エイエ・エリジュ
エイエ・エリジュ(Eje Elgh,1953年6月15日[1] - )は、スウェーデン・エレブルー県カールスコーガ出身[2]の元レーシングドライバー。
「エジェ・エルグ」「エイエ・エルグ」とも表記された。
経歴
[編集]1965年からレーシングカート・レースにのめり込む[2]。1973年までの8シーズンで200戦以上のカートレース経験を積み、スウェーデン王者2回、スカンジナビアン選手権王者を獲得する。ケケ・ロズベルグ、フレディ・コトリンスキー、マンフレッド・シュルティ、ステファン・ヨハンソンはカート時代から張り合った戦友である[2]。
1973年よりフォーミュラ・スーパーVeeに参戦し、4輪レースを経験。きっかけは、先輩のグンナー・ニルソンがF3へのステップアップをする際にお古のスーパーVeeマシンをエリジュに「これは掘り出し物だから」と売ったことだった[2]。1975年には新たにスーパーVee用のローラを購入し、同年の年間ランキング3位となる。1976年までスーパーVeeに参戦した。
スウェーデンから本格的にレース活動をするためイギリスに渡り、1976年にイギリス・フォーミュラ3選手権への参戦を開始。1977年にシーズン3勝を挙げ、デレック・デイリー、スティーブン・サウス、ジェフ・リース、デレック・ワーウィックらとタイトル争いを展開した[2]。フォーミュラと並行してBMWでサルーンカー・レースにも参戦し、このシリーズ戦の1978年ヴァレルンガでの大会では、憧れのヒーローだったロニー・ピーターソン(同年9月に事故死する)がスポット参戦し、「後にも先にも彼と同じレースを走ったのはこの1戦だけになったので、名誉なことで思い出のレース」として挙げている[2]。
1978年にヨーロッパF2選手権へステップアップ、第4戦ポー・グランプリでこの年絶好調だったブルーノ・ジャコメリに次ぐ2位に入り初表彰台を獲得。1979年第10戦エンナでは、ロン・デニス率いるプロジェクト・フォー・レーシングのエースとなっていたデレック・デイリーを破りF2初優勝を挙げた。1980年のF2第4戦ヴァレルンガでクラッシュし、左手を骨折。治療のため戦線を離脱する。最終戦で復帰したが、シーズンノーポイントに終わる[2]。
1981年3月、5年間同居していた婚約者と結婚、長男アレクサンドルが誕生[2]。同年のヨーロッパF2では負傷も癒え、ジェフ・リース、ティエリー・ブーツェンに次いで年間ランキング3位の成績を残すなど、F2での実績によってF1マクラーレンのマシンでテストドライブの経験を持つが、F1シート獲得は実現しなかった[3]。
1983年より、全日本F2選手権にフル参戦。エリジュはその動機を、「ヨーロッパのチームオーナーはドライバーの持ってきたスポンサーからいくら受け取れるかしか考えてない人がかなり多い。F2もだけど、F1シートを取るための交渉となると酷いものだよ。命知らずなだけでガラクタのようなドライバーでも、多額のカネを持ってこれるとなれば強欲なチームオーナーが一時しのぎでそいつを短期間乗せて、自分はうまい汁を吸い取りカネもうけ、腕前とかレースで上位にいるとかの実績なんて全く役に立たないんだ。こんなバカげた状況にずっと付き合ってたら人間としておかしくなると思ってね。フェアなレース環境を求めて日本に来たんだ。日本のチームはまじめにレースに取り組むし、エンジニアリング面も優秀、欧州よりもドライバーの人間性が保護されている[2]。」と述べ、「以前に日本でスポット参戦した時にチーム・ルマンのトム・ハナワ(花輪智夫社長)とパイプができて、とてもお世話になった。彼から日本のF2に出るか?とオファーをして貰ったので、即座にOKしたよ。日本でのレース成績を足掛かりにして、カネを集める力ではなくレースでの実績でF1にのし上がっていけたらと考えてもいるんだ。それが不可能だとは思わない。」と経緯を語った[2]。
以後、全日本耐久選手権、全日本ツーリングカー選手権、全日本F3000選手権など日本のレースに本格参戦する。全日本F2選手権では、1984年年間4位、1985年年間5位の好成績を残す。同年の全日本耐久選手権の開幕戦となるインターナショナル鈴鹿500kmではジェフ・リースと童夢・84C/トヨタをドライブして国産グループCカーの初優勝達成に貢献[4]。また、同車でル・マン24時間レースにも参戦する。
日本では自身のレース参戦だけではなく、母国スウェーデンの後輩トーマス・ダニエルソンのマネージメントを担当し、1986年オフに全日本F2の鈴鹿テストに参加[5]。のちにダニエルソンが日本のレースに本格参戦するきっかけとなった。
1987年、菅生で開催された全日本ツーリングカー選手権第4戦にレース・デビュー戦となるトヨタ・スープラをアラン・ジョーンズとドライブして優勝[6]。1988年、鈴鹿サーキットで開催された全日本スポーツプロトタイプカー選手権第2戦「鈴鹿500kmレース」でマウリツィオ・サンドロ・サーラと組みポルシェ・962Cで優勝[7]など、カテゴリーを問わず実績を残した。
1991年はポルシェでの世界スポーツカー選手権の参戦と、JSPCにトヨタ・91C-Vで参戦し、ジェフ・リースとのチームワークで1勝を挙げた。
1992年はポルシェ・962でローランド・ラッツェンバーガー、スコット・ブレイトンとともにデイトナ24時間レース3位に入賞、同年6月のル・マン24時間ではラッツェンバーガー、エディ・アーバインとKITZトヨタ・92C-Vの34号車で参戦し、C2クラス2位を獲得。エリジュは同年での引退を考えていたが、翌1993年のル・マン24時間へ向けてNISSOトラスト・レーシングから参戦オファーを受け受諾、ジョージ・フーシェ&スティーブン・アンドスカーのコンビに助っ人として加わり、トヨタ・93C-V 25号車で参戦。C2クラス2位を獲得し、サーキット・レーサーとしてのキャリアを好成績をもって引退した。
引退後、テレビのレース中継解説者やスポーツ番組MCとして新たなキャリアを開始した[8]。レースチーム・マネージャーとしては2000年、スウェーデン・ツーリングカー選手権に自身が代表を務めるエルグ・モータースポーツを率いて日産・プリメーラで参戦。トミー・ラスタットがドライバータイトルを獲得し、チームタイトルも獲得。
2006年には全く違うカテゴリーであるダカール・ラリーへドライバーとしての参戦機会が訪れ、パオロ・バリッラ、マッテオ・マルゾットとともにMotortecnica MAN・4x4トラックで参戦。2009年大会にもバリッラとともに日産・パトロールで参戦した。この参戦では崖から転落する大きな事故を体験した。
2006年からマネージメントを担当する同胞の後輩・マーカス・エリクソンの2014年F1シート獲得に貢献し[8]、スウェーデン向けのF1グランプリ中継では25年以上コメンテーターを務めるほか、モナコGPの開催前に行われる往年のF1マシンでのヒストリックGPではマーチ・711を乗りこなすなどサーキットに姿を見せた。
2021年の健康診断で心臓の不整脈が指摘された際、実父が心臓発作の経歴を持っていたことを思い出し、大事を取って一時療養した[8]。3つのF1GPを欠場したのち、フランスGPより解説コメンテーターとして復帰した[8]。
趣味はモトクロス、水上スキー、クロスカントリー、サイクリング。言語はスウェーデン語、ノルウェー語、ドイツ語、オランダ語、英語に堪能。イタリア語も少し操れるが、日本語は「かなり難しいよ、日本語を3週間でマスターしようっていう本を買って読んでるけどね(笑)」と語る[2]。
レース戦績
[編集]イギリス・フォーミュラ3選手権
[編集]| 年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976年 | Rotel Racing | Viking TH1A | トヨタ・2T-G | THR | THR | ZOL | THR | BRH | SIL | OUL | BRH | MAL | THR | SNE | THR 8 |
NC | 0 | ||||
| 1977年 | シェブロン・レーシング | シェブロン・B38 | THR 10 |
OUL 1 |
SIL 13 |
THR 1 |
ZOL |
MON Ret |
BRH 3 |
DON Ret |
THR 12 |
CAD 3 |
DON 1 |
SNE 2 |
BRH 2 |
MAL 6 |
DON 4 |
THR Ret |
2位 | 56 |
B.R.D.C. / British Racing Drivers Club F3選手権 (Vandervellシリーズ)
[編集]| 年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | pt |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1977年 | シェブロン・レーシング | シェブロン・B38 | トヨタ・2T-G | SIL 8 |
BRH 4 |
SIL Ret |
SIL 6 |
DON |
SIL |
SIL |
5位 | 34 |
FIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
[編集]| 年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | Pos. | Pts |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976年 | Rotel Racing | Viking TH1A | トヨタ・2T-G | NÜR Ret |
ZAN DNQ |
MAN Ret |
AVU DNQ |
PER |
MNZ |
CET |
KAS |
KNU |
VLL |
NC | 0 | ||||||
| 1977年 | シェブロン・カーズ Ltd. | シェブロン・B38 | LEC | NÜR | ZAN | ZOL 4 |
ÖST | IMO | PER | MNZ | CET | KNU | KAS | DON 2 |
JAR | VLL | 12位 | 9 | |||
| 1978年 | シェブロン・B43 | ZAN | NÜR | ÖST | ZOL | IMO | NÜR | DIJ | MNZ | PER | MAG | KNU | KAR 4 |
DON | KAS | JAR | VLL | 20位 | 3 |
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
[編集]| 年 | チーム | シャーシ | エンジン | タイヤ | 車番 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | Pos. | Pts |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1977年 | Fred Opert Racing | シェブロン・B40 | ハート | 32 | SIL | THR | HOC | NÜR | VLL | PAU | MUG | ROU | NOG | PER | MIS | EST 8 |
DON | NC | 0 | |
| 1978年 | シェブロン・B42 | G | 15 | THR DNQ |
HOC DNQ |
NÜR 9 |
PAU 2 |
MUG 13 |
VLL DNQ |
ROU 6 |
DON Ret |
NOG 13 |
PER Ret |
MIS DNQ |
HOC 6 |
11位 | 8 | |||
| 1979年 | Marlboro Team Tiga | マーチ・792 | BMW・M12/7 | G | 22 | SIL Ret |
HOC DSQ |
THR Ret |
NÜR 12 |
VLL 9 |
MUG 3 |
PAU Ret |
HOC 10 |
ZAN 6 |
PER 1 |
MIS Ret |
DON 5 |
9位 | 16 | |
| 1980年 | MM Manpe Team | マウラー・MM80 | G | 20 | THR Ret |
HOC Ret |
NÜR Ret |
VLL Ret |
PAU | SIL | ZOL | MUG | ZAN | PER | MIS | HOC Ret |
NC | 0 | ||
| 1981年 | PENTHOUSE マウラー | マウラー・MM81 | P | 16 | SIL 18 |
HOC 4 |
THR 2 |
NÜR 2 |
VLL 1 |
MUG 4 |
PAU 5 |
PER 5 |
SPA 3 |
DON 7 |
MIS Ret |
MAN 17 |
3位 | 35 | ||
| 1982年 | マウラーモータースポーツ | マウラー・MM82 | M | 8 | SIL | HOC | THR | NÜR 17 |
MUG | VLL | PAU | SPA | HOC | DON | - | - | - | NC | 0 | |
| Horag Horz Racing | マーチ・822 | D | 42 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | MAN Ret |
PER | MIS |
全日本F2選手権/全日本F3000選手権
[編集]| 年 | チーム | マシン | エンジン | タイヤ | 車番 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1979年 | DIATONE マーチ | マーチ・782 | BMW・M12/7 | B | 9 | SUZ | NIS | SUZ | FSW | SUZ | SUZ | SUZ 4 |
-[9] | -[9] | ||
| 1981年 | Seelex RACINGMATE | マーチ・802 | 7 | SUZ | SUZ | SUZ | SUZ 7 |
- | 14位 | 4 | ||||||
| CIBIE マウラー | マウラー・MM81 | 2 | - | - | - | - | SUZ 9 |
2 | ||||||||
| 1982年 | ADVAN | マーチ・802 / 812 | Y | 7 | SUZ | FSW 7 |
SUZ | SUZ | SUZ | - | 14位 | 4 | ||||
| GPA MOTUL AGS | AGS・JH19 | D | 88 | - | - | - | - | - | SUZ 6 |
6 | ||||||
| 1983年 | footworkレーシングメイト LeMans | マーチ・832 | B | 7 | SUZ 3 |
FSW 7 |
NIS | SUZ 6 |
SUZ 5 |
FSW | SUZ 12 |
SUZ 13 |
9位 | 30 | ||
| 1984年 | オートバックス with ウチダ | マーチ・842 | D | 28 | SUZ 4 |
FSW 4 |
NIS Ret |
SUZ 4 |
SUZ 5 |
FSW 3 |
SUZ 6 |
SUZ Ret |
4位 | 56 | ||
| 1985年 | 佐川急便 スピードスター | マーチ・85J | ホンダ・RA265E | D | 6 | SUZ 3 |
FSW 10 |
NIS Ret |
SUZ 5 |
SUZ 3 |
FSW Ret |
SUZ 6 |
SUZ 4 |
5位 | 49 | |
| 1986年 | ダンロップフォーミュラM2 | マーチ・86J | ヤマハ・OX66 | D | 3 | SUZ 5 |
FSW 10 |
NIS 2 |
SUZ 9 |
SUZ 8 |
FSW 10 |
SUZ 4 |
SUZ 7 |
6位 | 42 (44) | |
| 1987年 | SANSUI R&S KITAMURA | マーチ・87B | コスワース・DFV | D | 7 | SUZ 12 |
FSW Ret |
NIS 9 |
SUZ 8 |
SUZ 8 |
SUG Ret |
FSW 4 |
SUZ 6 |
SUZ Ret |
11位 | 24 |
| 1988年 | TAKENAKAキヤノンLOLA | ローラ・T88/50 | 無限・MF308 | D | 30 | SUZ 7 |
FSW 12 |
NIS 10 |
SUZ 10 |
SUG 9 |
FSW 9 |
SUZ 9 |
SUZ 9 |
NC | 0 |
ル・マン24時間レース
[編集]| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1982年 | マーチ・82G-シボレー | C | 78 | DNF | DNF | ||
| 1984年 | 童夢・RC83-フォード コスワース | C1 | - | DNS | DNS | ||
| 1985年 | 童夢・85C-L-トヨタ | C1 | 141 | DNF | DNF | ||
| 1986年 | 童夢・86C-L-トヨタ | C1 | 296 | NC | NC | ||
| 1987年 | トヨタ・87C-L | C1 | 19 | DNF | DNF | ||
| 1988年 | ポルシェ・962C | C1 | 359 | 10位 | 10位 | ||
| 1989年 | C1 | 321 | 13位 | 10位 | |||
| 1990年 | ポルシェ・TS962 | C1 | 326 | 15位 | 15位 | ||
| 1991年 | ポルシェ・962C | C2 | 202 | DNF | DNF | ||
| 1992年 | トヨタ・92C-V | C2 | 321 | 9位 | 2位 | ||
| 1993年 | トヨタ・93C-V | C2 | 358 | 6位 | 2位 |
マカオグランプリF3
[編集]| 年 | チーム | シャーシー/エンジン | 予選 | レース1 | レース2 | 総合順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983年 | ハヤシ・322 トヨタ | 6位 | 6位 | 5位 | 4位 | |
| 1984年 | ラルト・RT3 トヨタ | 22位 | 13位 | 20位 | 15位 |
デイトナ24時間レース
[編集]| 年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992年 | ポルシェ・962 | GTP | 749 | 3位 | 2位 | ||
Source:[10] | |||||||
全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
[編集]| 年 | 所属チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | タイヤ | 車番 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986年 | ワコール童夢トヨタ | 童夢・84C/トヨタ | D | 38 | C1 | SUZ Ret |
位 | |||||||
| 童夢・86C/トヨタ | FSW 4 |
FSW Ret |
SUZ Ret |
FSW 22 |
||||||||||
| FSW 6 |
全日本ツーリングカー選手権
[編集]| 年 | チーム | コ.ドライバー | 使用車両 | 車番 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986年 | ワコールFX | トヨタ・カローラFX | 21 | DlV.1 | NIS | SUG 6 |
TSU | SEN | FSW Ret |
SUZ 12 |
位 | ||
| 1987年 | DUNLOP AJR ローバー | ローバー・ビテス | 3 | DIV.3 | NIS 3 |
SEN 7 |
TSU 4 |
位 | |||||
| ミノルタ トヨタ・トムス | トヨタ・スープラ | 36 | DIV.3 | SUG 1 |
SUZ 5 |
位 | |||||||
| FSW Ret |
|||||||||||||
| 1988年 | DUNLOP シミズ | フォード・シエラ | 3 | JTC-1 | SUZ | NIS Ret |
SEN Ret |
TSU 2 |
SUG 1 |
FSW 3 |
位 | ||
| 1989年 | バイヨ トムス | トヨタ・スープラ | 37 | JTC-1 | NIS | SEN | TSU Ret |
SUG | SUZ | FSW | 位 |
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ↑ 「好調リースは全員からマークされる存在 7/エジェ・エルグ」『鈴鹿グレート20レーサーズ1983 公式プログラム』JAF日本自動車連盟/ホンダランド、1983年9月25日、12頁。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 「ASスペシャルインタビュー⑥エイエ・エリジュ・滞在日本レース活動を支える勇気と決意」『オートスポーツ No.371』三栄書房、1983年5月15日、45-47頁。
- ↑ Career Summary:Eje Elgh Snap Lap
- ↑ インターナショナル鈴鹿500km自動車レース 500km(D)リザルト JAFモータースポーツ (1985年4月7日)
- ↑ 「鈴鹿でF2ドライバーオーディション」『Racing On 1987年2月号』武集書房
- ↑ SUGOグループA 300km選手権レース(3)リザルト JAFモータースポーツ (1987年9月20日)
- ↑ インターナショナル鈴鹿500km自動車レース500km(C)リザルト JAFモータースポーツ (1988年4月10日)
- 1 2 3 4 Hälsoproblem har stoppat Elgh från F1-sändningarna EXPRESSEN (2021年01月18日)
- 1 2 JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。
- ↑ “Daytona 24 Hours - (Race Results)”. racingsportscars.com. 2018年6月13日閲覧。
- ↑ 「ワコールモータースポーツウェア DADADOデビュー」『オートスポーツ No.445』三栄書房、1986年5月1日、148-149頁。