1973年ブラジルグランプリ
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1973年F1世界選手権全15戦の第2戦 | |||
![]() インテルラゴス・サーキット (1973-1977) | |||
日程 | 1973年2月11日 | ||
正式名称 | II Grande Prêmio do Brasil | ||
開催地 |
インテルラゴス・サーキット![]() | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 7.960[1] km (4.946 mi) | ||
レース距離 | 40周 318.400 km (197.845 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ)[2] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 2:30.5 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー |
![]() | ロータス-フォード | |
![]() | マクラーレン-フォード | ||
タイム | 2:35.0 | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ロータス-フォード | ||
2位 | ティレル-フォード | ||
3位 | マクラーレン-フォード |
1973年ブラジルグランプリ(1973ねんブラジルグランプリ、英: 1973 Brazilian Grand Prix)は、1973年のF1世界選手権第2戦として、1973年2月11日にインテルラゴス・サーキットで開催された。
ブラジルで初めて開催されたF1世界選手権レースは、ロータスのロニー・ピーターソンが初のポールポジションを獲得し、ピーターソンとともにフロントローからスタートした母国の英雄であるチームメイトのエマーソン・フィッティパルディが優勝した。ティレルのジャッキー・スチュワートが2位、マクラーレンのデニス・ハルムが3位となった。
背景[編集]
前年にエマーソン・フィッティパルディがブラジル人初のチャンピオンを獲得したことでブラジルでのグランプリ開催の需要が高まり、同年にF1非選手権レースとして第1回ブラジルGPが開催され、この年からインテルラゴスでF1世界選手権レースを開催する権利を獲得した[3]。
エントリー[編集]
前戦アルゼンチンGPの2週間後に開催されるため、全てのチームがブエノスアイレスからそのままインテルラゴスに向かった。このため、顔ぶれはアルゼンチンGPと大きく変わらず、唯一の新顔は地元出身のルイス・ブエノで[3]、サーティースから古いTS9Bでスポット参戦する[4]。ブエノは前年のブラジルGPでマーチを走らせて[3]6位でフィニッシュしており[5]、これが最初のF1経験ではなかった[3]。
エントリーリスト[編集]
チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
1 | ![]() |
ロータス | 72D | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
2 | ![]() | |||||
![]() |
3 | ![]() |
ティレル | 005 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
4 | ![]() |
006 | ||||
![]() |
5 | ![]() |
サーティース | TS14A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
6 | ![]() | |||||
![]() |
23 | ![]() |
TS9B | |||
![]() |
7 | ![]() |
マクラーレン | M19C | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
8 | ![]() | |||||
![]() |
9 | ![]() |
フェラーリ | 312B2 | フェラーリ 001/1 3.0L F12 | G |
10 | ![]() | |||||
![]() |
11 | ![]() |
マーチ | 721G | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
![]() |
12 | ![]() |
マーチ | 721G | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
![]() |
14 | ![]() |
BRM | P160D | BRM P142 3.0L V12 | F |
15 | ![]() | |||||
16 | ![]() |
P160C | ||||
![]() |
17 | ![]() |
ブラバム | BT37 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
18 | ![]() | |||||
![]() |
19 | ![]() |
イソ・マールボロ | FX3B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
20 | ![]() | |||||
![]() |
21 | ![]() |
シャドウ | DN1 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
22 | ![]() | |||||
ソース:[6] |
予選[編集]
ロータスは地元の観客の前でエマーソン・フィッティパルディに勝利のチャンスを与えようとテスト走行を行ったが、チームメイトのロニー・ピーターソンがポールポジションを獲得し、E.フィッティパルディは0.2秒遅れの2位につけた。フロントローの外側に着くジャッキー・イクス(フェラーリ)とは1.3秒の差があった[注 1]。2列目はクレイ・レガツォーニ(BRM)とデニス・ハルム(マクラーレン)、3列目はカルロス・パーチェ(サーティース)、カルロス・ロイテマン(ブラバム)、ジャッキー・スチュワート(ティレル)の3人で構成され[3]、フランソワ・セベールはスチュワートに次ぐ9番手で、ティレル勢は速さに欠けた[5]。
予選結果[編集]
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 2:30.5 | - | 1 |
2 | 1 | ![]() |
ロータス-フォード | 2:30.7 | +0.2 | 2 |
3 | 9 | ![]() |
フェラーリ | 2:32.0 | +1.5 | 3 |
4 | 14 | ![]() |
BRM | 2:32.4 | +1.9 | 4 |
5 | 7 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 2:32.7 | +2.2 | 5 |
6 | 6 | ![]() |
サーティース-フォード | 2:32.7 | +2.2 | 6 |
7 | 17 | ![]() |
ブラバム-フォード | 2:32.9 | +2.4 | 7 |
8 | 3 | ![]() |
ティレル-フォード | 2:33.3 | +2.8 | 8 |
9 | 4 | ![]() |
ティレル-フォード | 2:33.4 | +2.9 | 9 |
10 | 15 | ![]() |
BRM | 2:33.5 | +3.0 | 10 |
11 | 18 | ![]() |
ブラバム-フォード | 2:34.3 | +3.8 | 11 |
12 | 8 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 2:34.3 | +3.8 | 12 |
13 | 16 | ![]() |
BRM | 2:35.1 | +4.6 | 13 |
14 | 5 | ![]() |
サーティース-フォード | 2:35.5 | +5.0 | 14 |
15 | 11 | ![]() |
マーチ-フォード | 2:37.6 | +7.1 | 15 |
16 | 19 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 2:37.6 | +7.1 | 16 |
17 | 10 | ![]() |
フェラーリ | 2:37.7 | +7.2 | 17 |
18 | 20 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 2:38.7 | +8.2 | 18 |
19 | 12 | ![]() |
マーチ-フォード | 2:39.9 | +9.4 | 19 |
20 | 23 | ![]() |
サーティース-フォード | 2:42.5 | +12.0 | 20 |
ソース:[8][9] |
決勝[編集]
レース当日は気温が非常に高く、スタート時にはブラジルの観客が待ち望んでいた2人のブラジル人ドライバーが好スタートを決めた。エマーソン・フィッティパルディがトップに立ち、カルロス・パーチェはジャッキー・スチュワート、ロニー・ピーターソン、ジャッキー・イクスを抜いて2位に浮上した。2周目、パーチェはスチュワートに抜かれて3位に後退し、すぐにピーターソンにも抜かれた。ピーターソンはスチュワートに接近し、6周目にホイールのトラブルに見舞われて激しくクラッシュするまで2位争いを展開した[3]。
その頃にはイクスが3位に浮上していたが、パーチェはリアサスペンションのトラブルで数周後にリタイアを余儀なくされていた。上位の順位は変わらなかったが、後方から追い上げてきたデニス・ハルムの走りによって盛り上がりを見せた。ハルムは12周目に4位のジャン=ピエール・ベルトワーズを抜き、その3周後にはイクスも抜いて3位に浮上する。イクスはタイヤがパンクしたためピットインを余儀なくされ、ベルトワーズは電気系統にトラブルが発生してリタイアした。これでクレイ・レガツォーニが4位に浮上するが、その直後にタイヤ交換でピットインしたため、2台目のフェラーリを駆るアルトゥーロ・メルツァリオが4位の座を得た[3]。
E.フィッティパルディは2位のスチュワートに14秒前後の差をキープしつつファステストラップを獲得し、8万人のファンの前で[1]スタート・トゥ・フィニッシュを決め、インテルラゴスは異常な熱狂に包まれた[10]。チーム・ロータスの総帥コーリン・チャップマンは帽子を空高く投げて歓喜した[5]。その13秒後にスチュワートが2位でフィニッシュし、劣勢の中で6点を獲得したことに満足した[1]。ハルムは3位表彰台を獲得し[5]、メルツァリオが自己最高位の4位、チームメイトのイクスは奇妙なハンドリングに悩まされて5位[1]、レガツォーニは6位でBRM移籍後初ポイントを獲得した[5]。
E.フィッティパルディはチャップマンとスチュワートに祝福される中、群衆がコースになだれ込んだ。E.フィッティパルディはすぐに巨大なブラジル国旗を手にし、ファンの声援を受けた。これはブラジルのモータースポーツの歴史の中で、間違いなく素晴らしい一日であった。そして、E.フィッティパルディは開幕2連勝と完璧なスタートダッシュを決めた[5]。
レース結果[編集]
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ![]() |
ロータス-フォード | 40 | 1:43:55.6 | 2 | 9 |
2 | 3 | ![]() |
ティレル-フォード | 40 | +13.5 | 8 | 6 |
3 | 7 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 40 | +1:46.4 | 5 | 4 |
4 | 10 | ![]() |
フェラーリ | 39 | +1 Lap | 17 | 3 |
5 | 9 | ![]() |
フェラーリ | 39 | +1 Lap | 3 | 2 |
6 | 14 | ![]() |
BRM | 39 | +1 Lap | 4 | 1 |
7 | 19 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 39 | +1 Lap | 16 | |
8 | 16 | ![]() |
BRM | 38 | +2 Laps | 13 | |
9 | 20 | ![]() |
イソ・マールボロ-フォード | 38 | +2 Laps | 18 | |
10 | 4 | ![]() |
ティレル-フォード | 38 | +2 Laps | 9 | |
11 | 17 | ![]() |
ブラバム-フォード | 38 | +2 Laps | 7 | |
12 | 23 | ![]() |
サーティース-フォード | 36 | +4 Laps | 20 | |
Ret | 15 | ![]() |
BRM | 23 | 電気系統 | 10 | |
Ret | 12 | ![]() |
マーチ-フォード | 18 | オーバーヒート | 19 | |
Ret | 6 | ![]() |
サーティース-フォード | 9 | サスペンション | 6 | |
Ret | 5 | ![]() |
サーティース-フォード | 6 | ギアボックス | 14 | |
Ret | 11 | ![]() |
マーチ-フォード | 6 | ギアボックス | 15 | |
Ret | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 5 | ホイール | 1 | |
Ret | 18 | ![]() |
ブラバム-フォード | 5 | オーバーヒート | 11 | |
Ret | 8 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 3 | ギアボックス | 12 | |
ソース:[11] |
- 優勝者エマーソン・フィッティパルディの平均速度[7]
- 183.822 km/h (114.222 mph)
- ファステストラップ[12]
-
- エマーソン・フィッティパルディ - 2:35.0 (14周目)
- デニス・ハルム - 2:35.0 (20周目)
- ラップリーダー[13]
- 太字は最多ラップリーダー
- エマーソン・フィッティパルディ - 40周 (全周回)
- 達成された主な記録[5]
-
- ドライバー
- 初ポールポジション: ロニー・ピーターソン
- 唯一の出走: ルイス・ブエノ[14]
- コンストラクター
- ドライバー
第2戦終了時点のランキング[編集]
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- 注: トップ5のみ表示。前半8戦のうちベスト7戦及び後半7戦のうちベスト6戦がカウントされる。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
- ^ プライベーターのみ出走した1950年フランスGPを含む。
出典[編集]
- ^ a b c d “1973 Brazilian Grand Prix race report”. Motor Sport Magazine. 2020年6月23日閲覧。
- ^ “1973年第2戦ブラジルグランプリの結果”. F1 DataWeb. 2020年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Brazilian GP, 1973”. grandprix.com. 2020年6月23日閲覧。
- ^ 林信次 1993, p. 67.
- ^ a b c d e f g “Brazil 1973”. STATS F1. 2020年6月23日閲覧。
- ^ “Brazil 1973 - Race entrants”. STATS F1. 2020年6月23日閲覧。
- ^ a b “Brazil 1973 - Result”. STATS F1. 2020年6月23日閲覧。
- ^ “Brazil 1973 - Qualifications”. STATS F1. 2020年6月23日閲覧。
- ^ “Brazil 1973 - Starting grid”. STATS F1. 2020年6月23日閲覧。
- ^ 林信次 1993, p. 56.
- ^ “1973 Brazilian Grand Prix”. formula1.com. 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
- ^ “Brazil 1973 - Best laps”. STATS F1. 2020年6月23日閲覧。
- ^ “Brazil 1973 - Laps led”. STATS F1. 2020年6月23日閲覧。
- ^ “戦績:L.ブエノ”. F1 DataWeb. 2020年6月23日閲覧。
- ^ a b “Brazil 1973 - Championship”. STATS F1. 2019年3月13日閲覧。
参照文献[編集]
- Wikipedia英語版 - en:1973 Brazilian Grand Prix(2020年2月16日 4:17:28(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8。
外部リンク[編集]
- 1973 Brazilian Grand Prix race report - Motor Sport Magazine (英語)
- Brazil 1973 - STATS F1 (フランス語)
- Brazilian GP, 1973 - grandprix.com (英語)
- 1973年第2戦ブラジルグランプリの結果 - F1 DataWeb
前戦 1973年アルゼンチングランプリ |
FIA F1世界選手権 1973年シーズン |
次戦 1973年南アフリカグランプリ |
![]() |
次回開催 1974年ブラジルグランプリ |