コンテンツにスキップ

1971年南アフリカグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南アフリカ共和国 1971年南アフリカグランプリ
レース詳細
1971年F1世界選手権全11戦の第1戦
キャラミ (1967–1985)
キャラミ (1967–1985)
日程 1971年3月6日
正式名称 Fifth AA Grand Prix of South Africa
開催地 キャラミ
南アフリカの旗 南アフリカ共和国 トランスヴァール州 ミッドラント英語版
コース 恒久的レース施設
コース長 4.104 km (2.550 mi)
レース距離 79周 324.216 km (201.458 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ティレル-フォード
タイム 1:17.8
ファステストラップ
ドライバー アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ フェラーリ
タイム 1:20.3 (73周目)
決勝順位
優勝 フェラーリ
2位 ティレル-フォード
3位 フェラーリ

1971年南アフリカグランプリ (1971 South African Grand Prix, アフリカーンス語Vyfde AA Suid-Afrikaanse Grand Prix[1]) は、1971年のF1世界選手権の開幕戦として、1971年3月6日キャラミで開催された。

レースはフェラーリマリオ・アンドレッティが優勝した。

レース前

[編集]

開幕前の1月24日オスカル・ガルベス・サーキットで行われた非選手権レースのアルゼンチンGP英語版で、マトラに移籍したばかりのクリス・エイモンが優勝して幸先のいいスタートを切ったが[2]、チームメイトのジャン=ピエール・ベルトワーズはその2週間前の1月10日に同サーキットで行われたスポーツカー世界選手権の開幕戦ブエノスアイレス1000kmレース英語版でマトラ・MS660を止めたところにフェラーリ・312PBを駆るイグナツィオ・ギュンティが激突し、ギュンティは命を落とした[3]。ベルトワーズはこの事故の責任を問われ、裁判所で15日間拘留された後、過失致死罪で告発された。ベルトワーズは保釈金を支払ってフランスに帰国したが、フランス自動車競技連盟英語版(FFAS)に3ヶ月間のライセンス停止の裁定を受けた[4]

エントリー

[編集]

主要チーム

[編集]

前年の終盤5戦のうち4戦で優勝したフェラーリV型8気筒フォード・コスワース・DFVエンジン搭載車よりも圧倒的であり、シーズン開幕前はエースのジャッキー・イクスがチャンピオンの最有力候補と予想されていた[5]。強力な水平対向12気筒エンジンにも改良の手を加えるとともに、新車312B2の制作にも着手した。312B2は開幕前のテストで初披露されたが、クレイ・レガツォーニがテスト中に312B2を激しくクラッシュさせたため、本レースからの投入は見送られた[6]。ドライバーラインナップもエースのイクスと前年に衝撃的なデビューを果たしたレガツォーニに加え、アメリカでのレースがない場合にマリオ・アンドレッティが参加するという強力な布陣であった[7]。前年のチャンピオンチームであるロータスは若いエマーソン・フィッティパルディレイネ・ウィセルが残留し[8]、前年に登場した72Cを走らせる傍ら、プラット・アンド・ホイットニー製のガスタービンエンジンを搭載する四輪駆動56Bの設計も進行していた[2][注 1]。前年のシーズン終盤にコンストラクターとしてデビューを果たしたティレルジャッキー・スチュワートフランソワ・セベールが残留し、前年はスチュワートのみに自製マシン001が与えられた[注 2]が、長身のセベール用にホイールベースを延長した002が用意された[9]。前年に大々的に新規参入してコンストラクターズランキング3位となったマーチはドライバーラインナップをロニー・ピーターソンアンドレア・デ・アダミッチアレックス・ソラー=ロイグ英語版に一新した[10]。新車711はユニークな曲線フォルムとノーズの先端に載せられたテーブル状のウィングが設置される個性的なスタイルであった[11]。エンジンはピーターソンとソラー=ロイグがDFVを、デ・アダミッチのみアルファロメオ(V8)を使用する[10]ジャック・ブラバムが前年をもって引退し、共同創設者のロン・トーラナックに後事を託されたブラバムはベテランのグラハム・ヒルが加入し[10]、本レースのみ地元出身のデイヴ・チャールトンラッキーストライクの支援を得てスポット参戦する[2]マクラーレンデニス・ハルムピーター・ゲシンが残留し、ライジングレートサスペンションが特徴の新車M19Aをハルムが走らせる(ゲシンは前年型のM14A[12]BRMはエースのペドロ・ロドリゲスが残留し、マーチから移籍のジョー・シフェールと新人ハウデン・ガンレイが加わった。マシンは前年型P153の改良版でチゼル()ノーズが特徴の新車P160が投入された[12]マトラジャン=ピエール・ベルトワーズが残留し、マーチから移籍のクリス・エイモンが加入した[12]。ベルトワーズは前記の通りライセンスの停止により欠場を余儀なくされた[4]。マシンは前年型MS120の改良版であるMS120Bを使用する[12]サーティースは前年をもってチーム活動を終えたロブ・ウォーカー・レーシングチームと、同チームのスポンサーであったブルックボンド英語版/オクソ英語版の支援を受け[2]、オーナーのジョン・サーティースが自ら設計したTS7の改良熟成型TS9を走らせる。2台目にはアウト・モトール・ウント・シュポルト英語版とアイフェラント・キャラバンのスポンサーを得たロルフ・シュトメレンがブラバムから移籍してきた。これに加えて本レースのみブライアン・レッドマンがTS7でスポット参戦する[9]

プライベートチーム

[編集]

ウィリアムズシャシーをマーチに切り替え、アンリ・ペスカロロを走らせる[10]。ベテランのヨアキム・ボニエ自身のチーム英語版からマクラーレン・M7Cを走らせる[12]。本レースのみ参加するチーム・ガンストン英語版ジョン・ラブマーチ・701を、ジャッキー・プレトリウス英語版ブラバム・BT26Aを走らせる[10]

タイヤ

[編集]

1960年代にF1を支えたダンロップが前年をもって撤退し、アメリカのグッドイヤーファイアストンがしのぎを削る構図ができあがった。前年にダンロップを使用していたティレルはグッドイヤー、BRMはファイアストンに変更した。特にティレルはシーズン開始前からグッドイヤーのタイヤ開発に深く関与した[13]

エントリーリスト

[編集]
チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 2 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス 72C フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
3 スウェーデンの旗 レイネ・ウィセル
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 4 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0L F12 F
5 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
6 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ
イギリスの旗 STP・マーチ・レーシングチーム 7 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ 711 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
26 スペインの旗 アレックス・ソラー=ロイグ
8 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ アルファロメオ T33 3.0L V8
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 9 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル 001 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
10 フランスの旗 フランソワ・セベール 002
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 11 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M19A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
12 イギリスの旗 ピーター・ゲシン M14A
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 14 イギリスの旗 グラハム・ヒル ブラバム BT33 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
15 南アフリカの旗 デイヴ・チャールトン
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・BRM 16 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM P160 BRM P142 3.0L V12 F
17 スイスの旗 ジョー・シフェール P153
27 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ
フランスの旗 エキップ・マトラ・スポール 18 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ 1 マトラ MS120B マトラ MS71 3.0L V12 G
19 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン
イギリスの旗 ブルックボンド・オクソ・チーム・サーティース 20 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース TS9 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 アウト・モトール・ウント・シュポルト・チーム・サーティース 21 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン TS7
イギリスの旗 チーム・サーティース 28 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 22 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
スイスの旗 エキュリー・ボニエ 23 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン M7C フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
ローデシア共和国の旗 チーム・ガンストン 24 ローデシア共和国の旗 ジョン・ラブ マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
25 南アフリカの旗 ジャッキー・プレトリウス ブラバム BT26A
ソース:[14]
追記
  • ^1 - ベルトワーズはライセンス停止中のため欠場[4]

予選

[編集]

ジャッキー・スチュワートが練習走行から速さを見せ、2番手のクリス・エイモンに0.6秒差を付けてポールポジションを獲得した[4]。3番手のクレイ・レガツォーニがスチュワートとエイモンとともにフロントローに並ぶ[注 3]マリオ・アンドレッティエマーソン・フィッティパルディと2列目を得て、ジョン・サーティースデニス・ハルムジャッキー・イクスは3列目に並ぶ。地元出身のデイヴ・チャールトンは12番手に入る健闘を見せた[2]

予選結果

[編集]
順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 9 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 1:17.8 - 1
2 19 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マトラ 1:18.4 +0.6 2
3 5 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:18.7 +0.9 3
4 6 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ フェラーリ 1:19.0 +1.2 4
5 2 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 1:19.1 +1.3 5
6 20 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 1:19.1 +1.3 6
7 11 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:19.1 +1.3 7
8 4 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:19.2 +1.4 8
9 10 フランスの旗 フランソワ・セベール ティレル-フォード 1:19.2 +1.4 9
10 16 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:19.3 +1.5 10
11 12 イギリスの旗 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 1:19.6 +1.8 11
12 15 南アフリカの旗 デイヴ・チャールトン ブラバム-フォード 1:19.8 +2.0 12
13 7 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 1:19.9 +2.1 13
14 3 スウェーデンの旗 レイネ・ウィセル ロータス-フォード 1:19.9 +2.1 14
15 21 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン サーティース-フォード 1:20.1 +2.3 15
16 17 スイスの旗 ジョー・シフェール BRM 1:20.2 +2.4 16
17 28 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン サーティース-フォード 1:20.2 +2.4 17
18 22 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 1:20.2 +2.4 18
19 14 イギリスの旗 グラハム・ヒル ブラバム-フォード 1:20.5 +2.7 19
20 25 南アフリカの旗 ジャッキー・プレトリウス ブラバム-フォード 1:21.7 +3.9 20
21 24 ローデシア共和国の旗 ジョン・ラブ マーチ-フォード 1:21.9 +4.1 21
22 8 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マーチ-アルファロメオ 1:22.2 +4.4 22
23 23 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-フォード 1:22.3 +4.5 23
24 27 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ BRM 1:23.7 +5.9 24
25 26 スペインの旗 アレックス・ソラー=ロイグ マーチ-フォード 1:25.8 +8.0 25
ソース:[15][16]

決勝

[編集]

スタートでクレイ・レガツォーニが首位に立つ一方、ジャッキー・スチュワートクリス・エイモンは大きく出遅れた。エマーソン・フィッティパルディジャッキー・イクスデニス・ハルムペドロ・ロドリゲスマリオ・アンドレッティがレガツォーニに続き、スチュワートはその後方を走る。ジョン・サーティースもスタートに失敗して11位、エイモンは14位まで順位を落とした[2]。ハルムは4周目にフィッティパルディを抜いて2位に浮上し[4]、17周目にはレガツォーニを抜いてから首位を独走していく。レガツォーニはハルムに抜かれてからしばらく2位を走行していたが、サーティースとアンドレッティにも抜かれた。数周後にアンドレッティがサーティースを抜いて2位に浮上した[2]。レースも残り4周となったところで、首位を走行するハルムのマクラーレン・M19Aの後部が横に流れ始めた。サスペンションからボルトが外れたのが原因で[17]、ハルムは優勝を目前にピットインを余儀なくされた。これでアンドレッティが首位に立ち、F1初勝利を挙げた。スチュワートはレース終盤までにサーティースとレガツォーニを抜いて2位でフィニッシュした。レガツォーニが3位で、フェラーリは表彰台の2つを占めた。4位のレイネ・ウィセルまでがアンドレッティと同一周回で、エイモンが5位、修理を終えてコースに復帰したハルムは6位に終わった[2]

レース結果

[編集]
順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 6 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ フェラーリ 79 1:47:35.5 4 9
2 9 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 79 +20.9 1 6
3 5 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 79 +31.4 3 4
4 3 スウェーデンの旗 レイネ・ウィセル ロータス-フォード 79 +1:09.4 14 3
5 19 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マトラ 78 +1 Lap 2 2
6 11 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 78 +1 Lap 7 1
7 28 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン サーティース-フォード 78 +1 Lap 17
8 4 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 78 +1 Lap 8
9 14 イギリスの旗 グラハム・ヒル ブラバム-フォード 77 +2 Laps 19
10 7 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 77 +2 Laps 13
11 22 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マーチ-フォード 77 +2 Laps 18
12 21 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン サーティース-フォード 77 +2 Laps 15
13 8 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マーチ-アルファロメオ 75 +4 Laps 22
Ret 2 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 58 エンジン 5
Ret 20 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 56 ギアボックス 6
Ret 10 フランスの旗 フランソワ・セベール ティレル-フォード 45 アクシデント 9
Ret 27 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ BRM 42 体調不良 24
Ret 16 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 33 オーバーヒート 10
Ret 15 南アフリカの旗 デイヴ・チャールトン ブラバム-フォード 31 エンジン 16
Ret 17 スイスの旗 ジョー・シフェール BRM 31 オーバーヒート 12
Ret 24 ローデシア共和国の旗 ジョン・ラブ マーチ-フォード 30 ディファレンシャル 21
Ret 25 南アフリカの旗 ジャッキー・プレトリウス ブラバム-フォード 22 エンジン 20
Ret 12 イギリスの旗 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 7 燃料漏れ 11
Ret 23 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-フォード 5 サスペンション 23
Ret 26 スペインの旗 アレックス・ソラー=ロイグ マーチ-フォード 5 エンジン 25
ソース:[18]
優勝者マリオ・アンドレッティの平均速度[19]
180.804 km/h (112.346 mph)
ファステストラップ[20]
ラップリーダー[21]
太字は最多ラップリーダー
達成された主な記録

第1戦終了時点のランキング

[編集]
  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ロータス・56は1968年のインディ500向けに制作され優勝目前まで行ったが、レギュレーションの変更によってインディ500に出場できなくなっていた。 (林信次 1993, p. 21)
  2. ^ セベールはマーチ・701をシーズン終了まで使用した。
  3. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
  4. ^ 決勝に出走できなかった1968年イタリアGPを含めると11戦目。
  5. ^ 初出場から4戦目。過去3戦はいずれも予選不通過だった。

出典

[編集]
  1. ^ Motor Racing Programme Covers: 1971”. The Programme Covers Project. 2017年7月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h South African GP, 1971”. grandprix.com. 2020年1月19日閲覧。
  3. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 254)
  4. ^ a b c d e f g h South Africa 1971”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
  5. ^ (林信次 1993, p. 16-17,26)
  6. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 260-261)
  7. ^ (林信次 1993, p. 17,26)
  8. ^ (林信次 1993, p. 26)
  9. ^ a b (林信次 1993, p. 29)
  10. ^ a b c d e (林信次 1993, p. 27)
  11. ^ (林信次 1993, p. 21,27)
  12. ^ a b c d e (林信次 1993, p. 28)
  13. ^ (林信次 1993, p. 22)
  14. ^ South Africa 1971 - Race entrants”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
  15. ^ South Africa 1971 - Qualifications”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
  16. ^ South Africa 1971 - Starting grid”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
  17. ^ (ダグ・ナイ 1989, p. 215)
  18. ^ 1971 South African Grand Prix”. formula1.com. 2013年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  19. ^ South Africa 1971 - Result”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
  20. ^ South Africa 1971 - Best laps”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
  21. ^ South Africa 1971 - Laps led”. STATS F1. 2020年1月19日閲覧。
  22. ^ 戦績:M.アンドレッティ”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
  23. ^ 戦績:A.ソーラー=ロイグ”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
  24. ^ 戦績:H.ガンリー”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
  25. ^ 戦績:ティレル”. F1 DataWeb. 2020年1月19日閲覧。
  26. ^ a b South Africa 1971 - Championship”. STATS F1. 2019年3月20日閲覧。

参照文献

[編集]
  • Wikipedia英語版 - en:1971 South African Grand Prix(2019年9月9日 4:37:31(UTC))
  • 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 
  • ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 

外部リンク

[編集]
FIA F1世界選手権
1971年シーズン
次戦
1971年スペイングランプリ
前回開催
1970年南アフリカグランプリ
南アフリカの旗 南アフリカグランプリ 次回開催
1972年南アフリカグランプリ