ダン・ガーニー

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ダン・ガーニー
DanGurney2008Rolex24HoursOfDaytona.jpg
基本情報
フルネーム ダニエル・セクストン・ガーニー
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・ニューヨーク州
ポートジェファーソン
生年月日 (1931-04-13) 1931年4月13日(86歳)
F1での経歴
活動時期 1959-1968,1970
所属チーム '59 フェラーリ
'60 BRM
'61-'62 ポルシェ
'62 ロータス
'63-'65,'68 ブラバム
'66-'68 イーグル
'68,'70 マクラーレン
出走回数 86
タイトル 0
優勝回数 4
表彰台(3位以内)回数 19
通算獲得ポイント 133
ポールポジション 3
ファステストラップ 6
初勝利 1962年フランスGP
最終勝利 1967年ベルギーGP
最終戦 1970年イギリスGP
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ダニエル・"ダン"・セクストン・ガーニーDaniel "Dan" Sexton Gurney1931年4月13日 - )はアメリカ合衆国の元レーシングドライバー。

概要[編集]

オペラ歌手の家庭に生まれたが、1955年にカリフォルニア州南部でトライアンフ・TR2に乗りレースキャリアをスタートした。

同年代のドライバーの中でも名を広く知られた1人で、F1インディカー・シリーズNASCARル・マン24時間レース等フォーミュラ・ハコを問わず様々なレースで優勝を飾っている。

またAAR(オールアメリカンレーサーズ)の創設者であり、コンストラクターとして自分のドライブするマシンを開発した。1970年にドライバーを引退した後もAARのオーナーとしてモータースポーツに携わった。彼が史上初めて行ったことに、ガーニー・フラップの製作、シャンパンファイト、アメリカ系コンストラクターのF1勝利などがある。

ドライバーとしての活躍[編集]

F1[編集]

F1へは、スポーツカーレースでの縁がきっかけとなり、1959年にフェラーリからデビュー。参戦した4戦中デビュー戦はリタイヤとなったが残る3戦で入賞し、そのうち2度表彰台に上がっている。

1960年はBRMで不本意な成績に終わったが1961年はポルシェに移籍。3度の2位などでランキング3位となった。この年、オランダGPで観客を死亡させてしまう事故をおこしてしまっている。1962年にはポルシェ・804に乗り第4戦フランスグランプリにて初優勝、これはポルシェチームにとっても初優勝であり、結果的にポルシェF1唯一の優勝となった。

1963年より新鋭チームのブラバムに移籍。2年目の1964年には第2戦オランダグランプリで初のポールポジションを獲得。第4戦フランスグランプリでは移籍後初勝利を挙げ、チームに初優勝をもたらした。最終戦のメキシコグランプリでも、シーズン2勝目を挙げている。

1966年より自らが立ち上げたアングロ・アメリカン・レーサーズ(後にオール・アメリカン・レーサーズに改称)に在籍。2年目の1967年に第4戦ベルギーグランプリでチーム初勝利を飾る。その後様々なチームから散発的な参戦を行うも1970年をもってドライバー業そのものを終えることとなった。

ル・マン[編集]

1967年のル・マン24時間レースにおいてA.J.フォイトとともにフォード・GT40Mk.IVに乗り総合優勝している。なおこのとき表彰台でシャンパンを振りまいたのが、スポーツ史における最初のシャンパンファイトとなっている。

チャンプカー[編集]

1962年から1970年のインディ500にスペースフレームの自製シャーシを用いて参戦。優勝こそなかったものの、2度の2位と1度の3位を記録した。1969年にはF1に参戦する代わりにUSACチャンプカーに参戦、28レースで7度の勝利を挙げた。

NASCAR[編集]

NASCARグランドナショナル(現カップ戦)には1962年からロードコースのリバーサイド・インターナショナル・レースウェイを中心にスポット参戦。1963年から1966年にかけてリバーサイドで4連覇を記録した。1968年にも勝ち、通算5勝を挙げた。1960年代前半にはデイトナ500にも参戦しており、1963年の5位が最高順位となっている。

チームオーナーとしての活躍[編集]

1970年から2011年までチームオーナーを務め、インディ500、デイトナ24時間レースセブリング12時間レースを含む通算78レースに勝利した。また、トヨタのセミワークスとしてIMSAでタイトルを獲得する活躍を見せた。

1990年にガーニーはそれまでの多大な功績を讃えられ、国際モータースポーツ殿堂入りした。

エピソード[編集]

  • ガーニーフラップは、ガーニーが開発したことに由来し命名されたものである。
  • 1968年のオランダグランプリで、F1ドライバーとして初めてフルフェイスヘルメットを着用した[1]
  • レーサーでは唯一アメリカ大統領候補になった経験を持っている。
  • フォード・GT40の室内高は非常に低く、ガーニーが乗車するとヘルメットの頭頂部が天井にぶつかってしまった。そこで、ヘルメットがぶつからないように天井に小さな凹み(ガーニーバブル)が設けられるという措置が取られた。

F1での年度別成績[編集]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 WDC ポイント
1959年 フェラーリ Dino 246 MON 500 NED FRA
Ret
GBR GER
2
POR
3
ITA
4
USA 7位 13
1960年 オーウェン P48 ARG MON
NC
500 NED
Ret
BEL
Ret
FRA
Ret
GBR
10
POR
Ret
ITA USA
Ret
NC
(40位)
0
1961年 ポルシェ 718 MON
5
BEL
6
FRA
2
GBR
7
GER
7
USA
2
4位 21
787 NED
10
ITA
2
1962年 804 NED
Ret
MON
Ret
FRA
1
GBR
9
GER
3
ITA
Ret
USA
5
RSA 5位 15
ロータス/ウルフガング・ザイデル 24 BEL
DNS
1963年 ブラバム BT7 MON
Ret
BEL
3
NED
2
FRA
5
GBR
Ret
GER
Ret
ITA
14
USA
Ret
MEX
6
RSA
2
5位 19
1964年 MON
Ret
NED
Ret
BEL
6
FRA
1
GBR
13
GER
10
AUT
Ret
ITA
10
USA
Ret
MEX
1
6位 19
1965年 BT11 RSA
Ret
MON BEL
10
FRA
Ret
GBR
6
NED
3
GER
3
ITA
3
USA
2
MEX
2
4位 25
1966年 アングロ・アメリカン Mk1 MON BEL
NC
FRA
5
GBR
Ret
NED
Ret
GER
7
ITA
Ret
USA
Ret
MEX
5
12位 4
1967年 RSA
Ret
MON
Ret
NED
Ret
BEL
1
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
CAN
3
ITA
Ret
USA
Ret
MEX
Ret
8位 13
1968年 RSA
Ret
ESP MON
Ret
BEL FRA GBR
Ret
GER
9
ITA
Ret
21位 3
ブラバム BT24 NED
Ret
マクラーレン/アングロ・アメリカン M7A CAN
Ret
USA
4
MEX
Ret
1970年 マクラーレン M14A RSA ESP MON BEL NED
Ret
FRA
6
GBR
Ret
GER AUT ITA CAN USA MEX 24位 1

脚注[編集]

関連項目[編集]

タイトル
先代:
ブルース・マクラーレン
クリス・エイモン
ル・マン24時間優勝者
1967 with:
A.J.フォイト
次代:
ペドロ・ロドリゲス
ルシアン・ビアンキ