1971年オーストリアグランプリ
レース詳細 | |||
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1971年F1世界選手権全11戦の第8戦 | |||
![]() エステルライヒリンク (1969-1976) | |||
日程 | 1971年8月15日 | ||
正式名称 | IX Großer Preis von Österreich[1] | ||
開催地 |
エステルライヒリンク![]() | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 5.912 km (3.673 mi) | ||
レース距離 | 54周 317.347 km (198.686 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ)[2] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | BRM | ||
タイム | 1:37.44 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー |
![]() | BRM | |
タイム | 1:38.47 (22[2]周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | BRM | ||
2位 | ロータス-フォード | ||
3位 | ブラバム-フォード |
1971年オーストリアグランプリ (1971 Austrian Grand Prix) は、1971年のF1世界選手権第8戦として、1971年8月15日にエステルライヒリンクで開催された[1]。
レースは54周で行われ、BRMのジョー・シフェールがポールポジションから優勝した。ロータスのエマーソン・フィッティパルディが2位、ブラバムのティム・シェンケンが3位となった。ティレルのジャッキー・スチュワートはリタイアに終わったが、2度目のドライバーズチャンピオンを決めた[3]。後にチャンピオンとなるニキ・ラウダのF1デビュー戦である[4]。
背景
[編集]ジャッキー・スチュワートは前戦ドイツGPまでの7戦で5勝を挙げて51点を獲得し、19点で2位のジャッキー・イクスに32点、17点で3位のロニー・ピーターソンに34点の大差を付けていた。イクスとピーターソンがスチュワートを逆転してチャンピオンを獲得するには、スチュワートが残り4戦で無得点に終わり、かつイクスは3勝と2位1回以上、ピーターソンは全勝する必要がある。したがって、本レースでイクスが3位以下でかつピーターソンが2位以下に終われば、スチュワートのチャンピオンが決定する[注 1][5]。
エントリー
[編集]マトラは前戦ドイツGPでの悲惨なパフォーマンスに直面し、次戦イタリアGPまでに新たなエンジンを準備するため、本レースを欠場した。マクラーレンはピーター・ゲシンを成績不振で解雇し、ジャッキー・オリバーに交代した。ゲシンはBRMに移籍し、ジョー・シフェール、ハウデン・ガンレイとともにP160を走らせる。それまでガンレイが走らせたP153は地元出身の新人ヘルムート・マルコに与えられた。マーチも地元出身の新人ニキ・ラウダを起用した。マシンはそれまでナンニ・ギャリが使用していたアルファロメオエンジン用の711を、エンジンのみDFVに載せ替えた(ギアボックスはアルファロメオ製のまま)ものが与えられた。ギャリは別のアルファロメオエンジン用の711に乗り換えたが、本来アンドレア・デ・アダミッチが使用するマシンであったため、デ・アダミッチは参加できなくなった[5]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
- ^1 - アンドレッティはエントリーのみ[7]
- ^2 - デ・アダミッチは自身のマシンをギャリが走らせたため欠場[7]
- ^3 - マトラはエンジンの開発を優先したため欠場[7]
- ^4 - ベルトワーズは1月に行われたブエノスアイレス1000kmレースの事故の責任を問われて出場停止中[8]
予選
[編集]BRMのV12エンジンは、V8のフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載するティレルや非常に不安定であったフェラーリの水平対向12気筒に対して利点があり、ジョー・シフェールがジャッキー・スチュワートを0.2秒差で上回り、1968年メキシコGP以来3年ぶり2度目の(そして最後となる)ポールポジションを獲得した[9][5]。BRMにとっては1965年アメリカGPのグラハム・ヒル以来6年ぶりのポールポジション獲得であった[10][5]。スチュワートのチームメイトであるフランソワ・セベールが3番手、フェラーリのクレイ・レガツォーニが4番手で2列目、ロータスのエマーソン・フィッティパルディがレガツォーニと同タイムで5番手、逆転チャンピオンにはもう1つも落とせないフェラーリのジャッキー・イクスは6番手で3列目、マーチのロニー・ピーターソンは11番手であった。ブラバム勢はティム・シェンケンが7番手、ヒルが8番手で4列目に並んだ[5]。
予選結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 14 | ![]() |
BRM | 1:37.44 | - | 1 |
2 | 11 | ![]() |
ティレル-フォード | 1:37.65 | +0.21 | 2 |
3 | 12 | ![]() |
ティレル-フォード | 1:37.86 | +0.42 | 3 |
4 | 5 | ![]() |
フェラーリ | 1:37.90 | +0.46 | 4 |
5 | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 1:37.90 | +0.46 | 5 |
6 | 4 | ![]() |
フェラーリ | 1:38.27 | +0.83 | 6 |
7 | 8 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:38.64 | +1.20 | 7 |
8 | 7 | ![]() |
ブラバム-フォード | 1:38.70 | +1.26 | 8 |
9 | 9 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:38.80 | +1.36 | 9 |
10 | 3 | ![]() |
ロータス-フォード | 1:38.95 | +1.51 | 10 |
11 | 17 | ![]() |
マーチ-フォード | 1:39.01 | +1.57 | 11 |
12 | 24 | ![]() |
サーティース-フォード | 1:39.08 | +1.64 | 12 |
13 | 25 | ![]() |
マーチ-フォード | 1:39.09 | +1.65 | 13 |
14 | 15 | ![]() |
BRM | 1:39.46 | +2.02 | 14 |
15 | 19 | ![]() |
マーチ-アルファロメオ | 1:39.54 | +2.10 | 15 |
16 | 23 | ![]() |
BRM | 1:39.67 | +2.23 | 16 |
17 | 16 | ![]() |
BRM | 1:39.80 | +2.36 | 17 |
18 | 22 | ![]() |
サーティース-フォード | 1:40.37 | +2.93 | 18 |
19 | 27 | ![]() |
マーチ-フォード | 1:41.46 | +4.02 | 19 |
20 | 28 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:41.66 | +4.22 | 20 |
21 | 26 | ![]() |
マーチ-フォード | 1:43.68 | +6.24 | 21 |
22 | 10 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 1:44.22 | +6.78 | 22 |
ソース:[11][12][13] |
決勝
[編集]レース当日は晴天の下で行われ、地元のヒーローであったヨッヘン・リントが前年のイタリアGPで亡くなったにもかかわらず、依然として多くの観客が集まった。ヨアキム・ボニエはスタート直前に燃料漏れに見舞われ、スタートすることができなかった[5]。
ポールポジションのジョー・シフェールがスタートでリードを奪い[14]、クレイ・レガツォーニがアウト側からジャッキー・スチュワートを抜こうとしたがスチュワートが抑えきって2位を守った。シフェールはスチュワートとの差を広げていく。レガツォーニはフランソワ・セベールと3位を争うが[5]エンジントラブルでリタイアし[14]、ジャッキー・イクスはティム・シェンケンとエマーソン・フィッティパルディからの攻撃を受け[5]、機械的なトラブルにより順位を落としていった。スチュワートはハンドリングに問題を抱え、チームメイトのセベールに抜かれていく。後方ではシェンケンとフィッティパルディ、レイネ・ウィセルとグラハム・ヒルによる2台のブラバムとロータスのバトルが見られた。イクスは32周目にスパークプラグのトラブルでリタイアに終わり、チャンピオン獲得の可能性は潰えた。フィッティパルディはシェンケンを抜き、スチュワートへの追撃を開始する。
スチュワートは36周目に左後輪がテキサコカーブで外れてスピンし、マシンを降りてリタイアする。セベールもギアボックスの故障により5速、続いて4速を失い、42周目にフィッティパルディに抜かれた直後にエンジンが壊れてリタイアした[5]。
首位を独走していたシフェールだったが、左リアタイヤがパンクしてしまいペースが落ち、2位に浮上していたフィッティパルディがシフェールとの差を縮めていく。しかし、シフェールのタイヤは最後まで持ちこたえ、フィッティパルディに4秒の差を付けて優勝した[14]。シフェールは1968年イギリスGP以来3年ぶり2度目の優勝[9]をグランドスラム[注 2]で飾った[15]。結果的にこれがシフェールにとって最後の優勝となる[9]。3位でフィニッシュしたシェンケンは初の(そして唯一の)表彰台を獲得した[5]。以下、ウィセルが4位、ヒルは5位で今季初入賞、ウィリアムズからマーチ・711を走らせるアンリ・ペスカロロが6位に入賞した。イクスとともに逆転チャンピオンの可能性を残していたロニー・ピーターソンは入賞圏外の8位に終わり[5]、スチュワートは3戦を残して2年ぶり2度目のドライバーズチャンピオンを決めた[3]。
レース結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 14 | ![]() |
BRM | 54 | 1:30:23.91 | 1 | 9 |
2 | 2 | ![]() |
ロータス-フォード | 54 | +4.12 | 5 | 6 |
3 | 8 | ![]() |
ブラバム-フォード | 54 | +19.77 | 7 | 4 |
4 | 3 | ![]() |
ロータス-フォード | 54 | +31.87 | 10 | 3 |
5 | 7 | ![]() |
ブラバム-フォード | 54 | +48.43 | 8 | 2 |
6 | 25 | ![]() |
マーチ-フォード | 54 | +1:24.51 | 13 | 1 |
7 | 24 | ![]() |
サーティース-フォード | 54 | +1:37.42 | 12 | |
8 | 17 | ![]() |
マーチ-フォード | 53 | +1 Lap | 11 | |
9 | 10 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 53 | +1 Lap | 22 | |
10 | 23 | ![]() |
BRM | 52 | +2 Laps | 16 | |
11 | 16 | ![]() |
BRM | 52 | +2 Laps | 17 | |
12 | 19 | ![]() |
マーチ-アルファロメオ | 51 | +3 Laps | 15 | |
NC | 27 | ![]() |
マーチ-フォード | 47 | 規定周回数不足 | 19 | |
Ret | 12 | ![]() |
ティレル-フォード | 42 | エンジン | 3 | |
Ret | 11 | ![]() |
ティレル-フォード | 35 | ハーフシャフト | 2 | |
Ret | 4 | ![]() |
フェラーリ | 31 | エンジン | 6 | |
Ret | 26 | ![]() |
マーチ-フォード | 20 | ハンドリング | 21 | |
Ret | 22 | ![]() |
サーティース-フォード | 12 | エンジン | 18 | |
Ret | 5 | ![]() |
フェラーリ | 8 | エンジン | 4 | |
Ret | 15 | ![]() |
BRM | 5 | イグニッション | 14 | |
Ret | 9 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 4 | エンジン | 9 | |
DNS | 28 | ![]() |
マクラーレン-フォード | 燃料漏れ | 20 | ||
ソース:[16]
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- ジョー・シフェール - 1:38.47 (29周目)
- ジョー・シフェール - 54周 (全周回)
- 達成された主な記録[5]
第8戦終了時点のランキング
[編集]
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当時のF1世界選手権ポイントシステムは、上位6台に9-6-4-3-2-1点が与えられていた。
- ^ 1つのレースでポールポジション、ファステストラップ、優勝、全周回ラップリーダーを達成すること。詳細は当該項目を参照。
出典
[編集]- ^ a b 1971 Austrian Grand Prix Entry list .
- ^ a b (林信次 1993, p. 115)
- ^ a b (林信次 1993, p. 15)
- ^ (林信次 1993, p. 22)
- ^ a b c d e f g h i j k l m “Austria 1971”. STATS F1. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “Austria 1971 - Race entrants”. STATS F1. 2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c d “Austria 1971 - Result”. STATS F1. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “Britain 1971”. STATS F1. 2020年2月9日閲覧。
- ^ a b c “戦績:J.シフェール”. F1 DataWeb. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “戦績:BRM”. F1 DataWeb. 2020年3月14日閲覧。
- ^ Pritchard, Anthony (1972). The Motor Racing Year No3. ISBN 0393085023
- ^ “Austria 1971 - Qualifications”. STATS F1. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “Austria 1971 - Starting grid”. STATS F1. 2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c “Austrian GP, 1971”. grandprix.com. 2020年3月14日閲覧。
- ^ a b “F1 Grand Chelem/Grand Slams Records (2017年イギリスGP終了時点)”. Sportskeeda. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “1971 Austrian Grand Prix”. formula1.com. 17 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “Austria 1971 - Best laps”. STATS F1. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “Austria 1971 - Laps led”. STATS F1. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “戦績:N.ラウダ”. F1 DataWeb. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “戦績:H.マルコ”. F1 DataWeb. 2020年3月14日閲覧。
- ^ “戦績:T.シェンケン”. F1 DataWeb. 2020年3月14日閲覧。
- ^ a b “Austria 1971 - Championship”. STATS F1. 7 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1971 Austrian Grand Prix(2019年3月7日 14:01:19(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8。
外部リンク
[編集]前戦 1971年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1971年シーズン |
次戦 1971年イタリアグランプリ |
前回開催 1970年オーストリアグランプリ |
![]() |
次回開催 1972年オーストリアグランプリ |