1970年イタリアグランプリ

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イタリア 1970年イタリアグランプリ
レース詳細
1970年F1世界選手権全13戦の第10戦
モンツァ・サーキット (1957-1971)
日程 1970年9月6日
正式名称 XLI Gran Premio d'Italia
開催地 モンツァ・サーキット
イタリアの旗 イタリア モンツァ
コース 恒久的レース施設
コース長 5.750 km (3.573 mi)
レース距離 68周 391.000 km (242.956 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 1:24.14
ファステストラップ
ドライバー スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ
タイム 1:25.2 (65[1]周目)
決勝順位
優勝 フェラーリ
2位 マーチ-フォード
3位 マトラ

1970年イタリアグランプリ (1970 Italian Grand Prix) は、1970年のF1世界選手権第10戦として、1970年9月6日モンツァ・サーキットで開催された[2]

レース前日の9月5日に行われた練習走行でヨッヘン・リントが事故死してしまい、レースは台無しになった。リントは死後にチャンピオンを獲得した唯一のF1ドライバーとなった[3]。レースは68周で行われ、フェラーリクレイ・レガツォーニが3番手スタートから初優勝を挙げた。ティレルからマーチを駆るジャッキー・スチュワートが2位、マトラジャン=ピエール・ベルトワーズが3位となった。

背景[編集]

ドライバーズランキング首位のヨッヘン・リントは45点で、2位のジャック・ブラバムに20点の差を付けていた。本レースでリントが優勝し、ブラバムが5位以下に終われば、リントが初のチャンピオンとなる[4]

エントリー[編集]

モンツァに各チームが集まった時の話題は、前戦オーストリアGPの翌週にオウルトン・パークで開催されたインターナショナル・ゴールドカップ英語版でデビューしたばかりのティレル・001のパフォーマンスであった[5]ティレルはこの年、マーチシャシーを使用していたが、その一方で極秘裏に自製マシンを制作していた。この件は噂すらも外部に漏れていなかったため、夏に001を公表した時は誰もが驚きを隠せなかった[6][注 1]。ティレルはジャッキー・スチュワートのために新車001と、従来のマーチ・701をモンツァに持ち込んだ[5]

フェラーリは1-2フィニッシュを果たした前戦オーストリアGP同様、ジャッキー・イクスクレイ・レガツォーニイグナツィオ・ギュンティの3台体制でホームグランプリに臨む[5]ロータスは4台の72Cを用意し、ワークスヨッヘン・リントジョン・マイルス英語版エマーソン・フィッティパルディと、ロブ・ウォーカーグラハム・ヒルが使用する。マクラーレンアルファロメオエンジン搭載車を2台用意した。新しいM14Dアンドレア・デ・アダミッチが、古いM7Dは新人ナンニ・ギャリがそれぞれ使用する。ベテランのヨアキム・ボニエは、自身のマクラーレン・M7CでF1活動を再開した。BRMはオーブリー・ウッズが設計したV12エンジンの新スペックを投入し、ジョージ・イートン英語版のみが使用する。マリオ・アンドレッティはアメリカのレースに集中するため、この年の残りのレースは欠場する[4]

エントリーリスト[編集]

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0L F12 F
4 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
6 イタリアの旗 イグナツィオ・ギュンティ
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・BRM 8 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー BRM P153 BRM P142 3.0L V12 D
10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス
12 カナダの旗 ジョージ・イートン
イギリスの旗 チーム・サーティース 14 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース TS7 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 ティレル・レーシング・オーガニゼーション 18 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート 1 マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
20 フランスの旗 フランソワ・セベール
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 22 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス 72C フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
24 イギリスの旗 ジョン・マイルス
26 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ
イギリスの旗 ブルックボンド・オクソ・レーシング/ロブ・ウォーカー 28 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス 72C フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 30 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M14A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
32 イギリスの旗 ピーター・ゲシン
34 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ M14D アルファロメオ T33 3.0L V8
36 イタリアの旗 ナンニ・ギャリ M7D
スイスの旗 エキュリー・ボニエ 38 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン M7C フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
フランスの旗 エキップ・マトラ・エルフ 40 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS120 マトラ MS12 3.0L V12 G
42 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 44 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT33 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 アウト・モトール・ウント・シュポルト 46 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン
イギリスの旗 マーチ・エンジニアリング 48 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
50 スイスの旗 ジョー・シフェール
イギリスの旗 コーリン・クラッベ・レーシング 52 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 54 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン デ・トマソ 505 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
スイスの旗 シルビオ・モーザー・レーシングチーム 56 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ F1 70 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
ソース:[7]
追記

練習走行・予選[編集]

ロータスブラバムマーチマクラーレンなどのDFVエンジン勢はフェラーリBRMマトラの12気筒勢のパワーに対抗するため、リアウィングを外して最高速度を上げようとした。ロータスはさらにフロントウィングも外したが、カーブで大きくスライドし、ストレートでも不安定であった[4]

ジャッキー・スチュワートは金曜日の練習走行でティレル・001を走らせたが機械的なトラブルに苦しみ、以後はマーチ・701のみを走らせた。その練習走行中に初めてロータス・72Cを走らせたエマーソン・フィッティパルディが最終コーナーのパラボリカでコースアウトし、土手にクラッシュした。フィッティパルディは幸いにも木の間をすり抜け、激突は免れた。同日の予選初日は、ジャッキー・イクスが暫定トップタイムを出した[5]

土曜日の練習走行で悲劇が起きた。ヨッヘン・リントが前日のフィッティパルディ同様、パラボリカへのブレーキングでコースを飛び出して壁にクラッシュした[5]。マシンは両足が露出するほどまでに破損した[8]。リントは救出されたが、病院に搬送される途中で亡くなった[5]。当時はシートベルトの装着が義務付けられたばかりで、コックピットで前方へ滑り込んだ際に喉を切られたと考えられている(ヨッヘン・リント#事故の原因も参照)。パラボリカは、1961年の決勝でもヴォルフガング・フォン・トリップスが事故死した場所でもある[8]。リントの事故はF1界を騒然とさせた。リントはブルース・マクラーレン[注 2]ピアス・カレッジ[注 3]に続く、この年事故死した3人目の現役F1ドライバーとなってしまった[5]。ロータス勢とグラハム・ヒルは以後のセッションの参加を見合わせた[4]

同日の予選2日目でイクスのタイムを上回る者はなく、イクスがポールポジションを獲得した。ペドロ・ロドリゲスが2番手でイクスとともにフロントローを獲得した。2列目はクレイ・レガツォーニとスチュワート、3列目はイグナツィオ・ギュンティジャッキー・オリバーが占め、上位6台のうちスチュワートを除く5台が12気筒勢であった[5]。そのうち3台をフェラーリ勢が占め、リントがいなくなった中、フェラーリの優位性が証明されることになった[9]

予選結果[編集]

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:24.14 - 1
2 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:24.36 +0.22 2
3 4 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:24.39 +0.25 3
4 18 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ-フォード 1:24.73 +0.59 4
5 6 イタリアの旗 イグナツィオ・ギュンティ フェラーリ 1:24.74 +0.60 5
6 8 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー BRM 1:24.77 +0.63 6
7 50 スイスの旗 ジョー・シフェール マーチ-フォード 1:25.09 +0.95 7
8 44 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 1:25.39 +1.25 8
9 30 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:25.47 +1.33 9
10 14 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 1:25.56 +1.42 10
11 20 フランスの旗 フランソワ・セベール マーチ-フォード 1:25.56 +1.42 11
12 22 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 1:25.71 +1.57 DNS 1
13 34 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マクラーレン-アルファロメオ 1:25.91 +1.77 12
14 52 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 1:25.93 +1.79 13
15 40 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 1:26.01 +1.87 14
16 42 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 1:26.04 +1.90 15
17 32 イギリスの旗 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 1:26.19 +2.05 16
18 28 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:26.38 +2.24 WD 2
19 24 イギリスの旗 ジョン・マイルス ロータス-フォード 1:26.51 +2.37 WD 2
20 46 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ブラバム-フォード 1:26.60 +2.46 17
21 48 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ-フォード 1:26.67 +2.53 18
22 54 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン デ・トマソ-フォード 1:26.67 +2.53 19
23 12 カナダの旗 ジョージ・イートン BRM 1:27.15 +3.01 20
24 38 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-フォード 1:28.07 +3.93 DNQ
25 26 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 1:28.39 +4.25 WD 2
26 36 イタリアの旗 ナンニ・ギャリ マクラーレン-アルファロメオ 1:28.59 +4.45 DNQ
27 56 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ-フォード 1:28.61 +4.47 DNQ
ソース:[10][11]
追記
  • 決勝進出台数は20台に制限
  • ^1 - リントは練習走行中のアクシデントにより死亡[5][8]
  • ^2 - ロータス勢とヒルはリントの事故後撤退[4]

決勝[編集]

スタートでジャッキー・イクスがリードしたが、4周目にペドロ・ロドリゲスジャッキー・スチュワートに追い抜かれた。この3人にクレイ・レガツォーニも首位争いに加わり、10周目に首位に立った。ロドリゲスはエンジンブローでリタイアしたが、チームメイトのジャッキー・オリバーが先頭集団に加わってスリップストリーム合戦を繰り広げ、順位は周回ごとに変化していった。イクスは26周目にクラッチの故障でリタイアした。デニス・ハルムも先頭集団に加わった後、オリバーも37周目にエンジントラブルでリタイアした[5]

その後、ジャン=ピエール・ベルトワーズロルフ・シュトメレンも先頭集団に加わるが、レガツォーニは先頭集団から抜け出して6秒にも満たない差でスチュワートを下し[9]、F1デビューからわずか5戦目、しかもフェラーリの地元モンツァで初優勝を挙げた[12]。フェラーリがモンツァで勝ったのは1966年ルドビコ・スカルフィオッティ英語版以来4年ぶりで[4]、モンツァは興奮の坩堝と化した[12]。レガツォーニはこの大殊勲によってチーム内での地位を不動のものとし、イグナツィオ・ギュンティとの争奪戦となっていた翌年のレギュラーシートを勝ち取ることになった[9]。レガツォーニがフィニッシュした直後、2位スチュワート、3位ベルトワーズ、4位ハルム、5位シュトメレンが相次いでフィニッシュした。フランソワ・セベールは6位に入賞し、初ポイントを獲得した[4]

ドライバーズチャンピオン争いは、亡くなったヨッヘン・リントが45点で、25点のジャック・ブラバムとスチュワート、23点のハルム、21点のレガツォーニ、19点のイクスに依然大きな差を付けている。リントのチャンピオン決定は、2位以下のドライバーの結果次第となった。コンストラクターズチャンピオン争いは、首位のロータスが2位のマーチに11点差であるが、イギリスのチームはブラバムマクラーレンの間に割って入ったフェラーリの復活に警戒心を持った[4]

リントの葬式9月11日グラーツで行われ、地元オーストリアの政治家やモータースポーツ関係者を含め、約1万人が参列した[4]

レース結果[編集]

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 4 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 68 1:39:07.1 3 9
2 18 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ-フォード 68 +5.73 4 6
3 40 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 68 +5.80 14 4
4 30 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 68 +6.15 9 3
5 46 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ブラバム-フォード 68 +6.41 17 2
6 20 フランスの旗 フランソワ・セベール マーチ-フォード 68 +1:03.46 11 1
7 48 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ-フォード 67 +1 Lap 18
8 34 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マクラーレン-アルファロメオ 61 +7 Laps 12
NC 32 イギリスの旗 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 60 規定周回数不足 16
Ret 8 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー BRM 36 エンジン 6
Ret 52 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 35 エンジン 13
Ret 44 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 31 アクシデント 8
Ret 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 25 クラッチ 1
Ret 12 カナダの旗 ジョージ・イートン BRM 21 オーバーヒート 20
Ret 54 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン デ・トマソ-フォード 17 エンジン 19
Ret 6 イタリアの旗 イグナツィオ・ギュンティ フェラーリ 14 燃料システム 5
Ret 42 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 14 エンジン 15
Ret 10 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 12 エンジン 2
Ret 50 スイスの旗 ジョー・シフェール マーチ-フォード 3 エンジン 7
Ret 14 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 0 電気系統 10
WD 28 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード リントの事故後撤退
WD 24 イギリスの旗 ジョン・マイルス ロータス-フォード リントの事故後撤退
DNS 22 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 予選で事故死
DNQ 38 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-フォード 予選不通過
WD 26 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード リントの事故後撤退
DNQ 36 イタリアの旗 ナンニ・ギャリ マクラーレン-アルファロメオ 予選不通過
DNQ 56 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ-フォード 予選不通過
ソース:[13]
優勝者クレイ・レガツォーニの平均速度[14]
236.696 km/h (147.076 mph)
ファステストラップ[1]
ラップリーダー[15]
太字は最多ラップリーダー

第10戦終了時点のランキング[編集]

  • : トップ5のみ表示。前半7戦のうちベスト6戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 当初はタイプ名がなく「ティレル・フォード」と呼ばれていたが、1972年005が登場すると、遡ってシャシーナンバーの001がタイプ名を兼ねると解釈された。 (林信次 1995, p. 112)
  2. ^ Can-Amマシンのテスト走行中に事故死
  3. ^ オランダGPの決勝で事故死

出典[編集]

  1. ^ a b Italy 1970 - Best laps”. STATS F1. 2020年1月8日閲覧。
  2. ^ “41st Italian Grand Prix”. Motor Sport: 32. (October 1970). http://www.motorsportmagazine.com/archive/article/october-1970/32/41st-italian-grand-prix 2015年7月30日閲覧。. 
  3. ^ Jochen Rindt”. 2016年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月3日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i Italy 1970”. STATS F1. 2020年1月6日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k Italian GP, 1970”. grandprix.com. 2020年1月6日閲覧。
  6. ^ (林信次 1995, p. 106)
  7. ^ Italy 1970 - Race entrants”. STATS F1. 2020年1月8日閲覧。
  8. ^ a b c F1死亡事故一覧”. ESPN F1. 2019年1月6日閲覧。
  9. ^ a b c (アラン・ヘンリー 1989, p. 258)
  10. ^ Italy 1970 - Qualifications”. STATS F1. 2020年1月8日閲覧。
  11. ^ Italy 1970 - Starting grid”. STATS F1. 2020年1月8日閲覧。
  12. ^ a b (林信次 1995, p. 101)
  13. ^ 1970 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2014年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  14. ^ Italy 1970 - Result”. STATS F1. 2020年1月8日閲覧。
  15. ^ Italy 1970 - Laps led”. STATS F1. 2020年1月8日閲覧。
  16. ^ a b Italy 1970 - Championship”. STATS F1. 2019年3月18日閲覧。

参照文献[編集]

  • Wikipedia英語版 - en:1970 Italian Grand Prix(2020年1月3日 10:57:53(UTC))
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前戦
1970年オーストリアグランプリ
FIA F1世界選手権
1970年シーズン
次戦
1970年カナダグランプリ
前回開催
1969年イタリアグランプリ
イタリアの旗 イタリアグランプリ次回開催
1971年イタリアグランプリ