世界ラリー選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
世界ラリー選手権
WRC.svg
カテゴリ ワールドラリーカー
国・地域 インターナショナル
開始年 1973年
ドライバー 12[注 1]
チーム 4[注 1]
タイヤ
サプライヤー
ミシュラン
DMACK
ドライバーズ
チャンピオン
フランスの旗 セバスチャン・オジェ2018年
マニュファクチャラーズ
チャンピオン
日本の旗 トヨタ(2018年)
公式サイト wrc.com/
Motorsport current event.svg 現在のシーズン

FIA 世界ラリー選手権FIA World Rally Championship、通称:WRC(ダブリュアールシー))は、国際自動車連盟 (FIA) が主催するラリー競技の世界選手権である。ヨーロッパを中心としてアフリカ中南米アジアオセアニアなどの地域でも開催されている。下位クラスであるWRC2プロ、WRC2、JWRCなどについてもここで述べる。

目次

概要[編集]

1973年、それまで世界各地で単独に開催されていたラリーイベントたちをFIAの下に一本化し、ラリー競技の最高峰に位置する世界選手権としてスタートした。FIAが主催する自動車競技の世界選手権の中ではF1世界選手権1950年創設)の次に長い歴史を持つ[注 2]。また開幕戦のラリー・モンテカルロは、F1のモナコグランプリより長い歴史を持つイベントである。選手権は元々はマニュファクチャラー部門(自動車メーカー)のみが争われたが、後にドライバー部門とコ・ドライバー部門の選手権も争われるようになった。また下位のサポート選手権であるWRC2、WRC3、JWRCが併催されている。

ラリーの種類は、公道競技場などに設けられたコース=スペシャルステージ(SS) でタイムアタックを行い、各SSタイムの合計で順位を決める「スペシャルステージラリー」である。SSとSSの間の移動は「リエゾン」または「ロードセクション」と呼ばれ、一般車に混じり現地の交通法規に従って走行する。現行の標準的なスケジュール(アイテナリー)では、木曜日から日曜日にかけての3-4日間に20本前後のSSを走行する。SSの合計距離は300-400km、リエゾンを加えた総走行距離は1,000-2,000km程度である。SSの時間は基本的に日中で、時々早朝や夜間にも行われる。

競技車両は一定数生産された市販車をベースとして、公認範囲内で改造を加えたラリーカーである。性能別に数段階にグループ分けされているが、選手権タイトルを賭けた最高峰クラスは、マニュファクチャラーの直営組織(ワークスチーム)が開発したワールドラリーカー(WRカー)で競われる。競技車両にはドライバーコ・ドライバーの2名が乗車し、コ・ドライバーがコース上のコーナーや路面状況などを記載したペースノートを読み上げ、ドライバーはそれに従い運転操作を行う。 また、基本的にはドライバーが運転操作を行い、ナビゲートするのがコ・ドライバーという形ではあるが、非常に稀なケースではあるものの両者の役割が逆転する場合もある。 2011年スウェーデンラリーでは、ペターソルベルグ選手が一般道のリエゾン区間でスピード違反で免許停止措置(世界中で開催される世界選手権に参加するためのライセンス以外に開催国での自動車運転を認めてもらうための国際免許を停止される処分)を受け、処分の執行には48時間の猶予があったものの、最終ステージ前で執行猶予時間が経過したため最終ステージだけをコ・ドライバーのグリス・パターソンにステアリングを託し、ソルベルグ本人は助手席で運転操作を解説しながら最終ステージを完走するという場面もあった。 このように、タイムアタック区間(スペシャルステージ)以外の走行区間では開催当該国の道交法に従わなければならないため苦肉の策が実行されるケースもある。 また、スペシャルステージでアクシデントを起こして破損した車で走り続けるしかない場合(多くの場合はリエゾン区間前にチームの整備を受けられる)もあり、そのままリエゾン区間に入ると整備不良や危険な破損車での走行ということで警官に止められ、その場合は、その場で即刻リタイアを余儀なくされるケースもある。 このようにFIA(世界選手権主管団体)が定めた規則だけではなく、当然ながら開催当該国の道交法も遵守しなければならない。

主な特徴[編集]

市販車両 WRCの競技車両
市販車両
WRCの競技車両
4連補助灯

競技車両は市販車両をベースに製作することと規定されているため外観はベースモデルと大差無いが、特に最上位のWRCクラスが使用するWRカーは、エンジンや各パーツ、駆動方式の変更など、内部は大部分が別物となっている[注 3]ECUにはSS用の“ステージモード”[注 4]、リエゾン用で低燃費となる“リエゾンモード”の2種類が設定されており、走行状況に合わせて切り替える仕様となっている。

競技ライセンス“国際C級レース除外”を取得し、規定に合致した車両を用意して抽選に通れば、一般人もプライベーターとして出場することが可能である[注 5]WRカーの後から同じコースを走りタイムを争い、時にはプライベーターがランキングの上位に食い込むということもある。尚コ・ドライバーもドライバーと同等の競技ライセンスが必要である。

興奮する観客
(2011年 アクロポリス・ラリー)

サーキットで行われる周回競技と異なり、一般道路や林道などを一時的に閉鎖して行われるため、設営された観客席は少ない。観客はコースを間近で見られることもあり、熱心なファンは足繁く観戦ポイントに出向く。しかし、車両がコースオフし客席に飛び込む恐れもあるために観戦には危険も伴い、過去には死亡・負傷事故も起こっている[3]

観客達が大きくコースオフした車両をコースに戻したりすることも多々あるが、本来ドライバー、コ・ドライバー以外の人間が競技車両に触れることはルール違反なため、ドライバーはペナルティを受けてしまうことが多い[注 6]。逆に観客が競技の妨害を行うこともあり、開催中にコース上の冊が閉められたこともある[4]。現地の運営側が観客をコントロール出来ないと判断された場合はSSそのものがキャンセルとなり、実際にラリー・ポルトガルラリー・ポーランドがこの理由で一時WRCから外された。

広大なエリアでは、時に観客がプロに代わるカメラマンとして活躍することがある。2005年のキプロス・ラリーでは、フランソワ・デュバルのコースオフと車両炎上のシーンにおいて、観客が撮影した映像が国際映像として放映された。また近年はドローンが撮影に投入されており、ダイナミックな映像の撮影に大きな貢献をしている。

イベント[編集]

各々の国で開催される競技をイベントと呼ぶ。年間のイベント数は1990年代中頃まで8~10戦程度であったが、増加を望むFIAの意向により各ラリーの開催日数・走行距離の短縮やサービス (車両整備) 回数の制限等、イベントの簡素化が進められたことに対応するようにイベント数が徐々に増やされ、2007年には全16戦、2008年は全15戦となっていたが、2009年と2010年は2年間で24戦を隔年で開催するという年間12戦のローテーション制となり[注 7]、2011年からは全13戦となっている。

F1のオフシーズンであるストーブリーグが4ヶ月-5ヶ月近くであるのに対して[注 8]WRCは1ヶ月前後しかないが[注 9]、シーズンオフが短い分、6月上旬から7月終わり又は8月始めまで約2ヶ月間の休息期間となるインターバルを設けている。

これまでに開催されたWRCイベント[編集]

開催地 イベント名 開催都市 開催年度
アルゼンチンの旗 アルゼンチン ラリー・アルゼンチン ビジャ・カルロス・パス 1983年 -
ブラジルの旗 ブラジル Marlboro Rallye do Brasil サンパウロ 1981年 - 1982年
オーストラリアの旗 オーストラリア テルストラ・ラリー・オーストラリア パース 1988年 - 2006年 2009年,2011年,2013年 -
カナダの旗 カナダ Criterium Molson du Quebec モントリオール 1977年 - 1979年
キプロスの旗 キプロス キプロス・ラリー リマソール 2000年 - 2006年
 フィンランド 1000湖ラリー ユバスキュラ 1951年 - 1996年
ネステ・ラリー・フィンランド ユバスキュラ 1997年 -
フランスの旗 フランス ラリー・ド・フランス-アルザス ストラスブール 2010年 - 2014年
ドイツの旗 ドイツ OMV ADAC ラリー・ドイチェランド トリーア 2002年 -
ウェールズの旗イギリス RACラリー カーディフ 1933年 - 1997年
ウェールズ・ラリー・オブ・グレートブリテン カーディフ 1998年-
ギリシャの旗 ギリシャ アクロポリス・ラリー・オブ・グリース ラミア 1973年 - 2013年
アイルランドの旗 アイルランド ラリー・アイルランド スライゴ 2007年 -
イタリアの旗 イタリア ラリー・サンレモ サンレモ 1973年 - 2003年
スーパーマグ・ラリー・イタリア・サルディニア ポルト・チェルヴォ 2004年 -
ポーランドの旗 ポーランド Rally Poland[注 10] ミコワイキ 2014年 -
コートジボワールの旗 コートジボワール Rallye Cote d'Ivoire アビジャン 1976年 - 1992年
日本の旗 日本 ラリー・ジャパン 帯広市 2004年 - 2007年
札幌市 2008年 - 2010年
ヨルダンの旗 ヨルダン ヨルダン・ラリー アンマン 2008年、2010年 - 2011年
 ケニア (及びウガンダタンザニア) イースト・アフリカン・サファリ 1960年 - 1973年
サファリラリー ナイロビ 1974年 - 2002年
モロッコの旗 モロッコ Rallye du Maroc カサブランカ 1971年 - 1976年
メキシコの旗 メキシコ コロナ・ラリー・メキシコ レオン 2004年 -
モナコの旗 モナコ ラリー・オートモービル・モンテカルロ モンテカルロ 1911年 -
 ノルウェー ラリー・ノルウェー ハーマル 2007年 - 2009年
 ニュージーランド プロペシア・ラリー・ニュージーランド ハミルトン 1985年 - 2008年 2010年,2012年
ポルトガルの旗 ポルトガル ラリー・ポルトガル ポルト 1967年 - 2001年
ボーダフォン・ラリー・デ・ポルトガル アルガルヴェ 2007年 -
スペインの旗 スペイン ラリー・ラック・カタルーニャ - コスタ・ドゥラダ サロウ 1991年 -
 スウェーデン Rally to the Midnight Sun カールスタッド 1950年 - ?
ウッデホルム・スウェディッシュ・ラリー カールスタッド 2002年 -
トルコの旗 トルコ ラリー・オブ・ターキー ケメル 2003年 - 2010年
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オリンパス・ラリー 1985年 - 1988年

路面とタイヤ[編集]

グラベル ターマック
グラベル
ターマック

イベントで使用されるコースの路面環境は様々だが、大きな分類では未舗装路のグラベルとアスファルト舗装路のターマックの2種類で、積雪路のスノーや凍結路のアイスは、土台となる基礎路面で分類される[注 11]。ターマックとグラベルが混在するミックスサーフェイスのイベントも有る[8]

概ね、ターマックでは車高を下げて大径の18インチホイールを装着するのに対して、路面変化の大きいグラベルではサスペンションのストロークを確保するために車高を上げて小径の15インチホイールを装着する。全イベントの2/3を占めるグラベルも地質や砂利の割合などそれぞれ特性が異なり一括りに出来ない難しさがあるため、ターマック、グラベル共に路面状況や天候を読みながらのセッティング、タイヤ選択がタイムに大きな影響を与えることも少なくない[注 12]

タイヤの制限[編集]

左: ターマック用
右: グラベル用
(2007年 ラリー・ポルトガル)

かつてはタイヤの種類や使用本数に制限は無かったが、コスト低減などを目的としたコントロールタイヤ制度 (ワンメイク) の導入[注 13]と同時に様々な制限を行った[10]。タイヤの種類は、トレッドパターンがブロック状のグラベル用[注 14]、ターマック用のグルーブ (溝) が少ないスリック[注 15]のほか、冬期イベント用にスノーとスタッド付きスノーがある[注 16]。レギュレーションにより、イベントで使用可能なトレッドはグラベル、ターマック共に1種類、コンパウンド[注 17]は2種類まで認められているが[11]、例外として、ターマックの冬期イベントで路面のコンディションが多種多様に変化するモンテカルロでは4種類まで認められている[12]

車両へ搭載されるスペアタイヤの本数は2本まで、新品タイヤへの交換は“サービスパーク”への入庫時のみ、交換本数も4本までとなっている[注 18]。限られたタイヤ本数で如何に早いタイムを出すことが求められるため、特に近年はタイヤマネージメントの重要性が増した。前後左右のタイヤ選択、前後のローテーション、内圧設定のほか、勝負所となる重要なSSを見極めタイヤを温存するなど様々な戦略が取られている[14]。イベント毎に使用出来るタイヤの総本数は異なるが、2014年のラリー・イタリアではシェイクダウンに4本、競技では35本となっている[15]

タイヤメーカー[編集]

2018年現在でFIAに認定されている公式サプライヤー (供給メーカー) は、ミシュラン[注 19]DMACKピレリ[注 20]の3社である。2008年から2011年までは独占契約を結んだ1社が全てのマシンにタイヤを供給するワンメイクとなっていたが、2011年からはタイヤメーカーの選択が自由となり、各チームがそれぞれのタイヤメーカーと契約する形となっている[20]

スケジュール[編集]

3日間又は4日間で行われる[注 21]。各日はDAY (デイ) で表し、1日目は「DAY1 (デイワン)」と呼称する[注 22]。DAYは、実質的な競技区間のSS (Special Stage: スペシャルステージ、通称: エスエス) と計測地点のTC (Time Control: タイムコントロール)、公道を走行する移動区間 (ロードセクション) のリエゾンに分けられ、SSの合計タイムが最も早いドライバーが優勝となる。

競技はアイテナリーと呼ばれるタイムスケジュール表に沿って進められる。通常のスタート間隔は2分だが、グラベルで無風状態になると前車走行後の土煙が2分以内に収まらず、後にスタートしたマシンが視界を遮られて影響を受けるため、その場合は間隔を1分延長し、状況次第では更に1分延長される事も有る[注 23]。このためサーキットレースとは異なり、トラブルで減速・停車した場合を除きコース上での抜きつ抜かれつはほぼ生じない。

準備[編集]

イベントが開催される週の水曜日からレッキと呼ばれる、競技で使用されるコースの下見走行を行い、ドライバーとコ・ドライバーはコース状況を把握してペースノートの製作を行うが、使用車両は競技車両ではなく一般車両となる。水曜日の夕方から木曜日に掛けてはシェイクダウンと呼ばれる、実際に競技車両を使用して最終チェックを行った後[注 24]車検を受けて規定外のパーツの装着が無いか確認が取れると、競技車両はパルクフェルメと呼ばれる車両保管所に置かれ、ドライバーを含め全ての関係者は競技開始まで触れることが出来ないようになっている。

リエゾン[編集]

リエゾンを走行する車両 (2012年 ラリー・フランス)

一般道路を使用する移動区間。スタートした車両はリエゾンを通りTCへ向かう。SSと異なり閉鎖されていないため、現地の交通法規に従い一般車両に混じって走行する。そのため競技車両は開催国のナンバープレートを装着する。リエゾンを走行することも競技の一部であり、主催者から示されるコマ図に従って走行するというラリー競技当初の姿が現在も残っている[注 25]。TCに入る時間は車両毎に指定され[注 26]、指定時刻に遅れた場合は1分につき10秒のペナルティが総合タイムに加算される[13]。スピード違反や一時停止義務違反で現地の警察に検挙されることもあり、ドライバーが免許停止などの処分を受けた場合、以後のリエゾン区間はコ・ドライバーがステアリングを握ってドライバーがナビをする[25]。また、各国の法律[注 27]に定められた保安基準を満たしていない場合は走行を止められることがあり、特にSS区間でのトラブルで車が破損した場合などに問題となる。

SS[編集]

一般道路を一時的に閉鎖して作られた区間で、スタート地点はTC内に設置され、1台ずつ一定間隔でスタートしてタイムを競う。イベントによっては一般道路を閉鎖して使用するSSとは異なり、人工的に作られたサーキットコースのような特設会場で、2台の車両が仕切りのあるコースを同時にスタートするスーパースペシャルステージ (Super Special Stage: スーパーSSSSS) も存在する[注 28]

スーパーSS
(2006年 ラリー・アルゼンチン)

スピード感のある走行シーンが見所であるため、メディア中継が行われるのもSSであることが多い。SSの数はイベントにより異なるが概ね20前後で、各SSの距離は2km前後から50km以上まで存在し[注 29]、合計距離は300-400km程度となっている[注 30][注 31]。2011年からはパワーステージ[注 32]が導入された。タイトル争いでは僅かなポイントが結果を大きく左右する場合があるため、DAYリタイアやトラブルで上位進出の可能性が無くなった場合はパワーステージでのポイント獲得に切り替える事が多い。

破損した車両
サービスパーク
(2012年 ラリー・フィンランド)

タイムは速いほど良いためドライバーは全力で挑むが、時にはスピンやパンクによるタイムロスも発生する。また、事故や機器のトラブルなど、車両が深刻なダメージを受けて走行不能となった場合は、リタイアしたSSと、同日に行われる全てのSSがリタイア扱いとなるDAYリタイアとなる。全損で無い場合、指定の時刻までに車両を走行可能な状態にして認定を受けた場合は翌日の出走が可能となる救済措置のラリー2規定が適用され、ペナルティとしてリタイアしたSSと走行出来なかった残りのSSのトップタイムに5分加算されるが総合成績は有効となる。但し、最終日にリタイアした場合は同規定が適用されないため未完走扱いとなり総合成績は残らない[13]

DAYリタイアの時点で、優勝やポディウム争いからは脱落してしまうが、以降のイベントに向けてのテストやセッティングと割り切って走行する事が多い。2014年からは、シードドライバーがDAYリタイアし翌日出走する場合、前年のドライバーズポイント順である、ゼッケンナンバーが15番までのシードドライバーの最下位に組み入れることと規定された。これは、余りにも下位の出走順にしてしまうと、技量の高いシードドライバーがタイムの遅い前走者に追い付き、危険と判断されたものである[21][13]

スタート順は、グラベルのイベントに於いては重要なファクターとなる。最初にスタートするドライバーは堆積する土砂を掻き分ける掃除役となり不利を被ることが多いため、これまでも様々な対策が取られてきたが根本的な解決策は定まっていない。2013年までは事前に行われる予選でタイム順に上位のドライバーから自由に決めることが出来たが、2014年からは予選が廃止された。新方式は、初日のDAY1はドライバーズポイントが高い順、DAY2以降はスーパーSSを除く前日の最終ステージを終えた時点での総合成績順となっている。

各DAY最後のSS終了後はTCに移動してリエゾンを通り、サービスパークと呼ばれる各チームの本部に戻る。サービスパークでは競技中の整備や給油などの各種作業が許されるが制限時間があり[注 33]、制限時間をオーバーしたり、SSを欠場してマシンの修復を行う場合[注 34]はペナルティとしてタイムが加算される[注 35]。その後、車両は再びパルクフェルメに保管されて次のDAYの競技開始を待つ。サービスパーク以外で簡単な整備が出来る場所、リモートサービス[注 36]を設ける場合もある。

車両クラス[編集]

テクニカルクラス(技術的な区分)[編集]

2014年にFIAにおける地域選手権も含めたラリーカーの規定は、6つのクラスに再編された。グループRのR3D以外は全てガソリン車となる。従来は各クラスに多数の規定が混在していたが、2019年に簡素化された。現在の車両の区分は以下の通り[29]

この技術区分はプライオリティ(優先順位)の基準として用いられる。例えば同じWRCクラスでもRC5車両の参加者の出走順は、WRC3のR3・RC4車両の後になる。

【RC1】
【RC2】
  • グループR5
【RGT】
  • グループRGT
【RC3】
  • グループR3/VR3C(自然吸気は1,600cc超-2,000cc以下、ターボは1,067cc超-1,333cc以下)
  • グループR3/VR3T(1,620cc以下のターボ)
  • グループR3/VR3D(ディーゼル 2,000cc以下のターボ)
【RC4】
  • RC4A…グループR2/VR2C(自然吸気は1,600cc超-2,000cc以下、ターボは1,067cc超-1,333cc以下)
  • RC4B…グループR2/VR2B(自然吸気は1,390cc-1,600cc、ターボは927cc-1,067cc)
【RC5】
  • グループR1/ VR1A/VR1B(自然吸気は1,600cc以下・ターボは1,067cc以下)

2018年までのテクニカルクラス[編集]

【RC1】
【RC2】
【RGT】
  • グループRGT
【RC3】
  • グループA (1,600cc超-2,000cc未満)
  • スーパー1600
  • グループR2/VR2C(自然吸気は1,600cc超-2,000cc以下、ターボは1,067cc超-1,333cc以下)
  • グループR3/VR3C(自然吸気は1,600cc超-2,000cc以下、ターボは1,067cc超-1,333cc以下)
  • グループR3/VR3T(1,620cc以下のターボ)
  • グループR3/VR3D(ディーゼル 2,000cc以下のターボ)
【RC4】
  • グループA (1,600cc以下)
  • グループR2/VR2B(自然吸気は1,390cc-1,600cc、ターボは927cc-1,067cc)
  • キットカー (1,600cc以下)
  • グループN (1,600cc超-2,000cc以下)
【RC5】
  • グループN (1,600cc以下)
  • グループR1/ VR1A/VR1B(自然吸気は1,600cc以下・ターボは1,067cc以下)

実際に参戦可能な車両とクラス[編集]

車両の詳細は競技クラスを参照。

【WRC】
【WRC2プロ】/【WRC2】
  • グループR5
【JWRC】
  • 二輪駆動のグループR(=R1〜R3)車両の中からFIAが指定する一車種

その他、これらのクラスとは別枠でASN(Authority Sport Nationale、各国の自動車協会)の認める地域選手権独自の規定の車両がエントリーすることも可能である。ただし安全基準はFIAのそれに準ずる。またチャンピオンシップポイントを得ることはできず、賞典外での参加となる。

競技クラス[編集]

2019年はWRCのほかにWRC2プロWRC2JWRCという3つのサポート選手権が存在する。このうちWRC2プロとWRC2は全WRCイベントで併催される[注 37]

タイヤは2018年現在、ワンメイクのJWRCを除く全クラスでミシュランピレリDMACKの3サプライヤーのうちから選択する(ただしASN車両はこの限りではない)。

WRC[編集]

選手権の名称にもなっている最上位クラス。1973年誕生。マニュファクチャラー(製造者)として参戦するチームは、全13戦で2台以上のエントリーが義務付けられている。ポイントは全戦有効。カーナンバーは基本的に1~30番だが、それ以外をリクエストすることも可能。2019年よりチャンピオンドライバー以外は「2~99」のうちから自由選択となった。

WRCクラスでのみ使用されるWRカー(ワールドラリーカーは量産市販車に四輪駆動化やターボ化といった大幅な改造や変更を施す規定で、1997年から施行されている。発足当初のベース車両はセダンが主流であったが、現在は全車がBセグメントハッチバックを採用している。2017年規定のWRカーのエンジンは直列4気筒1.6Lターボの「GRE」と呼ばれる規格で、最高出力は約380PS、最大トルクは約425Nmを発生する。00年代以降はコストダウンの観点から改造範囲が縮小されていたが、2017年の規定では空力・駆動面の大胆な規制緩和が行われ、速度と迫力が大幅に向上した。

2018年まで規則上ではWRカー以外にもグループNスーパー2000グループA、グループRGT、グループRなどが参戦可能であったが、実際にこれを用いるエントラントはなく、2019年以降は規則から削除されている。

1998 - 2010年の主な車種[編集]

2011- 2016年の車種[編集]

2017年以降の車種[編集]

WRC2プロ/WRC2[編集]

WRCの直下カテゴリ。WRC2は2013年、WRC2プロは2019年に誕生。WRC2プロは全13戦中上位8戦、WRC2は13戦中7戦を選んで参加し上位6戦分のポイントが採用される有効ポイント制である[注 38]。カーナンバーは2018年までは31から60番。2019年より21番以降となる。WRC2プロにはWRC同様マニュファクチャラーズ選手権が設定されており、各マニュファクチャラーは最低7戦に最少でも1台をエントリーさせなければならない。

使用車両は2019年以降はグループR5車両のみで選手権が争われる。2013〜14年まではグループR4、2013〜18年まではグループN4スーパー2000もエントリーできた。またWRC2発足当初はグループN4が対象の「プロダクションカーカップ」が設定されていた[30]

グループR5はスーパー2000に代わる規定で、最大価格18万ユーロの規制の下に多数のメーカーがR5マシンの開発を行っている。エンジンは市販車由来の1.6Lターボで最大馬力280hp程度、大規模な空力パーツも無いため絶対的な速さこそWRカーに劣るが、コースやドライバーなどの諸条件が揃うと稀にWRカーを上回るパフォーマンスを見せることもあり[注 39]、現状ではWRカーに最も近いマシンである。コストパフォーマンスに極めて優れているためプライベーターからの人気が高く、シュコダのようにこのクラスを主戦場とするメーカーもいるため、かつてR5規定を次期WRカーとする構想があったほどであった。WRカーがコスト削減の方針を撤廃したことでそれは実現しなかったものの、ワークスチームやプロドライバーが多数いる現状を鑑みて、彼らを対象としたWRC2プロクラスが誕生した[32]

2015年までの主な車種[編集]

2016年以降の主な車種[編集]

ジュニア世界ラリー選手権 (JWRC)[編集]

WRCの育成向けクラス。2002年誕生。WRCクラスの有力マニュファクチャラーで知られるMスポーツがプロモーターを務める。年間6~7戦で、ポイントは全戦が有効となる。カーナンバーは61から80番。2015~2016年と2019年以降に、1イベント中各国で最もポイントを稼いだドライバーをポイント対象とし、年間最もポイントを稼いだ国に贈られる「JWRCネイションズトロフィー」が設定されている。

参戦には29歳以下[注 40]で、かつWRカーでマニュファクチャラーポイントを獲得したことが無いドライバーという制限が課されており、WRCへの登竜門的な存在となっている。以前はJWRCでチャンピオンになってすぐWRCで活躍するドライバーも多かったが、近年はWRCの出場枠が少ないことやWRカーの戦闘力が以前より上がったこともあり、一旦WRC2へステップアップするドライバーが多い。運営側でも、優秀な成績を収めたドライバーにはWRC2に無償で参戦できる権利を用意している[注 41]。2011年から車両・タイヤともにワンメイクとなっており、2018年はフォード・フィエスタ R2とピレリが指定されている。

前身は1993~1999年開催の、二輪駆動車のためのFIA 2リッターカップ。2001年に改めて開催された「FIAスーパー1600カップ」が翌年にJWRCと改称された。2006年以降はスーパー1600に加えて1,600cc以下のグループA3キットカー、2,000cc以下のグループN3グループR2・R3規定など多彩なマシンのエントリーも認められるようになった。2007年のみヨーロッパ以外での開催が無かったため、“W”が取れ「JRC」となった。エントラントの減少から、2011年に車両・タイヤがワンメイク化された。2011~2012年の名称は「WRC アカデミー」であったが、2013年にはサポートカテゴリ再編と共に「JWRC」に戻った。

2010年までの主な車種[編集]

スズキ・スイフト S1600。奥はスーパーイグニス (先代スイフト)

ワンメイク化後の車種[編集]

過去に存在した選手権[編集]

プロダクションカー世界ラリー選手権 (PWRC)[編集]

三菱・ランサーエボリューションX

2002〜2012年開催。市販車に安全装備など最低限の改造のみを施した、グループN規定の車両を中心に戦う。前身は1987年から開催されていたFIAプロダクションカーカップ。チームタイトルに当たるものは存在しない。

スバル・インプレッサ三菱・ランサーエボリューションの寡占状態が長く続いたため、2007年からスーパー2000車両も許可され、2011年からはJWRCのワンメイク化に伴いR1〜R3車両のための2WDカップが創設された。2010年にスーパー2000はSWRCへ分離され、2013年にはグループN4車両はWRC2のプロダクションカーカップ、2WDカップはWRC3へと発展してPWRCは消滅した。

日本人・日本車の活躍が多く、新井敏弘が2度のドライバーズタイトル、奴田原文雄がモンテカルロで優勝を飾る活躍を見せた。前身のFIAプロダクションカーカップでも三菱・スバルの他マツダ・日産がチャンピオンマシンとなっており、日本人では西山寛が総合ランキング2位に入っている。なお2005年頃までは「PCWRC」と表記されていたが、現在は「PWRC」と表記するのが通例である。

主な車種

スーパー2000世界ラリー選手権 (SWRC)[編集]

シュコダ・ファビア S2000

2010年〜2012年開催。市販車を自然吸気2.0Lエンジン・四輪駆動に換装するスーパー2000規定と、グループN4の戦闘力の乖離を鑑みて創設された[33]。また初年度のみチームタイトルとして、選手権名の原案でもあった「WRCカップ」が掛けられた[34]。マシンはスーパー2000の他、2011年からグループR4車両も可とされた。わずか3年のみの開催で、2013年よりWRC2へ移行した。

主な車種

WRC3[編集]

ワンメイク化されたJWRCに代わって登場した、WRCの二輪駆動車部門。2013年〜2018年開催。運営規則はほぼWRC2と同一で、13戦開催・7戦中6戦の有効ポイント制。カーナンバーは61から80番。

マシンは二輪駆動のグループR車両(=R1〜R3)から選べる。またJWRCの車両はWRC3の規則と合致するため、両クラスに同時エントリーが可能となっていた。JWRCは出走イベント・参戦マシン・タイヤメーカーなどを選べないハンデはあるが、実際にはJWRCのエントラントがWRC3でも上位をほぼ占めており、両選手権でチャンピオンを獲得することの方が多かった[注 42]。またWRC3としてのメディア露出もほとんどなく、2018年終了を持って廃止された。

主な車種[編集]

その他の賞典・トロフィー[編集]

  • レディースカップ - 1990〜1995年開催。女性ドライバーが対象。
  • チームズカップ - 1998〜2001年開催。プライベーターチームが対象。
  • WRCトロフィー - 2017年開催。型落ちのWRカーが対象。参加ドライバーはロレンツォ・ベルテッリ、バレリー・ゴルバン、ジョルダン・セルデリディス、マルティン・プロコップの4名。

ポイントシステム[編集]

ドライバー選手権/コ・ドライバー選手権[編集]

全クラス共通で、最終日のSS終了時の順位で1位から10位までに25-18-15-12-10-8-6-4-2-1ポイントが与えられ、1シーズンで最も多くのポイントを獲得したドライバー/コ・ドライバーがドライバーズチャンピオン/コ・ドライバーズチャンピオンとなる。

WRCクラスに限り、総合成績に関係なくイベントの最終SS[注 43]の1〜5位にそれぞれ5-4-3-2-1ポイントのボーナス点が与えられる(パワーステージ[35]。またJWRCのみ、各SSで最速タイムを記録するたび1ポイントの「ステージポイント」が与えられる。

下位クラスのWRC2プロ/WRC2/JWRCはクラス別にポイントが設けられているが、最高峰のWRCのドライバーだけはクラス順位ではなく総合順位からポイントが決定する。また下位クラスのドライバーでも総合順位次第でWRCのポイントを獲得できる(ただしASN車両では獲得できない)。

WRC2プロ/WRC2は最初に参戦した7戦中上位6戦の有効ポイント制となっている。選択可能なイベント全戦(13戦)にエントリーすること自体は可能だが、8戦目以降はポイント対象にならない。

マニュファクチャラー選手権[編集]

WRカーやグループR5の製造者(マニュファクチャラー)が該当し[注 44]、WRCとWRC2プロで開催される。WRCの場合同選手権にエントリー出来るのはマニュファクチャラー毎に1チーム3台までで、2チーム目(4台目)以降はマニュファクチャラーズポイントは与えられない[36][注 45]。各マニュファクチャラーの、各イベントの上位2名の順位が加点対象となる。またWRC2プロは2台までがエントリーでき、ポイント対象は1台のみである。

ドライバーズタイトルと異なり、下位クラスのマシン・各マニュファクチャラーの最下位者1名・リタイア者を排除した順位でポイントを決める。例えば3名×4マニュファクチャラー=12名がマニュファクチャラー参戦している状態で、仮に全車がデイリタイアを喫しつつも完走した場合、マニュファクチャラー選手権の加点対象は12名―(各メーカーの最下位者×4)=8名となるため、最低順位は8位となる。つまりこの場合どんな形でも最終日の最終SSを走りきれば、7位+8位分の6+4=10ポイントは必ず獲得できる。年間最も多くのポイントを獲得したメーカーがマニュファクチャラーズチャンピオンとなる。

なおWRCが誕生した当初はドライバーズ選手権はなく、マニュファクチャラーズ選手権のみであった。

その他[編集]

2018年までのWRC2/WRC3ではマニュファクチャラーズ選手権の代わりに『チーム選手権』が設定されていた。1チームにつき最大2名が対象で、3人目以降は別チームの扱いとなる。そのイベントで最もポイントを多く獲得した1名がポイント対象。ドライバーズ選手権同様、最初に参戦した7戦中6戦の有効ポイント制で、チームのドライバーのうち1名でも参戦すればポイント対象となる。年間通して最もポイントを獲得したチームがチームズチャンピオンとなった。

なおJWRCにチーム選手権に該当するものは存在しないが、イベント毎各国で最も多くポイントを稼いだ者が対象の、『JWRCネイションズトロフィー』と呼ばれる国別対抗戦が存在する。

車両の変遷[編集]

WRC草創期[編集]

ランチア・ストラトス

1973年のWRC創設から1980年代初頭までは市販車に近いグループ2、改造範囲の広いグループ4といった規定で競技が行われ、大手メーカーはグループ4に参入した。各メーカーは市販車を強化した特別仕様車であるホモロゲーションモデルを販売し、その車両をベースに競技用車両を開発していた。グループ4の当時の生産義務が「連続する24ヶ月間に400台」と少ないことを利用し、ランチアがWRCのためだけに開発した市販モデルのランチア・ストラトスは例外的存在である。当時のラリーカーはほとんどが2WDであったが、1981年にフルタイム4WDとターボエンジンを採用したアウディ・クワトロが登場してラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけた。その後、それまでのグループ1-8規定を廃止し、1983年から新規定に移行することが発表される。1982年は新旧両規定に基づいた車両が使える移行期間であった。

グループB時代 (1973年 - 1986年)[編集]

アウディ・クワトロ A2

グループ1-8と複雑になっていた規定がグループN、A、B、C、D、E、F、Tに簡素化され、このうちラリーの世界選手権はグループBにかけられることとなった。グループBの生産義務はメーカーの参入を促すため「12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台」と非常に緩く設定されており、これによりさらに高性能なラリー専用車両が続々登場した。グループB車両のほとんどは鋼管スペースフレームに市販車に似せたデザインのFRP若しくはC-FRP・ケブラー製のカウルを被せ、400PS-600PSと言われた高出力の過給エンジンをミッドシップに搭載し、フルタイム4WDで駆動するといった物であり、メーカー各社は先鋭化した高性能車両を競って生み出していく。際限の無い競争の結果として開発コストが上昇したため、FIAはグループBよりも金銭的な負担が少なく、競争が激しくなるような新しいカテゴリーとしてグループS構想を発表した。

グループB規定により走行スピードは劇的に向上したが、安全面がその進化に追いつかず、多くの事故と犠牲者を生み出すこととなった。1985年ツール・ド・コルスでのランチアのアッティリオ・ベッテガの事故死、同年アルゼンチンラリーでのプジョーのアリ・バタネンの事故、1986年ポルトガルラリーでフォードからワークスエントリーしていたヨアキム・サントスが多数の観客を死傷させるなど、ワークスドライバーが絡む事故が多発。そして、1986年のツール・ド・コルスで発生したランチアのヘンリ・トイヴォネン / セルジオ・クレスト組の事故死を受けて、FIAは事故の翌日に以後のグループB車両のホモロゲーション申請を却下することを発表し、その後1986年を以てグループBの廃止を決定[注 46]、翌1987年からは世界選手権はそれまで下位クラスであったグループAで行われることを発表、同時にグループS構想も消滅した。

1973年 - 1986年の車種[編集]

グループA時代 (1987年 - 2001年)[編集]

ランチア・デルタ インテグラーレ

1987年の世界ラリー選手権グループA規定に移行し、ベース車両は継続した12ヶ月間に5,000台以上の生産が義務づけられたほか[注 48]、様々な改造規制が加えられて市販車に近いものとなった。しかしハンドリングの向上とタイヤの性能が進化したことにより車両性能は落ちるどころか年々向上し、3年後にはグループBのマシンを凌駕する速さを身に付けた。フルタイム4WDと2.0Lのターボエンジンは必須の装備となっていたが、その様な高性能なスポーツ車両を生産し販売出来るメーカーは少なく、参戦メーカー数は非常に減少した。

スバル・インプレッサ WRX

ランチアはデルタをベースとした車両を製作してグループA時代を牽引するが、これに日本のメーカーが勝負を挑む。日本の自動車市場は4WDスポーツ車が順調に売れる世界的に見て珍しい市場であり、日本車メーカーはこぞって高性能な4WDスポーツ車を販売し、1990年代中盤には、それまでWRCの中心を担ってきたヨーロッパの自動車メーカーに代わり、トヨタスバル三菱日産マツダといった日本のメーカーがWRCを席巻した。

トヨタはセリカでランチアの厚い壁に挑み続けて遂に撃破し、1990年、1992年〜1994年に日本の自動車メーカーとして初めてドライバーズタイトルを獲得、1993年・1994年にはやはり日本メーカーとして初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。またスバルインプレッサの投入とともに1994年からフル参戦を開始し、1995年〜1997年の3年連続でマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得、三菱自動車ランサーエボリューションが1996年〜1999年まで4年連続ドライバーズ・タイトルを獲得した。

一方グループAの2,500台という最低生産台数が負担となり、高性能4WDを市販車のラインナップに持たないメーカーは撤退の一途を辿っていたため、より参戦の門戸を広げる必要があった。1995年にはフランスメーカーたちの提案により、FIA 2リッターワールドカップ向けに、改造範囲の広い2WD/NAエンジン車のF2キットカー規定が導入された。この動きは将来のWRCの2WD化を見越してのものであったが、既存のメーカーたちから猛反発を受けて、結果F2キットカーの4WDターボ版とも呼べるワールドラリーカー (WRカー) 規定が1997年より導入されることで決着した。F2キットカー規定はその後規制緩和により戦闘力が向上し、1999年にはフィリップ・ブガルスキーがターマックでWRカーをも下して2勝を挙げる活躍を見せたが、これをきっかけに重い性能調整を受けて衰退。2WD規定はスーパー1600へと発展し、現在のWRC3/JWRCに繋がっている。

1997年にほとんどのメーカーがWRカーに移行する中、三菱だけはグループAに留まり、1998年に初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。1999年もドライバーズタイトルを勝ち取るなど、2001年半ばまでグループAで戦い続けた。

1987年 - 2001年の車種[編集]

WRカー時代 (1997年 - 2010年)[編集]

フォード・フォーカス WRC
(2004年 キプロス・ラリー)

グループAの特例として1997年から導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の派生モデルに限り、直接的なペースモデルの生産台数を2,500台とするもので、ワイドボディ化、4WDへの改造、リアサスペンション形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。この規定により高性能4WD車をベースにする必要がなくなったため、ヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加して活況を呈し始めた。

1999年、フォード・フォーカスWRCプジョー・206 WRCが登場、プジョーは2000年〜2002年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇した。2003年には本格参戦1年目にしてシトロエンがマニュファクチャラーズタイトルを奪取し、その後2005年まで3連覇するなど一大勢力と化したフランス勢の時代が続いたが、WRCの開催スケジュール等を巡りFIAと対立したプジョーが2005年で撤退した。2006年はプライベーターに供給され、ノルウェーのOMVチームやアストラレーシングがプジョー・307 WRC2005で出場。マンフレッド・ストールトニ・ガルデマイスタージジ・ガリらが表彰台に上がっている。シトロエンも2005年で一時撤退するが、2006年にプライベートチームのクロノス・レーシングを事実上のワークスチームとしてサポートする形で参戦、その間、従来のWRカーであったクサラ WRCの後継となるC4 WRCの開発を平行して行っており、2007年に再びワークスチームとしてWRCへ復帰した。また、クサラはOMVチームが2007年に使用したほか、ペター・ソルベルグも2009年よりプライベーターとしてクサラを駆っている。

フォードはMスポーツにワークス活動を委託し着実に成績を残していたが、フォードグループ全体の経営不振などにより年を追うごとに資金が先細りしていく状況にあった。2002年頃から毎年撤退が噂され、2004年には撤退寸前まで追い込まれるが、Mスポーツ監督のマルコム・ウィルソンが絶望的な状況の中でも諦めることなくフォード首脳陣に対して参戦継続へ向けた粘り強い交渉を行っていた。そして交渉期間中に開催されたカタルニア・ラリーとツール・ド・コルスでフォーカスWRCを駆るマルコ・マルティンが連続優勝を成し遂げた。この結果により状況が好転し、フォード本社がラリー活動の継続を決断する。2005年に3年間の参戦と資金が確約されると攻勢に転じ、モデルチェンジしたフォーカス STをベースに新型車両を作り上げ、2006年はマーカス・グロンホルムの活躍もあり1979年以来となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。またこの頃から、徐々にWRカーの主役はセダンからBセグメントハッチバックへと変わり始めた。

しかし2007年のリーマン・ショックに端を発する世界的不況の影響により、各自動車メーカーの経営不振、度重なるWRカーの仕様変更、WRカーの開発費用および車両価格の高騰、イベント数の増加などにより徐々にメーカーが撤退し始め[注 49]、2009年時点で正式に参戦したのはシトロエンフォードの2社のみとなり、同年はシトロエンのサテライトチームのシトロエン・ジュニアとフォードのサテライトチームのストバートMスポーツ、ミュンヒスの5チームで争うこととなった。

トヨタ・カローラ WRC

日本メーカーでは、1年間の活動自粛をしていたトヨタがカローラ[注 50]をベースにしたWRカーを投入、1999年のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。スバルはインプレッサ WRCを投入し、2001年と2003年にドライバーズチャンピオンを獲得するものの、頻発するトラブルや度重なるモデルチェンジによる仕様変更の影響もあって上位に絡めない展開が続く。2008年にようやくトップ争いが見える位置まで復活するが、上位のシトロエン、フォードとの差は開いており、2008年をもって撤退した。

三菱はグループAに拘り続けたが、2001年にWRカーへと移行した。ベースモデルはランサーエボリューションからランサーへと変更されているが、WRカーへの移行時に多くのトラブルが発生、エースであったトミ・マキネンの離脱なども重なり成績は低迷した。体制変更、一時的な活動停止などの迷走期間を経て、2008年以降の本格的復帰を目標に限定的な参戦をしていたが、2007年末に英国の拠点を閉鎖、2010年にラリーアートが業務の一部停止を発表した[37]

スズキは、当初2007年が夏季開幕となるウインターシーズン案が検討されていたため2007年からの全戦参戦を計画していたが、ウインターシーズン案が撤回されたため、2007年は3戦にスズキ・SX4 WRCでテスト参戦し、2008年からフル参戦した。シーズン前半は初期トラブルが多発し完走も難しかったが、後半へ向けて改良が行われ、2台完走することが増えていった。しかし最高位は日本とイギリスの5位に終わり、2008年12月15日に業績不振を理由にスズキは2009年以降のWRC参戦休止を表明した。

日本車以外のアジア勢としては、ヒュンダイがイギリスのMSD (モータースポーツ・デベロップメント) と協力しヒュンダイ・アクセント WRCで参戦していたが、慢性的な資金難から競技車両の開発が大幅に遅延した結果、競争力が向上せず、2003年、ワークス活動を委託していたMSDが活動資金の不足を理由に残り4戦を残して撤退、そのままWRCの活動を休止した。この「シーズン途中のワークス撤退」が当時のルールである「WRカーのマニュファクチャラーは全戦出場義務がある」に抵触したため、FIAはヒュンダイに対しWRC史上最高額となる100万USドルの罰金を課したが、支払いを巡り法廷闘争に発展した[38]

1997年 - 2010年の車種[編集]

S2000 WRC時代 (2011年 - )[編集]

シトロエン・DS3 WRC

WRカーはコスト高騰で新規ワークスの参入は困難になってしまったため、コスト削減案としてWTCCで導入されていたスーパー2000 (S2000) 規定を導入しようという案が浮上した。これは2.0LのNAエンジンを使用し、ボディ補強など最低限の改造のみで競技車両を製作するという規定である。すでにPWRCやIRCでは多くのS2000規定の車両が活躍していた。

WRカーという名称は引き継いだまま、新規格のWRカーをから導入することが検討され、2008年12月にFIAはS2000をベースにボルトオンキットで簡単にWRカーに出来る様にする“S2000プラス”を提案した[注 51]。しかしFIAの中で意見が二転三転し、S2000プラスを撤回して2011年以降はS2000をメインカテゴリーにするという話が浮上[注 52]。際限なく続く議論に、次期車両開発をしたくてもできないシトロエンとフォードからは、結論の出ないFIAに対して不満の声が上がった。

最終的には世界ツーリングカー選手権(WTCC)など他のカテゴリーと共通の規定の元に製作される1.6L直噴ターボエンジンをS2000車両に搭載したS2000 WRCに変更することを決定し、シトロエンとフォードは、それぞれシトロエン・DS3 WRCフォード・フィエスタ RS WRCを制作し参戦[注 53]、また2011年からは新たにBMWプロドライブに製作を委託しミニ カントリーマンをベースにした、ミニ・ジョン クーパー ワークス WRCで参戦[注 54]した。同年5月、フォルクスワーゲンポロ R WRCで参戦することを発表し[41]、同系列メーカーのシュコダ・ファビアS2000でWRCに参戦しチームの習熟を行った。一方でフォードは2012年を持ってワークス参戦を終了し、80年代以来長きに渡る挑戦の歴史を一度終えたが、Mスポーツへの車両供給と技術支援は続けた。またMINIは組織的な紛糾もあり、2013年に姿を消した。

フォルクスワーゲンは2013年に正式にポロWRCを開発して本格参戦を開始、デビュー年でドライバーズ&マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。2014年も好成績を継続していることを受けて、フォルクスワーゲンは当初の2013年〜2015年までの3年計画を延長、2019年まで参戦することを決定した[42]。また2014年からはヒュンダイi20 WRCでフル参戦を開始し、初年度で念願の初勝利を挙げている[39]

2017年規定[編集]

ヤリスWRCの巨大な空力パーツ

WRC代表のカルロス・バルボサは近年失われつつある人気を取り戻すことを重視し、これまでの低コスト・規制強化路線とは打って変わった大規模な規制緩和を行うことを決めた[43]。そして2017年からエアリストリクター径は33mmから36mmに緩められ、エンジン出力が315馬力から380馬力へアップ。最低重量は1200kgから1175kgまで引き下げられ、アクティブセンターデフの解禁、リアディフューザーや車幅の拡大もなされた[44]

新規則発表に前後して2015年1月、トヨタはかねてから噂されていたWRC復帰を発表[45]。一方2016年11月にフォルクスワーゲンが電撃撤退を表明したため、マニュファクチャラーの総数は増加には至らなかった[46]。この新WRカー初年度は、フォード車を用いるプライベーターのMスポーツがメーカー勢を破って二冠を獲得する快挙を達成。これにより2018年からフォードはMスポーツへの支援を厚くする形で「Mスポーツ・フォード」の名でワークス復帰した。

日本勢の活躍[編集]

古くからホンダを除く主要日本メーカーのほとんどが参戦、活躍を見せた。

トヨタ(参戦中)[編集]

トヨタ・セリカ GT Four ST185

トヨタはWRCの始まる前からラリー参戦を始めており、もともとドイツのプライベーターであったオベ・アンダーソン・モータースポーツ(後のTTE、TMG)を支援する形でWRC初年度から参戦。カローラレビンセリカを運用して1975年の1000湖ラリーで初優勝を挙げた(トヨタ車としては1973年アメリカが初)。その後82年ニュージーランドの他、1984年から1986年までサファリ・ラリー3連覇を果たすなどの活躍を見せた。

1990年にセリカを駆るカルロス・サインツが日本車で初のドライバーズタイトルを挙げると、1993年にはユハ・カンクネンのドライバーズタイトルに加えて日本車初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。1994年もダブルタイトルを獲得し、黄金時代を築いた。しかし1995年に苦戦から違法なリストリクター製造に手を染めてしまい、発覚後1年間の出場禁止が言い渡された。これを重く受け止めたトヨタはもう一年活動を自粛した。1998年にWRカーのカローラで復帰するとすぐに三菱とタイトルを争い、1999年に3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。有終の美を飾ってトヨタはF1へ転身していった。

それから18年後の2017年、ヤリスWRCで復帰。オペレーションはフィンランドを本拠とするトミ・マキネン・レーシングで、エンジン開発をTMGが行う。デビュー2戦目のラリー・スウェーデンで早くも優勝を果たし、翌2018年には5勝を挙げて19年ぶり4度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。またWRC3にもTMG(旧TTE)が開発したGT86 CS-R3のプライベーター供給を行っており、表彰台に上がる活躍を見せている。

2018年現在、下位クラス含めて唯一WRCにワークス参戦している日本メーカーである。

日産[編集]

日産・バイオレット

日産もWRCの開幕以前からラリーに挑戦しており、サファリ・ラリーで圧倒的な強さを示し続けた。1973年のWRC開幕初年度にサファリでダットサン・スポーツ240Zが早くも日本のワークスチームとしてWRC初優勝を果たした(サファリでは3度目の総合優勝)。1979年~1983年にもA10系バイオレットでサファリ・ラリー史上初の4連覇を果たした。しかしグループB規定が導入されると得意のサファリでもトヨタ・セリカなどの後塵を拝するようになった。[47][48]1991・1992年のパルサーGTI-Rを最後に、業績の不振からシーズン途中で撤退した。通算ではダットサン時代と合わせて9勝を記録している。

なおGTI-Rは1992年にFIAプロダクションカーカップ(後のPWRC)でチャンピオンマシンになっている。

三菱[編集]

三菱・ランサーエボリューション 6.5

トヨタ、日産同様1973年から参戦を開始。1974年にギャランでサファリ・ラリーで初の優勝を記録した。排ガス規制対策で一時休止後、1981年にランサーで復帰。1984年にはラリーアートを創設し、拠点をヨーロッパに移した。その後長いグループA導入とともに開花、1989~1992年にギャランで計5勝を挙げた。1993年にはランサー エボリューションがデビューすると、1996年から1999年までトミ・マキネンによって4年連続ドライバーズタイトル、1998年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得している。しかしWRカーへ移行する中で最後までグループAにこだわった結果苦戦が続き、また人材不足もあって2003年は参戦休止。2004年に新設されたMMSPがラリーアートから運営を引き継ぎ[49]ジル・パニッツィをエースとして再出発したものの、トラブルの多発により母国戦ラリージャパン開催前に活動を休止。2005年はハリ・ロバンペラをエースに起用し、パニッツィとロバンペラが表彰台、ラリートルコではジジ・ガリが一時首位を走るなど躍動したものの、本社の相次ぐリコール隠し問題から経営悪化したため2005年に三たび休止、これが事実上の撤退となる。撤退後2006年にプライベーターのダニエル・カールソンがラリースウェーデンでランサーを駆り3位入賞、2008年スウェーデンでPWRCのランサーを駆るユホ・ハンニネンが8位入賞したほか、2017年ラリーオーストラリアでは上位勢の大量リタイヤもあり、三菱ランサーエボリューションXの地元ドライバーネイサン・クイーンがポイント圏内でフィニッシュした。

しかしその後もランサー・エボリューションはグループN規定車両として、2012年までのPWRCで4度のドライバーズタイトルに貢献した。現在も地元プライベーターによるランエボのスポット参戦が見られる。またスウェーデンのプライベーターであるMパートABがグループR5相当のミラージュを独自開発して2018年から北欧イベントにASN車としてスポット参戦しているが、公認取得の予定はない[50]

マツダ[編集]

1981年にベルギーに設立されたマツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ(Mazda Rally Team-Europe,MRE-T)のもとにマツダのWRC活動の大半は行われた。1979年のRACラリーからグループ2規定のサバンナRX-7で参戦。グループB規定もRX-7で1986年まで戦い続け、最高3位の成績を収めた。グループAが導入されると、ワークス活動はそれまで下位クラスで活躍していたファミリア(323)に切り替えられた。ファミリアは1987・89年スウェディッシュ・ラリー、1989年ニュージーランド・ラリーで合計3度の総合優勝を記録。本社の業績不振のため1992年をもって撤退した[51]

ファミリアは素性に優れており、FIAプロダクションカーカップ(後のPWRC)で3度チャンピオンマシンになっている。

スバル[編集]

スバル・インプレッサWRC

1980年のサファリ・ラリーの下位クラスにてデビュー。この時アウディより一年持ち込んだ4WDはFRが常識だった当時は画期的なもので、このレオーネは高い戦闘力を発揮しすぐにクラス優勝を挙げた。グループA規定導入後の1990年、英国のプロドライブとのジョイントでレガシィで最高クラスに挑戦を開始[52]。1993年に初優勝し、1995年に初のドライバーズ・マニュファクチャラーズタイトルを獲得。以降1997年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇した。また2001年にリチャード・バーンズ、2003年にペター・ソルベルグがドライバーズタイトルを獲得している。2005年のGBでの優勝を最後に急速に戦闘力を失い、2008年に経済状況と「当初の目的を達成した」ことを理由として撤退した[53]

スバルは三菱同様PWRCでも猛威を奮い、2003年から2007年まで5年連続でドライバーズタイトルに貢献。PWRCがWRC2に変わった後も、2014年までワークス支援を続けていた。

スズキ[編集]

スズキ・SX4 WRC

スズキは日本メーカーでは最後発にあたる。2002年から下位クラスのJWRCに参戦し、スーパー1600規定のイグニススイフトで3度のドライバーズタイトルを獲得している。通算勝利数はシトロエンの32勝に次ぐ24勝で歴代2位である。

最高峰のWRCクラスにも2007年終盤にSX4でデビューしたが、最高成績は5位に留まった。2008年12月にはリーマン・ショックによる業績不振を理由に一年余りで電撃撤退した。その後もJWRC活動は続いたが、2011年にワンメイク化されたためこちらも撤退となった。

ダイハツ[編集]

グループB9(1300cc未満)のシャレードで1979年〜1981年にラリー・モンテカルロにスポット参戦、1981年にクラス優勝を勝ちとった。また最高峰に向けてデ・トマソ社とともに本格的なグループBカーである926Rを開発していたものの、突然のグループB廃止で市販化も含めて幻と消えた。 1984年からサファリ・ラリー限定で参戦し始め、85~88・90・91・93年にクラス優勝。特に1993年のサファリでは排気量が1L大きいライバル達を相手に健闘、総合1〜4位を占めたトヨタ・セリカに次ぐ総合5~7位に食い込んでスバル・三菱をも上回る活躍を見せ、[54]有終の美でWRC挑戦の幕を下ろした。

いすゞ[編集]

現在トラックメーカーとして知られるいすゞだが、乗用車製造から撤退する前にはRACラリー限定でWRCにスポット参戦していた。日本人で構成されたチームいすゞは1983年〜1985年にアスカ、1986・1987年はジェミニを運用。1984年にグループAクラスで優勝している[55]

日本人ドライバー[編集]

メーカーのみならず、多くの日本人ドライバーがWRCに参戦した。下位クラスでは目覚ましい活躍が残されており、PWRCでは新井敏弘(スバル)っが2度のドライバーズタイトル(日本人として初の四輪世界選手権王者)を獲得している。またプロダクションカーカップや2リッターカップなどでは西山寛(日産)、藤本吉郎(トヨタ)らが勝利を挙げている他、奴田原文雄(三菱)が2006年のPWRCでラリー・モンテカルロを含め3勝を挙げて年間2位の成績を収めている。

一方で日本人のWRC総合優勝記録は、2018年現在篠塚建次郎(三菱)の1991・1992年コートジポワールラリーの2回のみに留まっている。

2018年現在は元WRCドライバーの勝田照夫を祖父にもつ勝田貴元と、新井敏弘の息子新井大輝、コ・ドライバーの足立さやかがトヨタの支援でWRC2に参戦(マシンはフォード・フィエスタ R5を使用)し、2018年のラリー・スウェーデンで勝田が日本人初のWRC2優勝を挙げている。また全日本ラリー選手権のドライバーが、しばしグループN車両などでスポット参戦することもある。

メディア[編集]

海外での放送[編集]

開催国を中心として、ヨーロッパで絶大な人気を誇るWRCはテレビ放送も盛んに行われている。特にフィンランドは母国イベントの開催時に国民の10%が観戦するほどの人気があるという[1]。FIAとしてもテレビ放送から得られる収入は無視出来ないものとなり、スーパーSSなどテレビ放送向けにイベントを組んでいるが、より多くの視聴者を獲得するためにはテレビ放送より規模の大きいインターネット配信が有効という意見も出ている[56]。ラジオ放送も行われており、日本でもインターネット経由で聴くことが出来る。

また2014年から一部のSSを有料配信する、公式ライブストリームサービスの『WRC plus』が配信開始。2018年には全SSをライブ配信する『WRC All Live』へと名称が変わった。これも日本で視聴することが可能で、またRed Bull TVでは同配信の一部を無料で配信している[57]

日本での放送[編集]

2018年現在J SPORTSが各イベントの最終SSのライブ中継や各DAY・イベントのダイジェスト、ラリージャーナリストが取材したWRCの裏側リポート等を有料放送している。 1990年代はNHKでWRCの報道がされていた[注 55]ほか、2003年以前は日本テレビで深夜にダイジェスト番組が放送されていた[注 56]。 2004年頃にテレビ東京でもダイジェスト放送が開始[注 57]。祭日や土日の昼頃に放送されており、時にはナビゲーターが現地リポートを行うこともあった。2005年のラリージャパンでは報道ステーション松岡修造が出演するコーナーにて特集され、2006年には前述の放送局に加えて、インターネット放送GyaO、CS放送AXN、地上波放送日本テレビ系列[注 58]及び福井放送[注 59]で行われたが、以降は地上波でWRCやラリージャパンに関する放送はされなくなった。衛星放送ではBS日テレでもダイジェストで放送していたが、スバルのWRC撤退によるスポンサー撤退で2008年12月25日で放送終了。2008年はテレビ東京系の番組『モヤモヤさまぁ〜ず2』とタイアップし、同年11月14日に21時から2時間特番を放送した[注 60]。その他の放送局はWRCの報道に消極的であり、日本で開催されるラリージャパンも例外でない。同ラリーの開催時期でも、地上波では過去にWRCの放送経験があるテレビ東京系列の他は日本テレビ系列やNHKで多少触れられる程度であった。

2017年からトヨタのWRC復帰がきっかけでテレビ朝日において『地球の走り方~世界ラリー応援宣言』というダイジェスト番組や報道ステーションのスポーツコーナーにおいて各イベントの結果の放送がされるようになっている。2018年1月にはアメトーーク!で「世界ラリー大好き芸人」が特集され、1時間の枠でWRCが紹介された。なおテレビ朝日では「世界陸上」などと同様にWRCを「世界ラリー」と呼んでおり、これに関して従来のファンからは賛否の声が上がっている。

地球の走り方はNHKやテレビ東京で放送した番組とは全く異なる放送形態であった。スポーツ番組ではなくバラエティー番組という位置づけであり、WRCの結果は終盤に触れる程度でほとんどが芸人によるレポートがメインとなっている。そのほか、ドライバーのコメントは字幕ではなくボイスオーバーを採用。ラリードライバーに異名をつける[注 61]、毎放送にSSやパワーステージの説明、ヒュンダイを韓国のチーム[注 62]などと初心者に分かり易い内容となってはいたものの、ラリー関係者やラリーファンには不評であった。また、2018年のラリーフランスにおいてトヨタのオット・タナクと表彰台争いをしていたシトロエンのクリス・ミークのクラッシュをしたシーンで出演者が喜び、番組MCの渡部建がミークに対しありがとうという発言をしたためかJ SPORTSのラリーMCの栗田佳織が怒りを露にするなど、多数の不備が存在。2018年の最終戦オーストラリアの優勝者ヤリ=マティ・ラトバラがゲスト出演したのを最後に番組は終了。2019年以降テレビ朝日はWRC報道を行っていない。

日本での雑誌報道[編集]

WRCの専門雑誌としては、1990年に創刊したWRC速報誌『RALLY・XPRESS』が草分け的な存在だが、2007年末の出版社の解散にともない廃刊。現在は、同誌の元スタッフが運営を引き継いだ携帯サイトラリーXモバイルとしてラリー情報を配信している。2017年現在、WRC専門誌『WRC PLUS』は廃刊、編集部が同誌を引き継ぐRALLY全般誌『RALLYPLUS』(三栄書房、編集: 株合同社サンク )として刊行されている。

フィクション[編集]

新谷かおるの「ガッデム」が、ビッグコミックスペリオールで1988年-1990年まで連載され、OVAとしてアニメ化もされた。パリダカのようなモノだけをラリーと認識している人が多かった当時の日本に、WRCのルールを浸透させたエポックメイキングな作品。架空の日本車メーカー三沢自動車と日本人ドライバー轟源の活躍を描く。

なお新谷かおるは、同じくWRCを扱った作品として「NAVI」をヤングマガジンGTに2000年1号-2002年6号まで連載、単行本全1巻をヤングマガジンコミックスから発売している。こちらはドライバーではなくナビゲーターが主人公というのが珍しい。

しんむらけーいちろーの「FLAT OUT」が、別冊ヤングマガジンに2005年4月-2006年12月まで連載された。2004年のラリージャパンとラリー・オーストラリアを舞台に日本人ドライバー剣龍也の活躍を描いている。

2018年6月にはトヨタの全面協力の下にWRCを目指すドライバーとそれを支えるメカニックの兄弟を描いた、東出昌大/新田真剣佑主演の映画「OVER DRIVE」が公開された。

歴代チャンピオン[編集]

2006年 オーストラリア・ラリーの表彰台
2012年ラリーGBの表彰台

WRC[編集]

  • 1 - 世界選手権ではなくFIA Cup for Driversとしての開催

WRC2[編集]

WRC3[編集]

JWRC[編集]

  • ^1 - FIA Cup Super1600 for Driversとしての開催
  • ^2 - ジュニアラリー選手権としての開催
  • ^3 - WRCアカデミーとしての開催

PWRC[編集]

SWRC[編集]

通算タイトル数ランキング[編集]

ドライバー[編集]

ドライバー 合計 Seasons
フランスの旗 セバスチャン・ローブ 9 2004~2012
フランスの旗 セバスチャン・オジェ 6 2013~2018
フィンランドの旗 ユハ・カンクネン 4 1986,1987,1991,1993
フィンランドの旗 トミ・マキネン 4 1996~1999
ドイツの旗 ヴァルター・ロール 2 1980,1982
イタリアの旗 ミキ・ビアシオン 2 1988,1989
スペインの旗 カルロス・サインツ 2 1990,1992
フィンランドの旗マーカス・グロンホルム 2 2000,2002
イタリアの旗 サンドロ・ムナーリ 1 1977
フィンランドの旗 マルク・アレン 1 1978
スウェーデンの旗 ビョルン・ワルデガルド 1 1979
フィンランドの旗 アリ・バタネン 1 1981
フィンランドの旗 ハンヌ・ミッコラ 1 1983
スウェーデンの旗 スティグ・ブロンクビスト 1 1984
フィンランドの旗 ティモ・サロネン 1 1985
フランスの旗 ディディエ・オリオール 1 1994
イギリスの旗 コリン・マクレー 1 1995
イギリスの旗 リチャード・バーンズ 1 2001
ノルウェーの旗 ペター・ソルベルグ 1 2003

マニュファクチャラー[編集]

マニュファクチャラー Total Seasons
イタリアの旗 ランチア 10 1974~1976,1983,1987~1992
フランスの旗 シトロエン 8 2003~2005,2008~2012
フランスの旗 プジョー 5 1985~1986,2000~2002
ドイツの旗 フォルクスワーゲン 4 2013~2016
日本の旗 トヨタ 1993~1994,1999,2018
イタリアの旗 フィアット 3 1977~1978,1980
日本の旗 スバル 1995~1997
アメリカ合衆国の旗/イギリスの旗 フォード 1979,2006~2007
ドイツの旗 アウディ 2 1982,1984
フランスの旗 アルピーヌ 1 1973
イギリスの旗 タルボ 1981
日本の旗 三菱 1998
イギリスの旗 Mスポーツ 2017

通算優勝数ランキング[編集]

ドライバー / コ・ドライバー[編集]

ドライバー 総計 コ・ドライバー 総計
1 フランスの旗 セバスチャン・ローブ 79回 モナコの旗 ダニエル・エレナ 79回
2 フランスの旗 セバスチャン・オジェ 44回 フランスの旗 ジュリアン・イングラシア 44回
3 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム 30回 フィンランドの旗 ティモ・ラウティアイネン 30回
4 スペインの旗 カルロス・サインツ 26回 スペインの旗 ルイス・モヤ 24回
5 スコットランドの旗 コリン・マクレー 25回 ウェールズの旗 ニッキー・グリスト 21回
6 フィンランドの旗 トミ・マキネン 24回 フィンランドの旗セッポ・ハルヤンネ 20回
7 フィンランドの旗 ユハ・カンクネン 23回 フィンランドの旗イルッカ・キヴィマキ 19回
8 フランスの旗 ディディエ・オリオール 20回 スウェーデンの旗 アーネ・ハーツ 18回
9 フィンランドの旗 マルク・アレン 19回 フィンランドの旗 ミイカ・アンティラ 18回
10 フィンランドの旗 ハンヌ・ミッコラ
フィンランドの旗 ヤリ=マティ・ラトバラ
18回 イタリアの旗 ティジアーノ・シビエロ
フランスの旗 ベルナール・オチェッリ
16回

マニュファクチャラー[編集]

メーカー 総計
1 フランスの旗 シトロエン 100回
2 アメリカ合衆国の旗イギリスの旗 フォード 90回
3 イタリアの旗 ランチア 74回
4 日本の旗 トヨタ 51回
5 フランスの旗 プジョー 48回
6 日本の旗 スバル 47回
7 日本の旗 三菱 34回
8 ドイツの旗 フォルクスワーゲン 28回
9 ドイツの旗 アウディ 24回
10 イタリアの旗 フィアット 21回

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b マニュファクチャラーチーム
  2. ^ スポーツカー世界選手権は1953年創設だが1992年に一旦消滅している。
  3. ^ トヨタ・ヤリスWRCの場合、WRカーと市販車の共通性は38%ほどであるという[1]
  4. ^ リエゾン走行時とは異なるSS用のセッティングモード。パワーの増大と共にアンチラグシステムの効きを強くすることでスロットルレスポンスは向上するが、燃料を濃くするため、より多くの燃料を消費する。仮に、負荷の低いリエゾンでステージモードを使用してしまうと不燃焼ガスが多く発生する[2]
  5. ^ 2004年に日本で初めて行われたラリージャパンには、全国から多数のプライベーターが参戦した。
  6. ^ 2004年のメキシコ・ラリーにおいて第一レグの最終SS終了後、ロードセクションのゴール間際でスバルペター・ソルベルグインプレッサがエンストした際、周りにいたメディアや観客がペターと一緒に車を押してしまい、これを受けてペターはペナルティを課せられた。
  7. ^ 自動車メーカー側からはイベント数が多過ぎるとの声が上がり、主催者側はWRCを自国で開催したいという思惑があるため、双方の意向を汲む形で導入された[5]。そのため2009年は伝統のモンテカルロからの開催とならず、ラリージャパンも2010年に回っている。映画の題材となるなど、日本でよく知られているケニアサファリラリーは、イベント自体の特殊性や開催地の遠さが敬遠され、2002年の開催を最後にWRCからは外されている。
  8. ^ 2006年最終戦は10月21日のブラジルグランプリで、2007年の開幕戦であるオーストラリアグランプリは3月18日と5ヶ月ある。
  9. ^ 例として、2006年最終戦のグレートブリテンラリーが12月3日に最終日を迎えたのに対し、2007年開幕戦であるモンテカルロ・ラリーは1月19日と1ヶ月強程度しかオフシーズンがない。
  10. ^ 一部のステージはWRC初のリトアニアで行われる[6]
  11. ^ 例として、モンテカルロは舗装路が積雪や凍結状態となるためターマック、スウェーデンは未舗装路に積雪しているためグラベルとなる[7]
  12. ^ 特に1月に開催されるモンテカルロは、ドライ、ウェット、スノー、アイスと路面状況が変化するためタイヤ選択が重要なイベントとなっている。公式サプライヤーの1社で、2014年に全てのワークスチームに供給するミシュランでは、低い路面温度に対応するコンパウンドが柔らかいソフトとスーパーソフトの2種類、モンテカルロ専用となるスタッド付きとスタッド無しのスノータイヤを用意したが、装着分4本とスペアタイヤの搭載は2本に限られるため、選択によっては大きくタイムを失うドライバーが続出する結果となった[9]
  13. ^ 2008年〜2010年
  14. ^ 少々のパンクに対応できる様、2007年まではムースと呼ばれる発泡剤をタイヤ内部に充填していたが、2008年のレギュレーション変更で禁止された。
  15. ^ 1994年を以て純粋なスリックタイヤの使用は禁止された[11]
  16. ^ 同じ冬期のイベントでも、モンテカルロとスウェーデンでのスタッドタイヤは仕様が異なる。2013年のスタッドの高さと数は、モンテカルロが約2mm/180本、スウェーデンが6mm/360本となっている[7]
  17. ^ タイヤの接地面に使用されるゴムの種類。一般的に、ソフトはグリップ力は高いが性能保持時間が短く、ハードはソフトに比べるとグリップ力は劣るものの性能保持時間は長い傾向がある。
  18. ^ 環境負荷の低減とコスト削減のため、2011年までは6本まで、2012年には5本まで、2013年からは4本までと年々削減されているため、タイヤメーカーは耐久性と性能の両立を更に求められることになった[13]
  19. ^ WRC開催初年度の1973年から2005年まで供給、その後は傘下のBFグッドリッチブランドとしてインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)に供給するなどの形で一時休止していたが2011年に復帰した[16][17]。2014年は全てのワークスチームが使用する[13]
  20. ^ ミシュランと同じく開催初年度の1973年から供給を開始し、2008年から2010年までは独占契約によりワンメイク供給を行った[18]。2011年からF1に集中するため2010年を以て休止したが、2014年に復帰した[19]
  21. ^ 2014年からの新規定では、木曜日にスタート前のイベントとなるセレモニアルスタート、金曜日から日曜日を競技とし、最終日は12時頃に終了することとされた[21]
  22. ^ 2007年までは「DAY (デイ)」という表現を用いず「LEG (レグ)」と表記していた。現在でも「レグ」と表記している媒体も有る[22]
  23. ^ WRC 2011 第12戦 スペイン DAY1のグラベルでは、先頭走者のローブが本来であれば掃除役として不利を被る筈が、早朝かつ無風の状況で走行により巻き上げたダストが2分経過後もコース上に漂い、後続のマシンが視界を遮られて全開走行が出来ず、コースアウト寸前になるマシンも出るなど、ローブ以外は大幅にタイムを落としてしまう。この状況を受けてDAY1後半からはスタート間隔が4分に延長され、ようやく視界がクリアとなった[23][24]
  24. ^ この際はシェイクダウン専用のコースを使用する。
  25. ^ 優勝を争うような選手でもコマ図を読み違え、道に迷いガス欠で棄権するということが起こる。
  26. ^ 交通渋滞などで遅くなった若しくは早く着いてしまったなど、リエゾンで生じた誤差を正すのが目的。
  27. ^ 日本の場合は道路運送車両法
  28. ^ 通常のSSでは観客は競技車両が走り去るまでの短時間しか観戦出来ないが、スーパーSSでは観客席を設けて同じコースを2台の車両が同時にスタートするため、タイムを争う様子を観戦出来る。厳密には同じコースではないが比較的距離が短いため、タイム差は僅かである。
  29. ^ 規定により最長距離は80km程度とされている[14]
  30. ^ ロードセクションなどの距離はこれ以上あるため、全ての競技の総走行距離はこの限りではない。
  31. ^ F1監督やWRCでコ・ドライバーを務めていた現FIA会長のジャン・トッドが推進するWRC長距離化政策や元WRCドライバーで現FIA役員であるミシェル・ムートンの影響により、近年は長距離化が進んでいる[26]
  32. ^ 最終日の最終SSの1位-3位に、それぞれ3ポイント、2ポイント、1ポイントのドライバーズポイントが与えられる[13]。2013年までは設定SSや距離も様々で、規定は無かったものの殆どが最終日の最終SSに設定されていた。2013年のフランスではDAY1のSS1に設定される例もみられたが、2014年からは最終日の最終SSで距離は10km以上と規定された[27]
  33. ^ 通常は60分だが、ミックスサーフェイスのイベントであるスペインでは75分に設定されている。これは、DAY2がターマックでDAY3がグラベルのため、通常の整備作業に加えて仕様変更も行う必要があるため特別に設定されている[8]
  34. ^ スーパーラリー制度を適用
  35. ^ 以前はサービスパークという制度は存在せず、競技中はほぼ時間や場所に関わらず整備が可能であった。
  36. ^ 15分間のため、整備は必要最低限となる[28]
  37. ^ 2012年まで、WRC以外のJWRCやPWRCなどは、WRCと併設されたイベントでWRCのみしか行われないイベント、一部サポートカテゴリーを行われないイベント、全カテゴリーを同時開催するイベントなどまちまちであった
  38. ^ 2017年までは、フル参戦者は運営の指定する3イベントに参戦することが義務付けられていたが、2018年には全戦自由に選べるようになった。これはWRC3も同様である
  39. ^ 2017年ラリー・ドイチェランドのSS1ではWRカーには狭すぎる超低速ステージであったこともあり、シュコダ・ファビアR5のヤン・コペッキーが総合首位に立った[31]
  40. ^ かつては26歳以下だった。
  41. ^ JWRCは年間イベントを2戦ずつ3つのセクターに分けており、各セクターで最も多くのドライバーズポイントを得たドライバーは、Mスポーツのオペレーションの下、翌年のWRC2にR5マシンで2戦ずつスポット参戦する権利を得ることができる。加えてドライバーズチャンピオンは1戦の権利を得る。つまり全セクターで勝利すれば、7戦に参戦する権利を得ることが可能となる。ちなみにこの特典がこのような複雑な形態を取るのは、接戦になった場合を考慮しているためである
  42. ^ 現在、2014年から2017年まで4年連続でJWRC/WRC3の同時制覇が達成されている
  43. ^ 2018年のラリーGBのように、最終SSではないことも稀にある。
  44. ^ WRCにおいて「マニュファクチャラー」とは「ワークスチーム」という意味がある。基本的には自動車メーカーがなるが、Mスポーツのようにプライベーターでもマニュファクチャラーとなる例もある
  45. ^ 2016年までは1チーム2台までで、マニュファクチャラーズポイントは2チーム目にも個別に与えられていた[13]
  46. ^ グループB車両の全てが出場不可となった訳ではなく、300PS以下のB車両は1987年以降も出走は可能だった。実際、小排気量のグループB車両はポイント対象外ながら、ホモロゲーションの切れる1990年代までプライベートチームが走らせる姿を見ることが出来た。ポルシェ・959などもグループB参加車両として開発されていたが、ベース車の生産・販売の問題や莫大な競技参加費用が掛かるなどの様々な事情があり、更にグループBの廃止の煽りを受けてこれらの車が実際の競技に参加することは無かった。
  47. ^ 参戦はプロトタイプクラスのみ。
  48. ^ 1993年より2,500台に変更。
  49. ^ フォルクスワーゲン傘下のセアトは2000年に、フォードと並ぶ古参メーカーとして知られたシュコダも資金難などにより2005年をもってマニュファクチャラーズ選手権から撤退した。
  50. ^ ヨーロッパで販売されていたモデルをベースとしていたため、日本のカローラとは別物である。
  51. ^ 競技車両のコストダウンを図ると共に、既に多く出回っているS2000車両をほぼそのままWRカーとしてエントリーを可能とする狙いであったが、S2000車両を持たないスバルや三菱にとってはFIAに見捨てられた形となった。グループNとS2000車両では性能が異なり、仮にグループN車両で参戦出来たとしてもS2000プラス規定の車両に対する競争力は目に見えて劣る。特に2008年まで参戦していたスバルはベースモデルとなり得る車両をラインナップに持たないため、2010年以降の参戦は非現実的であった
  52. ^ WRカーに替わるS2000はエンジンの回転数を8,500rpmに、純粋なS2000は8,000rpmに制限する2種類のS2000が存在することになるというものであった。
  53. ^ ワークス活動は2012年で終了したが、現場での活動を担ってきたMスポーツを技術支援する形の、実質的なセミワークス体制で活動を継続する[39]
  54. ^ ワークス活動は2012年に撤退[40]
  55. ^ オープニング曲は増崎孝司のCHANCE IT。スポーツキャスターは小平桂子アネット。その後、2001年にCS放送のWRC番組でキャスターとして復帰するが2004年メキシコをもって結婚を機に引退している
  56. ^ ナビゲーターはケイ・グラント国沢光宏が担当。国沢はテレビ東京での放送になってからも、暫く解説を担当していた。
  57. ^ 番組ナビゲーターは2005年が前田真理子国沢光宏、2006年は倉野麻里古賀敬介、2007年からは松丸友紀が担当した。
  58. ^ テレビ東京系列局の無い地域、且つラリージャパンのみ。
  59. ^ 日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局、ラリージャパンのみ。
  60. ^ PR的な内容で、選手やレース関係者へのインタビュー、番組プロデューサーの伊藤隆行によるラリーカー同乗レポート、各種イベントの紹介などが行われた。
  61. ^ セバスチャン・オジェ→絶対王者、ティエリー・ヌービル→メガネのクールガイなど。なお2年間を通してアンドレアス・ミケルセンとダニ・ソルドは異名がつけられなかった。
  62. ^ マニュファクチャラー登録国は韓国ではあるものの、ドイツのチームである。

出典[編集]

  1. ^ a b トヨタが「WRC再参戦」でつかんだ成果と課題”. 東洋経済. 2017年8月28日閲覧。
  2. ^ WRC 2013 第5戦 アルゼンチン . J SPORTS. (2013年5月5日)
  3. ^ “第12戦ラリーGB 異常事態の中、ソルベルグ(スバル)優勝”. NIPPON Rent-A-Car. (2005年9月). http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/rally_japan6.htm 
  4. ^ WRC 2013 第4戦 ポルトガル . J SPORTS. (2013年4月21日)
  5. ^ “【WRCコラム】2009年 第1戦 ラリー・アイルランド”. J SPORTS WRC Mr.フクイのものしり長者 de WRC!. (2009年1月26日). https://www.jsports.co.jp/press/article/N2009012614501305.html 
  6. ^ “【WRC】ラリーポーランド、2014年のルートの詳細を発表”. Response. (2013年12月6日). http://response.jp/article/2013/12/06/212477.html 
  7. ^ a b WRC 2013 第2戦 スウェーデン . J SPORTS. (2013年2月17日)
  8. ^ a b “ひとつのラリーで舗装路とグラベル路をこなすシーズン唯一のミックスサーフェイスイベント”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2013年10月24日). http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2013/10/rd12-spain-preview.html 2017年8月28日閲覧。 
  9. ^ “【第1戦 ラリー・モンテカルロ: レポート】”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年1月20日). http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/01/rd01-monte-carlo-report.html 2017年8月28日閲覧。 
  10. ^ “グラベル用ラリータイヤ最新事情”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2011年6月16日). オリジナルの2014年4月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140404175924/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/06/-1.html 
  11. ^ a b “アスファルト用ラリータイヤのパフォーマンス”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2011年8月16日). オリジナルの2014年4月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140404191605/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/08/post-34.html 
  12. ^ “今年もWRCは"雪と氷のモンテカルロ"から。ミシュランのWRC公式タイヤサプライヤー4年目がスタート”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年1月15日). http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/01/rd01-monte-carlo-preview.html 2017年8月28日閲覧。 
  13. ^ a b c d e f g “2014年WRCタイヤ&主要レギュレーション”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年2月7日). オリジナルの2014年12月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141214010440/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-basics-regulations.html 
  14. ^ a b “ラリー中のタイヤ・マネージメント”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2011年9月10日). オリジナルの2014年4月4日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140404182055/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/09/post-40.html 
  15. ^ “【第6戦 ラリー・イタリア: プレビュー】”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年6月5日). http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/06/rd06-sardinia-preview.html 2017年8月28日閲覧。 
  16. ^ “ミシュラン、WRC復帰を検討”. F1-Gate.com. (2010年9月10日). http://f1-gate.com/michelin/wrc_8980.html 
  17. ^ “WRCとミシュラン”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年2月7日). オリジナルの2014年12月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141214010431/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-basics-michelin-and-wrc.html 
  18. ^ “ピレリ、2011年までWRCコントロールタイヤ契約を延長!”. RALLY PLUS.NET. (2010年4月9日). http://www.rallyplus.net/9435 2017年8月28日閲覧。 
  19. ^ “ピレリ、2014年にWRCに復帰”. RALLY·X. (2013年8月2日). http://rallyx.net/news/ピレリ、2014年にWRCに復帰-9447/ 
  20. ^ “ミシュラン、ラリーに本格復帰”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2012年1月1日). オリジナルの2014年12月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141214003242/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/02/post-8.html 
  21. ^ a b “2014年WRC第1戦モンテカルロラリー”. J SPORTS. (2014年1月10日). https://www.jsports.co.jp/press/article/N2014011014182305.html 
  22. ^ “ERCサンレモ、新井はプロダクション3位”. RALLY PLUS.NET. (2013年10月12日). http://www.rallyplus.net/3508 2017年8月28日閲覧。 
  23. ^ WRC 2011 第12戦 スペイン. J SPORTS. (2011年10月21日)
  24. ^ “WRC第12戦ラリー・スペイン、デイ1はローブがトップ”. Car@nifty. (2011年10月22日). オリジナルの2014年7月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140714162451/http://carnifty.cocolog-nifty.com/wrc/2011/10/day1wrc-12-a53c.html 
  25. ^ “ペター・ソルベルグ、免停の顛末を語る”. RALLY PLUS.NET. (2011年2月14日). http://www.rallyplus.net/news/info.php?no=24554 
  26. ^ “第6戦アクロポリス初日:復活ラトバラが首位”. RALLY PLUS.NET. (2012年5月25日). https://www.rallyplus.net/5832 2017年8月28日閲覧。 
  27. ^ “2014年からWRCのアイテナリーはさらにフォーマット化へ”. RALLY PLUS.NET. (2013年12月5日). http://www.rallyplus.net/3245 2017年8月28日閲覧。 
  28. ^ “WRC第6戦ラリー・アルゼンチン プレビュー”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2011年5月26日). http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/05/post-19.html 2017年8月28日閲覧。 
  29. ^ Download 2018_wrc_sporting_regulations_170118.pdf (PDF)”. FIA. 2018年1月28日閲覧。
  30. ^ “WRC-2,WRC-3の詳細が発表”. RALLY PLUS.NET. (2012年11月22日). http://www.rallyplus.net/5032 2017年8月28日閲覧。 
  31. ^ “WRCドイチェランド:シトロエンのミークがSS1クラッシュの波乱。トヨタ勢は6番手発進”. AUTO SPORT web. (2017年8月18日). https://www.as-web.jp/rally/152149 2017年8月28日閲覧。 
  32. ^ WRCがカーナンバー選択制へ、WRC2プロを創設しWRC3は廃止 RallyPlus.net 2018年10月13日
  33. ^ S2000世界ラリー選手権、SWRC誕生へ
  34. ^ FIAが2010年のエントリーを発表<WRCカップ>
  35. ^ David Gruz (2016年11月9日). “2017年の規定変更がWRCコミッション内で決定”. motorsport.com. https://jp.motorsport.com/wrc/news/wrc-2017年の規定変更がwrcコミッション内で決定-847770 2017年8月28日閲覧。 
  36. ^ “WRC、2017年からドライバー3人制導入”. RALLYPLUS.NET. (2016年9月29日). http://www.rallyplus.net/24293 2017年8月28日閲覧。 
  37. ^ “弊社業務縮小に伴う、一部業務廃止のご案内”. RALLYART NEWS. (2010年3月10日). http://www.ralliart.co.jp/10news/100310.html 
  38. ^ “ヒュンダイのWRCマシン、米国ラリー参戦…7年ぶりの表舞台へ”. Response. (2010年9月23日). http://response.jp/article/2010/09/23/145447.html 
  39. ^ a b “2014年WRC(FIA世界ラリー選手権)の見どころ”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年2月7日). オリジナルの2014年12月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141202224528/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-overview.html 
  40. ^ “MINI、WRC 撤退へ…年内にワークス活動を終了”. Response. (2012年10月13日). http://response.jp/article/2012/10/13/183057.html 
  41. ^ “VW、2013年からWRCに参戦…マシンは ポロ”. Response. (2011年5月6日). http://response.jp/article/2011/05/06/155881.html 
  42. ^ “VW、2019年末までのWRC継続が確定”. RALLY PLUS.NET. (2012年6月10日). http://www.rallyplus.net/2326 2017年8月28日閲覧。 
  43. ^ “WRC、2017年の技術規定改革へ”. RALLYPLUS.NET. (2014年7月30日). http://www.rallyplus.net/2081 2017年8月28日閲覧。 
  44. ^ Anthony Peacock (2016年12月16日). “WRC:2017年の新レギュレーションは?”. RedBull. 2017年8月28日閲覧。
  45. ^ “トヨタ、17年からヤリスでのWRC復帰を正式発表!”. AUTO SPORT web. (2015年1月30日). http://archive.as-web.jp/news/info.php?c_id=3&no=62842 2017年8月28日閲覧。 
  46. ^ “フォルクスワーゲン、16年限りのWRC撤退を正式発表! カスタマースポーツに集中”. AUTO SPORT web. (2016年11月30日). http://www.as-web.jp/rally/62437 2017年8月2日閲覧。 
  47. ^ 日産モータースポーツの歴史”. 日産自動車. 2017年8月28日閲覧。
  48. ^ 【ラリー】大陸を一周する1万6,000kmのコース”. 日産自動車. 2017年8月28日閲覧。
  49. ^ 三菱自動車 FIA世界ラリー選手権(WRC)における栄光の軌跡
  50. ^ [1]
  51. ^ RALLY CARS vol.10 MAZDA 323”. RALLYPLUS.NET. 2017年8月28日閲覧。
  52. ^ 世界を駆けた六連星――スバルWRCの戦い(1995年)”. TOYOTA MOTOR CORPORATION. 2017年8月28日閲覧。
  53. ^ スバルはなぜWRCから撤退するのか
  54. ^ サファリのシャレードを忘れちゃこまる。”. ラリーX. 2017年8月28日閲覧。
  55. ^ Lombard RAC Rally 1984
  56. ^ “リチャーズ、「WRCはネット配信に専念すべき」”. RALLY PLUS.NET. (2014年5月31日). http://www.rallyplus.net/2401 2017年8月28日閲覧。 
  57. ^ WRC史上初、全ステージをライブ中継へラリーモバイルX 2018年1月13日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]