マクラーレン・M19A

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マクラーレン・M19
ピーター・ゲシンのドライブするM19A、1971年ドイツグランプリ
カテゴリー F1
コンストラクター マクラーレン・レーシング
デザイナー ラルフ・ベラミー
先代 M14A
後継 M23
主要諸元[1]
シャシー アルミニウムモノコック.
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン.
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン.
トレッド 前:63.0 in (160 cm)
後:62.0 in (157 cm)
ホイールベース 100 in (254 cm)
エンジン フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90° V8, NA ミッドエンジン.
トランスミッション ヒューランド DG400 5速 MT
重量 560 kg (1,235 lb)
主要成績
チーム ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
チーム ヤードレー マクラーレン
ヤードレー チーム・マクラーレン
ドライバー ニュージーランドの旗 デニス・ハルム
アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン
南アフリカ共和国の旗 ジョディ・シェクター
イギリスの旗 ブライアン・レッドマン
初戦 1971年南アフリカグランプリ
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
25 1 1 3
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マクラーレン・M19A (McLaren M19A) は、マクラーレン1971年から1973年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーM19CはM19Aの改良型で、1972年および1973年に使用された。

設計[編集]

ゴードン・コパックインディ500用のマクラーレン・M16の設計を担当していたため、1971年シーズン用のF1マシンはラルフ・ベラミーが担当した。その結果「The Alligator Car」のニックネームを持つ別の車が出来上がった[2]。このニックネームの理由となった梨地のコクピット側面は、3つの燃料タンクの内2つをドライバーの横に配置した結果であった[3]

M19Aは前後のサスペンションにインボード式のコイルオーバーショックを採用し、それはスプリングが圧縮されるにつれてスプリングレートが増加する揺動リンクを介して作動した[3]。この揺動リンクは従来システムを採用するM19Cでは使用されなかった[1]。M19AとM19Cはどちらもコスワース DFVをミッドマウントで搭載し、ヒューランドの5速マニュアルギアボックスを採用した。

レース戦歴[編集]

1971[編集]

M19Aはデニス・ハルムのドライブで1971年南アフリカグランプリにデビューした。ピーター・ゲシンは引き続いてM14Aをドライブし、2台目のM19Aはオランダグランプリに投入された。ゲシンがBRMに移籍した後、ジャッキー・オリバーオーストリアグランプリで2台目のM19Aをドライブした。ハルムはカナダグランプリでM19Aの初のファステストラップを記録した。しかしM19Aはシーズンを通して信頼性が低く、コンストラクターズランキングは6位に終わった。

ワークス以外もM19Aを使用した。カナダグランプリおよびアメリカグランプリではペンスキー-ホワイト・レーシングがM19Aを走らせ、カナダではマーク・ダナヒューがF1デビューし3位に入った。デヴィッド・ホッブスはアメリカグランプリで10位となった。

1972[編集]

ピーター・レブソンのマクラーレン・M19C、2004年カナダグランプリにおけるデモ走行

マクラーレンは1972年シーズンに向けて、新スポンサーとして化粧品会社ヤードレー・オブ・ロンドンを獲得した。マシンはヤードレーのスポンサーカラーである白に塗り替えられ、車体側面の燃料タンクのみ従来のオレンジ色で塗装された。

開幕戦のアルゼンチングランプリでハルムは2位に入り、幸先の良いスタートとなった。ピーター・レブソンはマクラーレンでのデビュー戦となったがリタイアに終わった。第2戦南アフリカグランプリではハルムが優勝、レブソンは3位と両者とも表彰台に上った。ハルムの優勝は自身およびマクラーレンにとって1969年メキシコグランプリ以来の優勝であった。

改良型のM19Cはモナコグランプリに投入され、ハルムがドライブした。レブソンとブライアン・レッドマンオーストリアグランプリまでM19Aをドライブした。レブソンはカナダグランプリポールポジションを獲得、これはマクラーレンにとって初のポールポジションであった。1971年に比べて信頼性は向上し、コンストラクターズランキングは3位となった。

後のワールドチャンピオン、ジョディ・シェクターはM19AをドライブしてアメリカグランプリでF1デビューを果たした。

1973[編集]

マクラーレンはハルムとレブソンのラインナップで1973年シーズンに入り、マシンはM19Cを引き続いて使用した。レブソンはブラジルグランプリではM19Aに切り替えている。ハルムは南アフリカグランプリで新型のM23をドライブした。ハルムはポールポジションを獲得、決勝は5位に入り、レブソンとシェクターはM19Cを使用、レブソンが2位、シェクターは9位となった。レブソンの2位はM19に取って13回目、最後の表彰台となった。このレースがM19に取って最後のレースとなった。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位
1971年 M19A フォード-コスワース DFV G RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
10* 6位
ニュージーランドの旗 デニス・ハルム 6 5 4 12 Ret Ret Ret Ret 4 Ret
イギリスの旗 ピーター・ゲシン NC 9 Ret Ret
イギリスの旗 ジャッキー・オリバー 9
1972年 M19A
M19C
フォード-コスワース DFV G ARG
アルゼンチンの旗
RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
47 3位
ニュージーランドの旗 デニス・ハルム 2 1 Ret 15 3 7 5 Ret 2 3 3 3
アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン Ret 3 5 7 3 3 4 2 18
イギリスの旗 ブライアン・レッドマン 5 9 5
南アフリカ共和国の旗 ジョディ・シェクター 9
1973年 M19A
M19C
フォード-コスワース DFV G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
NED
オランダの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
58** 3位
ニュージーランドの旗 デニス・ハルム 5 3
アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン 8 Ret 2
南アフリカ共和国の旗 ジョディ・シェクター 9

* 4ポイントはカスタマーチームによる。
** 1973年の36ポイントはマクラーレン・M23による。

ノンワークス[編集]

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
1971年 ペンスキー-ホワイト・レーシング M19A フォード-コスワース DFV G RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー 3
イギリスの旗 デヴィッド・ホッブス 10

参照[編集]

  1. ^ a b 1971 McLaren M19A Cosworth”. Ultimatecarpage.com. 2014年9月20日閲覧。
  2. ^ McLaren Formula 1 - The Cars: McLaren M19C”. mclaren.com. 2014年9月20日閲覧。
  3. ^ a b NEW RACING CARS ---McLaren Indianapolis & FI March 711, BRM P160”. motorsportmagazine.com. Motor Sport (magazine). 2014年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月20日閲覧。


外部リンク[編集]