を背景に人気を博したことから、初期に設定していた限定生産数を大幅に超える台数を生産した[94]

以降フェラーリはこのような「スペチアーレ」と呼ばれることになる、一から設計された限定生産モデルを節目の年に出すことになり、創業50周年の1997年には「F50」を、創業55周年の2002年には「エンツォ」を、2013年には「ラ フェラーリ」と、それぞれ数年の間をおいて限定生産モデルを発表している。

これらの車種は、限定生産モデルと同様に、「F40」のオーナーとして著名であったルチアーノ・パヴァロッティ[95]や、フェラーリマニアとして知られる「ジャミロクワイ」のジェイ・ケイ[96]などの、過去に「スペチアーレ」を正規ディーラーを通じて購入したオーナー(並行輸入や中古での購入者は対象外)やワンオフモデルのオーナー、F1クリエンティやXXプログラム、フェラーリ・チャレンジの顧客をはじめとする、フェラーリ本社と各国の現地法人が選択した顧客に対して、1号車の完成より前の段階で案内される[97]。場合によっては価格や仕様詳細が決定していない上に限定生産モデルよりも高価にも関わらず、多くの場合、これらの顧客への案内と同時にほぼ完売し、一般の顧客に新車の状態で販売されることはない。

これらの「スペチアーレ」には、その後の生産モデルに採用される新機軸やテクノロジー、デザインモチーフが先取りして用いられることも多く、フェラーリの最新テクノロジーのショーケースとなるのみならず、優良顧客の囲い込みと優良顧客育成のツールとなっている。

ワンオフモデル[編集]

創業-1950年代末[編集]

375 MM ピニンファリーナ・ベルリネッタ・スペチアーレ(1954年)
スーパーアメリカ 45(2011年)
SP12EC(2012年)
F12 TRS(2014年)

創業以来1958年ころまでフェラーリは、市販モデルやレーシングモデルを元に製作した世界に1台の特注車両「ワンオフモデル」を製作、販売していた。

この中でも特に著名なのが、イタリアの映画監督のロベルト・ロッセリーニが、妻のイングリッド・バーグマンとともに乗るためにオーダーしたとされる「375 MM」を元に1954年に注文した「375 MM ピニンファリーナ・ベルリネッタ・スペチアーレ」で[98]、その他にもアーガー・ハーン4世レオポルド3世などのそうそうたる大富豪や王族がワンオフを発注した。

しかしフェラーリはその後ワンオフモデルの受注を受け付けなくなった(なおその後もフィアットのアニエッリ会長向けに「テスタロッサ」のスパイダー仕様が製作された他、モンテゼーモロ会長向けに「360スパイダー・バルケッタ」が製作されるなど、経営陣向けにごく少数のワンオフモデルが生産されることはあった[99])。

2008年以降[編集]

しかしその後約50年を経て、世界的に著名な日本のフェラーリのコレクターで、フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパンの元会長(かつフェラーリ・オーナーズ・クラブ・ジャパンの発起人)で実業家の平松潤一郎[100]の依頼を受けて、モンテゼーモロ会長がワンオフの制作を了承し、2008年にレオナルド・フィオラヴァンティがデザインしたワンオフモデル「SP1」を製作した[101]。これをきっかけにフェラーリは、数十年ぶりに自社の手によるワンオフモデルの受注を再開した。

2008年に平松がSP1の製作を依頼して以降、2017年11月までに8台(うち1台は未完成)のワンオフモデルの存在がフェラーリより正式に発表されている。なおそのうちの2台が世界6大市場の1つである日本人オーナーによる依頼である。

これらのワンオフモデルはオーナーの依頼により複数台が生産されることもある。なお、完成しオーナーに引き渡される時点で「フェラーリ・クラシケ」の証明書が発行される。また、転売による価格高騰や、転売先のオーナーによるフェラーリの手を経ない改造を防ぐため、全てのワンオフモデルはフェラーリが買い戻す権利を持つ。

なお、それ以前にもザガート(「575GTZ」など)やミケロッティサウジアラビア王子のために生産された「メーラS[102]」など)、ピニンファリーナ(ブルネイハサナル・ボルキア国王向けに複数台が製作された456のステーションワゴンモデル「456ベニス[103]」など)などのカロッツェリアの手で市販フェラーリを改造した、世界に1台もしくは数台しか存在しないモデルが製作されたことがあるが、これらはフェラーリが自らの手で製作したモデルではないため、ワンオフとは厳密に区別されている。しかし、歴史的価値から「フェラーリ・クラシケ」のファクトリーで整備され、証明書が発行される対象になっている。

ワンオフモデル一覧(2008年以降)[編集]

  • SP1(2008年/オーナー:平松潤一郎[104])基礎となったモデル:F430
  • P540 スーパーファスト・アペルタ(2009年/オーナー:エドワード・ウォルソン)基礎となったモデル:612スカリエッティ
  • スーパーアメリカ 45(2011年/オーナー:ピーター・カリコウ)基礎となったモデル:SAアペルタ
  • SP Arya(2012年/オーナー:チェラグ・アルヤ。デザイン発表後に基礎となったモデルが変更された上に、最終的に完成しないままとなった)基礎となったモデル:599GTO>F12ベルリネッタ
  • SP12 EC(2012年/オーナー:エリック・クラプトン)基礎となったモデル:458イタリア
  • SP FFX(2014年/オーナー:名前非公開の日本人[105])基礎となったモデル:FF
  • F12 SP アメリカ(2014年/オーナー:ダニー・ウェグマン)基礎となったモデル:F12ベルリネッタ
  • F12 TRS(2014年/オーナー:名前非公開)基礎となったモデル:F12ベルリネッタ
  • 458 MMスペチアーレ(2016年/オーナー:名前非公開のイギリス人)基礎となったモデル:458イタリア

コンセプトモデル[編集]

下記にはフェラーリ自らが新技術やデザインテーマを試すことを目的に製作し、コンセプトカーとして発表したモデルのみを明記する。

フェラーリ・アプルーブド[編集]

導入[編集]

「スクーデリア・スパイダー16M」フェラーリ・アプルーブドの対象となるのは生産から14年以内の車種のみである

2000年代後半に、正規販売代理店と正規サービスセンターのみで発売される、新規登録より14年以内でかつフェラーリ・テクニシャンによる所定の検査と、車輌の履歴とメンテナンス履歴の確認をパスした中古のフェラーリのみが対象となる認定中古車制度「フェラーリ・アプルーブド」が導入された[108]

付帯サービス[編集]

対象車には、納車前の190項目におよぶ点検や、必要な場合の認定パーツへの交換が行われるほかに、車歴に応じてエンジンやトランスミッション、サスペンションなどへの12カ月間および走行距離無制限の補償と証明書が与えられる他、24時間/365日対応のロードサイドアシスタンスなどの「フェラーリ・パワー補償」が12カ月間付帯される[109]。また購入より1年間「フェラーリ・マガジン」が無償で送付される。

フェラーリ・クラシケ[編集]

レストア[編集]

「フェラーリ・クラシケ」の認証を受けてコンクール・デレガンスに出展された「166インテル・ツーリング・ベルリネッタ」
認証委員会が置かれるマラネッロの本社
「F12tdf」(手前)と「458MMスペチアーレ」(奥)

1980年代後半以降にクラシックカーの取引価格が高騰し、コレクターや投資家を騙す目的で製作された贋作オークションなどを通じて市場に出回ったことや、コレクターによるレストアサービスに対する需要が高まったことから、2006年に「フェラーリ・クラシケ(Ferrari Classiche)」と呼ばれる、生産開始から20年以上経ったクラシック・フェラーリに対するレストアやメンテナンスサービス、技術的なアシストを行う部署が置かれることになった。

現在は、マラネッロの本社内におかれた本部において、レストアやメンテナンスサービス、技術的なアシストを行う専用のファクトリーが置かれているほか、これまでに生産されたフェラーリについての膨大な資料が保管されている。

認証委員会[編集]

またこれらの資料を基に、ピエロ・フェラーリ副会長率いる認証委員会(「Comitato di Certificazione/ COCER」)が、生産開始から20年以上経ったクラシック・フェラーリやワンオフや限定車種のみならず、一般オーナーに向けて販売されたF1マシンをはじめとするレーシングカー、そして販売後社外カロッツェリアによって手を加えられたものの、世界的なレースでの実績やコンクール・デレガンス出展などの経歴があり、特にフェラーリが認めた車輌などの特別なフェラーリに対する鑑定を行い、パスした車体に対して真贋鑑定書も発行する[110]

鑑定書[編集]

生産開始から20年以上経ったクラシック・フェラーリは、オリジナルの状態が保たれたもの、もしくは純正でない部品を使用していた場合は、純正のものに戻し認証委員会が認証した場合のみフェラーリ・クラシケの鑑定書が発行される。なお、一般オーナーに向けて販売された中古のF1マシンやXXプログラムのマシンと、「458MMスペチアーレ」などのワンオフや「599GTO」などのスペチアーレ、「F12tdf」や「セルジオ」をはじめとする一部の限定市販車は、オーナーへ引き渡される時点でフェラーリ・クラシケの鑑定書が発行される。

しかし、市販車はフェラーリの手を経ない改造がされた場合に、F1マシンやXXプログラムのマシンは、コルセ・クリエンティ部門を通じたメンテナンスを行なわずに純正でない部品を使用した場合は鑑定書が無効となる。

また、マラネッロに車輌を持ち込めない地域にある場合、正規販売代理店と正規サービスセンターが鑑定の申し込み代理を行う。日本においても全ての正規販売代理店と正規サービスセンターが鑑定の申し込み代理を行えるほか、東京都江東区の「コーンズ東雲サービスセンター」と大阪府大阪市の「コーンズ大阪サービスセンター」に、メンテナンス、修理、及び鑑定書の発行を専門に行うためのトレーニングを受け資格を有したサービス・テクニシャンが駐在する「オフィチーナ・フェラーリ・クラシケ」が設けられている。

オーナー向けサービス/イベント[編集]

フェラーリや各国の現地法人によるオーナー向けの有償や無償の様々なサービスやイベント、特典が用意されている。世界規模で活動する裕福なオーナーが多いことから、これらはオーナーが購入または在住している国だけでなく、世界各国で享受、体験できるものが多いことが特徴である[111][112]。さらに、サーキットイベントやパーティーなどの、正規販売代理店と正規サービスセンターが開催しているオーナーを対象としたイベントも多数ある[113][114][115]

マラネッロの本社工場(従業員専用門)
マラネッロにあるフェラーリ博物館(ムゼオ・フェラーリ)
「フェラーリ・レーシング・デイズ」のF1ショー(2013年)
FXX
フェラーリ・チャレンジ
フィオラノ・サーキット
フェラーリ・ワールド(アブダビ
F1のパドックを歩くキミ・ライコネン
フェラーリ・クラブ・フランスのイベント

フェラーリ・コンシェルジュ[編集]

日本を含む主要市場に設置しているオーナー向けのサービス窓口。オーナーに提供する下記の各種サービスの利用や問い合わせ、イベントへの参加や問い合わせを無料で受け付ける。他にも、オーナー限定のマラネッロの本社工場見学ツアー「ファクトリー・ツアー」や、本社に隣接した博物館「ムゼオ・フェラーリ」見学、「フェラーリF1クラブ」のパドックパスや「フェラーリ・ワールド」のオーナー向け入場券の手配も行っている。また、オーナー以外による各種問い合わせの窓口ともなっている[116]

フェラーリ・ロードサイド・アシスタンス[編集]

日本を含む主要市場に設置している24時間対応のフェラーリ専用のロードサイド・アシスタンス・サービス。路上や自宅などにおけるバッテリー上がりや故障などの対応を行う。正規販売代理店で販売された車両のみがこのサービスを受けることが出来る。

フェラーリ純正パーツ/アクセサリー[編集]

「Ferrari Genuine」と呼ばれる、正規販売代理店と正規サービスセンターのみを通じて供給する、フェラーリの社内品質基準と各国の車検基準に適合した純正パーツ及び純正アクセサリー[117][118]。「フェラーリ・クラシケ」の鑑定をパスするためには純正パーツ/アクセサリーのみが使用されていることが必要である。

フェラーリ・ファイナンシャル・サービス[編集]

正規販売代理店で発売される新車及び認定中古車、フェラーリ純正パーツやアクセサリーを購入する際に、リースやローンサービス、クレジットカードなどを提供している[119]。各国でサービス内容は異なる。

フェラーリ・レーシング・デイズ[編集]

フェラーリの主催により世界各国のサーキットで開催されるオーナー向けの祭典。フェラーリ・チャレンジやF1クリエンティ、XXプログラムの走行、スクーデリア・フェラーリのドライバーや元ドライバーによるF1マシンの走行、市販車のオーナーによるサーキット走行体験などのイベントが行われる[120]。日本でも隔年に1回国内のサーキットで開催される。参加はフェラーリ各車種とそのオーナーに限られるが、オーナー以外による観覧も可能である[121]。これらのイベントを総括するものとして、年末に「フィナーリ・モンディアーリ」が開催される。

フィナーリ・モンディアーリ[編集]

毎年末にイタリアやスペインなどのサーキットで開催されるオーナー及びファン向けの祭典。フェラーリ・チャレンジの最終戦及び世界一決定戦が行われるほか、F1クリエンティとXXプログラムの走行、スクーデリア・フェラーリのドライバーや元ドライバーによる最新のF1マシンの走行などが行われ、フェラーリ・チャレンジの年間表彰式を兼ねたガラ・ディナーや、F1クリエンティとXXプログラムのオーナー向けのガラ・ディナーも開催される。また、会場でサーキット専用車種やレーシングカーなどの新型車の発表が行われることも多い[122]

フェラーリ・カヴァルケイド[編集]

イタリアやヨーロッパ各地、日本やアメリカなどの名所やフェラーリにまつわる場所を、自分のフェラーリを世界各国から持ち込んだ数十人から百数十人のオーナーたちが数日をかけて走るイベント[123]。なお、毎日到着地でガラ・ディナーが開催される。年間数回世界各地で開催される [124]

フェラーリ・トリビュート・ミッレミリア[編集]

毎年イタリアで開催される「復刻版ミッレミリア」のサポートイベントとして開催され、「カヴァルケイド」と同様に自分のフェラーリを世界各国から持ち込んだ数十人のオーナーたちが、復刻版ミッレミリアと同じコース(とフェラーリにまつわる名所)を走る[125]

ピロタ・フェラーリ[編集]

フェラーリのオーナー向けに、プロのレーシングドライバーを講師として招いて開催されるドライビングスクール。初級者向けからフェラーリ・チャレンジ経験者向けまで4つのクラスが用意されており、年数回イタリア(フィオラノ・サーキットなど)や日本、アメリカや中華人民共和国のサーキットで開催され[126]、フェラーリ・コンシェルジュや正規販売代理店、正規サービスセンターを通じて申し込むことができる。

ファクトリー・ツアー[編集]

オーナーとその同伴者限定で提供されているマラネッロの本社工場見学ツアー(有償)。本社工場のラインやコルセ・クリエンティ、フェラーリ・クラシケの本部などをガイド付きで見ることができる。イタリア語と英語のほか、日本語のガイドも用意されている。フェラーリ・コンシェルジュ[127]や正規販売代理店、正規サービスセンターを通じて申し込むことができる。なお、16歳以下は安全上の観点から参加できない。

フェラーリ・ワールド[編集]

2009年アラブ首長国連邦アブダビヤス島にオープンした、フェラーリをテーマにしたテーマパークで、2017年にはスペインバルセロナ近郊にもオープンした[128]。2014年12月にはアブダビで開催された「フィナーリ・モンディアーリ」のガラ・ディナー・パーティーが全館貸し切りで開催された。なお、フェラーリのオーナー向けの割引入場券も用意されており、フェラーリ・コンシェルジュを通じて申し込むことができる。

フェラーリF1クラブ[編集]

日本グランプリモナコグランプリをはじめとするF1世界選手権各戦における「Formula One Paddock Club」のフェラーリ・シャレーや各スポンサーのシャレーでの観戦パスをオーナー限定で提供しており、フェラーリ・コンシェルジュ[129]を通じて申し込むことができる。

フェラーリ・マガジン[編集]

フェラーリが発行しているオーナー向け雑誌。新車を正規販売代理店で購入したオーナーへの「コンタクト・プラン」の特典の一部として、注文後2年間、認定中古車を購入したオーナーに1年間無償で送付される。また、それ以降も有償で定期購読が可能な他、オーナー以外でも有償で定期購読が可能である。コンデナスト・パブリケーションズにより編集されており、イタリア語と英語の併記版のみが用意されているが、2016年のリニューアル以降は日本語のオンライン版も用意されている[130]

公認オーナーズクラブ[編集]

イタリアや日本、イギリスやフランスなどの主要市場のみならず、レバノンや香港、チリオーストリアなど、世界各国にフェラーリが正式に公認しているオーナーズクラブが設けられている。これらの公認オーナーズクラブはフェラーリとは独立して運営されているが、イベントやガラパーティーなどの様々な活動にはフェラーリ及び現地法人、正規ディーラーが全面的に協力しているほか、フェラーリのエンブレムの使用の権利が与えられている。また各国の公認オーナーズクラブ同士の交流も活発に行っている[131]

なお2017年現在、日本国内には「フェラーリ・オーナーズ・クラブ・ジャパン(Ferrari Owners' Club Japan)[132]」と「フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン(Ferrari Club of Japan)[133]」の2つの公認オーナーズクラブがあり、それぞれ数百人の会員がいる。なお両クラブともに入会には現会員2名の推薦が必要である。

モータースポーツ[編集]

イタリアのナショナルチーム[編集]

166S(1948年ミッレミリア優勝)
312T(1975年F1ワールドチャンピオン)

1947年の創業以来、フォーミュラカーレースF1F2)、スポーツカーレースプロトタイプGT)など様々なカテゴリーに幅広く参戦しており、数多くの勝利を獲得している。イタリアのナショナルカラーの赤がチームカラーとなっているなど、イタリアのナショナルチーム的存在である。

特に、F1世界選手権では1950年の選手権初年度から唯一参戦を続けており、史上最多となる16度のコンストラクターズチャンピオンを獲得している[134]

スポーツカー世界選手権では1950年代から1960年代にかけて一時代を築き、ジャガーフォードポルシェと覇権を争ったほか、「ミッレミリア」[135]や「タルガ・フローリオ」、「ル・マン24時間レース」や「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」などのレースで数多くの優勝を飾っている。

また、ワークス参戦するだけではなく、創業当時からマルゾット兄弟率いる「スクーデリア・マルゾット」やアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵、ブルーノ・ステルツィ伯爵のようなプライベートでレースに参戦する貴族や大富豪、また「ノースアメリカン・レーシングチーム[136]」や「シャルル・ポッツィ[137]」、「エキュリー・フランコルシャン」や「クレパルディ」などのディーラーチームにマシンを供給していた。

なお、フィアットによるフェラーリ買収後の1974年以降は、ワークス(スクーデリア・フェラーリ)の活動をF1に一本化し、それ以外のカテゴリーのマシンの開発は「ミケロット」などの社外パートナーの協力を受けて行っているほか、参戦も「AFコルセ」のようなセミワークスチームを通じて、もしくは「RACING WITH FERRARI」のロゴの使用を許可されたプライベートチームへのマシン供給に限っている。

F1[編集]

ゲスティオーネ・スポルティーバ本部
個人オーナーが所有している中古のF1マシン

上記のように、1950年にF1世界選手権が始まって以来、現在も継続して参戦している唯一のコンストラクターである[138]。また1990年代より、「ミナルディ」や「ザウバー」など、他のチームへのエンジン供給も行っている。

なお現在、F1は本社内の「ゲスティオーネ・スポルティーバ(Gestione Sportiva/ GES)」部門が開発から参戦まですべてを手掛けている。

コルセ・クリエンティ[編集]

現在スポーツカーレース及びその他のモータースポーツは「コルセ・クリエンティ(Corse Clienti)」部門が手掛けており、開発と販売のみならず、GTレースにおけるAFコルセなどのセミワークスや「Racing with Ferrari」のロゴの使用が許可されたプライベートチームの参戦も、部門内の「Competizoni GT」がサポートしている[139]

また同部門は、ワンメイクレース「フェラーリ・チャレンジ」をヨーロッパとアジア太平洋、北アメリカの各地域で開催しているのみならず、中古のスクーデリア・フェラーリのF1マシンと333SPを所有する個人オーナーへのサポートをGES部門と協力して行う「F1クリエンティ」[140]の他、「599XX」や「FXX」、「FXX K」などの、最新技術が搭載されたサーキット専用車でオーナーがサーキットを走行することで、今後の車輌開発に役立てるデータ収集を行う「XXプログラム」のマネージメント及びオーナーへのサポートも行う[141]

なお、各国の正規販売代理店で販売された市販車のオーナーで、かつフェラーリと正規販売代理店に承認された顧客に限り、フェラーリまたは各国の拠点を通じて中古のF1マシンを購入することが可能である。これは「XXプログラム」の各車輌についても同様である[142]。なお、2014年シーズン以降のF1マシンについては、「KERS」システムの管理上の問題により中古の販売を中止することが決定された[143]

主な成績[編集]

333SP(1998年デイトナ24時間、1995年/1997年/1998年セブリング12時間レース優勝)
512BB LM(シャルル・ポッツィから1979年のル・マン24時間に参戦)

主な選手権・イベントにおける製造者部門(マニュファクチャラー/メーカー)の成績を以下に記す。なお、世界三大レースに数えられるインディ500へは、1952年に1度挑戦したのみで優勝はない。

ブランド[編集]

カヴァッリーノ・ランパンテ[編集]

後足で立ち上がった馬の図柄を使用するため「跳ね馬」の愛称を持つ。この紋章はイタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ」(Cavallino Rampante )といい、「Rampante」は紋章用語で「気負い立ち」を意味するため、直訳では「気負い立ち馬」であるが、英訳では「(後肢で前へと)跳ねる馬」(Prancing Horse )となっている。

フェラーリの市販車につけられた長方形の紋章

紋章の形状は長方形と盾形の2種類があり、この2種類は下記の様に用途によって明確に使い分けられている。いずれも上部にはイタリアの国旗と同じ三色(緑白赤)のラインが入っている。なお2種類ともに各国で商標として登録されており、フェラーリおよび正規ディーラーと正規サービスセンター、フェラーリとライセンス契約を結んだ商品のみで使用できる。

長方形のものは、フェラーリの公式な社章として社員の名刺や社用便箋、公式文書や工場で働く工員の作業着、社用車などで使用されているほか、市販車や「フェラーリ・ストア」、正規ディーラーや正規サービスセンターなどでも使用されている。

599XX Evoのフェンダーにつけられた盾形の紋章

盾型(スクデット)のものは、元々は1920年代から1930年代にかけてスクーデリア・フェラーリがアルファロメオで参戦していた際に使用されたもので、下部に「スクーデリア・フェラーリ」のイニシャルである「S」と「F」が入っている。その後スクーデリア・フェラーリとアルファロメオが袂を別ってから使用されていなかったが、フェラーリ設立後の1952年に、モータースポーツに参戦するために製造された車輌と、増え続ける市販車を明確に区別するために再び導入された[148]

この様に、盾形はフェラーリの元でモータースポーツに関わっていることを示すもので、本来はF1とGTレース、フェラーリ・チャレンジ、F1クリエンティとXXプログラムに参加しているマシンと支援車輌、そしてモータースポーツに携わるゲスティオーネ・スポルティーバ部門[149]とコルセ・クリエンティ部門[150]、両部門に関連した業務に携わる各部門のフェラーリ社員と、承認を受けたGTなどのプライベートチームや正規ディーラー、正規サービスセンターのエンジニアやメカニックなどの外部スタッフ、そしてこれらに参戦するドライバーや関係者に対して配布されたアイテムのみで使用できるものである[151]

しかし現在は、市販モデルのオーナーやファンのみならず、マスコミなどが長方形の紋章と混同して使用しているケースが多いだけでなく、フェラーリの市販モデルのフェンダー部に盾形の紋章が正規オプションとして用意されている他、一般向けに販売されているレプリカウェアや各種グッズにも盾形の紋章が使われているなど、本来の用途とは異なるかたちで使われることも多い[152]

スパッドXIIIの前に立つバラッカ(1916年)

本来この紋章は、第一次世界大戦時にイタリア空軍のエースだったフランチェスコ・バラッカが、自身の搭乗する戦闘機に付けていた[153]。その由来には複数の説がある。

  • 元々はバラッカが空軍に移る前に所属していた、イタリア陸軍第11山岳騎兵連隊の紋章であった。その後バラッカは空軍に移り、第91a飛行隊に所属。それに伴い、この紋章も部隊のエンブレムとなっていた。
  • バラッカがドイツ空軍機を撃墜した際、その機体にはパイロットの出身地シュトゥットガルト市の紋章である跳ね馬が描かれており、バラッカと彼が所属する第91a飛行隊はそのアイデアを頂戴した[154]

1923年、アルファロメオワークスドライバーだったエンツォ・フェラーリは、ラヴェンナで行われたチルキット・デル・サヴィオで優勝した。このレースを観戦していたパオリーナ夫人(バラッカの母親)はエンツォに亡き息子のシンボルであった跳ね馬の紋章を使うよう勧めた[155]。第91a飛行隊にエンツォの兄アルフレードが所属していた縁もあり、エンツォもこの申し出を受け入れた。ただし、研究家によっては「英雄の母親とはいえ息子の部隊章の使用許可を与える権限はなく、この話はエンツォの創作ではないか」と考察している[156]。1932年、スパ24時間レースに出場したスクーデリア・フェラーリのマシン(アルファロメオ製)に初めて跳ね馬の紋章が付けられた[157][158]

フェラーリと共に高スポーツカーの代名詞とされるポルシェの社章にも跳ね馬があしらわれているが、これはポルシェの本社があるシュトゥットガルト市とそれを含むバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせたものであり、偶然ではあるが両社はエンブレムの由来でつながりを持つ。

コーポレートカラー[編集]

「ジャッロ・モデーナ」塗装が施されたF430

フェラーリの「イメージカラー」としては赤(ロッソ)が非常に有名であり、「赤がコーポレートカラーである」というイメージが浸透しているが、この色はそれ以前にモータースポーツにおけるイタリアのナショナルカラーであり、アルファロメオやチシタリア、スクーデリア・イタリアなど他のイタリアの自動車会社やレーシングチームでも使用されている[159]

本来のフェラーリのコーポレートカラーは会社があるモデナ県のカラー「黄色(ジャッロ)」であり、フェラーリの黄色い外板色の名前は「ジャッロ・モデーナ」とされている。また「跳ね馬」の社章の背後にもコーポレートカラーがあしらわれているが、これはシュトゥットガルト市の紋章の背景が黄色だったため(ただしポルシェのエンブレムは金色)。

現在では「ロッソ・スクーデリア」や「ロッソ・コルサ」、「ロッソ・フィオラノ」や「ロッソ・フオッコ」など数パターンの赤系の色が用意されている[160]。また暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車の新車発表時には、車種によっては赤色と黄色の車両も用意するように配慮されている。

ブランド展開[編集]

ブランド維持への取り組み[編集]

イギリスのブランド価値調査機関ブランド・ファイナンスがまとめた報告では、Googleコカ・コーラを抑えて2013年の「世界で最もパワーのあるブランド」に選ばれた[161]。モータースポーツに直結したスポーツカー専業メーカーとしてのブランドイメージを重視しており、市場人気があるものの、モータースポーツとは関係が少ない、もしくは全くないSUVやエンジン不要の電気自動車 (EV) には参入しない方針を示している[162][163]

2012年には同社にとって過去最高の営業利益と販売台数を記録したが[164]、エンツォ・フェラーリ時代よりモンテゼーモロ時代に至るまで伝統的に維持してきた、オーナーに対する「飢餓感」を維持するために恣意的に生産台数を抑えており、2013年にはあえて生産台数を7000台以下に抑えると発表した[165]

ブランドビジネス[編集]

「フェラーリ・ストア」ミラノ店

世界的に高い知名度とブランドイメージを活かして、各種企業とライセンス契約を結び、自動車関連から装飾品、衣類、コンピュータ玩具自転車、インテリア、さらには携帯電話に至るまで様々なフェラーリ公式グッズの販売が行われている[166]。これらの契約金は本業以外の大きな収入源となり、フェラーリの全収益の約30%を占めている。

知的財産権に関する取り組みとして、1999年にマテルがフェラーリと商品化権を独占的に使用する締結を結び、これ以降他社はフェラーリのミニカーを基本的に生産、販売できなくなり、世界中の自動車メーカーがライセンス契約の表記を掲載するようになった。また、海賊品や並行輸入業者によるエンブレムやブランドロゴの不正使用の取り締まりを、世界各地の担当者による調査を通じて日常的に行っている。

なお、ローマミラノ、アブダビやドバイにある「フェラーリ・ストア(Ferrari Store)」の店舗や公式ウェブサイト内で、フェラーリの公式グッズやミニチュアカー、衣類や純正パーツなどを利用した装飾品の販売を行っている[167]

テーマパーク[編集]

2009年11月には、アラブ首長国連邦アブダビにフェラーリのテーマパーク「フェラーリ・ワールド」が開園した[168]。同パーク内には、世界最高速を誇るジェットコースターやドライビングシミュレーター、フェラーリ本社前にあるレストラン「カヴァリーノ」の初の支店などがある。また2017年には、スペインにも「フェラーリ・ランド」がオープンした[169]

日本における販売[編集]

6大市場の一角[編集]

フェラーリジャパン株式会社
Ferrari Japan K.K.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 FJ
本社所在地 日本の旗 日本
東京都港区六本木
設立 2008年
事業内容 自動車の輸入及び卸販売
代表者 代表取締役社長 リノ・デ・パオリ[170]
主要株主 フェラーリ[171]
主要子会社 Ferrari Financial Services Japan[172]
関係する人物 マルコ・マティアッチ(元社長)
外部リンク フェラーリ・ジャパン フェイスブック公式ファンページ
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歴史が比較的長い上に販売台数が多く、また重要顧客が多い日本は、母国のイタリアや、伝統的に販売台数が多いイギリスやアメリカ、ドイツ、そして2010年代前半に販売台数が急増していた中華人民共和国と並び、フェラーリの最重要市場である「6大市場」の1つとされており、実際に世界でも数少ない現地法人と北東アジア本部(「フェラーリジャパン&コリア」として日本と大韓民国を統括)も置かれている。

なお、日本での歴史についてはフェラーリ自らの見解が混乱しており、2016年には、1966年新東洋企業による正規輸入開始から逆算して「日本での販売開始50周年」としていた[173]

しかし、これより5年遡る2011年7月には、東日本大震災のチャリティーパーティーのために来日したモンテゼーモロ会長とフェラーリ・ジャパン社長のハーバード・アプルロスが、1976年コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドによる正規輸入権利取得から逆算して「日本での販売開始35周年」であったと発表している[174]

1960年-1965年[編集]

250GT・パッソ・コルト
当時の正規輸入代理店によって東京モーターショーに展示されたF430スクーデリア(2007年)

創立から1965年までは、日本国内にフェラーリと契約を結んだ正規輸入及び販売代理店は存在しておらず、また日本国内での知名度も殆ど無かった事もあり、日本への輸入台数もマニアによる個人輸入という形でごく少量に留まっていた[175]。なお、初めて日本にフェラーリが輸入されたのは1960年代の初頭で、1963年には、鈴鹿サーキットで開催された「第1回日本グランプリ」に、ピエール・デュメイが「250GT・パッソ・コルト」参戦している[176]

1965年-2008年[編集]

1965年に新東洋企業が初の正規輸入及び販売代理店となった。なお、日本で初めて正規輸入車として登録されたフェラーリは、1966年に登録された275GTBである[177]

その後1968年から1972年までは西欧自動車、1971年から1974年までは西武自動車販売、1975年から1978年まではロイヤル・モータース、1976年から2008年(1976年から1978年までは、ロナルド・ホーア大佐率いるイギリスのマラネロ・コンセッショネアーズの香港支店を経由した並行輸入扱い[178])まではコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドが、フェラーリの正規輸入及び販売代理店として、輸入と販売、整備を担当していた。

しかしこれらの企業は、資金力や販売戦略の観点からショールームやサービスセンターの数を増やすことには消極的であったため、並行輸入車が年間輸入量の半数以上を占めることもあった[179]上に、1976年から輸入販売を行っていたコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドは、当時日本へ輸入されたフェラーリの多くを占めていた並行輸入車の整備を受け付けていなかったことから[180]1991年11月のモンテゼーモロの社長就任以降、全世界規模で正規販売代理店の展開を拡大すると同時に、正規サービスセンターの展開を拡大することで、既存オーナーへのアフターサービスの充実を図っていたフェラーリの戦略と齟齬をきたすようになっていた。

また、1980年代後半のバブル景気以降、日本市場がフェラーリにとってイタリアやアメリカ合衆国ドイツイギリスと並ぶ主要市場として重要な存在となったこともあり、フェラーリの全世界戦略を直接反映できる本社直轄法人の設立が急務とされ、2000年代中盤に入ると本格的な検討が始まった[181]

フェラーリ・ジャパン設立[編集]

その後2008年2月には、フェラーリ本社直轄の日本法人の設立を発表[182][183]するとともに設立準備室が設けられ、同年7月1日から東京都港区に本拠を置くフェラーリ本社直轄の日本法人である「フェラーリ・ジャパン」が設立され、業務を開始した[184]

それ以降は、同社が日本国内における輸入及び正規販売代理店に対する卸販売、アフターサポート、マーケティング及び広報業務、F1や「フェラーリ・チャレンジ」、「XXプログラム」などのモータースポーツ活動に関する支援などを行うことになり、拡販とアフターサービスの充実を目的に、これまでフェラーリと直接契約を結ぶ正規販売代理店がなかった中四国地方九州地方に正規販売代理店を開設、北海道東北地方北陸地方に整備と正規パーツの販売と認定中古車の販売を行う正規サービスセンターを開設するほか、東京都や神奈川県、兵庫県や愛知県内にも新たな正規販売代理店や正規サービスセンターを開設するなど、ネットワークを全国に広げている。

さらに千葉県富里市に納車前整備を行うPDIセンターを設けたほか、正規サービスセンターのメカニックの教育を目的とした施設「フェラーリ・アカデミー」も設けられている。また上記のように、現在はフェラーリ・ジャパンが「北東アジア地域本部」として日本と韓国市場を統括している[185]

販売および整備[編集]

ロッソ・スクーデリアのショールーム(東京都港区

フェラーリ・ジャパンと正規販売代理店契約を結んだコーンズ・モーター(東京都大阪府愛知県)、ロッソ・スクーデリア(東京都)、ニコル・コンペティツォーネ神奈川県)、オート・カヴァリーノ(兵庫県)、エムオート・イタリア(広島県)、ヨーロピアン・バージョン(福岡県[186])、エムアイディ・サッポロ(北海道)の7社が正規販売代理店となっており、新車の販売や認定中古車の販売、整備や正規パーツの販売、フェラーリ・チャレンジへの参加受付や各種サポート、フェラーリ・クラシケの承認受付[187]などを行なっている。

また、これらの正規販売代理店に併せて、モデナ・スポーツ・カーズ(北海道)、イデアル宮城県)、グランテスタ(長野県石川県)、オート・スペチアーレ (静岡県)が正規サービスセンターの指定を受けており、認定中古車の販売や整備と正規パーツの販売、フェラーリ・チャレンジへの参加受付や各種サポートも行っている。

これらの正規販売代理店と正規サービスセンターにおいては、正規輸入されたフェラーリのみならず、これまでに並行輸入された全てのフェラーリへの修理や整備(不法改造車や対応不可の改造がなされた車輛は除く)、正規パーツの販売も受け付けている。

その他[編集]

落札された250GT SWB
  • 毎年フランスで行われているクラシックカーイベント「サロンレトロモービル 2015」で、フランスの俳優アラン・ドロンが1963年から1965年まで所有していた「250GT SWB カリフォルニア・スパイダー」が、レトロモービル史上最高値の約21億円で落札された[188]。なおこの車は、長年手入れをされないままに、フランス国内の屋根付きの駐車場に放置されていたものであった。
  • 1980年代後半から1990年代前半にかけて、イタリア高級ボートメーカー「リーヴァ」とのコラボレーションで、高性能エンジンを搭載し深紅に塗装されたボート「リーヴァ・フェラーリ32」が製造された[189]。その後このようなコラボレーションは行われていないが、「フェレッティ・グループ」傘下となった「リーヴァ」[190]は、2015年以降スクーデリア・フェラーリの公式スポンサーとなっている。
  • 日本には「フェラーリ・オーナーズクラブ・ジャパン」と「フェラーリ・クラブ・ジャパン」の2つのフェラーリ公認のオーナーズクラブ以外にも、「ディーノ・クラブ・ジャパン」などのモデル別の非公認オーナーズクラブが存在する[191]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

経営陣および社員
モータースポーツ
関連人物


車体及び部品製造/サプライヤー
公式グッズ製造

外部リンク[編集]

フェラーリ ロードカータイムライン 1940年代-1960年代  Next ->
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FR スポーツ 125S 166S 195S 212エクスポート 225S 250MM 250モンツァ 250GT
ツールドフランス
250GT
SWB
250GTO 250LM
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エクスポート
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インター
195
インター
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250GT
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FR V12 365GTB/4 550マラネロ 575Mマラネロ 599GTBフィオラノ F12ベルリネッタ 812スーパーファスト
2+2 365GTC/4 365GT/4・2+2 400 400i 412 456 GT 456M GT 612スカリエッティ
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XXプログラム FXX/Evo 599XX/Evo FXX K/Evo