ホセ・マリア・ロペス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ホセ・マリア・ロペス
Jose Maria Lopez 2014 WTCC Race of Japan.jpg
2014年のレース・オブ・ベルギーにて
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1983-04-26) 1983年4月26日(33歳)
出身地 アルゼンチン, Río Tercero
2016年世界ツーリングカー選手権
デビュー 2013
所属 Citroën Racing
車番 37
過去所属 Wiechers-Sport
出走回数 51
優勝回数 22
ポールポジション 15
ファステストラップ 20
シリーズ最高順位 1位 (2014, 2015)
過去参加シリーズ
2012–13
2008–13
2008–13
2008
2007–11
2007
200506
2004
200304
2003年, 2005年06
2002
200102
Super TC 2000
Top Race V6
Turismo Carretera
FIA GT Championship
TC 2000 Championship
American Le Mans Series
GP2 Series
International Formula 3000
Formula Renault V6 Eurocup
Formula One testing
Formula Renault Italia
FR2000 Eurocup
選手権タイトル
20142015
2012
2009
200809
2003
2002
WTCC
Super TC 2000
Top Race V6
TC 2000 Championship
Formula Renault V6 Eurocup
Formula Renault Italia

ホセ・マリア・ロペスJosé María "Pechito" López1983年4月26日 - )は、アルゼンチンコルドバ州リオ・セルセロ出身のレーシングドライバー。

経歴[編集]

2001年にルチディ・モータースポーツからフォーミュラ・ルノー・2000・ユーロカップ[1]、2002年はチームを移籍しクラム・コンペティションチームからフォーミュラ・ルノー・2000・ユーロカップに参戦しながら同年にはイタリア・フォーミュラ・ルノーに参戦しロバート・クビサを負かしてチャンピオンを獲得した[1]。2003年はフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップにDAMSから参戦、チャンピオンを獲得した[1]

2004年はフォーミュラ・ルノーV6・ユーロカップに参戦しながらCMSチームでフォーミュラ3000に参戦した(6位・28ポイント)[1]。またFIA GT選手権のテストを得て1レースのみDAMSランボルギーニチームからFIA GT選手権に参加[1]

2005年はフォーミュラ3000からシリーズ名が変更されたGP2へ引き続きDAMSから参戦(9位・36ポイント)[1]、2006年はSuper Novaチームから参戦(10位・30ポイント)[1]

2007年からはアルゼンチンの国内ツーリングカーシリーズであるTC2000に参戦し[1]、またアメリカン・ル・マン・シリーズフェラーリ・F430GTに乗りGT1クラスからセブリング12時間レースサンクトペテルブルクのRisi Competizione at St. Petersburgレースのみ参戦していた[1]

2008年にはTC2000のチャンピオンを獲得した[1]。また、Turismo CarreteraとTop Race V6にも参戦[1]。ACA アルゼンチン・フェラーリ・プロジェクトの一員としてACA・アルゼンチンチームからFIA GT選手権にも参戦していた[1]

2009年もTC2000に参戦し2年連続のチャンピオンを獲得し同年にはTop Race V6のチャンピオンも獲得した[1]

2010年にはUSF1と契約を発表。同年からのF1参戦を目指していたが、チームが資金難によって参戦を断念したため自身のF1参戦も幻となってしまう(後述)。 以降は同年のFIA GT1世界選手権の終盤2戦に出場。その後は母国アルゼンチンに戻り、再びTC2000をメインに参戦。

2013年にはWTCCの地元アルゼンチンラウンドにヴィヒャーズ=スポーツより出走。このラウンドのみの出場ながら第1レースで5位、第2レースにおいては優勝を飾った(シーズン15位)。

2014年のWTCC鈴鹿戦(2014/10/25 WTCC Race Of Japan)

2014年はこの年からワークス参戦となるシトロエンからWTCCにフル参戦。 開幕戦モロッコラウンドの第1レースでいきなりポールトゥウィンを決めると、第6戦ロシアラウンドの第1レースでもポールトゥウィン。母国レースの第8戦アルゼンチンラウンドにおいては、第1レースでシーズン3度目のポールトゥウィンを決めると、リバースグリッドで10番グリッドスタートとなった第2レースでも残り4周でロバート・ハフを抜いて優勝し、地元の声援に応える見事な走りを見せた。第11戦日本ラウンドの第1レースで9勝目をシーズン4度目のポールトゥウィンで決め、フル参戦1年目にしてWTCCシリーズチャンピオンを獲得した。アルゼンチン人ドライバーによるワールドチャンピオンの獲得は、ファン・マヌエル・ファンジオ1957年のF1世界選手権で5度目のワールドチャンピオンを獲得して以来となる[2]。最終戦マカオラウンドの第1レースでも勝利し、WTCCシーズン最多記録更新となる10勝を挙げた[3]

フォーミュラ1[編集]

2003年から2006年にかけてルノーF1の育成プログラムとなるルノー・ドライバー・デベロップメントの一員で2006年はルノーF1のテストドライバーを務めていた[1]

2010年のF1世界選手権においてUSF1との契約を発表したが800万ドルのスポンサーシップをチームに持ち込むことを条件とされていた[4]。そして、2010年1月26日にUSF1から参戦すことが発表された[5]。しかし、3月2日に契約したUS F1チームが資金難の為にチーム経営・運営を終了した為、ロペスも契約を解除された。その為、ヒスパニア・レーシング・F1チームでリザーブドライバーとしての契約を目指した。この一連のUS F1による騒動と契約解除劇はロペスにとってメディアや世間も非常に同情的であり、その背景にはレギュラーシート獲得の為に既にUS F1側に前払金として約83万ドルを渡している事が関連している。ロペス側陣営も「今回のチャンスは彼にとって最後のF1へのチャンスだろう」と述べた後、リザーブドライバーへの契約に尽力することを明かした。又、この件に関してロペスはUS F1について「彼らはFIAFOTAFOM、そしてアメリカのレースファンの全てをだました。」と述べている[6][7]

3月5日、マネージャーのフェリペ・マクゴーはホセ・マリア・ロペスがF1での仕事を見つけることが出来なかった事を公表した。それを表すかの様に、3月4日に行われたヒスパニア・レーシングの体制発表会にロペスの姿はなかった。又、契約していたUS F1側は、ロペスの前払金の返金を拒否していると伝えられる[8]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n "[1]
  2. ^ ロペス「憧れのセナ初戴冠の地で決められ幸せ」AUTO SPORTweb(2014年10月26日)
  3. ^ WTCCマカオR1:ロペスがシーズン最多新の10勝AUTO SPORTweb(2014年11月16日)
  4. ^ Argentine signs conditional USF1 race deal
  5. ^ US F1 Team announces Jose Maria Lopez as driver for 2010 season
  6. ^ Lopez exits USF1 contract, eyes Friday role with Campos”. motorsport.com (2010年3月2日). 2010年3月2日閲覧。
  7. ^ USF1 closed down?” (2010年3月2日). 2010年3月2日閲覧。
  8. ^ F1 Gate.com2010年3月5日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]