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ブリティッシュ・レーシング・モータース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
BRM
エントリー名
  • BRM Ltd (1951)
  • オーウェン・レーシング・オーガニゼーション (1956 - 1970)
  • ヤードレー・チーム・BRM (1970 - 1971)
  • マールボロ・BRM (1972 - 1973)
  • チーム・モチュール・BRM (1974)
  • スタンレー・BRM (1975 - 1977)
  • ロータリー・ウォッチ・スタンレー・BRM (1977)
チーム国籍 イギリスの旗 イギリス
チーム本拠地 イギリスの旗 イギリスイングランドの旗 イングランドリンカンシャー州ボーン
チーム創設者
主なチーム関係者
主なドライバー
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 1951, 1956 - 1977
出走回数 197
コンストラクターズ
タイトル
1 (1962)
ドライバーズ
タイトル
1 (1962)
優勝回数 17
通算獲得ポイント 433
表彰台(3位以内)回数 61
ポールポジション 11
ファステストラップ 15
F1デビュー戦 1951年イギリスGP
初勝利 1959年オランダGP
最終レース 1977年イタリアGP
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ブリティッシュ・レーシング・モータースBritish Racing Motors,BRM)は、かつてF1に参戦していたコンストラクター。1962年のコンストラクターズチャンピオン。チーム名は主にオーウェン・レーシング・オーガニゼーションOwen Racing Organisation)として活動していた。

沿革

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創設

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ブリティッシュ・レーシング・モータースは第二次世界大戦直後の1945年に、技術者のレイモンド・メイズピーター・バーソンにより創設された。イタリア車やドイツ車が席巻していたグランプリレースにイギリス製のフォーミュラカーで参戦し、英国自動車工業界の威信を示すという理念を掲げ、開発資金の出資を募った。

1950年代

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過給式V16エンジンを搭載した処女作15

航空用エンジンから発想を得たスーパーチャージャー付きV型16気筒エンジンは開発が難航し、1950年のF1世界選手権開幕に間に合わず、地元イギリスGPでデモ走行を行うに止まった。翌年のイギリスGPでデビュー(5位入賞)したが、選手権が翌年から2年間はF2規定で行われたため、このエンジンは国内レース以外に使い道がなくなってしまった。チームは共同出資者のひとりであるアルフレッド・オーウェン卿に買収され、新たに直列4気筒エンジンを開発し、1956年からF1に再挑戦した。

その後もBRMが足踏みしている間、後発のヴァンウォールクーパーが英国勢として先んじて成功を収めた。ようやく1959年の第3戦オランダGPヨアキム・ボニエが初優勝を果たしたが、ミッドシップマシンへの移行期に再び低迷した。

1960年代

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1962年ドイツGPにてグラハム・ヒルP57をドライブする。

1961年から施行された1,500ccエンジン規定には、初期はコヴェントリー・クライマックスからエンジン供給を受けたことでしのぎ、シーズン後半からはインジェクター付きのV型8気筒エンジンを開発。技術部門の新統括者トニー・ラッドが手掛けたP57は、1962年に突如一線級のマシンとなる。チームメカニック出身のドライバー、グラハム・ヒルが9戦中4勝を挙げ、ロータスジム・クラークを振り切りワールドチャンピオンとなり、コンストラクターズとの2冠を達成した。

1965年までの4年間はロータス(クラーク)対BRM(ヒル)のライバル対決がF1界の中心となり、ヒルはモナコGPを3連覇し「モナコ・マイスター」と讃えられた。また、ヒルと名コンビを組んだリッチー・ギンザーに代わり、1965年に加入したジャッキー・スチュワートは早くも1勝を挙げ、驚異の新人と呼ばれた。

1500ccエンジンの成功期が終わり、チームは1966年から施行された新規定用に3,000ccのH型16気筒のP-75エンジンを開発する。同エンジンは水平対向8気筒を2段重ねし、2本のクランクシャフトからアイドラーギアで出力を纏めて取り出したF1史上でも類を見ないレイアウトのエンジンだった。このエンジンは馬力こそあれ重量超過で壊れやすく、おまけにアウトプットシャフトの位置の高さと下面の排気管の取り回しから重心も高くなってしまうという明らかな失敗作だった。2年間の試行が行われたが成績は低迷し、開発は放棄。ヒルとスチュワートは移籍してしまった。供給先のロータスが下記の通り一勝を上げたのはせめてもの慰めであった。その後、V型12気筒のP-142エンジンを開発したが非力さは否めず、ラッドもチームから離脱した。

1970年代

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ヤードレーカラーのP153ドニントン・グランプリ・コレクション収蔵)

1970年、チームは化粧品会社ヤードレーのスポンサードを得て体制を強化。新デザイナー、トニー・サウスゲートが手掛けたマシンで5年ぶりの1勝を得る。翌1971年も新車P160で3勝を挙げコンストラクターズ2位へ浮上したが、スポーツカーレースでペドロ・ロドリゲスジョー・シフェールの看板ドライバー2人が相次いで事故死するという悲劇に見舞われた。代役のピーター・ゲシンイタリアGPを制したが、このレースはゲシン以下5位までが0.61秒差でゴールするF1史上最高の大接戦だった。

1972年にはタバコブランド、マールボロという大スポンサーを獲得し、一気に5台体制での参戦となった(ドライバーはスポット参戦を含め計10名)。大雨のモナコGPでジャン=ピエール・ベルトワーズが見事に勝利したが、新車P180で躓き、体制もやや拡げ過ぎであった。1973年はベルトワーズにクレイ・レガツォーニニキ・ラウダの3台体制で臨み、ラウダは好走が認められ、翌年フェラーリ入りを果たすことになる。

1974年、スポンサーのマールボロがマクラーレンに鞍替えしたため、一転して資金難に陥る(ちなみに、前スポンサーのヤードレーもマクラーレンに移っている)。オーナーであるオーウェン卿の死により、チームは妹婿のルイス・スタンレー卿に譲られ、スタンレー・BRMStanley-BRM)へ再編される。翌1975年以降、1台体制で細々と参戦を続けたが、1977年イタリアGPを最後にチームは消滅した。

エンジン供給

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BRM
(エンジンサプライヤーとしての記録)
参戦年度
  • 1951, 1956 - 1960,
  • 1962 - 1977
F1デビュー戦 1951年イギリスGP
初勝利 1959年オランダGP
最後の勝利 1972年モナコGP
最後のレース 1977年イタリアGP
出走回数 200 (189スタート)
搭載チーム BRM、ロータスギルビー英語版BRPシロッコ英語版ブラバムマトラマクラーレンクーパー
コンストラクターズ
タイトル
1 (1962)
ドライバーズ
タイトル
1 (1962)
優勝回数 18
表彰台(3位以内)回数 65
通算獲得ポイント 499
ポールポジション 11
ファステストラップ 14
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H型16気筒のBRM・P75エンジン

他の英国系チームがコヴェントリー・クライマックスフォード・DFVなどの市販レーシングエンジンを使用していたのに対し、BRMは新レギュレーションに対応したエンジンの開発が間に合わなかった1961年を除けば、一貫してシャシーとエンジンを自社製作するフルコンストラクターとして参戦していた。他チームへのエンジン供給も行っており、1962年から1965年にかけては、1,500ccのP56エンジンをBRPギルビーなどのチームが搭載した他、ロータスやブラバムのシャシーと組み合わせて、多くのプライベーターが使用した。

1966年に開発したH型16気筒のP-75はロータスも使用したが(タイプ43)、BRM同様に低迷の原因となり、ジム・クラークがアメリカGPでこのエンジン唯一の勝利を得るに止まった。この他、V型12気筒のP-142をマクラーレン、クーパーなどグランプリF1チームやスポーツカーレースのミラージュが使用した。

復活、SWCへの参戦

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1992年、F1と同様のエンジン規定となったスポーツカー世界選手権をF1参入の好機と考え、BRMの名前が復活。完全オリジナルマシンのP351は自社製3.5リッターのV型12気筒エンジンを搭載。デザイナーはザクスピードのポール・ブラウン。

BRMは第1戦を欠場し第2戦のシルバーストーン500kmから参戦。しかし予選は通過するも、順位は最下位。このタイムは1つ前のゲプハルト・C91の1分50秒045から10秒遅れの2分00秒182であり、ポールポジションプジョー・905からは約36秒遅れのタイムであった。また決勝ではスタート前にオイルポンプのトラブルが発生し、スタートすら出来なかった。第3戦となるル・マン24時間耐久レースでも20周程でリタイアとなっている。BRMはル・マンを最後にSWCから撤退。その後IMSA GTPのワトキンズグレン戦に参戦するが、こちらもリタイアに終わった。

後にP351をベースとしたオープンプロトタイプのP301をル・マンとISRS(インターナショナル・スポーツカー・レーシング・シリーズ)に参戦させたが、こちらも結果は残していない。

変遷表(コンストラクターとしての参戦のみ)

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エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 燃料・オイル ドライバー ランキング 優勝数
1951年 BRM Ltd 15 D BRM P15(1.5L V16s) - レグ・パーネル
ピーター・ウォーカー
ケン・リチャードソン
ハンス・スタック
-* 0
1956年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25 D BRM P25(2.5L L4) - マイク・ホーソーン
トニー・ブルックス
ロン・フロックハート
-* 0
1957年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25 D BRM P25(2.5L L4) - ロン・フロックハート
ロイ・サルヴァドーリ
ハーバート・マッケイ=フレーザー
ジャック・フェアーマン
レス・レストン
-* 0
1958年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25 D BRM P25(2.5L L4) - ジャン・ベーラ
ハリー・シェル
ロン・フロックハート
モーリス・トランティニアン
マステン・グレゴリー
ヨアキム・ボニエ
4(18pts) 0
1959年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ(P25)
P25 D BRM P25(2.5L L4) - ハリー・シェル
ヨアキム・ボニエ
ロン・フロックハート
3(18pts) 1
1960年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P25
P48
D BRM P25(2.5L L4) - ヨアキム・ボニエ
グラハム・ヒル
ダン・ガーニー
3(18pts) 0
1961年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション P48/57 D クライマックスFPF(1.5L L4) - トニー・ブルックス
グラハム・ヒル
5(7pts) 0
1962年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
ブルース・ジョンストン(P48/57)
P57 D BRM P56(1.5L V8) - グラハム・ヒル
リッチー・ギンサー
1(42pts) 4
1963年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
スクーデリア・セントロ・スッド(P57)
P57
P61
D BRM P56(1.5L V8)
BRM P60(1.5L V8)
- グラハム・ヒル
リッチー・ギンサー
2(36pts) 2
1964年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
モーリス・トランティニアン(P57)
スクーデリア・セントロ・スッド(P57)
P261
P67
D BRM P60(1.5L V8) シェル グラハム・ヒル
リッチー・ギンサー
リチャード・アトウッド
2(42pts) 2
1965年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
スクーデリア・セントロ・スッド(P57)
P261 D BRM P60(1.5L V8) シェル グラハム・ヒル
ジャッキー・スチュワート
2(45pts) 3
1966年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
チーム・シャマコ・コレクト(P261)
バーナード・ホワイト・レーシング(P261)
P261
P83
D BRM P60(2.1L V8)
BRM P75(3.0L H16)
シェル グラハム・ヒル
ジャッキー・スチュワート
4(22pts) 1
1967年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
レグ・パーネル・レーシング(P261,P83)
バーナード・ホワイト・レーシング(P261)
P261
P83
P115
G BRM P60(2.1L V8)
BRM P75(3.0L H16)
シェル ジャッキー・スチュワート
マイク・スペンス
6(17pts) 0
1968年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
レグ・パーネル・レーシング(P126)
バーナード・ホワイト・レーシング(P261)
P115
P126
P133
P138
G BRM P75(3.0L H16)
BRM P142(3.0L V12)
シェル ペドロ・ロドリゲス
リチャード・アトウッド
マイク・スペンス
ボビー・アンサー
5(28pts) 0
1969年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
レグ・パーネル・レーシング(P126)
P133
P138
P139
D BRM P142(3.0L V12) シェル ジョン・サーティース
ジャッキー・オリバー
ビル・ブラック
ジョージ・イートン
6(7pts) 0
1970年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
ヤードレー・チーム・BRM
P139
P153
D BRM P142(3.0L V12) シェル ペドロ・ロドリゲス
ジャッキー・オリバー
ジョージ・イートン
ピーター・ウェストベリー
7(23pts) 1
1971年 ヤードレー・チーム・BRM P153
P160
D BRM P142(3.0L V12) シェル ペドロ・ロドリゲス
ジョー・シフェール
ハウデン・ガンレイ
ヘルムート・マルコ
ピーター・ゲシン
ビック・エルフォード
ジョージ・イートン
ジョン・キャノン
2(36pts) 2
1972年 マールボロ・BRM P153
P160B,P160C
P180
F BRM P142(3.0L V12) BP ハウデン・ガンレイ
レイネ・ウィセル
ピーター・ゲシン
ヘルムート・マルコ
ジャン=ピエール・ベルトワーズ
アレックス・ソーラー=ロイグ
ジャッキー・オリバー
ビル・ブラック
ブライアン・レッドマン
7(14pts) 1
1973年 マールボロ・BRM P160C,P160D,P160E F BRM P142(3.0L V12) STP ジャン=ピエール・ベルトワーズ
クレイ・レガツォーニ
ニキ・ラウダ
ピーター・ゲシン
7(12pts) 0
1974年 チーム・モチュール・BRM P160E
P201
F BRM P142(3.0L V12)
BRM P200(3.0L V12)
モチュール ジャン=ピエール・ベルトワーズ
アンリ・ペスカロロ
フランソワ・ミゴール
クリス・エイモン
7(10pts) 0
1975年 スタンレー・BRM P201 G BRM P200(3.0L V12) ダッカムス マイク・ワイルズ
ボブ・エバンス
NC(0pt) 0
1976年 スタンレー・BRM P201B G BRM P200(3.0L V12) ダッカムス イアン・アシュレイ NC(0pt) 0
1977年 スタンレー・BRM
ロータリー・ウォッチ・スタンレー・BRM
P201B
P207
G BRM P200(3.0L V12)
BRM P202(3.0L V12)
ダッカムス ラリー・パーキンス
コニー・アンダーソン
テディ・ピレット
ガイ・エドワーズ
NC(0pt) 0
エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 燃料・オイル ドライバー ランキング 優勝数
  • 太字はドライバーズタイトル獲得者
  • 斜体になっているドライバーはスポット参戦など
  • 斜体になっているチームはプライベーター(括弧内に使用した車体の型番を記載)
  • *コンストラクタータイトルは1958年から設定された。このためコンストラクターとしてのポイントやランキングは存在しない。

関連項目

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タイトル
先代
フェラーリ
F1コンストラクターズチャンピオン
1962年
次代
ロータス