中野信治
中野 信治 | |
---|---|
![]() | |
基本情報 | |
国籍 |
![]() |
出身地 | 大阪府高槻市 |
生年月日 | 1971年4月1日(49歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1997 - 1998 |
所属チーム |
'97プロスト '98ミナルディ |
出走回数 | 33 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 2 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1997年オーストラリアGP |
最終戦 | 1998年日本GP |
中野 信治(なかの しんじ、1971年 4月1日 - )は、日本のレーシングドライバー。大阪府高槻市出身。
略歴[編集]
カート[編集]
実父の常治も家業と兼業しながら全日本F2選手権まで参戦したドライバーだった。父親の引退後、彼の意志を受け継いで、11歳の頃にカートレースを始める。1987年、香港で行われた国際カートGPで日本人初優勝(大会史上最年少優勝)して、無限のワークスドライバーに選抜された。
イギリス修行[編集]
1989年、18歳で全日本F3選手権に出場。翌年、中嶋企画のマネージメントで単身イギリスに渡り、野田英樹と共に中嶋悟の家に居候しながら、フォーミュラ・ボクスホールで修行した。
F3/F3000[編集]
1992年に帰国すると、全日本F3と全日本F3000にダブルエントリーしたが、結果を残せず中嶋企画を離れる。なお全日本F3では、スーパーノヴァ・レーシングから参戦し、その後同じくF1にステップアップする井上隆智穂をチームメートに戦った。
1993年は、同じスーパーノヴァ・レーシングから全日本F3のみに参戦し、1994年には、再び全日本F3と全日本F3000にダブルエントリーした。1995年よりavexのスポンサーを得て童夢入り。1996年はフォーミュラ・ニッポン参戦と平行して、童夢のF1テストカーF105のテストドライブも行った。
F1[編集]
1997年にプロスト・グランプリよりF1にデビューし、日本人5人目のF1レギュラードライバーとなる。成績は6位入賞2回。1998年はミナルディより参戦。1999年はジョーダンのテストドライバーを務めた。
CART[編集]
2000年よりホンダの誘いを受けてアメリカのCARTへ転向。オーバルトラックでのテスト中にクラッシュし、脳内出血により3戦を欠場した[1]。CARTには3シーズン参戦し、2002年には最高4位を記録したが、ホンダの撤退によりレギュラーシートを失う。2003年はIRLにスポット参戦した。
世界三大レース参戦[編集]
2005年よりスポーツカーレースに参戦し、日本人として初めて世界三大レース(F1モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レース)の全てに参戦した。2009年にはアジアン・ル・マン・シリーズで初代シリーズチャンピオンを獲得。2017年にはスーパー耐久にシリーズ参戦するなど、40歳を超えても現役活動を続けている。
現在[編集]
レーシングドライバー以外にも活躍の場を広げており、2009年6月には中日本自動車短期大学の客員教授に就任。その他、環境保護やチャリティー活動に積極的に取り組んでいる。
2016年よりDAZNのF1生配信の日本語での解説をつとめている。
2019年から鈴鹿サーキットレーシングスクールの四輪部門(SRS-Formula・SRS-Kart)のVice Principal(副校長)を務める(Principal(校長)は佐藤琢磨)[2][3]。また、無限のスーパーGTとスーパーフォーミュラのチーム監督にも就任[4]。
F1時代[編集]
1997年[編集]
中野は1996年の日本GP後にリジェのテストに参加し、セッティングや英語力の試験を受けた結果、チェーザレ・フィオリオ監督に認められて1997年のドライバー契約を結んだ。中野はカート時代より無限の支援を受けており、リジェは無限ホンダエンジンを搭載するチームだった。日本人ドライバーとしては中嶋悟(ロータス・ホンダ)に次ぐ良い条件でのF1デビューとなった。
しかし、シーズン開幕前にチームがF1チャンピオンのフランス人ドライバーのアラン・プロスト率いる「プロスト・グランプリ」に移行すると、すでに1998年からプジョーエンジンを搭載することが決まっていたため、中野の立場は微妙なものになった。
チームの力はエースドライバーのオリビエ・パニスに集中し、中野はテストの機会やセッティングの権限を与えられなかった。チームミーティングはフランス語で行われ、パニスは「シンジにも彼が走りやすい環境を作ってやってほしい」と同情したほどだった。負傷欠場したパニスの代役として出場したヤルノ・トゥルーリの活躍の陰にも隠れてしまったが、後半戦はテストも行えるようになり、ハンガリーGPではフェラーリのエディ・アーバインとの激しいバトルを制して6位入賞した。(他にカナダGPでも6位)
1998年[編集]
翌1998年はプロストから離脱し、開幕前まで所属チームが決まらなかったが、引退した片山右京の後任としてミナルディへ加入した。この時はイタリアでの契約交渉が不調に終わり、帰国前日にミラノでショッピングをしていたところ、当時ミナルディのオーナーだったガブリエレ・ルミとモンテナポレオーネ通りで偶然対面し契約に至らなかった理由を尋ねた所、中野の代理人が提示した条件が事実と異なっていた事が判った。そこで改めてその場で話し合いを持ち契約にこぎつけたというエピソードがある[5]。
チームの財政難と競争力の低いマシンの為に苦しいシーズンとなったが、シングルフィニッシュ4回[6] と見せ場を作った。また、日本人初の6戦連続完走を果たしている[7]。チームオーナーからも高評価を受けたが、チームには残れずシートを失った。
1999年[編集]
1999年にはジョーダン・無限ホンダのテストドライバーに就任。デイモン・ヒルがシーズン途中に引退を示唆した際にはレギュラー昇格の可能性があったが、ヒルが最終戦まで現役続行したためチャンスは潰えた。
年表[編集]
- 1982年~1987年 カートレーシング参戦
- 1989年 全日本F3選手権参戦 最高位7位
- 1990年 イギリス・フォーミュラ・ボクスホール、ヨーロッパ・フォーミュラ・オペル参戦 優勝1回 フォーミュラ・オペル・ロータス ヨーロッパ選手権シリーズ16位
- 1991年 フォーミュラ・オペル・ロータス ヨーロッパ選手権シリーズ10位
- 1992年 全日本F3選手権参戦 最高位8位 全日本F3000選手権参戦(NAKAJIMA PLANNING) 最高位9位
- 1993年 全日本F3選手権参戦(スーパーノヴァ) 最高位2位
- 1994年 全日本F3選手権参戦 優勝1回 全日本F3000選手権スポット参戦(acom RACING TEAM NOVA、NAKAJIMA PLANNING)
- 1995年 全日本F3000選手権参戦(スピードスターホイール、avex 童夢 with 無限) 最高位3位
- 1996年 フォーミュラ・ニッポン参戦(avex 童夢 with 無限) 最高位2位 シリーズ6位
- 1997年 F1参戦(プロスト) 最高位6位 シリーズ18位
- 1998年 F1参戦(ミナルディ) 最高位7位
- 1999年 F1ジョーダンテスト・ドライバー
- 2000年 CART参戦(ウォーカー・レーシング) 最高位8位 シリーズ24位
- 2001年 CART参戦(フェルナンデス・レーシング) 最高位8位 シリーズ26位
- 2002年 CART参戦(フェルナンデス・レーシング) 最高位4位 シリーズ17位
- 2003年 IRLにインディジャパン300及びインディ500でスポット参戦(ベック・モータースポーツ)
- 2004年
- 全日本GT選手権参戦(チーム国光 #100 ホンダ・NSX) 最高位8位 シリーズ13位
- インターナショナルポッカ1000kmレース参戦(チーム国光 #100 ホンダ・NSX) 2位
- 2005年 ル・マン24時間レース参戦(クラージュ・コンペティション #13 クラージュ・C60-H) リタイア
- 2006年
- ルマン・シリーズ参戦(クラージュ・コンペティション #13 クラージュ・C70) 最高位12位
- ル・マン24時間レース参戦(クラージュ・コンペティション #13 クラージュ・C70) リタイア
- 2007年
- 全日本スポーツカー耐久選手権参戦(M-TEC #16 クラージュ・C70) 最高位2位 シリーズ2位
- ルマン・シリーズ参戦(クリエーション・オートスポーツ #9 クリエーション・CA07) 最高位5位
- ル・マン24時間レース参戦(クリエーション・オートスポーツ #9 クリエーション・CA07) リタイア
- 2008年
- ルマン・シリーズ参戦(エプシロン・ユースカディ #21 エプシロン・ユースカディ・ジャッド)
- ル・マン24時間レース参戦(エプシロン・ユースカディ #21 エプシロン・ユースカディ・ジャッド) リタイア
- 2009年 アジアンルマンシリーズ参戦(ソラ・レーシング) 岡山国際サーキット 総合優勝
- 2011年 ル・マン24時間レース参戦(OAK ペスカロロ #49 BMW) 総合14位
- 2012年
- ル・マン24時間レース参戦(Boutsen Ginion Racing #45 オレカ・03ニッサン) 総合24位
- FIA 世界耐久選手権 第7戦富士スポット参戦 (ADRデルタ #25 オレカ03・ニッサン) LMP2クラス優勝・総合8位
- 2013年
- ル・マン24時間レース参戦(デルタ-ADR #25 オレカ・03ニッサン) リタイア
- FIA 世界耐久選手権 第6戦富士スポット参戦 (ADRデルタ #25 オレカ03・ニッサン) LMP2クラス5位・総合8位
- 2014年 ル・マン24時間レース参戦(Team Taisan #70 Ferrari・458)LM GTE AMクラス8位・総合28位
- 2015年
- アジアンルマンシリーズ 第1~2戦スポット参戦 (レース・パフォーマンス #8 オレカ・03R)LMP2クラス優勝・総合優勝
- マセラティ トロフェオグランツーリスモMCワールドシリーズ 第5戦鈴鹿スポット参戦 レース1・3位入賞
- 2016年
- ル・マン24時間レース参戦(レース・パフォーマンス #34 オレカ・03R)LMP2クラス18位・総合44位
- ヨーロピアンルマンシリーズ 第2戦スポット参戦 (レース・パフォーマンス #34 オレカ・03R)総合9位
- FIA 世界耐久選手権 第7戦富士スポット参戦 (マノー #45 オレカ・05)LMP2クラス11位・総合29位
- SUPER GT 第6戦鈴鹿1000kmスポット参戦 (Team TAISAN SARD #26 Audi R8 LMS)GT300クラス20位
- 2017年 スーパー耐久参戦(Modulo Racing Project #97 ホンダ・シビックタイプR)ST-TCRクラス シリーズ2位・2勝
レース戦績[編集]
フォーミュラ[編集]
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン[編集]
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | NAKAJIMA PLANNING | SUZ DNQ |
FSW 12 |
MIN Ret |
SUZ DNQ |
AUT Ret |
SUG 12 |
FSW 13 |
FSW 14 |
SUZ 16 |
FSW 17 |
FSW 9 |
NC | 0 |
1994年 | acom RACING TEAM NOVA | SUZ | FSW | MIN | SUZ | SUG | FSW | SUZ Ret |
FSW | FSW | NC | 0 | ||
NAKAJIMA PLANNING | SUZ Ret |
|||||||||||||
1995年 | TEAM avex 童夢 with 無限 | SUZ Ret |
FSW C |
MIN 7 |
SUZ Ret |
SUG 3 |
FSW Ret |
TOK 5 |
FSW 9 |
SUZ 8 |
11位 | 6 | ||
1996年 | SUZ 2 |
MIN 13 |
FSW Ret |
TOK 9 |
SUZ 6 |
SUG 7 |
FSW 3 |
MIN 2 |
SUZ 9 |
FSW 4 |
6位 | 20 |
フォーミュラ1[編集]
年 | チーム | シャーシ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | プロスト | JS45 | AUS 7 |
BRA 14 |
ARG Ret |
SMR Ret |
MON Ret |
ESP Ret |
CAN 6 |
FRA Ret |
GBR 11 |
GER 7 |
HUN 6 |
BEL Ret |
ITA 11 |
AUT Ret |
LUX Ret |
JPN Ret |
EUR 10 |
18位 | 2 |
1998年 | ミナルディ | M198 | AUS Ret |
BRA Ret |
ARG 13 |
SMR Ret |
ESP 14 |
MON 9 |
CAN 7 |
FRA 17 |
GBR 8 |
AUT 11 |
GER Ret |
HUN 15 |
BEL 8 |
ITA Ret |
LUX 15 |
JPN Ret |
NC | 0 |
(key)
アメリカン・オープンホイール[編集]
CART[編集]
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年 | ウォーカー・レーシング | レイナード・2Ki | ホンダ | MIA 8 |
LBH | RIO | MOT 14 |
NZR Wth |
MIL Ret |
DET 15 |
POR 11 |
CLE Ret |
TOR Ret |
MIS Ret |
CHI Ret |
MDO Ret |
ROA Ret |
VAN Ret |
LGA Ret |
STL Ret |
HOU 8 |
SRF Ret |
FON Ret |
24位 | 12 | |
2001年 | フェルナンデス・レーシング | レイナード・01i | MTY 18 |
LBH 12 |
TXS NH |
NZR 15 |
MOT 8 |
MIL 16 |
DET 13 |
POR Ret |
CLE Ret |
TOR 9 |
MIS Ret |
CHI 16 |
MDO 18 |
ROA 15 |
VAN 14 |
LAU Ret |
ROC 17 |
HOU 15 |
LGA Ret |
SRF 12 |
FON Ret |
26位 | 11 | |
2002年 | ローラ・B02/00 | MTY 15 |
LBH 12 |
MOT 10 |
MIL 18 |
LGA 14 |
POR 11 |
CHI 5 |
TOR 4 |
CLE 10 |
VAN 11 |
MDO 9 |
ROA 11 |
MTL 9 |
DEN 16 |
ROC 16 |
MIA 14 |
SRF 13 |
FON 15 |
MXC 14 |
17位 | 43 |
(key)
インディカー・シリーズ[編集]
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | ベック・モータースポーツ | ダラーラ | シボレー | HMS | PHX | MOT 11 |
INDY 14 |
TXS | PPIR | RIR | KAN | NSH | MIS | STL | KTY | NZR | CHI | FON | TXS | 29位 | 35 |
(key)
グランドツーリングカー[編集]
全日本GT選手権/SUPER GT[編集]
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | チーム国光 with MOON CRAFT | ホンダ・NSX | GT500 | TAI Ret |
SUG 8 |
SEP 15 |
TOK 10 |
TRM 9 |
AUT 10 |
SUZ 9 |
13位 | 9 | |
2016年 | Team TAISAN SARD | アウディ・R8 LMS ウルトラ | GT300 | OKA | FSW | SUG | FSW | SUZ 20 |
CHA | TRM |
TRM |
NC | 0 |
2018年 | Team TAISAN | GT300 | OKA |
FSW 15 |
SUZ | CHA | FSW Ret |
SUG | AUT | TRM | NC | 0 |
(key)
スポーツカー[編集]
ル・マン・シリーズ[編集]
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | クラージュ・コンペティション | クラージュ・LC70 | LMP1 | IST Ret |
SPA Ret |
NÜR Ret |
DON NC |
JAR 5 |
26位 | 4 | |
2007年 | クリエーション・オートスポルティフ | クリエーション・CA07 | LMP1 | MON | VAL | NÜR 5 |
SPA | SIL | SAO | 28位 | 4 |
2008年 | エプシロン・ユースカディ | エプシロン・ユースカディ・EE1 | LMP1 | CAT | MON | SPA | NÜR Ret |
SIL 12 |
NC | 0 | |
2009年 | オーク・レーシング | ペスカロロ・01 | LMP1 | CAT | SPA DNS |
ALG | NÜR | SIL | NC | 0 |
(key)
FIA 世界耐久選手権[編集]
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012年 | ADR-デルタ | オレカ・03 | LMP2 | SEB | SPA | LMN | SIL | SAO | BHR | FSW 1 |
SHA | 47位 | 4 | |
2013年 | LMP2 | SIL | SPA | LMN Ret |
SAO | COA | FSW 5 |
SHA | BHR | 26位 | 6 | |||
2016年 | マノー | オレカ・05 | LMP2 | SIL | SPA | LMN | NÜR | MEX | COA | FSW 11 |
SHA | BHR | 32位 | 0.5 |
(key)
ル・マン24時間レース[編集]
年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | ![]() |
![]() ![]() |
クラージュ・C60H-ジャッド | LMP1 | 52 | DNF | DNF |
2006年 | ![]() ![]() |
クラージュ・LC70-無限 | LMP1 | 35 | DNF | DNF | |
2007年 | ![]() |
![]() ![]() |
クリエーション・CA07-ジャッド | LMP1 | 35 | DNF | DNF |
2008年 | ![]() |
![]() ![]() |
エプシロン・ユースカディ EE1-ジャッド | LMP2 | 158 | DNF | DNF |
2011年 | ![]() |
![]() ![]() |
オーク・ペスカロロ・01 Evo-ジャッド | LMP2 | 313 | 14位 | 5位 |
2012年 | ![]() |
![]() ![]() |
オレカ・03-日産 | LMP2 | 325 | 24位 | 10位 |
2013年 | ![]() |
![]() ![]() |
LMP2 | 101 | DNF | DNF | |
2014年 | ![]() |
![]() ![]() |
フェラーリ・458イタリア・GT2 | GTE Am |
327 | 28位 | 8位 |
2016年 | ![]() |
![]() ![]() |
オレカ・03R-ジャッド | LMP2 | 289 | 44位 | 17位 |
脚注[編集]
- ^ "中野信治選手、ドクターストップによりやむなく3戦を欠場". HONDA.(2000年4月7日)2013年4月25日閲覧。
- ^ 鈴鹿サーキットのドライバー育成機関「SRS-Kart」「SRS-Formula」、中嶋悟校長が勇退して佐藤琢磨氏がPrincipalに - car watch
- ^ 鈴鹿サーキットの若手レーサー育成機関「SRS-Kart/Formula」新体制発表会。Principalに佐藤琢磨選手が就任 - Car Watch
- ^ 無限が2019年モータースポーツ活動概要を発表。中野信治がスーパーGT、スーパーフォーミュラで監督に - auto sport web・2019年1月12日
- ^ "藤本裕子スペシャル対談 レーシングドライバー 中野信冶さん". トランタンネットワーク新聞社.(2005年2月号)2013年4月25日閲覧。
- ^ 2010年からの10位入賞基準なら4度の入賞。
- ^ これ以前は1988年の中嶋悟及び1996年の片山右京の4戦連続完走が最高で、この記録が破られるのは2008年の中嶋一貴の11戦連続完走まで待つこととなる(ただし、完走扱いも含めれば2007年の佐藤琢磨が7戦連続完走の時点で更新されたとも解釈できる)。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 中野信治 公式ウェブサイト
- 中野信治公式ブログ『Driving my life』
- 中野信治 (@shinjinakano24) - Twitter
- 中野信治 (shinjinakano) - Instagram
|
|