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エイエ・エリジュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エイエ・エリジュEje Elgh1953年6月15日[1] - )は、スウェーデンエレブルー県カールスコーガ出身[2]の元レーシングドライバー

「エジェ・エルグ」「エイエ・エルグ」とも表記された。

経歴

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1965年からレーシングカート・レースにのめり込む[2]。1973年までの8シーズンで200戦以上のカートレース経験を積み、スウェーデン王者2回、スカンジナビアン選手権王者を獲得する。ケケ・ロズベルグ、フレディ・コトリンスキー、マンフレッド・シュルティ、ステファン・ヨハンソンはカート時代から張り合った戦友である[2]

1973年よりフォーミュラ・スーパーVee英語版に参戦し、4輪レースを経験。きっかけは、先輩のグンナー・ニルソンがF3へのステップアップをする際にお古のスーパーVeeマシンをエリジュに「これは掘り出し物だから」と売ったことだった[2]。1975年には新たにスーパーVee用のローラを購入し、同年の年間ランキング3位となる。1976年までスーパーVeeに参戦した。

スウェーデンから本格的にレース活動をするためイギリスに渡り、1976年にイギリス・フォーミュラ3選手権への参戦を開始。1977年にシーズン3勝を挙げ、デレック・デイリースティーブン・サウスジェフ・リースデレック・ワーウィックらとタイトル争いを展開した[2]。フォーミュラと並行してBMWでサルーンカー・レースにも参戦し、このシリーズ戦の1978年ヴァレルンガでの大会では、憧れのヒーローだったロニー・ピーターソン(同年9月に事故死する)がスポット参戦し、「後にも先にも彼と同じレースを走ったのはこの1戦だけになったので、名誉なことで思い出のレース」として挙げている[2]

1978年ヨーロッパF2選手権へステップアップ、第4戦ポー・グランプリでこの年絶好調だったブルーノ・ジャコメリに次ぐ2位に入り初表彰台を獲得。1979年第10戦エンナでは、ロン・デニス率いるプロジェクト・フォー・レーシングのエースとなっていたデレック・デイリーを破りF2初優勝を挙げた。1980年のF2第4戦ヴァレルンガでクラッシュし、左手を骨折。治療のため戦線を離脱する。最終戦で復帰したが、シーズンノーポイントに終わる[2]

1981年3月、5年間同居していた婚約者と結婚、長男アレクサンドルが誕生[2]同年のヨーロッパF2では負傷も癒え、ジェフ・リース、ティエリー・ブーツェンに次いで年間ランキング3位の成績を残すなど、F2での実績によってF1マクラーレンのマシンでテストドライブの経験を持つが、F1シート獲得は実現しなかった[3]

1983年より、全日本F2選手権にフル参戦。エリジュはその動機を、「ヨーロッパのチームオーナーはドライバーの持ってきたスポンサーからいくら受け取れるかしか考えてない人がかなり多い。F2もだけど、F1シートを取るための交渉となると酷いものだよ。命知らずなだけでガラクタのようなドライバーでも、多額のカネを持ってこれるとなれば強欲なチームオーナーが一時しのぎでそいつを短期間乗せて、自分はうまい汁を吸い取りカネもうけ、腕前とかレースで上位にいるとかの実績なんて全く役に立たないんだ。こんなバカげた状況にずっと付き合ってたら人間としておかしくなると思ってね。フェアなレース環境を求めて日本に来たんだ。日本のチームはまじめにレースに取り組むし、エンジニアリング面も優秀、欧州よりもドライバーの人間性が保護されている[2]。」と述べ、「以前に日本でスポット参戦した時にチーム・ルマンのトム・ハナワ(花輪智夫社長)とパイプができて、とてもお世話になった。彼から日本のF2に出るか?とオファーをして貰ったので、即座にOKしたよ。日本でのレース成績を足掛かりにして、カネを集める力ではなくレースでの実績でF1にのし上がっていけたらと考えてもいるんだ。それが不可能だとは思わない。」と経緯を語った[2]

以後、全日本耐久選手権全日本ツーリングカー選手権全日本F3000選手権など日本のレースに本格参戦する。全日本F2選手権では、1984年年間4位、1985年年間5位の好成績を残す。同年の全日本耐久選手権の開幕戦となるインターナショナル鈴鹿500kmではジェフ・リースと童夢・84C/トヨタをドライブして国産グループCカーの初優勝達成に貢献[4]。また、同車でル・マン24時間レースにも参戦する。

日本では自身のレース参戦だけではなく、母国スウェーデンの後輩トーマス・ダニエルソンのマネージメントを担当し、1986年オフに全日本F2の鈴鹿テストに参加[5]。のちにダニエルソンが日本のレースに本格参戦するきっかけとなった。

1987年菅生で開催された全日本ツーリングカー選手権第4戦にレース・デビュー戦となるトヨタ・スープラアラン・ジョーンズとドライブして優勝[6]1988年鈴鹿サーキットで開催された全日本スポーツプロトタイプカー選手権第2戦「鈴鹿500kmレース」でマウリツィオ・サンドロ・サーラと組みポルシェ・962Cで優勝[7]など、カテゴリーを問わず実績を残した。

1991年はポルシェでの世界スポーツカー選手権の参戦と、JSPCにトヨタ・91C-Vで参戦し、ジェフ・リースとのチームワークで1勝を挙げた。

1992年はポルシェ・962でローランド・ラッツェンバーガースコット・ブレイトンとともにデイトナ24時間レース3位に入賞、同年6月のル・マン24時間ではラッツェンバーガー、エディ・アーバインとKITZトヨタ・92C-Vの34号車で参戦し、C2クラス2位を獲得。エリジュは同年での引退を考えていたが、翌1993年のル・マン24時間へ向けてNISSOトラスト・レーシングから参戦オファーを受け受諾、ジョージ・フーシェスティーブン・アンドスカーのコンビに助っ人として加わり、トヨタ・93C-V 25号車で参戦。C2クラス2位を獲得し、サーキット・レーサーとしてのキャリアを好成績をもって引退した。

引退後、テレビのレース中継解説者やスポーツ番組MCとして新たなキャリアを開始した[8]。レースチーム・マネージャーとしては2000年スウェーデン・ツーリングカー選手権に自身が代表を務めるエルグ・モータースポーツを率いて日産・プリメーラで参戦。トミー・ラスタットがドライバータイトルを獲得し、チームタイトルも獲得。

2006年には全く違うカテゴリーであるダカール・ラリーへドライバーとしての参戦機会が訪れ、パオロ・バリッラ、マッテオ・マルゾットとともにMotortecnica MAN・4x4トラックで参戦。2009年大会にもバリッラとともに日産・パトロールで参戦した。この参戦では崖から転落する大きな事故を体験した。

2006年からマネージメントを担当する同胞の後輩・マーカス・エリクソンの2014年F1シート獲得に貢献し[8]、スウェーデン向けのF1グランプリ中継では25年以上コメンテーターを務めるほか、モナコGPの開催前に行われる往年のF1マシンでのヒストリックGPではマーチ・711を乗りこなすなどサーキットに姿を見せた。

2021年の健康診断で心臓の不整脈が指摘された際、実父が心臓発作の経歴を持っていたことを思い出し、大事を取って一時療養した[8]。3つのF1GPを欠場したのち、フランスGPより解説コメンテーターとして復帰した[8]

趣味はモトクロス水上スキークロスカントリーサイクリング。言語はスウェーデン語ノルウェー語ドイツ語オランダ語英語に堪能。イタリア語も少し操れるが、日本語は「かなり難しいよ、日本語を3週間でマスターしようっていう本を買って読んでるけどね(笑)」と語る[2]

レース戦績

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イギリス・フォーミュラ3選手権

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B.A.R.C./ British Automobile Racing Club F3選手権 (BPシリーズ)

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1976年 Rotel Racing Viking TH1A トヨタ・2T-G THR THR ZOL THR BRH SIL OUL BRH MAL THR SNE THR
8
NC 0
1977年 シェブロン・レーシング シェブロン・B38 THR
10
OUL
1
SIL
13
THR
1
ZOL
MON
Ret
BRH
3
DON
Ret
THR
12
CAD
3
DON
1
SNE
2
BRH
2
MAL
6
DON
4
THR
Ret
2位 56

B.R.D.C. / British Racing Drivers Club F3選手権 (Vandervellシリーズ)

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 順位 pt
1977年 シェブロン・レーシング シェブロン・B38 トヨタ・2T-G SIL
8
BRH
4
SIL
Ret
SIL
6
DON
SIL
SIL
5位 34

FIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 Pos. Pts
1976年 Rotel Racing Viking TH1A トヨタ・2T-G NÜR
Ret
ZAN
DNQ
MAN
Ret
AVU
DNQ
PER
MNZ
CET
KAS
KNU
VLL
NC 0
1977年 シェブロン・カーズ Ltd. シェブロン・B38 LEC NÜR ZAN ZOL
4
ÖST IMO PER MNZ CET KNU KAS DON
2
JAR VLL 12位 9
1978年 シェブロン・B43 ZAN NÜR ÖST ZOL IMO NÜR DIJ MNZ PER MAG KNU KAR
4
DON KAS JAR VLL 20位 3

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

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チーム シャーシ エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 Pos. Pts
1977年 Fred Opert Racing シェブロン・B40 ハート 32 SIL THR HOC NÜR VLL PAU MUG ROU NOG PER MIS EST
8
DON NC 0
1978年 シェブロン・B42 G 15 THR
DNQ
HOC
DNQ
NÜR
9
PAU
2
MUG
13
VLL
DNQ
ROU
6
DON
Ret
NOG
13
PER
Ret
MIS
DNQ
HOC
6
11位 8
1979年 Marlboro Team Tiga マーチ・792 BMW・M12/7 G 22 SIL
Ret
HOC
DSQ
THR
Ret
NÜR
12
VLL
9
MUG
3
PAU
Ret
HOC
10
ZAN
6
PER
1
MIS
Ret
DON
5
9位 16
1980年 MM Manpe Team マウラー・MM80 G 20 THR
Ret
HOC
Ret
NÜR
Ret
VLL
Ret
PAU SIL ZOL MUG ZAN PER MIS HOC
Ret
NC 0
1981年 PENTHOUSE マウラー マウラー・MM81 P 16 SIL
18
HOC
4
THR
2
NÜR
2
VLL
1
MUG
4
PAU
5
PER
5
SPA
3
DON
7
MIS
Ret
MAN
17
3位 35
1982年 マウラーモータースポーツ マウラー・MM82 M 8 SIL HOC THR NÜR
17
MUG VLL PAU SPA HOC DON - - - NC 0
Horag Horz Racing マーチ・822 D 42 - - - - - - - - - - MAN
Ret
PER MIS

全日本F2選手権/全日本F3000選手権

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チーム マシン エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1979年 DIATONE マーチ マーチ・782 BMW・M12/7 B 9 SUZ NIS SUZ FSW SUZ SUZ SUZ
4
-[9] -[9]
1981年 Seelex RACINGMATE マーチ・802 7 SUZ SUZ SUZ SUZ
7
- 14位 4
CIBIE マウラー マウラー・MM81 2 - - - - SUZ
9
2
1982年 ADVAN マーチ・802 / 812 Y 7 SUZ FSW
7
SUZ SUZ SUZ - 14位 4
GPA MOTUL AGS AGS・JH19 D 88 - - - - - SUZ
6
6
1983年 footworkレーシングメイト LeMans マーチ・832 B 7 SUZ
3
FSW
7
NIS SUZ
6
SUZ
5
FSW SUZ
12
SUZ
13
9位 30
1984年 オートバックス with ウチダ マーチ・842 D 28 SUZ
4
FSW
4
NIS
Ret
SUZ
4
SUZ
5
FSW
3
SUZ
6
SUZ
Ret
4位 56
1985年 佐川急便 スピードスター マーチ・85J ホンダ・RA265E D 6 SUZ
3
FSW
10
NIS
Ret
SUZ
5
SUZ
3
FSW
Ret
SUZ
6
SUZ
4
5位 49
1986年 ダンロップフォーミュラM2 マーチ・86J ヤマハ・OX66 D 3 SUZ
5
FSW
10
NIS
2
SUZ
9
SUZ
8
FSW
10
SUZ
4
SUZ
7
6位 42 (44)
1987年 SANSUI R&S KITAMURA マーチ・87B コスワース・DFV D 7 SUZ
12
FSW
Ret
NIS
9
SUZ
8
SUZ
8
SUG
Ret
FSW
4
SUZ
6
SUZ
Ret
11位 24
1988年 TAKENAKAキヤノンLOLA ローラ・T88/50 無限・MF308 D 30 SUZ
7
FSW
12
NIS
10
SUZ
10
SUG
9
FSW
9
SUZ
9
SUZ
9
NC 0

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1982年 イギリスの旗 マーチ レーシング アメリカ合衆国の旗 ジェフ・ウッド
ベルギーの旗 パトリック・ネーブ
マーチ・82G-シボレー C 78 DNF DNF
1984年 日本の旗 Uchida 童夢 レーシング チーム スウェーデンの旗 スタンレー・ディケンズ 童夢・RC83-フォード コスワース C1 - DNS DNS
1985年 日本の旗 童夢 チーム イギリスの旗 ジェフ・リース
日本の旗 鈴木利男
童夢・85C-L-トヨタ C1 141 DNF DNF
1986年 日本の旗 童夢 株式会社 イタリアの旗 ベッペ・ガビアーニ
日本の旗 鈴木利男
童夢・86C-L-トヨタ C1 296 NC NC
1987年 日本の旗 トヨタ チーム トムス オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ
イギリスの旗 ジェフ・リース
トヨタ・87C-L C1 19 DNF DNF
1988年 オーストラリアの旗 武富士 シュパン レーシング イギリスの旗 ブライアン・レッドマン
フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ
ポルシェ・962C C1 359 10位 10位
1989年 オーストラリアの旗 チーム シュパン オーストラリアの旗 ヴァーン・シュパン
オーストラリアの旗 ゲイリー・ブラバム
C1 321 13位 10位
1990年 スウェーデンの旗 トーマス・ダニエルソン
オーストラリアの旗 トーマス・メゼラ
ポルシェ・TS962 C1 326 15位 15位
1991年 スイスの旗 チーム サラミン プリマガス
オーストラリアの旗 チーム シュパン
オーストリアの旗 ローランド・ラッツェンバーガー
イギリスの旗 ウィル・ホイ
ポルシェ・962C C2 202 DNF DNF
1992年 日本の旗 トヨタ チーム トムス
日本の旗 キッツ レーシングチーム with SARD
オーストリアの旗 ローランド・ラッツェンバーガー
イギリスの旗 エディ・アーバイン
トヨタ・92C-V C2 321 9位 2位
1993年 日本の旗 ニッソー トラスト レーシング 南アフリカ共和国の旗 ジョージ・フーシェ
スウェーデンの旗 スティーブン・アンドスカー
トヨタ・93C-V C2 358 6位 2位

マカオグランプリF3

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チーム シャーシー/エンジン 予選 レース1 レース2 総合順位
1983年 日本の旗 オートバックスレーシング ハヤシ・322 トヨタ 6位 6位 5位 4位
1984年 イギリスの旗 Crown Motors Racing ラルト・RT3 トヨタ 22位 13位 20位 15位

デイトナ24時間レース

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チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1992年 オーストラリアの旗 チーム・0123 アメリカ合衆国の旗 ハーレイ・ヘイウッド
オーストリアの旗 ローランド・ラッツェンバーガー
アメリカ合衆国の旗 スコット・ブレイトン
ポルシェ・962 GTP 749 3位 2位
Source:[10]

全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権

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所属チーム コ.ドライバー 使用車両 タイヤ 車番 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1986年 ワコール童夢トヨタ イタリアの旗 ベッペ・ガビアーニ 童夢・84C/トヨタ D 38 C1 SUZ
Ret
イタリアの旗 ベッペ・ガビアーニ 童夢・86C/トヨタ FSW
4
FSW
Ret
SUZ
Ret
FSW
22
スウェーデンの旗 トーマス・ダニエルソン FSW
6

全日本ツーリングカー選手権

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チーム コ.ドライバー 使用車両 車番 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1986年 ワコールFX 日本の旗 岡本佳織 トヨタ・カローラFX 21 DlV.1 NIS SUG
6
TSU SEN FSW
Ret
SUZ
12
1987年 DUNLOP AJR ローバー 日本の旗 赤池卓 ローバー・ビテス 3 DIV.3 NIS
3
SEN
7
TSU
4
ミノルタ トヨタ・トムス オーストラリアの旗 アラン・ジョーンズ トヨタ・スープラ 36 DIV.3 SUG
1
SUZ
5
イタリアの旗 マウロ・バルディ FSW
Ret
1988年 DUNLOP シミズ ブラジルの旗 マウリツィオ・サンドロ・サーラ フォード・シエラ 3 JTC-1 SUZ NIS
Ret
SEN
Ret
TSU
2
SUG
1
FSW
3
1989年 バイヨ トムス イタリアの旗 パオロ・バリッラ トヨタ・スープラ 37 JTC-1 NIS SEN TSU
Ret
SUG SUZ FSW

関連項目

[編集]

脚注

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  1. 「好調リースは全員からマークされる存在 7/エジェ・エルグ」『鈴鹿グレート20レーサーズ1983 公式プログラム』JAF日本自動車連盟/ホンダランド、1983年9月25日、12頁。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 「ASスペシャルインタビュー⑥エイエ・エリジュ・滞在日本レース活動を支える勇気と決意」『オートスポーツ No.371』三栄書房、1983年5月15日、45-47頁。
  3. Career Summary:Eje Elgh Snap Lap
  4. インターナショナル鈴鹿500km自動車レース 500km(D)リザルト JAFモータースポーツ (1985年4月7日)
  5. 「鈴鹿でF2ドライバーオーディション」『Racing On 1987年2月号』武集書房
  6. SUGOグループA 300km選手権レース(3)リザルト JAFモータースポーツ (1987年9月20日)
  7. インターナショナル鈴鹿500km自動車レース500km(C)リザルト JAFモータースポーツ (1988年4月10日)
  8. 1 2 3 4 Hälsoproblem har stoppat Elgh från F1-sändningarna EXPRESSEN (2021年01月18日)
  9. 1 2 JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。
  10. Daytona 24 Hours - (Race Results)”. racingsportscars.com. 2018年6月13日閲覧。
  11. 「ワコールモータースポーツウェア DADADOデビュー」『オートスポーツ No.445』三栄書房、1986年5月1日、148-149頁。

外部リンク

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