アストンマーティン

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アストンマーティン
Aston Martin Lagonda Limited
AstonMartinCroppedDileo.png
本社所在地 イギリスの旗 イギリス
ウォリックシャー、ゲイドン Banbury Road,CV35 0DB
設立 1913年
業種 自動車製造
事業内容 自動車の製造、販売
代表者 アンディ・パーマー最高経営責任者
マレク・ライクマン:デザイン長
ハンノ・キルマー:最高財務責任者
売上高 4億7430万ポンド(2010年)
純利益 760万ポンド(2010年)
従業員数 1250人(2010年)
主要株主 Prestige Motor Holdings (39%)
Asmar (19%)
Primewagon (Jersey) Ltd (19%)
Adeem Investments (11%)
ダイムラー(5%)
DAR Capital (5%)
Sthewaz Automotive (2%)
他無名株主 (10%)
主要子会社 Aston Martin Racing(50%)
Lagonda(100%)
関係する人物 Lionel Martin(創業者)
Robert Bamford(創業者)
外部リンク Aston Martin.com
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アストンマーティンAston Martin )は、イギリス乗用車メーカーでありブランドの名称である。正式な社名は「アストンマーティン・ラゴンダ」である。

概要[編集]

設立以来イギリスを代表する高級スポーツカーメーカーとして知られており、創業以来高価格帯のスポーツカーを中心に生産している。性能と品質を重視した車作りを手がけていることもあり、プリンス・オブ・ウェールズからのロイヤル・ワラントを授与されている。

またモータースポーツでも長い伝統をもち、1959年にはル・マン24時間レース優勝と世界スポーツカー選手権制覇を果たした(同年にはF1世界選手権にも参戦)。映画『007シリーズ』では「DB5」以降のほとんどの主力車種がボンドカーとして登場している。

歴史[編集]

設立[編集]

1.5リッター(1922年)
MkII(1934年)
DB1(1948年-1950年)
DBR1(1958年)
DB6(1965年-1970年)
DBS(1967年-1972年)
ラゴンダ2(1976年-1990年)
V8 ヴォランテ(1978年-1989年)
V8ヴァンテージ・ザガート(1986年-1988年)
ヴィラージュ(1989年-2000年)
DB7(1994年-2004年)
DB9(2004年-2016年)
DBS V12(2007年-2012年)
シグネット(2010年-2013年)
DB11(2016年-)

1913年に、ロバート・バムフォード (Robert Bamford) とライオネル・マーティン (Lionel Martin) が、ズボロフスキー伯爵の援助のもと「バムフォード・アンド・マーティン」を設立[1]した。

その後イギリスのバッキンガムシャーの村アストン・クリントン (Aston Clintonで行われたヒルクライムレースでマーティンが成功を収めたことから、アストンマーティンのブランド名が誕生した[1]。しかし1924年1925年に破産し、ライオネル・マーティンが会社を去ることとなる。

不安定な経営[編集]

その後1926年にアウグストゥス・チェーザレ・ベルテッリが参画し、1937年に至るまで「インターナショナル」や「アルスター」、「MkII」など、様々な車種の開発に関わるほか、1931年のル・マン24時間レースでは総合5位に入る活躍を見せるなど耐久レースを中心に活躍する。

しかし1932年には再度経営危機に陥いることとなる。これに対してアーサー・サザーランドが手を差し伸べるとともに、1936年以降は収益に直接貢献しないレーシングカーの開発をやめ、市販車の製造に専念することとなる。

しかしその後、1939年9月に勃発しイギリスも参戦した第二次世界大戦下では、高級スポーツカーの市場がなくなったために市販車の製造を停止し、航空機の部品の製造に専念することで生き延びることになった。

デイヴィッド・ブラウン時代[編集]

第二次世界大戦終了後の1947年に、イギリスの実業家で、トラクターなどの製造業のグループ「デイヴィッド・ブラウン・リミテッド」を率いるデイヴィッド・ブラウン (David Brownの傘下に納まり、さらに高級車ブランドの「ラゴンダ」を吸収合併した。

なおこの際に、当時ラゴンダにいたベントレーの創設者であるウォルター・オーウェン・ベントレーもそのままアストンマーティンに移籍し、以降新型車のエンジン設計に関わることになる。

1948年には第二次世界大戦初のモデルである「DB1」が発表された。さらに1950年にはベントレーがエンジンを設計した「DB2」と、立て続けに「DB」の名が付いたモデルがデビューする。なお以降のモデル名には、デイヴィッド・ブラウンのイニシャルである「DB」が付けられるようになる。

デイヴィッド・ブラウン傘下で資金の調達が進んだことを受けて、第二次世界大戦後に復活したモータースポーツへの復帰も行い、[1949年]]よりル・マン24時間に復帰しその後参戦を続けたほか、1959年1960年には、2シーズンのみながらフォーミュラ1世界選手権に参戦を行うなど、その活動範囲を拡大していった。

ル・マン24時間ではすぐに上位に食い込む活躍を見せ、1955年のル・マン24時間レースと1956年、1958年には総合2位に入り、1959年のル・マン24時間レースでは、「DBR1」がが「フェラーリ」や「ジャガー」、「ポルシェ」などの強豪を退けて総合優勝を飾るなど、「黄金期」と呼ばれる活躍を残しモータースポーツにおいて高い名声を獲得した。

市販車においても、1950年代後半から1960年代にかけて、イタリアの名門カロッツェリアである「トゥーリング」が特許を持つ「スーパーレッジェーラ」製法で製作された軽量ボディに新しい直列6気筒のエンジンを搭載した「DB4」や、同じく名門カロッツェリアである「ザガート」がデザインを担当した「DB4 ザガート」など、後に名車と呼ばれる高性能な新型車をデビューさせた。

1964年には「DB5」がアメリカ映画「007シリーズ」の「007 ゴールドフィンガー」で「ボンドカー」に抜擢されたことで世界的な知名度を得て、1965年には改良型の「DB6」を発表し、最大の市場となるアメリカでの販売を伸ばすなど絶頂期を迎えた。なお、この頃エリザベス2世が工場を訪問し、その後チャールズ王太子に「DB6 ヴォランテ」をプレゼントするなど、この頃よりイギリス王室メンバーのプライベートカーとして愛用されていくようになる。

また1967年には、完全な新設計の新型車「DBS」や、同じく新設計のV型8気筒エンジンを投入するなど、アストンマーティンの経営は順調なまま推移していくかに見えた。しかし1972年に「DBグループ」は経営不振に陥り、アストン・マーティンを立て直したデイヴィッド・ブラウンは、アストンマーティンの経営権を手放さざるを得なくなってしまう。

カンパニー・ディベロップメント時代[編集]

その後ウィリアム・ウィルソン率いる投資グループ「カンパニー・ディベロップメント」に経営権が移るが、生産する各モデルが、アメリカのカリフォルニア州などで施行された新たな排ガス規制法に対応できなくなったことから、1974年には最大の市場であるアメリカで販売できなくなった。

このために急激な経営不振に陥り、やむなく数百人の従業員を解雇し、工場を一時的に閉鎖するなど会社の将来が危ぶまれる状況になった。

ミンデン/スプラーグ/ターナー時代[編集]

1975年4月には、カナダ人のジョージ・ミンデンとアメリカ人のピーター・スプラーグ、イギリス人のジェレミー・ターナーからなる投資家グループに再度売却された。同年には工場が再開され100人ほどの従業員が再雇用され、「アストン・マーティン・ラゴンダ・リミテッド」に社名が改められたほか、日本やアメリカを含む国際市場での販売計画が明らかにされた。

さらにイギリスの投資家のアラン・カーティスとジョージ・フラーザーからの投資を受け入れ、これらの新たな資金を元に1970年代後半にかけて、「DBS」のビッグマイナーチェンジ版である「V8 ヴァンテージ」や「V8 ヴァンテージ・ヴォランテ」、さらに完全な新設計の4ドアモデル「ラゴンダ2」などの新しいモデルを次々とデビューさせたほか、1979年には意欲的な試作モデル「ブルドッグ」がデビューした。

この頃経営不振に陥ったイタリアの「ランボルギーニ」の買収や、「ブリティッシュ・レイランド」傘下にあった「MG」の救済に手を貸すという構想もあったものの、折からの不景気により450人の従業員を解雇せざるを得ないことになったため、このような拡張計画は破棄された。

ガントレット時代[編集]

1981年には、さらなる経営の安定を図るべく、「ペース・ペトロリアム」を経営するイギリスの実業家で大富豪のヴィクター・ガントレットに株式が売却された。

ガントレットの下で、1955年に買収した「ティックフォード」のブランドでのエンジニアリング開発子会社を設立し、「フォード・カプリ」や「オースチン・メトロ」の開発を委託するなど事業多角化を進めたが、本業の自動車製造の方は不景気が続いたこともあり低迷を続け、再度従業員の解雇を行なうことを余儀なくされた。

ガントレットは、再び「007」シリーズの新作「007 リビング・デイライツ」に「ヴァンテージ」を「ボンドカー」として登場させたり、「DB4」時代に提携関係を結んでいたイタリアのカロッツェリア「ザガート」への投資を行い、1986年には「ザガート」とのコラボレーションモデルである「ヴァンテージ・ザガート」をデビューさせるなど新しい試みを行った。

しかし、ニューポート・パグネル工場の旧退化した非効率な生産設備の更新や、もはや時代から取り残されつつあったV8エンジンに代わる新エンジンの開発などの、抜本的な改革や長期的な経営に影響を与える大規模な投資はなされないままであった。

フォード時代[編集]

当時、ジャガーをはじめとする、ヨーロッパの高級車メーカーの買収を進めようと動いていたフォード・モーターのヨーロッパ代表のウォルター・ヘイズとガントレットがイギリスで行われたパーティーで同席したことをきっかけに、フォード・モーターによるアストン・マーティンの買収が急きょ決まり、1987年にはフォード・モーターに株式の売却を行い同社の傘下に納まることとなった。

フォード・モーター傘下入りした後の1989年には、1980年代中盤から計画が進んでいた「ヴィラージュ」が発売された。生産工程こそ以前のままであったが、内装や電装系にはフォードのものが多く流用された。

その後1991年にフォード・モーターによる買収が完了し、フォードから送り込まれたウォルター・ヘイズ率いるアストンマーティンの新しい経営陣によって主導された、全く新しいモデルの開発プロジェクトである「NPX」がスタートし、1994年には、フォードの最新の生産技術が導入されたバンバリーにある新工場で生産される新モデルが「DB7」の名でデビューした。また、買収完了後にフォードはデイヴィッド・ブラウンを役員として再び招聘したことから、以降の多くの車種では再び「DB」の車名を名乗るようになった。

買収完了後もフォードが多額の資金を注入したことで、1990年代に入ると旧退化していた生産施設の刷新や、新エンジンや新技術を導入した新型車「DB7」や「ヴァンキッシュ」、「DB9」などの投入を随時行ったこともあり、世界各国で販売台数が増加し、ようやく経営状態は安定するようになる。

また、フォード傘下となったことで、ジャガーランドローバーボルボ・カーズデイムラーとともに「PAG(プレミアム・オートモーティブ・グループ)」を構成するメーカーの1つとなり、ジャガーやデイムラーなどを中心に、部品購買の共通化による経費節減や、品質の向上を目的とした部品の共有化も進められた。

アストンマーティンの経営は安定したものの、アメリカ同時多発テロ事件以降の原油の高騰などを受けて2000年代中盤以降にフォードの経営が悪化したことから、フォードはアストンマーティンの売却を進めることになった。

リチャーズ時代[編集]

その後売却先が絞られ、2007年3月に、WRCで活躍するプロドライブの創設者で、F1のB・A・Rにも関わったデイヴィッド・リチャーズクウェートの投資会社2社などにより構成される投資家グループに、4億7900万ポンド(8億4800万ドル)で売却された。なおその後フォードの「PAGグループ」は消滅したが、アストンマーティンの株式の一部はフォードによっても継続保持されている。

その後もトヨタ自動車と共同開発した小型車「シグネット」や「ラゴンダ2」の後継モデルとなる4ドアモデルの「ラピード」、「DB9」の高性能版の「DBS V12」などの新モデルを次々とを投入したほか、「V8 ヴァンテージ」で本格的にモータースポーツへの復帰を行った。

現在[編集]

2012年には、イタリアの「インベスティンダストリアル」が37.5パーセントの株式を取得し、さらに2013年にはドイツの自動車メーカー、「ダイムラー」との提携を開始した。また2014年には、元日産自動車のアンディ・パーマーを経営最高責任者に迎え入れた。

2016年には、「メルセデスAMG」からの供給を受けたエンジンを搭載した「DB11」を投入したほか、今後投入される新型車のエンジンは「メルセデスAMG」から供給されたものが搭載されると発表された。

また近年では、FIA 世界耐久選手権GTカー (LM-GTE) クラスでタイトルを争っている。2017年ル・マン24時間レースでは、最終ラップの最終コーナーで「シボレー・コルベット」を抜き、逆転でのクラス優勝を果たした。

さらに、新車の製造販売のみならず、過去に製造出荷された自社の車両をレストアする事業にも力を入れており、主に投資対象として旧型車両を購入した富裕層からの受注に応えている。こうした取り組みもあり、アストンマーティン車は2014年現在、歴代全出荷台数の9割が実働車として現存しているとされる[2]

車種一覧[編集]

過去の車種[編集]

DB5
V8(ボンドカー)
V12ヴァンキッシュ
V8ヴァンテージ
  • DB1(1948年-1950年)
  • DB2(1950年-1959年)
アルフレッド・ヒッチコックの映画『』でDB2/4ドロップヘッド・クーペが使用された。
映画007シリーズ『ゴールドフィンガー』『サンダーボール作戦』でボンドカーに使用されたほか、『ゴールデンアイ』『トゥモロー・ネバー・ダイ』『カジノ・ロワイヤル』『スカイフォール』でも使用された。『キャノンボール』にもロジャー・ムーアのマシンとして起用されている。
  • DB6(1965年-1970年)
  • DBS(1967年-1972年)
映画007シリーズ『女王陛下の007』でボンドカーに使用された。
  • V8(1972年-1989年)
映画007シリーズ『リビング・デイライツ』でボンドカーに使用された。
映画007シリーズ『ダイ・アナザー・デイ』でボンドカーに使用された。
映画007シリーズ『カジノ・ロワイヤル』に登場するボンドカーとして特別に製作された。完成度の高さが評判になり、生産される事になった。その後『慰めの報酬』でも使用された。
ベース車はトヨタ・iQ
2011年5月、DB4GTザガートの生誕50周年を記念して、世界的なクラシックカーのコンクールコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステにて、V12ザガートのプロトタイプがお披露目された。同年6月にはニュルブルクリンク24時間耐久レースに参戦。2012年2月に市販モデルが公開された。全世界150台限定のスペシャルモデルとして、9月から1年間だけ生産された。6回のレースに参戦している。

現行車種[編集]

ラピード
DBSクーペの後継モデルとして発売された。
レッドブル・アドバンスド・テクノロジーズと共同開発。エイドリアン・ニューウェイがデザインを担当[3][4][5]

コンセプトカー[編集]

映画007シリーズ『スペクター』においてボンドカーとして特別に製造された。

レーシングカー[編集]

DBR1
  • DBR1(1956年-1959年)
1959年のル・マン24時間レースでロイ・サルヴァドーリ/キャロル・シェルビーのペアで優勝したほか、同年のワールド・スポーツカー・チャンピオンシップを英国車として初めて獲得した。
フォーミュラ1カー

日本での輸入販売[編集]

1930年代より正規輸入販売代理店を経由して日本に輸入されていた。第二次世界大戦後暫くは正規輸入が途絶え並行輸入が中心となったが、1965年に「コーンズ」が戦後初の正規輸入販売代理店となった。

しかし同社との契約はわずか3年間で終了し、その後は「日本レイランドや「三井物産」など短期間で複数の企業に代わったが、バブル景気期の1986年に「麻布自動車」が輸入販売代理店となった。その後1994年に「アトランティックカーズ」に輸入販売代理権が移った。

2010年代に入りアジア・パシフィック地域での事業基盤を強化することとなり、日本でも販売強化を図り、2015年1月5日には初の日本法人「アストンマーティン・ジャパン・リミテッド」が設立された。

その後2017年に、「SKY GROUP」(モトーレンニイガタ)を東京エリアの正規販売代理店に指名[6]した。これを受けて、それまで正規輸入販売代理店として活動していた「アトランティックカーズ」は2017年3月末に、「アストンマーティン赤坂」(新東洋企業)は2017年6月末に正規販売代理店契約を終了させることになった。2018年現在、東京のほか、名古屋(八光自動車工業)、大阪(八光自動車工業)、広島(エムオート)、福岡(永三モータース)に正規販売代理店がある。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]