トヨタ自動車のモータースポーツ

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1957年のオーストラリア1周ラリーに出場したクラウンの再現車。このレースへの参加がトヨタのモータスポーツ活動の始まりとされる。
トヨタ・TS050 HYBRIDをイメージして作られたスポーツカーコンセプト、GRハイブリッドスポーツ。トヨタのモータースポーツは近年市販車との距離を急速に縮めている

トヨタ自動車のモータースポーツでは、トヨタ自動車としてのモータースポーツ活動の歴史について記述する。

概要[編集]

トヨタ自動車モータースポーツ活動の最大の特徴は、ジャンルを問わない幅広さである。1960年代から今日に至るまで、プロトタイプカーツーリングカーGTラリーフォーミュラカーオフロードストックカーダートオーバルドラッグレースヒルクライムドリフトなどあらゆる四輪競技に競技者あるいは支援者の形で関わり、数多の勝利とタイトルを収めてきた。

世界選手権においてはWRCで3度、WECで1度マニュファクチャラーズタイトルを獲得した。また北米ではデイトナ500インディ500デイトナ24時間セブリング12時間パイクスピーク・ヒルクライムバハ1000といった主要レース全てで総合優勝したことがあり、インディカーNASCARIMSAフォーミュラ・ドリフトなどのマニュファクチャラーズチャンピオンにも輝いた。

2009年、自らもドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースなどに参戦する豊田章男が社長に就任して以降、モータースポーツ活動は「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の象徴としてトヨタの市販車と強く関連づけられるようになった。その姿勢の原点として、創業者である豊田喜一郎の言葉が引用されている[1]

これから、乗用車製造を物にせねばならない日本の自動車製造事業にとって、耐久性や性能試験のため、オートレースにおいて、その自動車の性能のありったけを発揮してみて、その優劣を争う所に改良進歩が行われ、モーターファンの興味を沸かすのである…単なる興味本位のレースではなく、日本の乗用車製造事業の発達に、必要欠くべからざるものである。 — 豊田喜一郎 、『オートレースと国産自動車工業』(1952年3月)

体制[編集]

1960年代の体制はトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)の2系列に分かれていた。自工は第7技術部(通称「ナナギ」)がスポーツプロトタイプを開発し、ワークス格の「チーム・トヨタ」が日本グランプリなどの主要イベントに参戦した。自販はトヨペットサービスセンター特殊開発部(通称「綱島[2]」)がツーリングカーのチューニングを行い、若手ドライバー主体のセミワークス的な活動を行った。

1971年にはワークス活動からクラブチームのTMSC-Rを支援するセミワークスに切り替えたが、オイルショックの影響で1974年に国内のレース活動を休止する。一方で海外では世界ラリー選手権 (WRC) に参戦する「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」への支援を継続した。

2000年には富士スピードウェイを買収し、約200億円を投じて近代化改修を行い[3]、2007年と2008年にはF1日本グランプリを開催。2012年からはWECを招致している。

なお1981年にレース活動を再開してからは、系列3部門が各地域のモータースポーツ活動を担当した。これらの部門の統括は従来本社のモータースポーツ部 (MSD) が担当していたが、2014年の組織改編でMSDは「モータースポーツユニット開発部」と名称を変更して技術系の業務に専念することになり、マーケティングについてはトヨタ全体のマーケティングを担当するトヨタモーターセールス&マーケティング(TMSM)に移管され分裂[4]

しかし2015年には組織改編で再びモータースポーツ活動全般の機能をトヨタ本社に集約することになり、新たに設けられた「モータースポーツ本部」が開発・マーケティングの双方を統括、「GAZOO Racing」の統一名称で活動を行うことになった[5]

現在のトヨタのモータースポーツ部署・子会社[編集]

GAZOO Racingカンパニー(GRカンパニー)
2017年に創設された社内カンパニー。車両開発をする部門、開発ドライバーやメカニックのなどの凄腕技能養成部、マーケティングのGR統括部の3部門によって構成され、トヨタのレース活動を統括する。総勢300名ほどの最小カンパニーで、本社・名古屋・東富士に拠点を置く。レースで得た知見を元に、「GR」ブランドやレクサスのFシリーズも含めた今度のトヨタの市販スポーツカー・スポーティグレードの製作を手がけ、その収益を元に永続的なモータースポーツ活動を行うことを目標とする[6]
東富士研究所
トヨタの市販車開発の最大拠点。「モータースポーツユニット開発部」で市販車に関連する技術を用いたパワートレインの開発を行っている。LMP1のハイブリッドシステム「THS-R」を用いたパワートレインや、GT500・スーパーフォーミュラ用ダウンサイジングターボであるNREのRI4Aはここが基礎研究・開発を担当した。ただし2015年末を持ってRI4Aの開発はトヨタテクノクラフトに移管している[7]。モータースポーツで社員育成を行う「凄腕技能養成部」も東富士に所属している[8]
トヨタ・レーシング・ディベロップメント (TRD) [9]
日本・アジア地域を担当。トヨタの100%出資子会社であるトヨタテクノクラフトのレース部門であり、自販特殊開発部を前身とする。現在はGT500・スーパーフォーミュラのエンジン開発、GT500におけるレクサスのシャーシ開発・エンジンチューニング、ヴィッツレースや86/BRZレース用車両のメンテナンスなどを行う。トヨタの市販車向けチューニングパーツの販売や、GRMNに代表されるコンプリートカーの開発・生産も行っている。
TRD U.S.A. Inc.[10]
北米地域を担当する、アメリカの販売会社米国トヨタ (TMS) の100%子会社。TOM'Sのアメリカ法人を買収して1979年に誕生した。カリフォルニア州コスタメサ及びノースカロライナ州シャーロットに拠点を置く。IMSACARTインディカー・シリーズへのエンジン供給を経て、現在はNASCAR、レクサスGT3、ラリーカー、ドラッグレースマシンなどの車両開発・供給を行う。また近年はCALTYが積極的にNASCARやドラッグレースマシンのデザインに加わっている[11]
TRD ASIA Co,.Ltd
2007年にトヨタテクノクラフトと豊田通商が共同出資してタイに設立。東南アジア地域を担当する。TRDタイランドを子会社に持っており、タイ国内レースやアジアクロスカントリーラリー、ニュルブルクリンク24時間レース、スーパーGTなどに参戦している[12]
Toyota Motorsports GmbH (TMG) [13]
世界選手権・ヨーロッパ地域を担当するトヨタの100%子会社。ラリーチームのTTE(アンダーソン・モータースポーツ)を前身とし、ドイツケルンに拠点を置く。WRCで黄金時代を築いた後、ル・マン24時間レースF1を経て、2012年よりFIA 世界耐久選手権に参戦。オレカとジョイントしてLMP1シャーシの開発とオペレーションを担当する。またトヨタのWRC用GREエンジン開発やカスタマー用ラリーカーの開発も手がける。シャーシデザイン、エンジン設計、風洞の貸し出し、R&D、EVの開発など自動車に関わる業務も広く手がける。

トヨタと関係の深いチューナー・プライベーターチーム[編集]

TOM'S
元トヨタドライバー館信秀とトヨタディーラー社員の大岩湛矣が1974年に共同設立。かつて「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタワークスのグループC活動をオペレーションし、SWCモンツァで優勝、ル・マン24時間で総合2位の成績を収めた。スーパーフォーミュラフォーミュラ・ニッポン)、スーパーGT全日本F3選手権で数多のタイトルを獲得している、国内トヨタ最強チーム。またF3ではシャーシコンストラクター・エンジンチューナーとしても優れた成績を残しており、2005~2015年にエンジンチューナー部門を11連覇した。トヨタの市販車向けチューニングパーツも販売している。
SARD
元トヨタ技術者加藤眞が1972年に設立したシグマオートモーティブを母体に1985年誕生。グループC時代にル・マン24時間に自製シャーシ・トヨタ製エンジンで参戦し、総合2位の好成績を収めた。現在はGT500に参戦し、2016年に王者になっている。市販車向けチューニングパーツ販売のほか航空機事業・マリン事業も手がけており、前者では室屋義秀をパートナーにしている。
INGING
トヨタカローラ山口が母体となって1995年に誕生。2004年全日本F3でタイトルを獲得。2008年以降はセルモとジョイントしてフォーミュラ・ニッポンに参戦、2015年・2016年のスーパーフォーミュラ王者となっている。スーパーGTではOTG MOTOR SPORTSとジョイントし、GT300クラスにLM corsaとして参戦。
セルモ
1991年に発足し、1995年のJGTCから一貫してトヨタ車をGTで運用している。2007年末にINGINGのオーナーである卜部治久がセルモのオーナーに就任したため、INGINGとの統合が進められている。スーパーGTのGT500クラスにはセルモ単独で参戦しており、2001・2005・2013年に王者となった。
apr
スーパーGTのGT300クラスで、2000年の誕生以来からトヨタのセミワークスとして活動している。MR2MR-Sで2002・2005・2007年にチャンピオン獲得。2012年からはハイブリッドマシンのプリウスの開発・運用を担当している。
トミ・マキネン・レーシング(TMR)
WRC王者トミ・マキネンが創設者・オーナーを務める、フィンランドのプライベーター。2017年に復帰したWRC活動のオペレーション・シャーシ開発を担当。
オレカ
ユーグ・ド・ショーナックが1973年に創設したフランスの名門コンストラクター。2012年以降のTMGのWEC活動をサポート。ラリーでもトヨタと関係のあるドライバーや車両を用いることがある。
ジョー・ギブス・レーシング
1992年に誕生したNASCAR強豪チームの一角。トヨタがカップ戦に参戦し始めた直後の2008年から現在までトヨタ・カムリを用いている。トヨタに初めてスプリントカップネイションワイドシリーズのドライバーズタイトルをもたらした。また当チームでドライバーズタイトルを獲得したカイル・ブッシュが運営するチームも、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズトヨタ・タンドラを使用し、ドライバーズタイトルを獲得している。
ケン・マツウラレーシングサービス
かつてF1にも関わったエンジンチューナー。トヨタの海外進出に伴いCART、NASCAR、WRCのエンジンチューニングに関わったが、いつからいつまでどのように関わったのか、などの実態には謎が多い。現在トヨタLMP1のエンジンチューニングに関わっているだけことは確かである[14]
尾川自動車
東名エンジンとともにフォーミュラ・ニッポンで鳴らしたエンジンチューナー。2006年以降トヨタと関わる様になり、スーパーフォーミュラのRV8JRI4A、GT300のMR-SカローラIS350プリウスなどのエンジンチューニング・メンテナンスを担当した[15]スーパー耐久86RCなどのエンジンメンテナンスも行っている。

ラリー・オフロード[編集]

初のマニュファクチャラーズ王者をもたらしたセリカGT-FOUR
3度目のマニュファクチャラーズ王者をもたらしたカローラWRC
2017年復帰初年度のヤリスWRC

1957年(昭和32年)、オーストラリア1周ラリーに招待され、クラウンで出場して完走、総合47位(外国賞3位)となった。これがトヨタのモータースポーツ活動の原点であるとされる。

その後、1973年(昭和48年)から1999年(平成11年)まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) がカローラレビンセリカスープラで参戦していた。1975年(昭和50年)の1000湖ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRC初制覇に始まり、TA64型セリカで1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)、1986年(昭和61年)とサファリラリー3連覇を達成した。

1988年(昭和63年)、WRC王座獲得を目指すべくツール・ド・コルス(フランス)でグループA規定のST165型セリカをデビューさせ、当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。そして1990年(平成2年)、ついにランチアを打ち破ってカルロス・サインツ組が日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得する(スペイン人としても初)。またST185型セリカにスイッチした1992年(平成4年)にもサインツはチャンピオンになる。

1993年(平成5年)には日本の自動車メーカーとして初めてマニュファクチャラーズタイトルを獲得(ドライバーズとの2冠)、1994年(平成6年)も続けてダブルタイトルを制覇した。1994年(平成6年)のサンレモ・ラリーユハ・カンクネンの手でそれまでのST185型セリカに変わってST205型セリカがデビューした。

1995年(平成7年)はST205の開発がうまくいかず、わずか1勝と苦戦。そしてラリー・カタルーニャでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施すという行為が発覚した。エアリストリクターが装着されたトランペット状の部品単体では問題ないが、エンジンに取り付けると吸気の負圧でパーツがスライドして隙間ができ、その隙間から空気を吸入しパワーを上げるというものだった。国際自動車連盟 (FIA) は1995年(平成7年)シーズンのドライバー及びマニュファクチャラーの全ポイント剥奪と1996年終了までの出場停止処分を発表した。トヨタ側はこの処分を重く受け止め、さらに一年間活動を自粛したが、後にトヨタ復帰を願う声を受けて1997年の終盤にテストを兼ねて参戦を再開した。

このときセリカ譲りの3S‐GTEエンジンを搭載した、よりコンパクトなカローラWRCへとスイッチしており、このWRカーはすぐにタイトルを争う戦闘力を発揮。1998年(平成10年)はオリオールに加えて、サインツがフォードから移籍。サインツが開幕戦で優勝を飾るなど2勝をマークし、マニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終えた。最終戦はサインツがタイトルまであとわずか数百メートルというところでエンジンブローという悲劇的なものだった。

1999年(平成11年)は優勝こそチャイナ・ラリーのみだったもののコンスタントに入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはWRC撤退とF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は7度のタイトルと43度の勝利を持って幕を閉じた。

2015年(平成27年)1月30日にトヨタはWRCへの復帰を表明し、2017年(平成29年)からヤリスWRCで参戦開始[16]。シャーシ開発とオペレーションをトミ・マキネン・レーシング、エンジン開発はTMGが担当する。開幕前はマシン開発の遅れが懸念されていたが、フォルクスワーゲンから移籍してきたエースのヤリ=マティ・ラトバラが復帰初戦ラリー・モンテカルロで2位表彰台、2戦目のラリー・スウェーデンで早くも優勝を果たした。

通算成績:ドライバーズタイトル4回・マニュファクチャラーズタイトル3回・通算勝利数45勝。

ラリーレイド・オフロードレース[編集]

2007年CORRに参戦するタンドラ

1983年にカール・ウェルズのPPI(Precision Preparation, Inc.)を支援する形で、北米のラリーレイド及びクローズドで開催されるオフロードレースに参戦。初年度でSCOREインターナショナルのドライバー・メーカータイトルを獲得した。以降1984年から1999年までオフロード界を席巻し、MTEGのマニュファクチャラーズタイトルを11連覇した。その後もタンドラタコマがトラックを用いたオフロードレースで現在に至るまで圧倒的な活躍を見せ、MTEG、CORRTORCなどの各団体で圧倒的な数の総合タイトルをさらっていった[17]。また1992年と1999年にはバハ1000で総合優勝を果たしている。

北米以外では、1995年からはトヨタ車体がTLC(チーム・ランドクルーザー)を組織してランドクルーザーダカールラリーに挑戦しており、市販車無改造のディーゼル部門において1996年から2017年までの21回の開催中、6連覇を2度含む17回のクラス優勝を手にしている[18]

2012年からは南アフリカ法人のトヨタが改造したハイラックスで総合優勝に挑戦、2017年までで最高2位の成績を収めている。このハイラックスはクロスカントリーラリー・ワールドカップにも参戦しており、2016・2017年にナッサー・アル=アティヤのドライブでドライバー・チームタイトルを獲得している[19][20]。。

スポーツカー耐久[編集]

日本グランプリ[編集]

トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年(昭和41年)の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前の2000GTで純粋なレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380に後れを取っていた。

トヨタは1967年の第4回日本グランプリを欠場して、翌1968年(昭和43年)に自社初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他のレースで勝利を収める。日産が日本グランプリ以外に消極的であったのに対して、トヨタは耐久レースに積極的に参戦したため「耐久のトヨタ」と呼ばれた。

1969年(昭和44年)には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本Can-Amも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたも涙を飲む。

翌年に向けてトヨタは日本初の5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したため、トヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降1980年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。

ル・マン挑戦[編集]

GT-One (TS020)、2005年撮影
TS040 HYBRID、2014年撮影

1975年(昭和50年)にはシグマ・オートモーティブ(SARDの前身)にエンジンを供給し、シグマ・MC-75がル・マン24時間レースに参戦した。また、1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマ・MC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。

1982年(昭和57年)に世界耐久選手権(WEC)の日本ラウンド (WEC-JAPAN) が初開催されると、童夢トムスが共同開発したグループCカー、トムス童夢・セリカCにWRC用エンジンをベースにした4気筒ターボエンジンを供給した。

1983年(昭和58年)から始まる全日本耐久選手権(1987年(昭和62年)より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)にも参戦。童夢とトムスの共同開発によるトムス・83C(1983年) - 88C1988年(昭和63年))を経て、8気筒ターボエンジンを新開発し、88C-V(1988年) - 92C-V1992年(平成4年))を送り込む。1987年(昭和62年)からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始。TRDが開発を主導することになり、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。

1985年(昭和60年)からはル・マン24時間レースにも参戦を開始し、1989年にはイギリスのトムスGBを拠点として世界スポーツプロトタイプ選手権 (WSPC) にもフル参戦する。ル・マンには1990年(平成2年)まではターボエンジン車で参戦し、1992年、1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦し、1992年には2位、1993年にC2クラス優勝を獲得している。1994年には92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる(LMP1/C90クラス優勝)。

1992年にはスポーツカー世界選手権 (SWC) 第1戦のモンツァで、日本の小河等が優勝している。

1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけては、TTEを中心に開発したToyota GT-One (TS020) でル・マンに参戦。マシン性能は他社に比べて優れていたが、マシントラブルのために最高成績は1999年の総合2位止まりに終わる(LMGTPクラス優勝)。

その後はF1参戦のため途絶えていたが、2012年ハイブリッドエンジンを搭載するTS030 HYBRIDで、ル・マン24時間を含むFIA 世界耐久選手権に復帰。オペレーションはTMGとオレカがジョイントして行うことになった。日本人ドライバーとして石浦宏明が参戦する予定であったが、腰を痛めていたこともあり中嶋一貴が代わりに参戦、そのままレギュラーとなった。

TS030はル・マンでは途中首位を奪うシーンもあったものの、2012年は2車ともリタイヤ、翌2013年のル・マンは2位と4位に終わった。しかしWECでは活躍し、2012年のFIA 世界耐久選手権6戦と2013年のFIA 世界耐久選手権全8戦の計14戦中5勝を挙げた。

2014年からはトヨタ初の四輪駆動LMP1であるTS040 HYBRIDを投入した。ル・マンでは中嶋一貴が日本人で初めてPPを獲るものの、豪雨でのクラッシュとマシントラブルで3位に終わった。一方WECでは全8戦に出場し5戦で優勝したことによりマニュファクチャラーズランキングとドライバーズランキング(トヨタ2車が同点優勝)の両方で悲願のスポーツカーの世界選手権タイトル獲得を果たした。

2015年は、大量の開発費を投入してル・マンで5秒ものタイムゲインをしたポルシェ・アウディについていくことができず、良いところ無く一年を終えている。

2016年はル・マンで勝利することのみを主眼に置いたTS050を、突貫で開発し一年前倒しで投入。その甲斐あってル・マンでは終始有利な展開で進めたが、残り数時間で2位争いをしていた小林可夢偉がスピンし、ポルシェに2位を盤石にされる。さらに残り6分でトップ快走中の中嶋一貴のマシンに駆動系トラブルが発生、ホームストレート上にストップし、ル・マン制覇の悲願は露と消えた。またWECでは苦戦を強いられたが、富士では戦略とこの年デビューした小林可夢偉の頑張りによって2秒差でアウディから逃げ切って約二年ぶりの勝利を挙げた。

2017年は三台体制となり、3台目に前年スーパーフォーミュラ王者の国本雄資がエントリーした。ル・マンでは小林可夢偉がコースレコードを更新する走りで予選ポールポジションを奪取。決勝も最初の6時間を1-2体制でレースを支配したものの、3台ともトラブルに見舞われた。特にトップを快走していた7号車のトラブルは、夜間のSC中のピット出口の赤信号で止まっていたところ、マーシャルと同じ橙色のレーシングスーツを着たアマチュアドライバーが応援のためにサムアップしに来たのを、発信可の合図と勘違いした結果起きたという信じられないアクシデントによるものだった。結局この年は8号車が総合8位(クラス2位)に入るにとどまった。

北米スポーツカーレース[編集]

イーグル・マークIII

1968年SCCAに2000GTが参戦したのが、トヨタの北米スポーツカー初参戦となる(年間クラス4位)。その後はトヨタ・7での北米進出を目論んだが、前出の通り頓挫した。

1981年にIMSAのGTUクラスにセリカを投入。1983年にはダン・ガーニー率いるオール・アメリカン・レーサーズ (AAR) と提携し、1985年にGTOクラス初優勝を経て、1987年に日本メーカーとして初めてGTOクラスタイトル獲得した。

1989年よりIMSA最高クラスのGTPクラスにステップアップ。1991年にはトヨタの2.1リッター直4ターボエンジン(3S-G改)を搭載するイーグル・マークIIIを投入し、1992年と1993年にドライバーズ(ファン・マヌエル・ファンジオ2世)とマニュファクチャラーズタイトルを連覇、1993年デイトナ24時間レースと1992・1993年セブリング12時間レースでも勝利を収めた。なお1993年のタイトルは全戦全勝で収めている。

2004年から2009年にもレクサスのエンジンを供給する形でグランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに参戦、チップ・ガナッシとともにデイトナ24時間を3連覇、2008年のドライバーズタイトルを獲得している。

ニュルブルクリンク24時間レース[編集]

2010年のLFA
2016年のC-HR Racing

ニュルの耐久レースに始めて参戦したのは、1973年のセリカ1600GTが初であった。6時間耐久であったこのレースには、後に豊田章男の人生の師となる成瀬弘もドライバーとして参戦していた。ピットのガレージを用意してもらえず、傘をさして屋外で作業するなど過酷な環境の中2リットルクラスで優勝(総合6位)し、会場から拍手が巻き起こった[21]。なおこのセリカは同年スパ24時間にも参戦し、クラス優勝(総合9位)を獲得している[22]

2005年にはハイブリッドカーのレクサス・RX400hで参戦。完走させることに成功した。

2007年にはチームGAZOOとして当時のトヨタ副社長である豊田章男が社員だけで構成されたチームを率いて、SP3クラスにアルテッツァRS200二台で参戦[23]。当初は「トヨタ」を名乗ることが許されなかったというが、豊田が社長に就任してからも差別化のためかあえて「トヨタ」を名乗らずに活動を続けた。なお、現在も用いられている黒と赤の「GR」のロゴは2010年から使われている。

2008年には発売前のLFAがSP8クラスに参戦。以降2009~2011年にLFAの2台体制で参戦、2010年にクラス優勝した。なお、このとき同じピットであったアストンマーティンのCEO・ベッツと章男は親交を深め、2012年のVLNのコラボレーション参戦や、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットの誕生が実現している。

2012~2013年はLFAを1台に減らし、代わりにこの年発売となった86を2台採用した。2013年にLFAがSP8、86がSP3クラスで優勝を飾った。

2014年はLFA、86各1台に加えてLFAの特別仕様車「LFA Code X」がSP-PROクラスに参戦。3クラス全ての参戦車両がクラス優勝を収めた。

2015年はLFA Code XとレクサスRCの二台体制で、LFA Code Xが前年に引き続きクラス優勝した。

2016年はレクサス・RCとRC-Fに加え、2005年以来となるSUVのC-HR Racingが参戦。これに市販車C-HRの開発責任者も乗り込み、燃料計算のミスなどはあったものの完走。半年後の発売に向けて実りあるテストになった。

2017年はSP3TクラスにRC一台のみで参戦。スバル・WRX、アウディTT RS2との三つ巴の戦いの中、スバルを上回るクラス2位を獲得した。

フォーミュラカー[編集]

2003年インディ500を制した、チーム・ペンスキーのGフォース・トヨタ
2010年1-2フィニッシュを決めるフォーミュラ・ニッポントムス

フォーミュラにおけるトヨタは、1974年にイタリアのノバ社がチューニングしたトヨタ2T-GエンジンがヨーロッパのF3界を席巻したことに始まる。特にイギリスF3では9年連続でチャンピオンエンジンになる強さを見せた。このエンジンは日本にも逆輸入され、1979年から始まった全日本F3選手権でも他メーカーを圧倒した。そのため中嶋悟が1978年にイギリスF3に参戦した際もトヨタエンジンを用いている。 1980年代にはトムスがチューニングした3S-GTEエンジンがヨーロッパや日本のF3で用いられ、こちらもライバルの無限を圧倒して多くのタイトルを獲得している。またマカオGPでも通算7勝を挙げる活躍を見せており、1983年アイルトン・セナがマカオGPを制したときのマシンもトヨタエンジンを搭載していた[24] [25]。全日本F3へのエンジン供給は現在まで続いている。また1989年から2005年までフォーミュラ・アトランティックにTRD USAのチューニングした4A-GEエンジンを供給したり、1991年から2007年までフォーミュラ・トヨタを主催するなど、育成としてのフォーミュラには特に積極的であった。

トヨタ初のトップフォーミュラ参戦は1996年(平成8年)アメリカのチャンピオンシップシリーズ (CART) である。エンジン供給の形で、IMSAでもジョイントしていたAARと参戦したが、当初は戦闘力も信頼性も無くエンジンの熟成には時間を要した。しかし2000年(平成12年)にはファン・パブロ・モントーヤのドライブでCART初勝利を達成。2002年(平成14年)にはドライバーズ(クリスチアーノ・ダ・マッタ)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。

2003年(平成15年)からはホンダと共にインディカー・シリーズへ転身し、世界3大レースのひとつであるインディ500を日本メーカーとして初めて制覇。さらに参戦初年でドライバーズ(スコット・ディクソン)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。2005年にNASCARに集中するとして撤退。

F1にはシャーシ・エンジンとも自製するフルコンストラクターとして2002年(平成14年)から参戦。2009年(平成21年)シーズン終了後に撤退を表明した。ポールポジション3回と13回の表彰台を獲得したが、コンストラクターランキングは最高4位に留まり、優勝は一度も達成できなかった。

国内では2006年(平成18年)より現在までフォーミュラ・ニッポンスーパーフォーミュラにエンジンを供給している。2017年までトヨタ勢はホンダ勢を圧倒し続けており、12年間の参戦でドライバー・チームタイトルを10回ずつ獲得している。

ツーリングカー / GTカー[編集]

JGTCに参戦したスープラ
2014年SUPER GTのGT500クラスに参戦したRC-F

1963年(昭和38年)に初開催された日本GPパブリカコロナクラウンが出場。「レースには積極的に関与しない」という国産メーカー間の紳士協定の裏で、トヨタ自工は密かにチューンした「裏ワークスマシン」を投入して出場3クラスを制覇した。その成績を大々的に宣伝したことがプリンスなど他メーカーを刺激し、ワークス対決のきっかけとなる。

市販車ベースのレースでは、2000GT1600GTS800が活躍した。1966年の鈴鹿1000kmレースでは二台の2000GTでワンツーフィニッシュ、翌年も鈴鹿500kmレースで優勝、1967年の富士24時間レースではスポーツ800とともに3台揃ってデイトナフィニッシュする完勝を収めた。1600GTのプロトタイプは「RTX」の名で自工ワークスが使用し、ツーリングカーの公認を得てからはプライベーターにも愛用され、日産スカイライン2000GTの牙城を崩した。

1970年代はカローラ / スプリンターセリカスターレットなどが活躍。ワークス活動休止後はプライベーターに放出され、マイナーツーリングレースで激戦を展開した。1982・1986・1987年にはイギリスツーリングカー選手権(BTCC)でカローラがドライバーズ王者マシンになった。1991年から1995年にはワークスで参戦し、多くの勝利を挙げたもののタイトル獲得はならなかった。

1994 - 1998年には全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦し、ドライバー部門で2度、チーム部門で1度タイトルを獲得。1994年(平成6年)第4戦からは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラで4回、2006~2013年はレクサスSCで3回、2014年~2016年はRC Fで1回のドライバーズタイトルをそれぞれ獲得している。2017年からはLC500で参戦し、初年度にタイトルを達成した。

GT300クラスにもレクサスISMR-Sで参戦、MR-Sではaprの運用により3回のドライバーのドライバーズタイトルを獲得した。2009年からはカローラアクシオ、2012年よりプリウスに車両が変わっている。また2015年よりLM corsaによってRC F GT3が参戦している。また開発・生産には関わってはいないが、2015年から導入されたマザーシャシーに86の外観が用いられている。

2017年からはレクサス RC-F GT3で海外にも戦場を求め始めており、IMSAのGTDクラスと欧州のGTオープンにセミワークス参戦を開始している。

NASCAR[編集]

2000年(平成12年)、アメリカのストックカーレースであるNASCARのグッディーズダッシュシリーズにV6エンジンのセリカで参戦したのが最初である。2001年、2002年と総合2位になった後、2003年には初めてNASCARの主催するシリーズでドライバーズタイトルを獲得した。

2004年(平成16年)にはNASCAR三大シリーズの一つであるクラフツマントラックシリーズ(現・キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にタンドラでステップアップ。三年目の2006年(平成18年)にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得。その後2017年に至るまで当シリーズで最もマニュファクチャラーズタイトル獲得数の多いメーカーとなって猛威を振るっている。

2007年(平成19年)からは最高峰カテゴリーにあたるネクステルカップシリーズ(現・モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)とブッシュシリーズ(現・ネイションワイド・シリーズ)へカムリで参戦。2008年(平成20年)のスプリントカップ第4戦で、外国車メーカーとしては1954年(昭和29年)のジャガー以来、日本車メーカーとしては初となる最高峰カテゴリーでの優勝を果たした。

2015年にはカムリを駆るカイル・ブッシュが骨折により開幕戦から11戦目まで欠場という絶望的な状況を大逆転し、日本車初の最高峰でのドライバーズタイトルをもたらした。2016年にはデニー・ハムリンがやはり日本車初となるデイトナ500優勝、シリーズでも日本車初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。なお2016年はエクスフィニティ・シリーズでドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキー、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでもマニュファクチャラー・オーナー・ルーキータイトルを獲得しており、三大シリーズ戦のマニュファクチャラー部門全てをトヨタが制す大成功の年となった[26]

その他のアメリカンモータースポーツ[編集]

2007年ソアラのファニーカー

ドラッグカー最大のシリーズであるNHRAに2002年からTRD USAの開発したセリカベースのマシンで、ファニーカークラスから参戦を開始。2004年に初勝利を挙げ、2008年にソアラ、2015年にカムリでクラスタイトルを獲得した。最高峰のトップフューエルクラスにはマルコ・ツールズとジョイントして2010年に転向、その年にタイトルを獲得。その後2011年・2012・2015・2016年にもドライバーズタイトルを勝ちとった[27]

パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも参戦しており、TRD USAが開発したセリカGT AWDターボをロッド・ミレンがドライブし、1994・1996・1997年に総合優勝。1998~1999年はタコマにマシンを替えてこれも連覇、合計5度の総合優勝を成し遂げている。なお1994年のコースレコードは、2007年に破られるまで最速タイムであった。2012年にもTMGの開発したEVユニットを搭載した『EV P002』[28]哀川翔率いるチームのもと参戦し、EVクラス優勝(総合6位)を果たし、コースレコードも樹立した[29]

フォーミュラ・ドリフトでは若者向け北米限定ブランドサイオンのチーム『サイオン・レーシング』を組織して2008年から参戦。マシン開発及び具志堅士郎らの支援をして、4度のマニュファクチャラーズカップを獲得した[30]。サイオンブランドが廃止になって以降もトヨタ・レーシング名義で参戦している。 日本のD1グランプリではワークスでは関わってはいないが、OTGモータースポーツは2013年から86にTRD USA製のNASCARのV8エンジンを搭載している。

ダートオーバルにも参画しており、2006年からUSACの主催するミジェットカー・スプリントカーレースにエンジンを供給している[31]

普及活動[編集]

アマチュアおよびモータースポーツ入門者向けのカテゴリとして、ワンメイクレースの運営を行っている。1981年(昭和56年)には国内初のワンメイクレースとして「スターレット・グランドカップ」を創設。2000年(平成12年)よりヴィッツアルテッツァ(2006年まで)で参加する「ネッツカップ」を開催。ヴィッツレースは趣味で参加できる「ナンバー付き車両レース」として人気を博している。2013年には86及びスバル・BRZによって争われる「|GAZOO Racing 86/BRZ Race」もスタートし、多数のプロドライバーやタイヤメーカーが参入する一大カテゴリに成長しつつある。ラリーでは初心者向けのラリーシリーズ「GRラリーチャレンジ」を自動車メーカーで唯一開催している。

フォーミュラカーでは1991年(平成3年)より2007年(平成19年)までジュニア・フォーミュラシリーズとしてフォーミュラ・トヨタを主催。2006年(平成18年)~2013年(平成25年)には日産ホンダと共同でフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)を運営していた。また若手レーシングドライバー育成プロジェクトとしてフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)を運営。中嶋一貴小林可夢偉をF1ドライバーとしてデビューさせた。

トヨタがWRCに復帰するに当たっても、全日本ラリー王者の息子勝田貴元新井大輝、全日本ラリーコ・ドライバー王者の足立さやかを育成に選抜、WRCに参戦すべくフィンランドを中心に欧州で修行を積んでいる。

豊田章男が社長になって以降は特に広報活動に力を入れており、地上波でTOYOTA GAZOO RACINGのCMが流れることが一般的になった。豊田自身も「モリゾウ」名義でTRDラリーチャレンジや新城ラリーに参戦してファンと交流したり、TV番組やトークショーにも出演してモータースポーツをアピールするなど、顔の見える経営者として知られる。またJスポーツと提携して、GAZOO RACINGのホームページ上でル・マン24時間ニュルブルクリンク24時間レースを無料ライブ配信している。 社員の研修にモータースポーツを用いることにも熱心で、全日本ラリー選手権に選りすぐったメカニックたちで組織した「凄腕技能養成部」を送り込んだり、5大陸走破プロジェクトで社員にステアリングを握らせて様々な道を経験させている。

年表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2014年 トヨタ モータースポーツ活動発表会 豊田章男社長プレゼンテーション”. TOYOTA GAZOO Racing. トヨタ自動車 (2014年). 2017年10月2日閲覧。
  2. ^ 整備を行う横浜工場(現在のトヨタテクノクラフト横浜本社)が神奈川県横浜市港北区綱島にあったことからこう呼ばれる。
  3. ^ “トヨタ、富士スピードウェイでのF1開催の撤退を検討”. F1-Gate.com. (2009年5月29日). http://f1-gate.com/toyota/f1_3709.html 2012年3月22日閲覧。 
  4. ^ トヨタ自動車、2014年のモータースポーツ活動および支援計画を発表 - トヨタ自動車・2014年1月30日
  5. ^ トヨタ自動車、GAZOO Racingによるモータースポーツ活動の強化を発表 - トヨタ自動車・2015年4月9日
  6. ^ 豊田章男社長はマキネン氏に“成瀬さん”を見た
  7. ^ スーパーフォーミュラ 2015年 第7戦(最終戦)鈴鹿 エンジニアレポート
  8. ^ テレ朝POST
  9. ^ モータースポーツ/国内”. 事業案内. トヨタテクノクラフト. 2012年3月22日閲覧。
  10. ^ 2008年NASCAR特集 第14回 トヨタのNASCAR最前線基地 TRD Competition Drive”. TOYOTA MOTOR SPORTS. 2012年3月22日閲覧。
  11. ^ 【NASCAR】新型カムリがベースの最新NASCAR発表。TRDら共同開発
  12. ^ [www.toyota-ttc.co.jp/pdf/070125.pdf ]
  13. ^ Toyota Motorsport GmbH” (英語・ドイツ語). 2012年3月22日閲覧。
  14. ^ 「父の会社は最先端、どころか時が止まってた」伝説のエンジンチューナーの息子、父の会社を改革す
  15. ^ 尾川自動車の歴史
  16. ^ トヨタ自動車、2015年のモータースポーツ活動および支援計画を発表 トヨタ自動車公式ニュースリリース 2015年1月30日
  17. ^ TRD Heritage Timeline
  18. ^ TEAM LAND CRUISER TOYOTA AUTO BODY
  19. ^ AL-ATTIYAH WINS POLAND BAJA
  20. ^ Al-Attiyah powers to fourth world cross-country title
  21. ^ モータースポーツジャパン2009レポート
  22. ^ トヨタ自動車75年史 モータースポーツ活動の変遷
  23. ^ [1]
  24. ^ アイルトン・セナとトヨタエンジン
  25. ^ トヨタ自動車75年史 モータースポーツ活動の変遷
  26. ^ TOYOTA GAZOO Racing NASCARホームステッド レースレポート
  27. ^ TRD NHRA
  28. ^ TMG@ポール・リカール マシン紹介編”. TEAM SHOW (2012年5月31日). 2012年9月17日閲覧。
  29. ^ “「パイクスピーク」で、トヨタのEVレースカーに乗る奴田原文雄選手が、EVクラス優勝!”. autoblog 日本語版. (2012年8月14日). http://jp.autoblog.com/2012/08/13/2012-pikes-peak-hill-climb/ 2012年9月17日閲覧。 
  30. ^ http://toyotanews.pressroom.toyota.com/releases/toyota+claims+drift+manufacturer+title+three+race+victories.htm Toyota Claims Formula Drift Manufacturer Title, Three Race Victories]
  31. ^ Toyota to expand engine program

関連項目[編集]

外部リンク[編集]