豊田章男

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とよだ あきお
豊田 章男
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生誕 (1956-05-03) 1956年5月3日(61歳)
日本の旗 日本 愛知県名古屋市
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
バブソン大学大学院修了
職業 トヨタ自動車社長
配偶者 あり (1985年 - )
豊田章一郎
親戚 豊田佐吉曾祖父
三井高棟(曾祖父)
豊田喜一郎祖父
三井高公大伯父
豊田英二従祖叔父
豊田達郎叔父
斉藤滋与史義叔父
藤本進義兄

豊田 章男(とよだ あきお、1956年5月3日 - )は、日本実業家経営者レーシングドライバー学位MBAバブソン大学1982年)。トヨタ自動車株式会社代表取締役社長(第11代)、日本自動車工業会会長東和不動産株式会社取締役会長。株式会社名古屋グランパスエイト代表取締役会長。トヨタアルバルク東京株式会社代表取締役会長。

学校法人トヨタ東京整備学園理事長(第5代)、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長[1]ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング副社長、日本自動車工業会会長(第15代)を歴任した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

豊田章一郎、博子の長男として愛知県名古屋市に生まれた。母博子は三井財閥一族の伊皿子家八代目、元三井銀行取締役三井高長の三女[2]

愛知教育大学附属名古屋中学校慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。バブソン大学経営大学院修了(MBA)。

在学中にはアメリカ合衆国ハワイ州へ渡り、アメリカ合衆国大統領を輩出するプナホウスクールを学んだ[3]慶應義塾大学法学部法律学科在学中にはホッケー部に在籍し、ホッケー男子日本代表にも選出された[3]

大学卒業後は渡米。語学を目的としていたが[3]バブソン大学マサチューセッツ州)のビジネススクールに入学し、1982年に経営学修士(MBA)を取得。

金融業界から自動車業界に[編集]

MBAを取得したのち、アメリカ合衆国の投資銀行A. G. Becker & Co.)にて勤務した[4][5]1984年、金融機関を辞し、トヨタ自動車に入社した。トヨタ自動車への転職を決意した章男に対し、父である章一郎は「(章男を)部下に持ちたいと思う人間は今のトヨタにはいない」[6]と戒めたうえで、特別扱いはしないと言い渡した。その為、章男はトヨタ自動車に対して履歴書を提出し、章一郎は社員としての入社を認めた[6]

入社後は、生産管理や国内営業などを担当した。係長から平社員への降格人事も経験したものの[6]販売部門への「カイゼン」活動の横展開などを通じ、販売部門の改革を主導した[3]1998年には、自動車関連の情報を総合的に提供するウェブサイトGAZOO.com」を立ち上げた[7]。その後、アメリカ合衆国カリフォルニア州にて、ゼネラルモーターズとの合弁企業「NUMMI」の副社長を務めた。

経営者として[編集]

2011年8月18日レクサス・GSのローンチイベントにてレクサス・インターナショナル上級副社長マーク・テンプリン(左)と

2000年に同社取締役、2002年常務取締役、2003年専務取締役、2005年に副社長に就任した。役員になってからは「GAZOO」や「G-BOOK」などの情報事業の他、中国事業[8][9]を担当し、第一汽車広州汽車との合弁会社の社長や副社長なども歴任した[10][11][12][13]。また、世界戦略として推進した「トヨタIMVプロジェクト」の立ち上げを統括したほか、調達部門のトップも歴任した。国内営業を担当する役員に就任して以来、各地の自動車ディーラーに対して飛び込み営業を自ら実施しており、各店に対し頭を下げて回るなど積極的な営業活動を行っている[14]

2009年1月20日、トヨタ自動車は、豊田章男の社長昇格を含めた総人事に関して、未来的な思想を持つ打開策を勧めた為に、その発表を行った[15]。記者会見に臨んだ豊田章男は「自動車業界が二十一世紀も必要とされるのか、今が瀬戸際」[16]との危機感を表明した。この人事案は、同年6月の総会によってその予定と発表された[15]。同年6月23日、総会によってその人事が承認され、代表取締役社長に就任した。1982年の工販合併で現在のトヨタ自動車が誕生して以降、最も若い52歳での社長就任となる[17]。また、創業家である豊田家出身者の社長就任は、1995年8月に退任した豊田達郎以来14年ぶりとなる[17]。2012年の役員報酬は1億8400万円。

豊田が社長に就任した当時は、2008年のリーマンショックによる71年ぶりの連結営業赤字転落、2010年の世界規模でのリコール問題(トヨタバッシング)、2011年3月の東日本大震災と7月のタイ洪水被害による操業一時停止、歴史的な円高などでトヨタ自動車が存亡の危機に晒されている様な状況であった。しかし豊田は数々の改革でこれを乗り越え、2013年度のトヨタグループの世界販売台数が初めて1,000万台を突破[18]、2014年3月期の決算で6年ぶりの最高益を記録する[19]など業績を回復軌道に乗せた。

2013年から、レクサスインターナショナル、第1トヨタ、第2トヨタ、ユニットセンターの4つの事業ユニットを各副社長と分担する、事実上の4トップの新体制を開始し、豊田はレクサスインターナショナルを担当することになった[20]

人物像[編集]

自身の最高傑作を問われたチャールズ・チャップリンが「ネクスト・ワン(次の作品だよ)」と答えた逸話に因み、「ネクスト・ワン」を座右の銘とする[4]。社長就任に際しては「現場に一番近い社長でありたい」[16]との抱負を語り「『現地現物』で一つずつ問題を解決したい」[16]との目標を掲げており、ディーラーである神奈川トヨタ自動車会長の上野健彦は「章男氏は現場をよく知り、言葉が通じやすい」[15]と内評を明らかにしている。

テストドライバー[編集]

GAZOO Racing Festival 2014にて

アメリカから帰国した後の2002年、社員の開発ドライバーの成瀬弘から「あなたみたいな立場の人が、運転の基本もわかっていないのに、ちょっとクルマに乗っただけで、ああだこうだと言われるのは迷惑だ!私ら、テストドライバーはいいクルマをつくるために命がけでテストしているんだ!そのことだけは理解していてほしい。[21]」と言われて車作りへの意識を改め、「自動車会社の一員として、評価の仕方を教えてほしい」[22]と成瀬に頭を下げて指導を求めた。成瀬はトヨタグループの開発ドライバー数百名の中で頂点に立つマスターテストドライバーとして知られ、「トップガン」の異名を持つほどの技術の持ち主であり[23]、豊田は急ブレーキなどの訓練だけで2年をかけるなど成瀬の薫陶を受けた[24]

また成瀬に指導を受けている間、レクサス・LFAの開発にも初期(2003年)から関与。機会を見つけてはニュルブルクリンクでテストドライブをし続けた[25]86の開発責任者である多田哲哉は豊田を「テストドライバーとしては相当なレベル」と賞賛している[26]

現在もマスタードライバーとしてレクサス車の乗り味をチェックしている。また、自身のみならず社員にも積極的にステアリングを握らせており、社員100名以上に様々な道を体験させるために2014年から『五大陸制覇プロジェクト』を開始している[27]。豊田も同行してグラベルを中心にドライブしており、その様子はGAZOO RacingのHP上で見ることができる[28]

レーシングドライバー[編集]

豊田がドライブする四輪駆動のGR86×。助手席はWRC王者のトミ・マキネン

若い頃は1600GT(RT55型)でスポーツドライビングを楽しみ、カーレースにも興味を持っていた。成瀬からドライブを教わる中で豊田自身も国際C級ライセンスを取得した。

豊田が副社長であった2007年、「もっといいクルマづくり」のために社員有志のアマチュアチーム「Team GAZOO」を自ら組織し、ニュルブルクリンク24時間レースに参戦した。当時は社内の反応も冷ややかで予算もなく、既に生産終了していた中古のアルテッツァを探し出し、改造して参戦した[29]。ドライバーの8人中6人は自分を含め社員であった。本名では差し障りがあるため、愛知万博のマスコットキャラクターとして人気だった「モリゾーとキッコロ[30]」にちなんで「MORIZOモリゾウ)」というドライバーズネームを名乗るようになった[31]。2010年に成瀬が事故死した後も、モータースポーツを「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の根幹に据え[32]、その活動意義を積極的に発信している。

その後社長に就任してからもニュルに参戦・完走しており、2014年にはクラス優勝を果たしている[33]。2016年は参戦のアナウンスは無かったが、予選1開始直前に豊田が現れ、練習なしでレクサス・RCに搭乗するサプライズがあった。夜の雨という最悪のコンディションであったが、無事に2周のアタックを完遂した[34]

2012年にニュル24時間に参戦できなかった時、全日本ラリー王者の勝田範彦足立さやかに声を掛けられたことがきっかけで[35]ラリーにものめりこむようになる。同年からTRDラリーチャレンジなどの国内ラリーにも参戦し始め、以降頻繁にラリーイベントに顔を出す様になった。2013年には竹下紀子をコ・ドライバーにTRDラリーチャレンジのクラスタイトル(豊田曰く皆勤賞)を獲得している[36]2014年からWRC王者トミ・マキネンから指導を受け始めるとドリフトも上達し、300馬力超えのWRカーでも華麗なドリフトを披露できるようになった[37]。2016年には報道ステーションテレビ朝日アナウンサーの板倉朋希を助手席に乗せて全開アタック、2017年にはTOYOTA GAZOO RacingのCMキャラクターである佐藤健スバル・WRX STIに乗せてドリフト走行を実演した[38]。現在も時間を見つけてはTRDラリーチャレンジや新城ラリーにスポット参戦を続けている。

他には2013年デイトナ・インターナショナル・スピードウェイのオーバルで、NASCARスプリントカップカムリをテストドライブしたこともある[39]

カーデザイン[編集]

豊田は営業・販売など非技術系の分野を手がけることが多かったが、技術畑にも関心が強い。前述の開発時の試乗テストに限らず、カーデザインについても熱心に取り組んでおり、モーターショーの際にはカーデザイナーとともにブースを巡って研鑽を積むのが恒例となっている[40]。モーターショーでのデザインの勉強について、豊田は「東京モーターショーも、『クルマの味づくり』に向けたトレーニングの大切な場所」[40]だと述べている。

サッカー[編集]

またサッカーにも造詣が深く、トヨタが事実上の親会社となっているJリーグ所属の名古屋グランパスの運営会社「株式会社名古屋グランパスエイト」の取締役を2010年7月より務めている。多忙の中でスタジアムに度々足を運んでおり、名古屋がJ1初優勝を決めた試合にもかけつけている[41]。2015年にはグランパスの代表取締役会長に就任した[42]

経営政策[編集]

販売への「カイゼン」の活用
カイゼン」活動に代表されるトヨタ生産方式がトヨタ自動車の生産部門にて確立され始めたころ、生産部門だけでなく販売部門にも「カイゼン」を導入するよう主張した[3]。これらの活動を通じて販売部門の改革を働きかけ、納車時間の短縮などを主導した[3]
情報通信技術の活用
情報通信技術の活用に積極的な姿勢を示している。業務改善支援室で働いていた頃、同僚らと中古車画像検索システム「UVIS(Used car Visual Information System)」を開発し、これをもとに店舗用端末ネットワーク「Gazoo」を実用化した[43]。さらにインターネットを通じトヨタ自動車のみならず自動車に関連する情報を提供しようと、ウェブサイト「GAZOO.com」を立ち上げ、その拡大に力を注いだ[7]。また、車載端末を通じた情報提供を行うサービス「G-BOOK」の立ち上げにも尽力した[44]。これらの事業は立ち上げ当初から現在まで豊田章男が一貫して担当しており、ライフワークの一つとなっている。
エコカー政策
2016年念頭に「今後100年はエコカーの時代」とし、燃料電池車プラグインハイブリッド車(PHV)など複数の技術を、各地域の消費者のニーズに合わせてより本格的な展開を進め、世界的に広がる環境政策に対応するとした[45]。2015年には普及を目的に燃料電池車に関わる特許5700件を無料公開した[46]
ハイブリッドカーの価格戦略
2009年本田技研工業ハイブリッドカー「2代目インサイト」を発売すると、トヨタ自動車も同じくハイブリッドカー「3代目プリウス」を発売した。2代目プリウスより性能を向上させたにもかかわらず、トヨタ自動車は3代目プリウスの販売価格を大きく引き下げた。この価格戦略について、豊田章男は「間口を広げる」[47]狙いがあると述べており、価格の引き下げによって購買層の拡大を図ることを明らかにした。3代目プリウスは好評を博し、発売後1か月で約18万台を受注した[48]。なお、この受注数は、同時期のインサイトの受注数のおよそ10倍とされる[48]
カンパニー制の導入
社内の部署を複数の仮想カンパニーとして分けることで、迅速な意志決定と人材育成の道筋を整備した[49]。またレクサスも「レクサス・インターナショナル」なる仮想カンパニーとして独立させ、トヨタとのイメージ切り離しを図る。
市販車に生かすモータースポーツ活動
人と技術を鍛えることを目的に、モータースポーツ活動を積極的に振興している。FIA 世界耐久選手権(WEC)や世界ラリー選手権(WRC)のような最高峰カテゴリのレース活動が有名だが、ニュルブルクリンク24時間レース全日本ラリー選手権スーパー耐久などのアマチュア向けクラスにも「凄腕技能養成部」を初めとするトヨタ社員のチームを送り込んだり、市販車の開発責任者にステアリングを握らせるなどして、市販車の開発に役立てている。2016年にはトヨタ・レクサスの全てのモータースポーツ活動を「TOYOTA GAZOO Racing」の名の下に一本化。2017年にはGAZOO Racingは社内カンパニーとなり、市販車へ知見をフィードバックすることで会社に貢献している。また普通乗用車をスポーティーにチューニングしたG'sやGR、ニュルブルクリンクやレースで鍛え上げた知見を市販車に注力したコンプリートカーのGRMNといったGAZOO由来のブランドを立ち上げている。
積極的な提携
BMWスズキマツダなどと提携することで、コストの削減と次世代車の開発促進を図っている。またトヨタWRCのスポンサーになっているマイクロソフトとも合弁会社「Toyota Connected, Inc.」を2016年に設立、自律運転開発やシミュレーションを用いた車両開発を行う。EVに関してはテスラとも提携していたが、こちらは解消に至っている。

エピソード[編集]

2010年2月24日アメリカ合衆国代議院監視・政府改革委員会の公聴会にて
  • 2010年1月、新型プリウスをめぐるリコール問題が拡大するなか、ダボス会議への出席を優先し、表舞台での対応を副社長らに委ねた。結果として社長自身が記者会見を開くことが遅れたため、一部メディアから批判を浴びた[50][51]2月24日にはアメリカ合衆国の代議院監視・政府改革委員会の公聴会に出席し、リコール問題についての質疑応答が実施された。英語で応じることもできたが、この時は正確に意味を伝えるためにあえて通訳を介して質問に答えた。公聴会後は米国トヨタの会合でスピーチし、従業員からの激励に涙を浮かべた[52]。さらに生放送の人気トークショーラリー・キング・ライブ』にゲスト出演し、最後の質問に答えた「I Love Cars(同時通訳)」という言葉のおかげで、自分もトヨタという会社自体も救われたと感じたという[53]。それ以来、「クルマ好き」であることを隠さず、積極的に発言するようになった。
  • トヨタ自動車の社長としての責務を果たしつつも、メーカーの垣根を超えて車を愛することが重要と考えており[54]、良いものは他社の車やドライバーでも賞賛を惜しまない。2009年にフォルクスワーゲン・シロッコを「悔しい! そして羨ましい!」「『シロッコ』以上に素晴らしい味を持ったクルマづくりにチャレンジしていきます!」と絶賛した[55]。トヨタのホームサーキットである富士スピードウェイで、豊田の目の前でレクサスを打ち負かした日産のドライバー・佐々木大樹に「感動のレースでした。感謝[56]」と労いの言葉を掛けている。またラリーの訓練やドリフトでは公然とスバル・WRX STIを遣っており、GAZOOレーシングのCMでもあえてインプレッサを駆り、メーカーの垣根を越えた車好きをアピールした[57]。2017年不祥事の起きた日産自動車の西川社長に代わり主催者代表となった東京モーターショーでは、スズキホンダマツダBMWなどの他社ブースで社長たちと握手を交わした他、バイクのに跨がってポーズを取ったりアトラクションで遊んだりする様子が見られた[58]
  • 2007年のニュルブルクリンク24時間レースで、豊田はピットを共有していたアストンマーティンCEOのウルリッヒ・ベッツと意気投合。2011年のVLNシリーズ第9戦ではLFA・V12ザガートの二台を、豊田/ベッツ/飯田章/クリス・ポリットの4人で共有するというコラボレーションが実現した[59]。決勝ではポリットのドライブ中にV12ザガードは大破してしまったが、メカニックの懸命の頑張りでなんとか修復。最後はV12ザガードをドライブする豊田と、LFAをドライブするベッツのランデブーフィニッシュが実現した[60]。またこの交流をきっかけにトヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットが誕生した。
  • ポルシェ監査役会会長のウォルフガング・ポルシェとの対談で、ニューヨークに住んでいた頃ポルシェ・911(901型)を愛車にしていたことを明かしている。またテストドライバーの訓練中にポルシェを乗っていたとき、成瀬から「ポルシェはドライバーを見るからね。911の運転がむずかしいと感じるのは、お前の運転が下手なせいなんだ」と言われたという[61]。ポルシェがWECから撤退を発表した直後と同年の最終戦には、ポルシェに向けたメッセージを送った[62][63]
  • 86開発責任者の多田哲哉によると、00年代までのトヨタ社内には「スポーツカーを作るのは後でいいんじゃないか」という空気が蔓延していた。しかし当時営業担当副社長であった豊田の「今やろう」という鶴の一声が決め手になり、86の企画がスタートしたという[64]
  • 仕事の移動でよくヴィッツを運転する。高級車ばかりに乗っているとコンパクトカーが不利に感じるため、自分の体の規準をコンパクトカーに置いているという。また、「もっといい車づくり」の原点をコンパクトカーにおいているとも発言している[65]
  • 慶応大学時代は勉強よりホッケーに熱中し、日本代表に選抜されるほどの腕前になった[66]。またアメリカ時代はゴルフに夢中になった。
  • 2016年12月28日放送のテレビ朝日夜の巷を徘徊する特別編では、マツコ・デラックスの案内役を社長自ら務めた。また東富士研究所に訪れていたトミ・マキネンとともに、マツコに華麗なドライブテクニックを披露した。マツコは豊田について「日本経済全体を揺るがしかねないほど大きな会社のかじ取りするその孤独と葛藤は、あたしなんかには計り知れないほど大きなものだと思う」「自動車は命を殺めてしまうかもしれないものだからこそ危険なレースの世界に身を置いている」[67]という主旨のことを述べている。
  • イチローとも親交があり、これまでに2度東京モーターショーで公開対談を行っている[68]。2017年のトークショー前日、共演する小谷真生子イチローのズボンの丈が短すぎると指摘していたので、豊田が長めの靴下をイチローに買ってあげた。ちょうど一週間前はイチローの誕生日だった[69]
  • 2012年から2017年現在まで毎年新城ラリーに出場しているが、規定の75台を超えていた2015年だけはエントリー申請したにも関わらず、抽選漏れして参戦できなかった[70]
  • 2017年ラリー・モンテカルロでトヨタがデビュー表彰台を飾った時、Jスポーツのスタジオにゲスト出演していた脇阪寿一のスマホからTV電話出演。家でリラックスしている状態でその喜びを語った。
  • 2017年のラリーチャレンジ in 復興福島では、自身を模したマスコットの「モリゾウくん」を脱いでサプライズ登場した[71]
  • 車文化に対する認識の違いなどから「自分が社長でいる限り、トヨタのF1復帰は無い」としている[72]

語録[編集]

  • 「もっといいクルマをつくろうよ[73]
  • 「道が人を鍛える、人が車を作る」「クルマは道が作る[74]
  • 「愛がつくのは車だけ。愛車とは言っても、愛冷蔵庫とは言わない[75]
  • 「18年間恋い焦がれた様な彼女に会えたような気持ち[76]」・・・WRC復帰会見にて、ヤリスWRCを見た時の感想。
  • 「車から離れたのは若者では無く、我々の方だ[77]
  • 「俺の片想いだったかな[78]」・・・初めて86 GRMNのテスト車両に乗ったときの感想。「俺はクルマと会話したいのに、いくら話しかけても無視している。俺は恋い焦がれているのに、こんなにクルマを愛しているのに反応が無い」と概念的に表現したという。
  • 「どんな車で迎えに行っても笑顔で乗ってくれる彼女を探したい。トヨタだったらパッソかヴィッツ[79]」・・・どんな車でデートに行くか、という話題で。
  • 「トヨタはね、アンチが多いんですよ[80]
  • 「「私は一人ではない。皆さんと一緒に公聴会に出席させて頂いたと思っている」[81]」・・・アメリカでのリコール問題の公聴会終了後のコメント。
  • 「ルーティンでマイナーチェンジするくらいならやめてしまえ[82]」・・・レクサス・GSのテストドライブをしたとき開発陣に言い放った言葉。しかしこの言葉が一人の若手に「自分は社長ほど車を知らないんです」と言わせてしまい、現場を萎縮させてしまったと後に反省し、以降は強く言うことをやめたという。

戦績[編集]

豊田がドライブしクラス優勝を収めたLFAの48号車(2014年)

ニュルブルクリンク24時間レース[編集]

チーム名 チームメイト マシン(クラス) 周回数 クラス順位 総合順位
2007 Team GAZOO 勝俣義信/平田泰男/ミューラー トヨタ・アルテッツァRS200
(SP3クラス)
80周 16位 110位
2009 GAZOO Racing 飯田章/木下隆之/ハビエル・キュロス レクサス・LF-A
(SP8クラス)
117周 4位 87位
2013 GAZOO Racing 影山正彦/石浦宏明/大嶋和也 レクサス・LFA
(SP8クラス)
79周 2位 36位
2014 GAZOO Racing 木下隆之/石浦宏明/大嶋和也 レクサス・LFA
(SP8クラス)
148周 1位 13位

VLN(ニュル耐久シリーズ)[編集]

チーム名 距離 チームメイト マシン(クラス) クラス順位 総合順位
2008 Team GAZOO 4時間 平田泰男/佐藤久実 レクサス・IS250(SP3クラス) 2位 95位
2011 GAZOO Racing 250マイル 飯田章/ウルリッヒ・ベッツ/クリス・ポリット レクサス・LFA(SP8クラス)
アストンマーティン・V12ザガート(SP8クラス)
7位
-位
83位
-位
  • 2011年は2台を共有する形での参戦。V12ザガートは規定周回不足により完走扱いならず。

GR ラリーチャレンジ[編集]

コ・ドライバー マシン
(クラス)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位
2012 竹下紀子 トヨタ・86
(クラス4)
蓼科 高山 長野 富山 新城
8
-位
2013 竹下紀子
/足立さやか
トヨタ・86
(クラス4)
木曽
1
長野
2
嬬恋
5
富山
1
新城
5
1位
2014 戸田宏子
/足立さやか/勝俣義信
トヨタ・86
(Expert2)
木曽
2
長野 徳島
4
嬬恋 唐津
3
富山
2
新城
4
3位
2015 足立さやか トヨタ・86
(Expert2)
中川 須坂 高山
11
高岡 新城 -位
2016 足立さやか
/早川茂/勝俣義信
トヨタ・86
(Expert2)
千歳 南丹
7
木曽 徳島 陸別 高岡 安芸
3
佐賀 弘前 渋川 福島 丹後 豊浦 浅虫
2
勝山
10
新城
7
5位
2017 勝俣義信 トヨタ・86
(Expert2)
富士
DNS
唐津 木曽 勝山
2
陸別 弘前 渋川
4
丹後 福島
2
高岡 四国 新城
EX
5位
  • 2016年以降のイベントはオリジナルシリーズ・東シリーズ・西シリーズを統合して表記。また新城ラリーは特別戦としての開催となる。
  • 2012年と2015年以外は、フルエントリー者内の順位。
  • EXは賞典外。

受賞・栄典[編集]

家族・親族[編集]

系譜[編集]

豊田家(静岡県湖西市愛知県名古屋市
  • 早川隆著『日本の上流社会と閨閥』111頁によると、
「佐吉は幼い時から細工物に興味を持ち、大きくなると機織り機の動きに異常な関心を持ち、これを何とかモーターで動かす動力織機にできないものかと寝食を忘れて発明に没頭した。機織り機の動きを知るため、女性が織っているそばでじっと観察していて変人扱いされたという伝説が残っている。発明家というのは往々、変人扱いされるものだが明治三十六年、豊田式紡織機を完成させ、折からの紡績ブームに乗って殺到する注文をつぎつぎ引き受け、明治四十年、豊田紡織を創立、事業を発展させていった。」という。
  • 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 257-258頁によると、
「豊田家の閨閥だが、掲載した略系図でもわかるように、名の知れた家系のわりには華麗さがない。これは質実剛健を旨とする豊田家に似つかわしいといえる。あえていえば、喜一郎の妻・二十子がデパートの名門高島屋の創業一族で、四代目の飯田新七の長女[89] 。いま一つが章一郎の妻となったのが、三井財閥一族の伊皿子家八代目、元三井銀行取締役三井高長の三女・博子。この二家がきわだつ存在である。奇縁としては、略系図には載せきれなかったが、高島屋の飯田家を通して豊田家は日産自動車の創業者鮎川家とも親戚になっている。鮎川義介の妻・美代が飯田家の出身。つまり、トヨタ自動車と日産自動車の創業者の妻は、ともに飯田家の出身で従姉妹という間柄なのである。さらに政治家との繋(つな)がりを見ると、章一郎の妹・和可子が大昭和製紙の斉藤家に嫁ぎ、夫は元静岡県知事の斉藤滋与史である。また、章一郎の二人の子供は、長女の厚子が財務官僚の藤本進に嫁ぎ、長男の章男は昭和六十年に三井物産副社長田淵守の長女・裕子と結婚している。」という。
 
 
 
 
高橋半助
 
寿子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田幹司郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田英二
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田鐵郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田佐助
 
 
今井真三
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田周平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田平吉
 
 
百子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なを
 
 
後藤正
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
静子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田伊吉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田芳年
 
 
 
豊田幸吉郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
えい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
児玉一造
 
 
 
豊田大吉郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
児玉貞次郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田利三郎
 
 
 
豊田信吉郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浅子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
愛子
 
 
 
豊田禎吉郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田佐吉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
清水満昭
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
清水康雄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
絢子
 
 
豊田達也
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田喜一郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田達郎
 
 
由美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
斉藤了英
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
たみ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
斉藤滋与史
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
二十子
 
 
 
 
 
 
 
 
古川康中
 
 
 
 
 
 
飯田新七
 
 
 
 
 
 
 
 
和可子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
飯田新太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
啓子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西田赫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
紀子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
百合子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤本進
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田章一郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三井高寛
 
三井高長
 
 
 
 
 
 
 
厚子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
博子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
興子
 
 
 
 
 
 
 
豊田章男
 
 
 
 
 
 
 
三井高棟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三井高公
 
 
 
田淵守
 
裕子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
田淵実
 
 
 
 
 

出典[編集]

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  59. ^ Response 豊田社長、ニュル耐久に参戦…トヨタとアストンがコラボ
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  62. ^ トヨタ自動車豊田章男社長、ポルシェのWEC活動終了に「来年から同じ舞台で挑めないことは残念」
  63. ^ 【WEC最終戦】トヨタ・豊田章男社長「ポルシェとまた競いたい」WEC参戦継続か?
  64. ^ 「86」に引き抜かれ、上司に「ここで腐らずにがんばれよ」と
  65. ^ ログミーファイナンス 豊田章男社長が語る、未来の自動車産業とトヨタの戦略「ソフトもハードも全方位でやっていく」
  66. ^ ニュースポストセブン トヨタを再び販売台数世界一にした豊田章男社長の人物像とは
  67. ^ トヨタは変わったか? 実像を知る100人の証言 マツコ・デラックスさんの「豊田章男像」
  68. ^ ICHIRO×TOYODA シリーズ対談
  69. ^ [14]
  70. ^ 新城ラリーに「行ってきました!」
  71. ^ needsboxさんのツイート
  72. ^ 産経ニュース トヨタF1復帰「社長でいる限りない」豊田章男社長
  73. ^ PRESIDENT ONLINE 豊田章男社長が「もっといいクルマをつくろうよ」と言い続ける理由
  74. ^ 豊田社長の言葉から読み解く、トヨタWRC復帰
  75. ^ [https://gqjapan.jp/car/20170302/mr-toyoda-as-a-gq-japan-reporter-3/page/5 Mr.TOYODA AS A “GQ JAPAN” REPORTER GQ記者・豊田章男、ものづくりを考える──第3回 ヴォルフガング・ポルシェ (ポルシェAG監査役会会長)]
  76. ^ 【トヨタ WRC 復帰】豊田社長「18年恋い焦がれた彼女」…ヤリス WRC
  77. ^ トヨタ社長が取り込み狙う、車なくてもデートの若者-長期戦略
  78. ^ [http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/194452/060900063/?P=4 章男社長「俺の片思いか…」トヨタ86GRMN秘話 【第335回】 トヨタ86GRMN(開発者編・その2)]
  79. ^ 東洋経済ONLINE トヨタ社長が語ったデートとクルマの関係 あのとき僕らも若かった
  80. ^ [http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/194452/090900078/?rt=nocnt フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える 豊田章男社長「トヨタ嫌いの皆さまへ」 第349回 トヨタ・豊田章男社長スーパーインタビュー (その3)]
  81. ^ [読売新聞 2010年2月25日]
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  85. ^ “今年のベストドレッサー賞は宮沢りえ、片岡愛之助、小山薫堂、福原愛、トヨタ社長ら”. FASHION HEADLINE. (2014年11月28日). http://www.fashion-headline.com/article/2014/11/28/8632.html 2014年11月28日閲覧。 
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  88. ^ 『豊田市トヨタ町一番地』(読売新聞特別取材班、24頁より)
  89. ^ 『第五版・財界人物選集』(1939年)には、長女ではなく三女とある

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

ビジネス
先代:
渡辺捷昭
トヨタ自動車社長
第11代 : 2009年 -
次代:
(現職)
非営利団体
先代:
志賀俊之
日本自動車工業会会長
第15代 : 2012年 - 2014年
次代:
池史彦